吃音を持った子供さん、まずは疲れを取りこころをほぐしてあげることです(再掲載一部改編:初掲載は2013年1月17日)

 子供の頃からどもりによる様々な苦労を重ねていると、つとめて前向きを指向している人のこころも次第に疲れてきがちです。
 ついには疲れ果て、心の張りが失われて否定的な感情ばかりが出てきてしまいます。

 どもりだした小さな子供の頃から、思春期を経て就職くらいまでの家庭環境が劣悪ならば、学校などの外の世界での(どもることによる)様々な出来事やこころの疲れを家に帰ってからも癒やすことができません。

 場合によっては家の中でもさらにこころの緊張感を高めることとなり、遂にはうつ病などのこころの病気さえなってしまいます。
*朝起きてから夜寝るまで(場合によっては夢の中まで)どもりによる苦労を続けることは、まだ確立していない自我に与える悪影響は計り知れません。

 どもりの子供のいる家庭でできること、すべきことは・・・、まずは「安心でき、落ち着ける環境」を作ることです。甘やかす必要などありません。むしろ質実剛健が良いと思います。

 ただ、温かい家庭が必要です。子供が安心して自由にどもれる環境といえば良いのでしょうか。
*学校での授業中に、また、友達と接するときにどもったこと(場合によっては笑われたことなど)を、子供の方から親兄弟に笑いながら(時には泣きながら)話せるような雰囲気が家庭内にあれば良いのですが、現実は真逆な場合がほとんどです。多くの場合、家庭はどもりの悩みを話せるような雰囲気ではありません。

 どもりについて具体的にアプローチしていくのはその次の段階なのではないでしょうか。
 日本では20年ほど前にやっと言語聴覚士という国家資格ができたところです。
 その資格にしても、吃音専門のものではなく、どちらかと言えば大病院やリハビリ専門病院のリハビリチームのスタッフとして、脳梗塞後のサポートや、嚥下障害のサポートにあたるというところが現実なようです。
 吃音については養成する学校(専門学校、大学)の授業でも、国家試験においても、多くの時間を割かないようです。

 こんな状況ですから、日本においては、虫歯になった子供が街なかの歯医者にかかるように、どもりに精通している言語聴覚士が開業しているクリニックに気軽に通えるなどという環境はありません。夢の世界です。

 現在では、インターネットを使えば国内外のどもりに関する情報が取れるようになりました。
 しかしその情報は玉石混淆ですから(ほとんどがインチキ情報と思った方が良いでしょう)、親御さんは、(研究者、病院に勤務する言語聴覚士、どもりのセルフヘルプグループなど)、何人も何カ所も渡り歩いて調べるくらいの熱心さと覚悟を持って、お子さんに合った相談機関や専門家を探してほしいと思います。
*お子さんが学校の「ことばの教室」に通っている場合も、学校任せにせずに自分でそのクォリティ(先生の資質、子供の満足度)をチェックしてください。
*どもりの原因は医学的に解明されていません。日本にも、ごく少数ですが、少ない研究費で恵まれない環境下でも頑張っている研究者がいますが、考え方はまちまちです。そのことを知ったうえで「専門家」に接するべきです。
*どもりの人の集まりである「どもりのセルフヘルプグループ」が主宰する相談会や行事(キャンプなど)に参加してみるのも良いことだと思います。「どもりを持ちながら生きていくということはどういうことなのか」ということが分かります。そしてそこで、同じくらいの年齢のどもりを持ったお友達がみつかれば本人にとってどれほどこころが救われるでしょうか。親御さんどうしの交流もとても良いことです。

 どもりを持っているお子さんは表面的にはいくら明るく振る舞っていても、こころの中では悩んでいます。(学校では陰湿ないじめにあっているかもしれません。)
もしかしたらその小さなこころで自殺さえ意識しているかもしれません。
*決してオーバーな話などと思わないでください。お子さんのどもりを真剣に考えて冷静に対処してください。そして、お子さんと接するときには穏やかに・・・

 まずは温かい家庭をつくること、そのうえで具体的な対処が必要と思います。

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吃音:幼少時からの親子関係・家庭環境がもたらすもの(再掲載一部改編:初掲載は2012年9月11日)

 どもりを持っている私が生きてきて、どもりを持つ多くの方々と接して感じていることなのですが・・・、
知り合ってある程度時間がたち、お互いの人生について忌憚なく話し合えるようになった「成人の吃音者」のなかに、
自分の幼少期の話題になると急に寡黙になる方が少なからずいらっしゃるのです。

 吃音についての一般的なことについては、実に多くを語り積極的に活動されている方が、自分の子供の頃の話しとなると急に寡黙になるのです。
*吃音者に限らず、自分の過去の話しになると、比較的親しい間柄においても急に寡黙になる方はいらっしゃいます。

 そのようなときには、「かなり辛い経験をされてきたのだろうな」とか、「大変な苦労をされてきて思い出したくないのだろうな」と考えて、こちらからはそれ以上聞くことはしませんね。(おとなの常識です)
*私には想像もできませんが、大正生まれまでの方で太平洋戦争に従軍された経験をお持ちの方(今ではかなりの少数派です)や、昭和一桁生まれくらいまでの(戦争当時子供の方)方で、空襲や外地(満州など)からの引き揚げを経験された方などは自分の経験を語らない方多いです。考えられないようなつらい経験をされています。
*「親友」とは、そういうところまで話せる人間関係のことですが、実際には持っている人はかなり少ないようです。同じ悩みを共有している吃音者の間では比較的できやすいような気がしています。

 なんでこんなことを書いたかというと・・・、吃音者は心の解放がうまくなされていないのではないかと思うのです。

 子供のころからどもりにまつわるかなり辛い経験をしてきて、それを無理矢理に忘れようとするか、または棚上げにしておくことで、いまの自分をなんとか保つようなギリギリの生き方をされているように見えてしまうのです。
*自分も30代前半くらいまではそういう生き方で無理を重ねていました。そういう「危うい生き方」が、結果としてどもりを維持させたり悪化させる、また、実際の症状以上に自分のどもりを重く評価して苦しんでいるのではないかと思うのです。

 こどもの頃からの辛い経験は例えば・・・、
★子供の頃、どもる度に家族から注意されたり、場合によっては笑われたり無視されたりして、自分の家も安住の地ではなかった。
★子供の頃、学校や友達の間で(場合によっては家庭内で)、どもることにより精神的なレベルか肉体的なレベルでいじめ・虐待を受けていた
★家族関係(親子、夫婦、兄弟、祖父母)が劣悪でケンカやいざこざが絶えず、その人間関係によるストレスにより自分のどもりが維持され悪化して結果として人生がうまくいっていないと、こころのなかで強く思っている。
★しかし、自分の幼少期の経験や自分の家族についてはあまり否定的に思いたくないし、そういう事実を人に知られたくないという複雑な思いが自分を締め付けている。

 一方、全く逆の環境の場合は・・・、
★学校でどもりで困ったり恥ずかしい思いをしても、帰った家ではいくらどもっても怒られることも注意されることもなく静かに話を聞いてくれるので、自分がどもりで困っていることをわだかまりなく家族に話せる。
★家族間で全くケンカのない家庭などありませんが、質実剛健で思いやりのある明るい家庭。

 こんな家庭環境に子供の頃からあれば、どもりが治るかどうかは別として、前述よりかは明らかに良い結果(吃音の悪化が食い止められる、心理的に重症のどもりとならない可能性が大になる)になるでしょう。

 それでは、前述のような「悪い家庭」で育ってしまった場合にはどうしようもないのかといえば、おとなになってから自分の努力でかなり回復できるものと考えます

★アダルトチルドレンであることを認識する
「こどもの頃、我慢していたこと」、小中学校のころからどもりで困ったり、どもりを原因としていじめられたりと、場合によっては自殺を考えるほどに悩んでいたのに家族には話すら聞いてもらえなかったし、言い出せるような環境ではなかった。
 そのような場合には、年月を経てからでも、年老いた親の前でも、「当時、自分がたいへん困っていて悩んでいたのに家族には何もしてもらえなかったこと」を大きな声ではっきりと言いましょう。(たぶん家族からは理解されないと思いますが)自分のなかで何かが変わりはじめるかもしれません。

★いままでは自分の人生のなかの「負の部分」と思って、こころのすみっこの方に紙に包んでしまっておいた「こどもの頃のどもりについてのいろいろなこと」を、自分の人生のなかの「ほんとうにあった隠せない事実(人生の一部)」とするために、自分で工夫しましょう。
 それには、例えば、東洋的な修養法である「座禅」なども良いかもしれません。
*もちろん人それぞれです。

★やはり、自分の負の部分をためらいなく語れる友人(親友)を持つことです。

★セルフヘルプグループなど吃音者の集まりに積極的に参加して、自分以外のいろいろな立場の吃音者(性別、年齢、生きざまの違う)がどのような人生観を持って生きているかを体感することです。様々な経験を知ることにより自分の(吃音)を俯瞰できるようになります。(ネットのつながりだけでは弱すぎます。)

★信頼できてなんでも話せるホームドクターとしての、精神科医、臨床心理士、言語聴覚士などを努力して見つけ、専門家のサポートの元で、自分のどもりやいままでの人生をできるだけ俯瞰できるように(自分を客観視できるように)していくことです。

吃音でギリギリまで追い込まれている方へ(再掲載 一部改編:2008年1月8日、2012年4月20日)

 新年度ということで、新社会人はすでに、新入学の子供はこれから街を歩く時期になりました。

 吃音者のなかには「世の中は新年度の雰囲気でちょっと華やいでいるのに自分の気持ちはどん底。自分がみじめに思えてくる」
こんな想いの方も少なくないはずです。

 私も、かつてどもりで大卒後も就職できず(せずに)に引きこもってしまったときには、今ごろの時期、芽吹きはじめた草木の鮮やかな色を自宅の窓から見る度に気持ちは落ち込み、恨めしい気持ちにさえなりました。
 そのような立場にある方のために、また、そういう状況に陥らないために、少しでも参考になればと思い、いくつか書いてみます。
*いまの自分を極端に悲観すること、また、根拠のない楽観、どちらも危険です。悩んでいるときに部屋にばかり閉じこもっているとろくなことを考えません。少し無理をしてでも朝日を浴びて、散歩などで体を動かしましょう。

 どんな状況にある人にも平等に時は過ぎていきますが、どもりのために、
「学校や会社にに行けなくなっている」、「就職が決まらない」、「転職先がみつからない」など、生き辛くなっている場合には、世の中で普通に生きている(ように見える)人たちが必要以上にまぶしく見えて、焦ったり自分を卑下してしまいがちです。
 そういう状況に陥っている方が少しずつでも元気を出していくために、また、そういう状況に陥らないために、これからいくつか書いてみます。

★自分を守る
 ズバリ自己チューに考えましょう。
 思いっきり自己チューにしたつもりでも、傍から見ればまだまだ自己チュー度が足りないくらいではないでしょうか。
 人生は自分のものです。家族も含めていろいろと勝手なことを言ってくる人は多いのですが、人の意見やアドバイスを聞きまくって振り回されてみたところで、多くの場合、良い方向には進みません。
 自分の人生は最終的には誰も保証してくれません。
 ここまできて他人の目ばかりを気にしていても仕方がありません。人生は自分で作り上げていくのが大原則です。

 ただし、ここで言う「自己チュー」は独りよがりではありません。
 ネットという便利なものがありますので、引きこもりがちな場合でも、自宅にいながらもいろいろな人や機関とつながることができます。

 すこし元気が出てきたらネットの世界だけにいないで、まずは部屋から外の景色を見る、そして近所を散歩することからはじめて、どもりのセルフヘルプグループなどに参加して実際に人と接していきましょう。
 どもりに関する正確な情報を幅広く得て、少しずつで良いので「幸せになるように」頑張りましょう。

★自分なりの人生を生きればよい!
 人生は他の人との比較で生きても意味がありません。自分なりの人生を生きましょう。
 自分で幸せと感じられるときが少しでもあり、その瞬間を徐々に増やしていけるようにしていけばよいと思います。
*1990年代初めころまでは、学校を出てそこそこの会社に入れば終身雇用が保証されていて、「一億総中流」と言われていた時代でした。
そこでまじめに働いていけば定年まではなんとか生きて行かれるということがありました。いまではそれは幻ということはおわかりのことと思います。
現実はかなり厳しいですが、例えば、「将来、自分の人生がそれなりに安定してきたら、自分の後から生きてくる同じ悩みを持つ後輩のためにサポートすることができれば」というくらいの気持ちで生きていきましょう。

★こどもの場合は
 親の保護下にあり自分で決めることができる範囲が限られてきますが、
 もしも自分の親が頼りにならない(自分のどもりの悩みに無関心か、むしろ攻撃的で怒ったりバカにしたりする)のでしたら、
そして学校の先生が相談できるような人でなかったら、
公的機関(市役所、保健所、いのちの電話などアクセス手段はいろいろあります)に相談してでも自分を守りましょう。
「ほとんどの親はこどもを愛していて慈しみ育てている・・・」と言いたいところですが、現実は、実に悲しいことですが、結構違います。

★こころやことばの専門家をうまく利用すること
(どこに相談して良いか分からなかったら、県ごとにある「精神保健福祉センター」などに相談しましょう。ネットで調べればすぐわかります。)
 心の病気の専門家である精神科医や臨床心理士、臨床発達心理士、ことばの病気の専門家である言語聴覚士の上手に利用することです。

 彼らは(残念ながら)どもりについて詳しくないのですが、こちらから「自分がどもることによりこのように深く悩んでいる・落ち込んでいる」などと詳しく説明すれば、精神科医ならば心の面からサポートしてくれるでしょうし、言語聴覚士ならばことばの面からできる限りの援助をしてくれるでしょう。
 その際に自分のことを説明するときに、どもってしまいうまく話せなかったら、あらかじめ文書にして持っていけば良いと思います。
*こどもで、小・中学校の「ことばの教室」に通っている場合ですが、先生から十分な指導が受けられていれば良いのですが、もしもそうでなかったら(自分でそう感じたら)我慢せずに、(自分では言えないでしょうから)親を通じて学校や教育委員会に意見を言いましょう。これも自分を守るためです。(親がしてくれなかったらこどもでも自分で頑張りましょう。)

★仲間を作る
 ひとりで良いのです。自分の悩みを打ち明けられる友人(親友)を作りましょう。人生の宝になります。
できれば、気のあうどもり仲間で小さなセルフヘルプグループを作って活動すると効果抜群です。

 といっても、友達は急にはできないし、どうやってみつけたら良いかわからないという方は、勇気を出して、近くにある「どもりのセルフヘルプグループ」を探して顔を出してみましょう。
*1990年代のはじめくらいまでは、どもりに悩んだ人は、ほかに行くところがなかったこともあり、江戸時代の寺子屋のような雰囲気?で、5人から10人くらいが小さな教室に集まるなど戦前から連綿と続いていた民間の無資格どもり矯正所に通ったものです。
そこではどもりは治りませんでしたが、唯一の良い点は、同じ悩みを持つ仲間をみつけたられたことです。
*いまでは、そんな矯正所自体がなくなっているでしょうが、たとえどこかにあったとしても費用が高く、もちろん効果の点からも、お勧めしません。
いま現在あるような矯正所(のようなもの)は、効果もともかくマンツーマンがほとんどのようですから、唯一の利点であった同じ悩みを持つ友人をみつけるということもできにくくなっています。

家族の理解が得られない吃音者の現状(たびたび再掲載一部改編:初掲載は2014年11月5日)

 いまさら言うまでもないことかもしれませんが、どもりで困っている男女、様々な年齢層の方々は・・・、
その悩みを家族(親・兄弟・祖父母そして配偶者)にさえ理解してもらえずに、悩みながら人生を送っていることが多いのです。
*吃音者の集まりなどでいい大人が、子供の頃からのどもりの悩みを、家族にすら、いや、家族だからこそ、理解されずにきたことを泣きながら訴える場に何回か遭遇しています。

 なぜ、なかなか理解されないかというと、学校の授業でひどくどもってしまい、先生やクラスメイトに笑われたりいじめられたりしている一方、家族の前ではほとんど話さないか、話しやすいことばのみをを発すればよいので(そうしているので)軽いどもりに見られてしまっている。

 大人の場合、たとえば、お子さんの学校のPTA関係の電話で、自分の名前が言えずに変な人に思われたり、PTAの集まりでも同様で、自分の名前も言えずに笑われたりします。
 職場では、電話で自分の名前や会社名が言えずに(なかなか言えずに)顧客に笑われたり、それらのことで結果として仕事の流れに支障を来たし、顧客から「担当を変えてくれ」といわれることもあり(私も経験者です)、ついには居づらくなりやめざるを得なくなることもあります。

 吃音者は日常的にこのような状況に置かれているのです。
*困っている度合いは、重さや症状の違いによりかなり大きく変わります。

 しかし、「子供の頃からどもることによってどれほど苦労してきたか」を、ほんとうに理解してくれている家族は、まず、いない、というのが本当のところなのではないでしょうか。
 寂しく思われる方もいらっしゃるかもしれませんが現実はそんなものです。
*それでは、日常の何気ない会話でも常に大きくどもるような方は家族の理解を得られているということではありません。しかし、問題の本質がより深刻であることは間違いありません。

 結局、現状では、自分の身は自分で守るしかありません。
*家族から理解されるどころか、「それほど重いどもりでもないのに何を甘えたことを言ってるんだ!」と怒られてしまうくらいなのがよくある光景です。

 それでは、理解を得られないなかで吃音者はどうしたらよいのでしょうか?
 わかってもらえない家族に対してどもりで困っていることを執拗に訴えてみても不毛な応酬が続くだけで、かえって自分の心が疲れるだけです。
 形だけでも均衡が保たれてきた家庭内の人間関係を悪化させるだけで生産的ではありません。

 そのような場合は、(寂しいことですが)、家族に理解されることを期待しないで発想を転換しましょう。

 たとえば、どもりのセルフヘルプグループに参加して、自分の悩みをわかってくれる人の前で気持ちをはき出せる環境を作ることです。
 それだけでも精神的に大きく救われるでしょう。
 グループのなかで特に気の合う人ができれば、さらに深く語り合うのもよいでしょう。

 また、日常的に気軽にかかれる、なんでも話せる精神科医、臨床心理士、言語聴覚士がみつかればよいです。
そうすることでなによりも自分が救われるし、結果的に家族との(表面的な関係も)悪化せずにすみます。

 しかし、家庭内、学校、職場で、ことばによる虐待、暴力、パワハラを受けている場合は話が全く違ってきます。
 いろいろな公的・私的機関に相談して(児童相談所、警察など、法テラス、弁護士会など)しかるべき手を打ちましょう。自分を守ってください。

(参考):吃音(になったの)は自分の責任ではないので「スミマセン」はいらない。卑屈にならないで!

吃音者を「自己不一致」に陥らせない(陥らない)ことの大切さ (再掲載一部改編:初掲載は2007年3月14日)

 どもる人が自分ですべきこと、どもりで困っている人の身近にいる人がサポートできることのなかで優先順位が高いものは、どもりを持つ人を「自己不一致」の状態に陥らせないようにすることです。

 どもることは、(どもらない人には想像もできないほどに)精神的に耐え切れないほどの苦痛を与えることがあります。
 それは、重さや症状の違い、吃音者が生きている環境の違い、さらには、まわりにいる人(家族・同僚・同級生など)の理解の度合いの違いなどによっても大きく異なってきます。

★考えたくなくても(考えるのをよそうと思うほどに)、24時間常にどもりのことばかり考えてしまい、しゃべることが怖くて仕方がなくなる。

★どもることにより起こる「生きづらさ」を連続的に経験することにより、次第に「生きていくことがつらい、死んでしまった方が楽だ」と思うようになり、自殺を試みたり、うつ病などの深刻なこころの病気になることさえあります。(かつての自分がそうでした。

 ある程度、年をとってからならば(その年齢までなんとか生きられれば)、「良い意味でのあきらめも」できてきて、肩の力も抜けてきて、多少は「生き易く」なってくるかも知れませんが、
 思春期から30代の中ごろくらいまで(私の場合)は、どんなに強がっても心の底では「治したい・そのうちに治る」と思いたいし、また、そのような希望がなければ、とても生きていられない状況でした。

 自分の子供の頃を思い出してみても、
 親やまわりの人が言ってくれる「大人になれば治るよ」という励ましの言葉を疑いを持ちながらもどこかで信じていて、「大人になってもどもっている自分の姿」を想定していませんでした。(したくありませんでした。)

「今はどもって、つらくて恥ずかしい思いをしているが、大人になれば皆と同じように普通にしゃべれるようになるんだ!」と、自分に言い聞かせていました。
*こう思うことで自分の心の平衡をギリギリの線で保っていたような気がします。

 しかし、これも、度が過ぎると、今の自分を生きられなくなります。(自己不一致)
 つらい現実があり夢の世界に逃げ込んでみても、現実の自分は幸せになるどころかますます追い詰められていきます。
 いつも自分のなかに違う自分があり、そこに逃げ込むことで、しばしの安堵感を得るということは心理的にとても危険なことです。心の病になってしまいます。
「どもりが治ってから就職しよう。」
「どもりさえ治れば就職できる。」
「学校の成績が悪いのはどもりのせいだ」

・・・これらのことは、ある意味そのとおりかもしれません。
 どもりのせいでうつ状態になり苦しくて苦しくて・・・

 しかし、自分ではどうしたらよいかわからない。こんな曇りガラスに爪をたててひっかくような毎日をへとへとになりながら生きている人にとって、「どもりでさえなかったらスムーズに就職もできたかもしれないし、明るく自由闊達な学校生活も送れたかもしれない」と思うこと、そういう思いに逃げ込むことは責められることではありません。

 でも、辛いですが、現実の自分はどもっているのです。
 「どもりがなくなった自分を心のなかに作り上げて」それがあるべき自分・本来の自分と考えて、「今現在、実在するどもる自分」を自分自身で否定してみてもよい方向には進むわけがありません。

 どもりが治るまでは・・・できない、どもりが治ってからなら出来ると考えて、今を生きないで人生を先延ばししてみても無為に時間を過ごすだけです。
 つらいですが今のどもる自分で出来ることから動き始めるしかありません。
*でも、矛盾するようですが、ときには、そんなふうに考えてしまう自分も認めてあげることもとても大切なことす。そういう自分も自分の一部なのだから否定されるものではありません。そういうところがないと余計に自分を追い詰めてしまいます。

 理想の自分とは違うかも知れません(どもりがなければ自分の能力ではもっと違うことが出来るはずだ!と思うかもしれません=実際そうかも知れません。)
 でも、バーチャルな自分に軸足を置くのではなくて、今出来ることから始めることが、結果として時間の浪費をせずして自分らしく生きていける最短距離と考えるべきです。

 いろいろと経験された末にどもりの症状がかなり軽くなっている方に出会うことは、セルフヘルプグループなどに参加しているとそれほどまれなことではありません。
 そのような人たちは、軽くなってから動きはじめたのではなくて、地に足が着いている生き方をはじめてから「結果として」吃音の症状が改善されたのです。

 しかし、ここが重要なのですが、吃音の客観的な症状は、結果として改善される人と、そうでない人がいることも事実です。
*「軽くなった人」が突然のぶり返しで、いまの生活に大きな支障が出るということも、当たり前のように起こります。

 何かを成し遂げると必ず症状が軽くなる=そして社会的成功がある、という構図で考えてしまうと、それが、また、自己不一致の原因になってしまいます。

 どもりには、いままで書いてきたような複雑な事情が背景にあります。
 さらに、古くからあり、いまでも形を大きく変えて残っている民間吃音矯正所(のようなもの)の存在や、セルフヘルプグループのなかのいろいろな問題、そして、どもりを専門にする言葉とこころの専門家の質的量的不足が、結果として吃音者に苦しみを与え続けています。

吃音:新学期を迎えた子供は(たびたび再掲載一部改編:初掲載は2012年4月9日)

 私は、いまごろの時期(3月から4月、特に桜の咲く時期)には良い思い出がありません。
★先生も替わるしクラスメイトも変わるので、また自己紹介をしなければいけない。
★新年度の学校での健康診断では自分の名前を言わなければいけない。
(出席番号1番でクラスで最初に名前を聞かれる!)
★授業中にどもってしまい、新しい先生に「君どもりだね」という顔をされる。私のことを知らない新しいクラスメイトからは笑われる。
★高校受験では自分の名前がなかなか言えないような面接がイヤなので、面接のない公立高校一本で受験した。
★そして、大卒後の就職失敗とひきこもり

 いまの、小学生から高校生くらい、大学や専門学校で就職前後のどもりを持った皆さんはどうなのでしょうか?

★どもりで悩んで学業などに影響が出たり、悩んだ末に不登校や引きこもり、うつ病などのこころの病気にならないように、気軽に相談できるカウンセラーや臨床心理士、精神科医などが身近にいますか?
 学校でことばの教室に通っているいる場合、きちんとしたサポートを受けられていますか?
*先進国の日本ですが、どもりに対する公的サポートが驚くほど貧弱で、高校以降は事実上ありません。

★自分のどもりの悩みを包み隠さず話せる親友も(ひとりでよいので)必要です。
*(言友会「げんゆうかい」に代表される)どもりのセルフヘルプグループなどにも参加して、どもりという同じ障害を持つ同じ世代の友をぜひ見つけてください。

吃音の苦労によりかたくなになりすぎたこころをほぐして生きやすくしていくこと(再掲載一部改編:初掲載は2013年11月7日)

 人はどもりによる耐えがたい苦労を積み重ねるほど、自分を守るために、そのこころをかたくなに閉ざしていくことがあります。

 結果として、意に反したような生き方(職業の選び方、友人関係の結び方)をすることもあります。
*セルフヘルプグループなどの吃音者の集まりで和やかに話していた方が、自分のことになると突然ことばが少なくなることがあります。

 自分のこころのなかでは、不自然な(無理な)考え方・生き方とわかっていても、そのように思い、そのような生き方をしようとすることにより、こころがどもりによる苦労のために崩れてしまうのをギリギリのところで防いでいるのかもしれません。

 その形(無理をした生き方)は人により様々です。

★「私はこういう生き方なんだ」と、傍から見てどう考えても無理な(無茶な)生き方(考え方)をしようとしている方

★「私はこれでいいんだ」と、いまの不自然な生き方(ライフスタイル)を(端から見ると)無理に肯定してそこに逃げ込んでいる方

 ほんとうは良くない考え方、無理な考え方・生き方とわかっていても、そうせざるを得ないところまでこころが追い込まれているのです。

 どちらの場合も、一時的にはこころの平衡が保たれているかのような錯覚に陥りますが、中・長期的にはさらに追い込まれてしまいます。

 こんなことにならないように・・・、例えば、

★どもりのセルフヘルプグループに参加して、いろいろな症状や重さのどもりを持ち、いろいろな環境で生きている様々な年齢層や立場の異なる吃音者と接して、自分(のどもり)を客観視できるようにすることです。
そして、そこで、何でも話せる友人(親友)を(ひとりで良いので)作るように努力しましょう。

★ホームドクターとしての精神科医・臨床心理士を見つける
ぴたりと自分に合った先生を見つけるのは難しいですが、先生に頼り切るというよりも、「自分を客観視できるように」第三者的な目を提供してもらうのに役立ちます。

★これはいちばん難しかもしれませんが、家族にも最低限の理解をしてもらえるように働きかけていきます。(しかし家族には大きな期待はしないことです。)

 

吃音と職業(その1)

 このブログでは「どもりと職業(しごと)」は主要なテーマのひとつです。

 いままでも何度も書いてきましたが、今回も自分の、また、どもりを持つ仲間の人生も考えながら「どもりと仕事の現実」について考えてみます。
*80年代末にどもり矯正所で出会った当時20歳代の同じくらいの年齢の「どもり仲間?」と30年にわたる関係を通して見えてきたものがあります。ちょうど時代(経済・社会環境)も大きく変化した時期でした。

 さて、仕事といっても、「どもりとことば」という点で考えてみても実にいろいろです。
 言い換えればなんとかなるくらいの軽いどもりではなくて、ある程度以上の重さのどもりを持った人にとって、
子供の頃から将来就く職業は、「なるべくことばを使わないで良い職業が良いな」と、漠然と考え続けていることが多いと思います。
 親や先生などから「大人になれば直ります」といったような根拠のない慰めのことばをかけられて、信じている場合もあるかと思います。

 具体的に仕事について考えてみると・・・、
 ことばを使うことが少ないと考えがちな農林水産業や製造現場での仕事においても、ことばを使うことはいくらでもあります。
 むしろ、体を動かす仕事で危険が伴う場合や仕事の流れから、大きな声ではっきりと相手に伝えなくてはいけないことが多く、それが大きな負担になる場合があります。
また、朝礼を順番に行なっているような現場も多く、それが苦痛で仕事を辞めてしまう方もいらっしゃいます。

 ことばを使うことの多い(ことばで仕事をしている)一般の民間企業の社員(営業・事務)や一般職の公務員でも、オフィスのなかでの事務仕事や営業補助の仕事と、外に出て行く営業担当者でも、ことばの使い方やそれによるストレスの量と質が違ってきます。

 民間企業の社員(大企業と中小零細の違いも)と公務員(これも地方公務員と中央官庁、当然、キャリアかノンキャリアか)でも、
職場が地方にあるか大都会にあるかでも仕事の緊張度が違ってきますので、ことばの使い方、必要とされることばの流暢性の違い、仕事によるストレスは大きく違ってくるでしょう。

その2に続きます。

吃音者が本来希望する仕事に就くために、ことばの流暢性を高める工夫をすることと、努力しても希望通りにいかないときに諦めて別の生き方見つけること(プラクティカルな見地から) その1からその4 まで(再掲載一部改編:初掲載は2010年5月18日)

その1**********

 今回は比較的軽い吃音者を想定して書いています。
 そもそも「比較的軽い吃音」とはどういうことか。定義など存在しませんが、ここでは仮に・・・、
★日常会話において、基本的な意思疎通に障害が生ずるまでには至らない。
★症状に波があり、日常会話で支障がないくらいまで軽くなることも定期的にある。
★面接を受けたり電話をかけるときに、名前や会社名その他の決まり文句を言うときに、ことばが出るまでに数秒から数十秒かかったり、かならず激しくどもる(ことばが出てこないか、繰り返す)ほどではない、
 または症状に大きな波があり、どもらない人に近いようなの電話応対をできることもあれば、どもりでことばが出ないこともある。

 なぜ、今回、「比較的軽い」にこだわるかというと、何気ない日常会話においても常に激しくどもるような重い吃音をもっているケースに同じ考え方(希望する仕事に適応するために言葉の流暢性を高める努力をする)をすることは、かえってその人のこころを追い込んでしまうと思うからです。
 こう考えること自体吃音者の差別化ととらえられてしまうかもしれませんが、それは私の本意ではありません。
あくまでも、今回のような設定状況において「自分の本来希望する仕事にできるだけ就けるようになる」ために、プラクティカルに考えたいということで読んでいただければと思います。

 どもりを原因としてその人の人生にに起こる様々な問題は、症状や重さの違い、本人を取り巻く心理的・経済的環境(特に子供~思春期後期くらいまで)の違いにより大きく変わってきます。
*同じ「どもり」ということばでくくってしまって良いのか迷うほどです。

 どもりには、生活にはほとんど影響を及ぼさないようなごく軽いものから、人生を大きく変えてしまう深刻なものまであります。

 どもりを持っていても、一般的な職場でどもりを持っていない人と同じ内容の仕事ができるくらいの方もいれば、それが無理な方もいらっしゃり、その中間、つまりボーダーライン上の方もいます(私はこれに当たると思います)

 時間の経過によるどもりの重さや症状の変化も見逃せません。
 吃音の症状は、長い人生のなかでは、かなり軽くなる場合もあれば、突然のぶり返しや予期せぬ悪化も(あたりまえのように)あります。

 思春期~20歳代くらいまではそれなりに重い吃音であったのが、いろいろな人生経験を経て、一般的な仕事にも影響しないくらいに改善される例もありますし、その同じ人が、ある日急にぶりかえし、いままでしていた仕事ができなくなるような場合もあります。

 学業や仕事の本来的な能力には問題はないのに・・・、
 いざ、人と話すとき(直接や電話で)や人前で発表する場面になると、いきなり躊躇したように激しくどもったり、自分の名前や会社名などの間違えようもないことばが、なかなか出てこない。
または大きくつまずくように発音するなどのいわゆる「どもる」ことや、それにまつわるストレスで、
結果的に学業や仕事、ついには日常生活まで悪影響を及ぼす(仕事や勉強に手がつかなくなる。うつ状態になり日常生活がこなせない。)ことは、結果的にその人の社会的な立場を弱くしますし、生きていくことすら困難になる場合もあります。

 世界有数の先進国である日本においては、障害を持っている方も健康で文化的な最低限の生活が保証されるように、各種訓練や治療、カウンセリングを安心して受けられるようにしなければなりません。
持っている障害に応じて働くことができるように、公的機関が最大限のサポートをすることは、本人にとっても周りにとってもとても良いことだと思います。

 前置きが長くなりましたが、今回からは、
「比較的軽い吃音者が希望する仕事に就きたいのに、どもることがネックとなって就けないことや、就いた仕事が長続きしないことをなんとかしていきたい」というテーマで書いてみたいと思います。

 現実の仕事に適応できるように、できるだけ言葉の流暢性を高めるための方法論として、医者などの専門家の選択、カウンセリングの受け方、言語訓練の仕方、本音を言える仲間の作り方、どもりを苦労をしながらでも自分の心を安定した状態で保つ工夫などを書いてみます。
 また、最大限努力しても、どもりのために自分の希望がどうしても達成できない場合の「自分のこころの処理の仕方」についても考えます。
 今回は序論で終わらずに、何回かに分けてがんばって書いてみます。(汗)

 テーマには以下のようなことがあるのではないかと思います。
★「どもりにこだわらないこころ、考え方」と、「ときには思いっきりこだわってよい」という相反する心の動きを自分の中で認めてあげること。

★現実(どもりの重さや症状の現状と、家族の精神的・経済的バックアップ)を踏まえた上で、できるだけ自分の希望する人生を歩んでいくには?

★「社会に適応するためにいろいろと努力するという考え方生き方」を受け入れて動いていくことができるか?

★自分にとってギリギリの人生を生きていくか楽な人生を指向するか?

★こころを病まないように注意しながら生きていく方法

★仲間の大切さと、グループのなかの人間関係で傷つかないようにすること

その2**********

その1からの続きです。

 さて、生きていくために、現実の仕事に「適応」できるように、できるだけ言葉の流暢性を高めるため、心を平静に保ち病的にならないための方法論として、
★医者などの専門家の選択、カウンセリングの受け方、
★言語訓練の仕方、
★本音を言える仲間の作り方、
★どもりを苦労をしながらでも自分の心を安定した状態で保つ工夫
 などを書いてみます。

 また、最大限努力しても、どもりのために自分の希望がどうしても達成できない場合の「自分のこころの処理の仕方」についても考えます。

 まずは緊急対応の話から・・・、
 どもりを持っている状態、それも比較的軽いといっても、家庭内の会話、電話を使うとき、学校や職場での会話や、発表、会議などで少なからぬ支障があるはずです。
 また、昨日は比較的調子が良かったが、今日は朝から絶不調でおはようの「お」すら出てこない。どうしよう、なども日常茶飯事のはずです。

 そんな状況下で、どもりがネックとなって仕事上の問題が出たり、学校や職場でいじめにあったり、また、まわりに本音を言える人がいなかったりすると、ストレスが限度を超えてしまい「うつ病」などのこころの病気になってしまいます。
そうなる前に、精神科・神経科の病院にかかることをおすすめします。

 神経科・精神科のほかに、心療内科というような名前もありますが、大病院はともかく個人病院の場合は、「精神科」としてしまうと敷居が高くなってしまうので、実態は精神科でもそのように名前を付けている場合が多いようですね。
*「うつ病」が、バブル崩壊後に国民病と言われているほど一般的になり、精神科にかかるための敷居もそれほど高くはなくなってきていると思います。

 どもりで悩んだ方が思いきって精神科医にかかったとしても、先生のどもりについての知識のなさに驚くと思います。ほとんど知らないのです。

 ですから、こちらから教えてあげましょう。
 どんなに悩んでいるか、ことばではなかなか伝えられないはずですから、日常生活でどもりによりどんなふうに悩んでいるかを日記などに記録しておいて、それを読んでもらうのです。
 こころの病気の専門家という立場からできる限りのアドバイスをしてくれると思います。
*精神科・神経科はにかかるには、大学病院のような大病院にかかると診療時間が短くてゆっくり話ができないし、また、街なかの個人病院の場合には先生と患者が合わなくても先生を替えることができません。
 理想は、中規模の病院で、精神科医が複数いて自分と合わなかったら替えられることと、医師の下に臨床心理士がいてたっぷりと時間をかけてカウンセリングしてくれることです。いまはインターネットでも病院情報はとれますので、良い医者選びをしてください。
 先生を替えてばかりもいけませんが、自分とは合わないな、とか、信用できないな、と感じたら、早めに先生や病院を替える決断も必要です。

その3**********

 今回は、
「相変わらずどもりの原因はわからず、確実な治療法やリハビリテーション法も分かっていない今でできることは、できるだけ管理された(心理的、経済的なバックアップがある)環境で自分で工夫しながら無理をすることかもしれない」
 というテーマで書きます。

 これを書く背景は、私が認識できる昭和40年代後半くらいから「いま」に至るまでの半世紀くらいの長い間、悩んでいる吃音者(児)が日常的に相談する公的な機関が事実上ないという状態が続いているからです。

 子供から大人までのどもりについての学識と豊富な臨床経験を有する言語聴覚士と臨床心理士、その背後にはスーパーバイザーとしての精神科医や言語障害の専門家などを擁するチームがいて、全国どこにいても同じような治療や相談が受けられるというユニバーサルサービスがあるのならばそれなりの効果も望めるでしょうが、現状ではそれは夢の世界の話です。

 そのような状況が続いていることが、吃音者が自助するしかないというセルフヘルプグループができる要因のひとつとなったり、いつまでも、民間の無資格どもり矯正所(のようなもの)がなくならない要因ではないでしょうか。

 「無理をしないで今のままで淡々と生きるという生き方・考え方」もありますが、現実には、コミュニケーションの手段である「ことば」にそれなりの障害を持つことが、日常生活、学業、仕事に与える影響、吃音者自身のこころに与える重圧は計り知れないものがあります。

 また、どもりながら生きることが「無理をしない生き方」かというと、私には??です。
*しかし、ここでも、どもりの重さの違いの問題が決定的に関わってきます。苦手なことばを言い換えれば対応できるくらいの軽いどもりの場合と、日常生活や仕事などに明らかに大きな影響が出るどもりの場合は、考え方が全く違ってきて当たり前です。

「管理された環境で無理」をしてどうするのか?
ズバリ、生きていくために(大人の場合は自分で稼いで生きていくために)、自分が生きている環境(生きていきたい環境)に最大限適応することです。

 自分にはやりたいことがある、就きたい仕事がある。
 小さな頃からどもりに苦しみながらも目指すものがあり、学業をがんばりそれなりの成績を上げ目標に進んで行く。
どもることがその将来の目標にどれくらい悪影響を及ぼすかは棚上げして進んで行く。

 子供の頃~思春期後期くらいまでの身体も心も若い頃には、いろいろな面での無理がきく時期でもありますから、がんばりもきくかもしれません。
*どもっているという現実を棚上げして、どもらない(治った)将来に照準を合わせて人生設計をすることの危険性は「自己不一致」ということで何回も書いていますが、そのリスクを抱えながらということになり、そうならないようにするためにも、管理された(バックアップのある)環境が必要です。

 さて、吃音者にとっての人生の一大事「就職」
 就職は吃音者でなくても一大事ですが、どもり持ちにとっては、実はそのまえに学生は当たり前のようにする「アルバイト」という難関があります。

 アルバイトの応募の電話です。
*ネットでの応募の場合でも、会えば言葉を交わします。

 家庭教師をするにしても、接客業をするにしても、求人誌を見て問い合わせの電話をする場合、ネットで応募をしていざ会社に行ってみたら受付に電話機が置いてあって自分の名前を言って担当者を呼ばなければならない場合など・・・関門だらけです。

 電話や人前で自分の名前が言えない。なかなか出てこない。
 受話器を持ってもひと言も出てこない、やっと出てきてもどもりながらではまず採用されないでしょう。(ことばを使わない現場系のバイトなら別ですが)

 私は、学生時代、初めてのバイトの応募に行くときは応募先にアポなし訪問したものです。「近くに用事がありましたので失礼を承知で直接来ました」と
もちろんしゃべることがメインでない現場での作業の仕事への応募でした。

 このような時のために、失敗したときにへこんだ心を聞いてくれる精神科医や臨床心理士がいる環境を自分で作ることです。
 そして、その先生方は大概どもりについての知識はほとんどありませんから、こちらから教えてあげることです。少しずつ吃音のプロになってもらうべくこちらで先生を育てるのです。

 家庭内でも、自分がどもりで悩んでいることをアピールしましょう。
電話ができないことを見せてあげましょう。

 家族の前でおおどもりをしながら電話をしていれば、どんなに鈍感な家族でも何かを感じるでしょうし、それでもだめならば泣きわめいても良いし、「もう死んでしまいたい」とうつむきながら家を出て、しばらく近所を散歩してから家に帰るくらいの芝居は必要ですね。

 電話が苦手ならば、どもりながらの電話練習をさせてくれる友人を複数確保することです。
 最初は友人の携帯にかけるのも良いのですが、やはり家族が出るかもしてない家の電話にかけるのが練習になります。
友人の家族にはあらかじめ事情を説明し協力を求めます。そういう友人関係を作る努力も必要となってきます。

管理された環境で徐々に無理をしていくということを今回は書きました。

その4**********

「がんばってもできないことがある」ということは、人生をある程度生きてくれば、誰でもいくらでも体験することです。

 その仕事につくには、絶対的に能力が不足している。
 能力もかなりあり努力もしたが、その仕事の定員は少なく基準に達しなかった。
能力もあるが、会社側の意向に合わせることができない。いろいろなことがあり得るでしょう。

 しかし、吃音を持っている人の場合はちょっと違います。
 どもることで、自分の努力の外側にある原因で、何かをあきらめなければいけないということを子供の頃より連続的に経験する(させられる)からです。

 (重さの違いにより事情は大きく異なりますが)子供の頃からのどもりによる苦労の連続により、その子本来の良い部分や向上心が削がれて、心が腐ってしまうことも現実には多くあり、私もそういう場面や友人多く見てきました。

 平成の時代に入って、というよりも21世紀に入ってしばらくたったいまの日本でも、残念ながら未だに昭和的な「あきらめの効用」に頼らざるを得ない現状があります。

 子供の頃からどもりで苦労してその苦労の結果「良い意味でのあきらめ」「諦観」に達したから、どもりながらでも自分の人生をそれなりに生きていけるようになったり、また(あくまでも結果としてですが)どもりが改善され企業等で活躍できるようになる、というようなあり方や考え方に頼るしかないのです。
*2006年12月の書き込みにありますが、当時放映されていた「五木寛之の百事巡礼」のなかで、あきらめるとは仏教用語で「明らかにきわめる」ということということから、私の「あきらめ」について書いています。

 子供の頃からどもりによる人には言えないような苦労をして、それでもなんとかしぶとく生き残って、その末に得られた境地「良い意味での諦め」により、余計な肩の力が抜けてそれなりの人生を歩み始める、という「リ・スタート」

 しかし、そろそろ、こういうやり方に頼るのではなくて、
 子供の頃(どもりはじめ)から、吃音に対する豊富な知識と臨床経験のあるSTが街中にいて、臨床心理士や精神科医とチームを組んで継続的に看てくれるという形にしていきましょう。
 日本は先進国なのですから、これくらいのことは当たり前にしていきたいものです。
*保険適用の有料でも良いと思いますので、子供が街なかにある歯科医院に気軽に通うように、子供だけで日常的に通えるところにきちんとした言語クリニックが必要です。これくらいのことを実現することは、たいしたことではないはずです。

吃音を原因として引きこもっている方へ(再掲載一部改編:2012年6月19日)

 吃音者で、どもりを原因として引きこもっている方はかなりの数いらっしゃるのではないかと思います。(私もそのひとりでした)
*引きこもりの人数すら把握できていないのに、どもりで引きこもっている方の人数は分かるはずがありません。

 引きこもりといっても実にいろいろな原因で(多くは複合的な原因からでしょう)始まっていて、部屋のなかに籠城して一歩も外に出ないというハードなものから、部屋を生活の拠点として食事時はリビングで、近所に買い物くらいには出かけるというソフトなものまでいろいろあると思います。
*働き方改革がいわれていますが、(どもりでなくても)仕事上の様々な問題を原因として次第に休みがちになり、ついには会社に足が向かなくなるという社会人の方もかなりの数いらっしゃります(身内にもおります)

 ここではどもりを原因として、
★学校に行けなくなっている引きこもり
★会社に行けなくなっている(就職活動ができなくなっている)引きこもり
 について考えます。

 どちらも原因ははっきりしています。「どもり」ですね。
 しかし、どもりを原因として始まった引きこもりも時間の経過とともにどもり以外の他の問題もいろいろと出てきてしまい、それらが複雑に絡み合って引きこもりを長期化させたり、さらに深刻なものになってしまいます。

 例えば
★引きこもりが長引くことにより同居の家族との軋轢が絶えず起きるようになる。
 唯一のくつろげる場である家庭ですら居づらくなってくるが、他に行くところもなく、結果として自分の部屋から出てこないようなハードな引きこもりに移行してしまう心配。

★長期間引きこもることによりキャリアに空白ができて就職がさらに不利になる。
 勇気を出して就職活動をはじめてみても、キャリアの空白を指摘されて余計自信をなくしてしまい、就職(活動)を続ける気力をなくしてしまう。

 それでは吃音を原因とした引きこもりから抜け出すにはどうしたら良いのでしょうか?
 いちばんの原因がどもりですから、「どもりそのものにどのように取組んでいくか?」を考えます。
 そして、「付随して出てきている問題(前述した問題、家庭内の人間関係の悪化など)をどのように解決していくか?」も考える必要があります。

 何よりもまず、(思春期くらいまでの子供の場合は特に)家族の側から、
「いままでどもりで苦労して大変だったね。なのに、きちんと分かってあげられなかった、分かる努力をしなかった」と丁寧にあやまることが必要でしょう。
 このときに、「これくらいの問題で悩んでいるとは甘すぎる」などと言ってしまっては最悪の結果となります。(これが多いのです)

 そして家族で冷静に話せるような状況になってきたら、
どもりの悩みを軽くするために、例えば、精神科医にかかる、言語聴覚士を探す、近くのどもりのセルフヘルプグループを探して参加してみるという動きが良いと思います。

 その際に必要なことは、家族だけで解決しようとせずに必ず第三者を介入させることです。
 精神科医などの専門家、信頼できる親戚(あまりいないかな?)、吃音を持っている本人に信頼できる友人がいれば?その人などが良いですね。

 ものごとは急には動きません。何週間、何ヶ月くらいの単位でゆっくりと取組むつもりでいると良いと思います。

 そして、あまり焦らずにいろいろなことに対処していきましょう!

★例えば学校でどもりによるいじめを受けているか、受けていなくても通うのがどうしようもなく苦しい場合は、いまの学校は辞めて他の施設に移るのが良いのか?など冷静に考えます。

★卒業後ならば、いきなり就職は無理だったら、専門学校に通ってみる、ボランティア活動で感謝される体験をする、簡単なアルバイトをする・・・などと、誰かと交われる環境を作ったり、少しずつでも自信をつけていけるような環境を作って、徐々に階段を上るように進めていくのも良いと思います。