吃音(ある程度より重い)で、授業中にふるえている少年少女や、就職を控え不安でいっぱいの人の心をなえさせないために(再掲載一部改編:初掲載は2010年7月13日)

 日本人は、(自分もそうですが)、今でもなお、がんばることが好きです。努力家です。
 今の時期(時代)に書くと否定的に聞こえるかもしれませんが、人生においてがんばることは大切で、昨日の自分よりも今日の自分は少しでも前に進もうという気持ちがないと、多くの場合人生が停滞してしまうでしょう。
*例外が福祉の領域だと思います。心や体に重い障害を持っている人に、障害を持っている部分で必要以上に「がんばることを求める」ことはもってのほかです。その人なりの得意分野で無理のないように徐々に社会参加ができるようにサポートすることが、国や自治体、そして近くにいる人たちの使命ではないでしょうか。

 さて、いつも書いているように、どもりには重いどもりと軽いどもりがあります。
 比較的軽いどもりの場合には、(そして、吃音者と家族やサポートする側とで相互に信頼関係がある場合は)、場合によってはあえて叱咤激励することにより「最初の一歩」を踏み出せるように手伝うことも考えられますが、重いどもりの場合にはそれが全く逆に作用することが多いでしょう。

 耐え難いようなどもりの悩みをを抱えながらも、こころの面、言語面において満足するサポートが得られないことが多い日本においては、孤立無援の状態で、無理をしてでも学校に通ったり就職活動もせざるを得ないのが現状です。
*本当にしんどい場合には無理をしようとしても足が向かなくなりますが、そこまで我慢したらたいていはうつ病などの心の病気になってしまいます。心の病気になると多くの時間を病気との闘いのためにとられてしまいますし、回復にはかなりの時間がかかります。

 いまは、世の中のいろいろな場面で「いきなりに限度を超えてしまって破滅的な結果に終わる場合」が多いようです。
 TVのニュースなどでは、毎日のように家族や会社内の人間関係からの凄惨な殺人などが報道されますが、以前だったら破壊的な結果になる前にご近所や親戚など近くの人が助けてくれたりなどの最低限の「安全装置」がありました。
いまは、それもなくなってきました。いきなり極端なことに至ってしまうのです。

 どもりについても、以前の日本では、学校を出てもどもりでなかなか就職ができなかったら、ご近所や親戚の紹介で就職することもできたでしょうし、都市近郊でも、いわゆる会社員のほかにも農業に従事したり家業を継ぐなどの方法もあり、それで生きていくことができました。

 しかし、今ではそういう選択肢もなくなってきました。
 たとえ、あったとしても「ジリ貧」になってしまいます。食べていけないのです。

 家族や友人間のコミュニケーションの量が減り質も落ちているので、どもりで本当に困っている人の苦しみや孤独感がまわりに伝わらないことが多く、精神的に追い詰められることが多いのではないかと思います。
*スマホなどでの見かけ上のコミュニケーションの量は飛躍的に増えているでしょうが、たわいのないやりとりばかりで、「他人にはなかなか言えないようなことをざっくばらんに話せるというレベルのコミュニケーションや人間関係」が減っているのです。

 いまこのときにも「自殺」することばかり考えているような、深刻に悩んでいる吃音者がどれくらいいるでしょうか?
 サポートする側は、悩んでいる人ほど孤独になるということを考えた上で動かなくてはいけません。

 ではどうすればよいでしょうか?
 吃音者がどもりのために自暴自棄になってしまうまえに、まわりの人ができることは・・・、

★身近にいるどもりを持っている人が、「もしかしたら、思い詰めていて自殺を考えるほど悩んでいるかもしれない」と考えてみること。
★進学、就職などの人生の節目においては特に、どもりを持っている人は100%悩んでいるという前提のもとに動くこと。

 まわりにいる人ができることは、「まずは、ひたすら吃音者の言葉を傾聴することにより信頼関係を築くこと」「そして共感すること」
「(信頼関係を築いた上で)、どうすれば良いかを一緒に考えること」です。

*どもりを原因としたうつ病経験者でもある私としては、うつにも同じような考え方ができるのではないかと思います。
 日本のうつ病に対する体制、短い診療時間と安易な薬の投与ではなかなか治らない。バブル崩壊以降、国民病といわれているうつ病に対する日本の取り組みの問題点がTV、新聞、雑誌等でたびたび取り上げられているにもかかわらず、一向に改善される気配すらないのには怒りすら覚えます。

吃音:柔軟性を持って生きていく(再掲載一部改編:初掲載は2015年6月18日、19日)

その1(現状)
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 今回は、どもりを持った人が「いままで常識的とされていた生き方」にとらわれて結果的に人生につまずいたり追い込まれていくのではなくて、社会情勢の変化(仕事などの環境の大きな変化)を考えながら、大いに柔軟性を持って生きていくことにより、「どもりのみにとらわれた苦しい人生から、少しでも自分らしく幸せが感じられるように生きていくには」という観点で書いてみます。

 まずは、現状について・・・

★家庭では
 子供の頃からのどもりの苦しみ・苦労を家族に理解されないなかで、家庭のなかでも精神的に孤立していることが多い吃音者。(しかも、孤立していることすら理解されません)
 「どもることくらいで・・・、甘えている」
 「もっと苦労している人はいくらでもいる」
 「どもるといってもたいしたことはない、気にするな」
 普通の家族の反応はこんなものでしょう。

★学校では(幼稚園・小・中・高校、大学(院)、専門学校)
 授業中はもちろん友達と話すときでさえ「どもりはしないか」という恐怖心に耐えながらの学校生活です。

(どもりが比較的軽い場合は)
 休み時間の何気ない会話はなんとかこなせるが、「人前で自分の名前を言う」「授業中に発表する」「本をひとりで読まされる」ときなどには・・・、
 ことばがなかなか出てこない
 どもり特有の繰り返しの発音
  になってしまいます。

 大きくどもって失敗した(笑われた、からかわれた)記憶がこびりついていて、「次に発することばも出てこないのでは?」「どもってしまうのでは?」という恐怖心に毎日さいなまれている。

「学校に行きたくない・・・」、最近休みがちになってきた。
*クラスメイトから陰湿ないじめ受けている、場合によっては先生からもからかいを受けているということもあります。

★就職時・就職後の職場では
 学生時代はどもりでいくら悩んでもそれで学校をクビになることはありませんが、仕事の世界は違います。もうけてナンボ、の世界です。
*この意味では民間企業よりも地方公務員などの方が楽なことは確かでしょう。
*学生時代にアルバイトをしようとする時点で、電話での問い合わせができない、面接で落ちて採用されないなどの経験をすることもありますし、そもそも、電話がかけられないのでアルバイトに応募すらできないことも多いのです。ネット申し込みでも結果は同じです。(このあたりは、どもりの重さの違いにより大きく違ってきます)

 就職活動の時点で、当たり前のように電話もかけるし自己紹介もします。
 当然、明るくハキハキとしたしゃべりが求められます。
子供の頃から逃げてきた人前や電話で話すことに否応なく直面します。
*どもりの重さの違いにより就職活動の困難さはかなり大きく変わってきます。
どもりの重さは第三者から見た客観的な重さだけでは計れません。ほとんどどもらないように見えても、特定のことば(名前など)が言えないことなどで深く悩み生活に実害がでているが誰にも相談できない例はいくらでもあります。

 日本には職業選択の自由があり(事務系や営業系などの)話すことがメインの仕事でなくても、ことばを多用しない職種もいくらでもあります。
 しかし、たとえば、都会のサラリーマンの子供がいきなり農林水産業に就くにはハードルが高いのが現実です。
*郊外にある農業法人への就職なども、これからは考えるべきでしょう。

 また、実力者のコネで企業(ことばを当たり前のように言う事務や営業系)に入ったり、比較的軽い吃音者が面接時にたまたまことばの調子が良くて採用されてしまった場合は、仕事を始めてからの苦労はたいへんなものとなり、こころに大きな傷を負うこともあります。

 次回は、柔軟性を持った生き方に変えていく方法を書きます。

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その2(生き方に柔軟性を持たせる)

 前回から続きます。
 ある程度より重いどもりを持っていて、日常生活に支障が出ている。
*いつも書いていることですが、第三者からみてわからないくらいの軽いどもりでも、本人は自殺を考えるほど悩んでいることも多いので注意が必要です。

 そのような人たちが前回書いたような状況下でどもりに悩み、場合によっては人生を立ち止まらなくてはいけない状況になるのです。
 うつ病などのこころの病気になったり、学校や会社に行けなくなりひきこもりになってしまうなどの、文字どおり苦しい立場に追い込まれることもまれではありません。

★柔軟性を持った生き方を
 前回書いたように、学校は吃音者にとっては苦しいだけの場所となり得ます。
 陰湿ないじめを受けている、からかわれているのに、いまの学校はそれを我慢してまで無理をして通うところでしょうか?
 いじめで悩んで自殺したり、心の病になってからでは遅いのです。

 いまの学校はどもりで悩んでいる、いじめで悩んでいる子供に対して有効なサポートを提供できているでしょうか?
 スクールカウンセラーが常駐し子供のほうからカウンセラーに相談しやすい状況があり、スクールカウンセラーにはスーパーバイザーがいて的確なサポートを受けながら子供のサポートができる。
 また、スクールソーシャルワーカーも常駐か常駐に近い形で子供と先生(学校)、そして場合によっては他の公的機関と連絡を取りながら良い方向に持っていけるような環境があるかどうか?
 先進国の日本?ならばあたりまえにととのっていても良さそうですが、いまの日本では、まだ夢の世界ではないでしょうか?

 私が、もしも、今の時代に生きる少年で、このような情報に接することができれば(家族の理解があればの話ですが)、普通の学校に行かずに、別の方法で上の学校に行くための資格を取ったかもしれません。(人生が変わっていたと思います)

 いまでは・・・、フリースクールに通う、大検で上の学校に通うための資格を取る(そのための予備校)、通信制の学校に通うなど、多様な方法が私の頃よりかはだいぶ整ってきたように思います。
*報道によれば、フリースクールでの学びを正式に認めようとする動きも出てきたようですね。
*家族の理解がなければ、自分で公的施設に相談に行ってでも家族にどもりの苦しさをわかってもらうように働きかけることが必要です。

 仕事についても同様です。
 仕事上のことば(どもり)に起因する問題で、針のむしろのような環境で我慢することが、その人の人生にどれほどプラスになるでしょうか?

 当たり前のように電話をかける、顧客と交渉をする、大勢の前でビジネス上のプレゼンをする、顧客からの厳しいクレームに対処するなどの、事務職・営業職にとってはあたりまえの日常は、ある程度以上の重さの吃音者にとっては、明らかに無理があります。
*それでもかつての日本のように定年まで働けるような環境があれば我慢のしがいがありますが、一部の企業や公務員を除いてはそれは(事実上)ありません。

 いまでは職業はかなり多様化してきました。
 学校の就職課には求人は来ていないかもしれませんが、NPO、NGO、いろいろな福祉や医療の領域の仕事もあります。
体を動かすのがメインの農林水産業(法人化されたもの)などに就くという選択肢もあります。
 いままでは都会育ちの若者には遠い存在でしたが、農業法人もありますし、自治体も地方活性化対策で経験やコネのない人たちでもそれらの仕事に就けるように様々な工夫をしつつあります。

 問題は、それらの情報がどもりで悩んでいる小・中・高校生・大学生に伝わらずに選択肢になり得ていないことと、どもりの子供をサポートする先生やその他専門家、親御さんがそこまでの柔軟な考えを持てないこと、どもりに対する正確な知識と情報を持っていないことだと思います。
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吃音:仕事をする人としての現実(その2 仕事とどもり)

 このブログには数こそ少ないですが、どもりで困っている人から深刻なコメントが寄せられます。
 コメントの公開は承認制なので内容が個人的なものだったり深刻な場合には、公開する前に(公開の可否も含めて)直接やりとりさせていただく場合があります。

 非公開のコメントの内容は「どもりと仕事」「どもりと家族」に関することが多いのです。
★仕事の日常業務、会議や電話をする場合に言葉が(なかなか)出ずに、「事実上、仕事にならなくなり追い詰められている場合。
*自分の名前、会社名、相手の名前など言えてあたりまえのことが、面と向かってはもちろん電話や社内電話でも(なかなか)言えない。
*さらに追い詰められてうつ病になりいまの仕事をやめることとなり、その後もなかなか再就職できない。現状を家族からも理解されない。
*追い詰められて自殺を考えた、またはその直前までいって思いとどまったという深刻なコメントもあります。

★子供の頃からのどもりに対する家族の無理解、どもるたびに家族から言い直しをさせられたり注意されることの繰り返しが大きなストレスとなりこころに積み重なり、大人になってからの日常生活や家族関係、近所付き合い、子供の学校のPTA活動などの人間関係や話すことに大きな障害となっている場合。
*どもることにより学校で(同級生や先生から)いじめを受けていた、からかわれていたということも、どもりの症状の固定化や悪化、大人になってからのメンタルな問題を引き起こす大きな原因にもなるでしょう。

 ひとりでする仕事ではなくて組織の中で二人以上で仕事をする場合には(職種により話すことの重要性は大きく違いますが・・・)、
同僚や上司との会話、会議での発言、顧客の前でのプレゼンテーション・交渉など、また、電話の対応はハキハキしたものでなければなりません。
 そうでなければ事実上仕事になりません。特に仕事につきもののクレーム対応においては的確な言葉遣いが必要とされます。
*ここで、どもってもよい(もちろん仕事に影響が出ないくらいのものは除きます)、というのは仕事の現実を無視したものになります。

 このように、このブログには・・・、
 子供の頃からのどもりによるストレスの積み重なりの結果としての心理的な問題、家族との軋轢、
就職・転職がなかなかできない、仕事上での言葉に問題が生じ職務の遂行ができなくなりやめてしまった、または大きく悩んでいる、という人の生の声が寄せられています。

吃音:仕事をする人としての現実(その1、現状)

 親しくなった大人の「吃音仲間」で飲んだりするときには、どうしても「どもりと仕事」にまつわる話が多くなります。
*そもそも「遠慮なくどもりについて話せるくらいの親しいどもり仲間がいるのか?」ということが問題です。子供の頃よりどもっていた私がどもりについて忌憚なく話せるような友人ができたのは、大卒後就職できずに引きこもった(約1年半後くらいでしょうか)後に通い出した民間のどもり矯正所で、同じような境遇の友人ができたときがはじめてです。(家族とも話はできていませんでした)

 このブログでも「どもりと仕事」は主要なテーマになっています。
*数年前に起きてしまった北海道での吃音をもった男性看護師さんの自殺についても何回か扱っています。

 さて、いまTBSで放映されているキムタク主演の「a life」
 医療ドラマが好きな私として、それ以上に、韓流ドラマか?子供向けか?と思うほど誇張された表現が多い最近のテレビドラマに辟易としていた私にとっては、「キムタクと視聴率の話題は別として」久しぶりにじっくりと見られるドラマとして楽しみにしています。

 ドラマのなかでは医師と看護師との関係が丁寧に描かれています。
 特に手術室に入るような看護師の的確な動きには、1年半前に心臓のカテーテル治療を都内の心臓専門病院で経験した私としては(局部麻酔で意識があり、手術室のなかでのテキパキとしたやり取りを感じていたので)思うところが大です。
 器具の確認をするにも、大きな声で品名と有効期限を読みあげて他のスタッフにも確認してもらいながら進めていく、
 ミスを防ぐためには大切なことなんだなと思いながらドラマをみています。
*普段、病院に行くとき、例えば採血をしたりCTを撮ったりする際、また、診察室に入るときでさえも「フルネームでお名前をおっしゃってください(場合によっては生年月日も)」といわれるのがあたりまえになってきました。吃音者にとってはこれが大変な難関なのです。自分の名前が(なかなか)出てこないのが、ある程度より重い吃音者にとっての「あたりまえの症状」だからです。

 社会人としての仕事は、特に、組織のなかで2人以上で仕事をしている場合には、言葉を使うことが大前提になります。
「誰かに何かを確認する」「誰かと話し合って練り上げていく作り上げていく」「交渉により仕事が進む」というように、(職種により言葉を使う頻度は大きく違いますが)誰かと話す(電話をする)ことなしには仕事が進みません。
*世の中ではスマホによるSNS(日本ではLINEなど)が盛んですが、実際のビジネスの現場では人と人との言葉によるコミュニケーションがますます重要になってきています。

 ある程度以上の重さのどもりを持つことにより、話すべきときに話すべき言葉が(なかなか)出ない場合には、個人の仕事はもちろん、チームとしての仕事にも大きな障害が出ます。
 要するに「仕事ができない」という評価となり、人生に直接及ぶの脅威となります。(職場に居づらくなります)

 ある程度以上の重さのどもりを持った人は学生時代でも言葉を使うアルバイトをしない(できない)ことが多いので、この現実に遭遇するのは、就職活動を始めてからか、コネで入った場合は社会人になってからとなります。
*もちろん、子供の頃から学生時代までにもどもりで大いに苦労しますが、とりあえず親の庇護下にあり、生きていくこと(食べていくこと)はなんとかなります。
ただし、どもることでいじめを受けている場合は(いまの学校や教育委員会のずさんな対応を考えるときに)命の危険さえ考える必要があります。

吃音と仕事:現実を考える(再掲載一部改編:初掲載は2008年5月26日)

 インターネットが発達した現在、スマホやPCがあれば、どもりを持つ人の様々な経験談や意見に触れることができます。また、自分でも情報を発信することもできます。
*残念ながらインチキな情報が多いのですが。

 インターネットが一般化するまでは(1995年以前)、どもりを持っている人と知り合うには、たまたま学校のクラスメイトや職場の同僚にどもりを持つ人がいて親しくなるか、民間の無資格どもり矯正所に通うか(それも、授業形式で大勢が参加するようなところ)、どもりのセルフヘルプグループに参加するしかありませんでした。

 しかし、どもりで悩んでいる人にとって、矯正所に通ったりセルフヘルプグループに参加することはかなり敷居が高いのです。
 矯正所やセルフヘルプグループの入り口ドアの前まではきたが入れずに、まわりをうろうろしてから結局は帰ってしまった・・・などという経験談はよく聞くものです。
 実際、私もそうでした。

 そのような方たちが、ことばに表せないような苦労をしながらも少しずつ生きる自信をつけていき「働く日常の世界」に出て行くことは、どもりでない人には想像すらできないくらいの大きなストレスが伴うものです。
*人によっては、世の中に出てみたらそれほど大変ではなかったと実感される場合もあります。 (その逆もあります)

 働く世界に出てみて実感するのは、「働くとはお金を儲けること」だということです。(民間企業の場合)
 職場の同僚は皆、自分の仕事をこなすことで精一杯で、どもりの人がどもろうとどうしようとそんなことはどうでも良いのです。

 どもりの人がいることによって自分の仕事やチームの仕事の流れに影響がでない限り、(まともな大人ならば)どもることで文句をつけてきたりはしませんが、自分の仕事に少しでも影響が出てくると、とたんに非難し始めるでしょうし、
他の(どもらない人との)交代を要求するでしょう。
 そのような世の中の現実(皆、自分のことで精一杯ということ)をしっかりと把握しつつどもりについて考えていかないと、(おとなの)どもりについての議論は非現実的なものとなります。

 サラリーマンが働くような職場においては、「電話をする」「交渉する」などのことばを用いての高度なコミュニケーションは必須で、これが円滑にできないと自身の仕事に支障が出るばかりでなく、職場の仕事全体の流れを阻害します。

 そういう世界に入り込んだ「ある程度より重い」吃音者は大変な苦労をします。

 私も、大卒後すぐに就職できなかった後ろめたさと「会社員として働かないといけない・一人前でない」という考え(思い込み)から、
そして、あえてことばを多用する職種に就いて無理をしていけば「治るだろう」という漠然とした考えから、約2年間の引きこもりを経て職安で探した小さな会社の営業職に無理をしてつきました。

 よく、どもりの会合などで、「自分が、いかに、どもりながらも会社で耐えて努力してきたか」と大演説をぶち教訓をたれる方がいらっしゃいますが、今の日本・これからの日本で、かつての私のように「ひたすらに必要以上の無理をすること」が本当に必要なのでしょうか。

 1960年代くらいからバブル崩壊くらいまでのように、学校を出て「会社」で働けば、ある程度以上の収入を安定的に得られた時代は終わりました。
 毎日遅くまで言われるとおりに働いていれば、定年までの職場が保証され、退職金がもらえる、「かつての日本」は、もうないのです。
 そして、工業製品を外国に輸出してお金を儲ければ食料も水も買える時代が終わり、水や食料が戦略物資となり自国の食料や水が足りなくなればいくらお金を積んでも他国に売ってくれないような時代さえ予見されています。

 そのようなマクロ的な背景もあり、どもりを持つ人の仕事についての考えかたを変える時期が来ているのかもしれません。

「どもりを持つ人が働くこと」=「会社に入って苦手な電話や交渉をして身を削る」だけではないのです。
こんなことを確認し、吃音者自身にあった、過度に(言葉の面で無理をしない)仕事に従事すべき時がきたのかもしれません。

 子供の場合でも「どもりを持ちながら学校に行くこと自体が苦しくて、毎日が針のむしろに座らされているようで、自分がどうにかなってしまいそうだ!」くらいにまで心理的に追い込まれている場合には、いや、そんなことになる前に、
無理してまで学校に行かずにフリースクールのようなところで学びながら、また、心やことばの専門家のサポートを受けながら上の学校の受験資格を得られるようにしていく方法もあります。

 人は幸せになるために生きているのです。吃音者は自分に合った生き方を追求すべきです。

吃音:幼少時からの親子関係・家庭環境がもたらすもの(再掲載:初掲載は2012年9月11日)

 どもりを持っている私が生きてきたなかで、多くのどもりを持つ方々と接してきて感じていることなのですが・・・、
仲良くなりお互いの人生について忌憚なく話し合えるようになった「おとなの吃音者」のなかに、自分の幼少期の話題になると急に寡黙になる方が少なからずいらっしゃるのです。

 吃音についての一般論は実に多くを語り積極的に活動されている方が、自分の子供の頃の話しとなると急に寡黙になるのです。

 吃音者に限らず、自分の過去の話しになると、比較的親しい間柄においても急に寡黙になる方はいらっしゃいます。

 そのようなときには、「かなり辛い経験をされてきたのだろうな」とか、「大変な苦労をされてきて思い出したくないのだろうな」と考えて、こちらからはそれ以上聞くことはしませんね。(おとなの常識です)
*「親友」とは、そういうところまで話せる人間関係のことですが、実際には持っている人はかなり少ないようです。同じ悩みを共有している吃音者の間では比較的できやすいような気がしています。

 なんでこんなことを書いたかというと・・・、吃音者は心の解放がうまくなされていないのではないかと思うのです。

 子供のころからどもりにまつわるかなり辛い経験をしてきて、それを無理矢理に忘れようとするか、または棚上げにしておくことで、いまの自分をなんとか保つようなギリギリの生き方をされているように見えてしまうのです。
*自分も30代前半くらいまではそういう生き方で無理を重ねていました。そういう「危うい生き方」が、結果としてどもりを維持させたり悪化させる、また、実際の症状以上に自分のどもりを悪く評価して苦しんでいるのではないかと思うのです。

 こどもの頃からの辛い経験は例えば・・・、
★子供の頃、どもる度に家族から注意されたり、場合によっては笑われたり無視されたりして、自分の家も安住の地ではなかった。
★子供の頃、学校や友達の間で(場合によっては家庭内で)、どもることにより精神的なレベルか肉体的なレベルでいじめ・虐待を受けていた
★家族関係(親子、夫婦、兄弟、祖父母)が劣悪でケンカやいざこざが絶えず、その人間関係によるストレスにより自分のどもりが維持され悪化して結果として人生がうまくいっていないと、こころのなかで強く思っている。
★しかし、自分の幼少期の経験や自分の家族についてはあまり否定的に思いたくないし、そういう事実を人に知られたくないという複雑な思いが自分を締め付けている。

 一方、全く逆の環境の場合は・・・、
★学校でどもりで困ったり恥ずかしい思いをしても、帰った家ではいくらどもっても怒られることも注意されることもなく静かに話を聞いてくれるので、自分がどもりで困っていることをわだかまりなく家族に話せる。
★家族間で全くケンカのない家庭などありませんが、質実剛健で思いやりのある明るい家庭。

 こんな家庭環境に子供の頃からあれば、どもりが治るかどうかは別として、前述よりかは明らかに良い結果(吃音の悪化が食い止められる、心理的に重症のどもりとならない可能性が大になる)になるでしょう。

 それでは、前述のような「悪い家庭」で育ってしまった場合にはどうしようもないのかといえば、おとなになってから自分の努力でかなり回復できるものと考えます。

★アダルトチルドレンであることを認識する
 「こどもの頃、我慢していたこと」、小中学校のころからどもりで困ったり、どもりを原因としていじめられたりと、場合によっては自殺を考えるほどに悩んでいたのに家族には話すら聞いてもらえなかったし、言い出せるような環境ではなかった。
 そのような場合には、年月を経てからでも、年老いた親の前でも、「当時、自分がたいへん困っていて悩んでいたのに家族には何もしてもらえなかったこと」を大きな声ではっきりと言いましょう。(たぶん家族からは理解されないと思いますが)自分のなかで何かが変わりはじめるかもしれません。

★いままでは自分の人生のなかの「負の部分」と思って、こころのすみっこの方に紙に包んでしまっておいた「こどもの頃のどもりについてのいろいろなこと」を、自分の人生のなかの「ほんとうにあった隠せない事実(人生の一部)」とするために、自分で工夫しましょう。
 それには、例えば、東洋的な修養法である「座禅」なども良いかもしれません。
*もちろん人それぞれです。

★やはり、自分の負の部分をためらいなく語れる友人(親友)を持つことです。

★セルフヘルプグループなど吃音者の集まりに積極的に参加して、自分以外のいろいろな立場の吃音者(性別、年齢、生きざまの違う)がどのような人生観を持って生きているかを体感することです。(ネットのつながりだけでは弱すぎます。)

★信頼できてなんでも話せるホームドクターとしての、精神科医、臨床心理士、言語聴覚士などを努力して見つけ、専門家のサポートの元で、自分のどもりやいままでの人生をできるだけ俯瞰できるように(自分を客観視できるように)していくことです。

吃音者を取り巻く状況2017年

 2017年を迎えました。
 どもりを持っている人の状況について考えてみたいと思います。
*どもりには重さの違いや症状の違いがあります。また、子供の頃から育ってきた家庭環境(精神的・経済的)、いま生きている環境(家庭・学校・職場)により、どもりが人生に及ぼす悪影響は天と地ほどの差がでることを理解しておく必要があります。

1,いじめ事件とどもり
 昨年もいじめ、そして、それによる自殺が多数報道された一年でした。
 特に気になったのは、福島原発の事故で避難されている子供や大人が、それを理由に様々ないじめを受けていることが表面化したことです。
子供のいじめについては、先生もいじめに荷担しているというショッキングな、でも、ありがちなことが報道されることが続いています。

 福島原発の事故で避難している子供に対しクラスメイトが差別的な発言をし脅かしてお金をとっていた事件では、担任に相談した子供が、その後担任から差別的な発言(呼び名)で呼ばれて不登校になったという信じられないような話です。
 また、これは原発がらみではありませんが、いじめを受けて自殺したとみられる仙台の中学生の自宅を自殺直後に教員が訪れてLINEの履歴を削除したという行動(これはもう犯罪です)の報道にはあきれるばかりです。
 ぜひ事実関係を明らかにして厳正な処分を求めたいと思います。

 このようないじめが蔓延している状況では・・・、
どもりながら話す、なかなか言葉が出てこないようなところが滑稽に見えてしまい、また気が小さいからどもっているというステレオタイプな見方をする一般の子供からすれば格好のいじめの対象になるでしょう。
*大人も同様に、職場でのいじめの対象になります。

 いじめ事件の際の学校の先生や教育委員会の逃げ腰・自己保身的な行動や態度をみると、いじめを受けていても先生に相談できないどもりを持った子供が大勢いることも容易に想像できます。
 ただでさえどもりの悩みを相談できない子供たちですから、それプラスいじめでは、かなり追い詰められていることも考えておくべきです。

2、仕事(就職・転職)とどもり
 もう4年ほど前になるでしょうか、北海道で苦労の末看護師になったどもりを持った男性が自殺した報道がありました。
 彼はセルフヘルプグループでも活発に活動し前向きな発言そしていたようで、仲間内では自殺するようには見えなかったとのことです。

 もともと、職業には適性があります(どもりにかかわらず)
 さらに、どもりを持っている場合には、選べる職業の幅が事実上狭まります。
その人がもしもどもりでなかったら合うであろう職業でも、どもりであるために結果として適性がなくなるのが仕事の世界です。

 職種によってその要求度はかなり違いますが、仕事では、言うべき言葉を言うべきときにハキハキと言えることがあたりまえのように要求されます。
 社内で、または取引先で、顧客に対してハキハキと対応できない場合、または、傍から見て重くは見えないどもりでも、本人のこころのなかでは、ストレスで精神的にぎりぎりとなり、自殺すら考えていることもあります。

 先ほどの北海道の看護師のように、人の命にかかわる医療の仕事の世界では、「言うべきときにハキハキと言葉が出てコミュニケーションが円滑にできることは必須でしょう。
(「職場がどもりについて理解があり相談して云々」というのは職種によっては可能な場合もあるでしょうが、この場合は現実的ではありません)

 そのような厳しい世界に飛び込んだ彼、とてつもなく大きなストレスのなかでも前向きに生きようとしたことが、結果としてこころのリソースをすり減らしてしまったのではないでしょうか。

 そういうときに必要なのは「頑張りを語れる(語ってしまう)環境」ではなくて、ほんとうの自分の気持ちや弱音をあたりまえのように吐ける環境です。
「そんなの頑張りすぎだよ!無理だったら早めに辞めて方向転換しようよ!」などと言ってあげられる・話し合える環境だと思います。
*(もちろん善意からですが)そういう前向きに無理をして頑張っている人を(結果として)あおってしまいがちです。

 また、一般の会社の事務系や営業系の仕事は、ある意味それ以上に言葉の要求度が高くなります。
 言葉をあまり使わないイメージがある技術系や現場系の仕事でも、ひとりきりでする仕事以外は言葉による的確なコミュニケーションが意外に必要とされます。
*いままで書いてきたような「仕事の世界の現実」を考えず、どもりでもなんとかなるなどと考えることは現実的ではありません。

吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る):初掲載は2012年5月5日、お互いに信頼できる吃音者が集まってできること:初掲載は2012年5月13日、(どちらも再掲載一部改編)

吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る)

 今回は、しばらく書いていなかったどもりに対する直接的な働きかけについて書いてみます。

★「自分がどもること」を、あらためて心と体でしっかりと受け止めること
★「信頼できるどもり仲間」の間で、安心してどもる経験を積んで自己肯定感を高めていくこと
★必要に応じて、ことばの流ちょう性を高める訓練をする、同時にその限界も知る。(どもりの重さや症状によっては、いたずらに流ちょう性を求めないなど、個人差に十分に配慮する)
★いろいろな重さ・症状、環境にある吃音者と語り合い、どもりに対する偏った考え方をなくしていく。
★どもりについての情報を広く社会に発信し、吃音者の本当のこと、本当の苦しみを知ってもらう。同時にネットでの活動の限界も知る。

 これから書くことはサークル的な活動になりますので、運営の仕方が悪いと個人攻撃となってしまうことがあります。十分な注意が必要です。
 どもりを持っていると言っても実に様々です。この「違い」を十分に考えた上での運営が必要です。

●「自分でもほとんど困らないくらいのごく軽いどもりの方」から、「就学・就職などの節目でも大きな影響が出ないくらいの比較的軽い方」、「日常生活や学校生活、仕事に支障が出る方」、そして「どもることにより引きこもりになったり、うつ病などの心の病気になっているなどのきわめて深刻な方」まで実に様々です。
●また、吃音者が生きている環境も様々です。
どもりに対する家族の理解があるかどうか?、職場や学校でも、どもっている自分のことを受け入れてもらっているか?

♥少人数で目的を合わせるとうまくいきやすい。
 最初から本格的な活動を望まないで、やりやすいとことから。
 同じくらいの年齢で、例えば就職、再就職を控えているのになかなか第一歩が踏み出せないというような、同じような境遇にいる人たちで集まるグループ活動がやりやすいでしょう。
 仲間をみつけるには、まずはセルフヘルプグループに参加してみて、そのなかで気の合う仲間をみつけるところからはじめればよいと思います。
 地域の公民館の会議室は低価格で借りられますので活動の拠点にできます。
 いまでは、携帯やスマホで簡単に連絡を取り合えますので、日程や会場の変更にも柔軟に対応できます。

♥皆が苦手な電話の練習は、お互いの携帯にかけるところからはじめて、次第に家族が出ることもあるお互いの家の電話にかけるようにしていきます。相手がいないときは、104の電話番号調べや企業などのお問い合わせ電話にかけるのも良いでしょう。

♥街なかで、買い物で
 仲間で、あらかじめテーマを設定してから街中に出て、歩いている人に道を聞く、デパートやスーパーで店員にいろいろと質問をするなど、日常や仕事のなかで話す環境に近い経験をする。
 その際の注意は、「どもらないようにする」というよりも、上手にどもりながらでも結果的に相手とコミュニケーションをとれることを体験することにより少しずつ自信をつけていく。
 活動が終わってからは、お互いの違いを認めながらざっくばらんに話し合う。

♥サークル感覚で運営し深刻にならないように、
 グループにはバランス感覚に優れた統率力のあるリーダーを置き、個人攻撃的にならないように、ボス的な人が出てこないように注意しながら楽しく行う。

♥サークルのホームページ、ブログなどを作り情報を発信していく。同時に新しい仲間を集めることもできます。

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お互いに信頼できる吃音者が集まってできること

 前回の書き込み「吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る)」では、気の合うどもり仲間でできることを書きました。

 いまの日本において、どもりで深く悩んでいる人がその悩みをすべて打ち明けることができ、また共感を持って持って聞いてもらえる人がいるところ。必要に応じて言葉の流ちょう性を確保するために練習したり、または、いたずらに治そうとしないでうまく共存しようとする、などの、試行錯誤ができる環境はセルフグループしかありません。
 しかし、セルフグループも人の集まりですから場合によっては人間関係で苦しむことがあるかもしれません。

 既存のセルフヘルプグループに入ってみて自分には合わないと感じたら、我慢などする必要なありません。余計な苦労をしないように、生きるうえで大切にしたい価値観を共有できる仲間をみつけて自分達なりのセルフヘルプグループを作って活動してください。
*いまではスマホや携帯で互いの連絡が自由に取れるようになったので、既存のどもりセルフヘルプグループにこだわらずに、気の合うどもり仲間を集めて自分達なりの活動ができます。

 さて、私がかつて行っていた方法で書き忘れたものがあります。サイコドラマ(心理劇)です。
サイコドラマというといかにもぎょうぎょうしくて専門的知識が必要に思えるかもしれませんが簡単です。
 
 例えば、授業中に指名されて本を読まされるとボロボロになってしまうという、ある程度以上の重さの吃音者にはあたりまえのようにある悩み(私もそうでした)
 そのような場合は、安価で借りられる地域の公民館の会議室を借りてサイコドラマをしてみましょう。

 学校ですから教室のように机といすを並べ替えます。
 先生役の人、同級生役の人、そして困っている本人が「教室」に座り先生役の人から指名されて応えたり、本を読まされたりします。
 大きくどもったり、最初の言葉が出てこないで行き詰まった場合には進行を止めて皆で話し合います、「私の場合はこうしたらよかった」、「こう考えていけば楽になるのでは」などと自由に楽しく話し合うのです。

 注意することは、人格円満で公平公正、リーダーシップをとれる人がリーダーとなり、大きな流れをコントロールすることです。
★個人攻撃にならないように
★誰かが一方的なな意見を押しつけることがないように。
★グループ内でボスを作らない。グループ内で先輩も後輩もない、みんな同じ。

 公民館の会議室が教室にもオフィスにも化けるわけです。
終わってからは楽しく打ち上げしながら話し合えば良いと思います。
*やはり、ネット上のバーチャルな集まりばかりではなくて、実際に顔をつきあわせて語り合うことです。互いが十分に分かってきたところで携帯やスマホで連絡を取り合ったり、仲間でグループのWebページなどを作って情報を発信していけば良いのではないでしょうか。

「吃音を受容する(受け入れる)」、「どもりを軽くしたい・治したい」という考えかたは、どちらかが正しいということではない

 どもりである私は既存のどもりのセルフヘルプグループに属したことがないので直接は知らないのですが、セルフヘルプグループや吃音治療や相談にかかわる関係者のなかではここ何十年も・・・、
「どもりを治そう、治したい」という考え方と、
「どもりにこだわるのをやめて受け入れて生きよう」という考え方をする人がいて、それなりの対立構造があるらしいことはなんとなく知っていました。
*かつて80年代末大卒後就職できなかった私は通った民間のどもり矯正所で何人かの気の合う仲間と小さなセルフヘルプグループを作った経験があります。

 でも、少し落ち着いて考えてみると、どもりのセルフヘルプグループに参加している人は吃音者のなかのごく一部で1割にも満たないことがわかります。
 そのような現状でもしも対立構造があるとすれば、いまどもりで悩んでいてセルフヘルプグループに興味を持ったり、参加しようと思っている人のこころが「ひけて」しまうのではないかと思うのです。

 「どもりについてどう思うか」とか「その治療感」についてはいろいろな考え方があって良いですし、そもそも、そのような違いを認め合えないのならば、集まり自体にも魅力がなくなってしまいます。

以前もこのブログに書いたことがありますが、人はそのときの置かれた様々な状況でその心持ちも変わるものです。
 職場や学校で比較的うまくいっているときは「どもりを受け入れよう」と思えるかもしれない同じ人が、どもりのために大きな失敗をしたり恥をかいたときなどは、受け入れるどころか「なんとか軽くしたい。できれば治したい」と思うのは至極当然です。
 そのようなことを否定してしまっては話が現実離れしてしまいます。
*「いまいる職場や学校でなんとか適応して生きていこう」というあたりまえの想い・生き方を否定できません。

 吃音者(重さや症状、生きている家庭環境、学校環境、職場環境も実に様々でしょう)が、いま自分が生きている場所にできるだけ適応できて、人生を少しでもよくしたい・充実した人生を送りたいというあたりまえの心持ちを否定しても意味がありません。

 どもりは、その重さの違いで、その人の人生に与える影響が大きく違ってきます。
 特に、重い吃音者の学生時代、そして社会人になるまで、なってからの苦労は、語られることもほとんどありませんので一般には知られていませんが、きわめて大変なものです。
 一方、傍から見てごく軽く見える吃音者は楽かというと、どもりでない人と同じ環境で学んだり働いたりするなかで、そのプレッシャーは(人により、その学んだり働いているところの環境によっては)その人の人生を追い詰めていくものになります。
*吃音者の学校や職場でのいじめの問題も無視できない深刻な問題です。

 そういったことを考えると・・・、
 いま悩んでいる吃音者、学校や職場に通えなくなって引きこもっている人、就職できずに悩んでいる人などに、その人の立場に沿ったサポートが受けられるような体勢を作ることが必要です。

 どもりを持った子供には小学校高学年にもなったら、きれいごとではなく、これから経験するであろう様々な困難を正直に教えていく、そしてその上で、大きくくじけないようにしっかりとサポートしていくことこそ重要ではないかと思います。

吃音:どもりを持つ子供に言ってはいけない言葉

 どもりを持つ子供に親御さんが言ってはいけない言葉。
よく言われるのは・・・
「ゆっくりとしゃべりなさい」
「もういちどはっきりと言いなさい」
 のような言葉です。
*「どもらないようにしゃべりなさい・・・」などとは言わないでしょうが??

 その他、褒める言葉も気をつけなければなりません。
「この頃良くなったね」「最近どもらなくなったね・・・」

 多くの場合どもらなくなったのではなくて、家庭内ではどもりそうな言葉を避けられるので使わないか、話す絶対量を減らしている(どもりが目立たない)のでしょう。
 または、そのとき、どもりの重さや症状の波が、たまたま軽い方に振れていたときだったのでしょう。

 そんなときに褒められても当惑するばかりです。
家庭内では遠慮なくどもれる環境こそ大切です。
*それでなくても学校などの外の世界では「どもってはいけない」とか「どもると恥ずかしい」という大きなストレスがかかっていますので・・・(もしかしたら、いじめにあっているかもしれません。)