吃音(ある程度より重い)で、授業中にふるえている少年少女や、就職を控え不安でいっぱいの人の心をなえさせないために(再掲載一部改編:初掲載は2010年7月13日)

 日本人は、(自分もそうですが)、今でもなお、がんばることが好きです。努力家です。
 今の時期(時代)に書くと否定的に聞こえるかもしれませんが、人生においてがんばることは大切で、昨日の自分よりも今日の自分は少しでも前に進もうという気持ちがないと、多くの場合人生が停滞してしまうでしょう。
*例外が福祉の領域だと思います。心や体に重い障害を持っている人に、障害を持っている部分で必要以上に「がんばることを求める」ことはもってのほかです。その人なりの得意分野で無理のないように徐々に社会参加ができるようにサポートすることが、国や自治体、そして近くにいる人たちの使命ではないでしょうか。

 さて、いつも書いているように、どもりには重いどもりと軽いどもりがあります。
 比較的軽いどもりの場合には、(そして、吃音者と家族やサポートする側とで相互に信頼関係がある場合は)、場合によってはあえて叱咤激励することにより「最初の一歩」を踏み出せるように手伝うことも考えられますが、重いどもりの場合にはそれが全く逆に作用することが多いでしょう。

 耐え難いようなどもりの悩みをを抱えながらも、こころの面、言語面において満足するサポートが得られないことが多い日本においては、孤立無援の状態で、無理をしてでも学校に通ったり就職活動もせざるを得ないのが現状です。
*本当にしんどい場合には無理をしようとしても足が向かなくなりますが、そこまで我慢したらたいていはうつ病などの心の病気になってしまいます。心の病気になると多くの時間を病気との闘いのためにとられてしまいますし、回復にはかなりの時間がかかります。

 いまは、世の中のいろいろな場面で「いきなりに限度を超えてしまって破滅的な結果に終わる場合」が多いようです。
 TVのニュースなどでは、毎日のように家族や会社内の人間関係からの凄惨な殺人などが報道されますが、以前だったら破壊的な結果になる前にご近所や親戚など近くの人が助けてくれたりなどの最低限の「安全装置」がありました。
いまは、それもなくなってきました。いきなり極端なことに至ってしまうのです。

 どもりについても、以前の日本では、学校を出てもどもりでなかなか就職ができなかったら、ご近所や親戚の紹介で就職することもできたでしょうし、都市近郊でも、いわゆる会社員のほかにも農業に従事したり家業を継ぐなどの方法もあり、それで生きていくことができました。

 しかし、今ではそういう選択肢もなくなってきました。
 たとえ、あったとしても「ジリ貧」になってしまいます。食べていけないのです。

 家族や友人間のコミュニケーションの量が減り質も落ちているので、どもりで本当に困っている人の苦しみや孤独感がまわりに伝わらないことが多く、精神的に追い詰められることが多いのではないかと思います。
*スマホなどでの見かけ上のコミュニケーションの量は飛躍的に増えているでしょうが、たわいのないやりとりばかりで、「他人にはなかなか言えないようなことをざっくばらんに話せるというレベルのコミュニケーションや人間関係」が減っているのです。

 いまこのときにも「自殺」することばかり考えているような、深刻に悩んでいる吃音者がどれくらいいるでしょうか?
 サポートする側は、悩んでいる人ほど孤独になるということを考えた上で動かなくてはいけません。

 ではどうすればよいでしょうか?
 吃音者がどもりのために自暴自棄になってしまうまえに、まわりの人ができることは・・・、

★身近にいるどもりを持っている人が、「もしかしたら、思い詰めていて自殺を考えるほど悩んでいるかもしれない」と考えてみること。
★進学、就職などの人生の節目においては特に、どもりを持っている人は100%悩んでいるという前提のもとに動くこと。

 まわりにいる人ができることは、「まずは、ひたすら吃音者の言葉を傾聴することにより信頼関係を築くこと」「そして共感すること」
「(信頼関係を築いた上で)、どうすれば良いかを一緒に考えること」です。

*どもりを原因としたうつ病経験者でもある私としては、うつにも同じような考え方ができるのではないかと思います。
 日本のうつ病に対する体制、短い診療時間と安易な薬の投与ではなかなか治らない。バブル崩壊以降、国民病といわれているうつ病に対する日本の取り組みの問題点がTV、新聞、雑誌等でたびたび取り上げられているにもかかわらず、一向に改善される気配すらないのには怒りすら覚えます。

家族の理解が得られない吃音者の現状(再掲載一部改編:初掲載は2014年11月5日)

 いまさら言うまでもないことかもしれませんが、どもりで困っている子供から大人までの方々は、その悩みを家族(親・兄弟・祖父母そして配偶者)にさえ理解してもらえずに、悩みながら人生を送っていることが多いのです。
*吃音者の集まりなどで良い歳をした大人が、子供の頃から家族にどもりの悩みを理解されずにいることを泣きながら訴える場に何回か遭遇しています。

 なぜ、なかなか理解されないかというと・・・、
★学校の授業ではかなりどもってしまい先生やクラスメイトに笑われたりいじめられたりしているのに、家族の前では話しやすいことばのみをを発すればよいのでそれほどどもらず軽く見える。

★大人の場合、たとえばお子さんの学校のPTAの電話で自分の名前が言えずに変な人に思われたり、PTAの集まりでも同様で、自分の名前も言えずに笑われたりします。

★職場では、電話で名前や会社名が言えずに(なかなか言えずに)顧客に笑われたり、それらのことで結果として仕事の流れに支障を来たし・・・、顧客から「担当を変えてくれ」といわれることもあり(私も経験者です)、ついには居づらくなりやめざるを得なくなることすらあります。

 吃音者はこのような状況に置かれているのです。
*困っている度合いは、重さや症状の違いによりかなり大きく変わります。

 しかし、「子供の頃からどもることによってどれほど苦労してきたか」をほんとうに理解してくれている家族は、まず、いない、というのが本当のところなのではないでしょうか。
寂しく思われる方もいらっしゃるかもしれませんが現実はそんなものです。
*日常の何気ない会話でも常に大きくどもるようなどもりの方は家族の理解を得られているということではありません。しかし、問題の本質がより深刻であることは間違いありません。

 結局、現状では、自分の身は自分で守るしかありません。
*家族から理解されるどころか、「それほど重いどもりでもないのに何を甘えたことを言ってるんだ!」と、怒られてしまうくらいなのが、よくある光景です。

 それでは、理解を得られないなかで吃音者はどうしたらよいのでしょうか?
 わかってもらえない家族に対してどもりで困っていることや苦しさを執拗に訴えてみても不毛な応酬が続くだけで、かえって自分の心が疲れるだけですし、形だけでも均衡が保たれてきた家庭内の人間関係が悪化するだけで生産的ではありません。

そのような場合は、(寂しいことですが)、家族に理解されることを期待しないで発想を転換しましょう。
 たとえば、どもりのセルフヘルプグループに参加して、自分の悩みをわかってくれる人の前で気持ちをはき出せる環境を作ることです。
それだけでも精神的に大きく救われるでしょう。
 グループのなかで特に気の合う人ができれば、さらに深く語り合うのもよいでしょう。

 また、日常的に気軽にかかれる、なんでも話せる精神科医、臨床心理士、言語聴覚士がみつかればすばらしいことです。
 そうすることでなによりも自分が救われるし、結果的に家族との(表面的な関係も)悪化せずにすみます。

 しかし、家庭内、学校、職場で、ことばによる虐待、暴力、パワハラを受けている場合は話が全く違ってきます。
 いろいろな公的・私的機関に相談して(児童相談所、警察など、法テラス、弁護士会など)しかるべき手を打ちましょう。自分を守ってください。

(参考):吃音(になったの)は自分の責任ではないので「スミマセン」はいらない。卑屈にならないで!(2014年10月1日)

吃音:仕事をする人としての現実(その2 仕事とどもり)

 このブログには数こそ少ないですが、どもりで困っている人から深刻なコメントが寄せられます。
 コメントの公開は承認制なので内容が個人的なものだったり深刻な場合には、公開する前に(公開の可否も含めて)直接やりとりさせていただく場合があります。

 非公開のコメントの内容は「どもりと仕事」「どもりと家族」に関することが多いのです。
★仕事の日常業務、会議や電話をする場合に言葉が(なかなか)出ずに、「事実上、仕事にならなくなり追い詰められている場合。
*自分の名前、会社名、相手の名前など言えてあたりまえのことが、面と向かってはもちろん電話や社内電話でも(なかなか)言えない。
*さらに追い詰められてうつ病になりいまの仕事をやめることとなり、その後もなかなか再就職できない。現状を家族からも理解されない。
*追い詰められて自殺を考えた、またはその直前までいって思いとどまったという深刻なコメントもあります。

★子供の頃からのどもりに対する家族の無理解、どもるたびに家族から言い直しをさせられたり注意されることの繰り返しが大きなストレスとなりこころに積み重なり、大人になってからの日常生活や家族関係、近所付き合い、子供の学校のPTA活動などの人間関係や話すことに大きな障害となっている場合。
*どもることにより学校で(同級生や先生から)いじめを受けていた、からかわれていたということも、どもりの症状の固定化や悪化、大人になってからのメンタルな問題を引き起こす大きな原因にもなるでしょう。

 ひとりでする仕事ではなくて組織の中で二人以上で仕事をする場合には(職種により話すことの重要性は大きく違いますが・・・)、
同僚や上司との会話、会議での発言、顧客の前でのプレゼンテーション・交渉など、また、電話の対応はハキハキしたものでなければなりません。
 そうでなければ事実上仕事になりません。特に仕事につきもののクレーム対応においては的確な言葉遣いが必要とされます。
*ここで、どもってもよい(もちろん仕事に影響が出ないくらいのものは除きます)、というのは仕事の現実を無視したものになります。

 このように、このブログには・・・、
 子供の頃からのどもりによるストレスの積み重なりの結果としての心理的な問題、家族との軋轢、
就職・転職がなかなかできない、仕事上での言葉に問題が生じ職務の遂行ができなくなりやめてしまった、または大きく悩んでいる、という人の生の声が寄せられています。

吃音:幼少時からの親子関係・家庭環境がもたらすもの(再掲載:初掲載は2012年9月11日)

 どもりを持っている私が生きてきたなかで、多くのどもりを持つ方々と接してきて感じていることなのですが・・・、
仲良くなりお互いの人生について忌憚なく話し合えるようになった「おとなの吃音者」のなかに、自分の幼少期の話題になると急に寡黙になる方が少なからずいらっしゃるのです。

 吃音についての一般論は実に多くを語り積極的に活動されている方が、自分の子供の頃の話しとなると急に寡黙になるのです。

 吃音者に限らず、自分の過去の話しになると、比較的親しい間柄においても急に寡黙になる方はいらっしゃいます。

 そのようなときには、「かなり辛い経験をされてきたのだろうな」とか、「大変な苦労をされてきて思い出したくないのだろうな」と考えて、こちらからはそれ以上聞くことはしませんね。(おとなの常識です)
*「親友」とは、そういうところまで話せる人間関係のことですが、実際には持っている人はかなり少ないようです。同じ悩みを共有している吃音者の間では比較的できやすいような気がしています。

 なんでこんなことを書いたかというと・・・、吃音者は心の解放がうまくなされていないのではないかと思うのです。

 子供のころからどもりにまつわるかなり辛い経験をしてきて、それを無理矢理に忘れようとするか、または棚上げにしておくことで、いまの自分をなんとか保つようなギリギリの生き方をされているように見えてしまうのです。
*自分も30代前半くらいまではそういう生き方で無理を重ねていました。そういう「危うい生き方」が、結果としてどもりを維持させたり悪化させる、また、実際の症状以上に自分のどもりを悪く評価して苦しんでいるのではないかと思うのです。

 こどもの頃からの辛い経験は例えば・・・、
★子供の頃、どもる度に家族から注意されたり、場合によっては笑われたり無視されたりして、自分の家も安住の地ではなかった。
★子供の頃、学校や友達の間で(場合によっては家庭内で)、どもることにより精神的なレベルか肉体的なレベルでいじめ・虐待を受けていた
★家族関係(親子、夫婦、兄弟、祖父母)が劣悪でケンカやいざこざが絶えず、その人間関係によるストレスにより自分のどもりが維持され悪化して結果として人生がうまくいっていないと、こころのなかで強く思っている。
★しかし、自分の幼少期の経験や自分の家族についてはあまり否定的に思いたくないし、そういう事実を人に知られたくないという複雑な思いが自分を締め付けている。

 一方、全く逆の環境の場合は・・・、
★学校でどもりで困ったり恥ずかしい思いをしても、帰った家ではいくらどもっても怒られることも注意されることもなく静かに話を聞いてくれるので、自分がどもりで困っていることをわだかまりなく家族に話せる。
★家族間で全くケンカのない家庭などありませんが、質実剛健で思いやりのある明るい家庭。

 こんな家庭環境に子供の頃からあれば、どもりが治るかどうかは別として、前述よりかは明らかに良い結果(吃音の悪化が食い止められる、心理的に重症のどもりとならない可能性が大になる)になるでしょう。

 それでは、前述のような「悪い家庭」で育ってしまった場合にはどうしようもないのかといえば、おとなになってから自分の努力でかなり回復できるものと考えます。

★アダルトチルドレンであることを認識する
 「こどもの頃、我慢していたこと」、小中学校のころからどもりで困ったり、どもりを原因としていじめられたりと、場合によっては自殺を考えるほどに悩んでいたのに家族には話すら聞いてもらえなかったし、言い出せるような環境ではなかった。
 そのような場合には、年月を経てからでも、年老いた親の前でも、「当時、自分がたいへん困っていて悩んでいたのに家族には何もしてもらえなかったこと」を大きな声ではっきりと言いましょう。(たぶん家族からは理解されないと思いますが)自分のなかで何かが変わりはじめるかもしれません。

★いままでは自分の人生のなかの「負の部分」と思って、こころのすみっこの方に紙に包んでしまっておいた「こどもの頃のどもりについてのいろいろなこと」を、自分の人生のなかの「ほんとうにあった隠せない事実(人生の一部)」とするために、自分で工夫しましょう。
 それには、例えば、東洋的な修養法である「座禅」なども良いかもしれません。
*もちろん人それぞれです。

★やはり、自分の負の部分をためらいなく語れる友人(親友)を持つことです。

★セルフヘルプグループなど吃音者の集まりに積極的に参加して、自分以外のいろいろな立場の吃音者(性別、年齢、生きざまの違う)がどのような人生観を持って生きているかを体感することです。(ネットのつながりだけでは弱すぎます。)

★信頼できてなんでも話せるホームドクターとしての、精神科医、臨床心理士、言語聴覚士などを努力して見つけ、専門家のサポートの元で、自分のどもりやいままでの人生をできるだけ俯瞰できるように(自分を客観視できるように)していくことです。

吃音者を取り巻く状況2017年

 2017年を迎えました。
 どもりを持っている人の状況について考えてみたいと思います。
*どもりには重さの違いや症状の違いがあります。また、子供の頃から育ってきた家庭環境(精神的・経済的)、いま生きている環境(家庭・学校・職場)により、どもりが人生に及ぼす悪影響は天と地ほどの差がでることを理解しておく必要があります。

1,いじめ事件とどもり
 昨年もいじめ、そして、それによる自殺が多数報道された一年でした。
 特に気になったのは、福島原発の事故で避難されている子供や大人が、それを理由に様々ないじめを受けていることが表面化したことです。
子供のいじめについては、先生もいじめに荷担しているというショッキングな、でも、ありがちなことが報道されることが続いています。

 福島原発の事故で避難している子供に対しクラスメイトが差別的な発言をし脅かしてお金をとっていた事件では、担任に相談した子供が、その後担任から差別的な発言(呼び名)で呼ばれて不登校になったという信じられないような話です。
 また、これは原発がらみではありませんが、いじめを受けて自殺したとみられる仙台の中学生の自宅を自殺直後に教員が訪れてLINEの履歴を削除したという行動(これはもう犯罪です)の報道にはあきれるばかりです。
 ぜひ事実関係を明らかにして厳正な処分を求めたいと思います。

 このようないじめが蔓延している状況では・・・、
どもりながら話す、なかなか言葉が出てこないようなところが滑稽に見えてしまい、また気が小さいからどもっているというステレオタイプな見方をする一般の子供からすれば格好のいじめの対象になるでしょう。
*大人も同様に、職場でのいじめの対象になります。

 いじめ事件の際の学校の先生や教育委員会の逃げ腰・自己保身的な行動や態度をみると、いじめを受けていても先生に相談できないどもりを持った子供が大勢いることも容易に想像できます。
 ただでさえどもりの悩みを相談できない子供たちですから、それプラスいじめでは、かなり追い詰められていることも考えておくべきです。

2、仕事(就職・転職)とどもり
 もう4年ほど前になるでしょうか、北海道で苦労の末看護師になったどもりを持った男性が自殺した報道がありました。
 彼はセルフヘルプグループでも活発に活動し前向きな発言そしていたようで、仲間内では自殺するようには見えなかったとのことです。

 もともと、職業には適性があります(どもりにかかわらず)
 さらに、どもりを持っている場合には、選べる職業の幅が事実上狭まります。
その人がもしもどもりでなかったら合うであろう職業でも、どもりであるために結果として適性がなくなるのが仕事の世界です。

 職種によってその要求度はかなり違いますが、仕事では、言うべき言葉を言うべきときにハキハキと言えることがあたりまえのように要求されます。
 社内で、または取引先で、顧客に対してハキハキと対応できない場合、または、傍から見て重くは見えないどもりでも、本人のこころのなかでは、ストレスで精神的にぎりぎりとなり、自殺すら考えていることもあります。

 先ほどの北海道の看護師のように、人の命にかかわる医療の仕事の世界では、「言うべきときにハキハキと言葉が出てコミュニケーションが円滑にできることは必須でしょう。
(「職場がどもりについて理解があり相談して云々」というのは職種によっては可能な場合もあるでしょうが、この場合は現実的ではありません)

 そのような厳しい世界に飛び込んだ彼、とてつもなく大きなストレスのなかでも前向きに生きようとしたことが、結果としてこころのリソースをすり減らしてしまったのではないでしょうか。

 そういうときに必要なのは「頑張りを語れる(語ってしまう)環境」ではなくて、ほんとうの自分の気持ちや弱音をあたりまえのように吐ける環境です。
「そんなの頑張りすぎだよ!無理だったら早めに辞めて方向転換しようよ!」などと言ってあげられる・話し合える環境だと思います。
*(もちろん善意からですが)そういう前向きに無理をして頑張っている人を(結果として)あおってしまいがちです。

 また、一般の会社の事務系や営業系の仕事は、ある意味それ以上に言葉の要求度が高くなります。
 言葉をあまり使わないイメージがある技術系や現場系の仕事でも、ひとりきりでする仕事以外は言葉による的確なコミュニケーションが意外に必要とされます。
*いままで書いてきたような「仕事の世界の現実」を考えず、どもりでもなんとかなるなどと考えることは現実的ではありません。

「吃音を受容する(受け入れる)」、「どもりを軽くしたい・治したい」という考えかたは、どちらかが正しいということではない

 どもりである私は既存のどもりのセルフヘルプグループに属したことがないので直接は知らないのですが、セルフヘルプグループや吃音治療や相談にかかわる関係者のなかではここ何十年も・・・、
「どもりを治そう、治したい」という考え方と、
「どもりにこだわるのをやめて受け入れて生きよう」という考え方をする人がいて、それなりの対立構造があるらしいことはなんとなく知っていました。
*かつて80年代末大卒後就職できなかった私は通った民間のどもり矯正所で何人かの気の合う仲間と小さなセルフヘルプグループを作った経験があります。

 でも、少し落ち着いて考えてみると、どもりのセルフヘルプグループに参加している人は吃音者のなかのごく一部で1割にも満たないことがわかります。
 そのような現状でもしも対立構造があるとすれば、いまどもりで悩んでいてセルフヘルプグループに興味を持ったり、参加しようと思っている人のこころが「ひけて」しまうのではないかと思うのです。

 「どもりについてどう思うか」とか「その治療感」についてはいろいろな考え方があって良いですし、そもそも、そのような違いを認め合えないのならば、集まり自体にも魅力がなくなってしまいます。

以前もこのブログに書いたことがありますが、人はそのときの置かれた様々な状況でその心持ちも変わるものです。
 職場や学校で比較的うまくいっているときは「どもりを受け入れよう」と思えるかもしれない同じ人が、どもりのために大きな失敗をしたり恥をかいたときなどは、受け入れるどころか「なんとか軽くしたい。できれば治したい」と思うのは至極当然です。
 そのようなことを否定してしまっては話が現実離れしてしまいます。
*「いまいる職場や学校でなんとか適応して生きていこう」というあたりまえの想い・生き方を否定できません。

 吃音者(重さや症状、生きている家庭環境、学校環境、職場環境も実に様々でしょう)が、いま自分が生きている場所にできるだけ適応できて、人生を少しでもよくしたい・充実した人生を送りたいというあたりまえの心持ちを否定しても意味がありません。

 どもりは、その重さの違いで、その人の人生に与える影響が大きく違ってきます。
 特に、重い吃音者の学生時代、そして社会人になるまで、なってからの苦労は、語られることもほとんどありませんので一般には知られていませんが、きわめて大変なものです。
 一方、傍から見てごく軽く見える吃音者は楽かというと、どもりでない人と同じ環境で学んだり働いたりするなかで、そのプレッシャーは(人により、その学んだり働いているところの環境によっては)その人の人生を追い詰めていくものになります。
*吃音者の学校や職場でのいじめの問題も無視できない深刻な問題です。

 そういったことを考えると・・・、
 いま悩んでいる吃音者、学校や職場に通えなくなって引きこもっている人、就職できずに悩んでいる人などに、その人の立場に沿ったサポートが受けられるような体勢を作ることが必要です。

 どもりを持った子供には小学校高学年にもなったら、きれいごとではなく、これから経験するであろう様々な困難を正直に教えていく、そしてその上で、大きくくじけないようにしっかりとサポートしていくことこそ重要ではないかと思います。

吃音(になったの)は自分の責任ではないので「スミマセン」はいらない。卑屈にならないで!(再掲載一部改編:初掲載は2012年6月7日)

 誰かの前でどもったときに「スミマセン」と謝る吃音者が少なからずいます。
*私もそういうところがありました。その「スミマセン」という言葉はなめらかに出たりして・・・

 たとえば仕事上で・・・、
お客様の前や電話口で必要な説明ができずに客の方がイライラしてくるか、
「この人では話にならないのでしゃべれる人に替えてほしい」などとクレームがついたときは、これは、「スミマセン」と客に謝るべきです。
仕事ですから・・・
*これにも、「そんなことはない、堂々とどもっていれば良い」などと言う人がいれば、それは実務経験に乏しい人です。その職場で必要とされるレベルのコミュニケーションができないくらいにどもる人は配置換えにして他の部署に回れば良いので、これは本人の責任と言うよりも上司(会社)の責任です。

 今回は、そういうことではなくて、
 例えば、仲間同志の日常の何気ない会話や、学校での発表、こちらがお客様として買い物をするときなどに「自分の名前が言えない、またはなかなかことばが出てこないとき」に、こちらから謝る必要がない、卑屈になる必要がないということなのです。
なぜならば、好きで自分からどもりになったのではありませんから。

「小さな頃からどもりだったのです。開き直ってください。」というと、
「それでは親の責任ではないか、親のせいでどもりになったのでは」、ということになります。(私も子供の頃から長い間、親を恨んでいました)
*吃音の研究は20世紀初頭からアメリカの大学で本格的に行われました。親の育て方に起因する「診断起因説」も有力な説としてありましたが、いまではおおかた否定されています。いまでもどもりの原因は分かっていません。

 しかし、家庭環境や親の育てたかが吃音の原因ではなくても、はじまったどもりを維持・悪化せる要因には十分になり得ます。
 もしも、どもりで悩んでいる自分にとって「どもる度に怒る」「言い直しをさせる」、「笑う、ばかにする」というような家庭(環境)、または、家族に大きな問題がありケンカばかりしていて子供の心が安まらないなどの場合
 このような場合には、誰かに相談してでも公的な力を借りてでも、環境を変えるように努力してください。

 私は、「自信を持ってどもっていこう」とか、「どもったままでよい」などとは言いません。(言えません)
引きこもりの後に自分で見つけて就職した経験、企業での営業マンとしての経験からそんなことは言いません、いや、言えません。世の中はそれほど甘くはありません。

 しかし、どもる自分について卑屈になる必要はありませんし、必要もないのに謝る必要もありません。
 どもっている自分にとって生きづらい環境ならば、あらゆる努力をして変えていってください。変えていきましょう。
 少しずつ幸せになっていきましょう。

吃音者と孤独(再掲載一部改編:2007年7月1日)

 どもりを持つ人がその悩みを抱えたまま孤独に陥るのは危険なことです。
 その孤独というのは、表面的なもの(スマホや携帯に入っているアドレスや電話番号の数が少ないということ)でなくて、本音を語れる親友がいないことです。
 親友は何人もいりません。ひとりいればよいのです。

 と言っても、どもりの悩みはなかなか打ち明けることができません。
 どもりを持つ仲間の集まりであるセルフヘルプグループに参加してみるのもひとつの方法でしょう。参加者のなかにひとりくらいは本音でつきあえる人が見つかるかもしれません。

 とにかくひとりで悩まないことです。
 直接会ってお友達になってからは、ネット上で連絡を取り合えれば良いと思います。

吃音:子供のころに「言いたいこと」を言わずに飲み込んでしまうことがありましたか?(再掲載一部改編:初掲載は2009年3月18日)

 2~3歳頃に始まることが多く、その多くが学齢期以前に自然治癒すると(されている?)「どもり」を、思春期以降まで持ち越して進学や就職、仕事に支障が出てきている、つまり、人生に影響が出ている方は多いと思います。(私もそうです)

 そのような方々に結構多いのが、「子供のころは、おとなしくて聞き分けの良い子」なのです。
親としては育てやすい子だったでしょうが・・・、

 今の時点で、子供の頃をふり返って自己分析してみてください。
 「自分はどもりで悩んでいるんだ」と、自分の感情を親の前で表現できる子供でしたか?
 また、そのように表現させてくれるような家庭環境(家庭内の雰囲気)でしたか?
*小さな子供にすら気を遣わせてしまうような家庭ってありますね。そのような家庭では、親はこどもの深刻な悩みに全く気がつかないことが多いです。

 子供の頃、親に対して、どもりの苦しみを訴えることはできましたか?
そのような子供のことばに耳を傾けてくれるような親でしたか?

 例えば、家が商売で忙しくほとんど相手にしてもらえなかった。
 父も母も厳格で、自分がどもることを許してくれないような(雰囲気)家庭だった。

 確かに、大人になってからいろいろと経験したり、自分なりに努力していろいろと乗り越えていくべきことはいくらでもあります(それが人生の醍醐味ですね。)
 が、子供の頃に与えられたネガティブなもの(ことば、感情)は、大人になってから、結構、心にいたずらをしてきます。

 この書き込みを読んで感じるところがあったら、自分の心に規制をかけないで自分のほんとうの感情を「感じて」ください。
 素直に感じて素直に自己分析して考えて、いままでのような心に過度な規制をかける自分では「まずいな」と思ったら、少しずつなおしていけば良いと思います。

 私は、どもりは、いわゆる「気の持ち方以上」の問題、つまり器質的な原因があると考えています。
*私の素人考えでは参考にもなりませんね。おすすめの本「吃音の克服」を読んでみてください。

 が、たとえそうであっても、子供の頃の育つ環境がネガティブなものであれば、確実にどもりに悪影響を与えていると思っています。

 しかし、それは、これからの人生を「自分の意志以外の何かに」確実にコントロールされてしまうような性質のものではなくて、大人になってから、自分で「気がついて」対処していけば解決可能なものであるとも考えています。

 どもりについてはいろいろな考え方があって良いと思いますが、私は「どもらなかった方が良いに決まっている」と、あえて、ここで書きたいと思います。
なにも、どもりで苦労しなくても、人生では苦労することはいくらでもあります。

 それなのに、子供の頃から、
 学校で本を読んだり、友達のところに電話をしたり・・・
こんな、あたりまえにできることで、なんで、こんなに苦しんだり、苦しんでいるのに親に逆に注意されたり怒られなければならなかったのか?

 こんな、あたりまえに持つ感情を抑えないで、せめて大人になった今はきちんと表現してください。
*そして、そんなことが素直に言える「静かに聞いてくれる」友達を是非作ってください。

 そこから、吃音との和解、そして、もしかしたら二次的なものとしてでも、症状の軽減があるのかもしれません。

 いつも書いているように、悩んでいる吃音者に対する「心理的なサポート」と、必要があれば「言語治療」を、臨床経験豊富な専門家集団(精神科医、臨床心理士、言語聴覚士、ソーシャルワーカーなど)がチームを組んで、長期間にわたって個人毎のサポートを行なっていけば、どもりで悩んでいる人をその悩みがいくらかでも軽減できるでしょう。
街のなかに小さな建物(ビルの一部屋)があればできることですからお金もたいしてかかりません。
*歯医者に通うような気軽さで、そういう専門家にかかれる体制を作る必要があります。
*同じような考え方で国民病と言われているうつ病にも対処できると思います。うつ病の患者が減ったり予防ができれば、本人のためにはもちろん、日本の経済や企業にとっても良いことだと思います。

吃音:幼少時からの親子関係・家庭環境がもたらすもの(再掲載:初掲載は2012年9月11日)

 どもりを持っている私が生きてきたなかで、多数のどもりを持つ方々と接してきて感じていることなのですが・・・、
仲良くなり真摯に話し合えるようになった「おとなの吃音者」のなかに、自分の幼少期の話題になると急に寡黙になる方が少なからずいらっしゃるのです。

 吃音についての一般論は実に多くを語り積極的に活動されている方が、自分の子供の頃の話しとなると急に寡黙になるのです。

 吃音者に限らず、自分の過去の話しになると、比較的親しい間柄においても急に寡黙になる方はいらっしゃいます。
 そのようなときには、「かなり辛い経験をされてきたのだろうな」とか、「大変な苦労をされてきて思い出したくないのだろうな」と考えて、こちらからはそれ以上聞くことはしませんね。(おとなの常識です)
*「親友」とは、そういうところまで話せる人間関係のことですが、実際には持っている人はかなり少ないようです。同じ悩みを共有している吃音者の間では比較的できやすいような気がしています。

 なんでこんなことを書いたかというと・・・、
そういう吃音者は心の解放がうまくなされていないのではないかと思うのです。

 子供のころからどもりにまつわるかなり辛い経験をしてきて、それを無理矢理に忘れようとするか、または棚上げにしておくことで、いまの自分をなんとか保つようなギリギリの生き方をされているように見えてしまうのです。
*自分も30代前半くらいまではそういう生き方で無理を重ねていました。そういう「危うい生き方」が、結果としてどもりを維持させたり悪化させる、また、実際の症状以上に自分のどもりを悪く評価して苦しんでいるのではないかと思うのです。

 こどもの頃からの辛い経験は例えば・・・、
★子供の頃、どもる度に家族から注意されたり、場合によっては笑われたり無視されたりして、自分の家も安住の地ではなかった。
★子供の頃、学校や友達の間で(場合によっては家庭内で)、どもることにより精神的なレベルか肉体的なレベルでいじめ・虐待を受けていた
★家族関係(親子、夫婦、兄弟、祖父母)が劣悪でケンカやいざこざが絶えず、その人間関係によるストレスにより自分のどもりが維持され悪化して結果として人生がうまくいっていないと、こころのなかで強く思っている。
★しかし、自分の幼少期の経験や自分の家族についてはあまり否定的に思いたくないし、そういう事実を人に知られたくないという複雑な思いが自分を締め付けている。

 一方、全く逆の環境の場合は・・・、
★学校でどもりで困ったり恥ずかしい思いをしても、帰った家ではいくらどもっても怒られることも注意されることもなく静かに話を聞いてくれるので、自分がどもりで困っていることをわだかまりなく家族に話せる。
★家族間で全くケンカのない家庭などありませんが、質実剛健で思いやりのある明るい家庭。

 こんな家庭環境に子供の頃からあれば、どもりが治るかどうかは別として、前述よりかは明らかに良い結果(吃音の悪化が食い止められる、心理的に重症のどもりとならない可能性が大になる)になるでしょう。

 それでは、前述のような「悪い家庭」で育ってしまった場合にはどうしようもないのかといえば、おとなになってから自分の努力でかなり回復できるものと考えます。

★アダルトチルドレンであることを認識する
 「こどもの頃、我慢していたこと」、小中学校のころからどもりで困ったり、どもりを原因としていじめられたりと、場合によっては自殺を考えるほどに悩んでいたのに家族には話すら聞いてもらえなかったし、言い出せるような環境ではなかった。
 そのような場合には、年月を経てからでも、年老いた親の前でも、「当時、自分がたいへん困っていて悩んでいたのに家族には何もしてもらえなかったこと」を大きな声ではっきりと言いましょう。(たぶん家族からは理解されないと思いますが)自分のなかで何かが変わりはじめるかもしれません。

★いままでは自分の人生のなかの「負の部分」と思って、こころのすみっこの方に紙に包んでしまっておいた「こどもの頃のどもりについてのいろいろなこと」を、自分の人生のなかの「ほんとうにあった隠せない事実(人生の一部)」とするために、自分で工夫しましょう。
 それには、例えば、東洋的な修養法である「座禅」なども良いかもしれません。
*もちろん人それぞれです。

★やはり、自分の負の部分をためらいなく語れる友人(親友)を持つことです。

★セルフヘルプグループなど吃音者の集まりに積極的に参加して、自分以外のいろいろな立場の吃音者(性別、年齢、生きざまの違う)がどのような人生観を持って生きているかを体感することです。(ネットのつながりだけでは弱すぎます。)

★信頼できてなんでも話せるホームドクターとしての、精神科医、臨床心理士、言語聴覚士などを努力して見つけ、専門家のサポートの元で、自分のどもりやいままでの人生をできるだけ俯瞰できるように(自分を客観視できるように)していくことです。