吃音:仕事をする人としての現実(その1現状、その2 仕事とどもり)再掲載一部改編:初掲載は2017年2月12日、17日

 親しくなったおとなの「吃音仲間」で飲んだりするときには、どうしても「どもりと仕事」にまつわる話が多くなります。
*どもりについて遠慮なく話せるほどの親しい「どもり仲間」がいるのか?ということが問題です。3歳の頃よりどもっていた私がどもりについて忌憚なく話せるような友人ができたのは、大卒後就職できずに引きこもった後に通い出した民間のどもり矯正所で、同じような境遇の同じくらいの年齢帯の友人ができたときがはじめてです。(家族とも話はできていませんでした)

 このブログでも「どもりと仕事」は主要なテーマになっています。
*数年前に起きてしまった北海道での吃音をもった男性看護師さんの自殺についても何回か扱っています。 

 さて、TBSで放映されていたキムタク主演の医療ドラマ「a life」
*2017年前半のドラマでした。順天堂大学の天野篤先生を彷彿とさせる心臓外科医が活躍するドラマでした。心臓外科医と言えば、2018年度は二宮くんの「ブラックペアン」がありました。

 ドラマのなかでは医師と看護師との関係が丁寧に描かれていました。
 特に手術室に入るような看護師の的確な動きには、3年前に心臓のカテーテル治療を都内の心臓専門病院で経験した私としては(局部麻酔で意識があり、手術室のなかでのテキパキとしたやり取りを感じていたので)思うところが大です。

 器具の確認をするにも、大きな声で品名と有効期限を読みあげて他のスタッフにも確認してもらいながら進めていく、
 ミスを防ぐためには大切なことなんだなと思いながらドラマをみていました。
*病院では、例えば採血をしたりCTを撮ったりする際、また、診察室に入るときでさえも「フルネームでお名前をおっしゃってください(場合によっては生年月日も)」といわれるのがあたりまえになってきました。吃音者にとってはこれが難関なのです。自分の名前が(なかなか)出てこないのが、ある程度より重い吃音者にとっての「あたりまえの症状」だからです。

 社会人としての「仕事」は、特に、組織のなかで2人以上で仕事をしている場合には、言葉を使うことが大前提になります。

「誰かに何かを確認する」「誰かと話し合って練り上げていく作り上げていく」「交渉により仕事が進む」というように、(職種により言葉を使う頻度は大きく違いますが)誰かと話す(電話をする)ことなしには仕事が進みません。
*世の中ではスマホによるSNS(日本ではLINEなど)が盛んですが、実際のビジネスの現場ではむしろ、人と人との言葉によるコミュニケーションがますます重要になってきています。

 ある程度以上の重さのどもりを持つことにより「話すべきときに話すべき言葉」が(なかなか)出ない場合には、個人の仕事はもちろん、チームとしての仕事にも大きな障害が出ます。
 要するに「仕事ができない」という評価となり、人生に直接及ぶの脅威となります。(職場に居づらくなります)

 ある程度以上の重さのどもりを持った人は学生時代でも言葉を使うアルバイトを避ける(応募できない・したとしても断られる)ことが多いので、このような現実に遭遇するのは、就職活動を始めてからか、コネで入った場合は職場に入ってからとなります。
*もちろん、子供の頃から学生時代までにも大いに苦労しますが、とりあえず親の庇護下にあり、生きていくこと(食べていくこと)はなんとかなります。
ただし、どもることで陰湿ないじめを受けている場合は(いまの学校や教育委員会のずさんな対応を考えるときに)命の危険さえ考える必要があります。

**********************
**********************

その2 仕事とどもり

 このブログには数こそ少ないのですが、どもりで困っている人から深刻なコメントが寄せられます。
 コメントの公開は承認制なので内容がきわめて個人的なものだったり深刻な場合には、公開する前に(公開の可否も含めて)直接やりとりさせていただく場合があります。

 非公開のコメントの内容は「どもりと仕事」「どもりと家族」に関することが多いのです。

例えば・・・
★仕事の日常業務、会議や電話をする場合に言葉が(なかなか)出ずに、「事実上、仕事にならなくなり追い詰められている場合。

 自分の名前、会社名、相手の名前など言えてあたりまえのことが、面と向かってはもちろん電話や社内電話でも(なかなか)言えない。
 さらに追い詰められてうつ病になりいまの仕事をやめることとなり、その後もなかなか再就職できない。現状を家族からも理解されない。
*追い詰められて自殺を考えた、またはその直前までいって思いとどまったという深刻なコメントもあります。

★子供の頃からのどもりに対する家族の無理解、どもるたびに家族から言い直しをさせられたり注意されることの繰り返しが大きなストレスとなりこころに積み重なり、大人になってからの日常生活や家族関係、近所付き合い、子供の学校のPTA活動などの人間関係や話すことに大きな障害となっている場合。

 どもることにより学校で(同級生や先生から)いじめを受けていた、からかわれていたということも、どもりの症状の固定化や悪化、大人になってからのメンタルな問題を引き起こす大きな原因にもなるでしょう。

 ひとりでする仕事ではなくて、組織の中で二人以上で仕事をする場合には(職種により話すことの重要性は大きく違います)、同僚や上司との会話、会議での発言、顧客の前でのプレゼンテーション・交渉、社内・顧客との電話の対応はハキハキしたものでなければなりません
それができなければ事実上仕事になりません。
 特に仕事につきもののクレーム対応においては的確な言葉遣いが必要とされます。
*ここで、「どもってもよい」と考えることは、(もちろん仕事に影響が出ないくらいのものは除きます)仕事の現実を無視したものになります。

 このように、このブログには・・・、
 子供の頃からのどもりによるストレスの積み重なりの結果としての心理的な問題、家族との軋轢、就職・転職がなかなかできない、仕事上での言葉に問題が生じ職務の遂行ができなくなりやめてしまった、追い詰められて自殺を考えている、などというという生の声が寄せられています。

広告

吃音で学校をやめる、会社をやめるという選択はアリか? (再掲載一部改編:初掲載は2012年12月4日)

 (ある程度よりも重い)どもりのために学業や仕事に支障が出てきて「学校をやめる・やめたい」「会社を辞める・辞めたい」ということになることは、吃音者の間では良く聞かれることです。
*80年代末に大卒後も就職できずに民間のどもり矯正所に通っていた私の経験ですが、同じ矯正所に通っていた大学生や専門学校生が中途でやめるのを見るたびに、とても残念に、また、悔しく思ったものです。
*「ある程度よりも重い」ということについてですが、「どもりのほんとうの重さ」は客観的にみた重さや症状だけではわかりません。傍から見てほとんど気がつかないようなどもりでも、本人としては大変な生きづらさを感じていて自殺さえ意識しているところまで追い込まれている場合さえあります。
また、「どもり」どころか、むしろ雄弁にさえ見える人が、特定の語、たとえば自分の名前を言おうとすると、どうしても大きくどもってしまいうまく言えない・なかなかことばが出てこないということも良くあることです。この場合も生きていくうえには(特に事務系・営業系、その他接客するような社会人としては)かなりつらい・生きづらいこととなります。

 さて、吃音者本人から「学校をやめたい、会社を辞めたい」と聞かされた家族はたいていは猛反対します。「なんでやめるんだ!」という話しとなります。
 一生懸命に、「どもりで苦しんでいる」と説明したとしても、たいていは、「その程度のことでやめるとは何事だ!」と怒られるでしょう。
 残念なことですが、家族でさえも、どもりという障害についての認識はその程度です。

 私が大卒後に就職できずに民間の無資格どもり矯正所に通っていた80年代末ごろは、どもるために学校をやめたといっても多くは専門学校や大学だったように思いますが、今はどうなのでしょうか?
 昔とは明らかにちがう陰湿ないじめにより、「不登校」そして「引きこもり」にまで至っているどもりを持った子供は多いのではないでしょうか?
*そのような調査はないので推し量るしかありません。

 たとえそのような例があったとしても、学校側が十分にサポートしているかといえば、はなはだお寒いのが実態ではないのでしょうか?
*どもりに精通していない人が中途半端なアドバイスをすれば、かえって状況が悪化することさえあります。

 社会人の場合では・・・、
 現在の「ことば(どもり)の状態」で入れるところ(職種)に就職せずに、いわゆる「コネ」で就職した場合ですが・・・、
話すことの能力が低いのに(自分のどもりの重さと職場で要求される話し言葉によるコミュニケーション能力の差という意味です)企業の営業系や事務系に入ってしまった場合には、それはもう悲劇です。

 コネ(特に有力者)で入った場合には会社側もなかなか文句が言えませんので、本人そして会社側にとって二重の悲劇になりかねません。
たとえ実力で入ったとしても、面接時に比較的言葉の調子が良くて運良く(運悪く)入った場合には、入ってからの苦労がたいへんなものとなります。

 しかし、どもりの症状や重さも時とともに複雑に変化しますし、また、吃音者を取り巻くまわり(職場・家庭)の状況も刻々と変わってきますから一概には言えません。

 「うまくいった例」を持って「〇〇さんはどもりを持っていながらも歯を食いしばって頑張った、だから〇〇になれた。あなたもがんばれるはずだ!」などということは、いまどもりで困っている人をさらに追い詰めるだけになりかねません。

 いまの就職・社会状況を考えたときに、学校においても、職場においても、吃音者にとってはかなり生きづらい毎日を過ごしていることと思います。
*私が社会時出た80年代末とは明らかに違います。

 特に、「学校や職場で陰湿ないじめにあっていて有効な解決法がない場合」には、精神的に追い込まれて引きこもったり、自殺を考えるなどということにならないように、
 また、「自分のいまのことばの能力」で、「いまの環境」には、努力しても適応できない、生きていけない、自分のこころを追い詰めるだけだと分かった場合には、転校や転職など、環境を変えることを「戦略的」行なうべきです。
*戦略的というのは「とことん追い込まれて突然やめる」というようなことをしないで、次の準備をしつつ自分の決断で良い時期にやめると言うことです。
いまという時代背景を考えると「ただ我慢、我慢でなんとかなる」ということはありません。

 転職・転校などの大きな判断をするには・・・、
★家族のどもりへの最低限の理解があること(子供の場合はもちろん社会人の場合も)
★転職の場合は、しばらくの間無職でいられる蓄えがあるか、または、アルバイトでしのいでいけること(社会人の場合)などの条件が必要です。これはたいへんに重要なことです。

 学校に通っている年齢帯の場合は、学校を辞めてフリースクールという選択肢や、大検という選択肢もあるでしょう。通信制の学校もありますね。
 社会人の場合は、主に体を動かす農林水産業などへの転業、収入は大きく減っても都会から田舎へのアイ・ターンなど大胆な変更も考えるなどの柔軟性も必要でしょう。
*「都会でのサラリーマンがもはや安定職でないこと」は、おわかりのことと思います。

 これらの判断をするために、人生の危機管理のためにも・・・、
 普段からなんでも気軽に相談できるようなアドバイザー(ホームドクター)としての、臨床心理士や精神科医などを見つけておくことが必要です。

 また、これがいちばん重要かもしれませんが、「なんでも話し合える親友」がひとりで良いのでいることが必要です。
*どもりのことを理解し合える親友を得るためにも、どもりのセルフヘルプグループへの参加はとてもよいことです。

 

吃音:季節の変わり目(再掲載一部改編:初掲載は2015年8月29日)

 2~3歳にどもりが始まり、小学3年くらいからははっきりと自覚し悩み始めた私は、小学生くらいから、
春から夏にかけての暖かい時期にはことばの調子が良くなり、秋以降に気温が下がってくると次第に調子が悪くなり、冬には最悪の状態になるという「身体感覚」を持ってきました。
*風邪を引いて体調の悪いときもどもりが悪化する感覚がありました。

 ストーブが必要な冬。寒い教室で、「寒いなあ、こんな日に指名されたら余計どもってしまうなあ!」などと、いままでの経験から「悪い意味でのイメージトレーニング」をしてしまうのでした。

 順番に指名されていくときなどは。もう地獄です。
*小学校高学年のとき、アイスクリームの棒を席順に回して、発表とか教科書を読む順番を決めていました。

 週末に私の前の席でおわり、週明けの月曜日には自分が指名されることがわかっているときなどは、日曜日の昼くらいから次第に不安になってきて、夜には死にたくさえなってきました。
こんなことを思い出す夏の後半です。
*今年はまだ、夏真っ只中、という感じですね。

吃音者を「自己不一致」に陥らせない(陥らない)ことの大切さ (再掲載一部改編:初掲載は2007年3月14日)

 どもる人が自分ですべきこと、また、どもりで困っている人の身近にいる人がサポートできることで優先順位が高いものは、どもりを持つ人を「自己不一致」の状態に陥らせないようにすることです。

 どもることは、(どもらない人には想像もできないほどに)吃音者に耐え切れないほどの苦痛を与えることがあります。

 それは、重さや症状の違い、吃音者が生きている環境の違い、さらには、まわりにいる人(家族・同僚・同級生など)の理解の度合いの違いなどによっても大きく異なってきます。

★考えたくなくても(考えるのをよそうと思うほどに)、24時間常にどもりのことばかり考えてしまい、しゃべることが怖くて仕方がなくなる。

★どもることにより起こる「生きづらさ」を連続的に経験することにより、次第に「生きていくことがつらい、死んでしまった方が楽だ」と思うようになり、うつ病などの深刻なこころの病気になることさえあります。
*自分がそうでした。

 ある程度歳をとってからならば(その年齢までなんとか生きられれば)、
「良い意味でのあきらめも」できてきて、肩の力も抜けてきて、多少は「生き易く」なってくるかも知れませんが、思春期から30代の中ごろくらいまで(私の場合)は、どんなに強がっても心の底では「治したい・そのうちに治る」と思いたいし、また、そのような希望がなければ、とても生きていられない状況でした。

 自分の子供の頃を思い出してみても、
 親やまわりの人が言ってくれる「大人になれば治るよ」という励ましの言葉を疑いを持ちながらもどこかで信じていて、「大人になってもどもっている自分の姿」を想定していませんでした。(したくありませんでした。)
「今はどもって、つらくて恥ずかしい思いをしているが、大人になれば皆と同じように普通にしゃべれるようになるんだ!」と、自分に言い聞かせていました。
*こう思うことで自分の心の平衡をギリギリの線で保っていたような気がします。

 しかし、これも、度が過ぎると、今の自分を生きられなくなります。(自己不一致)
 つらい現実があり夢の世界に逃げ込んでみても、現実の自分は幸せになるどころかますます追い詰められていきます。

 いつも自分のなかに違う自分があり、そこに逃げ込むことで、しばしの安堵感を得るということは心理的にとても危険なことです。心の病になってしまいます。
「どもりが治ってから就職しよう。」
「どもりさえ治れば就職できる。」
「学校の成績が悪いのはどもりのせいだ」

・・・これらのことは、ある意味そのとおりかもしれません。
 どもりのせいでうつ状態になり苦しくて苦しくて・・・
 しかし、自分ではどうしたらよいかわからない。こんな曇りガラスに爪をたててひっかくような毎日をへとへとになりながら生きている人にとって、「どもりでさえなかったらスムーズに就職もできたかもしれないし、明るく自由闊達な学校生活も送れたかもしれない」と思うこと、そういう思いに逃げ込むことは責められることではありません。

 でも、辛いですが、現実の自分はどもっているのです。
 「どもりがなくなった自分を心のなかに作り上げて」それがあるべき自分・本来の自分と考えて、「今現在、実在するどもる自分」を自分自身で否定してみてもよい方向には進むわけがありません。

 どもりが治るまでは・・・できない、どもりが治ってからなら出来ると考えて、今を生きないで人生を先延ばししてみても無為に時間を過ごすだけです。
 つらいですが今のどもる自分で出来ることから動き始めるしかありません。
*でも、矛盾するようですが、ときには、そんなふうに考えてしまう自分も認めてあげることもとても大切なことす。そういう自分も自分の一部なのだから否定されるものではありません。そういうところがないと余計に自分を追い詰めてしまいます。

 理想の自分とは違うかも知れません(どもりがなければ自分の能力ではもっと違うことが出来るはずだ!と思うかもしれません=実際そうかも知れません。)
 でも、バーチャルな自分に軸足を置くのではなくて、今出来ることから始めることが、結果として時間の浪費をせずして自分らしく生きていける最短距離と考えるべきです。

 いろいろと経験された末にどもりの症状がかなり軽くなっている方に出会うことは、セルフヘルプグループなどに参加しているとそれほどまれなことではありません。
 そのような人たちは、軽くなってから動きはじめたのではなくて、地に足が着いている生き方をはじめてから「結果として」吃音の症状が改善されたのです。

 しかし、ここが重要なのですが、吃音の客観的な症状は、結果として改善される人と、そうでない人がいることも事実です。
*「軽くなった人」も突然のぶり返しで、いまの生活に大きな支障が出るということも、当たり前のように起こります。

 何かを成し遂げると必ず症状が軽くなる=そして社会的成功がある、という構図で考えてしまうと、それが、また、自己不一致の原因になってしまいます。

 どもりには、いままで書いてきたような複雑な事情が背景にあります。
 さらに、古くからあり、いまでも形を大きく変えて残っている民間吃音矯正所(のようなもの)の存在や、セルフヘルプグループのなかのいろいろな問題、そして、どもりを専門にする言葉とこころの専門家の質的量的不足が、結果として吃音者に苦しみを与え続けています。

吃音:引きこもりそうなときは(再掲載一部改編:初掲載は2012年5月17日)

 どもりを原因として引きこもりそうな状態になっている、または引きこもってしまったら・・・
 ひきこもるきっかけはこどもから大人までいろいろあります。
 どもりを原因として学校でいじめられた、どもりを原因とした就職の失敗、会社で大きな失敗など、
 引きこもりはじめてそれがあたりまえの毎日になってしまうと、その状態から抜け出てエンジンをかけなおすのはかなり大変なことです。
*経験者ですからわかります。

★まずは、散歩でよいので1日に1回は外に出ましょう。
 15分でも良いと思います。それもいやっだら近所のコンビニに買い物に行くくらいから。
 ちょっと遠くへ歩いて買い物に行くのも良いですね。
 家のなかとは違う景色を見るだけでも、ちょっとずつでも何かが変わってきます。
*最初は自分に過度な負荷をかけないようにしましょう。無理なくできることから。

★朝早く起き規則正しい生活をする(朝日を浴びる)
 朝(毎日一定の時間に)起きて戸を開けて朝日を浴びるだけでも気持ちが違ってきます。何かをはじめようという気持ちになって来るかもしれません。
 朝早く起きて朝日を浴びながら、まだ人影もまばらな近所をウォーキングも良いと思います。
*太陽(特に朝日)の光を浴びることは、うつ病の予防と治療に役立ちます。

★言葉を(メインで)使わないボランティアかアルバイトをはじめる
「ボラバイト」で農作業など体を動かすと良いと思います。
*将来に役立つような、または興味を持った「習い事」をしても良ですね。体を動かすようなこと、歌を歌うような音楽系、
*スポーツクラブで定期的に体を動かすのも良いですね。運動は、うつ状態にならないように予防したり治してくれたりします。

★なかなかできないことですが、家族に「いまの自分の状態」や「いましていること、これからしようとしていること」を話して、できるだけ理解を得ることも大切です。自分が少しでも家のなかにいやすくする工夫です。家族もすこしは安心するでしょう。
 どもりのことを話せる友達がいれば、友達から家族に話してもらう方法もあります。言いにくいことを話せる友達「親友」がいなかったら(大多数かな?)、例えばどもりのセルフヘルプグループに通ってみてはいかがでしょうか? 見つかるかもしれません。

★いつも書いていることですが、心の健康を保つことです。
 日頃から気軽にかかれる何でも話せる、マイ精神科医、臨床心理士などを見つけてください。力強い身方になってくれます。

★親友を持つことです。
 先ほども触れましたが、どもりについて話し合える友を持っている人は少数だと思います。親友はひとりいれば充分です。
 と言っても、どもりをわかってくれる友を探すのは至難の業。
どもりのセルフヘルプグループに行ってみてはいかがでしょうか?

吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る):初掲載は2012年5月5日、お互いに信頼できる吃音者が集まってできること:初掲載は2012年5月13日、(どちらもたびたび再掲載一部改編)

吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る)
 今回は、しばらく書いていなかったどもりに対する直接的な働きかけについて書いてみます。
 テーマとしては・・・、
★「自分がどもること」を、あらためて、心と体でしっかりと受け止めること
★「信頼できるどもり仲間」の間で、安心してどもれる経験を積んで自己肯定感を高めていくこと
★必要に応じてことばの流ちょう性を高める訓練をする、同時にその限界も知る。(どもりの重さや症状によっては、いたずらに流ちょう性を求めないなど、個人差に十分に配慮する)
★いろいろな重さ・症状、環境にある吃音者と語り合い、どもりに対する偏った考え方をなくしていく。
★どもりについての情報を広く社会に発信し、吃音者の本当のこと、本当の苦しみを知ってもらう。同時にネットでの活動の限界も知る。

 これらの動きはサークル的な活動になりますので、運営の仕方が悪いと個人攻撃となってしまうことがあります。十分な注意が必要です。
*「どもりを持っている」と言っても、重さ・症状・バックグラウンドなど実に様々です。この「違い」を十分に考えた上での運営が必要です。

●「ほとんど困らないくらいのごく軽いどもりの方」から、「就学・就職などの節目でも大きな影響が出ないくらいの比較的軽い方」、「日常生活や学校生活、仕事に支障が出る方」、そして「どもることにより引きこもりになったり、うつ病などの心の病気になっているなどのきわめて深刻な方」まで実に様々です。

●また、吃音者が生きている環境も様々です。
どもりに対する家族の理解があるかどうか?、職場や学校でも、どもっている自分のことを受け入れてもらっているか?

活動の具体的な注意点
♥少人数で目的を合わせるとうまくいきやすい。
 最初から本格的な活動を望まないで、やりやすいとことから。
 同じくらいの年齢で、例えば就職、再就職を控えているのになかなか第一歩が踏み出せないというような、同じような境遇にいる人たちで集まるグループ活動がやりやすいでしょう。
 仲間をみつけるには、まずはセルフヘルプグループに参加してみて、そのなかで気の合う仲間をみつけるところからはじめればよいと思います。
 地域の公民館の会議室は低価格で借りられますので活動の拠点にできます。
 携帯やスマホで簡単に連絡を取り合えますので、日程や会場の変更にも柔軟に対応できます。

♥皆が苦手な電話の練習は、お互いの携帯にかけるところからはじめて、次第に家族が出ることもあるお互いの家の電話にかけるようにしていきます。相手がいないときは、104の電話番号調べや企業などのお問い合わせ電話にかけるのも良いでしょう。

♥街なかで、買い物で
 仲間で、あらかじめテーマを設定してから街なかに出て、歩いている人に道を聞く、デパートやスーパーで店員にいろいろと質問をするなど、日常や仕事のなかで話す環境に近い経験をする。
 その際の注意は、「どもらないようにする」というよりも、上手にどもりながらでも結果的に相手(いろいろな反応が出ます)とコミュニケーションをとれることを体験することにより少しずつ自信をつけていく。
 活動が終わってからは、お互いの違いを認めながらざっくばらんに話し合う。

♥サークル感覚で運営し深刻にならないように、
 グループにはバランス感覚に優れた統率力のあるリーダーを置き、個人攻撃的にならないように、「ボス的な人」が出てこないように充分に注意しながら楽しく行う

♥サークルのホームページ、ブログなどを作り情報を発信していく。同時に新しい仲間を集めることもできます。

*************************
*************************

お互いに信頼できる吃音者が集まってできること

 前回の書き込み「吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る)」では、気の合うどもり仲間でできることを書きました。

 いまの日本において、どもりで悩んでいる人がその悩みをすべて打ち明けることができ、また共感を持って持って聞いてもらえる人がいるところ。必要に応じて言葉の流ちょう性を確保するために練習したり、または、いたずらに治そうとしないでうまく共存しようとする、などの、試行錯誤ができる環境はセルフグループしかありません。
 しかし、セルフグループも人の集まりですから、場合によっては人間関係で苦しむことがあるかもしれません。

 既存のセルフヘルプグループに入ってみて自分には合わないと感じたら、我慢などする必要なありません。
余計な苦労をしないように、生きるうえで大切にしたい価値観を共有できる仲間をみつけて自分達なりのセルフヘルプグループを作って活動してください。
*いまではスマホや携帯で互いの連絡が自由に取れるようになったので、既存のどもりセルフヘルプグループにこだわらずに、気の合うどもり仲間を集めて自分達なりの活動ができます。

 さて、私がかつて行っていた方法で書き忘れたものがあります。サイコドラマ(心理劇)です。
 サイコドラマというといかにもぎょうぎょうしくて専門的知識が必要に思えるかもしれませんが簡単です。

 例えば、授業中に指名されて本を読まされるとボロボロになってしまうという、ある程度以上の重さの吃音者にはあたりまえのようにある悩み(私もそうでした)
 そのような場合は、安価で借りられる地域の公民館の会議室を借りてサイコドラマをしてみましょう。

 学校ですから教室のように机といすを並べ替えます。
 先生役の人、同級生役の人、そして困っている本人が「教室」に座り先生役の人から指名されて応えたり、本を読まされたりします。

 大きくどもったり、最初の言葉が出てこないで行き詰まった場合には進行を止めて皆で話し合います、「私の場合はこうしたらよかった」、「こう考えていけば楽になるのでは」などと自由に楽しく話し合うのです。

 注意することは、人格円満で公平公正、リーダーシップをとれる人がリーダーとなり、大きな流れをコントロールすることです。
★個人攻撃にならないように、いろいろな重さ・症状があるこに充分に注意する。
★誰かが一方的なな意見を押しつけることがないように。
★グループ内でボスを作らない。グループ内で先輩も後輩もない、みんな同じ。

 公民館の会議室が教室にもオフィスにも化けるわけです。
 終わってからは楽しく打ち上げしながら話し合えば良いと思います。
*やはり、ネット上のバーチャルな集まりばかりではなくて、実際に顔をつきあわせて語り合うことです。互いが十分に分かってきたところで携帯やスマホで連絡を取り合ったり、仲間でグループのWebページなどを作って情報を発信していけば良いのではないでしょうか。

吃音者が抱える厳しい現実のなかで、どもりについてフランクに話し合える場を持つこと(再掲載一部改編:初掲載は2017年10月17日)

 吃音者が生きるどもりを抱えながらの毎日は(たとえ傍から見てごく軽いどもりに見える場合でも)どもりでない人にはとうてい理解できないような「こころの重圧」を抱えている場合が多いのです。
 さらに、どもりに起因する生活上の問題(家庭内・学校・職場でのコミュニケーションがうまくできないことにより起こるいろいろな不都合)が大きい場合には、生きていく力を失わせるほどの(自殺を考えてしまうような)インパクトを持つ場合があります。(私がそうでした。)

★家庭のなかで、日常的に、言いたいことばが出てこないでことばにするのをやめてしまう。(子供の頃からこの状態が続くとかなりのストレスとなる)

★家庭のなかでかかってきた電話に出ることができない。(家族の前でどもるところを見せたくない)
電話をとっても最初のことば(自分の名字)がなかなか出てこないか、出てきてもどもり特有の繰り返しになる(すすすずきでです)。受けること以上に、自分から電話を(特に家族の前で)かけることができない。

★買い物の際店員さんに自分の名前を言えないので予約を伴うような買い物ができない(レストラン・美容院・マッサージなどの電話予約なども)

★学校や職場での自己紹介の際に、最初に言うべき自分の名前が言えないか、なかなか出てこないで笑われたり、いじめられたり、仕事(職場)の場合は、顧客から上司にクレームが入り担当の変更を要請される。

★学校で先生に指名されても(答えはわかっていても)ことばが出ないので「わかりません」といってしまうか(それすら出ないことも)、テキストの朗読で指名されてもことばが出てこないかしどろもどろになってしまう。(当然、笑われる、クラスメイトや先生からの陰湿ないじめにもつながってくる)

★職場では、かかってきた電話に出ても冒頭に言うべき自社の社名が言えない。当然仕事にも影響が出る。このような状態が続くとさらに追い込まれて職場に居づらくなりやめてしまう。
自分からかける電話が特にどもってしまうので、社内では顧客に対するアポイントなどの電話ができなくなり、外出後に公園のベンチなどでかけるようになる(それでもどもってしどろもどろになってしまう)

★自己紹介はもちろん電話もうまくできないので、就職活動がまともにできない(なかなか踏み切れない)

★能力的には充分あるのだが、どもりのために不本意ながら、しゃべらないで良いか、話すことが最小限で通用する職種に就いた(やっとつけた)。
*小学生は小学生なりの、失業中・求職中の人、社会人(仕事に就いている人)も、その人なり(どもりの重さ・症状の違い、家庭の経済的な環境、家族の理解度の違い)の問題を抱えます。

 一方、吃音者のそばにいる家族、友人、学校の同級生や職場の同僚は、吃音者本人がそれほど苦しい想いを持ちながらギリギリの状態で生きていることが理解できません。(想像すらできません)
 どもることを原因として、しだいに学校や職場を休みがちになる。ついには引きこもりになる。
 学校を卒業しても(なかなか)就職できない、入った会社を辞めてしまってもなかなか転職できない(しない)ことに対して、そばにいる人はついつい厳しいことばをかけてしまうことがあります。
 それが結果として吃音者のこころをさらに追い詰めてしまいます。

 このようななかで、吃音者はどのようにすれば良いのでしょうか?
*どもりはその原因が医学的にわかっていませんので(この先も当分はわからないでしょう)確実な治療法やリハビリテーション方法はありません。(長い間、民間の無資格どもり矯正所「のようなもの」が続いてきたのです。)

 ★「どもりによる様々な生きづらさ」を語り合える環境(友人・グループ・時間)を持つ。
*必要に応じて、それぞれの人生の状況に応じた必要とされることばのスキルを持つため、比較的良い状態をなんとか維持するために、仲間同志で工夫して言語訓練やメンタルトレーニングをする。

 吃音者はどもりのことについてフランクに話し合える友人を持つことが(なかなか)できません。

 なぜならば、自分のどもりについて家族にすら話せないか(ほとんどはそうです)、話したが相手にされなかったり、わかってもらえないという経験を子供の頃から繰り返しているからです。
*学校の同級生に吃音者がいない場合は、どもりを持つ友達を探すことすらできません。
*私も大卒後に、就職できずに引きこもった後に通った民間のどもり矯正所ではじめて、どもりについてまともに話し合える友を得ました。

 なかなかどもりという問題を共有できる友人を得ることができない。
 そこで、考えられるのが・・・、
どもりのセルフヘルプグループに参加して、どもりについて遠慮なく話し合える友人を見つけることです。
*そのセルフヘルプグループになかなか参加できない(決心できない)のが吃音者の気持ちでもあります。

 セルフヘルプグループに参加するようになったら、どもりを持ついろいろな立場の人(年齢の違い、男女の違い、家庭環境の違いなど)の意見をよく聞きましょう。

 その後、セルフヘルプグループの中で、「話しができる人」、「自分の考えに近い人」、「攻撃的でない人(不用意にことばで人を傷つけない)」を探し出し、その人と友人になれば良いと思います。
 仲間同志でいろいろと活動もできると思います。

「吃音にこだわる」と「吃音で困る」の違いは (再掲載一部改編:初掲載は2011年10月22日)

 吃音者(どもり持ち)が生きていく上で・・・、
 どもりに「こだわる」ことをやめて、毎日の生活、つまり「生きていくこと」を優先させていこうという考え方があります。
*どもりの重さの違いや環境(特に子供のときの家庭環境・学校環境・職場環境)の違いによって、こだわり方、こだわる度合いも大きく変わってくるでしょう。

 一方、どもりで悩んでいる人(私もそのひとりですが)と深く話し込んでいくと、どもりに「こだわっている」のではなくて、もっと単純な話しで「どもることで困っている」「生きていくうえでどもることが障害となっている」ということがよく分かります。

 おとなの場合で言えば、
★どもることで仕事に大きな支障が出て困っている。
 顧客とのコミュニケーションに問題が出て自分の仕事やチームとしての仕事に問題が出る。迷惑をかけていて、このままでは職場に居づらいと感じているし、同僚には陰口をたたかれる。
また、上司からも注意される、取引先からも担当の交代を要求される。

★どもるために就職・転職できないで困っている。
どもることにより希望の職種や企業に採用されないこと、どもることで仕事探しがうまくいかずに働こうという意欲がそがれていく。
*他の能力は十分にあるのに、どもりのために希望する職種に就職できないということも含む

★日常生活や親戚付き合いにおけるコミュニケーションに支障が出てこまっている

ということです。

 子供でいえば、
★授業中や休み時間に大きくどもったり分かっていることが言えずに困っている。劣等感にうちひしがれている。

★どもることを笑われたりからかわれたりすることにより恥ずかしい思いをし、劣等感の塊になっている。(クラスメートや先生から陰湿ないじめを受けていることを含む)

★死にたいと思うほど深刻に悩んでいるのに、家族はその想いを受け止めてくれずに困っている。

 つまり、哲学ではなくて生活(生きていくこと)に根ざした問題なのです。
 子供でいえば将来(進路)のことで大きな不安を感じて困っているということ。
大人でいえば、人と関わって、話して、働いてお金を稼いで生きていくのに困る、という問題なのです。

★どもりが軽くなるか治る(そうするために自分でいろいろと努力する)
★ことばで勝負しない仕事に変える
★いじめられている学校から転校する
 などにより、どもることにより困る割合が減るか、減らしていけば、結果的にどもりにこだわる割合も減っていくでしょう。哲学ではなくて身体感覚なのです。
*現実的には、転校先の学校でまたいじめられる、転職先の職場でも同じような苦労をすることもあり得ます。

 それを実現するのにはふた通りあるのではないかと思います。

★ひとつめは、自分の生活環境、仕事環境、生活圏を変えることです。
 都会で追い詰められているのならばUターンやIターンで都会から離れることです。たとえ、収入が大きく減っても、地方でゆったりと過ごすことにより自分が取り戻せるかも知れません。
 また、現在地を離れない場合でも、生活レベルを下げてもよいという覚悟ができれば、ことばの面で必要以上に無理をしない職業に変わるということで困る度合いを減らせます。
 仕事も多様化しています。NPO、NGOなどの利潤追求を第一としないところで働く。農業法人のようなところで働き、ことばで仕事をする度合いを(企業のデスクワークや営業などと比べて)下げてみる。

★もう一つは、自分を、いま生きている環境やこれから生きたい環境に自分を適応させるべく努力することです。
 それには、心理カウンセリング(本人、家族)やリハビリテ-ション(言語訓練)を行なうことにより、どもりを少しでも軽くすることがあります。
 また、仕事に支障が出ないように、どもりの度合いを低いレベルで維持するように努力することも含まれます。
*現実にはどもり(特に思春期以降)に精通した言語聴覚士などは極めて少ないし、その人に出会える方法がないので自分で工夫する必要があります。
例えば「どもりのセルフヘルプグループなどで知り合った気の合う仲間で集まり公民館などの部屋を借りて、どもりそうな場面を再現し、問題点や対策を話しあい考えるサイコドラマと学習会を行なう」のも効果的だと思います。

 自分なりに努力しても、どうしても仕事に支障が出てしまい精神的に耐えられないならば、自分の心と体を守るために、計画的に転職・転業していくことも含まれます。

 しかし、これらがなかなかうまくいかないから、いまに至るまで、ある程度以上の重さの吃音を持つ人は困っているのです。
*背景には、どもりの原因が医学的にわかっていないので確実な治療法がない、効果的なリハビリテーションができない、社会的にどもりの苦しさが認知されていないのでしっかりとした社会的な対策がなされない、ということがあります。

 今回書いてきたことも、「重さや症状の違い」や「生きてきた生きている環境の違い」によって大きく変わってきてしまいます。
 どもりの問題は、ケース毎にすべて違うものだと考える必要があります。
*違うからこそ、吃音者どうしで違いを意識しつつ協同してできることがあるのではないか、と思います。

吃音:自虐的にならないで!よい方向を目指して少しずつ生きていきましょう(再掲載一部改編:2014年3月26日)

 子供の頃からどもりによる様々な苦労を重ねていると、どもること自体を自分の努力不足の結果のように考えがちになり自虐的になってしまいます。
*背景には、親を含む周囲からのそう思わせてしまうようなことば(悪意はないにしても)があると思います。

 親を含むいろいろな人から、「気にしすぎ」とか「もっと苦労している人はいる」のようなことを言われ続けると・・・、
「自分が悪い」「自分の努力不足」のように思うことが日常になりますが、そのような生き方をしていると、どもりの症状そのものにもよい影響があるはずがありません。

 サポートする人の側にも、「自分の考え方を変えれば良い」というような言い方をする人もいますが、まず考えるべきは、どもりは自分のせいではない「言語障害」ということです。
 どもりは一部の生活習慣病のように自分の不注意や不摂生からなったものではありません。
 過剰な被害者意識はよくありませんが、「自分が甘いから乗り越えられない」ような自虐的な考え方はよしましょう。

 それには、「どもりでいま困っているという事実」や、「人生においてどもらない人と比べて明らかに不利なことが多いということ」を自分のこころのなかで素直に思い・感じて、せめて信頼できる人のなかでは思いっきり「こぼせる・愚痴れる」ような環境を努力して作りましょう。
*家族にそれを求めるのは、ほとんどの場合は、無理です。
*ホームドクター的な精神科医や臨床心理士を努力して見つけて定期的に相談するとよいと思います。

 そのうえで、自分(たち)でできることをひとつずつ行っていくことです。
 どもりに熱心に取り組んでいる言語聴覚士に(幸運にも)出会えればその人の力を借りても良いでしょうし、
 また、信頼できるどもり仲間を作り、その仲間と小さなセルフヘルプグループを作り自分たちなりの目標を作って活動するとよいと思います。

 自分なりの努力をしていくなかで、それでも、「どもりがなかなか治らない」、「軽くならない」、「学校や仕事において明らかな問題点が出てくる」という現実に向かい合ったときに、自虐的でない、良い意味でのどもることに対する自分なりの考え方が少しずつ固まってくるかもしれません。
 その際には、ひとりで良いので、どもりのことをすべて話せる親友が必要です。

吃音(ある程度より重い)で、授業中にふるえている少年少女や、就職を控え不安でいっぱいの人の心をなえさせないために(たびたび再掲載一部改編:初掲載は2010年7月13日)

 日本人は、(自分もそうですが)、今でもなお、がんばることが好きです。努力家です。
 今の時期(時代)に書くと否定的に聞こえるかもしれませんが、人生においてがんばることは大切で、昨日の自分よりも今日の自分は少しでも前に進もうという気持ちがないと、多くの場合人生が停滞してしまうでしょう。
*例外が福祉の領域だと思います。心や体に重い障害を持っている人に、障害を持っている部分で必要以上に「がんばることを求める」ことはもってのほかです。その人なりの得意分野で無理のないように徐々に社会参加ができるようにサポートすることが、国や自治体、そして近くにいる人たちの使命ではないでしょうか。

 さて、いつも書いているように、どもりには重いどもりと軽いどもりがあります。そして、その症状も実に様々です。

 比較的軽いどもりの場合には、(そして、吃音者と家族やサポートする側とで信頼関係がある場合は)、場合によってはあえて叱咤激励することにより「最初の一歩」を踏み出せるように手伝うことも考えられますが、重いどもりの場合には、叱咤激励が全く逆に作用することになるかもしれません。

 耐え難いようなどもりの悩みをを抱えながらも、こころの面、言語面において満足するサポートが得られないことが多い(高校生以降は事実上なし)日本においては、孤立無援の状態で、無理をしてでも学校に通ったり就職活動したり、働いたりせざるを得ないのが現状です。
*本当にしんどい場合には無理をしようとしても足が向かなくなりますが、そこまで我慢したらたいていはうつ病などの心の病気になってしまいます。
心の病気になると多くの時間を病気との闘いのためにとられてしまいますし、回復にはかなりの時間がかかります。

 TVのニュースなどでは、毎日のように家族や会社内の人間関係からの凄惨な殺人などが報道されます。
 以前だったら破壊的な結果になる前にご近所や親戚など近くの人が助けてくれたりなどの最低限の「安全装置」がありましたが、いまは、世の中のいろいろな場面で「いきなりに限度を超えてしまって破滅的な結果に終わる場合」が多いようです。

 どもりについても、以前(1970年代くらいまで)の日本では、学校を出てもどもりでなかなか就職ができなかったら、ご近所や親戚の紹介で就職することもできたでしょうし、都市近郊でも、いわゆる会社員のほかにも農業に従事したり家業を継ぐなどの方法もあり、それで生きていくことができました。
 しかし、今ではそういう選択肢もなくなってきました。
 たとえ、あったとしても「ジリ貧」になってしまいます。食べていけないのです。

 また、家族や友人間のコミュニケーションの量が減り質も落ちているので、どもりで本当に困っている人の苦しみや孤独感がまわりに伝わらないことが多く、精神的に追い詰められている吃音者が多いのではないかと思います。
*スマホなどでの見かけ上のコミュニケーションの量は飛躍的に増えているでしょうが、たわいのないやりとりばかりで、「人にはなかなか言えないようなことをざっくばらんに話せるというレベルのコミュニケーションや人間関係」が減っているのです。

 いまこのときにも「自殺」することばかり考えているような、深刻に悩んでいる吃音者がどれくらいいるでしょうか?
 サポートする側は、「悩んでいる人ほど孤独になる」ということを考えた上で動かなくてはいけません。

 ではどうすればよいでしょうか?
 吃音者がどもりのために自暴自棄になってしまうまえに、まわりの人ができることは・・・、
★身近にいるどもりを持っている人が(たとえ軽く聞こえるどもりでも)、「もしかしたら、思い詰めていて自殺を考えるほど悩んでいるかもしれない」と考えてみること。
★進学、就職などの人生の節目においては特に、どもりを持っている人は100%悩んでいるという前提のもとに動くこと。

 まわりにいる人ができることは、「まずは、ひたすら吃音者の言葉を傾聴することにより信頼関係を築くこと」「そして共感すること」
「(信頼関係を築いた上で)、どうすれば良いかを一緒に考えること」です。

*どもりを原因としたうつ病経験者でもある私としては、うつにも同じような考え方ができるのではないかと思います。日本のうつ病に対する体制、短い診療時間と安易な薬の投与ではなかなか治らない。バブル崩壊以降、国民病といわれているうつ病に対する日本の取り組みの問題点がTV、新聞、雑誌等でたびたび取り上げられているにもかかわらず、一向に改善される気配すらないのには怒りすら覚えます。