家族の理解が得られない吃音者の現状(たびたび再掲載一部改編:初掲載は2014年11月5日)

 いまさら言うまでもないことかもしれませんが、どもりで困っている子供から大人までの方々は、その悩みを家族(親・兄弟・祖父母そして配偶者)にさえ理解してもらえずに、悩みながら人生を送っていることが多いのです。
*吃音者の集まりなどでよいとしをした大人が、「子供の頃からのどもりの悩みを、家族にすら、いや、家族だからこそ、理解されずにきたこと」を泣きながら訴える場に何回か遭遇しています。

 なぜ、なかなか理解されないかというと・・・、
★学校の授業ではひどくどもってしまい、先生やクラスメイトに笑われたりいじめられたりしている一方、家族の前ではほとんど話さないか、話しやすいことばのみをを発すればよいので(そうしているので)ごく軽いどもりに見られてしまっている。

★大人の場合、たとえば、お子さんの学校のPTA関係の電話で、自分の名前が言えずに変な人に思われたり、PTAの集まりでも同様で、自分の名前も言えずに笑われたりします。

★職場では、電話で自分の名前や会社名が言えずに(なかなか言えずに)顧客に笑われたり、それらのことで結果として仕事の流れに支障を来たし・・・、顧客から「担当を変えてくれ」といわれることもあり(私も経験者です)、ついには居づらくなりやめざるを得なくなることもあります。

 吃音者は日常的にこのような状況に置かれているのです。
*困っている度合いは、重さや症状の違いによりかなり大きく変わります。

 しかし、「子供の頃からどもることによってどれほど苦労してきたか」を、ほんとうに理解してくれている家族は、まず、いない、というのが本当のところなのではないでしょうか。
 寂しく思われる方もいらっしゃるかもしれませんが現実はそんなものです。
*それでは、日常の何気ない会話でも常に大きくどもるような方は家族の理解を得られているということではありません。しかし、問題の本質がより深刻であることは間違いありません。

 結局、現状では、自分の身は自分で守るしかありません。
*家族から理解されるどころか、「それほど重いどもりでもないのに何を甘えたことを言ってるんだ!」と怒られてしまうくらいなのがよくある光景です。

 それでは、理解を得られないなかで吃音者はどうしたらよいのでしょうか?
 わかってもらえない家族に対してどもりで困っていることを執拗に訴えてみても不毛な応酬が続くだけでかえって自分の心が疲れるだけですし、形だけでも均衡が保たれてきた家庭内の人間関係を悪化させるだけで生産的ではありません。

 そのような場合は、(寂しいことですが)、家族に理解されることを期待しないで発想を転換しましょう。
 たとえば、どもりのセルフヘルプグループに参加して、自分の悩みをわかってくれる人の前で気持ちをはき出せる環境を作ることです。
 それだけでも精神的に大きく救われるでしょう。
 グループのなかで特に気の合う人ができれば、さらに深く語り合うのもよいでしょう。

 また、日常的に気軽にかかれる、なんでも話せる精神科医、臨床心理士、言語聴覚士がみつかればよいことです。
そうすることでなによりも自分が救われるし、結果的に家族との(表面的な関係も)悪化せずにすみます。

 しかし、家庭内、学校、職場で、ことばによる虐待、暴力、パワハラを受けている場合は話が全く違ってきます。
 いろいろな公的・私的機関に相談して(児童相談所、警察など、法テラス、弁護士会など)しかるべき手を打ちましょう。自分を守ってください。

(参考):吃音(になったの)は自分の責任ではないので「スミマセン」はいらない。卑屈にならないで!

吃音:期待と現実

 子供の頃から、ある程度以上の重さのどもりで日常生活や学校生活・仕事において、その人なりの困難さを抱えながら生きている人にとって、「どもり」は仕方なくでも付き合わなければいけない障害です。

 朝起きていちばんの「おはよう」の「お」が出ずに、「今日もうまくいかないな」と感じるときが、今日一日のどもりとの付き合いのはじまりになります。

 また、今日は調子よく言葉が出るな・・・という日もありますが、
 今日は調子が良いがそのうち悪くなるだろうなという予感も感じていました。
*次の日に発表などのどもりそうなイベントがあることがわかっている場合には、前の日からよく眠れずに新しい日を迎えているかもしれません。
*もちろん常に大きくどもる人もいます。どもりは人それぞれです。

 2~3歳からどもりだして小学校2~3年くらいからはどもりを強く意識して、その後悩んできた私は・・・、
あるときは比較的調子の良い自分の言葉を感じ「これならそのうち治るかな?」と期待し、また、数日後には、授業中に指名されて大きくどもってしまったり、言葉がなかなか出ずに立ちんぼしているときには、「これから先、自分はどうなるんだろう!」と大きな不安につぶされそうになり、その繰り返しの少年時代・思春期でした。

 それでも学校は、どもりではクビにはなりません。
*陰湿ないじめに遇えば大変なことになる危険性は常にあります。いじめによる自殺の報道は絶えることがありません。
*子供でもスマホを持ちLINEなどのSNSをあたりまえにしているいま、見えないところでのいじめも多いでしょう。

 しかし、なんといっても、どもり持ちの最大の難関は就職(就業)です。
 他人のなかで、大小様々な組織の中で・・・、自分を主張し、しっかり・はっきりと言葉で伝えて競争のなかで生きていくというサラリーマンではあたりまえなことが、きわめて不得意なのが吃音者なのです。
*高度成長が遠い昔話となったいまの日本では、真面目に・人並みにやっていればなんとかなる、などどという状況ではないことは、皆さんおわかりのことと思います。

 私の生まれる前(高度成長前半の昭和30年代前半くらいまでの)の日本ならば、サラリーマンにならなくても(都市部でも)自分の家の仕事(商店などの自営業)を継いで生きていく方法もありましたが、いまではそういう選択は現実的ではありません。じり貧に追い詰められるだけです。
 また、いまでも、地方で安定した農家に生まれるような幸運なことがあれば、どもりを抱えていても、いままでの人間関係のなかで仕事をして穏やかに生きていくことができると思います。
*しかし、家族のなかで仕事をするという別の意味の息苦しさはあるでしょう。

 いままで書いてきたような吃音者を取り巻く現実をしっかりと見直したうえで、
★どもりだした小さな子供に対する、また、親に対する公的な支援体制(カウンセリング・治療)をどのように構築していくべきか?(市役所・保健所・医師・カウンセラーなど)
★小学校以降のどもりを持ったこどもに対する指導をどのような形で行なっていくべきか(土曜、日曜、休日、放課後を含めた、専門領域を履修した教師、言語聴覚士、精神科医、臨床心理士などによる継続的なサポートの構築と、どもりの子供同士が日常的に触れあえるサロン的な環境の構築)
★事実上公的サポートのなくなる高校生以上の吃音者に対して、進学や就職という難関を前にして、また、今どきのいじめ問題にも対処できるような、公的サポート・カウンセリング体制をどうやって構築していくべきか?

このあたりを考えていくべきと思います。

吃音:新学期を迎えた子供は(再掲載一部改編:初掲載は2012年4月9日)

 私は、いまごろの時期(3月から4月、特に桜の咲く時期)にはあまり良い思い出がありません。

★先生も替わるしクラスメイトも変わるので、また自己紹介をしなければいけない。

★健康診断では自分の名前を言わなければいけない。
(出席番号1番でクラスで最初に名前を聞かれる!)

★授業中にどもってしまい、新しい先生に「君どもりだね」という顔をされる。私のことを知らない新しいクラスメイトからは笑われる。

★高校受験では自分の名前がなかなか言えないような面接がイヤなので、面接のない公立高校一本で受験した。

★そして、大卒後の就職失敗とひきこもり

 いまの、小学生から高校生くらい、大学や専門学校で就職前後のどもりを持った皆さんはどうなのでしょうか?

★どもりで悩んだ末に不登校や引きこもり、うつ病などのこころの病気にならないように、気軽に相談できるカウンセラーや臨床心理士、精神科医などが身近にいますか?
*これは先進国の日本としては完備されていてあたりまえなのですが整っていません。

★自分のどもりの悩みを包み隠さず話せる親友も(ひとりでよいので)必要です。
*(言友会「げんゆうかい」に代表される)どもりのセルフヘルプグループなどにも参加して、どもりという同じ障害を持つ同じ世代の友をぜひ見つけてください。

吃音(ある程度より重い)で、授業中にふるえている少年少女や、就職を控え不安でいっぱいの人の心をなえさせないために(再掲載一部改編:初掲載は2010年7月13日)

 日本人は、(自分もそうですが)、今でもなお、がんばることが好きです。努力家です。
 今の時期(時代)に書くと否定的に聞こえるかもしれませんが、人生においてがんばることは大切で、昨日の自分よりも今日の自分は少しでも前に進もうという気持ちがないと、多くの場合人生が停滞してしまうでしょう。
*例外が福祉の領域だと思います。心や体に重い障害を持っている人に、障害を持っている部分で必要以上に「がんばることを求める」ことはもってのほかです。その人なりの得意分野で無理のないように徐々に社会参加ができるようにサポートすることが、国や自治体、そして近くにいる人たちの使命ではないでしょうか。

 さて、いつも書いているように、どもりには重いどもりと軽いどもりがあります。
 比較的軽いどもりの場合には、(そして、吃音者と家族やサポートする側とで相互に信頼関係がある場合は)、場合によってはあえて叱咤激励することにより「最初の一歩」を踏み出せるように手伝うことも考えられますが、重いどもりの場合にはそれが全く逆に作用することが多いでしょう。

 耐え難いようなどもりの悩みをを抱えながらも、こころの面、言語面において満足するサポートが得られないことが多い日本においては、孤立無援の状態で、無理をしてでも学校に通ったり就職活動もせざるを得ないのが現状です。
*本当にしんどい場合には無理をしようとしても足が向かなくなりますが、そこまで我慢したらたいていはうつ病などの心の病気になってしまいます。心の病気になると多くの時間を病気との闘いのためにとられてしまいますし、回復にはかなりの時間がかかります。

 いまは、世の中のいろいろな場面で「いきなりに限度を超えてしまって破滅的な結果に終わる場合」が多いようです。
 TVのニュースなどでは、毎日のように家族や会社内の人間関係からの凄惨な殺人などが報道されますが、以前だったら破壊的な結果になる前にご近所や親戚など近くの人が助けてくれたりなどの最低限の「安全装置」がありました。
いまは、それもなくなってきました。いきなり極端なことに至ってしまうのです。

 どもりについても、以前の日本では、学校を出てもどもりでなかなか就職ができなかったら、ご近所や親戚の紹介で就職することもできたでしょうし、都市近郊でも、いわゆる会社員のほかにも農業に従事したり家業を継ぐなどの方法もあり、それで生きていくことができました。

 しかし、今ではそういう選択肢もなくなってきました。
 たとえ、あったとしても「ジリ貧」になってしまいます。食べていけないのです。

 家族や友人間のコミュニケーションの量が減り質も落ちているので、どもりで本当に困っている人の苦しみや孤独感がまわりに伝わらないことが多く、精神的に追い詰められることが多いのではないかと思います。
*スマホなどでの見かけ上のコミュニケーションの量は飛躍的に増えているでしょうが、たわいのないやりとりばかりで、「他人にはなかなか言えないようなことをざっくばらんに話せるというレベルのコミュニケーションや人間関係」が減っているのです。

 いまこのときにも「自殺」することばかり考えているような、深刻に悩んでいる吃音者がどれくらいいるでしょうか?
 サポートする側は、悩んでいる人ほど孤独になるということを考えた上で動かなくてはいけません。

 ではどうすればよいでしょうか?
 吃音者がどもりのために自暴自棄になってしまうまえに、まわりの人ができることは・・・、

★身近にいるどもりを持っている人が、「もしかしたら、思い詰めていて自殺を考えるほど悩んでいるかもしれない」と考えてみること。
★進学、就職などの人生の節目においては特に、どもりを持っている人は100%悩んでいるという前提のもとに動くこと。

 まわりにいる人ができることは、「まずは、ひたすら吃音者の言葉を傾聴することにより信頼関係を築くこと」「そして共感すること」
「(信頼関係を築いた上で)、どうすれば良いかを一緒に考えること」です。

*どもりを原因としたうつ病経験者でもある私としては、うつにも同じような考え方ができるのではないかと思います。
 日本のうつ病に対する体制、短い診療時間と安易な薬の投与ではなかなか治らない。バブル崩壊以降、国民病といわれているうつ病に対する日本の取り組みの問題点がTV、新聞、雑誌等でたびたび取り上げられているにもかかわらず、一向に改善される気配すらないのには怒りすら覚えます。

吃音:柔軟性を持って生きていく(再掲載一部改編:初掲載は2015年6月18日、19日)

その1(現状)
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 今回は、どもりを持った人が「いままで常識的とされていた生き方」にとらわれて結果的に人生につまずいたり追い込まれていくのではなくて、社会情勢の変化(仕事などの環境の大きな変化)を考えながら、大いに柔軟性を持って生きていくことにより、「どもりのみにとらわれた苦しい人生から、少しでも自分らしく幸せが感じられるように生きていくには」という観点で書いてみます。

 まずは、現状について・・・

★家庭では
 子供の頃からのどもりの苦しみ・苦労を家族に理解されないなかで、家庭のなかでも精神的に孤立していることが多い吃音者。(しかも、孤立していることすら理解されません)
 「どもることくらいで・・・、甘えている」
 「もっと苦労している人はいくらでもいる」
 「どもるといってもたいしたことはない、気にするな」
 普通の家族の反応はこんなものでしょう。

★学校では(幼稚園・小・中・高校、大学(院)、専門学校)
 授業中はもちろん友達と話すときでさえ「どもりはしないか」という恐怖心に耐えながらの学校生活です。

(どもりが比較的軽い場合は)
 休み時間の何気ない会話はなんとかこなせるが、「人前で自分の名前を言う」「授業中に発表する」「本をひとりで読まされる」ときなどには・・・、
 ことばがなかなか出てこない
 どもり特有の繰り返しの発音
  になってしまいます。

 大きくどもって失敗した(笑われた、からかわれた)記憶がこびりついていて、「次に発することばも出てこないのでは?」「どもってしまうのでは?」という恐怖心に毎日さいなまれている。

「学校に行きたくない・・・」、最近休みがちになってきた。
*クラスメイトから陰湿ないじめ受けている、場合によっては先生からもからかいを受けているということもあります。

★就職時・就職後の職場では
 学生時代はどもりでいくら悩んでもそれで学校をクビになることはありませんが、仕事の世界は違います。もうけてナンボ、の世界です。
*この意味では民間企業よりも地方公務員などの方が楽なことは確かでしょう。
*学生時代にアルバイトをしようとする時点で、電話での問い合わせができない、面接で落ちて採用されないなどの経験をすることもありますし、そもそも、電話がかけられないのでアルバイトに応募すらできないことも多いのです。ネット申し込みでも結果は同じです。(このあたりは、どもりの重さの違いにより大きく違ってきます)

 就職活動の時点で、当たり前のように電話もかけるし自己紹介もします。
 当然、明るくハキハキとしたしゃべりが求められます。
子供の頃から逃げてきた人前や電話で話すことに否応なく直面します。
*どもりの重さの違いにより就職活動の困難さはかなり大きく変わってきます。
どもりの重さは第三者から見た客観的な重さだけでは計れません。ほとんどどもらないように見えても、特定のことば(名前など)が言えないことなどで深く悩み生活に実害がでているが誰にも相談できない例はいくらでもあります。

 日本には職業選択の自由があり(事務系や営業系などの)話すことがメインの仕事でなくても、ことばを多用しない職種もいくらでもあります。
 しかし、たとえば、都会のサラリーマンの子供がいきなり農林水産業に就くにはハードルが高いのが現実です。
*郊外にある農業法人への就職なども、これからは考えるべきでしょう。

 また、実力者のコネで企業(ことばを当たり前のように言う事務や営業系)に入ったり、比較的軽い吃音者が面接時にたまたまことばの調子が良くて採用されてしまった場合は、仕事を始めてからの苦労はたいへんなものとなり、こころに大きな傷を負うこともあります。

 次回は、柔軟性を持った生き方に変えていく方法を書きます。

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その2(生き方に柔軟性を持たせる)

 前回から続きます。
 ある程度より重いどもりを持っていて、日常生活に支障が出ている。
*いつも書いていることですが、第三者からみてわからないくらいの軽いどもりでも、本人は自殺を考えるほど悩んでいることも多いので注意が必要です。

 そのような人たちが前回書いたような状況下でどもりに悩み、場合によっては人生を立ち止まらなくてはいけない状況になるのです。
 うつ病などのこころの病気になったり、学校や会社に行けなくなりひきこもりになってしまうなどの、文字どおり苦しい立場に追い込まれることもまれではありません。

★柔軟性を持った生き方を
 前回書いたように、学校は吃音者にとっては苦しいだけの場所となり得ます。
 陰湿ないじめを受けている、からかわれているのに、いまの学校はそれを我慢してまで無理をして通うところでしょうか?
 いじめで悩んで自殺したり、心の病になってからでは遅いのです。

 いまの学校はどもりで悩んでいる、いじめで悩んでいる子供に対して有効なサポートを提供できているでしょうか?
 スクールカウンセラーが常駐し子供のほうからカウンセラーに相談しやすい状況があり、スクールカウンセラーにはスーパーバイザーがいて的確なサポートを受けながら子供のサポートができる。
 また、スクールソーシャルワーカーも常駐か常駐に近い形で子供と先生(学校)、そして場合によっては他の公的機関と連絡を取りながら良い方向に持っていけるような環境があるかどうか?
 先進国の日本?ならばあたりまえにととのっていても良さそうですが、いまの日本では、まだ夢の世界ではないでしょうか?

 私が、もしも、今の時代に生きる少年で、このような情報に接することができれば(家族の理解があればの話ですが)、普通の学校に行かずに、別の方法で上の学校に行くための資格を取ったかもしれません。(人生が変わっていたと思います)

 いまでは・・・、フリースクールに通う、大検で上の学校に通うための資格を取る(そのための予備校)、通信制の学校に通うなど、多様な方法が私の頃よりかはだいぶ整ってきたように思います。
*報道によれば、フリースクールでの学びを正式に認めようとする動きも出てきたようですね。
*家族の理解がなければ、自分で公的施設に相談に行ってでも家族にどもりの苦しさをわかってもらうように働きかけることが必要です。

 仕事についても同様です。
 仕事上のことば(どもり)に起因する問題で、針のむしろのような環境で我慢することが、その人の人生にどれほどプラスになるでしょうか?

 当たり前のように電話をかける、顧客と交渉をする、大勢の前でビジネス上のプレゼンをする、顧客からの厳しいクレームに対処するなどの、事務職・営業職にとってはあたりまえの日常は、ある程度以上の重さの吃音者にとっては、明らかに無理があります。
*それでもかつての日本のように定年まで働けるような環境があれば我慢のしがいがありますが、一部の企業や公務員を除いてはそれは(事実上)ありません。

 いまでは職業はかなり多様化してきました。
 学校の就職課には求人は来ていないかもしれませんが、NPO、NGO、いろいろな福祉や医療の領域の仕事もあります。
体を動かすのがメインの農林水産業(法人化されたもの)などに就くという選択肢もあります。
 いままでは都会育ちの若者には遠い存在でしたが、農業法人もありますし、自治体も地方活性化対策で経験やコネのない人たちでもそれらの仕事に就けるように様々な工夫をしつつあります。

 問題は、それらの情報がどもりで悩んでいる小・中・高校生・大学生に伝わらずに選択肢になり得ていないことと、どもりの子供をサポートする先生やその他専門家、親御さんがそこまでの柔軟な考えを持てないこと、どもりに対する正確な知識と情報を持っていないことだと思います。
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吃音:仕事をする人としての現実(その2 仕事とどもり)

 このブログには数こそ少ないですが、どもりで困っている人から深刻なコメントが寄せられます。
 コメントの公開は承認制なので内容が個人的なものだったり深刻な場合には、公開する前に(公開の可否も含めて)直接やりとりさせていただく場合があります。

 非公開のコメントの内容は「どもりと仕事」「どもりと家族」に関することが多いのです。
★仕事の日常業務、会議や電話をする場合に言葉が(なかなか)出ずに、「事実上、仕事にならなくなり追い詰められている場合。
*自分の名前、会社名、相手の名前など言えてあたりまえのことが、面と向かってはもちろん電話や社内電話でも(なかなか)言えない。
*さらに追い詰められてうつ病になりいまの仕事をやめることとなり、その後もなかなか再就職できない。現状を家族からも理解されない。
*追い詰められて自殺を考えた、またはその直前までいって思いとどまったという深刻なコメントもあります。

★子供の頃からのどもりに対する家族の無理解、どもるたびに家族から言い直しをさせられたり注意されることの繰り返しが大きなストレスとなりこころに積み重なり、大人になってからの日常生活や家族関係、近所付き合い、子供の学校のPTA活動などの人間関係や話すことに大きな障害となっている場合。
*どもることにより学校で(同級生や先生から)いじめを受けていた、からかわれていたということも、どもりの症状の固定化や悪化、大人になってからのメンタルな問題を引き起こす大きな原因にもなるでしょう。

 ひとりでする仕事ではなくて組織の中で二人以上で仕事をする場合には(職種により話すことの重要性は大きく違いますが・・・)、
同僚や上司との会話、会議での発言、顧客の前でのプレゼンテーション・交渉など、また、電話の対応はハキハキしたものでなければなりません。
 そうでなければ事実上仕事になりません。特に仕事につきもののクレーム対応においては的確な言葉遣いが必要とされます。
*ここで、どもってもよい(もちろん仕事に影響が出ないくらいのものは除きます)、というのは仕事の現実を無視したものになります。

 このように、このブログには・・・、
 子供の頃からのどもりによるストレスの積み重なりの結果としての心理的な問題、家族との軋轢、
就職・転職がなかなかできない、仕事上での言葉に問題が生じ職務の遂行ができなくなりやめてしまった、または大きく悩んでいる、という人の生の声が寄せられています。

吃音:仕事をする人としての現実(その1、現状)

 親しくなった大人の「吃音仲間」で飲んだりするときには、どうしても「どもりと仕事」にまつわる話が多くなります。
*そもそも「遠慮なくどもりについて話せるくらいの親しいどもり仲間がいるのか?」ということが問題です。子供の頃よりどもっていた私がどもりについて忌憚なく話せるような友人ができたのは、大卒後就職できずに引きこもった(約1年半後くらいでしょうか)後に通い出した民間のどもり矯正所で、同じような境遇の友人ができたときがはじめてです。(家族とも話はできていませんでした)

 このブログでも「どもりと仕事」は主要なテーマになっています。
*数年前に起きてしまった北海道での吃音をもった男性看護師さんの自殺についても何回か扱っています。

 さて、いまTBSで放映されているキムタク主演の「a life」
 医療ドラマが好きな私として、それ以上に、韓流ドラマか?子供向けか?と思うほど誇張された表現が多い最近のテレビドラマに辟易としていた私にとっては、「キムタクと視聴率の話題は別として」久しぶりにじっくりと見られるドラマとして楽しみにしています。

 ドラマのなかでは医師と看護師との関係が丁寧に描かれています。
 特に手術室に入るような看護師の的確な動きには、1年半前に心臓のカテーテル治療を都内の心臓専門病院で経験した私としては(局部麻酔で意識があり、手術室のなかでのテキパキとしたやり取りを感じていたので)思うところが大です。
 器具の確認をするにも、大きな声で品名と有効期限を読みあげて他のスタッフにも確認してもらいながら進めていく、
 ミスを防ぐためには大切なことなんだなと思いながらドラマをみています。
*普段、病院に行くとき、例えば採血をしたりCTを撮ったりする際、また、診察室に入るときでさえも「フルネームでお名前をおっしゃってください(場合によっては生年月日も)」といわれるのがあたりまえになってきました。吃音者にとってはこれが大変な難関なのです。自分の名前が(なかなか)出てこないのが、ある程度より重い吃音者にとっての「あたりまえの症状」だからです。

 社会人としての仕事は、特に、組織のなかで2人以上で仕事をしている場合には、言葉を使うことが大前提になります。
「誰かに何かを確認する」「誰かと話し合って練り上げていく作り上げていく」「交渉により仕事が進む」というように、(職種により言葉を使う頻度は大きく違いますが)誰かと話す(電話をする)ことなしには仕事が進みません。
*世の中ではスマホによるSNS(日本ではLINEなど)が盛んですが、実際のビジネスの現場では人と人との言葉によるコミュニケーションがますます重要になってきています。

 ある程度以上の重さのどもりを持つことにより、話すべきときに話すべき言葉が(なかなか)出ない場合には、個人の仕事はもちろん、チームとしての仕事にも大きな障害が出ます。
 要するに「仕事ができない」という評価となり、人生に直接及ぶの脅威となります。(職場に居づらくなります)

 ある程度以上の重さのどもりを持った人は学生時代でも言葉を使うアルバイトをしない(できない)ことが多いので、この現実に遭遇するのは、就職活動を始めてからか、コネで入った場合は社会人になってからとなります。
*もちろん、子供の頃から学生時代までにもどもりで大いに苦労しますが、とりあえず親の庇護下にあり、生きていくこと(食べていくこと)はなんとかなります。
ただし、どもることでいじめを受けている場合は(いまの学校や教育委員会のずさんな対応を考えるときに)命の危険さえ考える必要があります。

吃音と仕事:現実を考える(再掲載一部改編:初掲載は2008年5月26日)

 インターネットが発達した現在、スマホやPCがあれば、どもりを持つ人の様々な経験談や意見に触れることができます。また、自分でも情報を発信することもできます。
*残念ながらインチキな情報が多いのですが。

 インターネットが一般化するまでは(1995年以前)、どもりを持っている人と知り合うには、たまたま学校のクラスメイトや職場の同僚にどもりを持つ人がいて親しくなるか、民間の無資格どもり矯正所に通うか(それも、授業形式で大勢が参加するようなところ)、どもりのセルフヘルプグループに参加するしかありませんでした。

 しかし、どもりで悩んでいる人にとって、矯正所に通ったりセルフヘルプグループに参加することはかなり敷居が高いのです。
 矯正所やセルフヘルプグループの入り口ドアの前まではきたが入れずに、まわりをうろうろしてから結局は帰ってしまった・・・などという経験談はよく聞くものです。
 実際、私もそうでした。

 そのような方たちが、ことばに表せないような苦労をしながらも少しずつ生きる自信をつけていき「働く日常の世界」に出て行くことは、どもりでない人には想像すらできないくらいの大きなストレスが伴うものです。
*人によっては、世の中に出てみたらそれほど大変ではなかったと実感される場合もあります。 (その逆もあります)

 働く世界に出てみて実感するのは、「働くとはお金を儲けること」だということです。(民間企業の場合)
 職場の同僚は皆、自分の仕事をこなすことで精一杯で、どもりの人がどもろうとどうしようとそんなことはどうでも良いのです。

 どもりの人がいることによって自分の仕事やチームの仕事の流れに影響がでない限り、(まともな大人ならば)どもることで文句をつけてきたりはしませんが、自分の仕事に少しでも影響が出てくると、とたんに非難し始めるでしょうし、
他の(どもらない人との)交代を要求するでしょう。
 そのような世の中の現実(皆、自分のことで精一杯ということ)をしっかりと把握しつつどもりについて考えていかないと、(おとなの)どもりについての議論は非現実的なものとなります。

 サラリーマンが働くような職場においては、「電話をする」「交渉する」などのことばを用いての高度なコミュニケーションは必須で、これが円滑にできないと自身の仕事に支障が出るばかりでなく、職場の仕事全体の流れを阻害します。

 そういう世界に入り込んだ「ある程度より重い」吃音者は大変な苦労をします。

 私も、大卒後すぐに就職できなかった後ろめたさと「会社員として働かないといけない・一人前でない」という考え(思い込み)から、
そして、あえてことばを多用する職種に就いて無理をしていけば「治るだろう」という漠然とした考えから、約2年間の引きこもりを経て職安で探した小さな会社の営業職に無理をしてつきました。

 よく、どもりの会合などで、「自分が、いかに、どもりながらも会社で耐えて努力してきたか」と大演説をぶち教訓をたれる方がいらっしゃいますが、今の日本・これからの日本で、かつての私のように「ひたすらに必要以上の無理をすること」が本当に必要なのでしょうか。

 1960年代くらいからバブル崩壊くらいまでのように、学校を出て「会社」で働けば、ある程度以上の収入を安定的に得られた時代は終わりました。
 毎日遅くまで言われるとおりに働いていれば、定年までの職場が保証され、退職金がもらえる、「かつての日本」は、もうないのです。
 そして、工業製品を外国に輸出してお金を儲ければ食料も水も買える時代が終わり、水や食料が戦略物資となり自国の食料や水が足りなくなればいくらお金を積んでも他国に売ってくれないような時代さえ予見されています。

 そのようなマクロ的な背景もあり、どもりを持つ人の仕事についての考えかたを変える時期が来ているのかもしれません。

「どもりを持つ人が働くこと」=「会社に入って苦手な電話や交渉をして身を削る」だけではないのです。
こんなことを確認し、吃音者自身にあった、過度に(言葉の面で無理をしない)仕事に従事すべき時がきたのかもしれません。

 子供の場合でも「どもりを持ちながら学校に行くこと自体が苦しくて、毎日が針のむしろに座らされているようで、自分がどうにかなってしまいそうだ!」くらいにまで心理的に追い込まれている場合には、いや、そんなことになる前に、
無理してまで学校に行かずにフリースクールのようなところで学びながら、また、心やことばの専門家のサポートを受けながら上の学校の受験資格を得られるようにしていく方法もあります。

 人は幸せになるために生きているのです。吃音者は自分に合った生き方を追求すべきです。

吃音:幼少時からの親子関係・家庭環境がもたらすもの(再掲載:初掲載は2012年9月11日)

 どもりを持っている私が生きてきたなかで、多くのどもりを持つ方々と接してきて感じていることなのですが・・・、
仲良くなりお互いの人生について忌憚なく話し合えるようになった「おとなの吃音者」のなかに、自分の幼少期の話題になると急に寡黙になる方が少なからずいらっしゃるのです。

 吃音についての一般論は実に多くを語り積極的に活動されている方が、自分の子供の頃の話しとなると急に寡黙になるのです。

 吃音者に限らず、自分の過去の話しになると、比較的親しい間柄においても急に寡黙になる方はいらっしゃいます。

 そのようなときには、「かなり辛い経験をされてきたのだろうな」とか、「大変な苦労をされてきて思い出したくないのだろうな」と考えて、こちらからはそれ以上聞くことはしませんね。(おとなの常識です)
*「親友」とは、そういうところまで話せる人間関係のことですが、実際には持っている人はかなり少ないようです。同じ悩みを共有している吃音者の間では比較的できやすいような気がしています。

 なんでこんなことを書いたかというと・・・、吃音者は心の解放がうまくなされていないのではないかと思うのです。

 子供のころからどもりにまつわるかなり辛い経験をしてきて、それを無理矢理に忘れようとするか、または棚上げにしておくことで、いまの自分をなんとか保つようなギリギリの生き方をされているように見えてしまうのです。
*自分も30代前半くらいまではそういう生き方で無理を重ねていました。そういう「危うい生き方」が、結果としてどもりを維持させたり悪化させる、また、実際の症状以上に自分のどもりを悪く評価して苦しんでいるのではないかと思うのです。

 こどもの頃からの辛い経験は例えば・・・、
★子供の頃、どもる度に家族から注意されたり、場合によっては笑われたり無視されたりして、自分の家も安住の地ではなかった。
★子供の頃、学校や友達の間で(場合によっては家庭内で)、どもることにより精神的なレベルか肉体的なレベルでいじめ・虐待を受けていた
★家族関係(親子、夫婦、兄弟、祖父母)が劣悪でケンカやいざこざが絶えず、その人間関係によるストレスにより自分のどもりが維持され悪化して結果として人生がうまくいっていないと、こころのなかで強く思っている。
★しかし、自分の幼少期の経験や自分の家族についてはあまり否定的に思いたくないし、そういう事実を人に知られたくないという複雑な思いが自分を締め付けている。

 一方、全く逆の環境の場合は・・・、
★学校でどもりで困ったり恥ずかしい思いをしても、帰った家ではいくらどもっても怒られることも注意されることもなく静かに話を聞いてくれるので、自分がどもりで困っていることをわだかまりなく家族に話せる。
★家族間で全くケンカのない家庭などありませんが、質実剛健で思いやりのある明るい家庭。

 こんな家庭環境に子供の頃からあれば、どもりが治るかどうかは別として、前述よりかは明らかに良い結果(吃音の悪化が食い止められる、心理的に重症のどもりとならない可能性が大になる)になるでしょう。

 それでは、前述のような「悪い家庭」で育ってしまった場合にはどうしようもないのかといえば、おとなになってから自分の努力でかなり回復できるものと考えます。

★アダルトチルドレンであることを認識する
 「こどもの頃、我慢していたこと」、小中学校のころからどもりで困ったり、どもりを原因としていじめられたりと、場合によっては自殺を考えるほどに悩んでいたのに家族には話すら聞いてもらえなかったし、言い出せるような環境ではなかった。
 そのような場合には、年月を経てからでも、年老いた親の前でも、「当時、自分がたいへん困っていて悩んでいたのに家族には何もしてもらえなかったこと」を大きな声ではっきりと言いましょう。(たぶん家族からは理解されないと思いますが)自分のなかで何かが変わりはじめるかもしれません。

★いままでは自分の人生のなかの「負の部分」と思って、こころのすみっこの方に紙に包んでしまっておいた「こどもの頃のどもりについてのいろいろなこと」を、自分の人生のなかの「ほんとうにあった隠せない事実(人生の一部)」とするために、自分で工夫しましょう。
 それには、例えば、東洋的な修養法である「座禅」なども良いかもしれません。
*もちろん人それぞれです。

★やはり、自分の負の部分をためらいなく語れる友人(親友)を持つことです。

★セルフヘルプグループなど吃音者の集まりに積極的に参加して、自分以外のいろいろな立場の吃音者(性別、年齢、生きざまの違う)がどのような人生観を持って生きているかを体感することです。(ネットのつながりだけでは弱すぎます。)

★信頼できてなんでも話せるホームドクターとしての、精神科医、臨床心理士、言語聴覚士などを努力して見つけ、専門家のサポートの元で、自分のどもりやいままでの人生をできるだけ俯瞰できるように(自分を客観視できるように)していくことです。

吃音者を取り巻く状況2017年

 2017年を迎えました。
 どもりを持っている人の状況について考えてみたいと思います。
*どもりには重さの違いや症状の違いがあります。また、子供の頃から育ってきた家庭環境(精神的・経済的)、いま生きている環境(家庭・学校・職場)により、どもりが人生に及ぼす悪影響は天と地ほどの差がでることを理解しておく必要があります。

1,いじめ事件とどもり
 昨年もいじめ、そして、それによる自殺が多数報道された一年でした。
 特に気になったのは、福島原発の事故で避難されている子供や大人が、それを理由に様々ないじめを受けていることが表面化したことです。
子供のいじめについては、先生もいじめに荷担しているというショッキングな、でも、ありがちなことが報道されることが続いています。

 福島原発の事故で避難している子供に対しクラスメイトが差別的な発言をし脅かしてお金をとっていた事件では、担任に相談した子供が、その後担任から差別的な発言(呼び名)で呼ばれて不登校になったという信じられないような話です。
 また、これは原発がらみではありませんが、いじめを受けて自殺したとみられる仙台の中学生の自宅を自殺直後に教員が訪れてLINEの履歴を削除したという行動(これはもう犯罪です)の報道にはあきれるばかりです。
 ぜひ事実関係を明らかにして厳正な処分を求めたいと思います。

 このようないじめが蔓延している状況では・・・、
どもりながら話す、なかなか言葉が出てこないようなところが滑稽に見えてしまい、また気が小さいからどもっているというステレオタイプな見方をする一般の子供からすれば格好のいじめの対象になるでしょう。
*大人も同様に、職場でのいじめの対象になります。

 いじめ事件の際の学校の先生や教育委員会の逃げ腰・自己保身的な行動や態度をみると、いじめを受けていても先生に相談できないどもりを持った子供が大勢いることも容易に想像できます。
 ただでさえどもりの悩みを相談できない子供たちですから、それプラスいじめでは、かなり追い詰められていることも考えておくべきです。

2、仕事(就職・転職)とどもり
 もう4年ほど前になるでしょうか、北海道で苦労の末看護師になったどもりを持った男性が自殺した報道がありました。
 彼はセルフヘルプグループでも活発に活動し前向きな発言そしていたようで、仲間内では自殺するようには見えなかったとのことです。

 もともと、職業には適性があります(どもりにかかわらず)
 さらに、どもりを持っている場合には、選べる職業の幅が事実上狭まります。
その人がもしもどもりでなかったら合うであろう職業でも、どもりであるために結果として適性がなくなるのが仕事の世界です。

 職種によってその要求度はかなり違いますが、仕事では、言うべき言葉を言うべきときにハキハキと言えることがあたりまえのように要求されます。
 社内で、または取引先で、顧客に対してハキハキと対応できない場合、または、傍から見て重くは見えないどもりでも、本人のこころのなかでは、ストレスで精神的にぎりぎりとなり、自殺すら考えていることもあります。

 先ほどの北海道の看護師のように、人の命にかかわる医療の仕事の世界では、「言うべきときにハキハキと言葉が出てコミュニケーションが円滑にできることは必須でしょう。
(「職場がどもりについて理解があり相談して云々」というのは職種によっては可能な場合もあるでしょうが、この場合は現実的ではありません)

 そのような厳しい世界に飛び込んだ彼、とてつもなく大きなストレスのなかでも前向きに生きようとしたことが、結果としてこころのリソースをすり減らしてしまったのではないでしょうか。

 そういうときに必要なのは「頑張りを語れる(語ってしまう)環境」ではなくて、ほんとうの自分の気持ちや弱音をあたりまえのように吐ける環境です。
「そんなの頑張りすぎだよ!無理だったら早めに辞めて方向転換しようよ!」などと言ってあげられる・話し合える環境だと思います。
*(もちろん善意からですが)そういう前向きに無理をして頑張っている人を(結果として)あおってしまいがちです。

 また、一般の会社の事務系や営業系の仕事は、ある意味それ以上に言葉の要求度が高くなります。
 言葉をあまり使わないイメージがある技術系や現場系の仕事でも、ひとりきりでする仕事以外は言葉による的確なコミュニケーションが意外に必要とされます。
*いままで書いてきたような「仕事の世界の現実」を考えず、どもりでもなんとかなるなどと考えることは現実的ではありません。