★小学生の頃★
どもりを持った子供が自然に治らずに小学生になり、徐々にどもりであることを意識し始める2~3年生、
授業中に先生に指名されても本が(うまく)読めなくなり、
先生の質問に答えようとしても、最初のことばがなかなか出てこなくなるなどのことが続くと・・・、
そのどもりは「単なる症状」の域を超えて2次的な「心理的などもり」へと進んでしまいます。
*人によってはもっと小さな頃からこうなることもあるでしょう。
その背景には他者の関与があると思います。
学校では、どもるたびに同級生に笑われたりまねをされることもあるでしょう。
そのようなことをする同級生に先生が注意をしたとしても、注意の仕方によっては、かえって陰湿ないじめになるかもしれません。(ネットも含めた)
そのうえ・・・、
学校から家に帰ったときに悩みを素直に打ち明けられるような家庭ならば良いのですが、忙しいことを言い訳に我が子の悩みに無関心を装ったり、かえって厳しい言葉を発してしまうとか・・・、
どもる度に「ゆっくりしゃべりなさい」と注意、どもったことばを言い直しをさせるようなことで、かえってどもりを過剰に意識させるようになってしまいます。
この時期は、本人の心構えというよりは、まわりがどのようにサポートするかということが重要となります。
学校では、友達に理解を求めて傷つくような言葉を発しないようにすることなど実際には不可能です。
また、どもりを持つ子供の心理まで研究してくれ対処してくれる先生はどれほどいるでしょうか?
*それでなくても雑用で忙しい先生ですから。
*それでも、親として、先生に対して子供がどもりで悩んでいることを相談しておくことは必要だと思います。
一方、家庭においては、家族の努力で、どもりを持つ子供が「居やすい」「心休まるところ」とすることができます。(学校では間違いなく神経をすり減らして帰ってきていますから)
それはどもりで悩んでいる我が子を甘やかせということではなくて、むしろ質実剛健な雰囲気のなかで育てればいいでしょう。
どもる度にいちいち注意するようなことはせずに、ゆったりとした雰囲気の家庭にすることを心がけるのがいちばんです。
親もゆっくりとしゃべることを心がけ、笑いが絶えないような家庭を目指してください。
子供のほうから、「どもりでこんなふうに悩んでいる」「きょうはどもって笑われてしまった」などと、わだかまりなく悩みを打ち明けられるような家庭になればしめたものです。
*実際は、こんな家庭はきわめて少数です。
これらのことと平行して、
探すのに時間はかかると思いますが、どもりに関心を持ってくれている心や言葉の専門家である言語聴覚士や臨床心理士、精神科医に相談すると良いと思います。
*本当は、吃音児の心理を知り臨床経験豊富な言語聴覚士や臨床心理士、精神科医などが日常的に通える範囲にいて、カウンセリングのほか、必要に応じて適切な言語訓練なども受けられるような体制があればよいのですが、いまの日本には事実上ありません。
★吃音を持つ子供にとっての思春期は★
思春期は一般的にいってもいろいろと大変な時期です。
友達関係、勉強、クラブ活動、受験など、あらゆることがダイナミックに変わる時期であるだけに、障害のない人にとっても大変な時期だと思います。
どもりを持っている子供にとってはどうなのでしょう?
学校生活(授業、クラブ活動、委員会活動など)はまさにしゃべることの連続です。
授業中には先生の質問に答えたり、指名されてテキストを音読したり、まさに、声に出してしゃべる・発表することが毎日の仕事というような、いまになって振り返ってみてもぞっとする地獄のような日々です。(いまでも良く夢に見ます)
私の場合は、最初の言葉がブロックされて出ないタイプ、それもかなり神経質などもりでしたので、調子の悪いときは指名されても立ちんぼで「しゃべれない」こととなり、「わざとしゃべらない」と思われてしまうような状態になるのです。
元々の性格が引っ込み思案ならば良かったのかもしれませんが、自分の意見をはっきりと述べたい目立ちたいタイプの子供だったので、
また、調子がよいときにはほとんどどもらないこともあるような調子の波の振幅が大きいどもりだったので、
「言いたいことがたくさんあるのにそれが言えない」ということがフラストレーションとなり、また、深刻な家庭内不和がある環境も背景にあり、いま考えると明らかに強迫神経症に陥っていました。
*しかし、当時(70年代~80年代初頭)は、精神科・神経科に行こうなどとは夢にも思いませんでした。精神科という言葉自体に拒否反応がありました。
そのような毎日の繰り返しに、よく耐えてきたと思います。
「自殺」ということばを常に懐にしまっている子供でしたが、中学・高校の頃はまだ心に柔軟性(のびしろ)があったのでしょう。我ながらよく耐えてきたと思います。
調査資料などはありませんが、耐えきれずに自殺の道を選ぶ子供はどれくらいいるのでしょうか?
インターネットが一般的になった今日、ごくまれに、我が子や兄弟を吃音の悩みによる自殺で亡くした書き込みに接することがあります。
では、思春期(小学校高学年~高校生くらい)にある、どもりで悩んでいる子供はどうすればよいのでしょうか?
また、そのような子供を持つ親はどうすればよいのでしょうか?
*いい歳になったいまでも、思春期の頃のことを書き始めると心が大きく揺さぶられます。つらい出来事がフラッシュバックします。自分にとってよほどつ辛く、しかも、それを誰にも言えない時期でした。よく、自殺しなかったなと思います。
★自分でできること
これは、今の年齢になっているからこそ言えることかもしれません。
実際に、思春期まっただ中でどもりで悩んでいる皆さんは、こんなふうに冷静に考えることができずに心がフリーズしてるかもしれません。
*いまの私が、当時の私のところにタイムスリップしてアドバイスするつもりで書きます。
1、10歳代なんて人生始まったばかりです。 若い頃にたとえ数年間のつまずきがあったとしてもたいしたことはないのです。(でも、その頃には、なかなか、それはわかりませんね。)
2、「ジコチュウ」で生きましょう。自分を責めるように生きている場合が多いのでそれでちょうどよいかもしれません。
3、「家」や「親」に必要以上に気を遣うことはやめましょう。親は先に死んじゃうので自分のこれからの人生を最後まで責任とってくれません。(難しいことですが)どもっている本当の自分を親に見せましょう。
4、自分のことは自分がいちばんわかっています。常に自分を冷静に分析する習慣をつけましよう。
5、どもりを持ちながら学校に行くのが耐えられないくらいに苦しいのならば、我慢せずにいかなくなるのもひとつの方法です。上の学校に進むには他の方法もあります。人は苦しむために生きているのではありません。
*引きこもってしまってからでは自分の心が自由にならなくなります。その前にぜひ信用できる誰かに(いなかったらこころの電話等の相談先に)相談してください。
6、ひとりで良いので、安心して自分の心の内をさらけ出せる人を確保することです。
7、悩みを素直にぶつけられる「マイ精神科医」、「マイ臨床心理士」、「マイ言語聴覚士」を見つけてください。
8、必要に応じてどもりのセルフヘルプグループに参加してみましょう。相談会やキャンプなどで是非同じ悩みを持っている友達を作ってください。
★親ができること
1、もしも子供がどもりの苦しさを訴えてきたら、傾聴しましょう。
2、親からみて子供がどもっていれば、その子は間違いなく悩んでいます。
3、子供のどもりを軽く見ないで、場合によってはその子の人生を大きく変えてしまうかもしれないくらいに考えてください。深刻にならないで真剣になってください。
4、民間療法やご近所情報などのインチキ情報に振り回されないことです。我が子のどもりを本当に心配しているならば、日本中、世界中の権威者を探すくらいの真剣さが必要です。その気持ちは子供に伝わります。
5、甘やかす必要はありません。質実剛健な家庭を作って家庭のなかは努めて明るくすがすがしくしましょう。
★吃音者にとっての思春期後期★
思春期後期、ここでは高校生から大学時代前半くらいとして考えます。
どもりを持ったまま高校生に。
本来は楽しい高校生活かもしれませんが、進学や就職がだんだん近づいてくるということを実感する頃です。
高校もいろいろですが、進学校に入れば入った直後から熾烈な競争のなかに放り込まれますし、学級崩壊(学校崩壊)しているようなところに入っても別の苦労があります。
私の記憶のなかにあるのは、合格が決まり3月中に行われたオリエンテーション時に、名前の申告でどもってしまったこと。
いまでも覚えているということは余程のトラウマになっているのだと思います。 そのときには、「これじゃあ高校生活も大変だな」と暗澹たる気持ちになりました。
高校でも相変わらず(今まで以上に)授業中の恐怖は続くでしょう。
特に国語関係のテキストを読まされるときは如何ともしがたいです。
「源氏物語」をどもりまくって読んでみても・・・。
★思春期後期を迎えた吃音者にアドバイスするとすれば、
1、授業中、いつ指名されてテキストを読まされるかと震えているのでは肝心な勉強に身が入りません。
思い切って先生に言って教科書を読む時に指名しないようにしてもらうのもひとつの方法ですが、いろいろな意味で微妙なところです。そのあたりも考えながらの対策となります。
いまの時点での考えですが、そして、あくまでも家庭に理解があり経済的にもクリアーされればですが、
いまの学校生活がどもることにより耐え難いものならば、思い切ってやめて、大検のコースに進む方法もあります。
それはそれで大変かもしれませんが、精神的に救われるのならばそういうコースを選択することも考えてよいと思います。
心の病気になってしまうと回復に時間がかかります。
2、少しでも言葉の流暢性を向上させたい 毎日の学校生活で言葉の問題に直面せざるを得ない人の正直な気持ちでしょう。
*もちろん、そう思わない方もいると思います。
しかし、そういう思いに対応する、公的・専門的な立場からの組織的なサポートはありません。
そこで考えられるのが、自分たちで「サークル」を立ち上げることです。
仲間どうして専門書を読みあって勉強しても良いでしょうし、国内外の心や言葉の専門家を訪ねてみるのも良いでしょう。
仲間内で工夫して心理面のサポートシステムを作っても良いし、いろいろと工夫しながら言語訓練をやってみるのも良いですね。
私の場合はグループでサイコドラマを行いました。(成人して大卒後からですが)
公民館の部屋を借りて授業中やオフィスを再現し、どもる場面を再現しながら皆で対処方法を考えていきました。
この活動の特徴は、客観的にみた症状は変わらなくても、なぜか、「自分はだいぶ軽くなったと」言い、アクティブに活動できるように元気になってくるのです。
自分たちだけでグループを作るのが難しかったら、既存のセルプヘルプグループ主催で開かれる若い人向けの集まりなどに積極的に参加して、徐々に友達を増やしていけば無理なく作れます。
3、心やことばのホームドクターを持ちましょう
20世紀には考えられませんでしたが、いまでは、特に都市部では、近年のうつ病の大流行もあり精神科や神経科は敷居がかなり低くなりました。
こころを診てくれる専門家である精神科医や神経科医。彼らのスタッフであることの多い臨床心理士。自分のことをよくわかってくれている先生を確保しておいて、定期的に診てもらいましょう。
しかし彼らは、どもりの知識は驚くほどないのが現状です。
こちらから吃音者の気持ちを丁寧に説明してあげることです。
日記を書いてそれを見せてあげれば、説明下手な吃音者にはよいと思います。精神科医の立場でいろいろと考えてくれます。
精神・神経科の病院を選ぶ時の注意事項ですが、先生が一人しかいないところよりも複数いる中規模の病院が良いと思います。 精神科医は特に相性が重要ですから、合わない場合は変更できるところが良いと思います。 精神科医と臨床心理士がチームを組んでいて、最初は精神科医に診てもらい、その後は臨床心理士の時間をかけたカウンセリングを受けられるような病院もあります。
*大学病院などの大病院は常に込んでいて短時間の診療になりがちです。
とにかく、できるだけ多くの情報を得て自分にあった先生や病院を見つけてください。
4、現実を見つめながら将来を考えること
近い将来のある日突然にどもりが治るということは、この時期までどもり続けてきたわけですから考えにくいと思います。
いまどもっている自分をとりあえずでも自分の心の中で認めてあげて将来設計をしていくと無理がありません。
徐々に「自分にとってのよい方向」に向かえばよい、人生何回でもやり直しがきく。これくらいのこころの柔軟性をもって、いまできることを着実にこなしていくのがよいと思います。
その際にも必要なのは、何でも話せる「親友」です。親友はひとりいれば十分です。生涯を通しての友人となるでしょう。