(ある程度より重い)吃音とうつ病の関係(再掲載一部改編:2012年8月28日)

 このブログではどもりの問題を考えていますが、どもることで日常生活や学校生活、職場での様々な不都合が積もり積もって発症することのあると思われる「うつ病」の問題についても考えています。

 今日(2012年現在)の報道では、新卒の大学生の2割強が進路未定者や不安定な非正規雇用であると報じられています。
 背景には、大前提として不況や経済社会構造の大きな変化があるのはもちろんですが、自分の能力を適性に自己評価しないで高望みしているということも大いにあると思います。

 一般のこの状況を考えると、日常のコミュニケーションに支障の出るくらいのどもりを持った若者(大学や高校・専門学校既卒や私のように卒業後数年の引きこもりを経て就職に望む人を含む)が、どのような立場におかれているかは容易に想像がつきます。

 電話がまともにかけられなかったり社内や社外ではきはきと会話ができない(かつての私です)ような人が一般的な企業の就職活動に望むには、最初からかなり絶望的な闘いとなります。

 このようなどもりという現実を抱えながら就職・転職活動に臨んでいる人には経験者としてエールを送るとともに、場合によっては考え方や生き方をを大きく変えて、就社ではなく、「就業」という観点から仕事や人生について見直していく必要があるのではないかとも言いたいのです。

 そして、そういう生き方をしていくには、両親や学校の就職課、ハローワーク、仲の良い友達(親友)などのバックアップが是非とも必要となります。

 これらがない状態である程度以上の重さのどもりを持ちながらひとりぼっちで就職・転職活動をしていくと、こころの負担の大きさにうつ状態そしてうつ病へと進行してしまうこともまれではないでしょう。
*現実にはそれなりの人数の、そういう状態におかれている人がいると思われます。

 そのようにならないようにするためには、吃音者本人、バックアップする側、ともに、「いまの世の中の現実的な動き」を十分に踏まえてプラクティカル(現実的)な対処をする必要があります。

★吃音者本人は、自分を守ることを第一に考える。
 現在の日本におけるどもりを持った人に対する公的サポートは実に貧弱で頼りないものです。特に思春期以降については実質的には公的なサポートはない状況はここ何十年の間全く変わっていません。
 以前、ネット上で質問を受けたどもりで困っている人のために、言語聴覚士の団体に「どもりに詳しい、熱心に取り組んでおられる言語聴覚士や病院を紹介していただけますか?」と聞いたことがありますが答えは返ってきませんでした。
*個人情報や会の規約の関係があるのかもしれませんが・・・

 厳しい言い方ですが、「自分で自分の身を守ること」を覚悟しましょう。

★自分のどもりをバックアップしてくれる人や施設を見極めること。
 自分がどもりで悩んでいることを心から理解してくれる人をひとりでも良いので確保することは大きな安心を与えてくれます。
逆に言えばそうでない人を自分のまわりから排除していくことも必要です。

 こころを守ってくれる手伝いをしてくれる精神科医、言葉の専門家である言語聴覚士もまさに玉石混淆の状態ですが「自分にとっての良い人」をみつけてください。
また、吃音者のセルヘルプグループも有効に活用しましょう。
*子供の場合はたいへんでしょうが、子供の頃から孤独で戦わなければならない場合も多いと思います。

★インターネットという良い道具があります。
 インチキな情報はよく読めば分かるはずです。そんなものには目も触れずに良い情報を真剣に探してこちらからアクティブに接触し活動しましょう。
*セルフヘルプグループの仲間うちで「インチキ情報」について情報を交換し合えば安全性が増します。

人(他人)に説明できない吃音者の想いについて(再掲載一部改編:2015年3月6日)

 第三者が見た場合に同じようなどもりの重さや症状に見えても、吃音者を囲むいろいろな環境(家庭環境、学校の環境、職場の環境)の違いにより、吃音者の心のなか、その想いは大きく違う場合がしばしばで、吃音者の人生に影を落としていきます。

 何を言いたいかというと・・・、
こどもから大人までの吃音者には、なかなか言葉では表現できないような「孤独感」を持っている方が多いのです。
 それは、自分の想いや気持ちを、家族や友人、同僚、恋人、配偶者、ときには同じ吃音者にさえも分かってもらえないことの「焦り」であったり、「あきらめ」、「怒り」もあるかもしれません。

 例えば、「学校の授業中に指名されるかもしれないという恐怖感の質や量」について考えてみても・・・
それぞれの症状・重さの違い、いままでのどもりでの失敗の経験の積み重ねによる違い、
 また、学校のクラスの雰囲気・職場の雰囲気の違いにより、吃音者本人に襲いかかってくる恐怖心の量や質は大きく違ってくるでしょう。

 仕事で、顧客に電話をする、社内電話をしたり、難しい交渉をする、ときも同じようなことが言えます。(民間企業と公務員の違い、会社の規模の違いも影響してきます)

 いまの自分が置かれているどもることによる緊張感や恐怖心を他人と(家族や友人とでも)なかなか共有できないことが、吃音者の孤独につながってきます。

 そして、ときには、心安まるはずの吃音者の集まりでも・・・、
(悪意はないにしても)、誰かの、自分の経験値や思い込みで「こうすれば良い」「こうできるはずだ」などの意見やアドバイスに、心を傷つけられることが往々にしてあり、孤独感を余計に感じてしまうのです。

家族の理解が得られない吃音者の現状(たびたび再掲載一部改編:初掲載は2014年11月5日)

 いまさら言うまでもないことかもしれませんが、どもりで困っている子供から大人までの方々は、その悩みを家族(親・兄弟・祖父母そして配偶者)にさえ理解してもらえずに、悩みながら人生を送っていることが多いのです。
*吃音者の集まりなどでよいとしをした大人が、「子供の頃からのどもりの悩みを、家族にすら、いや、家族だからこそ、理解されずにきたこと」を泣きながら訴える場に何回か遭遇しています。

 なぜ、なかなか理解されないかというと・・・、
★学校の授業ではひどくどもってしまい、先生やクラスメイトに笑われたりいじめられたりしている一方、家族の前ではほとんど話さないか、話しやすいことばのみをを発すればよいので(そうしているので)ごく軽いどもりに見られてしまっている。

★大人の場合、たとえば、お子さんの学校のPTA関係の電話で、自分の名前が言えずに変な人に思われたり、PTAの集まりでも同様で、自分の名前も言えずに笑われたりします。

★職場では、電話で自分の名前や会社名が言えずに(なかなか言えずに)顧客に笑われたり、それらのことで結果として仕事の流れに支障を来たし・・・、顧客から「担当を変えてくれ」といわれることもあり(私も経験者です)、ついには居づらくなりやめざるを得なくなることもあります。

 吃音者は日常的にこのような状況に置かれているのです。
*困っている度合いは、重さや症状の違いによりかなり大きく変わります。

 しかし、「子供の頃からどもることによってどれほど苦労してきたか」を、ほんとうに理解してくれている家族は、まず、いない、というのが本当のところなのではないでしょうか。
 寂しく思われる方もいらっしゃるかもしれませんが現実はそんなものです。
*それでは、日常の何気ない会話でも常に大きくどもるような方は家族の理解を得られているということではありません。しかし、問題の本質がより深刻であることは間違いありません。

 結局、現状では、自分の身は自分で守るしかありません。
*家族から理解されるどころか、「それほど重いどもりでもないのに何を甘えたことを言ってるんだ!」と怒られてしまうくらいなのがよくある光景です。

 それでは、理解を得られないなかで吃音者はどうしたらよいのでしょうか?
 わかってもらえない家族に対してどもりで困っていることを執拗に訴えてみても不毛な応酬が続くだけでかえって自分の心が疲れるだけですし、形だけでも均衡が保たれてきた家庭内の人間関係を悪化させるだけで生産的ではありません。

 そのような場合は、(寂しいことですが)、家族に理解されることを期待しないで発想を転換しましょう。
 たとえば、どもりのセルフヘルプグループに参加して、自分の悩みをわかってくれる人の前で気持ちをはき出せる環境を作ることです。
 それだけでも精神的に大きく救われるでしょう。
 グループのなかで特に気の合う人ができれば、さらに深く語り合うのもよいでしょう。

 また、日常的に気軽にかかれる、なんでも話せる精神科医、臨床心理士、言語聴覚士がみつかればよいことです。
そうすることでなによりも自分が救われるし、結果的に家族との(表面的な関係も)悪化せずにすみます。

 しかし、家庭内、学校、職場で、ことばによる虐待、暴力、パワハラを受けている場合は話が全く違ってきます。
 いろいろな公的・私的機関に相談して(児童相談所、警察など、法テラス、弁護士会など)しかるべき手を打ちましょう。自分を守ってください。

(参考):吃音(になったの)は自分の責任ではないので「スミマセン」はいらない。卑屈にならないで!

吃音:期待と現実

 子供の頃から、ある程度以上の重さのどもりで日常生活や学校生活・仕事において、その人なりの困難さを抱えながら生きている人にとって、「どもり」は仕方なくでも付き合わなければいけない障害です。

 朝起きていちばんの「おはよう」の「お」が出ずに、「今日もうまくいかないな」と感じるときが、今日一日のどもりとの付き合いのはじまりになります。

 また、今日は調子よく言葉が出るな・・・という日もありますが、
 今日は調子が良いがそのうち悪くなるだろうなという予感も感じていました。
*次の日に発表などのどもりそうなイベントがあることがわかっている場合には、前の日からよく眠れずに新しい日を迎えているかもしれません。
*もちろん常に大きくどもる人もいます。どもりは人それぞれです。

 2~3歳からどもりだして小学校2~3年くらいからはどもりを強く意識して、その後悩んできた私は・・・、
あるときは比較的調子の良い自分の言葉を感じ「これならそのうち治るかな?」と期待し、また、数日後には、授業中に指名されて大きくどもってしまったり、言葉がなかなか出ずに立ちんぼしているときには、「これから先、自分はどうなるんだろう!」と大きな不安につぶされそうになり、その繰り返しの少年時代・思春期でした。

 それでも学校は、どもりではクビにはなりません。
*陰湿ないじめに遇えば大変なことになる危険性は常にあります。いじめによる自殺の報道は絶えることがありません。
*子供でもスマホを持ちLINEなどのSNSをあたりまえにしているいま、見えないところでのいじめも多いでしょう。

 しかし、なんといっても、どもり持ちの最大の難関は就職(就業)です。
 他人のなかで、大小様々な組織の中で・・・、自分を主張し、しっかり・はっきりと言葉で伝えて競争のなかで生きていくというサラリーマンではあたりまえなことが、きわめて不得意なのが吃音者なのです。
*高度成長が遠い昔話となったいまの日本では、真面目に・人並みにやっていればなんとかなる、などどという状況ではないことは、皆さんおわかりのことと思います。

 私の生まれる前(高度成長前半の昭和30年代前半くらいまでの)の日本ならば、サラリーマンにならなくても(都市部でも)自分の家の仕事(商店などの自営業)を継いで生きていく方法もありましたが、いまではそういう選択は現実的ではありません。じり貧に追い詰められるだけです。
 また、いまでも、地方で安定した農家に生まれるような幸運なことがあれば、どもりを抱えていても、いままでの人間関係のなかで仕事をして穏やかに生きていくことができると思います。
*しかし、家族のなかで仕事をするという別の意味の息苦しさはあるでしょう。

 いままで書いてきたような吃音者を取り巻く現実をしっかりと見直したうえで、
★どもりだした小さな子供に対する、また、親に対する公的な支援体制(カウンセリング・治療)をどのように構築していくべきか?(市役所・保健所・医師・カウンセラーなど)
★小学校以降のどもりを持ったこどもに対する指導をどのような形で行なっていくべきか(土曜、日曜、休日、放課後を含めた、専門領域を履修した教師、言語聴覚士、精神科医、臨床心理士などによる継続的なサポートの構築と、どもりの子供同士が日常的に触れあえるサロン的な環境の構築)
★事実上公的サポートのなくなる高校生以上の吃音者に対して、進学や就職という難関を前にして、また、今どきのいじめ問題にも対処できるような、公的サポート・カウンセリング体制をどうやって構築していくべきか?

このあたりを考えていくべきと思います。

吃音:(結果として)うまくいくときも、うまくいかないときもある。でも、吃音を持ちながらの人生は耐えがたいことが多い。

 日常生活のコミュニケーションにも影響の出るようなある程度以上の重さのどもりを持った人(子供~大人)、または、傍からみてわからないくらいの軽いどもりでも、自殺を意識するほど(密かに)深刻なまでに悩んでいる場合・・・、
「どもること」を原因として、吃音者は子供の頃から実にいろいろな試練に遇います。

 例えば、学校(場合によっては幼稚園から)や職場で・・・、
 同級生や先生・同僚や上司からの陰湿なからかいやいじめ・パワハラ、
 就職や転職がなかなかできない、
 やっと入った職場での仕事に大きな支障が出る、などです。

 家庭においても、子供の頃から、どもりの悩みを家族に理解してもらえないこともあいまって次第にうつ状態となり・・・、学校や職場を休みがちになりついには引きこもりになることは、決してまれなことではありません。

 また、子供の頃から親にさえどもりの苦しみを理解してもらえなかったことや、それどころか、どもるたびに注意されたり怒られたりしたことから親に対する恨みの感情が芽生えてきて、成人してからもその感情が消えるどころか大きくなり、コントロールすることができずに(自分を責めて)苦しむこともよくあります。
*このブログ宛てに未公開の形で、そのような複雑な想いを送られてくることもあります。

 そのような状況に置かれているときに吃音者である我々が注意しなければいけないことは、
 ひとりでどもりについて考えるときも、セルフヘルプグループなどの集まりで話し合うときなども、「どもりながらも・・・結果的にうまくいった。」というケースのみを話し合ったり参考にしない、考えないことです。

 どもっている人が・・・「何々ができた」、「何かになれた」「何々を達成した」という話ばかりをしない、考えないことです。
*現実は努力してもうまくいかないことも多いのです。

 吃音者ごとに、重さや症状はもちろん、育った環境・いま生きている環境が違います。

 人生に支障が出るようなある程度以上の重さのどもりを持っていてもなんとか生きていけるように、身近に理解してくれる人がひとりでもいてくれる場合もあれば、近くに理解者がいなくて、ひとりで厳しい現実と戦っている場合もあります。
*吃音の実態を調査するのであれば、最低でも数百人、できれば千人規模、それも様々な年齢層、男女、職業も様々の、しっかりとした調査をしてほしいものです。

 どもりは、21世紀初頭の現在でも、原因もわからず、したがって確実な治療法もリハビリ方法もありません。

 どもりながらもうまくいく場合もあれば、うまくいかない場合もあります。「うまくいかないのは努力しないからだ!」などと決めつけないでください。
*現実は(軽い場合を除いて)、「どもったままでも、それを受け入れて生きていける」ほど甘くありませんし、その傾向はますます強まっていくでしょう。そういうアドバイスはかえって現実を生きる吃音者を苦しめることがほとんどでしょう。

 吃音者は100人いればそのどもりは百様です。どもりを持った人のバックグラウンドも百様です。
 悪い方向にも楽観的な方向にも偏った考え方をせずに、現実を踏まえて柔軟に生きていきましょう。

吃音(ある程度より重い)で、授業中にふるえている少年少女や、就職を控え不安でいっぱいの人の心をなえさせないために(再掲載一部改編:初掲載は2010年7月13日)

 日本人は、(自分もそうですが)、今でもなお、がんばることが好きです。努力家です。
 今の時期(時代)に書くと否定的に聞こえるかもしれませんが、人生においてがんばることは大切で、昨日の自分よりも今日の自分は少しでも前に進もうという気持ちがないと、多くの場合人生が停滞してしまうでしょう。
*例外が福祉の領域だと思います。心や体に重い障害を持っている人に、障害を持っている部分で必要以上に「がんばることを求める」ことはもってのほかです。その人なりの得意分野で無理のないように徐々に社会参加ができるようにサポートすることが、国や自治体、そして近くにいる人たちの使命ではないでしょうか。

 さて、いつも書いているように、どもりには重いどもりと軽いどもりがあります。
 比較的軽いどもりの場合には、(そして、吃音者と家族やサポートする側とで相互に信頼関係がある場合は)、場合によってはあえて叱咤激励することにより「最初の一歩」を踏み出せるように手伝うことも考えられますが、重いどもりの場合にはそれが全く逆に作用することが多いでしょう。

 耐え難いようなどもりの悩みをを抱えながらも、こころの面、言語面において満足するサポートが得られないことが多い日本においては、孤立無援の状態で、無理をしてでも学校に通ったり就職活動もせざるを得ないのが現状です。
*本当にしんどい場合には無理をしようとしても足が向かなくなりますが、そこまで我慢したらたいていはうつ病などの心の病気になってしまいます。心の病気になると多くの時間を病気との闘いのためにとられてしまいますし、回復にはかなりの時間がかかります。

 いまは、世の中のいろいろな場面で「いきなりに限度を超えてしまって破滅的な結果に終わる場合」が多いようです。
 TVのニュースなどでは、毎日のように家族や会社内の人間関係からの凄惨な殺人などが報道されますが、以前だったら破壊的な結果になる前にご近所や親戚など近くの人が助けてくれたりなどの最低限の「安全装置」がありました。
いまは、それもなくなってきました。いきなり極端なことに至ってしまうのです。

 どもりについても、以前の日本では、学校を出てもどもりでなかなか就職ができなかったら、ご近所や親戚の紹介で就職することもできたでしょうし、都市近郊でも、いわゆる会社員のほかにも農業に従事したり家業を継ぐなどの方法もあり、それで生きていくことができました。

 しかし、今ではそういう選択肢もなくなってきました。
 たとえ、あったとしても「ジリ貧」になってしまいます。食べていけないのです。

 家族や友人間のコミュニケーションの量が減り質も落ちているので、どもりで本当に困っている人の苦しみや孤独感がまわりに伝わらないことが多く、精神的に追い詰められることが多いのではないかと思います。
*スマホなどでの見かけ上のコミュニケーションの量は飛躍的に増えているでしょうが、たわいのないやりとりばかりで、「他人にはなかなか言えないようなことをざっくばらんに話せるというレベルのコミュニケーションや人間関係」が減っているのです。

 いまこのときにも「自殺」することばかり考えているような、深刻に悩んでいる吃音者がどれくらいいるでしょうか?
 サポートする側は、悩んでいる人ほど孤独になるということを考えた上で動かなくてはいけません。

 ではどうすればよいでしょうか?
 吃音者がどもりのために自暴自棄になってしまうまえに、まわりの人ができることは・・・、

★身近にいるどもりを持っている人が、「もしかしたら、思い詰めていて自殺を考えるほど悩んでいるかもしれない」と考えてみること。
★進学、就職などの人生の節目においては特に、どもりを持っている人は100%悩んでいるという前提のもとに動くこと。

 まわりにいる人ができることは、「まずは、ひたすら吃音者の言葉を傾聴することにより信頼関係を築くこと」「そして共感すること」
「(信頼関係を築いた上で)、どうすれば良いかを一緒に考えること」です。

*どもりを原因としたうつ病経験者でもある私としては、うつにも同じような考え方ができるのではないかと思います。
 日本のうつ病に対する体制、短い診療時間と安易な薬の投与ではなかなか治らない。バブル崩壊以降、国民病といわれているうつ病に対する日本の取り組みの問題点がTV、新聞、雑誌等でたびたび取り上げられているにもかかわらず、一向に改善される気配すらないのには怒りすら覚えます。

家族の理解が得られない吃音者の現状(再掲載一部改編:初掲載は2014年11月5日)

 いまさら言うまでもないことかもしれませんが、どもりで困っている子供から大人までの方々は、その悩みを家族(親・兄弟・祖父母そして配偶者)にさえ理解してもらえずに、悩みながら人生を送っていることが多いのです。
*吃音者の集まりなどで良い歳をした大人が、子供の頃から家族にどもりの悩みを理解されずにいることを泣きながら訴える場に何回か遭遇しています。

 なぜ、なかなか理解されないかというと・・・、
★学校の授業ではかなりどもってしまい先生やクラスメイトに笑われたりいじめられたりしているのに、家族の前では話しやすいことばのみをを発すればよいのでそれほどどもらず軽く見える。

★大人の場合、たとえばお子さんの学校のPTAの電話で自分の名前が言えずに変な人に思われたり、PTAの集まりでも同様で、自分の名前も言えずに笑われたりします。

★職場では、電話で名前や会社名が言えずに(なかなか言えずに)顧客に笑われたり、それらのことで結果として仕事の流れに支障を来たし・・・、顧客から「担当を変えてくれ」といわれることもあり(私も経験者です)、ついには居づらくなりやめざるを得なくなることすらあります。

 吃音者はこのような状況に置かれているのです。
*困っている度合いは、重さや症状の違いによりかなり大きく変わります。

 しかし、「子供の頃からどもることによってどれほど苦労してきたか」をほんとうに理解してくれている家族は、まず、いない、というのが本当のところなのではないでしょうか。
寂しく思われる方もいらっしゃるかもしれませんが現実はそんなものです。
*日常の何気ない会話でも常に大きくどもるようなどもりの方は家族の理解を得られているということではありません。しかし、問題の本質がより深刻であることは間違いありません。

 結局、現状では、自分の身は自分で守るしかありません。
*家族から理解されるどころか、「それほど重いどもりでもないのに何を甘えたことを言ってるんだ!」と、怒られてしまうくらいなのが、よくある光景です。

 それでは、理解を得られないなかで吃音者はどうしたらよいのでしょうか?
 わかってもらえない家族に対してどもりで困っていることや苦しさを執拗に訴えてみても不毛な応酬が続くだけで、かえって自分の心が疲れるだけですし、形だけでも均衡が保たれてきた家庭内の人間関係が悪化するだけで生産的ではありません。

そのような場合は、(寂しいことですが)、家族に理解されることを期待しないで発想を転換しましょう。
 たとえば、どもりのセルフヘルプグループに参加して、自分の悩みをわかってくれる人の前で気持ちをはき出せる環境を作ることです。
それだけでも精神的に大きく救われるでしょう。
 グループのなかで特に気の合う人ができれば、さらに深く語り合うのもよいでしょう。

 また、日常的に気軽にかかれる、なんでも話せる精神科医、臨床心理士、言語聴覚士がみつかればすばらしいことです。
 そうすることでなによりも自分が救われるし、結果的に家族との(表面的な関係も)悪化せずにすみます。

 しかし、家庭内、学校、職場で、ことばによる虐待、暴力、パワハラを受けている場合は話が全く違ってきます。
 いろいろな公的・私的機関に相談して(児童相談所、警察など、法テラス、弁護士会など)しかるべき手を打ちましょう。自分を守ってください。

(参考):吃音(になったの)は自分の責任ではないので「スミマセン」はいらない。卑屈にならないで!(2014年10月1日)

吃音の重さと就職について(再掲載一部改編) (1、現状認識 初掲載は2013年12月16日) (2、 自分に合った長続きする仕事を 初掲載は2014年7月14日)

1、「現状認識」

「どもりの重さと就職の問題」
 これは、(ある程度より重い)どもりを持っている人にとっては最大のテーマです。
*「就職時になってはじめて悩んだ」ということではなく小学生の頃からという方が多数派ですが、なかには、就職時や仕事に就いてからどもりの問題が顕在化し人生上の困難に遭遇する方もいらっしゃいます。
*「どもっている方が手術や投薬で嘘のように治る」のは、かなり遠い未来にしか期待できないでしょう。
*ここでいう「ある程度より重い」とは、日常生活や学校生活・職場において、ことばによるコミュニケーションに明らかな支障がでることです。また、傍から見てわからないくらいのどもりでも、本人がそれで悩み生活に支障が出ている場合も、ある程度より重いどもりです。

 仕事と言っても、民間企業(営業、事務、技術者、生産現場)、国家・地方公務員(キャリア、ノンキャリア、文科系、技術系)、農林水産業(小規模、大規模「会社組織・NPO])、医療・福祉系の各種仕事・・・、そして自営業、など、挙げていけばきりがありません。

 現実的に考えるときに、多くは民間の会社組織に就職します。
 そして、就職活動中や仕事に就いてから、ある程度以上の重さの吃音者は多くは、大きな困難に遭遇します。
 しかし、その苦しみを誰にも理解されることもなく、孤独の戦いを続けているのです。

 少なからぬ人が耐えきれないようなどもりの辛さから仕事が続かなくなったり、無理して続けたことによってうつ病などの心の病となり、さらに厳しい状況に追い詰められることも希ではありません。
*ここ数年、生きるか死ぬかという、かなり切羽詰まった状況で当ブログまで非公開の形で直接アクセスしてくる例が増えてきています。子供の頃からの、ことばの教室から始まる公的なサポートやセルフヘルプグループの活動がうまく機能していないことを実感しています。

続きます。

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2、「 自分に合った長続きする仕事を」

 今回は、いまの社会情勢を踏まえながら・・・、どのように(な)仕事に就けば、ある程度以上の重さのどもりを持った人の仕事が大きな破綻なく長続きし、かつ、少しでも働くことに喜びを見いだすことができるかを考えます。
*「ある程度以上の重さのどもり」とは、第三者から見た重さだけを言っているのではありません。客観的に見て軽いどもりでも、本人がそれを気にして生活に支障が出ている場合も含みます。

★会社のブランドは関係ない?
 「会社の名前」は吃音者にとっては関係ありません。
*高度成長やバブルの崩壊くらいまで(90年代はじめまで)は、日本の企業にもそれなりの余裕があったので、仕事の能力の足りないコネで入ったような社員を抱えておくだけの余裕がありました。
 これは吃音者だけではなくて障害のない一般の方にも言えることですが、仕事に関する能力があり大きな無理をしないで「いわゆる有名企業」に入れるような方は別ですが、普通の能力の吃音者が無理をして有力者のコネで就職しても自分を苦しめるだけです。リストラ予備軍にされるくらいなものです。

 いまや企業の定年も形だけのものになりつつあります。
 実際には事実上の肩たたきが意外に早く始まり、関連会社に早めに行かされるなどは、あたりまえのことです。
*それでもなんとか定年までつとまれば幸運な方でしょう。

 そういう厳しい現実を踏まえないと、どもりを持った人の仕事や就職にについては語れません。

★たとえ収入は少なくても、個人の良い面を少しでも認めてもらえるような(ある程度以上の重さの)吃音者が長続きしそうな仕事(職業)を選ぶ。

 吃音者が、一般企業、特に営業系や事務系に就職すると「大変なこと」になる可能性があります。
もちろん、リスクを覚悟した上であえてチャレンジしようという柔軟な考え方ならば「若い頃の失敗も次のための糧」にはなりますが、安定を求めて就職しても、それがなかなか実現できないのが今です。

 あたりまえですが、事務系や営業系の仕事は、電話や面と向かってのことばによるビジネス上のコミュニケーションの繰り返しです。
 それが苦手な吃音者がいきなり企業の第一線に出た場合の苦しさは経験者でないとわかりません。

 それでも、将来、事務系や営業系の仕事に就きたいのならば、学生時代から一般の企業等でオフィスワーク(の補助を)をするようなアルバイトをこなしてみれば(こなそうとしてみれば)良いと思います。
 応募の段階でどもりを理由に門前払いされるか、採用することはされたがやはり通用しなかったということもありますし、逆に、入ってみたら、結構通用して自信を持つことができたという場合もあり得ます。

 「仕事」は都市部の会社だけではありません。
 学生だったら、そうでなくても若干の余裕があれば、遊ぶ時間を割いてでも早い段階から、いろいろな職業、公務員、民間企業(事務系、営業系、技術系)、農・林・漁業、福祉、NPO、NGOなどいろいろな仕事を垣間見られるような、また疑似体験できるようなアルバイト等をしていけば、自分にはどのような職業があっているか(やって行けそうか)を見つけられると思います。

吃音:仕事をする人としての現実(その2 仕事とどもり)

 このブログには数こそ少ないですが、どもりで困っている人から深刻なコメントが寄せられます。
 コメントの公開は承認制なので内容が個人的なものだったり深刻な場合には、公開する前に(公開の可否も含めて)直接やりとりさせていただく場合があります。

 非公開のコメントの内容は「どもりと仕事」「どもりと家族」に関することが多いのです。
★仕事の日常業務、会議や電話をする場合に言葉が(なかなか)出ずに、「事実上、仕事にならなくなり追い詰められている場合。
*自分の名前、会社名、相手の名前など言えてあたりまえのことが、面と向かってはもちろん電話や社内電話でも(なかなか)言えない。
*さらに追い詰められてうつ病になりいまの仕事をやめることとなり、その後もなかなか再就職できない。現状を家族からも理解されない。
*追い詰められて自殺を考えた、またはその直前までいって思いとどまったという深刻なコメントもあります。

★子供の頃からのどもりに対する家族の無理解、どもるたびに家族から言い直しをさせられたり注意されることの繰り返しが大きなストレスとなりこころに積み重なり、大人になってからの日常生活や家族関係、近所付き合い、子供の学校のPTA活動などの人間関係や話すことに大きな障害となっている場合。
*どもることにより学校で(同級生や先生から)いじめを受けていた、からかわれていたということも、どもりの症状の固定化や悪化、大人になってからのメンタルな問題を引き起こす大きな原因にもなるでしょう。

 ひとりでする仕事ではなくて組織の中で二人以上で仕事をする場合には(職種により話すことの重要性は大きく違いますが・・・)、
同僚や上司との会話、会議での発言、顧客の前でのプレゼンテーション・交渉など、また、電話の対応はハキハキしたものでなければなりません。
 そうでなければ事実上仕事になりません。特に仕事につきもののクレーム対応においては的確な言葉遣いが必要とされます。
*ここで、どもってもよい(もちろん仕事に影響が出ないくらいのものは除きます)、というのは仕事の現実を無視したものになります。

 このように、このブログには・・・、
 子供の頃からのどもりによるストレスの積み重なりの結果としての心理的な問題、家族との軋轢、
就職・転職がなかなかできない、仕事上での言葉に問題が生じ職務の遂行ができなくなりやめてしまった、または大きく悩んでいる、という人の生の声が寄せられています。

吃音:仕事をする人としての現実(その1、現状)

 親しくなった大人の「吃音仲間」で飲んだりするときには、どうしても「どもりと仕事」にまつわる話が多くなります。
*そもそも「遠慮なくどもりについて話せるくらいの親しいどもり仲間がいるのか?」ということが問題です。子供の頃よりどもっていた私がどもりについて忌憚なく話せるような友人ができたのは、大卒後就職できずに引きこもった(約1年半後くらいでしょうか)後に通い出した民間のどもり矯正所で、同じような境遇の友人ができたときがはじめてです。(家族とも話はできていませんでした)

 このブログでも「どもりと仕事」は主要なテーマになっています。
*数年前に起きてしまった北海道での吃音をもった男性看護師さんの自殺についても何回か扱っています。

 さて、いまTBSで放映されているキムタク主演の「a life」
 医療ドラマが好きな私として、それ以上に、韓流ドラマか?子供向けか?と思うほど誇張された表現が多い最近のテレビドラマに辟易としていた私にとっては、「キムタクと視聴率の話題は別として」久しぶりにじっくりと見られるドラマとして楽しみにしています。

 ドラマのなかでは医師と看護師との関係が丁寧に描かれています。
 特に手術室に入るような看護師の的確な動きには、1年半前に心臓のカテーテル治療を都内の心臓専門病院で経験した私としては(局部麻酔で意識があり、手術室のなかでのテキパキとしたやり取りを感じていたので)思うところが大です。
 器具の確認をするにも、大きな声で品名と有効期限を読みあげて他のスタッフにも確認してもらいながら進めていく、
 ミスを防ぐためには大切なことなんだなと思いながらドラマをみています。
*普段、病院に行くとき、例えば採血をしたりCTを撮ったりする際、また、診察室に入るときでさえも「フルネームでお名前をおっしゃってください(場合によっては生年月日も)」といわれるのがあたりまえになってきました。吃音者にとってはこれが大変な難関なのです。自分の名前が(なかなか)出てこないのが、ある程度より重い吃音者にとっての「あたりまえの症状」だからです。

 社会人としての仕事は、特に、組織のなかで2人以上で仕事をしている場合には、言葉を使うことが大前提になります。
「誰かに何かを確認する」「誰かと話し合って練り上げていく作り上げていく」「交渉により仕事が進む」というように、(職種により言葉を使う頻度は大きく違いますが)誰かと話す(電話をする)ことなしには仕事が進みません。
*世の中ではスマホによるSNS(日本ではLINEなど)が盛んですが、実際のビジネスの現場では人と人との言葉によるコミュニケーションがますます重要になってきています。

 ある程度以上の重さのどもりを持つことにより、話すべきときに話すべき言葉が(なかなか)出ない場合には、個人の仕事はもちろん、チームとしての仕事にも大きな障害が出ます。
 要するに「仕事ができない」という評価となり、人生に直接及ぶの脅威となります。(職場に居づらくなります)

 ある程度以上の重さのどもりを持った人は学生時代でも言葉を使うアルバイトをしない(できない)ことが多いので、この現実に遭遇するのは、就職活動を始めてからか、コネで入った場合は社会人になってからとなります。
*もちろん、子供の頃から学生時代までにもどもりで大いに苦労しますが、とりあえず親の庇護下にあり、生きていくこと(食べていくこと)はなんとかなります。
ただし、どもることでいじめを受けている場合は(いまの学校や教育委員会のずさんな対応を考えるときに)命の危険さえ考える必要があります。