吃音者と孤独(再掲載一部改編:初掲載は2007年7月1日)

 どもりを持つ人がその悩みを抱えたまま孤独に陥るのは危険なことです。
 その「孤独」というのは、表面的なもの(スマホや携帯に入っているアドレスや電話番号の数が少ないということ)でなくて、本音を語れる親友がひとりもいないことです。
*親友はひとりいればよいのです。
*父親や母親を含む家族にすら、どもりの苦しみを理解してもらえないことはむしろあたりまえのことだと思った方が良いでしょう。

 と言っても、どもりの悩み打ち明けて傾聴してくれるような友人を作ることは簡単ではありません。
 友人を作るための第一歩として、どもりを持つ人の集まりである「どもりのセルフヘルプグループ」に参加してみるのはひとつの有力な方法です。

 

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吃音者が「普通に生きる」という呪縛から開放されることについて(再掲載一部改編:初掲載は2007年4月6日)

 今回は、軽いどもりの話ではありません。
*ここでいう「軽いどもり」とは、「言い換えで対応すればなんとかなる」、「学校や職場で笑われたり、また、いじめの原因になるようなレベルではない。職場で仕事の進行に影響を及ぼすようなどもり方(結果として職場に居づらくなる)ではない」というレベルのどもりをさしています。しかし、こんな状況でも、こころのなかは常に崖っぷちで「自殺したい」という思いがあったり、うつ病などの心の病気になってしまうまで追い込まれている場合もあります。このような場合はもちろん重いどもりです。

 吃音者は、一生懸命にどもらない人に近づこうとします。
あたりまえです。どもりは実に不便な障害ですから。そして、とてもかっこ悪い!

 たとえば電話をかけるとき。
 こちらがしどろもどろのひとり芝居を続けている間、電話の相手がふきだしているのが(またはそれを我慢しているのが)受話器から聞こえる 。
*それでも、用件が済ませれば良いほうです。

 授業中に指名されても・・・、(ほんとうは読めない漢字もないし、わからない単語もないし、数式の意味もわかっているのに)、最初の言葉が出てこない(のがわかっている)ので、または大きくどもって笑われたり、いじめられるのがいやなので・・・、「わかりません」で済ませてしまう。
*「わかりません」という言葉も出てこない。

 でも、このようなどもりのことばかりとらわれて、「なんとか普通になりたい、どもらない人のように普通のしゃべりたい」ということばかり考えていると、ますます、しゃべる前の不安(予期不安)が増大してきます。

 このような人生を続けていると、うつ病などの心の病気になる可能性が大きくなることは専門家でなくてもわかります。
*現実には、残念ながら、こんな状況に陥っている方が大勢いらっしゃるはずです。

 こんな方ほど、「どもらずに普通に生きる「どもりが治れば、治りさえすれば」)という考えの呪縛から開放されないと本当に大変なことになってしまいます。
*悪いことに、我慢強く努力家の方ほど、結果的にぎりぎりまで追い詰められてしまいがちです。

 まわりにいる人たちも、「もう、そんなにがんばらなくていいんだよ!」と言ってあげてほしいですし、
それよりも。そこまで追い詰められる前に・・・、日常的に相談できるホームドクター的な精神科医を見つけ出してこころの危機管理をしてもらいましょう。

 ドクターはどもりについての深い知識はありませんが(治せませんが)、どもることで自分がどんなふうにこころの危機にあるかを訴えれば(どもって言えない場合は書いて渡せば良い)ドクターの専門領域から様々な援助をしてくれるはずです。

 また、どもりのセルフヘルプグループに参加して、様々な立場(家庭環境・年齢・職業・男女)の吃音者に接して、自分を(自分のどもりを)俯瞰できるようにしていけば良いと思いますし、なによりも同じ悩みを持つ友人を持てることは人生の宝となるでしょう。
*もしも、学校でいじめを受けている場合には、そして信頼できる相談相手がいない場合には、迷わず警察に相談しましょう。電話ができなかったら直接行っても良いと思います。絶対に我慢しないでください。

 

吃音をもつ子供の親ができること(再掲載一部改編:初掲載は2011年4月28日)

 いつも書いていることですが、「どもり」は実に多様です。症状も重さも人それぞれで大きく違います。

 自分のなかで、「どもること」をどのようにとらえて生きていくのか(いけるのか)。
どもることが結果として人生にどれだけ悪影響を与えるのかも、人ごとに(症状や重さごとに)大きく違ってきます。
*「どもり経験が自分にとって結果的に良いことだった」とまで言う人もいますから。

 これもまたいつも書いていますが、どもりの子供の家庭環境(精神的、経済的)が、その後の人生に大きく影響することも忘れてはいけません。

 どもっている子供の家庭が良くなければ「良い方向」に進みません。
・・・でも、こんな家庭が多いのです。

★常に夫婦喧嘩をしているような険悪な雰囲気の家庭
→どもりだけでも相当に参っているのに、こどもに余計なプレッシャーを与える

★おじいちゃんおばあちゃんと同居している場合に、孫がどもることで嫁を責めたり、聞きかじったとんちんかんな治療法(お灸?)を強制するような雰囲気

★権威主義的な雰囲気に満ちた家庭

★親兄弟がどもりを持つ身内に、「どもることくらいで悩んでいるおまえは甘い、世の中にはもっと苦労している人が大勢いる」などと言うような雰囲気、または身内の障害であるどもりに全く無関心。

*これをしなければどもりが治るということではありません。でも、学校などの外の世界でさんざん傷ついて帰った家庭がこんなふうでは、ついには心の病気になってしまいます。

 子供の頃と違って大人になれば人生は自己責任です。誰も守ってくれません。
*どもりの問題がさらに深刻になる思春期以降の吃音者に対する公的なサポートは事実上ありません。

 そのときになってどもりという「余計なこと」で必要以上の苦労しないように、どもりを持つ子供の親がしてあげられれることと言えば、子供の頃(幼少期~思春期)の環境を良くしてあげることくらいしかありません。

*もちろん、必要に応じて言語聴覚士や精神科医などに相談したり、学校のことばの教室に通う、学校でいじめを受けていないかチェックする、どもりのセルフヘルプグループに参加するなどの工夫も必要です。

 

吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る):初掲載は2012年5月5日、お互いに信頼できる吃音者が集まってできること:初掲載は2012年5月13日、(どちらもたびたび再掲載)

吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る)

今回は、しばらく書いていなかったどもりに対する直接的な働きかけについて書いてみます。

★「自分がどもること」をあらためて心と体でしっかりと受け止めること

★「信頼できるどもり仲間」の間で、安心してどもる経験を積んで自己肯定感を高めていくこと

★必要に応じてことばの流ちょう性を高める訓練をする、同時にその限界も知る。(どもりの重さや症状によっては、いたずらに流ちょう性を求めないなど、個人差に十分に配慮する)

★様々な症状・重さ、環境にある吃音者と広く語り合い、どもりに対する偏った考え方をなくしていく

★どもりについての情報を広く社会に発信し、吃音者の本当のこと、本当の苦しみを知ってもらう。同時にネットでの活動の限界も知る。

 これから書くことはサークル的な活動になりますので、運営の仕方が悪いと個人攻撃となってしまうことがあります。十分な注意が必要です。
*どもりを持っていると言っても実に様々です。この「違い」を十分に考えた上での運営が必要です。

●「自分でもほとんど困らないくらいのごく軽いどもりの方」から、「就学・就職などの節目では、どもりのために大きな影響が出ないくらいの比較的軽い方」、「日常生活や学校生活、仕事に直接の支障が出る方」、そして「どもることにより引きこもりになったり、うつ病などの心の病気になっているなどのきわめて深刻な方」まで実に様々です。

●また、吃音者が生きている環境も様々です。
どもりに対する家族の理解があるかどうか?、職場や学校でも、どもっている自分のことを受け入れてもらっているか?

♥少人数で目的を合わせるとうまくいきやすい。
 最初から本格的な活動を望まないで、やりやすいとことから始めます。
同じくらいの年齢で、例えば就職、再就職を控えているのになかなか第一歩が踏み出せないというような、似た境遇にいる人たちで集まると活動がやりやすいでしょう。
仲間をみつけるには、まずはセルフヘルプグループに参加してみて、そのなかで気の合う仲間をみつけるよいと思います。
地域の公民館の会議室などは低価格で借りられますので活動の拠点にできます。
いまでは、携帯やスマホで簡単に連絡を取り合えますので、日程や会場の変更にも柔軟に対応できます。

♥皆が苦手な電話の練習は、お互いの携帯にかけるところからはじめて、次第に家族が出ることもあるお 互いの家の電話にかけるなど工夫していきます。相手がいないときは、104の電話番号調べや企業などのお問い合わせ電話にかけるのも良いと思います。

♥街のなかで、買い物で
 仲間で、あらかじめテーマを設定してから街なかに出て、歩いている人に道を聞く、デパートやスーパーで店員にいろいろと質問をするなど、日常で話す環境に近い経験をする。
その際の注意は、「どもらないようにする」というよりも、上手にどもりながらでも結果的に相手とコミュニケーションをとれることを体験することにより少しずつ自信をつけていく。自分がどもることにより聞き手がとるリアクション(笑うことなど)に慣れる。
活動が終わってからは、お互いの違いを認めながらざっくばらんに話し合う。

♥サークル感覚で運営し深刻にならないように、
 グループにはバランス感覚に優れた統率力のあるリーダーを置き、個人攻撃的にならないように、ボス的な人が出てこないように注意しながら楽しく行う。

♥サークルのホームページ、ブログなどを作り情報を発信していく。同時に新しい仲間を集めることもできます。

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お互いに信頼できる吃音者が集まってできること

 前回の書き込み「吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る)」では、気の合うどもり仲間でできることを書きました。

 いまの日本において、どもりで深く悩んでいる人がその悩みをすべて打ち明けることができ、また共感を持って持って聞いてもらえる人がいるところ。必要に応じて言葉の流ちょう性を確保するために練習したり、または、いたずらに治そうとしないでうまく共存しようとする、などの、試行錯誤ができる環境はセルフグループしかありません。
 しかし、セルフグループも人の集まりですから場合によっては人間関係で苦しむことがあるかもしれません。

 既存のセルフヘルプグループに入ってみて自分には合わないと感じたら、我慢などする必要なありません。余計な苦労をしないように、生きるうえで大切にしたい価値観を共有できる仲間をみつけて自分達なりのセルフヘルプグループを作って活動してください。
*いまではスマホや携帯で互いの連絡が自由に取れるようになったので、既存のどもりセルフヘルプグループにこだわらずに、気の合うどもり仲間を集めて自分達なりの活動ができます。

 さて、私がかつて行っていた方法で書き忘れたものがあります。サイコドラマ(心理劇)です。
 サイコドラマというといかにもぎょうぎょうしくて専門的知識が必要に思えるかもしれませんが簡単です。
 例えば、授業中に指名されて本を読まされるとボロボロになってしまうという、ある程度以上の重さの吃音者にはあたりまえのようにある悩み(私もそうでした)
そのような場合は、安価で借りられる地域の公民館の会議室を借りてサイコドラマをしてみましょう。

 学校ですから教室のように机といすを並べ替えます。
 先生役の人、同級生役の人、そして困っている本人が「教室」に座り先生役の人から指名されて応えたり、本を読まされたりします。
 大きくどもったり、最初の言葉が出てこないで行き詰まった場合には進行を止めて皆で話し合います、「私の場合はこうしたらよかった」、「こう考えていけば楽になるのでは」などと自由に楽しく話し合うのです。

 注意することは、人格円満で公平公正、リーダーシップをとれる人がリーダーとなり、大きな流れをコントロールすることです。
★個人攻撃にならないように
★誰かが一方的なな意見を押しつけることがないように。
★グループ内でボスを作らない。グループ内で先輩も後輩もない、みんな同じ。

 公民館の会議室が教室にもオフィスにも化けるわけです。
終わってからは楽しく打ち上げしながら話し合えば良いと思います。
*やはり、ネット上のバーチャルな集まりばかりではなくて、実際に顔をつきあわせて語り合うことです。互いが十分に分かってきたところで携帯やスマホで連絡を取り合ったり、仲間でグループのWebページなどを作って情報を発信していけば良いのではないでしょうか。

 

吃音にも打たれ強くしなやかに生きる(再掲載一部改編:初掲載は2006年2月6日)

 どもりには調子の波があります。
 例えば・・・子供のころからどもりで苦労し、言葉では尽くせないような努力の末に(結果として)ことばの調子もよくなり(良くなったと自分では感じられ)、徐々に日常生活にも支障がないようになってきた。
*もちろんその前に、「どもりの重さの違い」という絶対的な問題があります。傍から見て軽く見えるどもりでも自分として生きるか死ぬかの問題になっている場合はいくらでもありますが、日常の簡単な会話でさえ大きくどもるほうが人生に大きく影響することはいうまでもありません。

 さて・・・、最近、電話に出ると自分の名前すらまったく言えなくなってしまった過去の自分がうそのようにしゃべれるようになってきた。
 これで、やっと、今までのどもりの苦しみからも解放され新しい人生が始まる。

 学校を卒業後、数年遅れたが、積極的な就職活動も実り、どもりであるがゆえにあえて避けてきた本来つきたかったしゃべることがメインの仕事にもなんとか就けた。
泣きたいくらいうれしい日々・・・
 しかし、そのような人にも突然、悲劇が訪れます。どもりがもとに戻るのです。
昨日まではよかったのに、今朝から言葉が出てこない。
昨日まで治っていたのに、
「何で自分だけがこんなに不幸なんだ!」
「人生を投げてしまいたい、生きていてもしょうがない、世界で一番不幸なのは私だ!」
こんな経験をしている吃音者は私だけではないでしょう

 しかし、それを乗り越えてきた吃音者には「打たれ強さ」が身につきます。
 また、自分の限界も見えてきます。
 自分の今までの仕事上のトライが自分の言語能力を超えたものであることが心からわかり、
「ここまでとことん努力しても自分はこれくらいはどもるんだね、そうだったら、これからはこう生きていこう。こんな仕事に就こう。」と

 「ある程度以上ある程度未満の重さのどもり」の人生はこんなことの繰り返しです。 少しオーバーかもしれませんが禅僧の修行に似ているかもしれません。
*もっと重い吃音者もいることも、また、ごく軽い人もいることも、「どもりは人それぞれで百人百様」ということを心に留めるべきです。また、吃音者を取り巻く環境(家庭環境・学校環境・職場環境)によっても、どもりが人生に与える悪い影響は大きく変わります。

 どもりの問題に限りませんが、年齢や経験を重ねるごとに、また年齢とは関係なくても自分の考え方を変えることにより・・・、
今までマイナスでしかないと思っていたできごとが、実は人生の重要な一部分と思えるようになるかもしれません。(耐えがたい出来事の連続にどうしようもなくなることもあるでしょう。)

 あせらず、くさらず、少しずつ、決して独りぼっちにならずに、友に愚痴をこぼしながら生きていきましょう。
*そういう話ができる友「親友」を作りましょう。

どもる子供をもつ親が夏休みにできること(再掲載一部改編:初掲載は2014年7月22日)

今回は、どもりを持つ子供や親御さんが夏休みにできることを考えてみます。

★どもりについて親子でゆっくりと話し合う機会を持つ
 どもりを持つお子さんがいる家庭で夏休みにやってほしいことは、親子でどもりについてゆっくりと話し合うことです。

・・・といっても実はこれがいちばんの難関なのですが・・・
 授業中や友達との会話などで、「どもりによる恥ずかしい」・「屈辱的な経験」を繰り返してきた子供にとっては、
「どもりは恥ずかしいもの、あってはいけないもの」という考えがこころの中にこびりついています。

 そのような子供が自分のどもりについて話したがらないのはもちろんですが、親御さんも、どもりについて無関心か、あえて触れないことが多いのです。

 その背景には、「そのうちに治る、大きくなれば治る」などという根拠のない考えが巷にあることも影響しているのでしょうが、
自分の子供のどもりを「障害」と思いたくない親のこころが反映されているようにも思います。
*自分の子供が学校の授業中の発表や友達との会話でどもってしまい笑われたり自虐的に反応しているところを見れば(見ることができれば)考え方も違ってくるのでしょうが、その機会はまずないと思います。特に家庭では、お子さんはどもるところを極力隠しているはずです。(もちろん隠しきれないほどの重いどもりもあります。)

 お子さんの方から自分のどもりについての様々なことを気軽に話せるような家庭を作れれば、子供にとって家庭は唯一のくつろげる場所となるでしょう。

★セルフヘルプグループなどの行事に親子で参加してみる
 どもりのセルフヘルプグループでは、夏休みや冬休みなどにキャンプ形式でどもりについて考え話し合う行事があります。
こういう機会を利用してみるのも良いかと思います。
*同じ悩みを持つ子供や親御さんで友達になれればいろいろな情報も得られるでしょうし、何よりもこころが大きく救われます。

★どもりに精通している言語聴覚士や臨床心理士、精神科医などにかかってみる
 こう書きましたが、これがまた難関なのです。
*公的サポートの「大本山」は、埼玉の国立リハビリテーションセンターになるかと思います。

 どうしてかというと、お住まいの場所で、近隣で、誰が(どの病院が、大学が、研究機関などが)熱心に(こどものどもり、おとなのどもり)に取り組んでいるか?
 たとえわかったとしても、どのようにアクセスすれば良いかを調べることは大変難しいからです。
そもそも日本において、どもりに熱心に取り組んでいる施設や専門家がないに等しいことがその原因です。
*インターネットで検索してすぐ出てくる「どもりは治ります」などとうたった無資格どもり矯正所やそれに類するものは論外として。

 ネットなどを駆使して一生懸命にどもり研究者やどもりに取り組んでいる病院・言語聴覚士、またセルフヘルプグループで活躍されている方を見つけだして会いに行けば、「どもり問題の現状」を知る良い機会にはなるとは思います。
 つまり、医学的に原因が解明されていない、有効な治療方がない(わからない)現状に触れることとなします。
調べる過程で、インチキ情報がいかに多いかも知ることとなるでしょう。

吃音をもつ子供の親ができること(再掲載一部改編:初掲載は2011年4月28日)

 いつも書いていますが「どもり」は実に多様です。症状も重さも人それぞれ大きく違います。
 自分のなかで、どもることをどのようにとらえて生きていくのか(いけるのか)。
 また、どもることが結果として人生にどれだけ悪影響を与えるのかも、人ごとに大きく違います。
*「どもり経験が自分にとって結果的に良いことだった」とまで言う人もいますから。

 これもまたいつものように書いていますが、どもりの子供の家庭環境(精神的、経済的)が、その後の人生に大きく影響することも忘れてはいけません。

 どもっている子供がいる家のなかが、たとえば・・・、
★常に夫婦喧嘩をしているような険悪な雰囲気の家庭
★おじいちゃんおばあちゃんと同居している場合に、孫がどもることで嫁を責めたり、聞きかじったとんちんかんな治療法(お灸?)を強制するような雰囲気
★権威主義的な雰囲気に満ちた家庭
★親兄弟がどもりを持つ身内に「どもることくらいで悩んでいるおまえは甘い、世の中にはもっと苦労している人が大勢いる」などと言うような雰囲気
*これをしなければどもりが治るということではありません。でも、学校などの外の世界でさんざん傷ついて帰った家庭がこんなふうでは、うつ病などの心の病気になってしまいます。

 大人になれば人生は自己責任です。誰も守ってくれません。
*思春期以降の年齢の吃音者に対する公的なサポートは事実上ありません。

 そのときになってどもりという「余計なこと」で必要以上の苦労しないように、どもりを持つ子供の親がしてあげられれることと言えば、子供の頃(幼少期~思春期)の環境を良くしてあげることくらいしかありません。
*もちろん、必要に応じて、言語聴覚士や精神科医などに相談したり、学校のことばの教室に通う、(親む含めて)どもりのセルフヘルプグループに参加するなどの工夫も必要です。

吃音:親を恨むこころは・・・(再掲載一部改編:初掲載は2013年6月20日)

 私は大卒後も就職できずに引きこもってから2年近く過ぎて、20歳代半ばを過ぎてから、なんとか通うことができた民間のどもり矯正所においてはじめて、どもりという同じ悩みを持つ友を持つことができました。
 それまでは、家族にも友達にも話すことのできなかった「どもりの悩み」を、心ゆくまで話し合えるようになったときの開放感は、ことばでは表現できるものではありません。
 自分のこころのなかには、どもりに対する想いがこんなに多く詰まっていたのかと驚いたものです。
 また、こどもの頃からどもりに関する想いを無理やり自分のこころのなかに押し込んできたことが、自分のこころとからだに大きな悪影響を与えてきたことを確信し、これからも影響を与え続けるだろうことを予感しました。

 その中のひとつが、「こどもの頃からこころのなかに押し込んできた想い」
・・・「親に対する根深い恨み」でした。

 どもりの悩みは人それぞれですが、いろいろな吃音者に接するうちに、それなりの割合で「親に対する恨みの感情を持っている人」に会いました。
★こどもの頃、どもることで学校でも笑われたり、からかわれたり、いじめられたりしていたのに、そして、それを親に訴えたのに相手にされなかった
★それどころか、「どもりくらいたいしたことはない、もっと苦労している人はたくさんいる・・・」と説教をされてしまった。

 「家族にすら理解されずに苦しみのなかで生きてきた話し」を仲間から聞きました。
なかには話しながら泣き出してしまう方もいらっしゃいました。
 こどもの頃からいままで、自分のこころのなかだけで持っていて誰にも言えなかった感情が、共感して聞いてくれる人の前で話すことによりあふれ出てしまったのでしょう。

 少し冷静になって背景を考えてみます。
★親はどもりのことが分からない?
 こどもの多くは、自分のどもりを知られたくないので家庭のなかでさえも極力隠そうとします。
特に、言いにくいことばは言わないようにします。会話も最低限のものにします。

 ことばの調子の良いときにだけ話すようにすれば、親からは「だいぶ軽くなったね、良かったね!」などと頭をなでられるかもしれません。

 しかし、これでは親は、自分の子供がどもりで悩んでいることを正確に把握できません。
*学校でいじめられているにもかかわらず、家ではそのそぶりさえ見せないで、ある日突然自殺してしまうことに似ています。

ここで考えなければいけないこと・・・
★世の中にどもりに対する正確な情報がほとんどないし、気軽に相談に行ける公的な専門機関も(ほとんど)ない。

 これが致命的かも知れません。
 せめて、住んでいる市町村のなかに(日常的に気軽に通える範囲に)一カ所でも良いから、吃音に関心を持って取り組んでいる臨床心理士、言語聴覚士などがいる施設があれば、状況はだいぶ変わってくるはずです。
*学校の「言葉の教室」も、その量・質ともに問題が大きいようです。

 親を憎んでいる場合はどうすれば良いか?
★同じどもりを持つ友人(親友)を作り、いままでのことなどを打ち明けることにより、こころの中にある負荷を下げていく。
★どもりのセルフヘルプグループの会合に参加して、いろいろな立場(性別、年齢、育った環境の違いなど)の吃音者に接することにより、自分のどもりや育った環境を客観的に見てみる。
★自分のいまやこれからを充実していくことにより過去にとらわれない(とらわれにくい)ような状況に自分を持っていく。

 なんと言っても、自分のことをこぼせる信頼できる友人を(ひとりで良いので)作ることが第一だと思います。
*なんでも話せるホームドクターとしての精神科医や臨床心理士を持つことも良いことです。

人(他人)に説明できない吃音者の想いについて(再掲載一部改編:2015年3月6日)

 第三者が見た場合に同じようなどもりの重さや症状に見えても、吃音者を囲むいろいろな環境(家庭環境、学校の環境、職場の環境)の違いにより、吃音者の心のなか、その想いは大きく違う場合がしばしばで、吃音者の人生に影を落としていきます。

 何を言いたいかというと・・・、
こどもから大人までの吃音者には、なかなか言葉では表現できないような「孤独感」を持っている方が多いのです。
 それは、自分の想いや気持ちを、家族や友人、同僚、恋人、配偶者、ときには同じ吃音者にさえも分かってもらえないことの「焦り」であったり、「あきらめ」、「怒り」もあるかもしれません。

 例えば、「学校の授業中に指名されるかもしれないという恐怖感の質や量」について考えてみても・・・
それぞれの症状・重さの違い、いままでのどもりでの失敗の経験の積み重ねによる違い、
 また、学校のクラスの雰囲気・職場の雰囲気の違いにより、吃音者本人に襲いかかってくる恐怖心の量や質は大きく違ってくるでしょう。

 仕事で、顧客に電話をする、社内電話をしたり、難しい交渉をする、ときも同じようなことが言えます。(民間企業と公務員の違い、会社の規模の違いも影響してきます)

 いまの自分が置かれているどもることによる緊張感や恐怖心を他人と(家族や友人とでも)なかなか共有できないことが、吃音者の孤独につながってきます。

 そして、ときには、心安まるはずの吃音者の集まりでも・・・、
(悪意はないにしても)、誰かの、自分の経験値や思い込みで「こうすれば良い」「こうできるはずだ」などの意見やアドバイスに、心を傷つけられることが往々にしてあり、孤独感を余計に感じてしまうのです。

家族の理解が得られない吃音者の現状(たびたび再掲載一部改編:初掲載は2014年11月5日)

 いまさら言うまでもないことかもしれませんが、どもりで困っている子供から大人までの方々は、その悩みを家族(親・兄弟・祖父母そして配偶者)にさえ理解してもらえずに、悩みながら人生を送っていることが多いのです。
*吃音者の集まりなどでよいとしをした大人が、「子供の頃からのどもりの悩みを、家族にすら、いや、家族だからこそ、理解されずにきたこと」を泣きながら訴える場に何回か遭遇しています。

 なぜ、なかなか理解されないかというと・・・、
★学校の授業ではひどくどもってしまい、先生やクラスメイトに笑われたりいじめられたりしている一方、家族の前ではほとんど話さないか、話しやすいことばのみをを発すればよいので(そうしているので)ごく軽いどもりに見られてしまっている。

★大人の場合、たとえば、お子さんの学校のPTA関係の電話で、自分の名前が言えずに変な人に思われたり、PTAの集まりでも同様で、自分の名前も言えずに笑われたりします。

★職場では、電話で自分の名前や会社名が言えずに(なかなか言えずに)顧客に笑われたり、それらのことで結果として仕事の流れに支障を来たし・・・、顧客から「担当を変えてくれ」といわれることもあり(私も経験者です)、ついには居づらくなりやめざるを得なくなることもあります。

 吃音者は日常的にこのような状況に置かれているのです。
*困っている度合いは、重さや症状の違いによりかなり大きく変わります。

 しかし、「子供の頃からどもることによってどれほど苦労してきたか」を、ほんとうに理解してくれている家族は、まず、いない、というのが本当のところなのではないでしょうか。
 寂しく思われる方もいらっしゃるかもしれませんが現実はそんなものです。
*それでは、日常の何気ない会話でも常に大きくどもるような方は家族の理解を得られているということではありません。しかし、問題の本質がより深刻であることは間違いありません。

 結局、現状では、自分の身は自分で守るしかありません。
*家族から理解されるどころか、「それほど重いどもりでもないのに何を甘えたことを言ってるんだ!」と怒られてしまうくらいなのがよくある光景です。

 それでは、理解を得られないなかで吃音者はどうしたらよいのでしょうか?
 わかってもらえない家族に対してどもりで困っていることを執拗に訴えてみても不毛な応酬が続くだけでかえって自分の心が疲れるだけですし、形だけでも均衡が保たれてきた家庭内の人間関係を悪化させるだけで生産的ではありません。

 そのような場合は、(寂しいことですが)、家族に理解されることを期待しないで発想を転換しましょう。
 たとえば、どもりのセルフヘルプグループに参加して、自分の悩みをわかってくれる人の前で気持ちをはき出せる環境を作ることです。
 それだけでも精神的に大きく救われるでしょう。
 グループのなかで特に気の合う人ができれば、さらに深く語り合うのもよいでしょう。

 また、日常的に気軽にかかれる、なんでも話せる精神科医、臨床心理士、言語聴覚士がみつかればよいことです。
そうすることでなによりも自分が救われるし、結果的に家族との(表面的な関係も)悪化せずにすみます。

 しかし、家庭内、学校、職場で、ことばによる虐待、暴力、パワハラを受けている場合は話が全く違ってきます。
 いろいろな公的・私的機関に相談して(児童相談所、警察など、法テラス、弁護士会など)しかるべき手を打ちましょう。自分を守ってください。

(参考):吃音(になったの)は自分の責任ではないので「スミマセン」はいらない。卑屈にならないで!