吃音を押さえ込む(コントロールする)ことの弊害(私の場合) (再掲載一部改編:初掲載は2009年9月18日)

 どもりを持っている人が、日常生活や学校生活・仕事を進めるうえで、最小限の言葉の流ちょう性を確保したいと思うのは当然のことです。
なぜならば、毎日を(なんとか)生きていく必要があるからです。
 特に社会人になってからは組織のなかでそれなりの仕事をしお金を稼ぐことが必要だからです。
*社会人といっても、会社員(民間企業)のほかにも、公務員(これも様々)もあれば、農林漁業、自営など、いろいろな仕事があります。就く仕事の種類によって要求される言葉の流ちょう性は大きく変わってきます。また、同じ組織内でも、営業、経理、現場など、就く場所によっても大きく違ってきます。ですから、ある程度の重さ以上の吃音者は、自分の症状や重さを考えながら職業選択をすることが仕事を長続きさせる「現実的な」コツではないでしょうか。

 私の場合は、日常生活の何気ない会話でも支障があるような時期があるかと思えば、学校での発表や電話でもほとんどどもらない時期もあるといったような大きな波を繰り返す少年時代(小学生~高校生)でしたので、吃音に対する自分なりの考え方や覚悟が定まりにくかったと思います。

 また、私を取り巻く家庭の雰囲気はよいものではありませんでした。
 家族間のいざこざが絶えずあり、どもりの父がいる家庭の割には、というか、そうだからこそどもることには否定的でした。
 どもるたびに注意されているような「吃音児」にとっては最悪の家庭環境でした。

 将来就きたい職業については、もちろん、「どもりは大人になったらすっかりと治っている」という前提で考えていました。
*なんの根拠もありませんでしたが!

 高校に入ると、中学(普通の公立の中学です)までとは違い、最初から大学受験を意識したカリキュラムですし、そのような学校の雰囲気でした。
 学校に行く、勉強する、クラブ活動、たまに模擬試験という単純な繰り返しですから、授業中に教科書を読むのですら恐怖を感じているような少年にとっては、心のバランスを崩すには時間はかかりませんでした。

 その後、浪人、大学入学、就職浪人(引きこもり)、民間のどもり矯正所、ハローワーク通いを経て約2年遅れの社会人でしたが、ハローワークで自分で仕事を見つけて営業職として就職しました。
 その頃、20歳代末~30代前半くらいになると、それなりの生きる覚悟もできてきますが、言葉については試行錯誤が続きました。

 営業職としてはあたりまえの日常業務である、電話、訪問、会議、など、すべてが人前でしゃべることです。

 現実的に言って、それらで大きくどもっていては(それがよいかどうかということではなくて)組織内で通用しません。
 そこで、就職前にどもり矯正所のメンバーと仲間内で行なっていた言語訓練を続けて、なんとか最低限の流ちょう性を確保し続けるための工夫を続けました。

 その成果が出たのか、たまたま調子がよい波の時期だったのか、
その後は比較的順調に推移し、仕事も、どもらない人と同等かそれ以上の成果を上げられて自信をつけることができてきました。

 そこで、ステップアップを図るべく転職(営業職)したのが失敗でした。
 会社名がただ言いにくいという原因で、職務上の電話、会話はもちろん、次第に日常生活の会話までどもり始める始末。
 当然、対処しましたがなかなかうまくいきません。ちょうどバブル崩壊の時期で職場環境も悪くなっったので大変でした。

 これらの経験を経て感じたことは、日常に影響が出るくらいの重さを持ったどもりを子供の頃から持っていて思春期以降に持ち越した場合には、吃音をコントロールしながら生きていくのは至難の業であること、
 できれば、自分でコントロールできる範囲(メンタル的にも、言語そものも)はどこまでかを知り、それ以上にはチャレンジしない方がよいのではないか?

 これは、とことんやってみてわかることかもしれませんが、もしも、その「とことん」が、本人の心の「限界値」を超えてしまうと取り返しのつかないことになってしまうこともあります。(重い心の病気になったり、最悪の場合は自殺)

 そのようなことにならないようにするためにも、第三者による「心の危機管理」が必要です。

 自分の悩みを隠さず何でも話せるようなホームドクター的な精神科医や臨床心理士などを見つけておいて、普段から定期的に心のチェックをしてもらいながら生きていくのが良いと思います。
*しかし、彼らは、どもりについての知識は驚くほど乏しいのが現状です。自分の気持ちや困っていることなどをドクターに詳しく説明してください。どもりの治療法は分からなくても彼らの専門領域からできる限りの援助をしてくれますので、上手に利用しましょう。

 いまの就職・転職状況では、今後は、吃音者にとってはますます生きにくい世の中になりそうなので、それくらいのことは考えておくべきだと思います。

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吃音:哲学的な議論はそろそろやめにして・・・(再掲載一部改編:初掲載は2012年6月28日)

 80年代末のことですが、私は大卒後もどもりのために就職できずに(せずに)約2年間引きこもりました。
 その後、民間の無資格どもり矯正所に通い、生まれて初めてどもりについて語り合える友をもつことができ、元気を取り戻しました。
その後、ハローワークで小さな会社の営業職を見つけて就職することができました。

 その後30歳前後のちょっと自信がついた頃でしょうか、自慢げにいままでの顛末を話していたことを思い出します。
 その内容はひと言で言えば、「自分がどもりであることを覚悟を持って、自分なりに受け入れて生きていく」というようなことでした。

 吃音者の会合などで、「どもりを持ちながらもそれなりに生きてきた方の力強い話」をいまどもりで悩んでいる人が聞くと、会場の雰囲気も影響してかその場では影響を受けるかもしれませんが、日常生活の何気ないコミュニケーションにも影響が出ているような、ある程度以上の重さのどもりを持ちながら毎日を生きている人(特に子供)にとっては、こんな話はかえって酷かもしれません。
*いつも書いていますが、客観的にみて「軽いどもり」に見えても、本人が必要以上に気にして悩んで生活に支障が出ていれば、それは「重いどもり」です。また、どもりの重さは、吃音者を囲む家庭や学校、職場の雰囲気や人間関係でも 大きく変わってきます。

 日常生活に支障が出ているようなある程度より重い吃音者が、自分がどもっていることを(それなりに)受け入れられるようになるには、
子供の頃からどもりによる耐えがたいような経験を数限りなくして、まさに七転八倒の人生を送りながら、その後にそのような境地になるのがほんとうのところと思うからです。
 決して誰かに言われて達する境地ではありません。
*就職できなかった方が就職できたり、引きこもっていた方が学校や会社に通えるようになるなど、「自分でも良い方向に向かってきていると実感できた時」に、そんなふうに思える余裕が出てくるのかもしれません。 ということは、そうでないときはそのようなことを思うこころの余裕がないということです。

 学校でも職場でも、さらに、どもりが重い場合は日常生活のすべてのシーンで、どもりによる人生への悪影響(重圧)が延々と繰り返されます。
 そのような過酷な毎日を過ごしている人にとっては、「自分がどもりを持っていることを覚悟を持ってこころから受け入れて生きる」ことなどなかなかできることではないでしょう。
多くの場合は、生きていくためにどもりと共存していくしかないので、結果的にそうなっているだけです。
「自分がどもっていることを受け入れていく」という考え方は、誰かに言われてできるものではなくて、苦労の末にこころのなかで自発的に出てきてはじめて意味をなすものです。

 ですから、「どもりを受け入れる」とか、「治そうと努力する」などのいろいろな考え方のどちらかを批判したり比べたり、吃音者が持つ考え方に優劣をつけるのはやめにして、
★吃音者それぞれのどもりの重さや症状の違い、
★生きている環境(主にどもり出した子供の頃から就職くらいまでの家庭の経済的・精神的環境)の違い、
★性格の違い、
★本人のどもり以外の能力(学力、仕事の能力)の違い
 などを考えながら・・・、
 ある人はできるだけ軽くなるように努力する、またある人は今のどもっている状態を受け入れながら無理をしないで生きていく・・・などというように、個々のケースごとに現実的な対応をしていけば良いと思います。
*努力したとしても結果的に、就職できずに経済的に困窮する、性格が結果的に暗くなる、学習意欲が落ちたり授業中の発表が怖くて成績不振、電話や会話が怖かったりうまくできず職場での仕事にも支障が出るということもいくらでも起こります。これらは極めて深刻な問題です。

 ですから、吃音者をサポートする側(家族、専門家など)がまずすべきことは、
 吃音者がいま直面している悩みやつらい状況をしっかりと見て、語ることばに傾聴することです。
 夢物語や理屈を語ることではなくて、いま現実にできる援助から確実に行なっていくことです。

 その結果として、どもりを持って悩んでいる人に心の余裕が少し出てきて、現実の生活に追われるだけではなく、深い考えを少しずつ持てるようになり、自分のどもりを自分なりに人生のなかで位置づけて自分なりに頑張っていくことができるようになると思います。

吃音の苦労によりかたくなになりすぎたこころをほぐして生きやすくしていくこと(再掲載一部改編:初掲載は2013年11月7日)

 人はどもりによる耐えがたい苦労を経験すれば経験するほど、自分(のこころ)を守るために、そのこころをかたくなに閉ざしていくことがあります。
結果として、意に反したような生き方(職業の選び方、友人関係の結び方)をすることもあります。
*吃音者の集まりで和やかに話していた方が、自分のことになると突然ことばが少なくなることがあります。

 自分では、不自然な(無理な)考え方・生き方と、こころのどこかではわかっていても・・・そのように思い、そのような生き方をしようとすることにより、自分のこころがどもりによる苦労のために崩れてしまうのをギリギリのところで防いでいるのかもしれません。

 その形は人により様々です。

★「私はこういう生き方なんだ」と、どう考えても無理な(無茶な)生き方(考え方)をしようとしている方

★「私はこれでいいんだ」と、いまの不自然な生き方(ライフスタイル)を(端から見ると)無理に肯定してそこに逃げ込んでいる方

 ほんとうは良くない考え方、無理な考え方・生き方とわかっていても、そうせざるを得ないところまでこころが追い込まれているのです。

 どちらの場合も、一時的にはこころの平衡が保たれているかのような錯覚に陥りますが、中・長期的にはさらに追い込まれてしまいます。

 こんなことにならないように・・・、

★どもりのセルフヘルプグループ等に参加して、いろいろな症状や重さのどもりを持ち、いろいろな環境で生きている様々な年齢層や立場の異なる吃音者と接して、自分(のどどもり)を客観視できるようにすることです。
そして、そこで、何でも話せる友人を(ひとりで良いので)作りましょう。

★ホームドクターとしての精神科医・臨床心理士を見つける
ぴたりと自分に合った先生を見つけるのは難しいですが、先生に頼り切るというよりも、「自分を客観視できるように」第三者的な目を提供してもらうのに役立ちます。

★これはいちばん難しかもしれませんが、家族にも最低限の理解をしてもらえるように働きかけていきます。(しかし家族には大きな期待はしないことです。)

吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る):初掲載は2012年5月5日、お互いに信頼できる吃音者が集まってできること:初掲載は2012年5月13日、(どちらもたびたび再掲載)

吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る)

今回は、しばらく書いていなかったどもりに対する直接的な働きかけについて書いてみます。

★「自分がどもること」をあらためて心と体でしっかりと受け止めること

★「信頼できるどもり仲間」の間で、安心してどもる経験を積んで自己肯定感を高めていくこと

★必要に応じてことばの流ちょう性を高める訓練をする、同時にその限界も知る。(どもりの重さや症状によっては、いたずらに流ちょう性を求めないなど、個人差に十分に配慮する)

★様々な症状・重さ、環境にある吃音者と広く語り合い、どもりに対する偏った考え方をなくしていく

★どもりについての情報を広く社会に発信し、吃音者の本当のこと、本当の苦しみを知ってもらう。同時にネットでの活動の限界も知る。

 これから書くことはサークル的な活動になりますので、運営の仕方が悪いと個人攻撃となってしまうことがあります。十分な注意が必要です。
*どもりを持っていると言っても実に様々です。この「違い」を十分に考えた上での運営が必要です。

●「自分でもほとんど困らないくらいのごく軽いどもりの方」から、「就学・就職などの節目では、どもりのために大きな影響が出ないくらいの比較的軽い方」、「日常生活や学校生活、仕事に直接の支障が出る方」、そして「どもることにより引きこもりになったり、うつ病などの心の病気になっているなどのきわめて深刻な方」まで実に様々です。

●また、吃音者が生きている環境も様々です。
どもりに対する家族の理解があるかどうか?、職場や学校でも、どもっている自分のことを受け入れてもらっているか?

♥少人数で目的を合わせるとうまくいきやすい。
 最初から本格的な活動を望まないで、やりやすいとことから始めます。
同じくらいの年齢で、例えば就職、再就職を控えているのになかなか第一歩が踏み出せないというような、似た境遇にいる人たちで集まると活動がやりやすいでしょう。
仲間をみつけるには、まずはセルフヘルプグループに参加してみて、そのなかで気の合う仲間をみつけるよいと思います。
地域の公民館の会議室などは低価格で借りられますので活動の拠点にできます。
いまでは、携帯やスマホで簡単に連絡を取り合えますので、日程や会場の変更にも柔軟に対応できます。

♥皆が苦手な電話の練習は、お互いの携帯にかけるところからはじめて、次第に家族が出ることもあるお 互いの家の電話にかけるなど工夫していきます。相手がいないときは、104の電話番号調べや企業などのお問い合わせ電話にかけるのも良いと思います。

♥街のなかで、買い物で
 仲間で、あらかじめテーマを設定してから街なかに出て、歩いている人に道を聞く、デパートやスーパーで店員にいろいろと質問をするなど、日常で話す環境に近い経験をする。
その際の注意は、「どもらないようにする」というよりも、上手にどもりながらでも結果的に相手とコミュニケーションをとれることを体験することにより少しずつ自信をつけていく。自分がどもることにより聞き手がとるリアクション(笑うことなど)に慣れる。
活動が終わってからは、お互いの違いを認めながらざっくばらんに話し合う。

♥サークル感覚で運営し深刻にならないように、
 グループにはバランス感覚に優れた統率力のあるリーダーを置き、個人攻撃的にならないように、ボス的な人が出てこないように注意しながら楽しく行う。

♥サークルのホームページ、ブログなどを作り情報を発信していく。同時に新しい仲間を集めることもできます。

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お互いに信頼できる吃音者が集まってできること

 前回の書き込み「吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る)」では、気の合うどもり仲間でできることを書きました。

 いまの日本において、どもりで深く悩んでいる人がその悩みをすべて打ち明けることができ、また共感を持って持って聞いてもらえる人がいるところ。必要に応じて言葉の流ちょう性を確保するために練習したり、または、いたずらに治そうとしないでうまく共存しようとする、などの、試行錯誤ができる環境はセルフグループしかありません。
 しかし、セルフグループも人の集まりですから場合によっては人間関係で苦しむことがあるかもしれません。

 既存のセルフヘルプグループに入ってみて自分には合わないと感じたら、我慢などする必要なありません。余計な苦労をしないように、生きるうえで大切にしたい価値観を共有できる仲間をみつけて自分達なりのセルフヘルプグループを作って活動してください。
*いまではスマホや携帯で互いの連絡が自由に取れるようになったので、既存のどもりセルフヘルプグループにこだわらずに、気の合うどもり仲間を集めて自分達なりの活動ができます。

 さて、私がかつて行っていた方法で書き忘れたものがあります。サイコドラマ(心理劇)です。
 サイコドラマというといかにもぎょうぎょうしくて専門的知識が必要に思えるかもしれませんが簡単です。
 例えば、授業中に指名されて本を読まされるとボロボロになってしまうという、ある程度以上の重さの吃音者にはあたりまえのようにある悩み(私もそうでした)
そのような場合は、安価で借りられる地域の公民館の会議室を借りてサイコドラマをしてみましょう。

 学校ですから教室のように机といすを並べ替えます。
 先生役の人、同級生役の人、そして困っている本人が「教室」に座り先生役の人から指名されて応えたり、本を読まされたりします。
 大きくどもったり、最初の言葉が出てこないで行き詰まった場合には進行を止めて皆で話し合います、「私の場合はこうしたらよかった」、「こう考えていけば楽になるのでは」などと自由に楽しく話し合うのです。

 注意することは、人格円満で公平公正、リーダーシップをとれる人がリーダーとなり、大きな流れをコントロールすることです。
★個人攻撃にならないように
★誰かが一方的なな意見を押しつけることがないように。
★グループ内でボスを作らない。グループ内で先輩も後輩もない、みんな同じ。

 公民館の会議室が教室にもオフィスにも化けるわけです。
終わってからは楽しく打ち上げしながら話し合えば良いと思います。
*やはり、ネット上のバーチャルな集まりばかりではなくて、実際に顔をつきあわせて語り合うことです。互いが十分に分かってきたところで携帯やスマホで連絡を取り合ったり、仲間でグループのWebページなどを作って情報を発信していけば良いのではないでしょうか。

 

吃音:季節の変わり目(再掲載一部改編:初掲載は2015年8月29日)

 

 子供の頃からどもりをもっていて悩んでいた私は、小学生のころくらいからは特に春から夏にかけての暖かい時期にはことばの調子が比較的良くなり、秋以降に気温が下がってくると次第に調子が悪くなり、冬には最悪の状態になるという身体感覚を持ってきました。
*風邪を引いて体調の悪いときもどもりが悪化する感覚がありました。

 暖房が必要な冬。
 寒い教室で「寒いなあ、こんな日に指名されたら余計どもってしまうなあ!」などと、いままでの経験から悪い意味でのイメージトレーニングをしてしまうのでした。実際その通りにどもりましたが・・・
 そのような状態で順番に指名されていくときなどは。もう地獄です。
*小学生のときの担任の先生は、アイスクリームの棒を受け渡すことで教科書を読む順番や発表する順番を決めていました。

 アイスクリームの棒が週末に私のところに渡り、つまり週明けに私が教科書を読むことが決まったわけです。日曜日の昼くらいから次第に不安になってきて、夜には死にたくさえなってきました。
 こんなことを思い出す秋です。

吃音者が抱える厳しい現実のなかで、どもりについてフランクに話し合える場を持つこと

 吃音者がどもりを抱えながらの毎日は(たとえ傍から見てごく軽く言える場合でも)どもりでない人にはとうてい理解できないような「こころの重圧」を抱えている場合が多いのです。

 さらに、どもりに起因する生活上の問題(家庭内・学校・職場でのコミュニケーションがうまくできないことにより起こるいろいろな不都合)が大きい場合には、生きていく力を失わせるほどの(自殺を考えてしまうような)インパクトを持つ場合があります。

★家庭のなかで、日常的に、言いたいことばが出てこないでことばにするのをやめてしまう。(子供の頃からこの状態が続くとかなりのストレスとなる)
★家庭のなかでかかってきた電話に出ることができない。(家族の前でどもるところを見せたくない)
電話をとっても最初のことば(自分の名字)がなかなか出てこないか、出てきてもどもり特有の繰り返しになる(すすすずきでです)。受けること以上に、自分から電話を(特に家族の前で)かけることができない。
★買い物の際店員さんに自分の名前を言えないので予約を伴うような買い物ができない(レストラン・美容院・マッサージなどの電話予約なども)
★学校や職場での自己紹介の際に、最初に言うべき自分の名前が言えないか、なかなか出てこないで笑われたり、いじめられたり、仕事(職場)の場合は、顧客から上司にクレームが入り担当の変更を要請される。
★学校で先生に指名されても(答えはわかっていても)ことばが出ないので「わかりません」といってしまうか(それすら出ないことも)、テキストの朗読で指名されてもことばが出てこないかしどろもどろになってしまう。(当然、笑われる、クラスメイトや先生からの陰湿ないじめにもつながってくる)
★職場では、かかってきた電話に出ても冒頭に言うべき自社の社名が言えない。当然仕事にも影響が出る。このような状態が続くとさらに追い込まれて職場に居づらくなりやめてしまう。
自分からかける電話が特にどもってしまうので、社内では顧客に対するアポイントなどの電話ができなくなり、外出後に公園のベンチなどでかけるようになる(それでもどもってしどろもどろになってしまう)
★自己紹介はもちろん電話もうまくできないので、就職活動がまともにできない(なかなか踏み切れない)
★能力的には充分あるのだが、どもりのためにあえてしゃべらないで良いか、話すことが最小限で良い職種に就いた(やっとつけた)。
*小学生は小学生なりの、失業中・求職中の人、社会人(仕事に就いている人)も、その人なり(どもりの重さ・症状の違い、家庭の経済的な環境、家族の理解度の違い)の問題を抱えます。

 一方、吃音者の周りにいる家族や、友人、学校の同級生や職場の同僚は、吃音者本人がそれほどの苦しい想いを持ちながらギリギリの状態で生きていることが理解できません。(想像できません)
 どもることを原因として、しだいに学校や職場を休みがちになる。ついには引きこもりになる。
 学校を卒業しても(なかなか)就職できない、入った会社を辞めてしまってもなかなか転職できない(しない)ことに対して、ついつい厳しいことばをかけてしまうことがあり、結果として吃音者のこころをさらに追い詰めて(自殺すら考えるようなことに)なりがちです。

 このようななかで、吃音者はどのようにすれば良いのでしょうか?
*どもりはその原因が医学的にわかっていませんので(この先も当分はわからないでしょう)確実な治療法やリハビリテーション方法はありません。(したがって長い間、民間の無資格どもり矯正所「のようなもの」が続いてきたのです。)

★「どもりによる様々な生きづらさ」を語り合える環境(友人・グループ・時間)を持つ。
*必要に応じて、生きていくためのそれぞれの状況に応じたことばのスキルを持ったり維持するために、仲間同志で工夫して言語訓練やメンタルトレーニングをする)

 吃音者はどもりのことについてフランクに話し合える友人を持つことが(なかなか)できません。
 なぜならば、自分のどもりについて家族にすら話せないか(ほとんどはそうです)、話したが相手にされなかったりわかってもらえないという経験を子供の頃から繰り返しているからです。
*学校の同級生に吃音者がいない場合は、探すことすらできないこともあるでしょう。
*私も大卒後に、就職できずに引きこもった後に通った民間のどもり矯正所ではじめて、どもりについてまともに話し合える友を得ました。

 なかなかどもりという問題を共有できる友人を得ることができない。
 そこで、考えられるのが・・・、どもりのセルフヘルプグループに参加して、どもりについて遠慮なく話し合える友人を見つけることです。
*そのセルフヘルプグループになかなか参加できない(決心できない)のが吃音者の気持ちでもあります。

 セルフヘルプグループに参加するようになったら、どもりを持ついろいろな立場の人(年齢の違い、男女の違い、家庭環境の違いなど)の意見をよく聞きましょう。
 その後、セルフヘルプグループの中で、「話しができる人」、「自分の考えに近い人」、「攻撃的でない人(不用意にことばで人を傷つけない)」を探し出し、その人と友人になれば良いと思います。
仲間同志でいろいろと活動もできると思います。

吃音:仕事をする人としての現実(その1現状、その2 仕事とどもり)再掲載一部改編:初掲載は2017年2月12日、17日

 親しくなったおとなの「吃音仲間」で飲んだりするときには、どうしても「どもりと仕事」にまつわる話が多くなります。
*そもそも、どもりについて遠慮なく話せるくらいの親しい「どもり仲間」がいるのか?ということが問題です。3歳の頃よりどもっていた私がどもりについて忌憚なく話せるような友人ができたのは、大卒後就職できずに引きこもった(約1年半後くらいでしょうか)後に通い出した民間のどもり矯正所で、同じような境遇の友人ができたときがはじめてです。(家族とも話はできていませんでした)

 このブログでも「どもりと仕事」は主要なテーマになっています。
*数年前に起きてしまった北海道での吃音をもった男性看護師さんの自殺についても何回か扱っています。 

 さて、TBSで放映されていたキムタク主演の医療ドラマ「a life」
*2017年10月時点ではすでに終了しています。医療ドラマといえば、これからは米倉さんの「失敗しないので!(こちらはかなり毛色が違いますが)」が始まりますね?

 医療ドラマが好きな私として、それ以上に、韓流ドラマか?子供向けか?と思うほど誇張された表現が多い最近のテレビドラマに辟易としていた私にとっては、(SMAPの一連の騒動は別として)久しぶりにじっくりと見られるドラマとして楽しみました。(やはり視聴率はふるいませんでしたね。)

 ドラマのなかでは医師と看護師との関係が丁寧に描かれています。
 特に手術室に入るような看護師の的確な動きには、2年前に心臓のカテーテル治療を都内の心臓専門病院で経験した私としては(局部麻酔で意識があり、手術室のなかでのテキパキとしたやり取りを感じていたので)思うところが大です。

 器具の確認をするにも、大きな声で品名と有効期限を読みあげて他のスタッフにも確認してもらいながら進めていく、
 ミスを防ぐためには大切なことなんだなと思いながらドラマをみていました。
*病院では、例えば採血をしたりCTを撮ったりする際、また、診察室に入るときでさえも「フルネームでお名前をおっしゃってください(場合によっては生年月日も)」といわれるのがあたりまえになってきました。吃音者にとってはこれが難関なのです。自分の名前が(なかなか)出てこないのが、ある程度より重い吃音者にとっての「あたりまえの症状」だからです。

 社会人としての仕事は、特に、組織のなかで2人以上で仕事をしている場合には、言葉を使うことが大前提になります。
「誰かに何かを確認する」「誰かと話し合って練り上げていく作り上げていく」「交渉により仕事が進む」というように、(職種により言葉を使う頻度は大きく違いますが)誰かと話す(電話をする)ことなしには仕事が進みません。
*世の中ではスマホによるSNS(日本ではLINEなど)が盛んですが、実際のビジネスの現場ではむしろ、人と人との言葉によるコミュニケーションがますます重要になってきています。

 ある程度以上の重さのどもりを持つことにより話すべきときに話すべき言葉が(なかなか)出ない場合には、個人の仕事はもちろん、チームとしての仕事にも大きな障害が出ます。
 要するに「仕事ができない」という評価となり、人生に直接及ぶの脅威となります。(職場に居づらくなります)

 ある程度以上の重さのどもりを持った人は学生時代でも言葉を使うアルバイトを避ける(応募できない・したとしても断られる)ことが多いので、このような現実に遭遇するのは、就職活動を始めてからか、コネで入った場合は職場に入ってからとなります。
*もちろん、子供の頃から学生時代までにも大いに苦労しますが、とりあえず親の庇護下にあり、生きていくこと(食べていくこと)はなんとかなります。
ただし、どもることで陰湿ないじめを受けている場合は(いまの学校や教育委員会のずさんな対応を考えるときに)命の危険さえ考える必要があります。

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その2 仕事とどもり

 このブログには数こそ少ないのですが、どもりで困っている人から深刻なコメントが寄せられます。
コメントの公開は承認制なので内容がきわめて個人的なものだったり深刻な場合には、公開する前に(公開の可否も含めて)直接やりとりさせていただく場合があります。
 非公開のコメントの内容は「どもりと仕事」「どもりと家族」に関することが多いのです。
例えば・・・
★仕事の日常業務、会議や電話をする場合に言葉が(なかなか)出ずに、「事実上、仕事にならなくなり追い詰められている場合。

自分の名前、会社名、相手の名前など言えてあたりまえのことが、面と向かってはもちろん電話や社内電話でも(なかなか)言えない。
さらに追い詰められてうつ病になりいまの仕事をやめることとなり、その後もなかなか再就職できない。現状を家族からも理解されない。
*追い詰められて自殺を考えた、またはその直前までいって思いとどまったという深刻なコメントもあります。

★子供の頃からのどもりに対する家族の無理解、どもるたびに家族から言い直しをさせられたり注意されることの繰り返しが大きなストレスとなりこころに積み重なり、大人になってからの日常生活や家族関係、近所付き合い、子供の学校のPTA活動などの人間関係や話すことに大きな障害となっている場合。

 どもることにより学校で(同級生や先生から)いじめを受けていた、からかわれていたということも、どもりの症状の固定化や悪化、大人になってからのメンタルな問題を引き起こす大きな原因にもなるでしょう。

 ひとりでする仕事ではなくて組織の中で二人以上で仕事をする場合には(職種により話すことの重要性は大きく違いますが・・・)、同僚や上司との会話、会議での発言、顧客の前でのプレゼンテーション・交渉など、また、電話の対応はハキハキしたものでなければなりません
 それができなければ事実上仕事になりません。
 特に仕事につきもののクレーム対応においては的確な言葉遣いが必要とされます。
*ここで、「どもってもよい」と考えることは、(もちろん仕事に影響が出ないくらいのものは除きます)仕事の現実を無視したものになります。

 このように、このブログには・・・、
 子供の頃からのどもりによるストレスの積み重なりの結果としての心理的な問題、家族との軋轢、就職・転職がなかなかできない、仕事上での言葉に問題が生じ職務の遂行ができなくなりやめてしまった、追い詰められて自殺を考えている、などというという生の声が寄せられています。

吃音:2017年の現状(再掲載一部改編:初掲載は2014年9月30日、原題は、2014年の現状)

 どもり、それも日常生活で普通に交わすコミュニケーションや、学校生活、仕事などに、明らかな支障が出るようなどもりが続いている場合は、あたりまえですが「治したい」「できるだけ軽くしたい」と思います。
*どもりでない他者からみて「どもり」とわからないくらいの軽いものでも、本人がそれを気にして人生に大きな支障が出ていると思えば、それは「重いどもり」です。その軽く見える吃音者は自殺まで意識しているかもしれないのです。
このあたりが「どもりでない人」はもちろん、「専門家といわれる人」ですらなかなか理解されない、そしてどもりを考えるときにはきわめて重要なことです。

 どもりで悩んでいる本人やどもりの子供を持つ親御さんなどは、インターネットが十分に普及したいま、スマホやPC、その他の携帯端末を使ってどもりについていろいろと調べていることと思います。

★「治してくれる・相談できる」きちんとした専門家がいる病院や公的施設はあるのか?
 吃音者本人はもちろん親御さんも、いちばん知りたいところですね。
 ネット等でいろいろと調べてもなかなかわかりません。
というか「わかりません」
*インチキ情報はいくらでも出てきます。

 調べていてそのうちに感じてくることは・・・、
相談できるしっかりとしたところ(特に思春期以降)が事実上ないということなのです。
*事実上と書いたのは、日本にそういう施設が数カ所あったとしても、たまたま近くに住んでいれば良いのですが、通える範囲にない限り、それは「ない」のと同じことだからです。
*原因がわからず確実な治療法もリハビリ法もない現在、どもりに取り組む専門家といわれる方は、それぞれ、「治していこう、軽くしていこう」という考え方をする方や、また、「無理して治そうとしないで、どもりを持ちながらも強く生きていこう」という考え方をとる方など、様々です。(対立すらしていることもあります。)
確実な治療法やリハビリ法がない現在、仕方がない面もありますが、どもりで悩んでいてどこかに相談に行きたい吃音者やどもりの子供を心配する親御さんにとっては混乱してしまうばかりです。

 考えるられるひとつの方法は、どもりの自助グループ「セルフヘルプグループ」に通うことです。
 どもりという同じ悩みを共有する人の集まりですから、どもりを意識してからいままで、どもりについて誰にも(もちろん家族にも)話すことのできなかったことが嘘のように、「どもりについて、あたりまえのことのように話せる」という開放感にはじめて出会えるかもしれません。
これは大変大きなことで、これだけで大きく救われる方もいらっしゃると思います。

 しかし、いままさにどもりで悩んでいる人でもセルフヘルプグループの存在を知らない人も多く、たとえ知っていたとしてもなかなか参加する勇気が出ないのが、どもりの特徴です。

 セルフヘルプグループにも、いままさに悩んでいる人がいまほしい答え、つまり「治したい」「軽くしたい」に確実に答えるだけのものはありません。
 場合によっては、治った・良くなったというグループ内の先輩のあまりありがたくない自己流の治療法や心構えをしつこく頂戴することになってしまい、通うのもいやになってしまうかもしれません。
 または、いま入ったばかりの自分よりもどもりが重い「古参の(先輩)」が多くいることにショックを受けるかもしれません。(ほんとうはそれらの方々の生き様から得られるものも大くあるのですがそこまではなかなか思いがいたりません。)

 セルフヘルプグループは上手に利用しましょう。
 グループ内で気の合う仲間、年齢、重さ、境遇が自分と近い仲間を見つけて、その仲間でいろいろと動いていけば良いのではないかと思います。
*自分と違う考えかたの人、年齢や境遇の違う人の考え方や生き方に触れることも参考になります。

 自分(達)でいろいろとあたってみること。
 インターネットを使えば、自宅に居ながらにして吃音に関する書籍を見つけたり、国内・海外の吃音の専門家と連絡をとることもできます。
 ネットだけで終わりにせずに、直接気になる専門家に会いに行ってみたり、本を読んでみたり、自分の通っているのとは違うグループの活動に参加してみるもの良いことではないでしょうか。

 小・中学生は、学校のことばの教室をうまく利用すると良いと思います。
 また、セルフヘルプグループが主催する子供向けの行事に参加することもたいへん良いことだと思います。

 心の危機管理をすること。
 どもりのために(いじめやからかいパワハラなどに会う)学校や会社に通えなくなってきて、ついには完全な引きこもりになったり、
就職(活動)ができない、家庭内でも家族に理解されずに孤立しているなどの場合はいや、そこまで追い込まれる前に!信頼できる精神科医を見つけて心の危機管理をしてもらいましょう。
*都道府県ごとに「精神保健福祉センター」が設置されています。どこに相談して良いかわからない場合はそこに相談するのも良いと思います。

 また、仕事の問題、家庭の問題などを抱えている場合には、市役所や保健所に相談してソーシャルワーカーに相談に乗ってもらうなどの方法をとり、自分を守っていきましょう。法律的な問題は「法テラス」に相談すると良いと思います。

吃音にも打たれ強くしなやかに生きる(再掲載一部改編:初掲載は2006年2月6日)

 どもりには調子の波があります。
 例えば・・・子供のころからどもりで苦労し、言葉では尽くせないような努力の末に(結果として)ことばの調子もよくなり(良くなったと自分では感じられ)、徐々に日常生活にも支障がないようになってきた。
*もちろんその前に、「どもりの重さの違い」という絶対的な問題があります。傍から見て軽く見えるどもりでも自分として生きるか死ぬかの問題になっている場合はいくらでもありますが、日常の簡単な会話でさえ大きくどもるほうが人生に大きく影響することはいうまでもありません。

 さて・・・、最近、電話に出ると自分の名前すらまったく言えなくなってしまった過去の自分がうそのようにしゃべれるようになってきた。
 これで、やっと、今までのどもりの苦しみからも解放され新しい人生が始まる。

 学校を卒業後、数年遅れたが、積極的な就職活動も実り、どもりであるがゆえにあえて避けてきた本来つきたかったしゃべることがメインの仕事にもなんとか就けた。
泣きたいくらいうれしい日々・・・
 しかし、そのような人にも突然、悲劇が訪れます。どもりがもとに戻るのです。
昨日まではよかったのに、今朝から言葉が出てこない。
昨日まで治っていたのに、
「何で自分だけがこんなに不幸なんだ!」
「人生を投げてしまいたい、生きていてもしょうがない、世界で一番不幸なのは私だ!」
こんな経験をしている吃音者は私だけではないでしょう

 しかし、それを乗り越えてきた吃音者には「打たれ強さ」が身につきます。
 また、自分の限界も見えてきます。
 自分の今までの仕事上のトライが自分の言語能力を超えたものであることが心からわかり、
「ここまでとことん努力しても自分はこれくらいはどもるんだね、そうだったら、これからはこう生きていこう。こんな仕事に就こう。」と

 「ある程度以上ある程度未満の重さのどもり」の人生はこんなことの繰り返しです。 少しオーバーかもしれませんが禅僧の修行に似ているかもしれません。
*もっと重い吃音者もいることも、また、ごく軽い人もいることも、「どもりは人それぞれで百人百様」ということを心に留めるべきです。また、吃音者を取り巻く環境(家庭環境・学校環境・職場環境)によっても、どもりが人生に与える悪い影響は大きく変わります。

 どもりの問題に限りませんが、年齢や経験を重ねるごとに、また年齢とは関係なくても自分の考え方を変えることにより・・・、
今までマイナスでしかないと思っていたできごとが、実は人生の重要な一部分と思えるようになるかもしれません。(耐えがたい出来事の連続にどうしようもなくなることもあるでしょう。)

 あせらず、くさらず、少しずつ、決して独りぼっちにならずに、友に愚痴をこぼしながら生きていきましょう。
*そういう話ができる友「親友」を作りましょう。

吃音で悩んでいる人が「悪者」になる現実(再掲載:初掲載は2013年5月23日)

 このブログには簡単な閲覧状況の解析ツールがついています。
 1日の閲覧数やどんなキーワードでここに来たかがわかるくらいの簡単なものですが、「どもり 親 怒る」という検索ワードで見に来てくれた例がありました。

 吃音者の私はすぐピンときます。
「どもりくらいで〇〇ができないなんて甘い」
「世の中にはもっと厳し環境で生きている人がいる」

 もしかしたらこんな言葉を親から投げつけられたのでしょうか。
*さらに程度が悪い親の場合(場合によっては学校の先生も=私が経験しました)は、どもっている我が子をからかってみたり怒る場合もあります。

 どもりは障害です。しかも医学的に原因が分かっていないので、根治療法(投薬、手術)はもちろん確実なリハビリテーション法もありません。

 言えて当たり前の自分の名前がなかなか出てこなかったりします。
例えば「エート、エート、エート、エート・・・すすすずきでですっ」という感じです。
*それでも、ある程度の時間で言えれば良い方ではないでしょうか?

 家族から、我が子が・兄弟が・孫が「どもらない」か「ごく軽いどもり」見られてしまうのは、どもりそうなことばを避けているか(比較的軽い場合)、最低限のことしか話さないからです。
*家族の前では、どもりそうな「名前や会社名」は言う必要はありませんね。

 家庭内での日常会話レベルではわからないないような軽いどもりの(に見える)場合でも、いざ学校や職場に行くと一転、「ある程度以上の重さのどもりを持つ吃音者」となる場合もいくらでもあります。
 仕事の電話や顧客との面と向かっての交渉において、自分の名前や会社名を言い出すまでしばらく時間がかかったり要件を伝えるのに必要以上に時間がかかり、それもどもりどもりということになれば、仕事にもはっきりと支障が出るでしょう。

 学校で先生から指名されるたびに、どもりながらか、最初のことばがなかなか出てこないような状況ならば、本人のこころが追い込まれることはもちろん、陰湿なからかいやいじめに会うこともまれではないでしょう。
 どもっている本人の心はいたたまれません。
*「どもりのために仕事で失敗をする」「どもりを職場で同僚・上司・顧客から指摘される、笑われる」「家庭でもどもりのことで怒られる」、こんなことが重なるとついにはうつ状態からうつ病となり自殺を考えることにもなります。

 もしもいま、こんな状況に置かれているのなら・・・、いや、追い込まれる前に、
★セルフヘルプグループなどに参加してどもりのことを遠慮なく話せる友人を作り、
★心やことばの危機管理をしてもらえるホームドクターとしての精神科医や臨床心理士、言語聴覚士をさがし、
★吃音にまつわる、家庭の問題、学校の問題、職場での問題(過度ないじめ・からかい、パワハラなど)があるならば、その解決を手伝ってくれるソーシャルワーカー、弁護士などを見つけましょう。
*職場でのトラブルなら「労働基準監督署」「弁護士会」「法テラス」、心の問題でどこに相談して良いか迷ったら各県の「精神衛生センター」の利用も考えましょう。

 自分をこれ以上追い込まないように(追い込まれないように)してください。
あなたが悪いのではなくて、ことばの障害で苦しんでいるのですから・・・

*参考:吃音児(者)へのネグレクト(無視)と虐待について(2008年9月10日)