どもりには波があります。
子供のころからどもりで苦労し、言葉では尽くせないような努力の末に調子もよくなり、徐々に日常生活にも支障がないようになってくる・・・
電話に出ると自分の名前すらまったく言えなくなってしまった過去の自分がうそのようにできるようになってきた。
これで、やっと、今までのどもりの苦しみからも解放され新しい人生が始まる。
学校卒業後同級生とは5年遅れたが、積極的な就職活動も実り、どもりであるがゆえにあえて避けてきた、本来つきたかった、しゃべることがメインの仕事に就けた。
泣きたいくらいうれしい日々・・・・
しかし、突然、調子がもとに戻ることがあります。昨日まではよかったのに、今朝から言葉が出てこない。
昨日まで治っていたのに、何で自分だけがこんなに不幸なんだ!
投げてしまいたい、生きていてもしょうがない、世界で一番不幸なのは私だ!
こんな経験をしている吃音者(元吃音者)は私だけではないでしょう
しかし、それを乗り越えてきた吃音者には本当の強さが身につきます。
また、場合によっては、自分の今までの仕事上のトライが自分の言語能力を超えたものであることが心からわかり(言葉の上での)自分の限界も見えてくるかもしれません。
「ここまでとことん努力しても自分はこれくらいはどもるんだね、そうだったら、これからはこう生きていこう。こんな仕事に就こう。」と
ある程度以上ある程度未満の重症度のどもりの人生はこんなことの繰り返しです。
少しオーバーかもしれませんが禅僧の修行に似ているかもしれません。
(*もっと重い吃音者のいることも、また、ごく軽い人もいることも心に留めるべきです)
どもりの問題に限りませんが、年齢や経験とともに、また年齢とは関係なく自分の考え方により、今までマイナスと思っていたできごとが、実は人生の宝物と思えるようになるかもしれません。
あせらず、くさらず、少しずつ、
決して独りぼっちにならずに、たまには友に愚痴をこぼしながら生きていきましょう。
吃音不幸でしかない 普通の人よりは楽しいが少ない 惨め 恥 なんとなく生きてる 他の障害なら良かった