真面目で向上心のある吃音者がむしろ追い込まれる(たびたび再掲載一部改編:初掲載は2018年10月26日)

 2013年のことですが、北海道の看護士の男性が吃音を苦に自殺したとの報道に接しました。
第一報は、当時このブログにコメントを書き込んでいただいた方のお知らせで知りました。北海道の放送局のニュース映像で見た記憶があります。
 報道ベースの内容しか知りませんが、普段からセルフヘルプグループに積極的に参加して前向きに活動していた方らしいです。真面目な男性看護師が病院に入り業務のなかでしだいに追い込まれていき、ついには自殺という悲劇的な結末で終わってしまった。

 どもりを持ちながら仕事をしている多くの方にとっては、このことは人ごとではありませんでした。(なかなか仕事に就けない方も含めて)
 営業系や事務系の職種で直接に、または電話で話すことがあたりまえにある方にとってはもちろん、営業系、事務系ではなくてどんな職場でも、それなりに人とのことばによるやりとりはありますので、自殺報道が自分のことのようにつらく感じた方も多かったと思います。

 いまさら言うまでもありませんが、現実の社会では、学校でのいじめ、職場でのパワハラ、過労からくる鬱などが蔓延しています。
学校でのいじめは、相変わらずの学校側に逃げ腰や隠蔽体質があります。
職場(特に中小・零細企業)では、働き方改革という言葉とはほど遠い日本の労働環境です。
 こんな状況下で、どもり持ちにはどれほどのれほどのストレスがかかっていることでしょうか?
ましてや、3年続いたコロナ禍で、家庭、学校、職場など、いろいろなところで人間関係のひずみが大きくなっています。

「言葉で伝える」ということは生活や仕事の基本です。
できるだけ話さない仕事を選んだつもりで入った現場でも思ったよりも話をする、言葉で伝えることが多くて、それに耐えられずに途中で辞めてしまう方もいらっしゃいます。

 医療系の仕事は、間違いがあると人の命に関わるので、声を出しての確認・確認の繰り返しでしょう。ある意味、究極の「ハキハキ」が求められます。
*患者として病院にかかるだけでも充分にわかります。

 そのような仕事の現実を無視して、吃音を語っても説得力がありません。

 以前もも少し書きましたが、どもりを苦に自殺した方の事例のなかにこそ、社会のなかで生きていく吃音者の生きづらさ・問題点が凝縮されていると思います。

 耐えがたいような現実の厳しさにぶつかりながらも、それでもセルフヘルプグループなど会合の場では前向きな発言をして、かえって自分を追い込んでしまい、こころが折れてしまうようなことがないように・・・、

 極端な悲観はいけませんが、根拠のない(はっきりしない)楽観はそれ以上に危険です。
 現実を生きる吃音者が、負のスパイラルに陥ったままにならないようにするにはどうしたら良いかを考えていくことこそが、どもりを苦に自殺した方々へのせめてもの供養になると思います。

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