希望するすべての吃音児・者(小・中学生)は「ことばの教室」等でのサポートをきちんと受けられているのか?(再掲載一部改編:初掲載は2009年3月6日)

  2~3歳頃に始まることの多いと言われるどもりですが、小学校に入ると通えるとされている「ことばの教室」(通級による特別支援教室)を、日本全国にいるどもりを持つ児童・生徒は十分な質を担保されて受けることができているのでしょうか?

 その際に重要なのは、「一部のことばの教室やその先生が吃音に熱心に取組んでいる」というのではダメで、
日本中どこに住んでいても、吃音児が質の高いサービスを同じように受けられるということでないといけません。
*お役所仕事になってはいませんか?ということなのです。

 競争の存在する民間企業が行なうサービスならば授業を抜け出して通うという形ではなくて、放課後・休日等につきそう必要のある保護者が通いやすい時間帯も含めて利用者のためにできる限りのことをするでしょう。

 どうして小学校からの「ことばの教室」にこだわるかと言えば・・・、
 どもりだしてから時がたたないうちに適切なカウンセリングや必要に応じて言語訓練を、また、親などの家族へのカウンセリングや学校の担任の先生への教育などの指導を強力に行なった方が、いろいろな意味で良い方向に向かうことが多いと考えられるからです。
*どもりに限らず、人生すべからく、早めに適切に対処するほど良い結果がでます。
*通えば必ず「どもりが治る」「軽くなる」ということではありません。

 しかし、実際には(現状は)・・・、
★どもりを持っている子供本人が、親・先生などに自分のどもり(症状やどもりによる心の悩み)を極力隠そうとするので、悩んでいることが伝わらずに「ことばの教室」を紹介してもらえない。
*どもりを隠そうとする背景には、社会で「どもりはいけない、恥ずかしいもの」、家族では「自分の子供がどもっていることを隠したい」ということがあり、子供の心を傷つけている場合があります。

★学校の担任の先生にどもりに対する正しい知識がなく、場合によっては関心も乏しいことが多いために、「教え子がどもりで悩んでいること」を理解できず、積極的に動かない。

★同級生からからかわれたり陰に陽にいじめられることが多い。それどころか、どもることをからかう先生が少なからずいることもブログ等で散見される。(私も経験者です)
*いじめの問題が表面化したときに「先生も事実を知っていながら放置した、また、イジメに加わっていた」ということも報道されることがあります。

★ことばの教室には通えているが、専門家(言語聴覚士、臨床心理士、精神科医、臨床発達心理士、等)ではない普通の先生が受け持っていて効果的な指導が受けられていない(というか、的外れな指導をしている)。
 または、LDなど、最近にわかに注目されてきた他の障害に対する対応におわれている。(先生の忙しさ)
*資格を持った専門家でなく一般の教師でも、一生懸命にどもりについて学んでいて意欲のある方ならばいい加減な専門家よりもよほど良いと思いますが、やる気のある先生を特に募集して特別に育てているとも思えません。
*普通学級を持たせてもらえない「出来の悪い先生」が受け持たせられているという信じられないような話しを現役の教師から聞いたことがあります。(ほんとうでしょうか??)

★どもりをはじめ、LDなどの障害に対応するための通級教室が小・中学校の総数から見て少なすぎる。これは明らかに政策上の問題である。 (自治体による格差も大きいようです。)

 要するに根本的に考えなおす必要があるのです。
 いつまでも20年前30年前と「結果として」ほとんど変わっていない、などとぼやいている場合ではありません。

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吃音:2016年 吃音者を取り巻く社会の実相を知る

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
 新年は、まず、どもりを持つ人が2016年のいま置かれている現実について考えます。

★「吃音者がいまおかれている現実」をあらためて直視することの必要性

 このブログでもよく書くことですが、いまの仕事の世界はIT社会という割にはFace to Faceの会話・交渉の重要性がさらに増しています。

 とにかく良いものを作れば売れるという世の中ではとっくになくなっていますし、新興国でも同じようなものが(日本より安く)作れるようになっています。
 そのような状況の中で、国家間・企業間の熾烈な競争を勝ち抜くための、言葉によるプレゼン、交渉などの重要性がさらに増しています。

 それは当然のように学校教育にも影響を与えています。
 英語などの語学力はもちろんのこと、プレゼンテーションができること、相手を説得できること、これからは議論を戦わすスキルの習得がますます重要になってくるでしょうし、産業界が教育にそれを求めてくるでしょう。

*しかし、現状では、教える側の先生がそういうスキルを持っていないことが多いために問題が出ている場面が多いのです。
*教育現場におけるICT(情報通信技術)教育でも、日本らしいというかずっこけています。どうせなら既存のタブレットやPCを使いこなせるようにすればいいものを、また子供にはICTの面からも数学や英語、諸科学のトレーニングこそしっかりと仕込むことが必要なのに、学校現場にしかないような電子黒板やタブレットを使うことがICT教育と考えているのでしょうか?
国際化の面からも、むしろ国語(古典)や歴史(日本史・世界史)地理などのアナログ教育こそ最重要です。

 もちろん将来就くべき仕事はそれだけではありません
 事務系や営業系のように言葉を使うことをメインにする仕事のほかに、体や手先を使っていろいろなものを作ったり表現していくような仕事もいくらでもあるのです。

 が、例えば都市部にすむサラリーマンの子供がそういう選択肢を考えることは、いまのところ、あまり現実的ではありません。
 これからは、子供のころから、障害の種類や程度に合わせた将来の職業の選択肢についても積極的に教えていくべきだと思います。

 現実にはできることとできないこと(つける仕事とつけいない仕事、無理して就いたとしてもかえって自分を追い込んでしまうだけ)がでてくるのに、「やればできる」等の考え方は本人を苦しめるだけの場合が多いと思います。
*何年か前に看護師になった吃音を持つ男性が自殺したことがりましたが、非常に前向きに生きておられたということだけに、このことは重く考えなければなりません。

★どもりが「障害」としてきちんと認知され、しっかりとした公的サポートを受けられるようにすること

 このブログにも書きましたが、最近、吃音者が障害者手帳の交付を求めて裁判を起こしたことが新聞で報道されました。
本人にとっては自分たちの生活を守るための必死の行為だと思います。
どもりのセルフヘルプグループにも一石を投じたようです。

 事務系や営業系の仕事でなくても言葉を全く使わない仕事というのはありません。
 現場の仕事は大きな声ではっきりと伝えないと工程に支障をきたしたり危険を伴う場合もたくさんあります。
 現実の社会は、どもってもよい、どもったままでよい、とはかけ離れている場合が多いのです。

 名前が(なかなか)言えない、言うべき時にタイムリーに言葉が出ないということ、やっとでた言葉もどもり特有の繰り返しになってしまうという、つまり「どもり」を、言語障害として積極的に認めて、障害の重さによってしかるべき訓練やカウンセリング(本人とともに家族や学校の先生、職場の同僚や上司も)、金銭的援助が受けられるようにすべきです。
 しっかりとした公的なバックアップが必要です。

★すぐできることと、中・長期的にすべきことを分けて考える
*これも以前にも書いたかもしれません。

 前述の公的サポートの件はすぐにでもできることです。
 吃音児(者)が学校や職場でいじめを受けていたり不当な扱いを受けないように、法律の整備や実際の場面で公的サービスが有効に作用するようにしなければなりません。

 中長期的になすべきことは、アメリカで「Brain Activity Map(脳活動図)Project」として行おうとしているような国家的なプロジェクトとして脳について研究していくことには及ばないにしても、本格的に研究をすることでしょう。
 10年、30年、50年先を見据えた、こころの病気や脳の障害を治すための研究をしていかなければなりません。

吃音(どもり):学校のことばの教室の現状は?(再掲載:2015年4月8日)

 このブログで私は、小中学校に通っているどもりを持った子供には、「ことばの教室」というサービス(通級指導教室)がある、と書いています。

 いっぽう、80年代末に、私が大卒後就職できずに通った民間のどもり矯正所で出会ったどもりの子供を持つお母さんから直接聞いた話では、子供をことばの教室にかよわせているが効果が全くない、とか、対応が悪い、という話を聞いていましたし、
大人の吃音者の集まりに参加してくださった、ことばの教室を担当しておられる先生ともお話ししましたが(10年近く前)、ことばの教室とそれに携わる先生が軽視されているとの現場の声でした。

 どちらも時間がたった話なので現状はどうなっているのかは気にはなっていました。
 そこで、ネットレベルですが、ことばの教室の現状というワードで検索をかけてみました。
 思ったよりも現場に近い資料が多く出てきました。

 いくつか当たってみましたが、気になったのが千葉県の資料です。
 PDFで、「平成25 年度要望書添付資料 千葉県ことばを育てる会」とあります。
 これには以下のようなことが記されていて・・・、
★ことばの教室に通いたくても通えるようになるまでは何ヶ月も待たされる
★中学校に至っては、市に1カ所しかないところもある
★先生がいわゆる普通の先生でそれも十分な研修すら受けていない方がひとりで大人数を担当している
★幼児→小学校→中学校間のサポートする担当者間での情報の引き継ぎが行われていない
★児童への指導時間しか認められていないので、親、通常の学級担任、担当者との連携をとるための相談や面談が十分に行われていない

 もう、お寒い限りです!
 千葉県だけのことと思いたいところですが・・・、これでは、どもりで悩んでいる子供や親御さんは深刻になるばかりです。

皆さんのところはどうですか?

消えていった吃音者=彼らにこそ吃音の真実がある=(再掲載一部改編2008年1月17日)

 今回は「消えていった吃音者」としましたが、別に失踪したわけでもなく、ましてや亡くなったのでもありません。
 かつて、小さなセルフヘルプグループ活動を行っていた時の経験、やその後の色々な経験から書いてみます。

 私はサポートを受ける機会がなかったのですが、どもりをもった子供には小学校(中学校)で通級学級としての「言葉の教室」という制度があります。
その制度の問題点については今まで何度も触れてきましたし、最近触れたように、アメリカの制度と比べてみると大きく劣ることがわかります。

 その内容は別として、それなりに普及している言葉の教室ですが、
その言葉の教室でサポートを受けていたはずの子供が、思春期後半の年齢(高校生以降)になってもどもりで深刻に悩み続けて、頼るべき公的機関が事実上存在しない状況もあり、インターネット等で自分なりに調べて何十万円もかかる「無資格民間どもり矯正所」に通うことが未だに多いのです。

 または、言友会に代表されるような各地に存在する、「吃音者のためのセルフヘルプグループ」に参加される場合もあるでしょう。しかし、人口比数%というどもりの数の割には、それらに参加している人数が圧倒的に少ないことがわかります。

 就職も自分の力ででき、日常会話や仕事上の会話・電話にもほとんど影響がないような「ごく軽いどもり」は人生に大きな影響を及ぼしませんので別ですが、その人数を差し引いても、多くのどもりを持った方がまったくのサポートなしで毎日を生きておられることがわかります。

 民間の矯正所に通いだしても、すぐインチキだとわかり通うのをやめてしまった。
 セルフヘルプグループに入ってはみたが溶け込めずに最近は足が遠のいてしまった。

  などというような、自分からアクションを起こしてはみたが良い結果が出ないか、または、矯正所の指導者のことばやセルフヘルプグループのメンバーの言葉にかえってこころが傷ついてしまった方も結構多いのです。
*それ以前に、たとえば、セルフヘルプグループに通うまでの決心ができずに、ひたすらひとりで悩んでおられる方がどれだけおられるか・・・)

 そのような状況に置かれている方にこそ、どもりの問題の本質があるように思います。

希望するすべての吃音児・者(小・中学生)は「ことばの教室」等でのサポートをきちんと受けられているのか?(再掲載一部改編:初掲載は2009年3月6日)

 2~3歳に始まることの多いと言われるどもりですが、小学校に入ると通えるとされている「ことばの教室」(通級による特別支援教室・授業)を、日本全国にいるどもりを持つ児童・生徒は十分な質を担保されて受けることができているのでしょうか?

 その際に重要なのは、「一部のことばの教室やその先生が吃音に熱心に取組んでいる」というのではダメで、日本中どこに住んでいても、吃音児が質の高いサービスを同じように受けられるということでないといけません。
*お役所仕事になってはいませんか?ということなのです。

 競争の存在する民間ならば、授業を抜け出して通うという形ではなくて、放課後・休日等つきそう保護者通いやすい時間帯も含めて利用者のためにできる限りのことをするでしょう。

 どうして小学校からの「ことばの教室」にこだわるかと言えば・・・、どもりだしてからあまり時がたたないうちに適切なカウンセリングや言語訓練・治療を、また、親などの家族へのカウンセリングや指導を強力に行なった方がいろいろな意味で良い方向に向かうことが多いと考えられるからです。
*どもりに限らず、人生すべからく、早めに適切に対処するほど良い結果がでます。
*通えば必ず「どもりが治る」「軽くなる」ということではありません。

 しかし、実際には(現状は)・・・、
★どもりを持っている子供本人が親、先生などに自分のどもり(症状やどもりによる心の悩み)を極力隠そうとするので、悩んでいることが伝わらずに「ことばの教室」を紹介してもらえない。
*どもりを隠そうとする背景には、社会で「どもりはいけない、恥ずかしいもの」、家族では「自分の子供がどもっていることを隠したい」ということがあり、子供の心を傷つけている場合がある。

★学校の担任の先生にどもりに対する正しい知識がなく、場合によっては関心も乏しいことが多いために、「教え子がどもりで悩んでいること」を理解できず、積極的に動かない。

★同級生からからかわれたり陰に陽にいじめられることが多い。それどころか、どもることをからかう先生が少なからずいることもブログ等で散見される。(私も経験者です)
*いじめの問題が表面化したときに、「先生も事実を知っていながら放置した、また、イジメに加わっていた」ということも報道されることがあります。

★ことばの教室には通えているが、専門家(言語聴覚士、臨床心理士、精神科医、臨床発達心理士、等)ではない普通の先生が受け持っていて効果的な指導が受けられていない(というか、的外れな指導をしている)。
 または、LDなど、最近にわかに注目されてきた他の障害に対する対応におわれている。(先生の忙しさ)
*資格を持った専門家でなく一般の教師でも、一生懸命にどもりについて学んでいて意欲のある方ならばいい加減な専門家よりもよほど良いと思いますが、やる気のある先生を特に募集して特別に育てているとも思えません。
*普通学級を持たせてもらえない「出来の悪い先生」が受け持たせられているという信じられないような話しを現役の教師から聞いたことがあります。(ほんとうでしょうか??)

★どもりをはじめ、LDなどの障害に対応するための通級教室が小・中学校の総数から見て少なすぎる。これは明らかに政策上の問題である。 (自治体による格差も大きいようです。)

 要するに根本的に考えなおす必要があるのです。
 いつまでも20年前30年前と「結果として」ほとんど変わっていない、などとぼやいている場合ではありません。

吃音(どもり):学校のことばの教室の現状は?

  このブログで私は、小中学校に通っているどもりを持った子供には、「ことばの教室」というサービス(通級指導教室)がある、と書いています。

 いっぽう、80年代末に、私が大卒後就職できずに通った民間のどもり矯正所で出会ったどもりの子供を持つお母さんから直接聞いた話では、子供をことばの教室にかよわせているが効果が全くない、とか、対応が悪い、という話を聞いていましたし、
大人の吃音者の集まりに参加してくださった、ことばの教室を担当しておられる先生ともお話ししましたが(10年近く前)、ことばの教室とそれに携わる先生が軽視されているとの現場の声でした。

 どちらも時間がたった話なので現状はどうなっているのかは気にはなっていました。
 そこで、ネットレベルですが、ことばの教室の現状というワードで検索をかけてみました。
思ったよりも現場に近い資料が多く出てきました。

 いくつか当たってみましたが、気になったのが千葉県の資料です。
PDFで、「平成25 年度要望書添付資料 千葉県ことばを育てる会」とあります。

これには以下のようなことが記されていて・・・、
★ことばの教室に通いたくても通えるようになるまでは何ヶ月も待たされる
★中学校に至っては、市に1カ所しかないところもある
★先生がいわゆる普通の先生でそれも十分な研修すら受けていない方がひとりで大人数を担当している
★幼児→小学校→中学校間のサポートする担当者間での情報の引き継ぎが行われていない
★児童への指導時間しか認められていないので、親、通常の学級担任、担当者との連携をとるための相談や面談が十分に行われていない

 もう、お寒い限りです!
 千葉県だけのことと思いたいところですが・・・、
これでは、どもりで悩んでいる子供や親御さんは深刻になるばかりです。

「治らない吃音者」と「治せない専門家」の構図から脱皮するには

(ある程度より重い)どもりを持って悩んでいる人か、または、客観的な症状は重くなくてもメンタルな面で重症などもりになっている人が子供の頃より経験してきた様々な苦労や生きるうえでの不都合の前には、生半可な○○療法や、ましてや民間療法のたぐいなどを受け付けないことは、なによりもどもりを持った本人が人生のなかで身に染みて感じていることと思います。

 そろそろ学校も始まりますし、今日から会社も本格的に動き始めますが・・・、

★学校で経験するであろう「どもりを原因とする耐えがたい恥ずかしい出来事」や、「クラスメイト(場合によっては教師)から、からかわれたりいじめられたりするであろうこと」を先回りして思い浮かべて思いっきり暗くなっている子供。

★正月明けで顧客を集中的にまわらなければならないが、アポをとるための電話が社内からではどうしてもかけられずに、公園などで携帯を使ってかけている(それでもどもってしまう)ような社会人。

 まだこれくらいなら良いほうで・・・、

 すでに学校に通えなくなっている、または、時々休まないとギリギリになっている子供や、会社に足が向かなくなっていてうつ病になっている人などがあたりまえのようにいて、
 でも、きちんとしたサポートが受けられていないというのが2014年お正月時点の吃音者の本当のところでしょう。

 今回のテーマは、
「治らない吃音者」と「治せない専門家」の構図から脱皮するには、というちょっと刺激的なものとしましたが、年頭に当たり前向きな提言をさせていただこうと思います。

★どもりの問題が良い方向に向かうためのリーダーシップとマネージメントを!

 いまでも、
*どこどこでは、○○先生が何々療法をして効果を上げている。
*どこどこの病院では、吃音者の相談に積極的にのってくれる。
 日本のなかでも、ごく一部の個人か施設(病院)で、それぞれの立場でできることを一生懸命に(少ない予算その他厳しい環境下で)やってくれているのだと思います。

 もしも「現時点においての効果的なリハビリ方法や治療法、援助するためのサポート方法がある」というのならば、それが妥当かどうかチェックしたのちに、全国の小中学校のことばの教室や、STがいてどもりを扱ってくれている病院などの施設の「標準的などもり治療やリハビリテーション方法」にすべく動くこと。
 そして、どもりで悩んでいる人が、距離的にも経済的にも最小の負担で、5年~10年、20年と長期にわたって安心して相談できたり治療を受けられる体勢を徐々に整えていくこと。
*常に問題点を掘り起こし修正していくという「アップデート」をしていくことはいうまでもありません。

★吃音者と研究者治療に携わる人の本質的な交流

 どもりで悩んでいる人がどれほど悩んでいるか?
 悩んでいてなかなか学校に通えない、就職できない、死んでしまいたいところまで追い詰められている・・・、
このあたりを、吃音者側もしつこいほどに訴えて、専門家側も(うまく効果的に治せない)現状を認めて謙虚に耳を傾けることが必要と思います。

 このブログにも書きましたが、私の家族が昨年夏より難病にかかりいろいろな先生方にお世話になってきました。(おかげさまでそろそろ退院です。)

 そのときのエピソードで閉めます。
 病気が発症した直後にかかりつけ医から紹介された地域の中核的な病院でのことですが、それこそ一流国立大学を出て内科部長をされている先生がこうおっしゃりました。
*先生はみずから電話かけて転院先を探してくれて朝イチでの診療の予約を取ってくれたうえで。

「せっかく当病院にかかってくれたのに私の力が足りずこの病院ではこの病気は治せません。大変申し分けない。良い病院を探したのでそちらにかかってください」

 私はその場で大泣きしてしまいました。

 今年もよろしくお願いいたします。

「吃音を持ちながら頑張る」という生き方の「弾性限界」 (たびたび再掲載一部改編:初掲載は2008年7月29日)

 「弾性限界」
 理科系でないので正確ではないかもしれませんが(高校の物理で勉強しましたような・・・)、金属などを曲げるのをやめたときに、もとに戻る限界を超える点を「弾性限界点」というような言い方をしたと思います。・・・が、

 吃音者の人生においても、「無理をしないで自分らしくどもりながら(どもりを受容して)生きていく」、または、どもることをバネとして「負けられない!」と頑張って無理して生きていくことのどちらにも「弾性限界」があるのではないかと思うのです。

 どもることをひたすら気にして、どもらないようにしようとあらゆる努力をする生き方もたいへんですが…
 「どもったまま生きていこう、どもリを治そうと頑張らないで生きていこう」という考え方も、もしかしたらそれ以上に大変で、肩肘張らないとそのような生き方ができないのかもしれません
 
 だって、「たいへんなものは大変」だし、「恥ずかしい」ものは恥ずかしいというのが自然ですから。

 さて、(私もそうですが)ある程度以上重いどもりを持ったまま思春期後半(高校生以降)を超えた人、つまり、自然治癒が事実上望めなくなった以降の吃音者にとっては、いまの日本の吃音者に対するサポート(医療・リハビリテーション)のレベルを考えたときに、「公的な吃音者に対するサポートは事実上なし」の状態であることは間違いありません。
 そのような環境下でどもりを持っている思春期以降の人たちが自分達でできることといえば限られていて、(もちろん、症状の重さや、その人を取り囲むいろいろな状況によって大きく違いますが)、セルフヘルプグループに通うことくらいでしょう。

 そうではなくて、「とにかく治そう、少しでも軽くしよう」、と思うのならば・・・・
 インチキと思いつつ半信半疑で通う、(治療費??)に何十万円を払う民間の無資格どもり矯正所に行くしかありません。(悲しことに私が利用した二十数年前と何ら変わっていません。)
*たとえ、日本に数カ所くらい吃音に精通した専門家がいるきちんとした施設があったとしても、通える範囲にそれはなければ、ないのと同じことです。

 ですから必然的に、かつて私が参加していた私的なセルフヘルプグループで行なっていたように、仲間うちで工夫するしかありません。

 仲間で集まって公民館などの部屋を借りて(専門書なども参考にしながら)、
 例えば、心理劇(サイコドラマ)なような方法を使って、電話が苦手ならば電話練習を、ある特定な状況(発表・交渉)で話すことが苦手ならばその状況を再現して練習します。
 私の場合は、グループには様々な年齢層(高校生くらいから成人まで)、様々な仕事の人が集まっていたために、サイコドラマの途中でどもっているときに、いろいろな立場の方の意見を聞きながら進めていくことができました。

 練習日以外にも日常的に電話をかけ合っていました。携帯電話が一般に普及する少し前の時代でしたから、電話といえば固定電話でした。
 親と同居している家に電話する場合、どもりの友人本人がひとりで住んでいる家に電話する場合、と、条件設定をして練習することができましたのでとても役に立ちました。

 たぶん、これがいまの日本でできる、吃音を軽くしよう、治そう、という考えにとどまらず、どもったまま豊かに生きていこうとするベストに近い対策なのではないでしょうか?
*所詮、我々は素人の集まりでしたがそれしか方法がありませんでした。そして、この状況は、悲しいかな、いまでもまったく変わっていません。

 そのような小さなセルフヘルプグループで活動していたとき(90年代初め頃)から、現在でも思っていることなのですが、
「小学校や中学校などのことばの教室では、どもりを持つ子供や両親に対するサポートがきちんと行なわれているのだろうか?」
*そもそも、吃音に精通した言語聴覚士や臨床心理士などの専門家が対応しているのだろうか?

 例えば、「どもりの研究と治療の現状、つまり、どもりはいまの医療レベルで治るものなのかどうなのか?」ということと、
「どもりを治す、という考え方や、どもりを持ったままでも自分らしく生きる」、などということまできちんと先生から説明されているのかどうか?

 また、利用者側の視点に立った、利用者本位のサービス(放課後や、休日などに利用できるか?)がきちんと提供されているか?
つまり、お役所仕事になってはいないか?
 これらのことがしっかりと行なわれていれば、思春期以降までどもりを持ち越した人たちが「どもりに対する正確な知識と心構え」を持っていても良さそうなのですが、いろいろな吃音者やその親御さんに接してみると実に幼稚な知識しか持っていない場合が多いのです。

 どんなにどもりで苦しくても苦労をしても、また、頑張りたくなくても、それぞれの置かれた境遇の中で、毎日をなんとかでも生きていくために、「がんばらないと」生きていけません。
 しかし、そのがんばりにも限界があります。特に個人でできるがんばりには限界があります。

 今回は歴史学者、市井三郎、のことばでしめます。
 「歴史の進歩とは、自らに責任のない問題で苦痛を受ける割合が減ることによって実現される」
講談社現代新書「発達障害の子供たち」(杉山登志朗:愛知小児保健医療総合センター保健センター長)より

吃音をもった小・中学生は「ことばの教室」等でのサポートをきちんと受けることができているのか? (再掲載一部改編:初掲載は2009年3月6日)

 2~3歳に始まることの多いと言われるどもりですが、小学校に入ると受けることができるとされている「ことばの教室」(通級による特別支援教室・授業)を、日本全国にいるどもりを持つ児童・生徒が十分な質を担保されて受けることができているのでしょうか?

 その際に重要なのは、「一部の学校や先生が吃音に熱心に取組んでいる」というのではダメで、「日本中どこに住んでいても、困っている吃音者が同じように質の高いサービスを受けられる」ことが必要です。
親の付き添いが必要ならば、いまでは夫婦共働きが多いので、平日の夕方以降か、土・日・祭日に利用できるようにすることが求められます。(当たり前ですね)
*要するに、「お役所仕事」になってはいませんか?ということなのです。競争の存在する民間企業でしたら、休日出勤・残業してでもクライアントのためにできる限りのことをします。

 どうして「ことばの教室」にこだわるかと言えば、どもりだしてからあまり時がたたないうちに適切なカウンセリングや言語訓練・治療を、また、必要に応じて親などの家族へのカウンセリングや指導を行なった方が良い方向に向かうことが多いと考えられるからです。
*どもりに限らず、人生すべからく、早めに適切に対処するほど良い結果がでます。

 しかし、実際には(現状は)・・・、
★どもりを持っている子供本人が、親や先生に自分のどもり(症状やどもりによる心の悩み)を極力隠そうとするので、悩んでいることが伝わらずに「ことばの教室」を紹介してもらえない。
*どもりを隠そうとする背景には、社会で「どもりはいけない、恥ずかしいもの」、家族では「自分の子供がどもっていることを隠したい」ということがあり、子供の心を傷つけている場合があります。

★学校の担任の先生にどもりに対する正しい知識がなく、場合によっては関心も乏しいことが多いために、「教え子がどもりで悩んでいること」を理解できず、積極的に動かない。

★同級生からからかわれたり、陰に陽にいじめられることが多い。それどころか、どもることをからかう先生が少なからずいることもブログ等で散見されます。(私も経験者です)
*いじめの問題が表面化したときに、「先生も事実を知っていながら放置した、また、イジメに加わっていた」ということも報道されることがあります。

★ことばの教室には通えているが、専門家(言語聴覚士、臨床心理士、精神科医、臨床発達心理士、等)ではない普通の先生が受け持っていて効果的な指導が受けられていない(というか、的外れな指導をしている)。
または、LDなど、最近にわかに注目されてきた他の障害に対する対応におわれている。(先生の忙しさ)
*資格を持った専門家でなく一般の教師でも、一生懸命にどもりについて学んでいて意欲のある方ならばいい加減な専門家よりもよほど良いとは思いますが、やる気のある先生を特に募集して特別に育てているとも思えません。
*普通教室を持たせてもらえない「出来の悪い先生」が受け持たせられているという信じられないような話しを現役の教師から聞いたことがあります。(ほんとうでしょうか??)

★どもりをはじめ、LDなどの障害に対応するための通級教室が小・中学校の総数から見て少なすぎる。これは明らかに政策上の問題である。
*自治体による格差も大きいようです。

 要するに根本的に考えなおす必要があるのです。
 いつまでも20年前30年前と「結果として」ほとんど変わっていない、などとぼやいている場合ではありませんね。

いまの日本で、吃音を持ちながら苦労している方々に対してのプラクティカルなサポートはあるのか? (再掲載一部改編:初掲載は2008年8月)

桜の半蔵門

桜の半蔵門

 私がどもりで悩みまくりの少年~青年だった70年代中頃後半から、大学卒業後に就職の失敗し、引きこもりうつ病を経て、なんとか就職できてサラリーマン(営業マン)としてもがきながら生きた80年代末から90年代…
当時(70年代~90年代)、どもりで悩んでいる私をサポートする体制は私の手の届くところには存在していませんでした。
*当時も言友会などのセルフヘルプグループは存在していたはずですが、インターネットがなかった時代にその存在を知るチャンスは限られていたことと、たとえ知っていたとしても、漠然とした不安や情報不足などから、セルフヘルプグループの戸をたたくことはできなかったでしょう。

 手に届くところに唯一あったものは、民間の「どもり矯正所」でした。
*いまも、矯正所の形は変わりましたが、状況は似たようなものです。
*子供の頃から、街なかの電信柱の広告やマンガ本の隅っこに小さく宣伝記事が載っていて、気にはなっていた存在です。

 子供の頃からのどもりの苦しみも家族には理解されず、大卒後も就職できず、ひとりで突っ張って生きてきた自分の心が燃え尽きたかのようにぷっつりと折れて、20歳代中ごろにもなってうつ状態になりひきこもっていた私がやっとの思いで通いだしたのは民間のどもり矯正所でした。

 そこでの「訓練」は、医学にも心理学にも素人の私にさえわかるほど「子供だまし」でした。
 しかし、そこには、「どもりの友人」ができる環境がありました。
10人くらい入る小さな部屋で、同じ「どもり」という悩みを持った人が全国から集まるわけですから、自然と友達になり、話しあったり、飲みに行ったり・・・
 それで私は救われました。
自殺せずに、この世に踏みとどまることができました。

 現在、かつての私と同じような立場に置かれている人はどうしているのでしょうか?
 今では、インターネットでセルフヘルプグループの存在も知ることができるし、いろいろな人のどもりに対する思いや経験談を見ることができる。便利な時代になったものです。

 特に、ここ10数年は、web上の様々なサービス、SNSやブログなどで、誰もが簡単に自分の考えかたや経験を世界中に発信できるようになりましたので・・・、
かつてはどもりのセルフヘルプグループで知り合って、ある程度親しくなってからはじめてできたような深い話を、(場合によっては)ネット上で接することができるようになり、情報や考えかたを簡単に交換できるようになりました。

 しかし、どもりの人を取り囲む客観状況、特に就職については、私が悩んだ70年代後半~90年代半ば頃よりも遙かに悪くなっています。
*バブル崩壊後の失われた20年、そしてリーマンショック後の就職事情の劇的変化が背景にあります。

 社会が、急速に進んだIT化とは裏腹に、「言葉による高度なコミュニケーション」をますます重視していること。
それは何を意味するかというと、(ある程度以上の重い)どもりでは、他の能力は高くとも正社員として(それなりの企業)に就職できにくくなったことです。
 アルバイトで時給1,000円くらいの給与を得ていても、社会保険もつかないし、いくつになっても親の庇護下の生活しかできず、結婚はできません。

 一般の民間会社は、採用する際に、実務に支障が出なければ、つまり他の社員と同じ結果を出すような人ならば、「どもろうがどもるまいが」それほど気にしないでしょう。
 しかし、(かつての私のように)、どもりで悩んでいる人というのは「ある程度以上重いどもりでコミュニケーションに支障が出ている」から悩んでいるのです。

 学生時代に日常生活レベル、つまり友達や友達の家に電話をするくらいの簡単な電話でも支障が出るくらいのどもりであった場合には、就職したとしても日常の業務に大きな支障が出てくることは間違いありません。
 このような状態で、たとえ強力なコネを使い就職したとしても、新人研修でパニックになり会社に足が向かなくなるかもしれません。

 家庭的に裕福で、学校を出てもしばらくは就職しなくても良い環境でものを考えられるような立場にいたり、専門学校などに通わせてもらい、資格を取れるようなモラトリアムが与えられる人、
 就職についても、いわゆるコネで言葉を使わなくても良い(言葉を使うことが仕事の主要な部分でない)仕事に就けるような環境に居る方は良いかもしれませんが、多くの方はそのような恵まれた環境にはありません。
*(かつての私のような)そのような人たちの問題こそ、どもりの問題の中核です。

 このような「現実」に対して、誠実に、そしてプラクティカル対処していかないと、どんな哲学的な言葉を掲げたとしても、なんの救いにもなりません。

 30年、50年という長期的な視野で考えたときには、大学医学部や国立の研究所などでの本格的な研究が必要で、何十年後かに最終目標を設定し基礎研究から計画的に行なって行く必要性があるでしょうし、
短期的に見たときには、「どもりで就職できない人」や「引きこもりになっている人」などに対して、心理カウンセリングや就職指導を行なうことや、また、希望があれば現在できる最良の言語療法を受けることができるようにすべきです。