吃音とこころのひずみ(再掲載一部改編:初掲載は2013年2月12日)

 子供の頃から日常生活のコミュニケーションに影響が出るくらいの、ある程度以上の重さのどもりを持っていて、まわりの人から真似をされたり笑われるような経験をくり返していると・・・、
次に発する言葉もまたどもるのではないか? という気持ちが常にこころのなかにあるような状態となります。
*表面に出ている(他人から見た)症状としてのどもりは軽くても、自分では悩んでいて生活に影響が出ている場合もあります。

 こんな毎日を送っていると、自分のこころのなかに「ひずみ」のようなものができてきます。
 私もそうでしたが、人によっては精神的に追い詰められて「うつ病」などのこころの病気になることもあります。
日常生活にも様々な悪影響が出てきて、学校に行きたくない、会社に行きたくない、人に会いたくないなどの状態になってきます。
*吃音者でなくても、学校や職場でいじめを受けている場合も同じような症状が出てくると思います。

 ものごころついた頃からどもっているある程度以上の重さのどもりを持っている人は、朝起きて家族との会話から始まって、学校や職場での朝の挨拶、授業や仕事での会話、発表、電話、会議、営業活動・・・、
つまり24時間常についてまわるのがこのどもりという障害なのです。

 こころにひずみが出てくる、日常生活の様々な部分に支障が出てくる、そしてこころの病気、場合によっては体の病気になる場合もあるでしょう。

 どもることにより過度に追い詰められたりしないように我々が出来ること(すべきこと)は ・・・、

★どもりの悩みをこころおきなく話せる友人を、一人で良いので、持つことです。
そして、可能ならば、仲間を複数作りどもりのセルフヘルプグループを結成し一緒に活動をすることです。(いきなり仲間は出来ませんから最初はどこかのセルフヘルプグループに参加するという方法か、ネットで仲間を募集するという方法もありますね。)

★悩みが高じてこころや体の病気にならないように、気軽に相談にのってもらえるような精神科医や臨床心理士を持つことです。

★難しいかもしれませんが、家族から(最低限の)理解を得られるように努力することです。(仲間から家族に説明してもらう方法もあります。)

★どもりで悩んでいても、いましていることを止めてしまったり今後したいことをあきらめないで、できることから少しずつやっていきましょう。
 例えば、引きこもりがちならば、ちょっとの時間でも近所に散歩に出るようにするとか、就職がなかなか出来ないならばボランティア活動からはじめてみる。または、言葉を使わないような簡単なアルバイトからはじめてみるなど、無理のない方法で階段を上がるように進めていくことが良いと思います。

吃音:3月、卒業の季節になると(再掲載一部改編:2015年3月15日)

 3月は卒業の時期です。
 道ばたで卒業式を終えた子供達を見かける時期です。

 どもりを持っている私はこの時期になると、子供の頃からのどもりにまつわるいろいろなことを思い出します。

 いちばんに思い出されるのは、「挨拶」や「返事」のことです。
 卒業証書をもらうにしても、名前を言われた直後に「はい!」と返事をしなくてはなりません。
*学校によっては壇上で、ひとりひとり何かメッセージを大きな声で言うようなこともあるらしいですが、私がその立場だったら卒業式は間違いなくずる休みでした。

 これが不安なんですね。「果たして言えるのだろうか?」「タイミング良く出てくるかどうか?」
*日常の出席を取るときもそうですが、この短い「はい」や自分の名前が出るかどうかをどの程度まで悩んでいるか? そして、実際、言葉が出ないことがあるかなどで、その人のどもりの重さや精神面の深刻度が測れるような気もします。
*何の因果か、どもりを持っている少年が生徒会長になってしまい、式典の壇上で言葉が出てこずとても恥ずかしい思いをし、その後も深刻なトラウマになっているということを聴いたことがあります。

 今年も今の時期、こんなことでひとり悩み、夜も眠れずにどうにかなってしまいそうな子供がいることでしょう。

 そんなときは間違っても、「死んでしまおう」なんて思わないでください。
迷わず「ずる休み」をしてください。
*ほんとうは子供が通っていることばの教室では、そのあたりまでしっかりとサポートできていないといけません。ことばの教室の先生と担任や親御さんとのやりとりはしっかりとできているのでしょうか?

吃音(ある程度より重い)で、授業中にふるえている少年少女や、就職を控え不安でいっぱいの人の心をなえさせないために(再掲載一部改編:初掲載は2010年7月13日)

 日本人は、(自分もそうですが)、今でもなお、がんばることが好きです。努力家です。
 今の時期(時代)に書くと否定的に聞こえるかもしれませんが、人生においてがんばることは大切で、昨日の自分よりも今日の自分は少しでも前に進もうという気持ちがないと、多くの場合人生が停滞してしまうでしょう。
*例外が福祉の領域だと思います。心や体に重い障害を持っている人に、障害を持っている部分で必要以上に「がんばることを求める」ことはもってのほかです。その人なりの得意分野で無理のないように徐々に社会参加ができるようにサポートすることが、国や自治体、そして近くにいる人たちの使命ではないでしょうか。

 さて、いつも書いているように、どもりには重いどもりと軽いどもりがあります。
 比較的軽いどもりの場合には、(そして、吃音者と家族やサポートする側とで相互に信頼関係がある場合は)、場合によってはあえて叱咤激励することにより「最初の一歩」を踏み出せるように手伝うことも考えられますが、重いどもりの場合にはそれが全く逆に作用することが多いでしょう。

 耐え難いようなどもりの悩みをを抱えながらも、こころの面、言語面において満足するサポートが得られないことが多い日本においては、孤立無援の状態で、無理をしてでも学校に通ったり就職活動もせざるを得ないのが現状です。
*本当にしんどい場合には無理をしようとしても足が向かなくなりますが、そこまで我慢したらたいていはうつ病などの心の病気になってしまいます。心の病気になると多くの時間を病気との闘いのためにとられてしまいますし、回復にはかなりの時間がかかります。

 いまは、世の中のいろいろな場面で「いきなりに限度を超えてしまって破滅的な結果に終わる場合」が多いようです。
 TVのニュースなどでは、毎日のように家族や会社内の人間関係からの凄惨な殺人などが報道されますが、以前だったら破壊的な結果になる前にご近所や親戚など近くの人が助けてくれたりなどの最低限の「安全装置」がありました。
いまは、それもなくなってきました。いきなり極端なことに至ってしまうのです。

 どもりについても、以前の日本では、学校を出てもどもりでなかなか就職ができなかったら、ご近所や親戚の紹介で就職することもできたでしょうし、都市近郊でも、いわゆる会社員のほかにも農業に従事したり家業を継ぐなどの方法もあり、それで生きていくことができました。

 しかし、今ではそういう選択肢もなくなってきました。
 たとえ、あったとしても「ジリ貧」になってしまいます。食べていけないのです。

 家族や友人間のコミュニケーションの量が減り質も落ちているので、どもりで本当に困っている人の苦しみや孤独感がまわりに伝わらないことが多く、精神的に追い詰められることが多いのではないかと思います。
*スマホなどでの見かけ上のコミュニケーションの量は飛躍的に増えているでしょうが、たわいのないやりとりばかりで、「他人にはなかなか言えないようなことをざっくばらんに話せるというレベルのコミュニケーションや人間関係」が減っているのです。

 いまこのときにも「自殺」することばかり考えているような、深刻に悩んでいる吃音者がどれくらいいるでしょうか?
 サポートする側は、悩んでいる人ほど孤独になるということを考えた上で動かなくてはいけません。

 ではどうすればよいでしょうか?
 吃音者がどもりのために自暴自棄になってしまうまえに、まわりの人ができることは・・・、

★身近にいるどもりを持っている人が、「もしかしたら、思い詰めていて自殺を考えるほど悩んでいるかもしれない」と考えてみること。
★進学、就職などの人生の節目においては特に、どもりを持っている人は100%悩んでいるという前提のもとに動くこと。

 まわりにいる人ができることは、「まずは、ひたすら吃音者の言葉を傾聴することにより信頼関係を築くこと」「そして共感すること」
「(信頼関係を築いた上で)、どうすれば良いかを一緒に考えること」です。

*どもりを原因としたうつ病経験者でもある私としては、うつにも同じような考え方ができるのではないかと思います。
 日本のうつ病に対する体制、短い診療時間と安易な薬の投与ではなかなか治らない。バブル崩壊以降、国民病といわれているうつ病に対する日本の取り組みの問題点がTV、新聞、雑誌等でたびたび取り上げられているにもかかわらず、一向に改善される気配すらないのには怒りすら覚えます。

家族の理解が得られない吃音者の現状(再掲載一部改編:初掲載は2014年11月5日)

 いまさら言うまでもないことかもしれませんが、どもりで困っている子供から大人までの方々は、その悩みを家族(親・兄弟・祖父母そして配偶者)にさえ理解してもらえずに、悩みながら人生を送っていることが多いのです。
*吃音者の集まりなどで良い歳をした大人が、子供の頃から家族にどもりの悩みを理解されずにいることを泣きながら訴える場に何回か遭遇しています。

 なぜ、なかなか理解されないかというと・・・、
★学校の授業ではかなりどもってしまい先生やクラスメイトに笑われたりいじめられたりしているのに、家族の前では話しやすいことばのみをを発すればよいのでそれほどどもらず軽く見える。

★大人の場合、たとえばお子さんの学校のPTAの電話で自分の名前が言えずに変な人に思われたり、PTAの集まりでも同様で、自分の名前も言えずに笑われたりします。

★職場では、電話で名前や会社名が言えずに(なかなか言えずに)顧客に笑われたり、それらのことで結果として仕事の流れに支障を来たし・・・、顧客から「担当を変えてくれ」といわれることもあり(私も経験者です)、ついには居づらくなりやめざるを得なくなることすらあります。

 吃音者はこのような状況に置かれているのです。
*困っている度合いは、重さや症状の違いによりかなり大きく変わります。

 しかし、「子供の頃からどもることによってどれほど苦労してきたか」をほんとうに理解してくれている家族は、まず、いない、というのが本当のところなのではないでしょうか。
寂しく思われる方もいらっしゃるかもしれませんが現実はそんなものです。
*日常の何気ない会話でも常に大きくどもるようなどもりの方は家族の理解を得られているということではありません。しかし、問題の本質がより深刻であることは間違いありません。

 結局、現状では、自分の身は自分で守るしかありません。
*家族から理解されるどころか、「それほど重いどもりでもないのに何を甘えたことを言ってるんだ!」と、怒られてしまうくらいなのが、よくある光景です。

 それでは、理解を得られないなかで吃音者はどうしたらよいのでしょうか?
 わかってもらえない家族に対してどもりで困っていることや苦しさを執拗に訴えてみても不毛な応酬が続くだけで、かえって自分の心が疲れるだけですし、形だけでも均衡が保たれてきた家庭内の人間関係が悪化するだけで生産的ではありません。

そのような場合は、(寂しいことですが)、家族に理解されることを期待しないで発想を転換しましょう。
 たとえば、どもりのセルフヘルプグループに参加して、自分の悩みをわかってくれる人の前で気持ちをはき出せる環境を作ることです。
それだけでも精神的に大きく救われるでしょう。
 グループのなかで特に気の合う人ができれば、さらに深く語り合うのもよいでしょう。

 また、日常的に気軽にかかれる、なんでも話せる精神科医、臨床心理士、言語聴覚士がみつかればすばらしいことです。
 そうすることでなによりも自分が救われるし、結果的に家族との(表面的な関係も)悪化せずにすみます。

 しかし、家庭内、学校、職場で、ことばによる虐待、暴力、パワハラを受けている場合は話が全く違ってきます。
 いろいろな公的・私的機関に相談して(児童相談所、警察など、法テラス、弁護士会など)しかるべき手を打ちましょう。自分を守ってください。

(参考):吃音(になったの)は自分の責任ではないので「スミマセン」はいらない。卑屈にならないで!(2014年10月1日)

吃音:柔軟性を持って生きていく(再掲載一部改編:初掲載は2015年6月18日、19日)

その1(現状)
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 今回は、どもりを持った人が「いままで常識的とされていた生き方」にとらわれて結果的に人生につまずいたり追い込まれていくのではなくて、社会情勢の変化(仕事などの環境の大きな変化)を考えながら、大いに柔軟性を持って生きていくことにより、「どもりのみにとらわれた苦しい人生から、少しでも自分らしく幸せが感じられるように生きていくには」という観点で書いてみます。

 まずは、現状について・・・

★家庭では
 子供の頃からのどもりの苦しみ・苦労を家族に理解されないなかで、家庭のなかでも精神的に孤立していることが多い吃音者。(しかも、孤立していることすら理解されません)
 「どもることくらいで・・・、甘えている」
 「もっと苦労している人はいくらでもいる」
 「どもるといってもたいしたことはない、気にするな」
 普通の家族の反応はこんなものでしょう。

★学校では(幼稚園・小・中・高校、大学(院)、専門学校)
 授業中はもちろん友達と話すときでさえ「どもりはしないか」という恐怖心に耐えながらの学校生活です。

(どもりが比較的軽い場合は)
 休み時間の何気ない会話はなんとかこなせるが、「人前で自分の名前を言う」「授業中に発表する」「本をひとりで読まされる」ときなどには・・・、
 ことばがなかなか出てこない
 どもり特有の繰り返しの発音
  になってしまいます。

 大きくどもって失敗した(笑われた、からかわれた)記憶がこびりついていて、「次に発することばも出てこないのでは?」「どもってしまうのでは?」という恐怖心に毎日さいなまれている。

「学校に行きたくない・・・」、最近休みがちになってきた。
*クラスメイトから陰湿ないじめ受けている、場合によっては先生からもからかいを受けているということもあります。

★就職時・就職後の職場では
 学生時代はどもりでいくら悩んでもそれで学校をクビになることはありませんが、仕事の世界は違います。もうけてナンボ、の世界です。
*この意味では民間企業よりも地方公務員などの方が楽なことは確かでしょう。
*学生時代にアルバイトをしようとする時点で、電話での問い合わせができない、面接で落ちて採用されないなどの経験をすることもありますし、そもそも、電話がかけられないのでアルバイトに応募すらできないことも多いのです。ネット申し込みでも結果は同じです。(このあたりは、どもりの重さの違いにより大きく違ってきます)

 就職活動の時点で、当たり前のように電話もかけるし自己紹介もします。
 当然、明るくハキハキとしたしゃべりが求められます。
子供の頃から逃げてきた人前や電話で話すことに否応なく直面します。
*どもりの重さの違いにより就職活動の困難さはかなり大きく変わってきます。
どもりの重さは第三者から見た客観的な重さだけでは計れません。ほとんどどもらないように見えても、特定のことば(名前など)が言えないことなどで深く悩み生活に実害がでているが誰にも相談できない例はいくらでもあります。

 日本には職業選択の自由があり(事務系や営業系などの)話すことがメインの仕事でなくても、ことばを多用しない職種もいくらでもあります。
 しかし、たとえば、都会のサラリーマンの子供がいきなり農林水産業に就くにはハードルが高いのが現実です。
*郊外にある農業法人への就職なども、これからは考えるべきでしょう。

 また、実力者のコネで企業(ことばを当たり前のように言う事務や営業系)に入ったり、比較的軽い吃音者が面接時にたまたまことばの調子が良くて採用されてしまった場合は、仕事を始めてからの苦労はたいへんなものとなり、こころに大きな傷を負うこともあります。

 次回は、柔軟性を持った生き方に変えていく方法を書きます。

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その2(生き方に柔軟性を持たせる)

 前回から続きます。
 ある程度より重いどもりを持っていて、日常生活に支障が出ている。
*いつも書いていることですが、第三者からみてわからないくらいの軽いどもりでも、本人は自殺を考えるほど悩んでいることも多いので注意が必要です。

 そのような人たちが前回書いたような状況下でどもりに悩み、場合によっては人生を立ち止まらなくてはいけない状況になるのです。
 うつ病などのこころの病気になったり、学校や会社に行けなくなりひきこもりになってしまうなどの、文字どおり苦しい立場に追い込まれることもまれではありません。

★柔軟性を持った生き方を
 前回書いたように、学校は吃音者にとっては苦しいだけの場所となり得ます。
 陰湿ないじめを受けている、からかわれているのに、いまの学校はそれを我慢してまで無理をして通うところでしょうか?
 いじめで悩んで自殺したり、心の病になってからでは遅いのです。

 いまの学校はどもりで悩んでいる、いじめで悩んでいる子供に対して有効なサポートを提供できているでしょうか?
 スクールカウンセラーが常駐し子供のほうからカウンセラーに相談しやすい状況があり、スクールカウンセラーにはスーパーバイザーがいて的確なサポートを受けながら子供のサポートができる。
 また、スクールソーシャルワーカーも常駐か常駐に近い形で子供と先生(学校)、そして場合によっては他の公的機関と連絡を取りながら良い方向に持っていけるような環境があるかどうか?
 先進国の日本?ならばあたりまえにととのっていても良さそうですが、いまの日本では、まだ夢の世界ではないでしょうか?

 私が、もしも、今の時代に生きる少年で、このような情報に接することができれば(家族の理解があればの話ですが)、普通の学校に行かずに、別の方法で上の学校に行くための資格を取ったかもしれません。(人生が変わっていたと思います)

 いまでは・・・、フリースクールに通う、大検で上の学校に通うための資格を取る(そのための予備校)、通信制の学校に通うなど、多様な方法が私の頃よりかはだいぶ整ってきたように思います。
*報道によれば、フリースクールでの学びを正式に認めようとする動きも出てきたようですね。
*家族の理解がなければ、自分で公的施設に相談に行ってでも家族にどもりの苦しさをわかってもらうように働きかけることが必要です。

 仕事についても同様です。
 仕事上のことば(どもり)に起因する問題で、針のむしろのような環境で我慢することが、その人の人生にどれほどプラスになるでしょうか?

 当たり前のように電話をかける、顧客と交渉をする、大勢の前でビジネス上のプレゼンをする、顧客からの厳しいクレームに対処するなどの、事務職・営業職にとってはあたりまえの日常は、ある程度以上の重さの吃音者にとっては、明らかに無理があります。
*それでもかつての日本のように定年まで働けるような環境があれば我慢のしがいがありますが、一部の企業や公務員を除いてはそれは(事実上)ありません。

 いまでは職業はかなり多様化してきました。
 学校の就職課には求人は来ていないかもしれませんが、NPO、NGO、いろいろな福祉や医療の領域の仕事もあります。
体を動かすのがメインの農林水産業(法人化されたもの)などに就くという選択肢もあります。
 いままでは都会育ちの若者には遠い存在でしたが、農業法人もありますし、自治体も地方活性化対策で経験やコネのない人たちでもそれらの仕事に就けるように様々な工夫をしつつあります。

 問題は、それらの情報がどもりで悩んでいる小・中・高校生・大学生に伝わらずに選択肢になり得ていないことと、どもりの子供をサポートする先生やその他専門家、親御さんがそこまでの柔軟な考えを持てないこと、どもりに対する正確な知識と情報を持っていないことだと思います。
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吃音:仕事をする人としての現実(その2 仕事とどもり)

 このブログには数こそ少ないですが、どもりで困っている人から深刻なコメントが寄せられます。
 コメントの公開は承認制なので内容が個人的なものだったり深刻な場合には、公開する前に(公開の可否も含めて)直接やりとりさせていただく場合があります。

 非公開のコメントの内容は「どもりと仕事」「どもりと家族」に関することが多いのです。
★仕事の日常業務、会議や電話をする場合に言葉が(なかなか)出ずに、「事実上、仕事にならなくなり追い詰められている場合。
*自分の名前、会社名、相手の名前など言えてあたりまえのことが、面と向かってはもちろん電話や社内電話でも(なかなか)言えない。
*さらに追い詰められてうつ病になりいまの仕事をやめることとなり、その後もなかなか再就職できない。現状を家族からも理解されない。
*追い詰められて自殺を考えた、またはその直前までいって思いとどまったという深刻なコメントもあります。

★子供の頃からのどもりに対する家族の無理解、どもるたびに家族から言い直しをさせられたり注意されることの繰り返しが大きなストレスとなりこころに積み重なり、大人になってからの日常生活や家族関係、近所付き合い、子供の学校のPTA活動などの人間関係や話すことに大きな障害となっている場合。
*どもることにより学校で(同級生や先生から)いじめを受けていた、からかわれていたということも、どもりの症状の固定化や悪化、大人になってからのメンタルな問題を引き起こす大きな原因にもなるでしょう。

 ひとりでする仕事ではなくて組織の中で二人以上で仕事をする場合には(職種により話すことの重要性は大きく違いますが・・・)、
同僚や上司との会話、会議での発言、顧客の前でのプレゼンテーション・交渉など、また、電話の対応はハキハキしたものでなければなりません。
 そうでなければ事実上仕事になりません。特に仕事につきもののクレーム対応においては的確な言葉遣いが必要とされます。
*ここで、どもってもよい(もちろん仕事に影響が出ないくらいのものは除きます)、というのは仕事の現実を無視したものになります。

 このように、このブログには・・・、
 子供の頃からのどもりによるストレスの積み重なりの結果としての心理的な問題、家族との軋轢、
就職・転職がなかなかできない、仕事上での言葉に問題が生じ職務の遂行ができなくなりやめてしまった、または大きく悩んでいる、という人の生の声が寄せられています。

吃音:仕事をする人としての現実(その1、現状)

 親しくなった大人の「吃音仲間」で飲んだりするときには、どうしても「どもりと仕事」にまつわる話が多くなります。
*そもそも「遠慮なくどもりについて話せるくらいの親しいどもり仲間がいるのか?」ということが問題です。子供の頃よりどもっていた私がどもりについて忌憚なく話せるような友人ができたのは、大卒後就職できずに引きこもった(約1年半後くらいでしょうか)後に通い出した民間のどもり矯正所で、同じような境遇の友人ができたときがはじめてです。(家族とも話はできていませんでした)

 このブログでも「どもりと仕事」は主要なテーマになっています。
*数年前に起きてしまった北海道での吃音をもった男性看護師さんの自殺についても何回か扱っています。

 さて、いまTBSで放映されているキムタク主演の「a life」
 医療ドラマが好きな私として、それ以上に、韓流ドラマか?子供向けか?と思うほど誇張された表現が多い最近のテレビドラマに辟易としていた私にとっては、「キムタクと視聴率の話題は別として」久しぶりにじっくりと見られるドラマとして楽しみにしています。

 ドラマのなかでは医師と看護師との関係が丁寧に描かれています。
 特に手術室に入るような看護師の的確な動きには、1年半前に心臓のカテーテル治療を都内の心臓専門病院で経験した私としては(局部麻酔で意識があり、手術室のなかでのテキパキとしたやり取りを感じていたので)思うところが大です。
 器具の確認をするにも、大きな声で品名と有効期限を読みあげて他のスタッフにも確認してもらいながら進めていく、
 ミスを防ぐためには大切なことなんだなと思いながらドラマをみています。
*普段、病院に行くとき、例えば採血をしたりCTを撮ったりする際、また、診察室に入るときでさえも「フルネームでお名前をおっしゃってください(場合によっては生年月日も)」といわれるのがあたりまえになってきました。吃音者にとってはこれが大変な難関なのです。自分の名前が(なかなか)出てこないのが、ある程度より重い吃音者にとっての「あたりまえの症状」だからです。

 社会人としての仕事は、特に、組織のなかで2人以上で仕事をしている場合には、言葉を使うことが大前提になります。
「誰かに何かを確認する」「誰かと話し合って練り上げていく作り上げていく」「交渉により仕事が進む」というように、(職種により言葉を使う頻度は大きく違いますが)誰かと話す(電話をする)ことなしには仕事が進みません。
*世の中ではスマホによるSNS(日本ではLINEなど)が盛んですが、実際のビジネスの現場では人と人との言葉によるコミュニケーションがますます重要になってきています。

 ある程度以上の重さのどもりを持つことにより、話すべきときに話すべき言葉が(なかなか)出ない場合には、個人の仕事はもちろん、チームとしての仕事にも大きな障害が出ます。
 要するに「仕事ができない」という評価となり、人生に直接及ぶの脅威となります。(職場に居づらくなります)

 ある程度以上の重さのどもりを持った人は学生時代でも言葉を使うアルバイトをしない(できない)ことが多いので、この現実に遭遇するのは、就職活動を始めてからか、コネで入った場合は社会人になってからとなります。
*もちろん、子供の頃から学生時代までにもどもりで大いに苦労しますが、とりあえず親の庇護下にあり、生きていくこと(食べていくこと)はなんとかなります。
ただし、どもることでいじめを受けている場合は(いまの学校や教育委員会のずさんな対応を考えるときに)命の危険さえ考える必要があります。

吃音を持った子供さん、まずは疲れを取りこころをほぐしてあげることです(再掲載一部改編:初掲載は2013年1月17日)

 子供の頃からどもりによる様々な苦労を重ねていると、つとめて前向きを指向している人のこころも次第に疲れてきます。
そして、ついには疲れ果て、心の張りが失われて否定的な感情ばかりが出てきてしまいます。

 どもりだした小さな子供の頃から、思春期、そして就職くらいまでの家庭環境(精神的・経済的)が劣悪ならば、学校などの外の世界での(どもることによる)様々な出来事やこころの疲れを家に帰ってからも癒やすことができず、
場合によっては家の中でもさらにこころの緊張感を高めることとなり、遂にはうつ病などのこころの病気になってしまいます。
*朝起きてから夜寝るまで(場合によっては夢の中まで)どもりによる苦労を続けることは、まだ確立していない自我に与える悪影響は計り知れません。

 どもりの子供のいる家庭でできること、すべきことは・・・、
まずは「安心できる落ち着ける環境」を作ることです。

 甘やかす必要などありません。むしろ質実剛健が良いと思います。
ただ、温かい家庭が必要です。子供が安心して自由にどもれる環境といえば良いのでしょうか。
*学校での授業中に、また、友達と接するときにどもったこと(場合によっては笑われたことなど)を、子供の方から親兄弟に笑いながら(時には泣きながら)話せるような雰囲気が家庭内にあれば良いのですが、現実は真逆な場合がほとんどです。多くの場合、家庭はどもりの悩みを話せるような雰囲気ではありません。

 どもりについて具体的にアプローチしていくのはその次の段階なのではないでしょうか。

 日本では15年ほど前にやっと言語聴覚士という国家資格ができたところです。
その資格にしてももちろん吃音専門のものではなく、吃音については養成する学校(専門学校、大学)でも国家試験においても多くの時間を割かないようです。
 
 言語聴覚士について言えば、虫歯になった子供が街なかの歯医者にかかるように、どもりに精通している言語聴覚士が開業していて気軽に通えるなどという環境はありません。

 現在では、インターネットを使えば国内外のどもりに関する情報がそれなりに取れるようになりました。

 しかしその情報は玉石混淆ですから(ほとんどがインチキ情報と思った方が良いでしょう)、親御さんは、研究者、病院に勤務する言語聴覚士、どもりのセルフヘルプグループなど、何人も何カ所も渡り歩くくらいの熱心さと覚悟を持って、お子さんに合った相談機関や専門家を探してください。
*お子さんが学校の「ことばの教室」に通っている場合も、学校任せにせずに自分でそのクォリティ(先生の資質、子供の満足度)をチェックしてください。
*どもりの原因は医学的に解明されていません。日本にも、ごく少数ですが、少ない研究費で恵まれない環境下でも頑張っている吃音研究者がいます。が、考え方はまちまちです。そのことを知ったうえで「専門家」に接するべきです。
*どもりの人の集まりである「どもりのセルフヘルプグループ」が主宰する相談会や行事(キャンプなど)に参加してみるのも良いことだと思います。「どもりを持ちながら生きていくということはどういうことなのか」ということが分かります。そしてそこで、同じくらいの年齢のどもりを持ったお友達がみつかれば本人にとってどれほどこころが救われるでしょうか。親御さんどうしの交流もとても良いことです。

 どもりを持っているお子さんは表面的にはいくら明るく振る舞っていても、こころの中では悩んでいます。(学校では陰湿ないじめにあっているかもしれません。)
 もしかしたらその小さなこころで自殺さえ意識しているかもしれません。
*決してオーバーな話などと思わないでください。お子さんのどもりを真剣に考えて冷静に対処してください。そして、お子さんと接するときには穏やかに・・・

 まずは温かい家庭をつくること、そして具体的な対処が必要と思います。

吃音:幼少時からの親子関係・家庭環境がもたらすもの(再掲載:初掲載は2012年9月11日)

 どもりを持っている私が生きてきたなかで、多くのどもりを持つ方々と接してきて感じていることなのですが・・・、
仲良くなりお互いの人生について忌憚なく話し合えるようになった「おとなの吃音者」のなかに、自分の幼少期の話題になると急に寡黙になる方が少なからずいらっしゃるのです。

 吃音についての一般論は実に多くを語り積極的に活動されている方が、自分の子供の頃の話しとなると急に寡黙になるのです。

 吃音者に限らず、自分の過去の話しになると、比較的親しい間柄においても急に寡黙になる方はいらっしゃいます。

 そのようなときには、「かなり辛い経験をされてきたのだろうな」とか、「大変な苦労をされてきて思い出したくないのだろうな」と考えて、こちらからはそれ以上聞くことはしませんね。(おとなの常識です)
*「親友」とは、そういうところまで話せる人間関係のことですが、実際には持っている人はかなり少ないようです。同じ悩みを共有している吃音者の間では比較的できやすいような気がしています。

 なんでこんなことを書いたかというと・・・、吃音者は心の解放がうまくなされていないのではないかと思うのです。

 子供のころからどもりにまつわるかなり辛い経験をしてきて、それを無理矢理に忘れようとするか、または棚上げにしておくことで、いまの自分をなんとか保つようなギリギリの生き方をされているように見えてしまうのです。
*自分も30代前半くらいまではそういう生き方で無理を重ねていました。そういう「危うい生き方」が、結果としてどもりを維持させたり悪化させる、また、実際の症状以上に自分のどもりを悪く評価して苦しんでいるのではないかと思うのです。

 こどもの頃からの辛い経験は例えば・・・、
★子供の頃、どもる度に家族から注意されたり、場合によっては笑われたり無視されたりして、自分の家も安住の地ではなかった。
★子供の頃、学校や友達の間で(場合によっては家庭内で)、どもることにより精神的なレベルか肉体的なレベルでいじめ・虐待を受けていた
★家族関係(親子、夫婦、兄弟、祖父母)が劣悪でケンカやいざこざが絶えず、その人間関係によるストレスにより自分のどもりが維持され悪化して結果として人生がうまくいっていないと、こころのなかで強く思っている。
★しかし、自分の幼少期の経験や自分の家族についてはあまり否定的に思いたくないし、そういう事実を人に知られたくないという複雑な思いが自分を締め付けている。

 一方、全く逆の環境の場合は・・・、
★学校でどもりで困ったり恥ずかしい思いをしても、帰った家ではいくらどもっても怒られることも注意されることもなく静かに話を聞いてくれるので、自分がどもりで困っていることをわだかまりなく家族に話せる。
★家族間で全くケンカのない家庭などありませんが、質実剛健で思いやりのある明るい家庭。

 こんな家庭環境に子供の頃からあれば、どもりが治るかどうかは別として、前述よりかは明らかに良い結果(吃音の悪化が食い止められる、心理的に重症のどもりとならない可能性が大になる)になるでしょう。

 それでは、前述のような「悪い家庭」で育ってしまった場合にはどうしようもないのかといえば、おとなになってから自分の努力でかなり回復できるものと考えます。

★アダルトチルドレンであることを認識する
 「こどもの頃、我慢していたこと」、小中学校のころからどもりで困ったり、どもりを原因としていじめられたりと、場合によっては自殺を考えるほどに悩んでいたのに家族には話すら聞いてもらえなかったし、言い出せるような環境ではなかった。
 そのような場合には、年月を経てからでも、年老いた親の前でも、「当時、自分がたいへん困っていて悩んでいたのに家族には何もしてもらえなかったこと」を大きな声ではっきりと言いましょう。(たぶん家族からは理解されないと思いますが)自分のなかで何かが変わりはじめるかもしれません。

★いままでは自分の人生のなかの「負の部分」と思って、こころのすみっこの方に紙に包んでしまっておいた「こどもの頃のどもりについてのいろいろなこと」を、自分の人生のなかの「ほんとうにあった隠せない事実(人生の一部)」とするために、自分で工夫しましょう。
 それには、例えば、東洋的な修養法である「座禅」なども良いかもしれません。
*もちろん人それぞれです。

★やはり、自分の負の部分をためらいなく語れる友人(親友)を持つことです。

★セルフヘルプグループなど吃音者の集まりに積極的に参加して、自分以外のいろいろな立場の吃音者(性別、年齢、生きざまの違う)がどのような人生観を持って生きているかを体感することです。(ネットのつながりだけでは弱すぎます。)

★信頼できてなんでも話せるホームドクターとしての、精神科医、臨床心理士、言語聴覚士などを努力して見つけ、専門家のサポートの元で、自分のどもりやいままでの人生をできるだけ俯瞰できるように(自分を客観視できるように)していくことです。

吃音による苦労の連続でこころがクサらないようにするには(再掲載一部改編:初掲載は2009年4月16日)

 日常生活や学校生活・職場での仕事に明らかな影響が出るような重さのどもりを持ちながら人生を送っている人の苦労・苦悩は半端なものではありません。
 また、傍から見て気がつきにくいような軽いどもりでも、本人のこころのなかでは常にぎりぎりの状態で生きづらい場合もよくあります。周りの人が気がつかない分、本人のこころは追い込まれていて、自殺すら考えている場合もまれではありません。

 どもりによる困難が大きければ大きいほど、多ければ多いほど、
 そして、家族の理解(関心)がなかったり、どもる度に笑われたり執拗に注意されるような劣悪な環境(これが結構多いのです)にいればなおさらですが、一生懸命に誠実に生きようとしてもこころがクサッてしまいます。
 一生懸命に生きようとすればするほど心がとげとげして「クサッて」しまうのかもしれません。

 そんなことにならないように、
 また、すでになっている場合には、どのようしたら自暴自棄にならずに、すこしづつでもよい方向に進めるかを考えます。

★なんでも話せる親友をもつ
 ひとりでよいのです。ケータイやスマホに登録されている見かけ上の友達の数がいくら多くても意味がありません。ひとりで良いのでなんでも話せる本当の友達(親友)をつくることです。
 といっても、「人つきあいが苦手なので私は無理」と思われているかもしれませんね。
そんなときにはどもりのセルフヘルプグループに参加してみたらいかがでしょうか。

★自分の「現実」をありのままに受け止めて冷静に分析する。そして、動き出す。
 子供の頃から自分がどもること大きく悩んできたこと、生活に大きな支障が出てきたことなどを自分のこころのなかで正直にみとめることです。
 必要以上に無理をしないで、信頼できる人の前では素直に弱音をはくことです。
*弱音をはける環境(友人を作る・場所を作る)を自分で工夫して作る。

 時には傷ついたこころを癒やしたり、人生を考える旅(旅行ではありません)をするのも良いでしょうし、お金とヒマがないのならば自宅で座禅や瞑想の時を持つのも良いでしょう。
*それによってすぐに治ったり軽くなるというものではありません。あくまでも自分のありのままと正対するということです。
 自分のありのままを見つめることがなかなかできない場合には、精神科医や臨床心理士などの力も借りてみましょう。

★現実(働いて、生きていくのに十分なお金を稼ぐこと)を生きていくために必要と自分で判断した場合には、
 例えば、どもりの症状を軽くするためにできる限りの努力をするということも、その結果はともかく、その過程でのいろいろな出来事などからも得るものはあるでしょう。(人生は試行錯誤のくりかえしですから)

 どもることにより、こころを病むことがないように予防措置をとることも必要です。
 心が壊れると体の病気よりも治すのに時間がかかりますし非常に厄介ですので、早めに精神科医や臨床心理士にかかることです。

★自分の行為が他者から認められ満足感に浸れる機会を増やす工夫をしたり、ことばで勝負しなくても活躍できる場を持つ。
 理想は、学校や職場や家庭内で行なっている何らかの行為が一部でも認められることにより生きている満足感を得られることですが、そういう場がない場合にはボランティアなどを通しても実現できます。
 これにより、吃音者が陥りがちな「自己不一致」に陥るのを予防できるでしょう。

 どんな厳しい状態に自分がいても、今の自分こそが「本当の自分」で「ここから歩き始めれば良い」ということを実感できる・分かるということが大切だと思います。
*いずれにせよ自分のことを話せるほんとうの友人が必要です。