2013年、北海道の看護師の男性が吃音を苦に自殺したとの報道に接しました。
第一報は当時このブログに書き込んでいただいたコメントで知りました。
確か北海道の放送局のニュース映像で見た記憶があります。
報道ベースの内容しか知りませんが、普段からセルフヘルプグループに積極的に参加して前向きに活動していた方らしいです。
真面目な男性看護師が病院に入り業務のなかでしだいに追い込まれてついには自殺という悲劇的な結末で終わってしまった。
どもりを持ちながら仕事をしている多くの方にとってはこのことは人ごとではありませんでした。
特に営業系や事務系の職種で、同僚や上司と、また顧客に直接や電話であたりまえのように話すことがあたりまえにある方にとっては、自分のことのように感じた方も多かったと思います。
今さら言うまでもありませんが、現実の社会では、学校でのいじめ、職場でのパワハラ、過労からくる鬱などが蔓延しています。
学校でのいじめは、相変わらずの学校側に逃げ腰や隠蔽体質があり、
働き方改革という言葉とはほど遠い日本の労働環境です。
こんな状況下ででどもり持ちにはどれほどのれほどのストレスがかかっているでしょうか?
「言葉で伝える」ということは仕事の基本です。
できるだけ話さない仕事を選んだつもりで入った現場での仕事でも、思ったよりも話をする、言葉で伝えることが多くて、それに耐えられずに途中で辞めてしまう方もいらっしゃいます。
医療系の仕事は、間違いがあると人の命に関わるので、声を出しての確認・確認の繰り返しでしょう。ある意味、究極の「ハキハキ」が求められます。
*患者として病院にかかるだけでも充分にわかります。
そのような仕事の現実を無視して、吃音を語っても説得力がありません。
先日も少し書きましたが、どもりを苦に自殺した方の事例のなかにこそ、社会のなかで生きていく吃音者の生きづらさ・問題点が凝縮されていると思います。
現実の厳しさにぶつかりながらも、それでもセルフヘルプグループなどの場で前向きな発言をしてかえってこころが折れてしまうようなことがないように、
負のスパイラルに陥ったままにならないように考えていくことこそが、どもりを苦に自殺した方々へのせめてもの供養になると思います。
公的機関のジョブコーチに相談して、中に入ってもらい、どのような配慮が必要かということを
企業側と調整できれば、死ななかったのにと思います