日本の首都圏に住む1960年代生まれの男性です。
ものごころついた頃よりどもりで苦しんできました。(日常生活で発する言葉がことごとくどもるような重症のどもりではありませんでした。)
小学生の頃、教科書を読まされる順番が決まっていて、特に症状が重くなる秋から冬にかけては読まされる前の日は「死んでしまいたい」、「世の中が終わらないかな」などと考える子供でしたが、放課後には夕方まで広場で友達と野球をして遊んだりと、表面的には明るい子供でもありました。
駄菓子屋があり、街なかにもどこかにまだ野球ができるくらいの広場もあり、近所には口うるさく(でも優しい)おじいちゃんやおばあちゃんがいた昭和40年代、50年代の地域のコミュニティーがそのように(表面的にでも明るくできる)生きることを可能にさせてくれていたと思います。
そんな子供が思春期になり高校生へ、どもりが悪化し、いまから思うと重いうつ症状の中でもなんとか卒業し一浪のあと大学進学。
卒業後は引きこもりを経て、他人(ひと)と比べると約2年遅れで自分で職安で小さな会社の営業職を探し働き始めました。
*ここから先が本当のどもりとの付き合いになるのですが・・・、それはブログ本文に詳しく書いています。
そんな、経歴を持つ一吃音者です。
ユウジ様
管理人です。書き込みありがとうございました。
ほんとうに吃音は人それぞれですね。
ユウジさん書き込みを見て参考になる方もいらっしゃると思います。
ありがとうございました。
はじめまして。
自分は今年52歳になる吃音者です。
今、駅で放送業務をしています。
この仕事を33年やってます。
もう、毎日吃りながらの放送でホント大変ですよ(笑)
自分の場合、基本の放送文例えば「まもなく2番乗り場に…」や「列車が到着しましたら降り口を…」が言葉が詰まりまくって毎回言えません。
特に朝は調子が悪いので通勤時間帯は大変ですよ。。
ただ不思議な事に人身事故や大雨などの異常時が発生するとなぜか吃らず言えるのです。
ホント忙しさも半端ないのですが。。
これはやはり仕事への使命感でしょうか。
多分緊張する暇も無いので意識が別のところにいってるのでしょう。
自分が思うに不安な気持を抱えて生きるのが1番吃音に悪影響するのだと思います。
楽しいことや熱中する事が増えてその気持ち、目標が吃音を上回った時に吃音はどうでもよくなり克服できるように思います。
管理人です。
K.Oさん。書き込みありがとうございます。
*直接のメールで詳しいやりとりをさせてもらっています。
今回は、K.Oさんの経験談が他の方の参考になればとも思い了解を得て掲載しました。
K.Oさんは、どもりとしては比較的軽い例だと思われますが、仕事になるとその軽いどもりでも大きな障害となり人生の重大事となる典型的な例だと思います。
多くのどもりを持った方が同じような経験をしてきて、明治期以降には民間の矯正所ができ、その後1960年代以降にはセルフヘルプグループが組織され、小中学校での「ことばの教室」がはじめられた歴史があります。
しかし、現在に至るまで、どもりの原因は医学的に解明されていません。
投薬、または手術により、吃音の症状が消滅し「治る」と言うことは相変わらずの夢物語です。
確実に「治り・改善する」ためのリハビリテーション法も開発されていません。
「21世紀になった」、「脳についてだいぶわかってきた」といっても、それは、どもりを根本的に治すという次元ではまだ足下にも及びません。
せめて、どもりで悩んでいる人が日常生活、学校生活、また、就職、仕事などで自殺を考えてしまうほどに過度に追い詰められないように、どもりを持っている人の心理に通じたカウンセラー(精神科医・臨床心理士)や、クライアントの希望に応じてどもりの症状を少しでも和らげ現実社会で生きやすくなるように専門的に訓練された言語聴覚士などが子供でも日常的に通える範囲に常駐してくれていれば、どれほど助かるでしょうか?
しかし現実にはそれがないので、昭和の時代からの状況が相変わらず続いています。
「私はこういう方法で治した、良くなった」という個人的な経験による押しつけがましい精神論が相変わらず闊歩していて、ネット上では、学問的に考えられたかのように巧妙に宣伝されている「治療法のようなもの」が氾濫しています。
公的なサポートがしっかりしていれば、どもりで困っている人が怪しいと思いつつも民間療法(のようなもの)に高いお金を出してだまされることもなくなるのですが、いまでもそのような状態が続いています。
*一部の病院(言語聴覚士)やグループがどもりのカウンセリングと治療に献身的に取り組んでいますが、絶対数やその質のばらつきがあり、吃音者の数と悩みの深さを考えるときにあまりにも無力です。
はじめまして、吃音に関して色々調べているうちにこちらのブログに辿り着きました。
吃音者の気持ちがあまりに鮮明に的確に文章化されていて、まるで自分の心の中を代弁してくれているかのように思え、ある種の感動すら憶え、コメントさせていただきました。
31歳の無職・男性です。
私は大学を卒業して東京で営業の仕事に就きました。
そして仕事にも慣れ忙しくなってきた2~3年目くらいから吃音が出始めました。(今から考えれば物心ついた頃から極軽い吃音はあったと思いますが)
客観的に見れば軽度の吃音だとは思っています。
電話で特定の行の名字の方を呼び出せなくなったり、自分の名前がなかなか発語出来なくなりました。
次第に仕事に支障をきたすようになっていき、先方から「担当を変えてくれ」と言われたり、「電話のレスが遅すぎる!」など苦情をいただくようになっていきました。
電話をかけるのが怖くて中々かけられなかったのが主な原因です。
次第に電話に対する恐怖感が増大していき、吃りそうな電話はデスクではなく携帯で会社の非常階段や公園などで隠れてかけるようになりました。
とにかく仕事になりませんでした。
寝ている時以外ほぼずっと吃音への不安に襲われるようになり、とうとう双極性感情障害を発症し、鬱状態になり休職することに。
その後、復職しましたが吃音の不安と精神状態の不安定の負のスパイラルから脱却できずに、昨年退職いたしました。
退職後は実家に戻り、今年の春にホテルのフロントに就職しました。軽い吃音はあれど人と話すことは好きだったというのと、敢えて話す仕事に就くことで吃音を克服したいと考えたからです。
しかしながらその考えはまったくいい方向に向かわず、お客様の名前を呼ぶのにことごとく吃りまくってしまい、まったく仕事にならずひと月たらずで退職することになってしまいました。
そのショックから再度うつ状態に陥りましたが何とか精神状態を立て直しました。
ホテルでの教訓を活かして、次は比較的吃音が出るような場面が少ないと思われる会社に的を絞って就職活動をしました。主に工場系です。そして今年7月に工場で出荷や検品を行う仕事に就きました。
前職のホテルや前々職の営業と違って、吃音が出そうな場面は少ないことは明らかでした。
しかしながらまったくゼロと言う事はあり得ず、吃音に対する不安は寝ている時以外ずっと私の頭につきまといました。この止まない不安がじわりじわりと私の精神エネルギーを消耗させ、とうとう8月の終わりに重度のうつ状態に陥りそのまま退職に・・・。
この失敗は私の心に恐ろしいほどのダメージを与えました。
立ち直る希望をまったく持てず、自殺をしようとビルに上りました。ロープも買いました。
怖くて出来ませんでした。
今は気力が無いので毎日寝るだけのひきこもり生活になっています。
希望が無いので気力が湧かないんです。
ひきこもりがこんなに辛いとは知りませんでした。充実感ゼロの絶望生活です。
話す仕事は駄目、話さない仕事も駄目、ひきこもりは絶望生活、怖くて自殺もできず、心身は治る見込みの無い双極性障害と吃音スパイラル・・・・・。
人生のどん底、八方ふさがり、どうしていいのかまったく分からない状況です。
主治医は「吃音を個性として受け入れろ」とか、「気にしなくていい」と言いますがそれが出来ていればこんなに苦しみません。
とりとめのない拙い文章になってしまい申し訳ございません。
一読して頂ければ幸いです。
できれば私のアドレスに直接ご感想をいただけると嬉しいです。
管理人様のご意見が知りたいです。
それでは失礼します。
トリプル4 様
管理人です。書き込みありがとうございます。
高校生ですね。私の場合は高校のときの吃音の苦悩がとても深刻で家族も無理解だったので、いちばん悩み傷つきました。いまでもその頃のことを夢に見ます。
まわりの人はいろいろなことを言ってくるかも知れませんが、参考程度にとどめて自分をしっかりと持って、でも意固地になったり視野が狭くならないようにできるだけいろいろな人と交流を持ち、自分の夢に向けて頑張ってくださいね。
俳優や歌手などのアーティスト、小説家、世界的に有名な政治家には案外吃音者がいることが多いので私も驚くことがありますよ。
ところでどもりのセルフヘルプグループを知っていますか?
「言友会」(げんゆうかい)とか「日本臨床吃音研究会」があります。
どちらでも中高生向けのサマーキャンプやその他の集まりを定期的に行なっていますので、参加されると同年代の「どもり仲間」ができますよ。参加をお勧めします。両方のホームページをチェックしてみてください。
また、その後のことなど気楽に書き込んでください。お元気でね!
*このブログはコメントの書き込みがすぐ表示されない「承認制」にしてあります。ですから個人情報が多いような内容で意見を交換したいときはそのように書いていただければ、入力していただいたアドレスに直接メールすることも可能です。
私は高校二年生です。たまたまこのブログを見つけました。私は小学校の四年生から吃音で今に至っています。このブログに書かれていることは普段自分が思っていることを代弁してくれているような気がして、親しみを感じています。
私は吃音になってから、私と同じ吃音症の人に出会ったことがありません。私が一人で悩んでいるんだと思っていました。たまたま、ヤフーのニュースでブルースウィルスの記事がありました。彼も吃音で悩んでいたそうです。高校の時に演劇部に入り、演技をすることでどもらないことに気づいて、俳優になったそうです。(くわしいことはヤフーで見てください)私だけが悩んでいるわけではないことを実感しました。
私は高校一年の地点では友達ができなく、しゃべるのがすごく嫌いでしたが、最近やっと冗談を言ってそれを笑ってくれる人が三人できました。たった三人ですが、それでもやっぱり自分の言ったことを反応してもらえるのはうれしいです。そこで思ったんです。私はしゃべるのが本当は好きだということ。そして、この吃音症を治して、しゃべる仕事に就きたいということです。
私があえて、しゃべる業界に就いて有名になることで、吃音で悩んでいる人に少しでも励みになりたいです。そして、吃音でも、がんばればできるんだということ。欲を言えば、少しでも吃音症というものを世の中の人に理解してもらいたいです。
そんなことをブルースウィルスの記事を見て思いました。私の進むべき道は間違っているのでしょうか。単なる若者特有の戯言なのでしょうか。
管理人です。
詳しくは直接メールさせていただきましたが、とにかく自分を上手に守りながら必要以上に無理をせず、どもりの悩みを話せる友人を作って頑張ってくださいね。
また、書き込んでくださいね。
今高校1年なんですが今でもどもりで悩んでいます。
友達にまねされたりすると消えて居なくなりたいと思います。
親に相談しても、私は私でいいんだよ。と、言ってくれるけれど、軽く考えているようで、学校に行きたくないと言うと、そんなことで行かないとか言わないの。と怒られます。
まだ悩んだりするけれど、このサイトを見て、頑張ろうと思えました。
悩んでいるのは私だけではないと思えました。ありがとうございます。
でも、やっぱりどもりの苦しさを理解してくれるのは経験した人にしかわからないと私は思います。
なので、将来言語聴覚士などの仕事に就きたいと思います。
今まで将来を考えたことがなかったけれど、夢が持てました。
本当にありがとうございます。
管理人です。
そうですか、まだ、セルフヘルプグループには参加したことがないのですね。
ブログを読ませていただくとそれほど重いどもりではないようですね。
中途半端なレベルでどもりを隠せたり隠せなかったりするので自分を苦しませているのだと思います。
少し気持ちが落ち着いたら是非近くのセルフヘルプグループをみつけて参加してみてください。
若い人、高齢者、重いどもり軽いどもり、男のどもり、女のどもり、
いろいろな吃音者と接すると、自分のどもりについても違う見方ができてくると思います。
どもりについて話せる仲間ができることも良いことです。
お返事ありがとうございます。
セルフヘルプグループなどには一切参加したことがありません。
正直まだ自分の中に受け入れたくない気持ちがあるんだと思います。
温かい言葉ありがとうございます。
これから、ブログを書くにわたって気持ちの整理ができればと考えていますので
リンクはそれからでも全然大丈夫です。
というか正直やり方さえあまり理解できていなかったので笑
管理人です。
書き込みありがというございます。
ブログ読みました。ほんとうにはじめたばかりですね。
いままで、ずーっとひとりで悩んでおられたのでしょうか?
どもりのセルフヘルプグループなどには参加されたことはありますか?
kirsche0303さんがどんな考えを持ってどういうふうな人生を歩んでおられて、そのなかでどもりがどんなふうに影響を与えているかもう少し知りたいですね。
リンクはそれからでよろしいでしょうか?
私の場合は、ブログを書くことにより自分が少しずつわかって来たような気がしています。
是非、こどもの頃からのことを書いて見てください。読ませていただきます。
これから寒くなりそうですね。風邪など引かないように健康に気をつけてブログもがんばってください。
リンクは、もう少し、kirsche0303さんのブログを読ませていただいてからにさせてください。
はじめまして。
kirsche0303と申します。
私も物心ついたときから吃音持ちです。
いままで深い相談など友達にもしたことがなかったので
このブログを見つけたときは大変共感をもちました。
今、内に込めた思いをブログで整理してます。
リンクをさせてもらってもいいですか。
管理人です。
Hさん、またまた書き込みありがとうございます。
アドバイスなどと、そんな立場ではありませんが、自分の考えを書きます。
障害の程度に応じて、残された能力を使って必要以上のストレスにさらされることなく社会参加ができることではないでしょうか。この場合の社会参加とは、仕事をして仕事に応じた報酬を得ることです。
障害が重いほどもらえる報酬が少ないことが予想されますが、文化的な最低限の生活ができるように生活費ともらえる給与との差額は税金からの負担で補填されるシステムが必要です。
*、何らかの形でも仕事をすることができないような重度の障害者の場合は全面的なバックアップが必要なことは言うまでもありません。
*、障害を持った子供を育てている年老いた親を街中で見かけることが多くなりました。そういう方々が自分亡くなったあとの心配をしなくても良いようなシステム作りも必要ですね。
私は、民主党が2009年のマニュフェストで言っていたところの子ども手当や高校授業料無償化のような、所得に関係なく手当てされるようなシステムには根本的に反対ですし、いまの財政状況ではそんな余裕はないはずです。
医師不足、老人介護、教育の充実 などその他懸案は数えきれません。プライオリティーをしっかりとつけて、選択と集中が必要だと思います。
お返事ありがとうございます。
管理人さんの考えをもっと詳しく聞きたいです。よろしければまたアドバイスをお願いします。
≪政治家になって社会のシステムを変革し障害者が生きやすい世の中にする。≫
管理人さんの考える、“障害者の生きやすい世の中”とはどのようなことが実践されている世の中なのでしょうか。とても興味があります。お聞かせ願えますか?
管理人です。
書き込みありがとうございます。
高校3年生ですね。私が高校生の頃はどもりで悩んで悩んで、うつ状態になり苦しい高校生活を送りました。クラブ活動に打ち込むことによりなんとかごまかして死なずに生きてきた、そんな時期でした。
さて、Hさんは、「わたしは、必ずともどもり(または種々の障害)を治すことを前提とせずとも、そうした人々が社会に出て思い思いに活躍出来る社会の実現のために働きたいと考えています。」とのことですね。
是非希望と意思を持ってがんばってください。
いろいろな活動のしかたがありますね。
政治家になって社会のシステムを変革し障害者が生きやすい世の中にする。たとえばソーシャルワーカーのような立場で現場に入り現実と闘いながら目の前の困っている人を助ける。医者になって心を病んでいる人を看るか、基礎的な研究に没頭し中長期的な展望のなかで問題解決に寄与する、など、いろいろな立場で寄与することができると思います。普通の勤め人をしながらもボランティア的な活動のなかでがんばることもできますね。
「差し支えなければ、管理人さんの考える“何故に苦しんでいるのか”、また、“その原因はどこにあるのか”をお聞かせ願えませんか?」とのご質問ですね。
私は、人はひとりでは生きていけないからだと思います。
お金が十分にあり、お城のようなところで何もせず暮らしていけるなら話は別ですが(余計に苦しむかもしれませんね。なぜなら見えない他者と自分を比較するからです)、人は他者との関わりのなかで生きています。
その関わりも友情のような関わりもあれば、お金や権力に関係する利害関係の関わりもあります。
また、これが根本かもしれませんが人は生きるために自分でお金を稼いで生きていく必要があります。
障害を持った状態で生活のためのお金を稼ぐために働くにはいろいろな、まさに障害、があります。
健康な人でさえ、ストレスを感じながら、時にはこころの病気になりそうになりながらも競争社会のなかで生き残っていくためにギリギリのところでがんばることを要求されるのですから。
はじめまして。将来の進路を模索中の高校3年生です。
私は5歳の頃から中2の頃まで吃音症に悩まされてきました。
このブログを見て、心から共感できるフレーズに数多く出会うことができ、自然と涙がこぼれてきました。ありがとうございます。
わたしは、必ずともどもり(または種々の障害)を治すことを前提とせずとも、そうした人々が社会に出て思い思いに活躍出来る社会の実現のために働きたいと考えています。
人と互いにコミュニケーションをとるためだけなら、近年はTwitterやfacebookなどのSNSを通して輪を広げ、交流することが可能ですが、それではまだまだ、吃音のような言語障害を持つ人にとって優しい社会が実現されているとは言えないと思います。
吃音に限らずとも、失語症や対人恐怖症、うつ病などの症状をもつ人が、この社会に生きる上で“何故に苦しんでいるのか”、また、“その原因はどこにあるのか”を明らかにすることが、真に人々に優しい社会の在り方なのだと感じます。
差し支えなければ、管理人さんの考える“何故に苦しんでいるのか”、また、“その原因はどこにあるのか”をお聞かせ願えませんか?自分一人では堂々巡りで、結局は「社会制度の見直し」や「周囲の理解の推進」というありきたりの結果となり、明確な解決策が見えてこないのです。
M様
管理人です。
学部の卒論ですね。書くことで一生懸命になっていることと思います。
これは希望ですが、文献だけを見てただ書き上げるための卒論にはならないように、できればお近くのセルフヘルプグループなどに顔を出してみて、できるだけ多くのどもりを持つ人に接し生の声を聞くことも良いことと思いますが、現実は忙しいし、行きづらいし、大変かなあ・・・
暑いですから健康に気をつけて論文を仕上げてください。
>管理人さん、風の旅人さん
貴重なご意見ありがとうございました。
吃音はアプローチの仕方により全く違う研究になりますよね。音声学や脳科学的見地から、そして言語処理のプロセスからのアプローチ等様々です。私はこの中でも脳科学については全くと言っていいほど無知なので、あくまでも言語音声学専攻の学生として自分なりに吃音について論ぜられればいいな、と考えています。
夏季休業中が卒論の勝負だと思ってるのでたくさんの文献に目を通してみたいと思っています。
貴重な意見ありがとうございました。
これからも当ブログ、楽しく拝読させていただきますね。
風の旅人さん書き込みありがとうございます。
Mさんの論文の参考になれば良いと思います。
>Mさん
吃音の音声言語学的見地からの研究は比較的多いですよね。本邦では豊橋の氏平先生や東京学芸の伊藤先生など。海外ではロンドン大学のピーター・ハウエルでしょうね。ただ、この見地からの研究の最大の論点は、吃音を生成する心理的素因と音声言語学上の症状がどのように関連しているかという点です。
私は、吃音者は心理的負荷により声帯の過緊張を起こし、結果的にブロックのような吃症状が引き起こされると考えています。一般に、吃症状は、繰り返し、引き伸ばし、ブロックの3つを中核症状といいますが、ブロックこそが本当の中核だと考えています。吃音者は声帯振動の停止により、声のとぎれが出現し、そこから脱却するために、なんとか音が出た場合は音を繰り返してしまったり、引き延ばすような喋り方をしてしまうのだと考えます。
母音で吃音が出現しやすいという人もいれば、タ行、サ行で出現しやすいという人もいます。母音と子音の差、つまり有声音と無声音の差は声帯振動の有無であり、つまるところ喉頭調節が不十分なのだと推測されます。その喉頭調節には何らかの心理的ストレスがかかっている可能性があります。そのため、音声言語学の視点からだけの説明では心理的要因の説明が不十分になるでしょう。
今後、吃音という症状を考えるためには、他のうつ病、社会不安障害などの精神疾患との関連を視野に入れ、広い視点から考察する必要があります。そして、原因を解明するだけでなく、その原因を基にした効果的なアプローチを検討しなくてはなりません。そして、そういう大局的な視点に立ては、吃音の重度な人というのは、今、言語症状が顕著な人というよりも、将来的にうつ病など精神疾患に派生していく心理的土壌を持つ吃音者だと考えます。仮に言語症状が重くても、大して心理的に不安が無い人もいれば、ほとんど吃らないのに、とても心理的ストレス度が高くいつも不安な人もいます。この場合、音声言語学的な視点だけでは、吃音者の重症度を測定しきれない事実があります。
私は、もっとも大切な事は、①言語療法、②心理療法、③スピリチュアル的視点の3つの融合が大切だとい考えています。①により音声言語学的に運動学習理論による流暢な話し方のスキルを学びつつ、②により吃症状が出現した時の不安の軽減方法や自分の心理状態の客観的認識方法などを習得します。さらに③の視点で、今生きている瞬間を大局的な視点から再度捉えなおす練習をします。そもそも原因不明である吃音に対して、一つのアプローチに固執する必要などなく、多様なアプローチを試みる必要があるでしょう。吃音の原因が解明されること=吃音の治療法がみつかることではありません。大切な事は、一方では基礎研究的な吃音の原因分析が継続され、その一方で日常生活での対処法など実践的な研究もされる必要があると思います。ただ、忘れてはならないのは、吃音がコミュニケーション上の問題であり、コミュニケーションは自分が主体的に行うものである以上、自らが変わるように行動的である方が良いということです。
貴方の音声言語学的な研究が、吃音者の日々の生活の中で役立つことを祈ります。
書き込みありがというございます。
学部生、それも英語音声学専攻の方が吃音について書かれるということで、とても興味を持ちました。
差し支えない範囲で教えていただきたく思います。
さて、ブログでも何回も書いているように、吃音はその重さ(主観的な重さ、客観的な重さ)により、その人に人生に及ぼす(悪)影響が天と地ほど違いますので、一概には言えません。
あるケースでは、民間療法も含めて言語訓練や精神修養をすることにより症状が軽くなったり、症状はそれほど変わらなくても一般社会で活躍できる場合もあれば、またあるケースではそれほど思い客観症状ではなくても引きこもりになったりいくつになっても社会に出られない場合もあります。どもりのとらえ方も吃音者間では実に多様です。
そこで、私のブログでは、できるだけ「プラクティカルな対応」について書いています。
吃音の研究は1930年代くらいから60年~70年代がピークではないかと個人的に思っています。医学的に解明され治るようになるには、脳の手術でうつ病などのこころの病気が治るくらいの飛び抜けた科学技術の進歩が必要と思います。
27世紀くらいにはなんとかなるのではないでしょうか?
ブログの中での紹介している「吃音の克服」をお読みになることを強くおすすめします。
なにかありましたら、また書き込んでください。
とりあえず、このへんで
はじめまして、私は現在卒業論文で吃音について執筆しております、英語音声学専攻の学部生です。
当ブログを拝読させていただきました。非常に興味深いという感想を抱きました。
いきなりですが、私には近年の吃音研究の進展はおよそ停滞の一途を辿っていると言っても過言ではないようにも感じます。吃音の原因を調べるというよりもむしろ、吃音とどう向き合うか、そして周囲はどのように接するのかという方向性へと変化しているようにも思えるのです。吃音の原因を解明することはできるのでしょうか。それとも、どのように向き合うのか、といった精神論へとシフトチェンジしていったほうがいいのでしょうか。管理人さんはどのようなお考えをお持ちでしょうか。
いきなり長文失礼いたしました。返信していただければ幸いです。
管理人です。書き込みありがとうございます。
リンクのほうよろしくお願いいたします。
ブログ、少しずつ拝見しています。
5月30日の書き込みのところの女の子の写真、TV番組からのキャプチャーだと思いますが、なんとも言えない表情で印象に残ってしまいました。
それでは。
はじめまして。Mr.Tと言います。
偶然あなたのブログに出会いました。
私は、口唇裂で生まれて、他の人にはわかってもらえない
劣等感の中で成長してきました。
「心の疲労の蓄積」という言葉にとても共感できます。
私のブログにリンクさせていただいてよろしいでしょうか。