2018年:吃音(者)の現状は

 お正月も松の内が明けたところでインフルエンザになってしまい、ここ数日でやっと元気を(ほぼ)取り戻したところです。

 さて、毎年、年頭に書いている吃音者を取り囲む現状についてですが、2018年になったと言っても、日々の生活のなかでは何かが変わる(と感じられる)ところはないでしょう。

 ただ、中長期的に考えれば・・・、
 労働環境(職場環境)は、AI化の進展ににつれて大きく変わっていくでしょうし、
 学校では、むしろ話すことの教育が強化される方向で、英語教育の低年齢化、プレゼンテーション能力の向上に向けた「話す力」「説明する力(説得する力)」の強化が行なわれていくために、人前で話す(うまく話す)ことの重要性がますます叫ばれていくと思います。

 しかし、そういう今後の展開に向けた「吃音者自身の心の準備」や「応援する側のックアップ体勢」は、全くと言って良いほどできていないと思います。
もはや「どもっても良い!」などということばをかけてみても、現実を生きる吃音者を追い込んでいくことにしかならないでしょう。

 吃音者それぞれのどもりの症状や家庭環境・学校環境に応じたバックアップ体制をどうするか?
 学校の先生・臨床心理士・言語聴覚士・ソーシャルワーカーなど様々な専門家の協働作業のもとに、吃音者が現実の人生において破滅的な失敗や立ち直れないような苦労をしないためにしっかりとした体勢を組む必要があります。
(学校の担任の先生と各種専門家の協働作業、どもりの症状や重さを踏まえたうえでの将来を見据えた現実的な進路指導や職業教育、家庭内に問題がある場合は家族へのカウンセリング、など)

 

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吃音:哲学的な議論はそろそろやめにして・・・(再掲載一部改編:初掲載は2012年6月28日)

 80年代末のことですが、私は大卒後もどもりのために就職できずに(せずに)約2年間引きこもりました。
*せずに、としたのは、ことばを使わないかほとんど使わない仕事ならできたはずですがしませんでした。

 その後、民間の無資格どもり矯正所に通いだして、そこで生まれて初めてどもりについて語り合える友をもつことができ、元気を取り戻しました。
 そして、その後、ハローワークに通い出し小さな会社の営業職を見つけて就職することができました。

 その後30歳前後のちょっと自信がついた頃でしょうか、自慢げにいままでの顛末を話していたことを思い出します。
その内容はひと言で言えば、「自分がどもりであることを覚悟を持って、自分なりに受け入れて生きていく」というようなことでした。

 吃音者の会合などで、いままさに悩んでいる人の前で、どもりを持ちながらもそれなりに生きてきた方が「力強い話」をすると、会場の雰囲気も影響してかその場では感銘を受けるかもしれませんが、
日常の簡単なコミュニケーションにも影響が出ているような、ある程度以上の重さのどもりを持ちながら現実の毎日を生きている人(特に子供)にとってはこんな話はかえって酷かもしれません。
*いつも書いていますが、客観的にみて「軽いどもり」に見えても、本人が気にして悩んで生活に支障が出ていれば、それは「重いどもり」です。また、どもりの重さは、吃音者を囲む家庭や学校、職場の雰囲気や人間関係でも 大きく変わってきます。

 日常生活に支障が出ているようなある程度より重い吃音者が、自分がどもっていることをそれなりに受け入れられるようになるには、子供の頃からどもりによる耐えがたいような経験を数限りなくしてまさに七転八倒の人生を送りながら、その後にそのような境地になるのがほんとうのところと思うからです。
 決して誰かに言われて達する境地ではありません。
*就職できなかった方が就職できたり、引きこもっていた方が学校や会社に通えるようになるなど、「自分でも良い方向に向かってきていると実感できた時」にそんなふうに思える余裕が出てくるのかもしれません。

 学校でも職場でも、(どもりが重い場合は日常生活のすべてのシーンで)、ある程度以上の重さのどもりを持っていると生活に支障が出てきます。
 そのような過酷な毎日を過ごしている人にとっては、「自分がどもりを持っていることを覚悟を持ってこころから受け入れて生きる」ことなどなかなかできることではありません。

 多くの場合は、生きていくためにどもりと共存していくしかないので、結果的にそうなっているだけです。
「自分がどもっていることを受け入れていく」という考え方は、誰かに言われてできるものではなくて、苦労の末にこころのなかで自発的に出てきてはじめて意味をなすものでしょう。

 ですから、「どもりを受け入れる」とか「治そうと努力する」などいろいろな考え方に対して優劣をつけるのはやめにして、
★吃音者それぞれのどもりの重さや症状の違い
★生きている環境(どもり出した子供の頃から就職くらいまでの家庭の経済的・精神的環境、いま生きている学校環境、職場環境、家庭環境)の違い
★本人の性格の違い
★本人のどもり以外の能力(学力、仕事の能力)の違い
などを考えながら・・・、

★できるだけ症状が軽くなるように(セルフヘルプグループの仲間などとことばの練習をしたり
★精神科医などのこころの専門家のバックアップを受けながらメンタル面の管理をする
★いまの比較的良いことばの状態が続くように(仲間と)ことばの練習したり、

また
★今のどもっている状態を受け入れながら無理をしないで生きていく・・・

 などというように、個々のケースごとに現実的な対応をしていけば良いと思います。
*努力したとしても結果的にうまくいかず、就職できずに経済的に困窮する、苦労や心配から結果的に性格が暗くなる、学習意欲が落ちたり授業中の発表が怖くて成績不振に陥る、電話や会話が怖かったりうまくできずに職場での仕事にも大きな支障が出てやめることになる、ということも起こりえます。
これらは極めて深刻な問題です。

 ですから、吃音者をサポートする側(家族、専門家など)がまずすべきことは、
 できる限り吃音者の今の悩みや直面しているつらい状況をしっかりと見て、吃音者の語ることばを傾聴することです。
 夢物語や理屈を語ることではなくて、いま現実にできる援助を確実にすることです。

 その結果として、どもりを持って悩んでいる人に心の余裕が少し出てきて、現実の生活に追われるだけではなくて深い考えを少しずつ持てるようになり、自分のどもりを自分なりに人生のなかで位置づけて生きていくことができるようになると思います。

 

20年,30年前から、とっくの昔から格差社会にいる吃音者(再掲載一部改編:初掲載は2007年3月21日)

 (ある程度以上の重さの)どもりを持っている人にとっては、話すことが仕事の重要な部分を占める職種への就職は困難を極めます。
*「ある程度以上の重さ」とは第三者から見た重さだけではなくて、傍からは軽く見えるどもりでも、自分ではそれで悩み人生に大きな支障が出ていれば、それは重いどもりです。

 世の中では「格差社会」なんて言われていますが・・・、
 どもりを持つ人にとっては笑っちゃう話で、とっくの昔から「格差社会」なのです。
「どもりでも人間性がよければ大丈夫、就職できます・・・」なんていわれますが、はっきり言ってそれは嘘です。
*もちろん就く職種によってかなり大きな差があります。

 まわりの人たちが勇気付けるためにそのような言葉をかけるのかもしれませんが、それは、時には罪な言葉にもなり得ます。
 現実には、どもりを持ちながら一生懸命に就職活動をしている方もいくらでもいらっしゃいます。(私もそうでしたので)その大変さは筆舌に尽くしがたいものがあります。

 どもりの人がオフィスワークや営業などの(言葉を話すことがメインの仕事)につく場合には、重症度による差が大きいのです。
*もちろん、言葉を使わない仕事につく場合は別です。

 客観的にみて軽いどもりでも本人としては大きく悩んでいる場合はどうでしょうか・・・、

 そのような場合は(自分自身の苦悩は別にして)比較的スムーズに就職できます。
*または、誰かのコネで就職したのかもしれません。

 しかし、いざ仕事を始めてみると、職場のまわりの人たちは、あたりまえのように電話をかけたり、顧客と様々な交渉をしている人です。(あたりまえですが)

そのような環境下で 今までのストレスがたまっていることもあり、緊張を強いられるオフィスワークでの電話や難しい交渉などでの失敗などが重なると次第にうつ状態になっていき、どもりも悪化のスパイラルに陥ります。

 そして、次第に会社に行くのが苦痛になるような場合もあります。
さらには、うつ病となり会社に行けなくなる場合もあります。

 友人や家族の間の何気ない会話でも常に大きくどもるくらいの場合は、事務や営業のように言葉を使うことがメインの仕事につくことは困難を極めます。
たとえ強力なコネで入ったとしても本人が苦労するだけですから、(本人の強い希望がある場合は別として)、親の見栄で就職させることは絶対にやめるべきです。

 いっぽう、第三者からみてほとんどわからないくらいのどもりでも、電話をかけたり交渉することがメインの仕事についたときには・・・、
まわりの人からみればほとんどどもらないように見える彼らは、普通に電話が出来てお客様とも普通に会話が出来るように見えますから、何でもやらせてみようということになります。

 しかし、それが本人にとっては、時として、とんでもない大きな負担となります。

 ことばの調子が良いときはいいのですが、どもりには波があります。
 調子が少し悪いときに仕事を失敗したりすると次第にどもり悪化のスパイラルに陥り、いままでできていたことができなくなっていきます。(電話や交渉です)

 さらに、言葉の面で仕事に支障が出てきて顧客に指摘されたり上司に注意されるようになってくると、毎日がまさに「死ぬか生きるか!」ということになり、ついには耐え切れなくなり突然に会社を辞めたりします。
 同僚からみれば、まじめに仕事しているのになんで急にやめるのだろう、と、不思議に思われますが、本人にとっては追い詰められた結果なのです。

 これくらいの症状の場合には、いろいろな条件がうまくあっていれば、結果的にどもりの症状が軽減されるとともに自信がつき仕事も良い方向に向かうこともあるでしょう。
*よく、克服経験談で語られます。

 このように、どもりの人の数だけのストーリーがあるのです。

 あるところには表面に出ている症状は軽いのに悩んでうつになってしまうほど悩んでいる人がいたり、
 また、あるところには、誰が聞いてもわかるほどの重いどもりでも家族の理解すら得られない場合があります。
家族から、「就職できないのは怠けているからだ。」と責められる場合すらあります。
ひとりでどもりの現実と戦っている人はいくらでもいるのです。

 どもり対策は、ある意味、就職対策(仕事対策)なのではないかと思います。
 学生時代は、どもりで恥ずかしい思いをしたとしても生きて行けないということはありません。(しかし、いじめを受けたりまわりに理解者がいない場合は大変苦しい学生時代となります。)
 
 それは親の庇護下にあるからです。まだ親も比較的若いので家庭的にも余裕があります。

 しかし、就職するくらいの年齢になってくると親も歳をとってきて、親も本人もあせりだします。
本当はこのあたりでじっくりと家族と話し合っておけばよいのです。

 どもりの症状については、ありのままに、また、本人の今後の希望についても家族で冷静に話し合えばよい方向に向かう可能性がるのですが・・・、家族の話し合いは感情的になり口喧嘩にになってしまうことが多いようです。

 せっかく良い学校を卒業したのだからと、親の見栄や世間体からいわゆる有名会社に就職させようなどと考えて、家庭内が修羅場になることもあります。
ほんとうは、本人が働きやすい仕事に就くことが幸せになる近道なのですが。

 いっぽう、世の中にはへそ曲がりがいて、あえて苦しい道を目指そうとする人がいますね。
どもりである自分が許せなくて何とかしてやろうと考える人たちです。
*ある意味では見栄っ張りな人かもしれません。
 
 そんな人には大いに努力してもらって、どもりながらでも、事務職でも営業職でもどんどんトライしてもらいましょう。
*私もそういう生意気だった時期があります。

 しかし、たとえ、就職先で調子よくやれていたとしても、決して、今どもりで悩んでいる人の前では偉そうに説教するのはやめましょう。
人はそれぞれ違う(どもりの重さも、症状も、また、育った環境も、そしていま生きている環境も)のですから。
いつ、自分のどもりがぶり返して、いまの仕事ができないくらいになるかわからないのですから。

吃音者と孤独(再掲載一部改編:初掲載は2007年7月1日)

 どもりを持つ人がその悩みを抱えたまま孤独に陥るのは危険なことです。
 その「孤独」というのは、表面的なもの(スマホや携帯に入っているアドレスや電話番号の数が少ないということ)でなくて、本音を語れる親友がひとりもいないことです。
*親友はひとりいればよいのです。
*父親や母親を含む家族にすら、どもりの苦しみを理解してもらえないことはむしろあたりまえのことだと思った方が良いでしょう。

 と言っても、どもりの悩み打ち明けて傾聴してくれるような友人を作ることは簡単ではありません。
 友人を作るための第一歩として、どもりを持つ人の集まりである「どもりのセルフヘルプグループ」に参加してみるのはひとつの有力な方法です。

 

吃音者が「普通に生きる」という呪縛から開放されることについて(再掲載一部改編:初掲載は2007年4月6日)

 今回は、軽いどもりの話ではありません。
*ここでいう「軽いどもり」とは、「言い換えで対応すればなんとかなる」、「学校や職場で笑われたり、また、いじめの原因になるようなレベルではない。職場で仕事の進行に影響を及ぼすようなどもり方(結果として職場に居づらくなる)ではない」というレベルのどもりをさしています。しかし、こんな状況でも、こころのなかは常に崖っぷちで「自殺したい」という思いがあったり、うつ病などの心の病気になってしまうまで追い込まれている場合もあります。このような場合はもちろん重いどもりです。

 吃音者は、一生懸命にどもらない人に近づこうとします。
あたりまえです。どもりは実に不便な障害ですから。そして、とてもかっこ悪い!

 たとえば電話をかけるとき。
 こちらがしどろもどろのひとり芝居を続けている間、電話の相手がふきだしているのが(またはそれを我慢しているのが)受話器から聞こえる 。
*それでも、用件が済ませれば良いほうです。

 授業中に指名されても・・・、(ほんとうは読めない漢字もないし、わからない単語もないし、数式の意味もわかっているのに)、最初の言葉が出てこない(のがわかっている)ので、または大きくどもって笑われたり、いじめられるのがいやなので・・・、「わかりません」で済ませてしまう。
*「わかりません」という言葉も出てこない。

 でも、このようなどもりのことばかりとらわれて、「なんとか普通になりたい、どもらない人のように普通のしゃべりたい」ということばかり考えていると、ますます、しゃべる前の不安(予期不安)が増大してきます。

 このような人生を続けていると、うつ病などの心の病気になる可能性が大きくなることは専門家でなくてもわかります。
*現実には、残念ながら、こんな状況に陥っている方が大勢いらっしゃるはずです。

 こんな方ほど、「どもらずに普通に生きる「どもりが治れば、治りさえすれば」)という考えの呪縛から開放されないと本当に大変なことになってしまいます。
*悪いことに、我慢強く努力家の方ほど、結果的にぎりぎりまで追い詰められてしまいがちです。

 まわりにいる人たちも、「もう、そんなにがんばらなくていいんだよ!」と言ってあげてほしいですし、
それよりも。そこまで追い詰められる前に・・・、日常的に相談できるホームドクター的な精神科医を見つけ出してこころの危機管理をしてもらいましょう。

 ドクターはどもりについての深い知識はありませんが(治せませんが)、どもることで自分がどんなふうにこころの危機にあるかを訴えれば(どもって言えない場合は書いて渡せば良い)ドクターの専門領域から様々な援助をしてくれるはずです。

 また、どもりのセルフヘルプグループに参加して、様々な立場(家庭環境・年齢・職業・男女)の吃音者に接して、自分を(自分のどもりを)俯瞰できるようにしていけば良いと思いますし、なによりも同じ悩みを持つ友人を持てることは人生の宝となるでしょう。
*もしも、学校でいじめを受けている場合には、そして信頼できる相談相手がいない場合には、迷わず警察に相談しましょう。電話ができなかったら直接行っても良いと思います。絶対に我慢しないでください。

 

吃音を押さえ込む(コントロールする)ことの弊害(私の場合) (再掲載一部改編:初掲載は2009年9月18日)

 どもりを持っている人が、日常生活や学校生活・仕事を進めるうえで、最小限の言葉の流ちょう性を確保したいと思うのは当然のことです。
なぜならば、毎日を(なんとか)生きていく必要があるからです。
 特に社会人になってからは組織のなかでそれなりの仕事をしお金を稼ぐことが必要だからです。
*社会人といっても、会社員(民間企業)のほかにも、公務員(これも様々)もあれば、農林漁業、自営など、いろいろな仕事があります。就く仕事の種類によって要求される言葉の流ちょう性は大きく変わってきます。また、同じ組織内でも、営業、経理、現場など、就く場所によっても大きく違ってきます。ですから、ある程度の重さ以上の吃音者は、自分の症状や重さを考えながら職業選択をすることが仕事を長続きさせる「現実的な」コツではないでしょうか。

 私の場合は、日常生活の何気ない会話でも支障があるような時期があるかと思えば、学校での発表や電話でもほとんどどもらない時期もあるといったような大きな波を繰り返す少年時代(小学生~高校生)でしたので、吃音に対する自分なりの考え方や覚悟が定まりにくかったと思います。

 また、私を取り巻く家庭の雰囲気はよいものではありませんでした。
 家族間のいざこざが絶えずあり、どもりの父がいる家庭の割には、というか、そうだからこそどもることには否定的でした。
 どもるたびに注意されているような「吃音児」にとっては最悪の家庭環境でした。

 将来就きたい職業については、もちろん、「どもりは大人になったらすっかりと治っている」という前提で考えていました。
*なんの根拠もありませんでしたが!

 高校に入ると、中学(普通の公立の中学です)までとは違い、最初から大学受験を意識したカリキュラムですし、そのような学校の雰囲気でした。
 学校に行く、勉強する、クラブ活動、たまに模擬試験という単純な繰り返しですから、授業中に教科書を読むのですら恐怖を感じているような少年にとっては、心のバランスを崩すには時間はかかりませんでした。

 その後、浪人、大学入学、就職浪人(引きこもり)、民間のどもり矯正所、ハローワーク通いを経て約2年遅れの社会人でしたが、ハローワークで自分で仕事を見つけて営業職として就職しました。
 その頃、20歳代末~30代前半くらいになると、それなりの生きる覚悟もできてきますが、言葉については試行錯誤が続きました。

 営業職としてはあたりまえの日常業務である、電話、訪問、会議、など、すべてが人前でしゃべることです。

 現実的に言って、それらで大きくどもっていては(それがよいかどうかということではなくて)組織内で通用しません。
 そこで、就職前にどもり矯正所のメンバーと仲間内で行なっていた言語訓練を続けて、なんとか最低限の流ちょう性を確保し続けるための工夫を続けました。

 その成果が出たのか、たまたま調子がよい波の時期だったのか、
その後は比較的順調に推移し、仕事も、どもらない人と同等かそれ以上の成果を上げられて自信をつけることができてきました。

 そこで、ステップアップを図るべく転職(営業職)したのが失敗でした。
 会社名がただ言いにくいという原因で、職務上の電話、会話はもちろん、次第に日常生活の会話までどもり始める始末。
 当然、対処しましたがなかなかうまくいきません。ちょうどバブル崩壊の時期で職場環境も悪くなっったので大変でした。

 これらの経験を経て感じたことは、日常に影響が出るくらいの重さを持ったどもりを子供の頃から持っていて思春期以降に持ち越した場合には、吃音をコントロールしながら生きていくのは至難の業であること、
 できれば、自分でコントロールできる範囲(メンタル的にも、言語そものも)はどこまでかを知り、それ以上にはチャレンジしない方がよいのではないか?

 これは、とことんやってみてわかることかもしれませんが、もしも、その「とことん」が、本人の心の「限界値」を超えてしまうと取り返しのつかないことになってしまうこともあります。(重い心の病気になったり、最悪の場合は自殺)

 そのようなことにならないようにするためにも、第三者による「心の危機管理」が必要です。

 自分の悩みを隠さず何でも話せるようなホームドクター的な精神科医や臨床心理士などを見つけておいて、普段から定期的に心のチェックをしてもらいながら生きていくのが良いと思います。
*しかし、彼らは、どもりについての知識は驚くほど乏しいのが現状です。自分の気持ちや困っていることなどをドクターに詳しく説明してください。どもりの治療法は分からなくても彼らの専門領域からできる限りの援助をしてくれますので、上手に利用しましょう。

 いまの就職・転職状況では、今後は、吃音者にとってはますます生きにくい世の中になりそうなので、それくらいのことは考えておくべきだと思います。

吃音:哲学的な議論はそろそろやめにして・・・(再掲載一部改編:初掲載は2012年6月28日)

 80年代末のことですが、私は大卒後もどもりのために就職できずに(せずに)約2年間引きこもりました。
 その後、民間の無資格どもり矯正所に通い、生まれて初めてどもりについて語り合える友をもつことができ、元気を取り戻しました。
その後、ハローワークで小さな会社の営業職を見つけて就職することができました。

 その後30歳前後のちょっと自信がついた頃でしょうか、自慢げにいままでの顛末を話していたことを思い出します。
 その内容はひと言で言えば、「自分がどもりであることを覚悟を持って、自分なりに受け入れて生きていく」というようなことでした。

 吃音者の会合などで、「どもりを持ちながらもそれなりに生きてきた方の力強い話」をいまどもりで悩んでいる人が聞くと、会場の雰囲気も影響してかその場では影響を受けるかもしれませんが、日常生活の何気ないコミュニケーションにも影響が出ているような、ある程度以上の重さのどもりを持ちながら毎日を生きている人(特に子供)にとっては、こんな話はかえって酷かもしれません。
*いつも書いていますが、客観的にみて「軽いどもり」に見えても、本人が必要以上に気にして悩んで生活に支障が出ていれば、それは「重いどもり」です。また、どもりの重さは、吃音者を囲む家庭や学校、職場の雰囲気や人間関係でも 大きく変わってきます。

 日常生活に支障が出ているようなある程度より重い吃音者が、自分がどもっていることを(それなりに)受け入れられるようになるには、
子供の頃からどもりによる耐えがたいような経験を数限りなくして、まさに七転八倒の人生を送りながら、その後にそのような境地になるのがほんとうのところと思うからです。
 決して誰かに言われて達する境地ではありません。
*就職できなかった方が就職できたり、引きこもっていた方が学校や会社に通えるようになるなど、「自分でも良い方向に向かってきていると実感できた時」に、そんなふうに思える余裕が出てくるのかもしれません。 ということは、そうでないときはそのようなことを思うこころの余裕がないということです。

 学校でも職場でも、さらに、どもりが重い場合は日常生活のすべてのシーンで、どもりによる人生への悪影響(重圧)が延々と繰り返されます。
 そのような過酷な毎日を過ごしている人にとっては、「自分がどもりを持っていることを覚悟を持ってこころから受け入れて生きる」ことなどなかなかできることではないでしょう。
多くの場合は、生きていくためにどもりと共存していくしかないので、結果的にそうなっているだけです。
「自分がどもっていることを受け入れていく」という考え方は、誰かに言われてできるものではなくて、苦労の末にこころのなかで自発的に出てきてはじめて意味をなすものです。

 ですから、「どもりを受け入れる」とか、「治そうと努力する」などのいろいろな考え方のどちらかを批判したり比べたり、吃音者が持つ考え方に優劣をつけるのはやめにして、
★吃音者それぞれのどもりの重さや症状の違い、
★生きている環境(主にどもり出した子供の頃から就職くらいまでの家庭の経済的・精神的環境)の違い、
★性格の違い、
★本人のどもり以外の能力(学力、仕事の能力)の違い
 などを考えながら・・・、
 ある人はできるだけ軽くなるように努力する、またある人は今のどもっている状態を受け入れながら無理をしないで生きていく・・・などというように、個々のケースごとに現実的な対応をしていけば良いと思います。
*努力したとしても結果的に、就職できずに経済的に困窮する、性格が結果的に暗くなる、学習意欲が落ちたり授業中の発表が怖くて成績不振、電話や会話が怖かったりうまくできず職場での仕事にも支障が出るということもいくらでも起こります。これらは極めて深刻な問題です。

 ですから、吃音者をサポートする側(家族、専門家など)がまずすべきことは、
 吃音者がいま直面している悩みやつらい状況をしっかりと見て、語ることばに傾聴することです。
 夢物語や理屈を語ることではなくて、いま現実にできる援助から確実に行なっていくことです。

 その結果として、どもりを持って悩んでいる人に心の余裕が少し出てきて、現実の生活に追われるだけではなく、深い考えを少しずつ持てるようになり、自分のどもりを自分なりに人生のなかで位置づけて自分なりに頑張っていくことができるようになると思います。

吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る):初掲載は2012年5月5日、お互いに信頼できる吃音者が集まってできること:初掲載は2012年5月13日、(どちらもたびたび再掲載)

吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る)

今回は、しばらく書いていなかったどもりに対する直接的な働きかけについて書いてみます。

★「自分がどもること」をあらためて心と体でしっかりと受け止めること

★「信頼できるどもり仲間」の間で、安心してどもる経験を積んで自己肯定感を高めていくこと

★必要に応じてことばの流ちょう性を高める訓練をする、同時にその限界も知る。(どもりの重さや症状によっては、いたずらに流ちょう性を求めないなど、個人差に十分に配慮する)

★様々な症状・重さ、環境にある吃音者と広く語り合い、どもりに対する偏った考え方をなくしていく

★どもりについての情報を広く社会に発信し、吃音者の本当のこと、本当の苦しみを知ってもらう。同時にネットでの活動の限界も知る。

 これから書くことはサークル的な活動になりますので、運営の仕方が悪いと個人攻撃となってしまうことがあります。十分な注意が必要です。
*どもりを持っていると言っても実に様々です。この「違い」を十分に考えた上での運営が必要です。

●「自分でもほとんど困らないくらいのごく軽いどもりの方」から、「就学・就職などの節目では、どもりのために大きな影響が出ないくらいの比較的軽い方」、「日常生活や学校生活、仕事に直接の支障が出る方」、そして「どもることにより引きこもりになったり、うつ病などの心の病気になっているなどのきわめて深刻な方」まで実に様々です。

●また、吃音者が生きている環境も様々です。
どもりに対する家族の理解があるかどうか?、職場や学校でも、どもっている自分のことを受け入れてもらっているか?

♥少人数で目的を合わせるとうまくいきやすい。
 最初から本格的な活動を望まないで、やりやすいとことから始めます。
同じくらいの年齢で、例えば就職、再就職を控えているのになかなか第一歩が踏み出せないというような、似た境遇にいる人たちで集まると活動がやりやすいでしょう。
仲間をみつけるには、まずはセルフヘルプグループに参加してみて、そのなかで気の合う仲間をみつけるよいと思います。
地域の公民館の会議室などは低価格で借りられますので活動の拠点にできます。
いまでは、携帯やスマホで簡単に連絡を取り合えますので、日程や会場の変更にも柔軟に対応できます。

♥皆が苦手な電話の練習は、お互いの携帯にかけるところからはじめて、次第に家族が出ることもあるお 互いの家の電話にかけるなど工夫していきます。相手がいないときは、104の電話番号調べや企業などのお問い合わせ電話にかけるのも良いと思います。

♥街のなかで、買い物で
 仲間で、あらかじめテーマを設定してから街なかに出て、歩いている人に道を聞く、デパートやスーパーで店員にいろいろと質問をするなど、日常で話す環境に近い経験をする。
その際の注意は、「どもらないようにする」というよりも、上手にどもりながらでも結果的に相手とコミュニケーションをとれることを体験することにより少しずつ自信をつけていく。自分がどもることにより聞き手がとるリアクション(笑うことなど)に慣れる。
活動が終わってからは、お互いの違いを認めながらざっくばらんに話し合う。

♥サークル感覚で運営し深刻にならないように、
 グループにはバランス感覚に優れた統率力のあるリーダーを置き、個人攻撃的にならないように、ボス的な人が出てこないように注意しながら楽しく行う。

♥サークルのホームページ、ブログなどを作り情報を発信していく。同時に新しい仲間を集めることもできます。

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お互いに信頼できる吃音者が集まってできること

 前回の書き込み「吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る)」では、気の合うどもり仲間でできることを書きました。

 いまの日本において、どもりで深く悩んでいる人がその悩みをすべて打ち明けることができ、また共感を持って持って聞いてもらえる人がいるところ。必要に応じて言葉の流ちょう性を確保するために練習したり、または、いたずらに治そうとしないでうまく共存しようとする、などの、試行錯誤ができる環境はセルフグループしかありません。
 しかし、セルフグループも人の集まりですから場合によっては人間関係で苦しむことがあるかもしれません。

 既存のセルフヘルプグループに入ってみて自分には合わないと感じたら、我慢などする必要なありません。余計な苦労をしないように、生きるうえで大切にしたい価値観を共有できる仲間をみつけて自分達なりのセルフヘルプグループを作って活動してください。
*いまではスマホや携帯で互いの連絡が自由に取れるようになったので、既存のどもりセルフヘルプグループにこだわらずに、気の合うどもり仲間を集めて自分達なりの活動ができます。

 さて、私がかつて行っていた方法で書き忘れたものがあります。サイコドラマ(心理劇)です。
 サイコドラマというといかにもぎょうぎょうしくて専門的知識が必要に思えるかもしれませんが簡単です。
 例えば、授業中に指名されて本を読まされるとボロボロになってしまうという、ある程度以上の重さの吃音者にはあたりまえのようにある悩み(私もそうでした)
そのような場合は、安価で借りられる地域の公民館の会議室を借りてサイコドラマをしてみましょう。

 学校ですから教室のように机といすを並べ替えます。
 先生役の人、同級生役の人、そして困っている本人が「教室」に座り先生役の人から指名されて応えたり、本を読まされたりします。
 大きくどもったり、最初の言葉が出てこないで行き詰まった場合には進行を止めて皆で話し合います、「私の場合はこうしたらよかった」、「こう考えていけば楽になるのでは」などと自由に楽しく話し合うのです。

 注意することは、人格円満で公平公正、リーダーシップをとれる人がリーダーとなり、大きな流れをコントロールすることです。
★個人攻撃にならないように
★誰かが一方的なな意見を押しつけることがないように。
★グループ内でボスを作らない。グループ内で先輩も後輩もない、みんな同じ。

 公民館の会議室が教室にもオフィスにも化けるわけです。
終わってからは楽しく打ち上げしながら話し合えば良いと思います。
*やはり、ネット上のバーチャルな集まりばかりではなくて、実際に顔をつきあわせて語り合うことです。互いが十分に分かってきたところで携帯やスマホで連絡を取り合ったり、仲間でグループのWebページなどを作って情報を発信していけば良いのではないでしょうか。

 

吃音:季節の変わり目(再掲載一部改編:初掲載は2015年8月29日)

 

 子供の頃からどもりをもっていて悩んでいた私は、小学生のころくらいからは特に春から夏にかけての暖かい時期にはことばの調子が比較的良くなり、秋以降に気温が下がってくると次第に調子が悪くなり、冬には最悪の状態になるという身体感覚を持ってきました。
*風邪を引いて体調の悪いときもどもりが悪化する感覚がありました。

 暖房が必要な冬。
 寒い教室で「寒いなあ、こんな日に指名されたら余計どもってしまうなあ!」などと、いままでの経験から悪い意味でのイメージトレーニングをしてしまうのでした。実際その通りにどもりましたが・・・
 そのような状態で順番に指名されていくときなどは。もう地獄です。
*小学生のときの担任の先生は、アイスクリームの棒を受け渡すことで教科書を読む順番や発表する順番を決めていました。

 アイスクリームの棒が週末に私のところに渡り、つまり週明けに私が教科書を読むことが決まったわけです。日曜日の昼くらいから次第に不安になってきて、夜には死にたくさえなってきました。
 こんなことを思い出す秋です。

吃音者が抱える厳しい現実のなかで、どもりについてフランクに話し合える場を持つこと

 吃音者がどもりを抱えながらの毎日は(たとえ傍から見てごく軽く言える場合でも)どもりでない人にはとうてい理解できないような「こころの重圧」を抱えている場合が多いのです。

 さらに、どもりに起因する生活上の問題(家庭内・学校・職場でのコミュニケーションがうまくできないことにより起こるいろいろな不都合)が大きい場合には、生きていく力を失わせるほどの(自殺を考えてしまうような)インパクトを持つ場合があります。

★家庭のなかで、日常的に、言いたいことばが出てこないでことばにするのをやめてしまう。(子供の頃からこの状態が続くとかなりのストレスとなる)
★家庭のなかでかかってきた電話に出ることができない。(家族の前でどもるところを見せたくない)
電話をとっても最初のことば(自分の名字)がなかなか出てこないか、出てきてもどもり特有の繰り返しになる(すすすずきでです)。受けること以上に、自分から電話を(特に家族の前で)かけることができない。
★買い物の際店員さんに自分の名前を言えないので予約を伴うような買い物ができない(レストラン・美容院・マッサージなどの電話予約なども)
★学校や職場での自己紹介の際に、最初に言うべき自分の名前が言えないか、なかなか出てこないで笑われたり、いじめられたり、仕事(職場)の場合は、顧客から上司にクレームが入り担当の変更を要請される。
★学校で先生に指名されても(答えはわかっていても)ことばが出ないので「わかりません」といってしまうか(それすら出ないことも)、テキストの朗読で指名されてもことばが出てこないかしどろもどろになってしまう。(当然、笑われる、クラスメイトや先生からの陰湿ないじめにもつながってくる)
★職場では、かかってきた電話に出ても冒頭に言うべき自社の社名が言えない。当然仕事にも影響が出る。このような状態が続くとさらに追い込まれて職場に居づらくなりやめてしまう。
自分からかける電話が特にどもってしまうので、社内では顧客に対するアポイントなどの電話ができなくなり、外出後に公園のベンチなどでかけるようになる(それでもどもってしどろもどろになってしまう)
★自己紹介はもちろん電話もうまくできないので、就職活動がまともにできない(なかなか踏み切れない)
★能力的には充分あるのだが、どもりのためにあえてしゃべらないで良いか、話すことが最小限で良い職種に就いた(やっとつけた)。
*小学生は小学生なりの、失業中・求職中の人、社会人(仕事に就いている人)も、その人なり(どもりの重さ・症状の違い、家庭の経済的な環境、家族の理解度の違い)の問題を抱えます。

 一方、吃音者の周りにいる家族や、友人、学校の同級生や職場の同僚は、吃音者本人がそれほどの苦しい想いを持ちながらギリギリの状態で生きていることが理解できません。(想像できません)
 どもることを原因として、しだいに学校や職場を休みがちになる。ついには引きこもりになる。
 学校を卒業しても(なかなか)就職できない、入った会社を辞めてしまってもなかなか転職できない(しない)ことに対して、ついつい厳しいことばをかけてしまうことがあり、結果として吃音者のこころをさらに追い詰めて(自殺すら考えるようなことに)なりがちです。

 このようななかで、吃音者はどのようにすれば良いのでしょうか?
*どもりはその原因が医学的にわかっていませんので(この先も当分はわからないでしょう)確実な治療法やリハビリテーション方法はありません。(したがって長い間、民間の無資格どもり矯正所「のようなもの」が続いてきたのです。)

★「どもりによる様々な生きづらさ」を語り合える環境(友人・グループ・時間)を持つ。
*必要に応じて、生きていくためのそれぞれの状況に応じたことばのスキルを持ったり維持するために、仲間同志で工夫して言語訓練やメンタルトレーニングをする)

 吃音者はどもりのことについてフランクに話し合える友人を持つことが(なかなか)できません。
 なぜならば、自分のどもりについて家族にすら話せないか(ほとんどはそうです)、話したが相手にされなかったりわかってもらえないという経験を子供の頃から繰り返しているからです。
*学校の同級生に吃音者がいない場合は、探すことすらできないこともあるでしょう。
*私も大卒後に、就職できずに引きこもった後に通った民間のどもり矯正所ではじめて、どもりについてまともに話し合える友を得ました。

 なかなかどもりという問題を共有できる友人を得ることができない。
 そこで、考えられるのが・・・、どもりのセルフヘルプグループに参加して、どもりについて遠慮なく話し合える友人を見つけることです。
*そのセルフヘルプグループになかなか参加できない(決心できない)のが吃音者の気持ちでもあります。

 セルフヘルプグループに参加するようになったら、どもりを持ついろいろな立場の人(年齢の違い、男女の違い、家庭環境の違いなど)の意見をよく聞きましょう。
 その後、セルフヘルプグループの中で、「話しができる人」、「自分の考えに近い人」、「攻撃的でない人(不用意にことばで人を傷つけない)」を探し出し、その人と友人になれば良いと思います。
仲間同志でいろいろと活動もできると思います。