人(他人)に説明できない吃音者の想いについて(再掲載一部改編:2015年3月6日)

 第三者が見た場合に同じようなどもりの重さや症状に見えても、吃音者を囲むいろいろな環境(家庭環境、学校の環境、職場の環境)の違いにより、吃音者の心のなか、その想いは大きく違う場合がしばしばで、吃音者の人生に影を落としていきます。

 何を言いたいかというと・・・、
こどもから大人までの吃音者には、なかなか言葉では表現できないような「孤独感」を持っている方が多いのです。
 それは、自分の想いや気持ちを、家族や友人、同僚、恋人、配偶者、ときには同じ吃音者にさえも分かってもらえないことの「焦り」であったり、「あきらめ」、「怒り」もあるかもしれません。

 例えば、「学校の授業中に指名されるかもしれないという恐怖感の質や量」について考えてみても・・・
それぞれの症状・重さの違い、いままでのどもりでの失敗の経験の積み重ねによる違い、
 また、学校のクラスの雰囲気・職場の雰囲気の違いにより、吃音者本人に襲いかかってくる恐怖心の量や質は大きく違ってくるでしょう。

 仕事で、顧客に電話をする、社内電話をしたり、難しい交渉をする、ときも同じようなことが言えます。(民間企業と公務員の違い、会社の規模の違いも影響してきます)

 いまの自分が置かれているどもることによる緊張感や恐怖心を他人と(家族や友人とでも)なかなか共有できないことが、吃音者の孤独につながってきます。

 そして、ときには、心安まるはずの吃音者の集まりでも・・・、
(悪意はないにしても)、誰かの、自分の経験値や思い込みで「こうすれば良い」「こうできるはずだ」などの意見やアドバイスに、心を傷つけられることが往々にしてあり、孤独感を余計に感じてしまうのです。

家族の理解が得られない吃音者の現状(たびたび再掲載一部改編:初掲載は2014年11月5日)

 いまさら言うまでもないことかもしれませんが、どもりで困っている子供から大人までの方々は、その悩みを家族(親・兄弟・祖父母そして配偶者)にさえ理解してもらえずに、悩みながら人生を送っていることが多いのです。
*吃音者の集まりなどでよいとしをした大人が、「子供の頃からのどもりの悩みを、家族にすら、いや、家族だからこそ、理解されずにきたこと」を泣きながら訴える場に何回か遭遇しています。

 なぜ、なかなか理解されないかというと・・・、
★学校の授業ではひどくどもってしまい、先生やクラスメイトに笑われたりいじめられたりしている一方、家族の前ではほとんど話さないか、話しやすいことばのみをを発すればよいので(そうしているので)ごく軽いどもりに見られてしまっている。

★大人の場合、たとえば、お子さんの学校のPTA関係の電話で、自分の名前が言えずに変な人に思われたり、PTAの集まりでも同様で、自分の名前も言えずに笑われたりします。

★職場では、電話で自分の名前や会社名が言えずに(なかなか言えずに)顧客に笑われたり、それらのことで結果として仕事の流れに支障を来たし・・・、顧客から「担当を変えてくれ」といわれることもあり(私も経験者です)、ついには居づらくなりやめざるを得なくなることもあります。

 吃音者は日常的にこのような状況に置かれているのです。
*困っている度合いは、重さや症状の違いによりかなり大きく変わります。

 しかし、「子供の頃からどもることによってどれほど苦労してきたか」を、ほんとうに理解してくれている家族は、まず、いない、というのが本当のところなのではないでしょうか。
 寂しく思われる方もいらっしゃるかもしれませんが現実はそんなものです。
*それでは、日常の何気ない会話でも常に大きくどもるような方は家族の理解を得られているということではありません。しかし、問題の本質がより深刻であることは間違いありません。

 結局、現状では、自分の身は自分で守るしかありません。
*家族から理解されるどころか、「それほど重いどもりでもないのに何を甘えたことを言ってるんだ!」と怒られてしまうくらいなのがよくある光景です。

 それでは、理解を得られないなかで吃音者はどうしたらよいのでしょうか?
 わかってもらえない家族に対してどもりで困っていることを執拗に訴えてみても不毛な応酬が続くだけでかえって自分の心が疲れるだけですし、形だけでも均衡が保たれてきた家庭内の人間関係を悪化させるだけで生産的ではありません。

 そのような場合は、(寂しいことですが)、家族に理解されることを期待しないで発想を転換しましょう。
 たとえば、どもりのセルフヘルプグループに参加して、自分の悩みをわかってくれる人の前で気持ちをはき出せる環境を作ることです。
 それだけでも精神的に大きく救われるでしょう。
 グループのなかで特に気の合う人ができれば、さらに深く語り合うのもよいでしょう。

 また、日常的に気軽にかかれる、なんでも話せる精神科医、臨床心理士、言語聴覚士がみつかればよいことです。
そうすることでなによりも自分が救われるし、結果的に家族との(表面的な関係も)悪化せずにすみます。

 しかし、家庭内、学校、職場で、ことばによる虐待、暴力、パワハラを受けている場合は話が全く違ってきます。
 いろいろな公的・私的機関に相談して(児童相談所、警察など、法テラス、弁護士会など)しかるべき手を打ちましょう。自分を守ってください。

(参考):吃音(になったの)は自分の責任ではないので「スミマセン」はいらない。卑屈にならないで!

吃音:期待と現実

 子供の頃から、ある程度以上の重さのどもりで日常生活や学校生活・仕事において、その人なりの困難さを抱えながら生きている人にとって、「どもり」は仕方なくでも付き合わなければいけない障害です。

 朝起きていちばんの「おはよう」の「お」が出ずに、「今日もうまくいかないな」と感じるときが、今日一日のどもりとの付き合いのはじまりになります。

 また、今日は調子よく言葉が出るな・・・という日もありますが、
 今日は調子が良いがそのうち悪くなるだろうなという予感も感じていました。
*次の日に発表などのどもりそうなイベントがあることがわかっている場合には、前の日からよく眠れずに新しい日を迎えているかもしれません。
*もちろん常に大きくどもる人もいます。どもりは人それぞれです。

 2~3歳からどもりだして小学校2~3年くらいからはどもりを強く意識して、その後悩んできた私は・・・、
あるときは比較的調子の良い自分の言葉を感じ「これならそのうち治るかな?」と期待し、また、数日後には、授業中に指名されて大きくどもってしまったり、言葉がなかなか出ずに立ちんぼしているときには、「これから先、自分はどうなるんだろう!」と大きな不安につぶされそうになり、その繰り返しの少年時代・思春期でした。

 それでも学校は、どもりではクビにはなりません。
*陰湿ないじめに遇えば大変なことになる危険性は常にあります。いじめによる自殺の報道は絶えることがありません。
*子供でもスマホを持ちLINEなどのSNSをあたりまえにしているいま、見えないところでのいじめも多いでしょう。

 しかし、なんといっても、どもり持ちの最大の難関は就職(就業)です。
 他人のなかで、大小様々な組織の中で・・・、自分を主張し、しっかり・はっきりと言葉で伝えて競争のなかで生きていくというサラリーマンではあたりまえなことが、きわめて不得意なのが吃音者なのです。
*高度成長が遠い昔話となったいまの日本では、真面目に・人並みにやっていればなんとかなる、などどという状況ではないことは、皆さんおわかりのことと思います。

 私の生まれる前(高度成長前半の昭和30年代前半くらいまでの)の日本ならば、サラリーマンにならなくても(都市部でも)自分の家の仕事(商店などの自営業)を継いで生きていく方法もありましたが、いまではそういう選択は現実的ではありません。じり貧に追い詰められるだけです。
 また、いまでも、地方で安定した農家に生まれるような幸運なことがあれば、どもりを抱えていても、いままでの人間関係のなかで仕事をして穏やかに生きていくことができると思います。
*しかし、家族のなかで仕事をするという別の意味の息苦しさはあるでしょう。

 いままで書いてきたような吃音者を取り巻く現実をしっかりと見直したうえで、
★どもりだした小さな子供に対する、また、親に対する公的な支援体制(カウンセリング・治療)をどのように構築していくべきか?(市役所・保健所・医師・カウンセラーなど)
★小学校以降のどもりを持ったこどもに対する指導をどのような形で行なっていくべきか(土曜、日曜、休日、放課後を含めた、専門領域を履修した教師、言語聴覚士、精神科医、臨床心理士などによる継続的なサポートの構築と、どもりの子供同士が日常的に触れあえるサロン的な環境の構築)
★事実上公的サポートのなくなる高校生以上の吃音者に対して、進学や就職という難関を前にして、また、今どきのいじめ問題にも対処できるような、公的サポート・カウンセリング体制をどうやって構築していくべきか?

このあたりを考えていくべきと思います。

吃音:(結果として)うまくいくときも、うまくいかないときもある。でも、吃音を持ちながらの人生は耐えがたいことが多い。

 日常生活のコミュニケーションにも影響の出るようなある程度以上の重さのどもりを持った人(子供~大人)、または、傍からみてわからないくらいの軽いどもりでも、自殺を意識するほど(密かに)深刻なまでに悩んでいる場合・・・、
「どもること」を原因として、吃音者は子供の頃から実にいろいろな試練に遇います。

 例えば、学校(場合によっては幼稚園から)や職場で・・・、
 同級生や先生・同僚や上司からの陰湿なからかいやいじめ・パワハラ、
 就職や転職がなかなかできない、
 やっと入った職場での仕事に大きな支障が出る、などです。

 家庭においても、子供の頃から、どもりの悩みを家族に理解してもらえないこともあいまって次第にうつ状態となり・・・、学校や職場を休みがちになりついには引きこもりになることは、決してまれなことではありません。

 また、子供の頃から親にさえどもりの苦しみを理解してもらえなかったことや、それどころか、どもるたびに注意されたり怒られたりしたことから親に対する恨みの感情が芽生えてきて、成人してからもその感情が消えるどころか大きくなり、コントロールすることができずに(自分を責めて)苦しむこともよくあります。
*このブログ宛てに未公開の形で、そのような複雑な想いを送られてくることもあります。

 そのような状況に置かれているときに吃音者である我々が注意しなければいけないことは、
 ひとりでどもりについて考えるときも、セルフヘルプグループなどの集まりで話し合うときなども、「どもりながらも・・・結果的にうまくいった。」というケースのみを話し合ったり参考にしない、考えないことです。

 どもっている人が・・・「何々ができた」、「何かになれた」「何々を達成した」という話ばかりをしない、考えないことです。
*現実は努力してもうまくいかないことも多いのです。

 吃音者ごとに、重さや症状はもちろん、育った環境・いま生きている環境が違います。

 人生に支障が出るようなある程度以上の重さのどもりを持っていてもなんとか生きていけるように、身近に理解してくれる人がひとりでもいてくれる場合もあれば、近くに理解者がいなくて、ひとりで厳しい現実と戦っている場合もあります。
*吃音の実態を調査するのであれば、最低でも数百人、できれば千人規模、それも様々な年齢層、男女、職業も様々の、しっかりとした調査をしてほしいものです。

 どもりは、21世紀初頭の現在でも、原因もわからず、したがって確実な治療法もリハビリ方法もありません。

 どもりながらもうまくいく場合もあれば、うまくいかない場合もあります。「うまくいかないのは努力しないからだ!」などと決めつけないでください。
*現実は(軽い場合を除いて)、「どもったままでも、それを受け入れて生きていける」ほど甘くありませんし、その傾向はますます強まっていくでしょう。そういうアドバイスはかえって現実を生きる吃音者を苦しめることがほとんどでしょう。

 吃音者は100人いればそのどもりは百様です。どもりを持った人のバックグラウンドも百様です。
 悪い方向にも楽観的な方向にも偏った考え方をせずに、現実を踏まえて柔軟に生きていきましょう。

吃音:新年度のはじまりの時期に(再掲載一部改編:2012年4月2日)

 新年度の4月になり少し過ぎました。
 ただでさえ緊張して迎える新年度。
いろいろとつらい立場になったり、精神的に追い詰められているどもりを持った方が多くいらっしゃることと思います。

 私も就職できずに引きこもってしまったこの時期のことを屈辱感とともに鮮明に思い出します。
*この場合のどもりとは、日常生活(家庭内、学校、職場)のコミュニケーションにおいても支障が出るくらいの重さ・症状のどもりを指します。
*傍からは軽く見えても自分の人生に支障が出ていれば、それは重いどもりです。

★どもりの不安を持ったまま進級・進学した(できた)小・中・高校・専門・大学(院)生
★どもりをもちながらも自力でなんとか就職(就業)した(できた)新社会人
★コネをつかってでも、なんとか就職した(できた)新社会人
★結局どもりで就職できなかった(しなかった)人
★いろいろあった末に、結果として引きこもりか、引きこもりに近い状態や不登校、出社できない状態に陥っている人(小・中・高校・大学生、社会人、他)
★どもりを原因としていままでの仕事をやめることとなり失業中の人

 実にいろいろな立場に分かれてきます。
 さらには、経済的環境が恵まれているかどうか?、家族がどもりの苦しみに理解があるかどうか?によっても大きく変わって来ます。
 もちろん、どもりの重さの違いということは決定的に大きな要因です。

 事態が深刻な方ほど、孤独にならないことが重要です。
 家族、友人などにどもりで悩んでいることを隠さず話せることができれば良いのですが、そういう人がいない場合には、精神科医、臨床心理士などの心の専門家にかかって話を聞いてもらいましょう。
それだけでもだいぶ楽になりますし、もしもうつ的な症状が出ていれば投薬もしてもらえます。
*精神・神経科の病院にかかるコツは、個人病院よりも先生が複数いる中規模以上の病院が良いです。
*NHKが運営しているサイト「うつサポート情報室」がいろいろと参考になります。病院が見つからない場合は、全国の精神保健福祉センターに相談すれば良いのではと思います。

 すこし落ち着いたら、どもりのセルフヘルプグループの門たたき同じ悩みを持つ仲間を見つけて語り合いましょう。
そのなかで特に気の合う人を見つけて一緒に頑張ることもできます。

 心を落ち着かせてから、次のステップの進めば良いのです。どうか、腐らずに、少しずつ頑張ってください。
 日本中に、まだ見ぬ同じ悩みを持った仲間がいます。
それぞれにもがき苦しみながらも今日を生き抜こうとしています。

吃音:新学期を迎えた子供は(再掲載一部改編:初掲載は2012年4月9日)

 私は、いまごろの時期(3月から4月、特に桜の咲く時期)にはあまり良い思い出がありません。

★先生も替わるしクラスメイトも変わるので、また自己紹介をしなければいけない。

★健康診断では自分の名前を言わなければいけない。
(出席番号1番でクラスで最初に名前を聞かれる!)

★授業中にどもってしまい、新しい先生に「君どもりだね」という顔をされる。私のことを知らない新しいクラスメイトからは笑われる。

★高校受験では自分の名前がなかなか言えないような面接がイヤなので、面接のない公立高校一本で受験した。

★そして、大卒後の就職失敗とひきこもり

 いまの、小学生から高校生くらい、大学や専門学校で就職前後のどもりを持った皆さんはどうなのでしょうか?

★どもりで悩んだ末に不登校や引きこもり、うつ病などのこころの病気にならないように、気軽に相談できるカウンセラーや臨床心理士、精神科医などが身近にいますか?
*これは先進国の日本としては完備されていてあたりまえなのですが整っていません。

★自分のどもりの悩みを包み隠さず話せる親友も(ひとりでよいので)必要です。
*(言友会「げんゆうかい」に代表される)どもりのセルフヘルプグループなどにも参加して、どもりという同じ障害を持つ同じ世代の友をぜひ見つけてください。

吃音(ある程度より重い)で、授業中にふるえている少年少女や、就職を控え不安でいっぱいの人の心をなえさせないために(再掲載一部改編:初掲載は2010年7月13日)

 日本人は、(自分もそうですが)、今でもなお、がんばることが好きです。努力家です。
 今の時期(時代)に書くと否定的に聞こえるかもしれませんが、人生においてがんばることは大切で、昨日の自分よりも今日の自分は少しでも前に進もうという気持ちがないと、多くの場合人生が停滞してしまうでしょう。
*例外が福祉の領域だと思います。心や体に重い障害を持っている人に、障害を持っている部分で必要以上に「がんばることを求める」ことはもってのほかです。その人なりの得意分野で無理のないように徐々に社会参加ができるようにサポートすることが、国や自治体、そして近くにいる人たちの使命ではないでしょうか。

 さて、いつも書いているように、どもりには重いどもりと軽いどもりがあります。
 比較的軽いどもりの場合には、(そして、吃音者と家族やサポートする側とで相互に信頼関係がある場合は)、場合によってはあえて叱咤激励することにより「最初の一歩」を踏み出せるように手伝うことも考えられますが、重いどもりの場合にはそれが全く逆に作用することが多いでしょう。

 耐え難いようなどもりの悩みをを抱えながらも、こころの面、言語面において満足するサポートが得られないことが多い日本においては、孤立無援の状態で、無理をしてでも学校に通ったり就職活動もせざるを得ないのが現状です。
*本当にしんどい場合には無理をしようとしても足が向かなくなりますが、そこまで我慢したらたいていはうつ病などの心の病気になってしまいます。心の病気になると多くの時間を病気との闘いのためにとられてしまいますし、回復にはかなりの時間がかかります。

 いまは、世の中のいろいろな場面で「いきなりに限度を超えてしまって破滅的な結果に終わる場合」が多いようです。
 TVのニュースなどでは、毎日のように家族や会社内の人間関係からの凄惨な殺人などが報道されますが、以前だったら破壊的な結果になる前にご近所や親戚など近くの人が助けてくれたりなどの最低限の「安全装置」がありました。
いまは、それもなくなってきました。いきなり極端なことに至ってしまうのです。

 どもりについても、以前の日本では、学校を出てもどもりでなかなか就職ができなかったら、ご近所や親戚の紹介で就職することもできたでしょうし、都市近郊でも、いわゆる会社員のほかにも農業に従事したり家業を継ぐなどの方法もあり、それで生きていくことができました。

 しかし、今ではそういう選択肢もなくなってきました。
 たとえ、あったとしても「ジリ貧」になってしまいます。食べていけないのです。

 家族や友人間のコミュニケーションの量が減り質も落ちているので、どもりで本当に困っている人の苦しみや孤独感がまわりに伝わらないことが多く、精神的に追い詰められることが多いのではないかと思います。
*スマホなどでの見かけ上のコミュニケーションの量は飛躍的に増えているでしょうが、たわいのないやりとりばかりで、「他人にはなかなか言えないようなことをざっくばらんに話せるというレベルのコミュニケーションや人間関係」が減っているのです。

 いまこのときにも「自殺」することばかり考えているような、深刻に悩んでいる吃音者がどれくらいいるでしょうか?
 サポートする側は、悩んでいる人ほど孤独になるということを考えた上で動かなくてはいけません。

 ではどうすればよいでしょうか?
 吃音者がどもりのために自暴自棄になってしまうまえに、まわりの人ができることは・・・、

★身近にいるどもりを持っている人が、「もしかしたら、思い詰めていて自殺を考えるほど悩んでいるかもしれない」と考えてみること。
★進学、就職などの人生の節目においては特に、どもりを持っている人は100%悩んでいるという前提のもとに動くこと。

 まわりにいる人ができることは、「まずは、ひたすら吃音者の言葉を傾聴することにより信頼関係を築くこと」「そして共感すること」
「(信頼関係を築いた上で)、どうすれば良いかを一緒に考えること」です。

*どもりを原因としたうつ病経験者でもある私としては、うつにも同じような考え方ができるのではないかと思います。
 日本のうつ病に対する体制、短い診療時間と安易な薬の投与ではなかなか治らない。バブル崩壊以降、国民病といわれているうつ病に対する日本の取り組みの問題点がTV、新聞、雑誌等でたびたび取り上げられているにもかかわらず、一向に改善される気配すらないのには怒りすら覚えます。

家族の理解が得られない吃音者の現状(再掲載一部改編:初掲載は2014年11月5日)

 いまさら言うまでもないことかもしれませんが、どもりで困っている子供から大人までの方々は、その悩みを家族(親・兄弟・祖父母そして配偶者)にさえ理解してもらえずに、悩みながら人生を送っていることが多いのです。
*吃音者の集まりなどで良い歳をした大人が、子供の頃から家族にどもりの悩みを理解されずにいることを泣きながら訴える場に何回か遭遇しています。

 なぜ、なかなか理解されないかというと・・・、
★学校の授業ではかなりどもってしまい先生やクラスメイトに笑われたりいじめられたりしているのに、家族の前では話しやすいことばのみをを発すればよいのでそれほどどもらず軽く見える。

★大人の場合、たとえばお子さんの学校のPTAの電話で自分の名前が言えずに変な人に思われたり、PTAの集まりでも同様で、自分の名前も言えずに笑われたりします。

★職場では、電話で名前や会社名が言えずに(なかなか言えずに)顧客に笑われたり、それらのことで結果として仕事の流れに支障を来たし・・・、顧客から「担当を変えてくれ」といわれることもあり(私も経験者です)、ついには居づらくなりやめざるを得なくなることすらあります。

 吃音者はこのような状況に置かれているのです。
*困っている度合いは、重さや症状の違いによりかなり大きく変わります。

 しかし、「子供の頃からどもることによってどれほど苦労してきたか」をほんとうに理解してくれている家族は、まず、いない、というのが本当のところなのではないでしょうか。
寂しく思われる方もいらっしゃるかもしれませんが現実はそんなものです。
*日常の何気ない会話でも常に大きくどもるようなどもりの方は家族の理解を得られているということではありません。しかし、問題の本質がより深刻であることは間違いありません。

 結局、現状では、自分の身は自分で守るしかありません。
*家族から理解されるどころか、「それほど重いどもりでもないのに何を甘えたことを言ってるんだ!」と、怒られてしまうくらいなのが、よくある光景です。

 それでは、理解を得られないなかで吃音者はどうしたらよいのでしょうか?
 わかってもらえない家族に対してどもりで困っていることや苦しさを執拗に訴えてみても不毛な応酬が続くだけで、かえって自分の心が疲れるだけですし、形だけでも均衡が保たれてきた家庭内の人間関係が悪化するだけで生産的ではありません。

そのような場合は、(寂しいことですが)、家族に理解されることを期待しないで発想を転換しましょう。
 たとえば、どもりのセルフヘルプグループに参加して、自分の悩みをわかってくれる人の前で気持ちをはき出せる環境を作ることです。
それだけでも精神的に大きく救われるでしょう。
 グループのなかで特に気の合う人ができれば、さらに深く語り合うのもよいでしょう。

 また、日常的に気軽にかかれる、なんでも話せる精神科医、臨床心理士、言語聴覚士がみつかればすばらしいことです。
 そうすることでなによりも自分が救われるし、結果的に家族との(表面的な関係も)悪化せずにすみます。

 しかし、家庭内、学校、職場で、ことばによる虐待、暴力、パワハラを受けている場合は話が全く違ってきます。
 いろいろな公的・私的機関に相談して(児童相談所、警察など、法テラス、弁護士会など)しかるべき手を打ちましょう。自分を守ってください。

(参考):吃音(になったの)は自分の責任ではないので「スミマセン」はいらない。卑屈にならないで!(2014年10月1日)

吃音:仕事をする人としての現実(その2 仕事とどもり)

 このブログには数こそ少ないですが、どもりで困っている人から深刻なコメントが寄せられます。
 コメントの公開は承認制なので内容が個人的なものだったり深刻な場合には、公開する前に(公開の可否も含めて)直接やりとりさせていただく場合があります。

 非公開のコメントの内容は「どもりと仕事」「どもりと家族」に関することが多いのです。
★仕事の日常業務、会議や電話をする場合に言葉が(なかなか)出ずに、「事実上、仕事にならなくなり追い詰められている場合。
*自分の名前、会社名、相手の名前など言えてあたりまえのことが、面と向かってはもちろん電話や社内電話でも(なかなか)言えない。
*さらに追い詰められてうつ病になりいまの仕事をやめることとなり、その後もなかなか再就職できない。現状を家族からも理解されない。
*追い詰められて自殺を考えた、またはその直前までいって思いとどまったという深刻なコメントもあります。

★子供の頃からのどもりに対する家族の無理解、どもるたびに家族から言い直しをさせられたり注意されることの繰り返しが大きなストレスとなりこころに積み重なり、大人になってからの日常生活や家族関係、近所付き合い、子供の学校のPTA活動などの人間関係や話すことに大きな障害となっている場合。
*どもることにより学校で(同級生や先生から)いじめを受けていた、からかわれていたということも、どもりの症状の固定化や悪化、大人になってからのメンタルな問題を引き起こす大きな原因にもなるでしょう。

 ひとりでする仕事ではなくて組織の中で二人以上で仕事をする場合には(職種により話すことの重要性は大きく違いますが・・・)、
同僚や上司との会話、会議での発言、顧客の前でのプレゼンテーション・交渉など、また、電話の対応はハキハキしたものでなければなりません。
 そうでなければ事実上仕事になりません。特に仕事につきもののクレーム対応においては的確な言葉遣いが必要とされます。
*ここで、どもってもよい(もちろん仕事に影響が出ないくらいのものは除きます)、というのは仕事の現実を無視したものになります。

 このように、このブログには・・・、
 子供の頃からのどもりによるストレスの積み重なりの結果としての心理的な問題、家族との軋轢、
就職・転職がなかなかできない、仕事上での言葉に問題が生じ職務の遂行ができなくなりやめてしまった、または大きく悩んでいる、という人の生の声が寄せられています。

吃音:幼少時からの親子関係・家庭環境がもたらすもの(再掲載:初掲載は2012年9月11日)

 どもりを持っている私が生きてきたなかで、多くのどもりを持つ方々と接してきて感じていることなのですが・・・、
仲良くなりお互いの人生について忌憚なく話し合えるようになった「おとなの吃音者」のなかに、自分の幼少期の話題になると急に寡黙になる方が少なからずいらっしゃるのです。

 吃音についての一般論は実に多くを語り積極的に活動されている方が、自分の子供の頃の話しとなると急に寡黙になるのです。

 吃音者に限らず、自分の過去の話しになると、比較的親しい間柄においても急に寡黙になる方はいらっしゃいます。

 そのようなときには、「かなり辛い経験をされてきたのだろうな」とか、「大変な苦労をされてきて思い出したくないのだろうな」と考えて、こちらからはそれ以上聞くことはしませんね。(おとなの常識です)
*「親友」とは、そういうところまで話せる人間関係のことですが、実際には持っている人はかなり少ないようです。同じ悩みを共有している吃音者の間では比較的できやすいような気がしています。

 なんでこんなことを書いたかというと・・・、吃音者は心の解放がうまくなされていないのではないかと思うのです。

 子供のころからどもりにまつわるかなり辛い経験をしてきて、それを無理矢理に忘れようとするか、または棚上げにしておくことで、いまの自分をなんとか保つようなギリギリの生き方をされているように見えてしまうのです。
*自分も30代前半くらいまではそういう生き方で無理を重ねていました。そういう「危うい生き方」が、結果としてどもりを維持させたり悪化させる、また、実際の症状以上に自分のどもりを悪く評価して苦しんでいるのではないかと思うのです。

 こどもの頃からの辛い経験は例えば・・・、
★子供の頃、どもる度に家族から注意されたり、場合によっては笑われたり無視されたりして、自分の家も安住の地ではなかった。
★子供の頃、学校や友達の間で(場合によっては家庭内で)、どもることにより精神的なレベルか肉体的なレベルでいじめ・虐待を受けていた
★家族関係(親子、夫婦、兄弟、祖父母)が劣悪でケンカやいざこざが絶えず、その人間関係によるストレスにより自分のどもりが維持され悪化して結果として人生がうまくいっていないと、こころのなかで強く思っている。
★しかし、自分の幼少期の経験や自分の家族についてはあまり否定的に思いたくないし、そういう事実を人に知られたくないという複雑な思いが自分を締め付けている。

 一方、全く逆の環境の場合は・・・、
★学校でどもりで困ったり恥ずかしい思いをしても、帰った家ではいくらどもっても怒られることも注意されることもなく静かに話を聞いてくれるので、自分がどもりで困っていることをわだかまりなく家族に話せる。
★家族間で全くケンカのない家庭などありませんが、質実剛健で思いやりのある明るい家庭。

 こんな家庭環境に子供の頃からあれば、どもりが治るかどうかは別として、前述よりかは明らかに良い結果(吃音の悪化が食い止められる、心理的に重症のどもりとならない可能性が大になる)になるでしょう。

 それでは、前述のような「悪い家庭」で育ってしまった場合にはどうしようもないのかといえば、おとなになってから自分の努力でかなり回復できるものと考えます。

★アダルトチルドレンであることを認識する
 「こどもの頃、我慢していたこと」、小中学校のころからどもりで困ったり、どもりを原因としていじめられたりと、場合によっては自殺を考えるほどに悩んでいたのに家族には話すら聞いてもらえなかったし、言い出せるような環境ではなかった。
 そのような場合には、年月を経てからでも、年老いた親の前でも、「当時、自分がたいへん困っていて悩んでいたのに家族には何もしてもらえなかったこと」を大きな声ではっきりと言いましょう。(たぶん家族からは理解されないと思いますが)自分のなかで何かが変わりはじめるかもしれません。

★いままでは自分の人生のなかの「負の部分」と思って、こころのすみっこの方に紙に包んでしまっておいた「こどもの頃のどもりについてのいろいろなこと」を、自分の人生のなかの「ほんとうにあった隠せない事実(人生の一部)」とするために、自分で工夫しましょう。
 それには、例えば、東洋的な修養法である「座禅」なども良いかもしれません。
*もちろん人それぞれです。

★やはり、自分の負の部分をためらいなく語れる友人(親友)を持つことです。

★セルフヘルプグループなど吃音者の集まりに積極的に参加して、自分以外のいろいろな立場の吃音者(性別、年齢、生きざまの違う)がどのような人生観を持って生きているかを体感することです。(ネットのつながりだけでは弱すぎます。)

★信頼できてなんでも話せるホームドクターとしての、精神科医、臨床心理士、言語聴覚士などを努力して見つけ、専門家のサポートの元で、自分のどもりやいままでの人生をできるだけ俯瞰できるように(自分を客観視できるように)していくことです。