卒業式のシーズンの吃音者(どもりを持つた人)は

 いま頃になると、1980年代末、大卒後も就職できずに民間のどもり矯正所に通っていた自分を思い出します。

 その時期は暗かった時期かというと実はそうでもないのです。

 なぜかというと、いままで誰にも言えなかったどもりの悩みを思う存分話し合える仲間をはじめて見つけたからです。
*私がどもりを自覚しはじめた(悩み出した)のは小学校の3年くらいです。親が言うには3歳くらいからどもり始めたようですが、学校で本をよまされたり、発表をするたびにどもるので笑われたりしているうちに3年生くらいになって悩み出したのでしょう。

 1990年代中頃くらいまでは、都内には民間のどもり矯正所(無資格のものです)が数カ所ありました。
 その多くは昭和30年代くらいからはじまったのでしょうか。
 なかには戦前からあった有名な?矯正所もあり、漫画雑誌や週刊誌に小さな広告が載っていたり電信柱に広告が貼ってあったりもしました。(なんともアナログな時代です)

 卒業の時期の3月や夏休みになると、全国から泊まりがけで都内のどもり矯正所に来る人たちがいて彼らと仲良くなったりしたものです。
 当時の民間矯正所については、いままで何回も書いてきたように、多くの問題を抱えていましたが、ひとつだけ良かったことはどもりについてなんでも話せる友が得られたことでした。
*いまでは、どもりのセルフヘルプグループがその役を果たしているのでしょう。

吃音:理解してもらえない人たちのなかで自分(の人生を)を見失わないためには(たびたび再掲載:初掲載は2014年12月23日)

どもり・・・、
 それも日常のコミュニケーションに支障が出るような重さや症状のどもりか、
または、傍から見て気づかないくらいの軽いどもりでも自分としては深く悩んでいる場合は・・・、
 どもりでない人にはなかなか理解できないことですが、一年中、24時間が辛い人生かもしれません。
*私の場合は、小学生(3年生くらいかな)の頃からはっきりと自覚し悩みました。授業での発表時や教科書を読まされるときの恐怖から、少しの間だけでも逃れられる週末や長期の休みは心が安まりました。(家ではしゃべらなくても良いからです。しかし明日は学校のある日曜の夜や長期の休みの最後の日はとても辛い時間でした)
就職してからは(特に自分の名前よりも言いやすい会社名の職場にいたときは)あえて休日出勤してでも仕事の電話をして言葉の調子を整えていました

 さて・・・、私もそうで、このブログにコメントを寄せていただく方の多くもそうなのですが・・・、
子供の頃からのどもることによる様々な悩みを、いちばん身近にいて理解してくれていても良さそうな家族(配偶者、親・兄弟、祖父母)が、実はいちばん分かってくれていないことが多い、ということについて考えます。

 生活の基盤である家庭において、どもりの苦しさを家族に理解してもらえていないことによるストレスはたいへんなものです。

 特に子供のうちからそれを経験することは、そのストレスが(今後の)人生に与える悪影響は大きなものがあると思います。

 自分の「努力」の外にある「どもる」ということ。
(緊張しやすいから、恥ずかしがり屋なのでどもるのではありません。一般的にはそんなイメージですね。むしろ、それらはどもることで、あとからついてくる症状です。)

 日常の簡単な挨拶、
 様々な場面(対面・電話)で自分の名前を言うこと、
 授業中に指名されて教科書を読むこと、指名されて質問に答えること、など、

 日常、当たり前のように繰り返されることができないか、できにくいという「どもりという言語障害」の性質を考えるときに、まじめに努力しようとしている人ほど、そのこころは腐りやすく、生きる力をなえさせるのではないでしょうか。

「下手な治す努力」や精神論は、吃音者をかえって落ち込ませます。
戦後(一部は戦前から)から90年代前半くらいまで連綿と続いてきた、日本の民間無資格どもり矯正所で行われていた方法などはその良い例です。

 いっぽうで、どもり矯正所は、そこでの「訓練」よりも、同じどもりという悩みを持った仲間とはじめて出会えて、こころのなかのことを、なんのためらいもなく語り合えるという意味では「結果的にですが」大きな意味がありました。
 しかし、費用が高すぎるのと、そこで治った良くなったと称する一部の人がサクラ的に介在して、高い費用を払って遠方からきた悩める吃音者の多くを結果的に落胆させてしまったという大きな問題点がありました。(どもり矯正所の功罪については何回か書いています。)
 いまでは、同じ悩みを持った人と出会えるのはどもりのセルフヘルプグループがその役割を果たしています。

 吃音者を取り巻く環境は、残念ながらいまでも、大きくは変わっていません。
 例えば、街なかに、どもりで悩んでいる人が日常的に気軽に通えるような言語クリニックはありません。
「どもりに精通した言語聴覚士や臨床心理士、精神科医などがかかわり、どもることによる生きずらさをサポートするソーシャルワーカーなども関わってくれる」
そんな組織(病院、公的機関、など)は存在しません。
*たとえ日本に数カ所あったとしても、日常的に通える範囲にないと、それはないのと同じことです。

 こんな現実のなかで我々吃音者ができることは

★子供の場合は、学校(小中学校)の通級教室である「ことばの教室」のサービスですが、しっかりと受けられているでしょうか?
 そこではどもりに精通した専門家の指導が継続的に受けられていているでしょうか?
 子供本人ははもちろん親御さんもしっかりとしたカウンセリングや相談が受けられる体制になっていますか? チェックしてください。

★まずは、セルフヘルプグループなどを利用して、どもりについてなんでも話し合える自分のことを話せる友人を作ることです。
 そして、必要に応じて彼らと小グループを作りいろいろと動いてみることでいろいろと見えてくるものがあります。

 こども(小・中・高校)の場合は、セルフヘルプグループが主催するこども向けの集まり等を利用して同じ悩みを持つ友人を作ることができますし、親御さんも交流できるでしょう。

★どもりで悩んでいる自分のこころが危機に陥らないように(うつ病などのこころの病気や、不登校や引きこもりにならないように)、危機管理のために、ホームドクター的な精神科医や臨床心理士を見つけて日常的にカウンセリングを受け心の健康を保つことができます。

★家庭内や学校・職場の人間関係に問題がある場合(どもりによるいじめ、からかい、パワハラ)は、年齢や立場に応じて、児童相談所、公的な相談の電話、弁護士会、法テラス、役所のソーシャルワーカーなどを利用して問題の解決を図ることができます。

 工夫して、少しづつで良いので、良い方向に向かうようにがんばっていきましょう。

小学生のこどもに自殺を考えさせるほどの吃音のつらさとは(再掲載一部改編:初掲載は2012年5月27日)

 今回のテーマ
「小学生のこどもに自殺を考えさせるほどの吃音のつらさとは」
 は、刺激的ですが、どもりでない方やどもりの子供を持つ親御さんを脅かすためのではありません。

 どもりのセルフヘルプグループに参加して(かつては小さなグループを結成してみて)、吃音者どうしでだいぶ仲良くなってからの飲み会などでの「本音トーク」で、はじめて出てくる話です。
*親の前、学校の友達の前、学校の先生の前では決して言わなかった話です。
*幼稚園の頃から悩んでいて自殺を考えていた、という女子大生に会ったときには、さすがに驚いたものです。

 例えば小学生のどもりを持った子が毎日の学校生活のなかで・・・、
 休み時間に友達と話すときも授業中に発表するときにも、すべての状況で「これから発することばはどもるだろうか?」と恐怖を感じ、
実際にことばに出そうとしても最初のことばが出てこなかったり「どもりどもりのことば」が断片的にしか出てこなかったら・・・
クラスメイトや先生の視線や反応(笑い・からかい)も含めて、
こんなことが日常だったら、子供の小さな心はどうなるでしょう?

 こんな経験をした子が、誰にも言えなかったこころの中に突き刺さったとげを、大人になってからなんでも話せる同じ悩みを持つ仲間をもってから、はじめて言えるようになるのです。
*本当は、困っていたそのときに「自分はどもりで自殺を考えるほど悩んでいるんだ!」と言える環境(言語聴覚士、精神科医などの専門家、学校の先生、親、誰でもかまいません)がないといけません。
これからはそういうふうにしていかなければいけません

吃音:最初の一歩を踏み出すことの難しさ(私の場合)( 再掲載一部改編:初掲載は2013年2月11日)

 今回はどもりを持っている私が「最初の一歩を踏み出す」までの経験を書きます。

 私は、ものごころついた頃よりどもっていて、小学校3年くらいには自分のどもりをはっきりと自覚しました。
*同級生に真似をされたり笑われたり、先生にしゃべり方を注意されることにより自覚させられました。自宅でも、自身がどもり持ちの神経質な性格の父親からどもる度に言い直しをさせられたり怒られたりしていました。

 どもりを自覚して(させられてから)、その後は毎日の授業が怖くて怖くてたまらなくなりました。
 それは、勉強の内容が分からないからということではなくて、
「次に指名されたときに、またどもってしまい笑われるだろう」という恐怖でした。

 先生から指名されて答えること、教科書を読まされること、その他、例えば学校での健康診断のときに自分の名前を名乗らなければいけないことへの恐怖です。

 教室で座っている順番、出席番号順に先生から指名される場合には、
あと何人で自分の番になるか分かります。
 週末の最後の授業に自分のすぐ前の人で終わった場合などは最悪です。
とても暗い日曜日となりました。自殺さえ意識していた小学生だったのです。

 新年度が近づいてくると、クラス替え後にまた自己紹介をしなければいけない。
 新しいクラスメイトに私がどもりであることがばれてしまうことの恥ずかしさや劣等感も大変なものでした。

 健康診断では自分の名前を申告しなければいけないことはわかっていますので、新学期が近づいてくると、こころの中で「恐怖のカウントダウン」が始まります。
*私の場合は、自宅内での何気ない会話や学校での友達とのたわいない話まで大きくどもるような重さではありませんでしたが、重さや症状が体調・季節などの要因でかなり大きく変わる不安定などもりでした。調子の良いときは日常生活や学校での発表もあまり困らないくらいになりましたが、調子が悪くなると家庭内での簡単な会話にも困るくらいのどもりになりました。
*私にとってのどもりとの闘い(苦しみ)は中学生以降が本番となってくるのですが、このあたりは何度も書いていますので今回は書きません。

 こんな私が、ためらいなくどもりについて話せるような友人を得たのは20歳代の後半のときです。大卒後も就職が出来ず精神的に追い詰められて引きこもりとなり、ちょっと元気が出たところで通い始めた民間の無資格どもり矯正所ででした。
*高校の頃にはその矯正所の存在は知っていましたが、親に相談することも出来ず、勇気も出ずに、行くことなど出来ませんでした。

「ああ、こんなふうに自分の悩みをそのまま話せる友人にもっと早く出会っていれば」と思ったものです。
*小学校の頃にもすでにことばの教室はあったはずですが(取り組みが早くから行なわれた地域に住んでいます)、先生より紹介されたことはなく、その存在は知りませんでした。

 いま学校に通っているどもりを持つ子供はどんな環境に置かれているのでしょうか?
学校の「言葉の教室」に通っているならば、専門知識を持ったスタッフから十分なサポートを受けられているのでしょうか? 

 頻発するいじめとそれに対する学校や教育委員会のお粗末な対応の報道を見る限り、学校の環境は確実に悪くなっています。

 直接や間接(ネット上)に陰湿ないじめをされていて、それでも先生その他のサポートは受けられない、
または、先生自体がいじめに加わっていたり、先生が無関心を装っていたりという、厳しい環境で生きている子供もそれなりの数いるのでしょう。

吃音(どもり):学校のことばの教室の現状は?(再掲載一部改編:初掲載は2015年4月8日)

 このブログで私は、小中学校に通っているどもりを持った子供には「ことばの教室」というサービス(通級指導教室)がある、と書いています。

 いっぽう、80年代末に、私が大卒後就職できずに引きこもりのあとに元気が出てきてから通った「民間のどもり矯正所」で出会ったどもりの子供を持つお母さんから直接聞いた話では、「子供をことばの教室に通わせているが効果が全くない」、とか、「対応が悪い」という話を聞いていましたし、
大人の吃音者の集まりに参加してくださった、ことばの教室を担当しておられる先生ともお話ししましたが(10年近く前)、ことばの教室とそれに携わる先生が軽視されているとの現場の声でした。

 どちらも時間が過ぎた話なので、現状はどうなっているのかは気にはなっていました。
 そこで、ネットレベルですが、ことばの教室の現状というワードで検索をかけてみました。
 思ったよりも現場に近い資料が多く出てきました。

 いくつか当たってみましたが、気になったのが千葉県の資料です。
 PDFで「平成25 年度要望書添付資料 千葉県ことばを育てる会」とあります。
 これには以下のようなことが記されていて・・・、
★ことばの教室に通いたくても通えるようになるまでは何ヶ月も待たされる
★中学校に至っては、市に1カ所しかないところもある
★先生がいわゆる普通の先生でそれも十分な研修すら受けていない方がひとりで大人数を担当している
★幼児→小学校→中学校間のサポートする担当者間での情報の引き継ぎが行われていない
★児童への指導時間しか認められていないので、親、通常の学級担任、担当者との連携をとるための相談や面談が十分に行われていない

*平成30年のいま同じように検索をかけてみましたら、「平成26年9月24日 千葉県教育長あて「難聴・言語障害教育に関係する要望書」 千葉県ことばを育てる会」が見つかりました。これもPDFで原文が読めます。厳しい現状がわかります。

 もう、お寒い限りです!
 千葉県だけのことと思いたいところですが・・・、これでは、どもりで悩んでいる子供や親御さんは深刻になるばかりです。
 全国的にこうなのでしょうか?

希望するすべての吃音児・者(小・中学生)は「ことばの教室」等でのサポートをきちんと受けられているのか?(再掲載一部改編:初掲載は2009年3月6日)

  2~3歳頃に始まることの多いと言われるどもりですが、小学校に入ると通えるとされている「ことばの教室」(通級による特別支援教室)を、日本全国にいるどもりを持つ児童・生徒は十分な質を担保されて受けることができているのでしょうか?

 その際に重要なのは、「一部のことばの教室やその先生が吃音に熱心に取組んでいる」というのではダメで、
日本中どこに住んでいても、吃音児が質の高いサービスを同じように受けられるということでないといけません。
*お役所仕事になってはいませんか?ということなのです。

 競争の存在する民間企業が行なうサービスならば授業を抜け出して通うという形ではなくて、放課後・休日等につきそう必要のある保護者が通いやすい時間帯も含めて利用者のためにできる限りのことをするでしょう。

 どうして小学校からの「ことばの教室」にこだわるかと言えば・・・、
 どもりだしてから時がたたないうちに適切なカウンセリングや必要に応じて言語訓練を、また、親などの家族へのカウンセリングや学校の担任の先生への教育などの指導を強力に行なった方が、いろいろな意味で良い方向に向かうことが多いと考えられるからです。
*どもりに限らず、人生すべからく、早めに適切に対処するほど良い結果がでます。
*通えば必ず「どもりが治る」「軽くなる」ということではありません。

 しかし、実際には(現状は)・・・、
★どもりを持っている子供本人が、親・先生などに自分のどもり(症状やどもりによる心の悩み)を極力隠そうとするので、悩んでいることが伝わらずに「ことばの教室」を紹介してもらえない。
*どもりを隠そうとする背景には、社会で「どもりはいけない、恥ずかしいもの」、家族では「自分の子供がどもっていることを隠したい」ということがあり、子供の心を傷つけている場合があります。

★学校の担任の先生にどもりに対する正しい知識がなく、場合によっては関心も乏しいことが多いために、「教え子がどもりで悩んでいること」を理解できず、積極的に動かない。

★同級生からからかわれたり陰に陽にいじめられることが多い。それどころか、どもることをからかう先生が少なからずいることもブログ等で散見される。(私も経験者です)
*いじめの問題が表面化したときに「先生も事実を知っていながら放置した、また、イジメに加わっていた」ということも報道されることがあります。

★ことばの教室には通えているが、専門家(言語聴覚士、臨床心理士、精神科医、臨床発達心理士、等)ではない普通の先生が受け持っていて効果的な指導が受けられていない(というか、的外れな指導をしている)。
 または、LDなど、最近にわかに注目されてきた他の障害に対する対応におわれている。(先生の忙しさ)
*資格を持った専門家でなく一般の教師でも、一生懸命にどもりについて学んでいて意欲のある方ならばいい加減な専門家よりもよほど良いと思いますが、やる気のある先生を特に募集して特別に育てているとも思えません。
*普通学級を持たせてもらえない「出来の悪い先生」が受け持たせられているという信じられないような話しを現役の教師から聞いたことがあります。(ほんとうでしょうか??)

★どもりをはじめ、LDなどの障害に対応するための通級教室が小・中学校の総数から見て少なすぎる。これは明らかに政策上の問題である。 (自治体による格差も大きいようです。)

 要するに根本的に考えなおす必要があるのです。
 いつまでも20年前30年前と「結果として」ほとんど変わっていない、などとぼやいている場合ではありません。

吃音:2016年 吃音者を取り巻く社会の実相を知る

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
 新年は、まず、どもりを持つ人が2016年のいま置かれている現実について考えます。

★「吃音者がいまおかれている現実」をあらためて直視することの必要性

 このブログでもよく書くことですが、いまの仕事の世界はIT社会という割にはFace to Faceの会話・交渉の重要性がさらに増しています。

 とにかく良いものを作れば売れるという世の中ではとっくになくなっていますし、新興国でも同じようなものが(日本より安く)作れるようになっています。
 そのような状況の中で、国家間・企業間の熾烈な競争を勝ち抜くための、言葉によるプレゼン、交渉などの重要性がさらに増しています。

 それは当然のように学校教育にも影響を与えています。
 英語などの語学力はもちろんのこと、プレゼンテーションができること、相手を説得できること、これからは議論を戦わすスキルの習得がますます重要になってくるでしょうし、産業界が教育にそれを求めてくるでしょう。

*しかし、現状では、教える側の先生がそういうスキルを持っていないことが多いために問題が出ている場面が多いのです。
*教育現場におけるICT(情報通信技術)教育でも、日本らしいというかずっこけています。どうせなら既存のタブレットやPCを使いこなせるようにすればいいものを、また子供にはICTの面からも数学や英語、諸科学のトレーニングこそしっかりと仕込むことが必要なのに、学校現場にしかないような電子黒板やタブレットを使うことがICT教育と考えているのでしょうか?
国際化の面からも、むしろ国語(古典)や歴史(日本史・世界史)地理などのアナログ教育こそ最重要です。

 もちろん将来就くべき仕事はそれだけではありません
 事務系や営業系のように言葉を使うことをメインにする仕事のほかに、体や手先を使っていろいろなものを作ったり表現していくような仕事もいくらでもあるのです。

 が、例えば都市部にすむサラリーマンの子供がそういう選択肢を考えることは、いまのところ、あまり現実的ではありません。
 これからは、子供のころから、障害の種類や程度に合わせた将来の職業の選択肢についても積極的に教えていくべきだと思います。

 現実にはできることとできないこと(つける仕事とつけいない仕事、無理して就いたとしてもかえって自分を追い込んでしまうだけ)がでてくるのに、「やればできる」等の考え方は本人を苦しめるだけの場合が多いと思います。
*何年か前に看護師になった吃音を持つ男性が自殺したことがりましたが、非常に前向きに生きておられたということだけに、このことは重く考えなければなりません。

★どもりが「障害」としてきちんと認知され、しっかりとした公的サポートを受けられるようにすること

 このブログにも書きましたが、最近、吃音者が障害者手帳の交付を求めて裁判を起こしたことが新聞で報道されました。
本人にとっては自分たちの生活を守るための必死の行為だと思います。
どもりのセルフヘルプグループにも一石を投じたようです。

 事務系や営業系の仕事でなくても言葉を全く使わない仕事というのはありません。
 現場の仕事は大きな声ではっきりと伝えないと工程に支障をきたしたり危険を伴う場合もたくさんあります。
 現実の社会は、どもってもよい、どもったままでよい、とはかけ離れている場合が多いのです。

 名前が(なかなか)言えない、言うべき時にタイムリーに言葉が出ないということ、やっとでた言葉もどもり特有の繰り返しになってしまうという、つまり「どもり」を、言語障害として積極的に認めて、障害の重さによってしかるべき訓練やカウンセリング(本人とともに家族や学校の先生、職場の同僚や上司も)、金銭的援助が受けられるようにすべきです。
 しっかりとした公的なバックアップが必要です。

★すぐできることと、中・長期的にすべきことを分けて考える
*これも以前にも書いたかもしれません。

 前述の公的サポートの件はすぐにでもできることです。
 吃音児(者)が学校や職場でいじめを受けていたり不当な扱いを受けないように、法律の整備や実際の場面で公的サービスが有効に作用するようにしなければなりません。

 中長期的になすべきことは、アメリカで「Brain Activity Map(脳活動図)Project」として行おうとしているような国家的なプロジェクトとして脳について研究していくことには及ばないにしても、本格的に研究をすることでしょう。
 10年、30年、50年先を見据えた、こころの病気や脳の障害を治すための研究をしていかなければなりません。

吃音(どもり):学校のことばの教室の現状は?(再掲載:2015年4月8日)

 このブログで私は、小中学校に通っているどもりを持った子供には、「ことばの教室」というサービス(通級指導教室)がある、と書いています。

 いっぽう、80年代末に、私が大卒後就職できずに通った民間のどもり矯正所で出会ったどもりの子供を持つお母さんから直接聞いた話では、子供をことばの教室にかよわせているが効果が全くない、とか、対応が悪い、という話を聞いていましたし、
大人の吃音者の集まりに参加してくださった、ことばの教室を担当しておられる先生ともお話ししましたが(10年近く前)、ことばの教室とそれに携わる先生が軽視されているとの現場の声でした。

 どちらも時間がたった話なので現状はどうなっているのかは気にはなっていました。
 そこで、ネットレベルですが、ことばの教室の現状というワードで検索をかけてみました。
 思ったよりも現場に近い資料が多く出てきました。

 いくつか当たってみましたが、気になったのが千葉県の資料です。
 PDFで、「平成25 年度要望書添付資料 千葉県ことばを育てる会」とあります。
 これには以下のようなことが記されていて・・・、
★ことばの教室に通いたくても通えるようになるまでは何ヶ月も待たされる
★中学校に至っては、市に1カ所しかないところもある
★先生がいわゆる普通の先生でそれも十分な研修すら受けていない方がひとりで大人数を担当している
★幼児→小学校→中学校間のサポートする担当者間での情報の引き継ぎが行われていない
★児童への指導時間しか認められていないので、親、通常の学級担任、担当者との連携をとるための相談や面談が十分に行われていない

 もう、お寒い限りです!
 千葉県だけのことと思いたいところですが・・・、これでは、どもりで悩んでいる子供や親御さんは深刻になるばかりです。

皆さんのところはどうですか?

消えていった吃音者=彼らにこそ吃音の真実がある=(再掲載一部改編2008年1月17日)

 今回は「消えていった吃音者」としましたが、別に失踪したわけでもなく、ましてや亡くなったのでもありません。
 かつて、小さなセルフヘルプグループ活動を行っていた時の経験、やその後の色々な経験から書いてみます。

 私はサポートを受ける機会がなかったのですが、どもりをもった子供には小学校(中学校)で通級学級としての「言葉の教室」という制度があります。
その制度の問題点については今まで何度も触れてきましたし、最近触れたように、アメリカの制度と比べてみると大きく劣ることがわかります。

 その内容は別として、それなりに普及している言葉の教室ですが、
その言葉の教室でサポートを受けていたはずの子供が、思春期後半の年齢(高校生以降)になってもどもりで深刻に悩み続けて、頼るべき公的機関が事実上存在しない状況もあり、インターネット等で自分なりに調べて何十万円もかかる「無資格民間どもり矯正所」に通うことが未だに多いのです。

 または、言友会に代表されるような各地に存在する、「吃音者のためのセルフヘルプグループ」に参加される場合もあるでしょう。しかし、人口比数%というどもりの数の割には、それらに参加している人数が圧倒的に少ないことがわかります。

 就職も自分の力ででき、日常会話や仕事上の会話・電話にもほとんど影響がないような「ごく軽いどもり」は人生に大きな影響を及ぼしませんので別ですが、その人数を差し引いても、多くのどもりを持った方がまったくのサポートなしで毎日を生きておられることがわかります。

 民間の矯正所に通いだしても、すぐインチキだとわかり通うのをやめてしまった。
 セルフヘルプグループに入ってはみたが溶け込めずに最近は足が遠のいてしまった。

  などというような、自分からアクションを起こしてはみたが良い結果が出ないか、または、矯正所の指導者のことばやセルフヘルプグループのメンバーの言葉にかえってこころが傷ついてしまった方も結構多いのです。
*それ以前に、たとえば、セルフヘルプグループに通うまでの決心ができずに、ひたすらひとりで悩んでおられる方がどれだけおられるか・・・)

 そのような状況に置かれている方にこそ、どもりの問題の本質があるように思います。

希望するすべての吃音児・者(小・中学生)は「ことばの教室」等でのサポートをきちんと受けられているのか?(再掲載一部改編:初掲載は2009年3月6日)

 2~3歳に始まることの多いと言われるどもりですが、小学校に入ると通えるとされている「ことばの教室」(通級による特別支援教室・授業)を、日本全国にいるどもりを持つ児童・生徒は十分な質を担保されて受けることができているのでしょうか?

 その際に重要なのは、「一部のことばの教室やその先生が吃音に熱心に取組んでいる」というのではダメで、日本中どこに住んでいても、吃音児が質の高いサービスを同じように受けられるということでないといけません。
*お役所仕事になってはいませんか?ということなのです。

 競争の存在する民間ならば、授業を抜け出して通うという形ではなくて、放課後・休日等つきそう保護者通いやすい時間帯も含めて利用者のためにできる限りのことをするでしょう。

 どうして小学校からの「ことばの教室」にこだわるかと言えば・・・、どもりだしてからあまり時がたたないうちに適切なカウンセリングや言語訓練・治療を、また、親などの家族へのカウンセリングや指導を強力に行なった方がいろいろな意味で良い方向に向かうことが多いと考えられるからです。
*どもりに限らず、人生すべからく、早めに適切に対処するほど良い結果がでます。
*通えば必ず「どもりが治る」「軽くなる」ということではありません。

 しかし、実際には(現状は)・・・、
★どもりを持っている子供本人が親、先生などに自分のどもり(症状やどもりによる心の悩み)を極力隠そうとするので、悩んでいることが伝わらずに「ことばの教室」を紹介してもらえない。
*どもりを隠そうとする背景には、社会で「どもりはいけない、恥ずかしいもの」、家族では「自分の子供がどもっていることを隠したい」ということがあり、子供の心を傷つけている場合がある。

★学校の担任の先生にどもりに対する正しい知識がなく、場合によっては関心も乏しいことが多いために、「教え子がどもりで悩んでいること」を理解できず、積極的に動かない。

★同級生からからかわれたり陰に陽にいじめられることが多い。それどころか、どもることをからかう先生が少なからずいることもブログ等で散見される。(私も経験者です)
*いじめの問題が表面化したときに、「先生も事実を知っていながら放置した、また、イジメに加わっていた」ということも報道されることがあります。

★ことばの教室には通えているが、専門家(言語聴覚士、臨床心理士、精神科医、臨床発達心理士、等)ではない普通の先生が受け持っていて効果的な指導が受けられていない(というか、的外れな指導をしている)。
 または、LDなど、最近にわかに注目されてきた他の障害に対する対応におわれている。(先生の忙しさ)
*資格を持った専門家でなく一般の教師でも、一生懸命にどもりについて学んでいて意欲のある方ならばいい加減な専門家よりもよほど良いと思いますが、やる気のある先生を特に募集して特別に育てているとも思えません。
*普通学級を持たせてもらえない「出来の悪い先生」が受け持たせられているという信じられないような話しを現役の教師から聞いたことがあります。(ほんとうでしょうか??)

★どもりをはじめ、LDなどの障害に対応するための通級教室が小・中学校の総数から見て少なすぎる。これは明らかに政策上の問題である。 (自治体による格差も大きいようです。)

 要するに根本的に考えなおす必要があるのです。
 いつまでも20年前30年前と「結果として」ほとんど変わっていない、などとぼやいている場合ではありません。