吃音による様々な不都合を人に伝えることの難しさについて(その1~2)(再掲載一部改編:初掲載は:2014年4月25日・5月12日)

その1***
 今回は、自分がどもりで苦労をしたり悩んでいることを
「親・兄弟・配偶者などの家族・親族」
「学校の先生、友人、恋人」「職場の同僚や上司」
 に伝えることの必要性、難しさ、また、注意点について考えます。
*どもりで悩んでいる当事者が小学生なのか、学生か、社会人かなど、年齢や立場によって、また、どもりの重さや症状の違いによっても伝え方やその問題点が大きく変わってきます。

★なぜ伝えるのか 
 子供の場合ならば、どもりの苦しさやどもりで困っていることを他者にわかってもらい、少しでも自分の心が救われるのと同時に、陰湿ないじめなどに遭わないように予防の意味からも、家族や先生に自分がどもりで悩んでいることを伝えておく必要があると思います。

 第三者から見て「たまに言葉がつっかえているように見える」症状でも、吃音者本人からすれば自殺を日常的に考えるような事態もあることも「あたりまえのようにあるのが」どもりの世界です。
 このようなことがわからないような「どもりに携わろうとするいろいろな分野の専門家」はいないと思いますが? 
もしもそれがわからないと「大きな間違いをすること」となり、どもりを持った人をかえって精神的に追い詰めてしまいます。

 大人の場合は職場において、どもりを持っている自分が言葉の面で「できないこと」と「できること」を上司や同僚に伝えておくことにより、自分が必要以上につらい立場に追い込まれ苦しんだり、同僚やグループとしての仕事の遂行に悪影響を与えないようにすることができます。
*それが事実上できない、つまり、ことばでテキパキと伝えることが仕事を進めるうえで極めて重要な職業においては、仕事に就く際に自分の症状をよく説明し、実際にその環境でやっていけるか話し合う必要があります。
*比較的軽いどもりの場合は特に注意が必要です。同僚や上司は吃音者がどこまでしゃべれるか(もちろんビジネストークです)把握できていないことがほとんどですので、「あいつは消極的だ、サボっている」とか「あんな電話もできないのか!」という誤解を生む結果となり、結果的にその職場に居づらくなってきます。
*いわゆる「有力者のコネ」で、会議や電話、顧客訪問でビジネストークがあたりまえに求められる職場(特に民間企業)に就職してしまった場合は精神的に追い込まれます。純粋な仕事の処理能力以前の「ことばをしゃべる」というごく基本的なところで問題があることを意識して就職活動に望まないと大変なことになります。

***********************************

その2
ある程度以上の重さのどもりを持っていることににより・・・、
★家庭内での生活(家族とのコミュニケーション)、
★日常生活での基本的なコミュニケーション(買い物をする、電話をかける、趣味のサークル活動など・・・)
★友人関係のコミュニケーション
★学校生活や職場での活動(先生やクラスメイト、同僚や上司、取引先とのコミュニケーション)、
★就職(転職)活動中のコミュニケーション、
さらに、
★どもりのセルフヘルプグループの仲間内でのコミュニケーション

 に一定程度以上の支障が生じ、結果として人生に「様々な悪影響」が出てきます。
*この場合の「ある程度以上の重さのどもり」とは、それぞれのシーンでの意思疎通に支障がることですが、第三者から見た・聴いた症状はごく軽いものでも、本人が気にしてうつ状態になり生活に支障が出ている場合も同様です。
 このあたりのことがどもりの問題を難しくしています。家族や中途半端な専門家では理解できないことが多いです。重さの異なる吃音者どうしでも誤解を生む場合が多いようです。

 様々な悪影響とは、たとえば・・・、
 子供の場合は、授業中のどもることへの恐怖心や、クラスメート(場合によっては先生からのから)のからかいやいじめにより次第にうつ状態になり成績が下がること。
 社会人の場合は、職場において、挨拶をする、電話をとる、顧客と交渉するなどのごく当たり前にすることに支障が出て、自分の仕事やチームとしての仕事を停滞させてしまうこと。結果的にその職場に居づらくなることが多いようです。

 どちらもそれぞれの人生に直接的な(場合によっては決定的な)悪影響をもたらします。

 日常的に笑われて恥をかいたり、あからさまに迷惑そうな顔をされるなどの経験を続けていくと、吃音者本人のこころが大きく傷つけられ、生きる気力をなくすこととなります。(私がそうでした)

★吃音者をサポートする側は、まずは傾聴に徹することです。(吃音者が安心して本音を言えるような下地を作る) 

 どもりについてはその原因も医学的に解明されていないので、当然、投薬や手術による根治療法はなく、確実なリハビリテーション法もありません。
 そういう現状において、やっかいなのは、実は同じどもりを持つ人のなかの「先輩」かもしれません。
自分の経験からの「治療法」「心構え」を押しつけようとする場合も少なくありません。
 たとえそれが善意から出たことばだとしても、いま悩んでいる人のこころを傷つけてしまう可能性が大いにあります。
 どもりの重さも症状も、そして生きている環境も実に様々だからです

 また「専門家」と言われる人でも、どもりについて決めつけたような見解を持っている方もやっかいな人となり得ます。
 どもりを持つ子供やおとながいる家族(親、兄弟、祖父母)、学校の先生、専門家と言われる人々、さらには同じ吃音仲間でさえもが、まず、すべきことは、
吃音者(児)の言うことにひたすら耳を傾けることです。

吃音:理解してもらえない人たちのなかで自分(の人生を)を見失わないためには(たびたび再掲載:初掲載は2014年12月23日)

どもり・・・、
 それも日常のコミュニケーションに支障が出るような重さや症状のどもりか、
または、傍から見て気づかないくらいの軽いどもりでも自分としては深く悩んでいる場合は・・・、
 どもりでない人にはなかなか理解できないことですが、一年中、24時間が辛い人生かもしれません。
*私の場合は、小学生(3年生くらいかな)の頃からはっきりと自覚し悩みました。授業での発表時や教科書を読まされるときの恐怖から、少しの間だけでも逃れられる週末や長期の休みは心が安まりました。(家ではしゃべらなくても良いからです。しかし明日は学校のある日曜の夜や長期の休みの最後の日はとても辛い時間でした)
就職してからは(特に自分の名前よりも言いやすい会社名の職場にいたときは)あえて休日出勤してでも仕事の電話をして言葉の調子を整えていました

 さて・・・、私もそうで、このブログにコメントを寄せていただく方の多くもそうなのですが・・・、
子供の頃からのどもることによる様々な悩みを、いちばん身近にいて理解してくれていても良さそうな家族(配偶者、親・兄弟、祖父母)が、実はいちばん分かってくれていないことが多い、ということについて考えます。

 生活の基盤である家庭において、どもりの苦しさを家族に理解してもらえていないことによるストレスはたいへんなものです。

 特に子供のうちからそれを経験することは、そのストレスが(今後の)人生に与える悪影響は大きなものがあると思います。

 自分の「努力」の外にある「どもる」ということ。
(緊張しやすいから、恥ずかしがり屋なのでどもるのではありません。一般的にはそんなイメージですね。むしろ、それらはどもることで、あとからついてくる症状です。)

 日常の簡単な挨拶、
 様々な場面(対面・電話)で自分の名前を言うこと、
 授業中に指名されて教科書を読むこと、指名されて質問に答えること、など、

 日常、当たり前のように繰り返されることができないか、できにくいという「どもりという言語障害」の性質を考えるときに、まじめに努力しようとしている人ほど、そのこころは腐りやすく、生きる力をなえさせるのではないでしょうか。

「下手な治す努力」や精神論は、吃音者をかえって落ち込ませます。
戦後(一部は戦前から)から90年代前半くらいまで連綿と続いてきた、日本の民間無資格どもり矯正所で行われていた方法などはその良い例です。

 いっぽうで、どもり矯正所は、そこでの「訓練」よりも、同じどもりという悩みを持った仲間とはじめて出会えて、こころのなかのことを、なんのためらいもなく語り合えるという意味では「結果的にですが」大きな意味がありました。
 しかし、費用が高すぎるのと、そこで治った良くなったと称する一部の人がサクラ的に介在して、高い費用を払って遠方からきた悩める吃音者の多くを結果的に落胆させてしまったという大きな問題点がありました。(どもり矯正所の功罪については何回か書いています。)
 いまでは、同じ悩みを持った人と出会えるのはどもりのセルフヘルプグループがその役割を果たしています。

 吃音者を取り巻く環境は、残念ながらいまでも、大きくは変わっていません。
 例えば、街なかに、どもりで悩んでいる人が日常的に気軽に通えるような言語クリニックはありません。
「どもりに精通した言語聴覚士や臨床心理士、精神科医などがかかわり、どもることによる生きずらさをサポートするソーシャルワーカーなども関わってくれる」
そんな組織(病院、公的機関、など)は存在しません。
*たとえ日本に数カ所あったとしても、日常的に通える範囲にないと、それはないのと同じことです。

 こんな現実のなかで我々吃音者ができることは

★子供の場合は、学校(小中学校)の通級教室である「ことばの教室」のサービスですが、しっかりと受けられているでしょうか?
 そこではどもりに精通した専門家の指導が継続的に受けられていているでしょうか?
 子供本人ははもちろん親御さんもしっかりとしたカウンセリングや相談が受けられる体制になっていますか? チェックしてください。

★まずは、セルフヘルプグループなどを利用して、どもりについてなんでも話し合える自分のことを話せる友人を作ることです。
 そして、必要に応じて彼らと小グループを作りいろいろと動いてみることでいろいろと見えてくるものがあります。

 こども(小・中・高校)の場合は、セルフヘルプグループが主催するこども向けの集まり等を利用して同じ悩みを持つ友人を作ることができますし、親御さんも交流できるでしょう。

★どもりで悩んでいる自分のこころが危機に陥らないように(うつ病などのこころの病気や、不登校や引きこもりにならないように)、危機管理のために、ホームドクター的な精神科医や臨床心理士を見つけて日常的にカウンセリングを受け心の健康を保つことができます。

★家庭内や学校・職場の人間関係に問題がある場合(どもりによるいじめ、からかい、パワハラ)は、年齢や立場に応じて、児童相談所、公的な相談の電話、弁護士会、法テラス、役所のソーシャルワーカーなどを利用して問題の解決を図ることができます。

 工夫して、少しづつで良いので、良い方向に向かうようにがんばっていきましょう。

どもりと学校、仕事

 前回は、テレビ報道で見た吃音カフェについてとりあげました。

 私がこの報道から感じたことは、現実(特に仕事の現場)との乖離です。

 吃音カフェがいけないとか意味がないということではなくて、
 ひとりの吃音者がいて、次に吃音カフェのような立ち位置があり、もうひとつ、もうひとつと、階段を上がるように現実に近づくような負荷がかかる現場で、「話すこと」をしていかないと、
 「仕事の現場」(学校も同じようなもの、子供の分だけかえって厳しいかもしれません)は、どもりを持つ人のいろいろな事情(いままでのいろいろなことなど)を常に考慮して配慮するほどの余裕のある現場ではないので、吃音カフェでの経験が、かえって現実の職場の厳しさに耐えきれなくさせることになるかもしれません。
*どもりを持ちながら様々な現実の仕事の世界で試行錯誤されてきた、いままでの大勢の先輩方の貴重な経験があるはずなのですが、それらがうまく生かされていません。(前回書いたように、吃音者個人、セルフヘルプグループ、吃音カフェのような試行、言葉や心の専門家が有機的につながっていない)

 また、吃音にはその重さの違い(傍から見てわかるどもり具合の違いと、どもっていないように見えても本人はかなり悩んでいる心理的な重さの違い)があり、
特に心理的に追い詰められている吃音者の場合は、自分がどもりであることを開示して誰かと分かち合ったり、吃音カフェのような、仕事の現場の前段階、に進めない吃音者も多いのです。
*吃音者のこころはとてもセンシティヴです。

参考:真面目で向上心のある吃音者がむしろ追い込まれる

吃音:いまの自分が少年の頃の自分にアドバイスできるとしたら(その1、その2) (たびたび再掲載:初掲載は2014年10月29日)

その1*********
 今回は、どもりで悩んでいる子供が近所の歯医者に通うような感覚で通える、どもりの臨床に通じた専門家がいる施設などは(事実上)ないという現実を踏まえたうえで、あえて「妄想」のようなことを書いてみます。
*たまたま、学校の「ことばの教室の先生」が熱心にどもりに取り組んでくれているとか、日本には数少ないどもりに取り組んでいる専門施設(大学など)がたまたま日常的に通える範囲にあって・・・ということは考えないこととします。国内どこに住んでいても同じようなサービスが受けられるというのが基本だからです。

 さて・・・、吃音者を取り巻く状況がいまのようでは・・・、「どもりはじめた子供の頃からいままでなんとか(死なずに)生きてこられたいまの自分」が、過去の(少年時代の)自分にとってのいちばんの先生であり、カウンセラーになると思います。
*が・・・、悲しいかな、タイムマシンがないので、少年の頃の自分に会いに行って助けることはできません。たとえあったとしても、いまの自分が過去の自分には会えないとか?

★まわり(家族、友達)に気を使う前に自分のことを第一に考えて自分を守ろう
 心優しい人が多い? どもりを持つ子供。
*気が弱くなってしまっているといった方が正確でしょうか。

 家族には自分のどもるところを見せたくないので、どもりそうなことばは避けてできるだけ話さないようにすればどもる機会も減るので、そのようにしている人も多いでしょう。
 また、家のなかでどもると、家族(親兄弟、祖父母)から・・・「ゆっくりしゃべりなさい」「落ち着いて話しなさい」などの注意を受けたり言い直しをさせられる、
 場合によっては家族からですら、笑われたりバカにされる、などの状況におかれている人も少なくはないでしょう。

 まずは自分を守りましょう。
 もしも家庭の中が、どもりを持った自分にとって居づらいようなところだったら・・・、
 学校の先生(少ないかな?)、親戚など、自分のことをなんでも話せる大人がいればその人に相談するのも良いだろうし、
「そんな人はいない!」ということだったら、勇気を持って「チャイルドライン」などの相談電話にかけてみてください。(どもっても大丈夫、聞いてくれます)
 児童相談所に駆け込んでも良いと思います。

★同じ悩みを話し合える、共有できる友達を作る
 これが一番大切なことかもしれません。
 悩んでいることを気を使うことなくなんでも話せる友達がいることは何よりも大切なことです。
*実際には、どもりを持っている子供で、こういう友達を持っている人はかなり少ないでしょう。

「言友会(げんゆうかい)などの「どもりのセルフヘルプグループ」が主催する子供向けの催しなどに参加して、同じくらいの年齢のどもりの友達を見つけてください。
 たとえ近くに住んでいなくても、一度、直接会うことができよく話しておけば、あとはネットでも話し合えますね。

*****************************

その2**********

今回は・・・、
★自分のどもりの重さや症状をよく知ること
★自分のどもりを維持したり悪くさせるかもしれない家庭環境や学校環境を調べて対応すること
★自分(たち)でどもりについて調べ考えて、いろいろと工夫をすること
などについて書きます。

★自分のどもりの重さや症状をよく知ること
 自分がどもっているところを見たり聞いたりしたことはありますか?
ビデオカメラで撮影したりレコーダーで録音して見たり聞いたりすることです。
*ビデオカメラはメモリータイプでとても小さく高性能で安く買えますし、録音だけのレコーダーならばさらに安く買えます。

 しかし、自分のどもっているところを見るのが怖くて勇気が出ないというところが本当のところではないかと思います。
 それでも勇気を出して、「家族との何気ない会話」「買い物をするときの店員さんとの会話」「電話するときの話し方」「録音だけならば学校の授業中」など、自分のどもっているところを見たり聞いたりして観察してください。
 どもっているときにはどんな姿勢をしているのか?、顔つきはどうか?など、じっくりと観察すると見えてくるものがあるかもしれません。

★自分のどもりを維持したりより悪くさせるかもしれない家庭環境や学校環境を調べて対応すること
 自分がいま生きている環境について、
 家庭では、どもりで悩んでいることをわかってくれているか?
 家族とどもりの話ができるか?

 学校では、どもることで同級生や先生などにからかわれたりいじめられたりしていないか? 担任の先生にどもりのことを相談できるか? ことばの教室に通っているならば、その先生とはなんでも話せてしっかりとサポートしてもらえているか?

 もしも家族から「からかわれたり」「いじめられたり」しているのならば信頼できる大人に助けを求めましょう。
 親戚のおじさんやおばさん、学校の担任の先生など、なんでも話せる人がいれば良いのですが、そうでない場合は「いのちの電話」に電話したり「市の児童相談所」に電話でも直接行っても良いでしょう。警察でも良いと思います。

 学校でいじめられていて、しかも、親には相談できない、担任の先生も相談に乗ってくれないかきちんと対応してくれないのならば、迷わずに警察に相談しましょう。

★自分(たち)でどもりについて調べ考えて、いろいろと工夫をすること
 言友会(げんゆうかい)などのセルフヘルプグループでは子供の集まりも行なっています。同じ悩みを持つ同じくらいの年齢の友達を作ってください。
 いままでは、誰にも話せなかったどもりのこと。気軽になんでも話せる友達を持つことだけでもこころが楽になります。
 高校生くらいになれば、仲間で集まっていろいろと活動することもできますね。

吃音者が自己肯定感を取り戻すことの重要性(たびたび再投稿、初投稿は2008年6月13日)

 日常生活に(明らかな)支障があるようなどもりを持ったまま子供の頃から人生を送ってきた人は「自己肯定感が足りない」と言われます。

 あたりまえですね、
 子供の頃から繰り返される、どもることでの様々な苦労を経験するごとに自信をなくし、場合によっては人生そのものについても自信をなくしてしまうかもしれません。
*私がそうでした。
*傍から見た症状は軽くても(ほとんどわからないくらいでも)自殺を意識するほど大きく悩んでいることがあるのがどもりという障害の特徴です。家族の前ではどもりにくい最小限のことばしか発しないでごまかしている子どもでも、学校では言うべきことは言わなければいけません。指名されれば本も読まなければいけませんし、どもりながらでないと言えないことの多い「自分の名前」も言わないわけにはいけません。陰湿ないじめに遭うことも多いでしょう。

 いかに、生きるための「自信」を取り戻し(自信を持ち)、今までの自分の生き方が間違っていなかったか(そのときの自分でできることを自分なりに精一杯してきた)と思えるか、

 いままで、どもることにより立ち止まって悩んだり生活や仕事がうまくいかなかったことを「ただの無意味な時間の浪費」と思って後悔していることが、実は自分の人生において「必要な時間」であったかを確認すること(こころから思えること)が重要ではないでしょうか。
*「自信」などという言葉など想像できないほど、落ち込んでいる、悩んでいる吃音者も多いことと思います。(私もそうでした。)時間が必要です。

 さて、小さな頃からどもりはじめた「生活に支障があるくらいの重い」吃音者のなかには、小学校の頃からすでに強烈な劣等感を持っている人がいます。(というよりも多数派かもしれません。)
 笑い話にもなりませんが、幼稚園の頃より、どもることの強烈な劣等感からすでに「自殺」を強く意識していたという若い女性に会った時にはちょっと驚きました。

 私の場合は小学校3年くらいにはどもりをはっきりと自覚して、「恥ずかしいもの」「なるべくどもらないように話さなければいけない」「大人になれば自然に治る」というような感情や考えを持っていました。
*持っていました、というよりは、持たされていました、と言った方が正確です。

 どもりの人がどれくらい劣等感を持っているか、自己肯定感が足りないか、というのは・・・、
「どもりの絶対的な重さ」、
「育った家庭環境(親を含む家族が理解があったか)」、
「学校の先生が理解がありサポートしてくれたか」、「いじめはあったか」
などというように、
「どもりの症状そのもの」に、「取り囲む環境」がプラスされてできているものと思われます。

 小さな頃より(悪い意味で)自分の心の中に育ててきた劣等感がプラスされた「どもり」というこの複雑な障害に対応しなければならない言語聴覚士などの「専門家」といわれる人たちも大変です。学際的な豊富な知識や臨床経験、そして何より「人間力」が要求されます。
*現実には「どもりに対応してくれる施設や人(専門家)が身近にいる場合」の方が圧倒的に少ないと思います。

 現状では、特に思春期以降の吃音者に対しては、事実上、相談機関や治療施設がないことは、吃音で悩んでいる本人やご家族ならばおわかりのことと思います。
*たとえ全国に数カ所あったとしても「通えない」のならば、それはないのと同じことです。

 バブル崩壊以来の失われた20~30年を経た日本では、「うつ病」がたいへん大きな問題となっています。国民病とさえいわれています。
 首都圏では(大阪圏でも)、毎日のように電車の人身事故がありますが何かの原因で精神的に追い込まれてうつ状態の人が多いことが実感されます。
 うつ病は、新聞やテレビで言われているように「精神科医にかかれば治る」などという簡単なものではなくて、現実には何年たっても同じような症状に悩んでいる方が多くいらっしゃいます。
 背景のひとつには、精神科の診療において、先生とゆっくり話すことができないような診療で、結果として薬のみに頼ることが多いことがあると思います。
*NHKなどでも、何度も、うつ病の特集番組が組まれていますが、そこで指摘された問題点(投薬に頼らずに充実した心理療法を受けられるようにしなければいけない)が改善される様子はありません。

 患者本人やそれ以上に家族の希望もあり、(主に経済的な問題から)以前の職場に復帰することを目指しますが、結局は会社を辞めるというケースが多いのが現状です。
 なぜならば、うつの背景が職場内でリストラされるではないかという恐怖心によるものだったり、リストラが一段落し社員が減った職場でのハードな仕事に耐えかねてなどの「仕事由来」が多いので、本当は、うつの急な症状が落ち着いてから「仕事を変えるくらいの根本的な生き方の変更」が必要とされているのに、そこまでなかなか踏み切れないうちにかえって症状は悪化し、結局、会社も辞めざるを得ないという最悪のパターンが多いのです。

 どもりの場合も、この「うつ」と似ていることが多いようです。

 たとえば、ある程度以上の重い吃音を持つ子供にとって学校は地獄です。
 なにしろ、一日中教室にいて同じメンバーのなかでどもっている自分を披露し続けることの繰り返しなのですから・・・。
「自己肯定感を」と言っても無理な話です。自信を失うために登校しているようなものです。
*特にいまの人心の荒廃というか、お互いに傷つけあうようなことが多い世の中ですからなおさらです。

 いまになって冷静に考えているから言えることかもしれませんが、無理をしてまで普通の学校(私の場合は高校時代がいちばん辛かった)には通わずに、どもりで本当に辛かったらフリースクールか受験予備校などの自習体制で勉強した方が、心の問題においても、また、受験にも遙かに良かったと思っています。
 若い頃の数年のドロップアウトなんて、後から思えばなんてことないのですが、その頃はわからないものです。

 学校卒業後の就職について考えてみても、「自己肯定感を高めていけるような職業」につかないと、
 つまり、「どこかに少しでも良いので自分が認められている、役に立っている」と感じられるような仕事につかないと、自己肯定感がさらに低くなり生きるのがいやになってきます。

 なぜかというと、どもらない人にとってはごく当たり前にかける「電話」について考えてみても、ある程度以上の重さのどもりの人にとっては「地獄の苦しみ」となるからです。
 本当は、話すことが苦手ならば電話を頻繁に使うような仕事にはつかず、ものを作ったりするような「話すことをメインの道具として使わない」仕事につくのが賢明な選択ではないかとも思います。
 就いた仕事や入った会社が一般的に言われる「有名会社かどうか?」ということではないのです。

吃音:夏休み明けの子供と自殺(再掲載一部改編:初掲載は2017年8月30日)

 このごろ、8月末によく報道されるのは夏休み明けの子供の自殺です。
注意喚起がされています。
悩みを持っていたりいじめを受けていたりする子供が、9月1日から「また学校に行かなければいけないこと」に耐えられずに自ら命を絶つのです。

 どもりを持った子供にとっても夏休み明けはとてもつらい、死にたくなるようなときです。

 どもりを持つ子供について言えば、
言い換えられない内容や自分の名前など、普段からどもってしまう言葉、なかなか出てこない言葉から逃げることのできた夏休み、
どもることでいじめられたり笑われることから一時的にでも逃げることのできた夏休みが終わるのです。
*もっとも、いまではネットがあり、夏休み中でもネット上でいじめられていることもあるでしょう。

 悩んでいるのだったら、無理してまで学校の行くのはやめましょう。
 学校は命をかけてまで行くところではありません。そんな必要は全くありません。

 身の回りに悩んでいることを相談できる人がいなかったら、そしてこのまま学校に行ったらおかしくなりそうだったら、とりあえず公共の図書館にでも避難しましょう。

 街のなかをふらふらするのは犯罪に巻き込まれる危険性があるのでやめましょうね。

*公共の図書館には、この時期限定で良いから、悩みを聞いてくれる相談員がいてくれると良いですね。
*報道でよく言われる各種相談電話はどれくらい機能しているのでしょうか?ボランティアベースであるならば公的な仕組みにすべきです。

小学生のこどもに自殺を考えさせるほどの吃音のつらさとは(再掲載一部改編:初掲載は2012年5月27日)

 今回のテーマ
「小学生のこどもに自殺を考えさせるほどの吃音のつらさとは」
 は、刺激的ですが、どもりでない方やどもりの子供を持つ親御さんを脅かすためのではありません。

 どもりのセルフヘルプグループに参加して(かつては小さなグループを結成してみて)、吃音者どうしでだいぶ仲良くなってからの飲み会などでの「本音トーク」で、はじめて出てくる話です。
*親の前、学校の友達の前、学校の先生の前では決して言わなかった話です。
*幼稚園の頃から悩んでいて自殺を考えていた、という女子大生に会ったときには、さすがに驚いたものです。

 例えば小学生のどもりを持った子が毎日の学校生活のなかで・・・、
 休み時間に友達と話すときも授業中に発表するときにも、すべての状況で「これから発することばはどもるだろうか?」と恐怖を感じ、
実際にことばに出そうとしても最初のことばが出てこなかったり「どもりどもりのことば」が断片的にしか出てこなかったら・・・
クラスメイトや先生の視線や反応(笑い・からかい)も含めて、
こんなことが日常だったら、子供の小さな心はどうなるでしょう?

 こんな経験をした子が、誰にも言えなかったこころの中に突き刺さったとげを、大人になってからなんでも話せる同じ悩みを持つ仲間をもってから、はじめて言えるようになるのです。
*本当は、困っていたそのときに「自分はどもりで自殺を考えるほど悩んでいるんだ!」と言える環境(言語聴覚士、精神科医などの専門家、学校の先生、親、誰でもかまいません)がないといけません。
これからはそういうふうにしていかなければいけません

吃音を持った子供さん、まずは疲れを取りこころをほぐしてあげることです(再掲載:初掲載は2013年1月17日)

 夏休みのこの時期に良いと思い再掲載します。
 
 どもりによる様々な苦労を子供の頃から重ねていると、努力して前向きに生きようとしているこころも次第に疲れてきます。
 そしてついには疲れ果て、心の張りが失われて否定的な感情ばかりが出てきてしまいます。

 どもりだした小さな子供の頃から思春期、そして就職くらいまでの家庭環境(精神的・経済的)が劣悪ならば、
学校などの外の世界での緊張やこころの疲れを家に帰ってからも癒やすことができず、場合によっては家の中でもさらにこころの緊張感を高めることとなり、不登校になったり、うつ病などのこころの病気になってしまいます。
*朝起きてから夜寝るまで(場合によっては夢の中まで)どもりによる苦労を続けることの、子供の心に与える悪影響は計り知れません。

 どもりの子供のいる家庭でできること、すべきことは・・・、まずは、「安心できる落ち着ける環境」を作ることです。

 甘やかす必要などありません。むしろ質実剛健が良いと思います。
 ただ、温かい家庭が必要です。子供が安心して自由にどもれる環境といえば良いのでしょうか。
*学校での授業中に、また、友達と接するときにどもったこと(場合によっては笑われたことなど)を、子供の方から親や兄弟に、笑いながら(時には泣きながら)話せるような雰囲気が家庭内にあればいちばんよいのですが、
現実は真逆な場合がほとんどです。多くの場合、家庭はどもりの悩みを話せるような雰囲気ではありません。

 どもりについて具体的にアプローチしていくのはその次の段階です。
日本では20年ほど前にやっと言語聴覚士という国家資格ができたところです。
 その資格にしてももちろん吃音専門のものではなく、吃音については養成する学校(専門学校、大学)でも国家試験においても多くの時間を割かないようです。

 虫歯になった子供が街なかの歯医者にかかるように、どもりに精通している言語聴覚士が街中で開業していて、子供が気軽に通えるという環境はありません。

 現在では、インターネットを使えば国内外のどもりに関する情報がそれなりに取れるようになりました。

 しかしその情報は玉石混淆ですから(多くがインチキ情報と思った方が良いでしょう)、
親御さんは、研究者、病院に勤務する言語聴覚士、どもりのセルフヘルプグループなど、何人も何カ所も渡り歩くくらいの熱心さと覚悟を持って、お子さんに合った相談機関や専門家を探してください。

*お子さんが学校の「ことばの教室」に通っている場合も学校任せにせずに、自分でそのクォリティ(先生の資質、子供の満足度)をチェックしてください。

*どもりの原因は医学的に解明されていません。日本にも、ごく少数ですが、少ない研究費で恵まれない環境下でも頑張っている吃音研究者がいます。が、考え方はまちまちです。そのことを知ったうえで「専門家」に接するべきです。

*どもりの人の集まりである「どもりのセルフヘルプグループ」が主宰する相談会や行事(キャンプなど)に参加してみるのも良いことだと思います。
「現実問題として、どもりを持ちながら生きていくということはどういうことなのか」ということが分かります。そしてそこで、同じくらいの年齢のどもりを持ったお友達がみつかれば本人にとってどれほどこころが救われるでしょうか。親御さんどうしの交流もとても良いことです。

 どもりを持っているお子さんは表面的にはいくら明るく振る舞っていても、こころの中では悩んでいます。(学校ではいじめにあっているかもしれません。)
 もしかしたらその小さなこころで自殺さえ意識しているかもしれません。
*決してオーバーな話などと思わないでください。お子さんのどもりを真剣に考えて冷静に対処してください。そして、お子さんと接するときには穏やかに・・・

 まずは温かい家庭をつくること、そして具体的な対処が必要と思います。

吃音による失敗経験を(安心して?)積めることの大切さ(たびたび再掲載:初掲載は2014年1月18日)

 今回はちょっと変わったテーマです。
*このテーマは「どもりの重さや症状の違い」がかなり影響しますので、注意しながら書こうと思います。
 
 日常生活や学校生活、また、就職活動や仕事に悪影響の出るような、ある程度以上の重さのどもり、
または、傍から見ると重いどもりには見えないが(ほとんどわからないくらいだが)自分ではそれが気になって生活(人生)に影響が出るような・・・、

 こんなどもりを子供の頃から持っていると(特に、小さな子供の頃から思春期の頃の家庭環境「精神的・経済的」が悪かったり、学校での必要以上のからかいや陰湿ないじめを受けた場合などは)生きる気力さえなくしてしまうことも希ではないでしょう。
*大人になってから、就職してから、どもりが急に顕在化し大きく悩む方もいらっしゃいます。この場合は子供の頃からどもっている場合よりもメンタル的にきついかもしれません。

 我々どもりを持った者はどもり始めた子供の頃から・・・、
 家庭内では家族、そして一歩外に出れば、買い物をするときのショップの店員さん、医者にかかれば先生や受付の方などの日常で関わってくる様々な方々と話すたびに、相手の顔色を見たり、ことばのチェックを受けていると感じてしまうかもしれません。

★どもったときに笑われた(と、感じてしまう)
★吹き出すのを我慢しながら聞いてくれているのがわかってしまう
★直接的に注意される、言い直させられる
★「ゆっくりとおちついて」とアドバイスされる
★どもるたびに殴られたりたたかれたりする
*最後の例は明らかに虐待になるので論外ですが、しかし、これも「きわめて希な例」ではありません。

 このような経験の連続は、本来のどもりの症状(コアな症状といっても良いでしょうか)にプラスされるかたちで、どもりを悪化・固定化させて、生きていくことが辛くなるような気持ちを起こさせるでしょう。

 そこで大切と思うのが、
「どもりながらでも相手と(なんとかでも)コミュニケーションができる」
「どもって失敗した(と思ってしまった)ときでも、こころの落ち込みを最小限にして回復を早くする」
 こんなことではないかと思うのです。

 しかし、日常生活のなか、リアルな生活のなかでは、なかなかどもりながら話す勇気が出ませんし、大きくどもってしまったときには「その場からすぐにでも逃げ出してしまいたいような衝動」にかられます。現実は厳しいのです。

 そこで、毎日の生活のなかのどこかで・・・、
「安心して、どもりながら話せる環境や時間」
「大きく破壊的などもりをしても、笑われることも、とがめられることない環境や時間」
 を作ってほしいと思います。

 まず考えられるのが、どもりのセルフヘルプグループですね。
 同じ悩みを持ったグループ内では安心してどもれるだろう、と。

 しかしここでも、治った・良くなったと思っている・言っている方(先輩?)から、頼んでもいないのに、
「このようにしたら良いんじゃないか?」とか、「こうすべきだ!」との、(それが善意から出たものとしても)ことばを浴びせられることがあります。そうなると活動に参加するのもいやになってしまいます。
 そこで、グループのなかでも特に気の合う仲間、価値観やどもりについての考え方が近い方や、境遇がにている方と小さなグループを作るのが良いと思います。
 その仲間と楽しく語り合ったり一緒に工夫しながら練習をしたりして、どもりながらでもコミュニケーションがとれていく経験を積んでいくことは良いことだと思います。
 また、様々な重さや症状のどもりを持っている方、年齢や職業が違う方々との語らいも、自分のどもりを俯瞰して見られるようになるという点から必要です。
ときにはそういう方との語らいも必要です。

 こういう試行錯誤で必要なのは、逃げ込める場所を確保しておくことです。
身近にどもりを理解してくれる誰かがいてくれることが理想ですが、なかなか見つかりません。
 そこで必要なのは、精神科医・臨床心理士などの心の専門家のサポートです。
時間をかけて自分に合った専門家を見つけてください。(個人病院よりもドクターが複数いる規模の病院の方が、合わない場合はかわれるので、良いと思います。

真面目で向上心のある吃音者がむしろ追い込まれる(たびたび再掲載一部改編:初掲載は2018年10月26日)

 2013年のことですが、北海道の看護士の男性が吃音を苦に自殺したとの報道に接しました。
第一報は、当時このブログにコメントを書き込んでいただいた方のお知らせで知りました。北海道の放送局のニュース映像で見た記憶があります。
 報道ベースの内容しか知りませんが、普段からセルフヘルプグループに積極的に参加して前向きに活動していた方らしいです。真面目な男性看護師が病院に入り業務のなかでしだいに追い込まれていき、ついには自殺という悲劇的な結末で終わってしまった。

 どもりを持ちながら仕事をしている多くの方にとっては、このことは人ごとではありませんでした。(なかなか仕事に就けない方も含めて)
 営業系や事務系の職種で直接に、または電話で話すことがあたりまえにある方にとってはもちろん、営業系、事務系ではなくてどんな職場でも、それなりに人とのことばによるやりとりはありますので、自殺報道が自分のことのようにつらく感じた方も多かったと思います。

 いまさら言うまでもありませんが、現実の社会では、学校でのいじめ、職場でのパワハラ、過労からくる鬱などが蔓延しています。
学校でのいじめは、相変わらずの学校側に逃げ腰や隠蔽体質があります。
職場(特に中小・零細企業)では、働き方改革という言葉とはほど遠い日本の労働環境です。
 こんな状況下で、どもり持ちにはどれほどのれほどのストレスがかかっていることでしょうか?
ましてや、3年続いたコロナ禍で、家庭、学校、職場など、いろいろなところで人間関係のひずみが大きくなっています。

「言葉で伝える」ということは生活や仕事の基本です。
できるだけ話さない仕事を選んだつもりで入った現場でも思ったよりも話をする、言葉で伝えることが多くて、それに耐えられずに途中で辞めてしまう方もいらっしゃいます。

 医療系の仕事は、間違いがあると人の命に関わるので、声を出しての確認・確認の繰り返しでしょう。ある意味、究極の「ハキハキ」が求められます。
*患者として病院にかかるだけでも充分にわかります。

 そのような仕事の現実を無視して、吃音を語っても説得力がありません。

 以前もも少し書きましたが、どもりを苦に自殺した方の事例のなかにこそ、社会のなかで生きていく吃音者の生きづらさ・問題点が凝縮されていると思います。

 耐えがたいような現実の厳しさにぶつかりながらも、それでもセルフヘルプグループなど会合の場では前向きな発言をして、かえって自分を追い込んでしまい、こころが折れてしまうようなことがないように・・・、

 極端な悲観はいけませんが、根拠のない(はっきりしない)楽観はそれ以上に危険です。
 現実を生きる吃音者が、負のスパイラルに陥ったままにならないようにするにはどうしたら良いかを考えていくことこそが、どもりを苦に自殺した方々へのせめてもの供養になると思います。