吃音をなんとかしたいという気持ちと、現実には焦るだけで有効な手が打てないもどかしさを感じながらも、心の平衡感覚を失わずに(うつ病などに陥ることなく)生きていくこと(再掲載一部改編:初掲載は2008年2月24日)

どもりには様々な「違い」があります。
*私が、どもりの重さの違い、吃音者を取り巻く経済的・精神的環境(特にこどもの頃の)の違い、にこだわるのは、どもりを類型化して差別しようなどということではなくて吃音問題をプラクティカルに捉えたい考えたいからです。

 重いどもりと軽いどもり。
(傍から見た重さと吃音者本人が意識している重さがほぼ一致する場合と、他者から見て気がつかないような軽く見えるどもりでも、本人は悩んで人生に大きな支障が出ている場合があります。)

★授業中に先生に指名されても、しゃべる言葉がことごとくどもるかなかなか出てこない。職場での会話や電話でのトークがしどろもどろになってしまい意思疎通がうまくできない
 くらいのどもりから、

★本人はどもりで困っていると訴えるが、まわりの人からみると注意して聞かないとわからないくらいの軽さや症状のどもりまで様々です。

*その「どもり」も、時間の経過や人生の大きな変化の中で、症状そのものやどもりに対する考え方も大きく変化していく場合がいくらでもあります。

 子供の頃はかなりどもっていた方が青年期になってからはかなり流ちょう(傍から見て)になる場合もありますし、いっぽう、大人になっても同じようにどもっている場合もあります。
(良くなっていた(ように見えていた)方が、ある日を境として「再発」し生活に支障が出る場合もあります)
*前者が努力してある訓練をしたからそうなって、後者が訓練をサボっていたからそうなった、などという単純な問題ではないことはおわかりのことと思います。

 まわりの人からみてわからないような軽いどもりでも本人は自殺を考えるほど深刻に悩んでいて、学校を卒業しても就職できない(しない)場合もあれば、
はっきりわかるようなくらいのどもりを持っていても、自分らしい充実した人生を送っている(かに見える?)方もいらっしゃいます。(でも、そういう人は少ないかな・・・)

ところで、
 自分のどもりをなんとかしたい・・・「軽くしたい」「できれば治したい」と思うのは素直な心の動きです。

 仕事についていえば、たとえば、ある程度の重いどもりのために不本意ながら通っている現在の職場で悶々とした毎日を過ごしている場合などは、
「本当の私はこんなモンじゃない。どもりが治れば(軽くなれば)もっと大きな会社でてきぱきと活躍できる!」と思っている方も多いでしょう。

 そのような方は「治したい!」と思うでしょうし、自分なりにいろいろと情報収集してトライしているかもしれませんね。

 しかし、精神科医、言語聴覚士、民間のどもり矯正所などに一生懸命に通っても、セルフヘルプグループに参加して頑張ってみても、自分が思い描いていたように「すぱっと、絵に描いたように治ること」は、ほとんどの場合ありません。
「自分なりの努力が、結果として直線的に表れてこないという人生の大きな壁」にぶち当たるわけです。
*人生をある程度の歳まで生きてくると、努力の結果がそのまま現れないことがいくらでもあり、むしろ思いのままにならないことの方が圧倒的に多いことに気がつきます。しかし、思春期後半くらいまでの若い時には、そのようなことをなかなか受け入れられないようです。私もそうでした。

 そのような事態に陥ってから、あらためて人生を設計しなおすというたいへんな作業になるのです。
どうしたら少しでも自分らしい人生を送っていけるようにするかが、ある程度より重いどもりを持ったまま思春期を通り越した吃音者の課題ではないでしょうか。
*「自分らしさってなんだ?」どもりのために本来の自分が思い描けなくて、いつまでも抜けられないトンネルになかにいるように苦しまれている方も多いと思います。

 「いま」という実に生きにくい世の中でそれを行なうには、自分ひとりの力では難しいと思います。
 ときには、アドバイザーとしての、精神科医、臨床心理士、言語聴覚士などが必要ですし(「どもりを理解してくれる」頼りになる専門家を育てていくのも我々の責務です)、
 苦しい時に慰めてくれたり、どもりのことについても隠さず話し合える親友も(ひとりで良いので)必要です。

 また、どもりのセルフヘルプグループに参加していろいろな吃音者と知り合うことも、自分のどもりを客観的に見ることができるようになるために必要です

どもりと夏休み(再掲載一部改編:初掲載は2020年8月9日)

 こどものとって楽しいはずの夏休み
 どもりを持っているこどもであった私は、夏休みの直前がいちばん幸せな時間帯でした。

 これから、どもりをみんなにさらさなくて良い日々が、しばらくの間続くからです。

 しかし、夏休みが始まってしばらくたつと、8月の中旬bからでしょうか?
また、みんなの前で授業中にどもらなければならなくなる新学期へのカウントダウンが心の中で始まります。

新年度を迎えた吃音者のこころの健康を保つ(安心してどもることができる場所や時間を持つことの重要性)

 今年も若葉がきれいな季節になってきました。
 進学、就職、進級、転職の時期(3月、4月)から1か月あまりが過ぎました。

 このブロブのテーマである吃音「どもり」を持っている方、
 それも日常生活に一定程度以上のの支障(表面的などもりだけではなくて、傍から見てどもりとわからなくても本人は悩んでいる場合も含む)がでるようなどもりの場合には、年度の変わり目は、多くの場合かなりつらい、きつい時期となります。
*新年度を迎えるにあたり、どもりのために、進学や進級、就職・転職がうまくできずに立ち止まったり、その末に引きこもっている方もいると思います。(私もその経験があります。)

 どもりでない人でも緊張を強いられるこの時期を、どもりを持っている我々はどのようにして乗り切れば良いのでしょうか?

 いまさらいうまでもありませんが、どもりを治す医学的な方法はなく、また効果的なリハビリテーション法も確立していない現在、
 また、どもりで悩んでいても、地域(日常的に気軽に通える範囲に)には通えるような、どもりに精通した専門家(言語聴覚士、精神科医、臨床心理士など)が常駐する病院や公的な施設などは(事実上)ない現在、できることは、
 まずは、信頼できる人がいればその人に話を聞いてもらい、いない場合には精神科医などに自分が置かれている厳しい状況を説明し、場合によっては適切な投薬を受けて心の負担を少しでも減らしていくことです。
 また、親しい吃音者が複数でグループをつくり(セルフヘルプグループ)、語り合ったり、それぞれの経験から試行錯誤をしながら、現実の厳し場面を乗り切っていく
 そのような活動が、この時期を厳しいながらもなんとか乗り切れるひとつの道しるべとなるかもしれません。

関連する過去投稿へのリンク

吃音と抑圧された心(再掲載一部改編:初掲載は2010年6月15日)

吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る):初掲載は2012年5月5日、お互いに信頼できる吃音者が集まってできること:初掲載は2012年5月13日、(どちらも再掲載)

公衆の面前で「どもって」しまったときの想い(再掲載一部改編:初掲載は2005年5月19日)

 例えば、どもりを持った子供が親と一緒にデパートで買い物中に、周りにはほかのお客さんや店員さんなどがいる状況で、周りにも聞こえるようにハデにどもってしまった場合の子供の(本人の)気持ちはどうでしょうか?

 どもりがあまり目立たない程度で目的の言葉を言い終えた場合は、本人はちょっと恥ずかしい程度で済みますが、大きな声でしゃべっているときに派手にどもってしまった場合は、本人はもちろん親もかなり恥ずかしい想いをするでしょう。

 本人にとっては、今回は大きな破綻なく最後まで言えると思い大きな声でしゃべり始めたのですが・・・、
想定外の言葉のつまり(どもり)に自分でもパニックに陥り、でも、中途半端でやめることもできずに、周りの人の反応を気にしながらも最後まで言い終えなければなりません。(もちろん、言えなくなってしまいそのままで終わる場合もあります。その場を逃げるようにして離れたい状況です)
*特に言葉の調子が悪いときには、あまりのどもりかたに自分でも戸惑い、途中でしゃべるのをやめてしまうかもしれません。

 こんなときの本人の敗北感はどもり持ち(吃音者)でない人には想像すら出来ないほどのものです。
小学生のころの自分が「死んでしまいたい」と思う瞬間でした。

 こういうときに親はどうしたらよいのでしょうか。
最後まで子供の言葉を聞いてあげることが大切のことは言うまでもありません。
 少なくとも自分(親)が恥ずかしい思いをするという理由から、しゃべるのをやめさせたりしてはいけないと思います。

 子供が言葉につまってしまい顔を歪ませ肩を震わせながらこれ以上しゃべれないという感じでいるときには、軽く肩をたたいてあげてもういいよという感じで接してあげてもよいと思います。(その辺は親子のあうんの呼吸ですね。)

 もっと小さなお子さんの場合は、やさしくゆっくりと一緒に、言いたいであろう言葉を言ってあげるとたいていはしゃべれますので、本人も安心すると思います。

2022年、吃音者(どもり)を取り囲む状況は

2022年(令和4年)になりました。
(原因不明ですが)落ち着いていたコロナの検査陽性者数も、ここにきて急速に増えてきて今年も厳しい年の初めですが、
皆様にとって少しでも良い年になるように祈っております。

さて、吃音者、どもりをもっていろいろな不都合を抱えていらっしゃる皆さん(自分もそうですが)にとって、今年はどのような年になるのでしょうか。

どもりを持っているといっても、その大変さは、年齢、性別、その他おかれている(きた)境遇によって、かなり違います。

しかし、2022年、コロナ禍が収まらず、経済が停滞し、このような状況下では、どもりを持っている人にとって良い年であるはずがありません。
就職・転職、仕事、学校…、大変厳しい中ではありますが、何とかチャンスをとらえて、また、心を許しあえる仲間と語り合いながら、少しでも良い方向に進んでいけるようにしたいものです。ゆっくりと、したたかに、

吃音者が黙ってしまう、あきらめてしまう背景(再掲載一部改編:初掲載は2013年11月22日)

 どもることで大きく悩んでいる人が
「どもることで悩んでいることを誰かに話さずに黙ってしまう、誰かに気持ちを伝えることをあきらめてしまう」背景には・・・

 例えば
★学校で授業中に指名されても、どもって、まともにこたえることができない、わかっているのに「わかりません」とこたえてしまう

★先生から指名されてする教科書の音読がどもってできないか、できにくい

★本来は楽しいはずの友達との会話がうまくできない

★どもることを笑われたり、いじめの対象になる。(直接のいじめ、ネット上のいじめ)

 こんな毎日を繰り返すうちに悩みが高じてうつ状態になり、学校に行くのが怖くなり、たまに休むようになり、ついには引きこもってしまう、

 大人の場合は、
 職場では(現実には、そもそも就職するまでにかなり大きな壁がありますが、たとえ有力者の「コネ」で就職したとしても・・・)、

★かかってくる電話をとっても、自分の会社名「はい○○会社です」が言えないか、なかなか出てこない。

★顧客を訪問するためのアポをとる電話をすることができない。思い切ってかけても自分の会社名や名前が言えないか、なかなか出てこないか、どもり特有の大きなつっかえになってしまい大笑いされる。
(電話をしている先方よりも、むしろ、同じ部屋で自分の電話を聞いている同僚に)そして、同僚や上司が気になり、外に出て公園などで携帯を使って電話をするが、それでもどもってしまう。

★訪問先の入口で内線電話やインターホーンで担当者を呼び出す際には大きくどもってしまい要領を得ない。

 こんな毎日を繰り返していれば、次第にうつ状態となり、職場に足が向かなくなります。

 さらに、唯一の安らぎの場であるべき家庭でも家族の理解が得られないばかりか、「どもるくらいで考え方が甘い」などと怒られてしまっては、
もう安心して生きる場所がありません。
*こういう想定をすること自体、「比較的軽いどもり」について考えて書いているのであって、ほんとうに重いどもりを持っている場合は、事実上オフィスでの事務系の仕事や営業系の仕事は無理です。
または、「これらの仕事ができるかできないかくらいのボーダーライン上にいるくらいの重さや症状の吃音者」が、心理的にはいちばん辛いのかもしれません。

 現実には、症状の重い人ほど、
また、客観的には軽く見えても悩んで精神的に追い込まれている人ほど、引きこもりがちになり・・・、
「どもりでいま困っていること」、
「子供の頃からどれほどつらい思いで生きてきたか」などの「本心」を明かすことができずに、現実の重さの前に、自分のどもりの悩みを誰かに伝えることを「あきらめて」しまう。

 いままで書いてきたことは特別な事例ではありません。ごく普通にいる吃音者です。

 こういうような「どもりをもって悩んでいる人」をサポートするならば・・・、
★どもりで悩んでうつ状態までなっている場合には、いやそうなる前に、精神科医や臨床心理士による継続的な心理カウンセリングが必要です。医師の判断によっては精神安定剤などの投薬も必要かもしれません。
それも月に1度とかいう頻度ではなくて、週に1度くらいの頻度で通院する必要があるかもしれません(特に通い始めてからしばらくは)。
通う環境も、学校帰りや会社帰り、また、土曜・日曜の(利用者にとって)都合にいい時間帯に、気軽に通える環境が必要です。(もちろん保険適用で)

★家庭や職場・学校の人間関係に問題がある場合、パワハラ、いじめなどにあっている場合には、自分が属している学校や職場から独立した立場のソーシャルワーカー・弁護士などのサポートが必要です。

★そのうえで、どもりのセルフヘルプグループに参加して、ひとりでよいのでこころから話せる親友を見つけることができれば、精神的には大きく救われることでしょう。生涯の友になるかもしれません。

 しかし、そういう状況にはないのが、いまの日本です。
 これで、世界有数の先進国というのだから笑ってしまいます。(国民病とまで言われているうつ病についても同様なことが言えるのではないでしょうか?)

 このような現実のなかで、いま悩んでいる吃音者は、あきらめてしまったり語らなくなってしまうのです。

どもり:長く続くコロナ禍で吃音者を取り巻く状況はどうなっているのか?(その2)

 さて、こどもは、学校に行かずに自宅でオンライン授業を受けたり、登校とオンライン授業が半々になったり、この2年近くは実に落ち着かない時間を過ごしたと思います。
*そのこどもの環境も、自分の部屋がある家庭、ない家庭、共働きの家庭、ひとり親の家庭などにより、様々な問題が出ているはずです。

 どもりを持っているこどもにとって、コロナ禍の落ち着かない状況は、当然のように、ことばにも悪い影響を与えているでしょう。
オンライン授業下でのことばのやりとりは、実際の授業よりもストレスを感じているのではないでしょうか?

 そんなどもりをもったこどもに特化したサポートなど行なわれているはずもなく(もしも行なわれていたら教えてください)、ひとりで悩んでいるのは、20世紀(80年代、90年代)と比べても変わってはいないと思います。

どもり:長く続くコロナ禍で吃音者を取り巻く状況はどうなっているのか?(その1こどもは?)

 私が今回の新型コロナのことを知ったのは2019年12月のはじめ頃、ネットのニュースかNHK BSのワールドニュースだったと思います。
 それから1年半以上が過ぎましたが、日本では未だにコロナによる医療の危機的状況が続き、学校(こどもの心と体の健康)、職場(倒産、雇用の不安定)、家庭(家庭内感染の恐怖、生活の不安定)など、大変な状況です。

 このブログのテーマの吃音者、どもりを持つこどもから大人までの方々はどのような生き方を強いられているのでしょうか?

 その1、どもりを持つこどもはどうしているのか?
 障害のないこどもでもコロナによる様々なストレスにさらされているいま、どもりを持つこどもは、家庭内で学校で、どのような(特別な)ストレスにさらされているのでしょうか?

いつもとの違いに対応できているのか?

1、授業の多様化(学校でのライブでの授業、オンライン授業)に対応できているのか?
2,家にいることが多いなか、いままでなかったストレスにさらされていないか?

次回に考えていきます。

真面目で向上心のある吃音者がむしろ追い込まれる(たびたび再掲載一部改編:初掲載は2018年10月26日)

お暑うございます。

2013年ですが、北海道の看護士の男性が吃音を苦に自殺したとの報道に接しました。
第一報は当時このブログに書き込んでいただいた方のコメントで知りました。
北海道の放送局のニュース映像で見た記憶があります。

報道ベースの内容しか知りませんが、
普段からセルフヘルプグループに積極的に参加して前向きに活動していた方らしいです。真面目な男性看護師が病院に入り業務のなかでしだいに追い込まれていき、ついには自殺という悲劇的な結末で終わってしまった。

どもりを持ちながら仕事をしている多くの方にとってはこのことは人ごとではありませんでした。(なかなか仕事に就けない方も含めて)

営業系や事務系の職種で直接に、または電話で話すことがあたりまえにある方にとってはもちろん、
営業系、事務系ではなくても、どんな職場でも、それなりの人とのことばによるやりとりはありますので、
自殺が自分のことのように深刻にまたつらく感じた方も多かったと思います。

いまさら言うまでもありませんが、現実の社会では、学校でのいじめ、職場でのパワハラ、過労からくる鬱などが蔓延しています。
学校でのいじめは、相変わらずの学校側に逃げ腰や隠蔽体質があります。
職場では働き方改革という言葉とはほど遠い日本の労働環境です。
こんな状況下ででどもり持ちにはどれほどのれほどのストレスがかかっているでしょうか?

ましてや、1年半以上のコロナ禍で、家庭、学校、職場など、いろいろなところで人間関係のひずみが大きくなっています。

「言葉で伝える」ということは生活や仕事の基本です。

できるだけ話さない仕事を選んだつもりで入った現場でも、
思ったよりも話をする、言葉で伝えることが多くて、それに耐えられずに途中で辞めてしまう方もいらっしゃいます。

医療系の仕事は、間違いがあると人の命に関わるので、声を出しての確認・確認の繰り返しでしょう。ある意味、究極の「ハキハキ」が求められます。
*患者として病院にかかるだけでも充分にわかります。

そのような仕事の現実を無視して、吃音を語っても説得力がありません。

以前もも少し書きましたが、どもりを苦に自殺した方の事例のなかにこそ、社会のなかで生きていく吃音者の生きづらさ・問題点が凝縮されていると思います。

耐えがたいような現実の厳しさにぶつかりながらも、それでもセルフヘルプグループなど会合の場では前向きな発言をして、かえって自分を追い込んでしまい、こころが折れてしまうようなことがないように・・・、

極端な悲観はいけませんが、根拠のない(はっきりしない)楽観はそれ以上に危険です。

現実を生きる吃音者が、負のスパイラルに陥ったままにならないようにするにはどうしたら良いかを考えていくことこそが、どもりを苦に自殺した方々へのせめてもの供養になると思います。

どもりとPTG(再掲載一部改編:初掲載は2019年1月22日)

 PTG(心的外傷後成長=PTG:Post Traumatic Growth)ということばは、以前、NHKのあさイチで知りました。
 番組では阪神大震災を罹災した方、がんになった方の実例からふれられていました。

 トラウマになるような出来事に遭遇し、その後(結果として)成長し、人間的な深みを増す、ということです。

 PTGについてはアメリカで研究されているようですが、私が思うに、別に新しいことではなく、いくらでも世の中でおこっていることを後追いで名前を付けた感じです。

 勘違いしてはいけないのは、PTGについてふれた多くのサイトでも言われていますが、
「トラウマになるような出来事に遭った人は皆、それを乗り越えてこころが成長し、人間的な深みを増す」などということではないこと。

 あくまでも、結果的に、そうなる人が、ある割合でいる、ということ

 トラウマになる出来事についても、ギリギリその人の心を保てるようなものであったり、比較的短期間の出来事であったり、
 自分のことを話せる(共有できる)友がいたり・・・
そういう条件があってはじめて(あくまでも結果的に)そういうことになるということではないでしょうか。

 どもりについても、そのような境地に達する場合もあるかもしれませんが、それを期待して、特にまわりにいる人が、間違ったアドバイスをするようなことがあってはいけません。

 どもりは長く続く苦痛・苦労を伴うことであり、苦しみを理解してくれる人がいない(見つからない)場合が多いので、安易にPTGに絡めて考えるべきではないと思います。