吃音:幼少時からの親子関係・家庭環境がもたらすもの(再掲載:初掲載は2012年9月11日)

 どもりを持っている私が生きてきたなかで、多くのどもりを持つ方々と接してきて感じていることなのですが・・・、
仲良くなりお互いの人生について忌憚なく話し合えるようになった「おとなの吃音者」のなかに、自分の幼少期の話題になると急に寡黙になる方が少なからずいらっしゃるのです。

 吃音についての一般論は実に多くを語り積極的に活動されている方が、自分の子供の頃の話しとなると急に寡黙になるのです。

 吃音者に限らず、自分の過去の話しになると、比較的親しい間柄においても急に寡黙になる方はいらっしゃいます。

 そのようなときには、「かなり辛い経験をされてきたのだろうな」とか、「大変な苦労をされてきて思い出したくないのだろうな」と考えて、こちらからはそれ以上聞くことはしませんね。(おとなの常識です)
*「親友」とは、そういうところまで話せる人間関係のことですが、実際には持っている人はかなり少ないようです。同じ悩みを共有している吃音者の間では比較的できやすいような気がしています。

 なんでこんなことを書いたかというと・・・、吃音者は心の解放がうまくなされていないのではないかと思うのです。

 子供のころからどもりにまつわるかなり辛い経験をしてきて、それを無理矢理に忘れようとするか、または棚上げにしておくことで、いまの自分をなんとか保つようなギリギリの生き方をされているように見えてしまうのです。
*自分も30代前半くらいまではそういう生き方で無理を重ねていました。そういう「危うい生き方」が、結果としてどもりを維持させたり悪化させる、また、実際の症状以上に自分のどもりを悪く評価して苦しんでいるのではないかと思うのです。

 こどもの頃からの辛い経験は例えば・・・、
★子供の頃、どもる度に家族から注意されたり、場合によっては笑われたり無視されたりして、自分の家も安住の地ではなかった。
★子供の頃、学校や友達の間で(場合によっては家庭内で)、どもることにより精神的なレベルか肉体的なレベルでいじめ・虐待を受けていた
★家族関係(親子、夫婦、兄弟、祖父母)が劣悪でケンカやいざこざが絶えず、その人間関係によるストレスにより自分のどもりが維持され悪化して結果として人生がうまくいっていないと、こころのなかで強く思っている。
★しかし、自分の幼少期の経験や自分の家族についてはあまり否定的に思いたくないし、そういう事実を人に知られたくないという複雑な思いが自分を締め付けている。

 一方、全く逆の環境の場合は・・・、
★学校でどもりで困ったり恥ずかしい思いをしても、帰った家ではいくらどもっても怒られることも注意されることもなく静かに話を聞いてくれるので、自分がどもりで困っていることをわだかまりなく家族に話せる。
★家族間で全くケンカのない家庭などありませんが、質実剛健で思いやりのある明るい家庭。

 こんな家庭環境に子供の頃からあれば、どもりが治るかどうかは別として、前述よりかは明らかに良い結果(吃音の悪化が食い止められる、心理的に重症のどもりとならない可能性が大になる)になるでしょう。

 それでは、前述のような「悪い家庭」で育ってしまった場合にはどうしようもないのかといえば、おとなになってから自分の努力でかなり回復できるものと考えます。

★アダルトチルドレンであることを認識する
 「こどもの頃、我慢していたこと」、小中学校のころからどもりで困ったり、どもりを原因としていじめられたりと、場合によっては自殺を考えるほどに悩んでいたのに家族には話すら聞いてもらえなかったし、言い出せるような環境ではなかった。
 そのような場合には、年月を経てからでも、年老いた親の前でも、「当時、自分がたいへん困っていて悩んでいたのに家族には何もしてもらえなかったこと」を大きな声ではっきりと言いましょう。(たぶん家族からは理解されないと思いますが)自分のなかで何かが変わりはじめるかもしれません。

★いままでは自分の人生のなかの「負の部分」と思って、こころのすみっこの方に紙に包んでしまっておいた「こどもの頃のどもりについてのいろいろなこと」を、自分の人生のなかの「ほんとうにあった隠せない事実(人生の一部)」とするために、自分で工夫しましょう。
 それには、例えば、東洋的な修養法である「座禅」なども良いかもしれません。
*もちろん人それぞれです。

★やはり、自分の負の部分をためらいなく語れる友人(親友)を持つことです。

★セルフヘルプグループなど吃音者の集まりに積極的に参加して、自分以外のいろいろな立場の吃音者(性別、年齢、生きざまの違う)がどのような人生観を持って生きているかを体感することです。(ネットのつながりだけでは弱すぎます。)

★信頼できてなんでも話せるホームドクターとしての、精神科医、臨床心理士、言語聴覚士などを努力して見つけ、専門家のサポートの元で、自分のどもりやいままでの人生をできるだけ俯瞰できるように(自分を客観視できるように)していくことです。

吃音の苦労によりかたくなになりすぎたこころをほぐして生きやすくしていくこと(再掲載一部改編:2013年11月7日)

 人はどもりによる耐えがたい苦労を経験すれば経験するほど、自分(のこころ)を守るために、そのこころをかたくなに閉ざしていくことがあります。

 自分では、不自然な(無理な)考え方・生き方と、こころのどこかではわかっていても・・・
そのように思い、そのような生き方をしようとすることにより、自分のこころがどもりによる苦労のために崩れてしまうのを防いでいるのでしょう。

 その形は人により様々です。
★「私はこういう生き方なんだ」と、どう考えても無理な(無茶な)生き方(考え方)をしようとしている方
★「私はこれでいいんだ」と、いまの不自然な生き方(ライフスタイル)を(端から見ると)無理に肯定してそこに逃げ込んでいる方

 ほんとうは良くない考え方、無理な考え方・生き方とわかっていても、そうせざるを得ないところまでこころが追い込まれているのです。

 どちらの場合も、一時的にはこころの平衡が保たれているかのような錯覚に陥りますが、中・長期的にはかえって自分が追い込まれてしまいます。

 こんなことにならないように・・・、
★どもりのセルフヘルプグループ等に参加して、いろいろな症状や重さのどもりを持ち、いろいろな環境で生きている様々な年齢層や立場の異なる吃音者と接して、自分(のどどもり)を客観視できるようにすることです。
そして、そこで、何でも話せる友人を(ひとりで良いので)作りましょう。

★ホームドクターとしての精神科医・臨床心理士を見つける
ぴたりと自分に合った先生を見つけるのは難しいですが、先生に頼り切るというよりも、「自分を客観視できるように」第三者的な目を提供してもらうのに役立ちます。

★これはいちばん難しかもしれませんが、家族にも最低限の理解をしてもらえるように働きかけていきます。しかし家族には大きな期待はしないことです。

吃音による苦労の連続でこころがクサらないようにするには(再掲載一部改編:初掲載は2009年4月16日)

 日常生活や学校生活・職場での仕事に明らかな影響が出るような重さのどもりを持ちながら人生を送っている人の苦労・苦悩は半端なものではありません。
 また、傍から見て気がつきにくいような軽いどもりでも、本人のこころのなかでは常にぎりぎりの状態で生きづらい場合もよくあります。周りの人が気がつかない分、本人のこころは追い込まれていて、自殺すら考えている場合もまれではありません。

 どもりによる困難が大きければ大きいほど、多ければ多いほど、
 そして、家族の理解(関心)がなかったり、どもる度に笑われたり執拗に注意されるような劣悪な環境(これが結構多いのです)にいればなおさらですが、一生懸命に誠実に生きようとしてもこころがクサッてしまいます。
 一生懸命に生きようとすればするほど心がとげとげして「クサッて」しまうのかもしれません。

 そんなことにならないように、
 また、すでになっている場合には、どのようしたら自暴自棄にならずに、すこしづつでもよい方向に進めるかを考えます。

★なんでも話せる親友をもつ
 ひとりでよいのです。ケータイやスマホに登録されている見かけ上の友達の数がいくら多くても意味がありません。ひとりで良いのでなんでも話せる本当の友達(親友)をつくることです。
 といっても、「人つきあいが苦手なので私は無理」と思われているかもしれませんね。
そんなときにはどもりのセルフヘルプグループに参加してみたらいかがでしょうか。

★自分の「現実」をありのままに受け止めて冷静に分析する。そして、動き出す。
 子供の頃から自分がどもること大きく悩んできたこと、生活に大きな支障が出てきたことなどを自分のこころのなかで正直にみとめることです。
 必要以上に無理をしないで、信頼できる人の前では素直に弱音をはくことです。
*弱音をはける環境(友人を作る・場所を作る)を自分で工夫して作る。

 時には傷ついたこころを癒やしたり、人生を考える旅(旅行ではありません)をするのも良いでしょうし、お金とヒマがないのならば自宅で座禅や瞑想の時を持つのも良いでしょう。
*それによってすぐに治ったり軽くなるというものではありません。あくまでも自分のありのままと正対するということです。
 自分のありのままを見つめることがなかなかできない場合には、精神科医や臨床心理士などの力も借りてみましょう。

★現実(働いて、生きていくのに十分なお金を稼ぐこと)を生きていくために必要と自分で判断した場合には、
 例えば、どもりの症状を軽くするためにできる限りの努力をするということも、その結果はともかく、その過程でのいろいろな出来事などからも得るものはあるでしょう。(人生は試行錯誤のくりかえしですから)

 どもることにより、こころを病むことがないように予防措置をとることも必要です。
 心が壊れると体の病気よりも治すのに時間がかかりますし非常に厄介ですので、早めに精神科医や臨床心理士にかかることです。

★自分の行為が他者から認められ満足感に浸れる機会を増やす工夫をしたり、ことばで勝負しなくても活躍できる場を持つ。
 理想は、学校や職場や家庭内で行なっている何らかの行為が一部でも認められることにより生きている満足感を得られることですが、そういう場がない場合にはボランティアなどを通しても実現できます。
 これにより、吃音者が陥りがちな「自己不一致」に陥るのを予防できるでしょう。

 どんな厳しい状態に自分がいても、今の自分こそが「本当の自分」で「ここから歩き始めれば良い」ということを実感できる・分かるということが大切だと思います。
*いずれにせよ自分のことを話せるほんとうの友人が必要です。

吃音者を取り巻く状況2017年

 2017年を迎えました。
 どもりを持っている人の状況について考えてみたいと思います。
*どもりには重さの違いや症状の違いがあります。また、子供の頃から育ってきた家庭環境(精神的・経済的)、いま生きている環境(家庭・学校・職場)により、どもりが人生に及ぼす悪影響は天と地ほどの差がでることを理解しておく必要があります。

1,いじめ事件とどもり
 昨年もいじめ、そして、それによる自殺が多数報道された一年でした。
 特に気になったのは、福島原発の事故で避難されている子供や大人が、それを理由に様々ないじめを受けていることが表面化したことです。
子供のいじめについては、先生もいじめに荷担しているというショッキングな、でも、ありがちなことが報道されることが続いています。

 福島原発の事故で避難している子供に対しクラスメイトが差別的な発言をし脅かしてお金をとっていた事件では、担任に相談した子供が、その後担任から差別的な発言(呼び名)で呼ばれて不登校になったという信じられないような話です。
 また、これは原発がらみではありませんが、いじめを受けて自殺したとみられる仙台の中学生の自宅を自殺直後に教員が訪れてLINEの履歴を削除したという行動(これはもう犯罪です)の報道にはあきれるばかりです。
 ぜひ事実関係を明らかにして厳正な処分を求めたいと思います。

 このようないじめが蔓延している状況では・・・、
どもりながら話す、なかなか言葉が出てこないようなところが滑稽に見えてしまい、また気が小さいからどもっているというステレオタイプな見方をする一般の子供からすれば格好のいじめの対象になるでしょう。
*大人も同様に、職場でのいじめの対象になります。

 いじめ事件の際の学校の先生や教育委員会の逃げ腰・自己保身的な行動や態度をみると、いじめを受けていても先生に相談できないどもりを持った子供が大勢いることも容易に想像できます。
 ただでさえどもりの悩みを相談できない子供たちですから、それプラスいじめでは、かなり追い詰められていることも考えておくべきです。

2、仕事(就職・転職)とどもり
 もう4年ほど前になるでしょうか、北海道で苦労の末看護師になったどもりを持った男性が自殺した報道がありました。
 彼はセルフヘルプグループでも活発に活動し前向きな発言そしていたようで、仲間内では自殺するようには見えなかったとのことです。

 もともと、職業には適性があります(どもりにかかわらず)
 さらに、どもりを持っている場合には、選べる職業の幅が事実上狭まります。
その人がもしもどもりでなかったら合うであろう職業でも、どもりであるために結果として適性がなくなるのが仕事の世界です。

 職種によってその要求度はかなり違いますが、仕事では、言うべき言葉を言うべきときにハキハキと言えることがあたりまえのように要求されます。
 社内で、または取引先で、顧客に対してハキハキと対応できない場合、または、傍から見て重くは見えないどもりでも、本人のこころのなかでは、ストレスで精神的にぎりぎりとなり、自殺すら考えていることもあります。

 先ほどの北海道の看護師のように、人の命にかかわる医療の仕事の世界では、「言うべきときにハキハキと言葉が出てコミュニケーションが円滑にできることは必須でしょう。
(「職場がどもりについて理解があり相談して云々」というのは職種によっては可能な場合もあるでしょうが、この場合は現実的ではありません)

 そのような厳しい世界に飛び込んだ彼、とてつもなく大きなストレスのなかでも前向きに生きようとしたことが、結果としてこころのリソースをすり減らしてしまったのではないでしょうか。

 そういうときに必要なのは「頑張りを語れる(語ってしまう)環境」ではなくて、ほんとうの自分の気持ちや弱音をあたりまえのように吐ける環境です。
「そんなの頑張りすぎだよ!無理だったら早めに辞めて方向転換しようよ!」などと言ってあげられる・話し合える環境だと思います。
*(もちろん善意からですが)そういう前向きに無理をして頑張っている人を(結果として)あおってしまいがちです。

 また、一般の会社の事務系や営業系の仕事は、ある意味それ以上に言葉の要求度が高くなります。
 言葉をあまり使わないイメージがある技術系や現場系の仕事でも、ひとりきりでする仕事以外は言葉による的確なコミュニケーションが意外に必要とされます。
*いままで書いてきたような「仕事の世界の現実」を考えず、どもりでもなんとかなるなどと考えることは現実的ではありません。

吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る):初掲載は2012年5月5日、お互いに信頼できる吃音者が集まってできること:初掲載は2012年5月13日、(どちらも再掲載一部改編)

吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る)

 今回は、しばらく書いていなかったどもりに対する直接的な働きかけについて書いてみます。

★「自分がどもること」を、あらためて心と体でしっかりと受け止めること
★「信頼できるどもり仲間」の間で、安心してどもる経験を積んで自己肯定感を高めていくこと
★必要に応じて、ことばの流ちょう性を高める訓練をする、同時にその限界も知る。(どもりの重さや症状によっては、いたずらに流ちょう性を求めないなど、個人差に十分に配慮する)
★いろいろな重さ・症状、環境にある吃音者と語り合い、どもりに対する偏った考え方をなくしていく。
★どもりについての情報を広く社会に発信し、吃音者の本当のこと、本当の苦しみを知ってもらう。同時にネットでの活動の限界も知る。

 これから書くことはサークル的な活動になりますので、運営の仕方が悪いと個人攻撃となってしまうことがあります。十分な注意が必要です。
 どもりを持っていると言っても実に様々です。この「違い」を十分に考えた上での運営が必要です。

●「自分でもほとんど困らないくらいのごく軽いどもりの方」から、「就学・就職などの節目でも大きな影響が出ないくらいの比較的軽い方」、「日常生活や学校生活、仕事に支障が出る方」、そして「どもることにより引きこもりになったり、うつ病などの心の病気になっているなどのきわめて深刻な方」まで実に様々です。
●また、吃音者が生きている環境も様々です。
どもりに対する家族の理解があるかどうか?、職場や学校でも、どもっている自分のことを受け入れてもらっているか?

♥少人数で目的を合わせるとうまくいきやすい。
 最初から本格的な活動を望まないで、やりやすいとことから。
 同じくらいの年齢で、例えば就職、再就職を控えているのになかなか第一歩が踏み出せないというような、同じような境遇にいる人たちで集まるグループ活動がやりやすいでしょう。
 仲間をみつけるには、まずはセルフヘルプグループに参加してみて、そのなかで気の合う仲間をみつけるところからはじめればよいと思います。
 地域の公民館の会議室は低価格で借りられますので活動の拠点にできます。
 いまでは、携帯やスマホで簡単に連絡を取り合えますので、日程や会場の変更にも柔軟に対応できます。

♥皆が苦手な電話の練習は、お互いの携帯にかけるところからはじめて、次第に家族が出ることもあるお互いの家の電話にかけるようにしていきます。相手がいないときは、104の電話番号調べや企業などのお問い合わせ電話にかけるのも良いでしょう。

♥街なかで、買い物で
 仲間で、あらかじめテーマを設定してから街中に出て、歩いている人に道を聞く、デパートやスーパーで店員にいろいろと質問をするなど、日常や仕事のなかで話す環境に近い経験をする。
 その際の注意は、「どもらないようにする」というよりも、上手にどもりながらでも結果的に相手とコミュニケーションをとれることを体験することにより少しずつ自信をつけていく。
 活動が終わってからは、お互いの違いを認めながらざっくばらんに話し合う。

♥サークル感覚で運営し深刻にならないように、
 グループにはバランス感覚に優れた統率力のあるリーダーを置き、個人攻撃的にならないように、ボス的な人が出てこないように注意しながら楽しく行う。

♥サークルのホームページ、ブログなどを作り情報を発信していく。同時に新しい仲間を集めることもできます。

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お互いに信頼できる吃音者が集まってできること

 前回の書き込み「吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る)」では、気の合うどもり仲間でできることを書きました。

 いまの日本において、どもりで深く悩んでいる人がその悩みをすべて打ち明けることができ、また共感を持って持って聞いてもらえる人がいるところ。必要に応じて言葉の流ちょう性を確保するために練習したり、または、いたずらに治そうとしないでうまく共存しようとする、などの、試行錯誤ができる環境はセルフグループしかありません。
 しかし、セルフグループも人の集まりですから場合によっては人間関係で苦しむことがあるかもしれません。

 既存のセルフヘルプグループに入ってみて自分には合わないと感じたら、我慢などする必要なありません。余計な苦労をしないように、生きるうえで大切にしたい価値観を共有できる仲間をみつけて自分達なりのセルフヘルプグループを作って活動してください。
*いまではスマホや携帯で互いの連絡が自由に取れるようになったので、既存のどもりセルフヘルプグループにこだわらずに、気の合うどもり仲間を集めて自分達なりの活動ができます。

 さて、私がかつて行っていた方法で書き忘れたものがあります。サイコドラマ(心理劇)です。
サイコドラマというといかにもぎょうぎょうしくて専門的知識が必要に思えるかもしれませんが簡単です。
 
 例えば、授業中に指名されて本を読まされるとボロボロになってしまうという、ある程度以上の重さの吃音者にはあたりまえのようにある悩み(私もそうでした)
 そのような場合は、安価で借りられる地域の公民館の会議室を借りてサイコドラマをしてみましょう。

 学校ですから教室のように机といすを並べ替えます。
 先生役の人、同級生役の人、そして困っている本人が「教室」に座り先生役の人から指名されて応えたり、本を読まされたりします。
 大きくどもったり、最初の言葉が出てこないで行き詰まった場合には進行を止めて皆で話し合います、「私の場合はこうしたらよかった」、「こう考えていけば楽になるのでは」などと自由に楽しく話し合うのです。

 注意することは、人格円満で公平公正、リーダーシップをとれる人がリーダーとなり、大きな流れをコントロールすることです。
★個人攻撃にならないように
★誰かが一方的なな意見を押しつけることがないように。
★グループ内でボスを作らない。グループ内で先輩も後輩もない、みんな同じ。

 公民館の会議室が教室にもオフィスにも化けるわけです。
終わってからは楽しく打ち上げしながら話し合えば良いと思います。
*やはり、ネット上のバーチャルな集まりばかりではなくて、実際に顔をつきあわせて語り合うことです。互いが十分に分かってきたところで携帯やスマホで連絡を取り合ったり、仲間でグループのWebページなどを作って情報を発信していけば良いのではないでしょうか。

「吃音を受容する(受け入れる)」、「どもりを軽くしたい・治したい」という考えかたは、どちらかが正しいということではない

 どもりである私は既存のどもりのセルフヘルプグループに属したことがないので直接は知らないのですが、セルフヘルプグループや吃音治療や相談にかかわる関係者のなかではここ何十年も・・・、
「どもりを治そう、治したい」という考え方と、
「どもりにこだわるのをやめて受け入れて生きよう」という考え方をする人がいて、それなりの対立構造があるらしいことはなんとなく知っていました。
*かつて80年代末大卒後就職できなかった私は通った民間のどもり矯正所で何人かの気の合う仲間と小さなセルフヘルプグループを作った経験があります。

 でも、少し落ち着いて考えてみると、どもりのセルフヘルプグループに参加している人は吃音者のなかのごく一部で1割にも満たないことがわかります。
 そのような現状でもしも対立構造があるとすれば、いまどもりで悩んでいてセルフヘルプグループに興味を持ったり、参加しようと思っている人のこころが「ひけて」しまうのではないかと思うのです。

 「どもりについてどう思うか」とか「その治療感」についてはいろいろな考え方があって良いですし、そもそも、そのような違いを認め合えないのならば、集まり自体にも魅力がなくなってしまいます。

以前もこのブログに書いたことがありますが、人はそのときの置かれた様々な状況でその心持ちも変わるものです。
 職場や学校で比較的うまくいっているときは「どもりを受け入れよう」と思えるかもしれない同じ人が、どもりのために大きな失敗をしたり恥をかいたときなどは、受け入れるどころか「なんとか軽くしたい。できれば治したい」と思うのは至極当然です。
 そのようなことを否定してしまっては話が現実離れしてしまいます。
*「いまいる職場や学校でなんとか適応して生きていこう」というあたりまえの想い・生き方を否定できません。

 吃音者(重さや症状、生きている家庭環境、学校環境、職場環境も実に様々でしょう)が、いま自分が生きている場所にできるだけ適応できて、人生を少しでもよくしたい・充実した人生を送りたいというあたりまえの心持ちを否定しても意味がありません。

 どもりは、その重さの違いで、その人の人生に与える影響が大きく違ってきます。
 特に、重い吃音者の学生時代、そして社会人になるまで、なってからの苦労は、語られることもほとんどありませんので一般には知られていませんが、きわめて大変なものです。
 一方、傍から見てごく軽く見える吃音者は楽かというと、どもりでない人と同じ環境で学んだり働いたりするなかで、そのプレッシャーは(人により、その学んだり働いているところの環境によっては)その人の人生を追い詰めていくものになります。
*吃音者の学校や職場でのいじめの問題も無視できない深刻な問題です。

 そういったことを考えると・・・、
 いま悩んでいる吃音者、学校や職場に通えなくなって引きこもっている人、就職できずに悩んでいる人などに、その人の立場に沿ったサポートが受けられるような体勢を作ることが必要です。

 どもりを持った子供には小学校高学年にもなったら、きれいごとではなく、これから経験するであろう様々な困難を正直に教えていく、そしてその上で、大きくくじけないようにしっかりとサポートしていくことこそ重要ではないかと思います。

吃音で学校をやめる、会社をやめるという選択はアリか? (再掲載一部改編:初掲載は2012年12月4日)

 ある程度よりも重いどもりのために学業や仕事に支障が出てきて、「学校をやめる」、「会社を辞める」ということは、吃音者の間では良く聞かれることです。
*80年代末に大卒後も就職できずに民間のどもり矯正所に通っていた私の経験では、同じ矯正所に通っていた学生が中途で大学や専門学校をやめるのを見るたびに、とても残念に、また、悔しく思ったものです。
*「ある程度よりも重い」ということについてですが、どもりの重さは客観的なものではなくて、傍から見てほとんど気がつかないようなどもりでも、本人としては自殺さえ意識している場合さえあります。
また、どもりどころかむしろ雄弁に見える人が、特定の語、たとえば自分の名前になるとどうしても大きくどもってしまいうまく言えないというのも良くあることで、この場合も生きていくうえには(特に事務系・営業系、その他接客するような社会人としては)かなりつらい生きづらいこととなります。

 吃音者本人から「学校をやめたい、会社を辞めたい」と聞かされた家族はたいていは猛反対します。
「なんでやめるんだ!」という話しとなります。

 一生懸命に、「どもりで苦しんでいる」と説明したとしても、たいていは、「その程度のことでやめるとは何事だ!」と怒られるでしょう。
残念なことですが、家族でさえも、どもりという障害についての認識はその程度です。

 私が大卒後に就職できずに民間の無資格どもり矯正所に通っていた80年代末ごろは、どもるために学校をやめたといっても多くは専門学校や大学だったように思いますが、今はどうでしょうか?
 昔とは明らかにちがう陰湿ないじめにより、「不登校」そして「引きこもり」にまで至っているどもりを持った子供は多いのではないでしょうか?

 そのような例があったとしても、学校側が十分にサポートしているかといえば、はなはだお寒いのが実態ではないのでしょうか?
*どもりに精通していない人が中途半端なアドバイスをすれば、かえって状況が悪化することさえあります。

 社会人の場合では・・・、
 いまのことば(どもり)の状態で入れるところに就職せずに、いわゆる「コネ」で就職した場合ですが、
話すことの能力が低いのに(自分のどもりの重さと職場で要求される話し言葉によるコミュニケーション能力の差という意味です)企業の営業系や事務系に入ってしまった場合には、それはもう悲劇です。
 有力者のコネで入った場合には会社側も文句が言えませんので、本人そして会社側にとって二重の悲劇になりかねません。
 たとえ実力で入ったとしても、面接時に比較的言葉の調子が良くて運良く(運悪く)入った場合には、入ってからの苦労がたいへんなものとなります。

 しかし、どもりの症状や重さも時とともに複雑に変化しますし、また、吃音者を取り巻くまわりの状況も刻々と変わってきますから、悪い状況にあった方が結果的に良い方向に進むということもあります。

 その「うまくいった例」を持って、「〇〇さんはどもりを持っていながらも歯を食いしばって頑張った、だから〇〇になれた。あなたもがんばれるはずだ!」などということは、いまどもりで困っている人をさらに追い詰めるだけになりかねません。

 いまの厳しい経済・社会状況を考えたときに、学校においても、職場においても、吃音者にとってはかなり生きづらい毎日を過ごしていることと思います。

 特に陰湿ないじめにあっていて有効な解決法がない場合には、また、「自分のことばの能力でいまの環境では、努力しても生きていけない、自分のこころを追い詰めるだけだ」と分かった場合には、転校や転職など、環境を変えることを「戦略的」行なうべきです。
*戦略的というのは「とことん追い込まれて突然やめる」というようなことをしないで、次の準備をしつつ自分の決断で良い時期にやめると言うことです。
いまという時代背景を考えると、「ただ我慢、我慢」では、良いことはないでしょう。

 転職・転校などの大きな判断をするには・・・、
★家族のどもりへの最低限の理解はあること(子供の場合はもちろん社会人の場合も)
★転職の場合は、しばらくの間無職でいられる蓄えがあるか、アルバイトでしのいでいけること(社会人の場合)などの条件が必要です。これはたいへんに重要なことです。

 学校に通っている年齢帯の場合は、フリースクールという選択肢や、大検という選択肢もあるでしょう。通信制の学校もありますね。

 社会人の場合は、主に体を動かす農林水産業などへの転業、収入は大きく減っても都会から田舎へのアイ・ターンなど大胆な変更も考えるなどの柔軟性も必要でしょう。
*いわゆる都会でのサラリーマンがもはや安定職でないことは、おわかりのことと思います。

 これらの判断をするために、人生の危機管理のためにも・・・、
 普段からなんでも気軽に相談できるようなアドバイザー(ホームドクター)としての、臨床心理士や精神科医、言語聴覚士を見つけておくことが必要です。
 また、これがいちばん重要かもしれませんが、「なんでも話し合える親友」がひとりで良いのでいることも必要です。
*親友を得るためにも、どもりのセルフヘルプグループへの参加はとてもよいことです。

吃音:どもりを持つ子供にとっていまの学校は安心できる場か?

 学校でのいじめ事件はなくなるどころか増える様相を呈していますが、最近報道された福島の原発事故で避難してきた子供に対するいじめ事件にはあきれるばかりです。

 1件目の横浜の学校のいじめ事件では、学校や教育委員会の対応に唖然と言うか、あきれていましたが、2件目の新潟の学校の事件では、子供が担任の先生に「自分の名前に(菌)をつけて言われている」と相談した後に、先生自ら(菌)をつけて呼んだという、なんとも言えない事件です。

 横浜の方は学校に通えなくなって、小学校を卒業後はフリースクールに通っているとか。子供に対する影響はどちらも大きなものになっています。
当該事件の関係者は厳正な処分(懲戒免職など)が必要かと思いますが、現実には軽い処分になるのでしょう。
*12月14日の報道ではさらに、川崎市と東京都千代田区の2カ所で、福島からの避難者の子供がいじめにあっていたとの報道がされています。学校や教育委員会では問題を的確に解決できないようです。というか隠蔽体質は相変わらずです。本人や親が気軽に相談できる専門電話を政府内に設けて、そこのチームが乗り込んでいき問題解決の指揮を執る方式でないといけないようです。

 こういう報道に接していると、「それではどもりを持つ子供はどうなのか?」と心配してしまいます。

 どもりは第三者からみて滑稽にみえる言葉の障害です。
 イメージ的にはテレビでもいろいろな俳優さんが演じている、山下清を面白おかしく描いてヒットした裸の大将放浪記のしゃべりのイメージです。あれが、一般の方のどもりに対するイメージではないでしょうか。当然、子供にとっては格好のいじめの対象になります。

 いまの学校でどれくらいのどもりを持つ子供がどもることでいじめにあっていることでしょうか?
*70年代の小学生だった私もそうでしたが、先生のなかにも、どもるまねをしてからかってくる人がいました。

 最近のいじめ事件での学校や教育委員会の自己保身に徹する対応をみていて心配しています。

吃音:最初の一歩を踏み出すことの難しさ(私の場合)( 再掲載一部改編:初掲載は2013年2月11日)

 今回はどもりを持っている私が「最初の一歩を踏み出す」までの経験を書きます。
 私は、ものごころついた頃よりどもっていて、小学校3年くらいには自分のどもりをはっきりと自覚しました。
*クラスメイトに真似をされたり笑われたり、先生にしゃべり方を注意されることにより自覚させられました。自宅でも自身がどもり持ちの父親からどもる度に言い直しをさせられたり怒られたりしていました。

 その後は毎日の授業が怖くて怖くてたまらなくなりました。
 それは、勉強の内容が分からないからということではなくて、
「次に指名されたときに、またどもってしまい笑われるだろう」という恐怖でした。

 先生から指名されて答えること、教科書を読まされること、その他、例えば学校での健康診断のときに自分の名前を名乗らなければいけないことへの恐怖です。

 教室内で座っている順番や出席番号順に指名される場合は、あと何人で自分の番になるか分かります。
 週末の最後の授業に自分のすぐ前の人で終わった場合などは最悪です。
とても暗い日曜日となりました。自殺さえ意識していたのです。

 新年度が近づいてくると、クラス替え後にまた自己紹介をしなければいけない。
 新しいクラスメイトに私がどもりであることがばれてしまうことの恥ずかしさや劣等感も大変なものでした。
 健康診断で自分の名前を申告しなければいけないことはわかっていますので、数ヶ月前から自分のこころの中で恐怖のカウントダウンが始まります。
*私の場合は、自宅内での何気ない会話や学校での友達とのたわいない話まで大きくどもるような重さではありませんでしたが、重さや症状が体調・季節などの要因でかなり大きく変わる不安定などもりでした。調子の良いときは日常生活や学校での発表もあまり困らないくらいになりましたが、調子が悪くなると家庭内での簡単な会話にも困るくらいのどもりになりました。
*私にとってのどもりとの闘い(苦しみ)は中学生以降が本番となってくるのですが、このあたりは何度も書いていますので今回は書きません。

 こんな私が、ためらいなくどもりについて話せるような友人を得たのは20歳代の後半のときです。大卒後も就職が出来ず精神的に追い詰められて引きこもりとなり、ちょっと元気が出たところで通い始めた民間のどもり矯正所ででした。
*高校の頃にはその矯正所の存在は知っていましたが、親に相談することも出来ず、もちろん行くことなど出来ませんでした。

「ああ、こんなふうに自分の悩みをそのまま話せる友人にもっと早く出会っていれば」と思ったものです。
*小学校の頃にもすでにことばの教室はあったはずですが(取り組みが早くから行なわれた地域に住んでいます)、先生より紹介されたことはなく、その存在は知りませんでした。

 いま学校に通っているどもりを持つ子供はどんな環境に置かれているのでしょうか?
もしも学校の「言葉の教室」に通っているならば、十分なサポートを受けているでしょうか? 
 頻発するいじめ事件の報道を見る限り、私の頃よりも良い環境になったとは思えません。陰湿ないじめをされていて、それでも先生のサポートは受けられないという子供もそれなりの数いるはずです。

吃音:どもりを持つ子供に言ってはいけない言葉

 どもりを持つ子供に親御さんが言ってはいけない言葉。
よく言われるのは・・・
「ゆっくりとしゃべりなさい」
「もういちどはっきりと言いなさい」
 のような言葉です。
*「どもらないようにしゃべりなさい・・・」などとは言わないでしょうが??

 その他、褒める言葉も気をつけなければなりません。
「この頃良くなったね」「最近どもらなくなったね・・・」

 多くの場合どもらなくなったのではなくて、家庭内ではどもりそうな言葉を避けられるので使わないか、話す絶対量を減らしている(どもりが目立たない)のでしょう。
 または、そのとき、どもりの重さや症状の波が、たまたま軽い方に振れていたときだったのでしょう。

 そんなときに褒められても当惑するばかりです。
家庭内では遠慮なくどもれる環境こそ大切です。
*それでなくても学校などの外の世界では「どもってはいけない」とか「どもると恥ずかしい」という大きなストレスがかかっていますので・・・(もしかしたら、いじめにあっているかもしれません。)