「吃音の克服(A STUTTER’S STORY)フレデリック・P・マレー著」を読みなおす(再掲載一部改編:初掲載は2008年1月)

吃音の克服-文明社会のなかの言語障害
出版社:新書館
フレデリック P.マレー(著)、田口 恒夫、岡部 克己(訳)

 このブログの「おすすめの本」で紹介しているこの本は、子供の頃から重症の吃音を経験され、その後各大学に学ばれて、ニューハンプシャー大学の言語病理学の教授になられたアメリカ人の半生の記です。

 この本には子供の頃より重症のどもりで苦労された著者の心情の変化が率直に書かれています。
邦題は「吃音の克服」ですが、原題(A STUTTER’S STORY)のほうが、本の内容をよく表しているように思います。

 青年期以降には言語病理学をこころざし各大学で学び、どもり専門の言語病理学教授になるのですが、偏りのない、そして、専門家でなくてもわかる平易な文章で書かれたこの本は、どもりのお子さんを持つ親御さんや、いまどもりで悩んでいる方々に是非読んでいただきたい一冊です。

 著者は、この本が書かれた時点(1985年)ではニューハンプシャー大学の言語病理学教授で、どもりを専門に研究されてきた方です。(2013年現在では80歳代後半になられるはず)
私は、二十数年前に初めてこの本を読んだ時には、一気に読んでしまうほど興奮しました。

 さて、著者が子供のころと言えば、1930年代です。
 *アメリカでは、すでにアイオワ大学でどもりの研究が活発に行われていました、(日本では巷に腹式呼吸による民間矯正所があったはずです)、そんな時代の話です。

 そのころからすで街には言語クリニックが存在し治療費を払って通っていたフレデリック少年が出てきます。治療法は、精神分析的な療法、直接の言語療法、です。
言語障害や心理学を学んでいる学生を自宅にまで招いて治療している様子も描かれており、両親もかなり心配していたことがうかがわれます。
*家庭は比較的裕福でどもりにはかなり神経質になっており、吃音をおおらかに受け止めるというよりもどもりはよくないものという受け止め方のようです。

 その後もいろいろと試してはみるもののどもりの症状はいっこうに改善されず、一時的に良くなったかと思えば、なにかのきっかけで(またはきっかけもなしに)重症のどもりがぶり返すのは、よくあるパターンですね。

 その後スタンフォード大学やアイオワ大学など複数の大学で学び吃音を専門とする言語病理学者になりますが、彼がこの本で結論的に言っているのは、「吃音は器質的な基盤があると思う」ということです。

 どもりを持っている方で知的好奇心の強い方は、ご自分で内外の言語病理学関連の書籍をあさったりするでしょうが、現在はネットでも容易に検索される、大脳半球優位説やDAF(聴覚遅延フィードバック)の理論は、20世紀の前半か中頃からすでに盛んに研究されていることがこの本を読むだけでもわかります。
 皆さんもぜひ読んでみてください。

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フレデリック・P・マレー著「吃音の克服(A STUTTER’S STORY)」を読みなおす(再掲載一部改編:初掲載2008年1月)

 お正月(注:2008年1月)に、おすすめの本の欄で紹介している「吃音の克服」(A STUTTER’S STORY)を読みなおしてみました。
この本は、子供の頃から重症の吃音を経験され、その後各大学に学ばれニューハンプシャー大学の言語病理学の教授になられたアメリカ人の半生の記です。

 この本には、子供の頃より重症のどもりで苦労された著者の心情の変化が率直に書かれています。
 青年期以降には言語病理学をこころざし各大学で学び、どもり専門の言語病理学教授になるのですが、偏りのない、そして、専門家でなくてもわかる平易な文章で書かれていますので、どもりのお子さんを持つ親御さんや、いまどもりで悩んでいる方々に是非読んでいただきたい一冊です。

 ネット上にはさまざまなどもりに関する情報があふれていますが、この本はそれらのスタンダードに位置する、そして素人でも十分に読める本です。

 邦題は「吃音の克服」ですが、原題(A STUTTER’S STORY)のほうが、この本の内容をよく表しているように思います。
 著者は、この本が書かれた時点(1985年)ではニューハンプシャー大学の言語病理学教授で、どもりを専門に研究されてきた方です。(2013年現在では80歳代後半になられるはず・・・)

 私は、二十数年前に初めてこの本を読んだ時には、一気に読んでしまうほど興奮しました。
 過去に大きな書店や公共の図書館で見つけた「日本の専門家?」と言われる方の書いた吃音に関する本は、どれも外国の文献からそのまま持ってきたような説明の羅列か、実例(カウンセリングや治療の臨床例)にしてもほとんどが学齢期の子供でした。

 実際に自分で動いて、新しい考え方、新しい治療法を開拓するというのではなくて、吃音の査定法の研究や、おもにアメリカで研究された治療法の検証的な研究に終始しているだけなのです。(私にはそう思えました。)

 話を戻します。著者が子供のころと言えば、1930年代です。
 アメリカでは、すでにアイオワ大学でどもりの研究が活発に行われていました、(日本では巷に腹式呼吸による民間矯正所があったはずです??)、
そんな時代の話です。

 そのころからすで街には言語クリニックが存在し、治療費を払って通っていたフレデリック少年が出てきます。治療法は、精神分析的な療法、直接の言語療法、です。
 言語障害や心理学を学んでいる学生を自宅にまで招いて治療している様子も描かれており、両親もかなり心配していたことがうかがわれます。(家庭は比較的裕福で、どもりにはかなり神経質になっており、吃音をおおらかに受け止めるというよりも、どもりはよくないものという受け止め方のようです。)

 いろいろと試してはみるもののどもりの症状はいっこうに改善されず、一時的に良くなったかと思えば、なにかのきっかけで(またはきっかけもなしに)重症のどもりがぶり返すのは、よくあるパターンですね。
 その後スタンフォード大学やアイオワ大学など複数の大学で学び吃音を専門とする言語病理学者になりますが、彼がこの本で結論的に言っているのは、「吃音は器質的な基盤があると思う」ということです。

 どもりを持っている方で知的好奇心の強い方は、ご自分で内外の言語病理学関連の書籍をあさったりするでしょうが、現在はネットでも容易に検索される、大脳半球優位説やDAF(聴覚遅延フィードバック)の理論は、20世紀の前半か中頃からすでに盛んに研究されていることがこの本を読むだけでもわかります。
 皆さんもぜひ読んでみてください。

「生きるべき人生」ではなく「自分が生きたい人生」を生きること

 今回は、このブログでは(たぶん)はじめて吃音という言葉が入っていないテーマにしました。
 どうしてかというと、今日、本屋さんで衝動買いした文庫本、飯田文彦著の「ブレイクスルー思考(人生変革のための現状突破法)」(PHP文庫)を電車の中で読んだからです。(本屋さんでこんな本に目が行くこと自体、ちょっと追い込まれているかなと思います。(笑))
 著者の飯田文彦氏は、福島大学経済学部企業経営過程の助教授なのですが、「生きがいの創造」などという本も出されている方で、本には経営心理学者と書いてあります。

 実は過去にも飯田氏の本は読んだことがあります。(9年ほど前)
「生きがいの創造」だったと思いますが、「人は生まれ変わる」ということについて退行催眠などの例をもとに科学的な検証と、「人は生まれ変わり、何度でも人生を生きる、そして、それぞれの人生はどんなつらいことがあっても必ず意味がある・・・・・」などと書かれており、仕事上の極度のストレスから急性の重い鬱状態になって死にそこなって倒れて会社を辞めた後で読んだ本なので、めちゃくちゃに癒される本でした。
(しかし、だいぶ落ち着いてから読みなおしてみると、人生の応援歌として読む分には良いとしても、生まれ変わりの部分についてはマユツバだな・・・・と思い、それ以上は彼の著書は読まなかったように記憶しています。)

 それでは、今回は、何でそんな飯田氏の本を読んでいるかというと、
この本は「生まれ変わり」について書かれた本ではなくて、人生で壁にぶつかったときに現状を打破することについてきわめて現実的な視点で、しかも、格調の高い文章で書かれているので、気に入って読んでいるのです。
(後日読み進めていくと、かなり「生まれ変わり」についての記述が出てきました。それらは読み物としてはおもしろいのですが、そして、それを読んだことで苦境にある方が何かを乗り越えられるのであればそれなりの価値があるかもしれませんが、私は昨今のスピリチュアルブームは好きではありませんので途中で読むのをやめました・・・・・)

 その本の中に、このような、くだり、があります。
 著者が自分の部屋で一生懸命に原稿を書こうと机に向かっていると5歳になる娘さんがやってきて、「何をしているの」と聞いてきた。文章がなかなか書けないと愚痴を言っていると、娘さんは紙に絵を描き始めました。
 そこでお父さんも絵を書いてみようということで画用紙に向かうのだが、何を書いて良いのかなかなか決まらずにいると、娘さんから「お父さんの書きたいものを好きに書いたらいいのに」と言われました。

 そうか、書くべきものを書くのではなくて、書きたいものを書けば良いのだ・・・・・と、

 これを読んでいて、私は電車のなかで、人生も・・・・・
生きるべき人生を生きるのはなくて、自分が生きたい人生を生きれば良いんだ・・・・・・と思ったのです。