「吃音にこだわる」と「吃音で困る」の違いは (再掲載一部改編:初掲載は2011年10月22日)

 吃音者(どもり持ち)が生きていく上で・・・、
 どもりに「こだわる」ことをやめて、毎日の生活、つまり「生きていくこと」を優先させていこうという考え方があります。
*どもりの重さの違いや環境(特に子供のときの家庭環境・学校環境・職場環境)の違いによって、こだわり方、こだわる度合いも大きく変わってくるでしょう。

 一方、どもりで悩んでいる人(私もそのひとりですが)と深く話し込んでいくと、どもりに「こだわっている」のではなくて、もっと単純な話しで「どもることで困っている」「生きていくうえでどもることが障害となっている」ということがよく分かります。

 おとなの場合で言えば、
★どもることで仕事に大きな支障が出て困っている。
 顧客とのコミュニケーションに問題が出て自分の仕事やチームとしての仕事に問題が出る。迷惑をかけていて、このままでは職場に居づらいと感じているし、同僚には陰口をたたかれる。
また、上司からも注意される、取引先からも担当の交代を要求される。

★どもるために就職・転職できないで困っている。
どもることにより希望の職種や企業に採用されないこと、どもることで仕事探しがうまくいかずに働こうという意欲がそがれていく。
*他の能力は十分にあるのに、どもりのために希望する職種に就職できないということも含む

★日常生活や親戚付き合いにおけるコミュニケーションに支障が出てこまっている

ということです。

 子供でいえば、
★授業中や休み時間に大きくどもったり分かっていることが言えずに困っている。劣等感にうちひしがれている。

★どもることを笑われたりからかわれたりすることにより恥ずかしい思いをし、劣等感の塊になっている。(クラスメートや先生から陰湿ないじめを受けていることを含む)

★死にたいと思うほど深刻に悩んでいるのに、家族はその想いを受け止めてくれずに困っている。

 つまり、哲学ではなくて生活(生きていくこと)に根ざした問題なのです。
 子供でいえば将来(進路)のことで大きな不安を感じて困っているということ。
大人でいえば、人と関わって、話して、働いてお金を稼いで生きていくのに困る、という問題なのです。

★どもりが軽くなるか治る(そうするために自分でいろいろと努力する)
★ことばで勝負しない仕事に変える
★いじめられている学校から転校する
 などにより、どもることにより困る割合が減るか、減らしていけば、結果的にどもりにこだわる割合も減っていくでしょう。哲学ではなくて身体感覚なのです。
*現実的には、転校先の学校でまたいじめられる、転職先の職場でも同じような苦労をすることもあり得ます。

 それを実現するのにはふた通りあるのではないかと思います。

★ひとつめは、自分の生活環境、仕事環境、生活圏を変えることです。
 都会で追い詰められているのならばUターンやIターンで都会から離れることです。たとえ、収入が大きく減っても、地方でゆったりと過ごすことにより自分が取り戻せるかも知れません。
 また、現在地を離れない場合でも、生活レベルを下げてもよいという覚悟ができれば、ことばの面で必要以上に無理をしない職業に変わるということで困る度合いを減らせます。
 仕事も多様化しています。NPO、NGOなどの利潤追求を第一としないところで働く。農業法人のようなところで働き、ことばで仕事をする度合いを(企業のデスクワークや営業などと比べて)下げてみる。

★もう一つは、自分を、いま生きている環境やこれから生きたい環境に自分を適応させるべく努力することです。
 それには、心理カウンセリング(本人、家族)やリハビリテ-ション(言語訓練)を行なうことにより、どもりを少しでも軽くすることがあります。
 また、仕事に支障が出ないように、どもりの度合いを低いレベルで維持するように努力することも含まれます。
*現実にはどもり(特に思春期以降)に精通した言語聴覚士などは極めて少ないし、その人に出会える方法がないので自分で工夫する必要があります。
例えば「どもりのセルフヘルプグループなどで知り合った気の合う仲間で集まり公民館などの部屋を借りて、どもりそうな場面を再現し、問題点や対策を話しあい考えるサイコドラマと学習会を行なう」のも効果的だと思います。

 自分なりに努力しても、どうしても仕事に支障が出てしまい精神的に耐えられないならば、自分の心と体を守るために、計画的に転職・転業していくことも含まれます。

 しかし、これらがなかなかうまくいかないから、いまに至るまで、ある程度以上の重さの吃音を持つ人は困っているのです。
*背景には、どもりの原因が医学的にわかっていないので確実な治療法がない、効果的なリハビリテーションができない、社会的にどもりの苦しさが認知されていないのでしっかりとした社会的な対策がなされない、ということがあります。

 今回書いてきたことも、「重さや症状の違い」や「生きてきた生きている環境の違い」によって大きく変わってきてしまいます。
 どもりの問題は、ケース毎にすべて違うものだと考える必要があります。
*違うからこそ、吃音者どうしで違いを意識しつつ協同してできることがあるのではないか、と思います。

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吃音:自虐的にならないで!よい方向を目指して少しずつ生きていきましょう(再掲載一部改編:2014年3月26日)

 子供の頃からどもりによる様々な苦労を重ねていると、どもること自体を自分の努力不足の結果のように考えがちになり自虐的になってしまいます。
*背景には、親を含む周囲からのそう思わせてしまうようなことば(悪意はないにしても)があると思います。

 親を含むいろいろな人から、「気にしすぎ」とか「もっと苦労している人はいる」のようなことを言われ続けると・・・、
「自分が悪い」「自分の努力不足」のように思うことが日常になりますが、そのような生き方をしていると、どもりの症状そのものにもよい影響があるはずがありません。

 サポートする人の側にも、「自分の考え方を変えれば良い」というような言い方をする人もいますが、まず考えるべきは、どもりは自分のせいではない「言語障害」ということです。
 どもりは一部の生活習慣病のように自分の不注意や不摂生からなったものではありません。
 過剰な被害者意識はよくありませんが、「自分が甘いから乗り越えられない」ような自虐的な考え方はよしましょう。

 それには、「どもりでいま困っているという事実」や、「人生においてどもらない人と比べて明らかに不利なことが多いということ」を自分のこころのなかで素直に思い・感じて、せめて信頼できる人のなかでは思いっきり「こぼせる・愚痴れる」ような環境を努力して作りましょう。
*家族にそれを求めるのは、ほとんどの場合は、無理です。
*ホームドクター的な精神科医や臨床心理士を努力して見つけて定期的に相談するとよいと思います。

 そのうえで、自分(たち)でできることをひとつずつ行っていくことです。
 どもりに熱心に取り組んでいる言語聴覚士に(幸運にも)出会えればその人の力を借りても良いでしょうし、
 また、信頼できるどもり仲間を作り、その仲間と小さなセルフヘルプグループを作り自分たちなりの目標を作って活動するとよいと思います。

 自分なりの努力をしていくなかで、それでも、「どもりがなかなか治らない」、「軽くならない」、「学校や仕事において明らかな問題点が出てくる」という現実に向かい合ったときに、自虐的でない、良い意味でのどもることに対する自分なりの考え方が少しずつ固まってくるかもしれません。
 その際には、ひとりで良いので、どもりのことをすべて話せる親友が必要です。

吃音(どもり):学校のことばの教室の現状は?(再掲載一部改編:初掲載は2015年4月8日)

 このブログで私は、小中学校に通っているどもりを持った子供には「ことばの教室」というサービス(通級指導教室)がある、と書いています。

 いっぽう、80年代末に、私が大卒後就職できずに引きこもりのあとに元気が出てきてから通った「民間のどもり矯正所」で出会ったどもりの子供を持つお母さんから直接聞いた話では、「子供をことばの教室に通わせているが効果が全くない」、とか、「対応が悪い」という話を聞いていましたし、
大人の吃音者の集まりに参加してくださった、ことばの教室を担当しておられる先生ともお話ししましたが(10年近く前)、ことばの教室とそれに携わる先生が軽視されているとの現場の声でした。

 どちらも時間が過ぎた話なので、現状はどうなっているのかは気にはなっていました。
 そこで、ネットレベルですが、ことばの教室の現状というワードで検索をかけてみました。
 思ったよりも現場に近い資料が多く出てきました。

 いくつか当たってみましたが、気になったのが千葉県の資料です。
 PDFで「平成25 年度要望書添付資料 千葉県ことばを育てる会」とあります。
 これには以下のようなことが記されていて・・・、
★ことばの教室に通いたくても通えるようになるまでは何ヶ月も待たされる
★中学校に至っては、市に1カ所しかないところもある
★先生がいわゆる普通の先生でそれも十分な研修すら受けていない方がひとりで大人数を担当している
★幼児→小学校→中学校間のサポートする担当者間での情報の引き継ぎが行われていない
★児童への指導時間しか認められていないので、親、通常の学級担任、担当者との連携をとるための相談や面談が十分に行われていない

*平成30年のいま同じように検索をかけてみましたら、「平成26年9月24日 千葉県教育長あて「難聴・言語障害教育に関係する要望書」 千葉県ことばを育てる会」が見つかりました。これもPDFで原文が読めます。厳しい現状がわかります。

 もう、お寒い限りです!
 千葉県だけのことと思いたいところですが・・・、これでは、どもりで悩んでいる子供や親御さんは深刻になるばかりです。
 全国的にこうなのでしょうか?

吃音:幼少時からの親子関係・家庭環境がもたらすもの(たびたび再掲載一部改編:初掲載は2012年9月11日)

 どもりを持っている私が生きてきたなかで、また、幾人かのどもりを持つ友人と接してきて感じていることなのですが・・・、
 仲良くなりお互いの人生について忌憚なく話し合えるようになった「おとなの吃音者」のなかに、自分の幼少期の話題になると急に寡黙になる方が少なからずいらっしゃるのです。

 吃音についての一般論は実に多くを語り積極的に活動されている方が、自分の子供の頃の話しとなると急に寡黙になるのです。
 吃音者に限らず、自分の過去の話しになると、比較的親しい間柄においても急に寡黙になる方はいらっしゃいます。

 そのようなときには、「かなり辛い経験をされてきたのだろうな」とか、
「大変な苦労をされてきて思い出したくもないのだろうな」と考えて、こちらからはそれ以上聞くことはしませんね。(おとなの常識です)
*「親友」とは、そういうところまで話せる人間関係のことだと思いますが、実際には持っている人はかなり少ないようです。同じ悩みを共有している吃音者の間では比較的できやすいような気がしています。

 なんでこんなことを書いたかというと・・・、吃音者は心の解放がうまくなされていないのではないかと思うのです。
 子供のころからどもりにまつわるかなり辛い経験をしてきているにもかかわらず、それを無理矢理にこころの奥底にしまいこんでしまおうとするか、または無理に棚上げにしておこうとすることで、いまの自分をなんとか保とうとするようなギリギリの生き方をしているように見えてしまうのです。
*自分も30代前半くらいまではそういう生き方で無理を重ねていました。そういう「危うい生き方」が、結果としてどもりを維持させたり悪化させる、また、実際の症状以上に自分のどもりを悪く評価してしまい苦しんでいるのではないかと思うのです。

 こどもの頃からの辛い経験は、例えば・・・、
★子供の頃、どもる度に家族から注意されたり、場合によっては笑われたり無視されたりして自分の家のなかも安住の地ではなかった。

★子供の頃、学校や友達の間で(場合によっては家庭内で)、どもることにより精神的なレベルか肉体的なレベルでいじめ・虐待を受けていた

★家族関係(親子、夫婦、兄弟、祖父母)が劣悪でケンカやいざこざが絶えず、その人間関係によるストレスにより自分のどもりが維持され悪化して、結果として人生がうまくいっていないとこころのなかで強く思っている。

★しかし、自分の幼少期の経験や自分の家族については否定的に思いたくないし、そういう事実を人に知られたくないという複雑な思いが自分を締め付けている。

 一方、全く逆の環境の場合は・・・、
★学校でどもりで困ったり恥ずかしい思いをしても、帰った家ではいくらどもっても怒られることも注意されることもなく静かに話を聞いてくれるので、自分がどもりで困っていることをわだかまりなく家族に話せる。

★家族間で全くケンカのない家庭などありませんが、質実剛健で思いやりのある明るい家庭。

 こんな家庭環境に子供の頃からあれば、どもりが治るかどうかは別として、前述よりかは明らかに良い結果(吃音の悪化が食い止められる、心理的に重症のどもりとならない可能性が大になる)になるでしょう。

 それでは、前述のような「悪い家庭」で育ってしまった場合にはどうしようもないのかといえば、おとなになってから自分の努力でかなり回復できるものと考えます。

★アダルトチルドレンであることを認識する
 「こどもの頃、我慢していたこと」、小中学校のころからどもりで困ったり、どもりを原因としていじめられたりと、場合によっては自殺を考えるほどに悩んでいたのに家族には話すら聞いてもらえなかったし、言い出せるような環境ではなかった。
 そのような場合には、年月を経てからでも、年老いた親の前でも、「当時、自分がたいへん困っていて悩んでいたのに家族には何もしてもらえなかったこと」を大きな声ではっきりと言いましょう。(たぶん家族からは理解されないと思いますが)自分のなかで何かが変わりはじめるかもしれません。

★いままでは自分の人生のなかの「負の部分」と思って、こころのすみっこの方に紙に包んでしまっておいた「こどもの頃のどもりについてのいろいろなこと」を、自分の人生のなかの「ほんとうにあった隠せない事実(人生の一部)」とするために、自分で工夫しましょう。
 それには、例えば、東洋的な修養法である「座禅」なども良いかもしれません。
*もちろん、方法は、人それぞれです。

★やはり、自分の負の部分をためらいなく語れる友人(親友)を持つことです。

★セルフヘルプグループなど吃音者の集まりに積極的に参加して、自分以外のいろいろな立場の吃音者(性別、年齢、生きざまの違う)がどのような人生観を持って生きているかを体感することです。(ネットのつながりだけでは弱すぎます。)

★信頼できてなんでも話せるホームドクターとしての、精神科医、臨床心理士、できれば言語聴覚士も、などを努力して見つけ、それらの専門家のサポートのもとで、自分のどもりやいままでの人生をできるだけ俯瞰できるように(自分を客観視できるように)していくことです。

吃音:ほんとうにどもりで困っている人はなかなか言い出せない(再掲載一部改編:初掲載は2015年3月20日)

 以前、どもるの人たちの泊まり込みの集まりに参加したときのことです。
 その集まりは、男性も女性も参加していて、年齢層も20歳代から50歳代まで、人数もほどほど(15人くらいだったでしょうか)で、いろいろと話ができそうな雰囲気でした。
 講師の語らいと意見交換の時間が主でしたが、夕食後の遅い時間には打ち解けて話せるフリートーキングの時間もありました。

 こういう機会を持つことは吃音者(児)にとってはとても大切なことだと思います。
 ほんとうは子供にこそ必要で、小学生のころから春休みや冬休み、連休などを利用して、学校の校舎でよいので、同じメンバーで継続的に行うことができれば、
そして、親御さんはもちろん、学校のことばの教室の先生、普通の先生なども参加して打ち解けたなかでじっくりと(本音で)話すことができれば、
「それで治る!」なんてことはあり得ませんが、それぞれの心のなかに大きな変化が生まれてくると思います。
*セルフヘルプグループでも一部行なわれていますが、もっと頻繁にいつものメンバーで継続的に行なうことが必要です。

 しかし、私が参加した集まりでは気になったことがあります。
 ほんとうに困っている人、やっとの思いでこの集まりに参加してきた人の発言の機会がないのです。
 なかなか言い出せない人がいるといちばんわかっているメンバーのはずなのに・・・

 どもりが重くて(重くなくても)、自分からは(どもりの仲間の集まりでも)言い出せない。
 毎日の生活でどもりのために追い込まれていて、どうにかなってしまいそうな自分をなんとかしたくて、そのきっかけがほしくて思い切って参加した。
 そんな人が、やはり、ほんとうに困っていることを言えずに時間が過ぎていってしまう。そんな印象でした。

 会合の講師は、「なにか言い残したことがありますか?」と聞いてはくれますが、やはり言い出すことができません。(雰囲気でわかります。目が語っていました)

 心のなかに溜まった何年・何十年か分の「言いたいこと、思い詰めていること」があるのでしょうが、やはり言えない・・・その人の仕草から強く感じました。
 もう10年ほど前のことですが、ふと思い出しました。

吃音で困っている人の現実を知ること(再掲載一部改編:初掲載は2012年2月22日)

 このブログではいつものように書いていますが、どもりの原因は未だにわかっていません。
 21世紀初頭の人類の科学のレベルでは、「脳科学」などといっても幼稚なものです。
脳の手術や投薬によって、またリハビリテーションによって確実にどもりを治すことは「夢物語」です。
*うつ病も「薬で治る時代になりました」などという宣伝も見かけますが、一部の軽いものを除いては、現実は全く違います。社会的な背景がある心の病気なので、うつ病を経験し仕事を休職した方や退職した方。身近に患者がいる方ならば身にしみておわかりのことと思います。時間をかけた丁寧な心理カウンセリング、家族の協力、職場の理解と会社の経済的余裕(休職者を抱えていける、その後もとの地位に復帰できる)などがあって、また場合によっては転職・転業をするなどの決断と家族のバックアップがあってはじめて良い方向に進んでいくものです。

 いま、学齢期以前に自然治癒せずにそれ以降にどもりを持ち越して、日常生活や学校生活、仕事に支障があるような重さや症状のかたで、その後、少しでも「どもりが良くなった」という方々は、(自分も含めてですが)、まさに自分で工夫したの対症療法の結果です。
 それも、我流や、昔から民間の無資格矯正所で流布されてきたような民間療法を自分なりに、また、どもりの仲間同志でアレンジして、さらには実生活で多くの苦労を積みながら、「結果的に軽くなった」という方々です。
*といっても、いつまた再発するか悪化するか、それがわからないのがどもりの特徴です。進級や進学・転校、社会人の場合は転勤や転職等の変化によって、軽くなっていたどもりが吹き返し、いまの仕事ができないくらいに悪化することもあたりまえのようにあります。

 つまり、医学的にどのような理由で軽くなったかということがわからないので、いつまでたってもそれらは亜流としか存在できず、また、専門家といわれている人の知識や治療の実力が、(どもりを身をもって体験している吃音者のどもりに関しての知識を凌駕できないために)、知識欲旺盛な吃音者から見透かされる場合すらあります。

★専門家といわれる人が(特に思春期以降のどもりは)治せないというか、扱えない(扱わない)現実、
★どもりは個人ごとに症状も、そのバックボーンも大きく違うという現実
★吃音者もそれぞれ求めるものが違う、という現実
 などを考えるときに、専門家を含む第三者ができることは・すべきことは、まずは、吃音者が「いまをできるだけ生きやすくなるお手伝いをする」ことではないでしょうか?

★学校や職場で、どもりを原因として陰湿ないじめを同級生や先生、同僚、上司から受けていないか?
★吃音を持った子供が家庭内で家族からネグレクトや言葉によるいじめを受けていないか?、
★学校を出てもどもりのために就職できず引きこもっていないか?

 このような、どもりであるがための不都合にひとつケース毎に丁寧に対処していくこと。
 また、場合よっては、少しでもなめらかに言葉が出てくるような言語訓練を個人ごとに工夫しながらおこなうこと。
 かなり重いどもりの場合は、いたずらに言葉の流ちょう性を求めるのではなくて、まずは環境を整えて少しでも生きやすくして安心感を持ってもらえるようにすること。

 いま現実に困っている吃音者のまわりにいる人は、中途半端な理屈や精神論を吃音者に語らないで、現実に起きている問題をひとつひとつ解決するためのお手伝いをすることからはじめる必要があります。

当事者にしかわからないどもりを持ちながら生きることの苦しさ(再掲載一部改編:初掲載は2015年4月5日)

 日常生活・学校生活・仕事(職場)でのコミュニケーションに支障が出るようなどもりを持っているか、
 または、第三者から見た程度は軽くても自分として人生に大きな影響が出ている場合は、
どちらも大きな苦悩を背負っての人生となります。

 多くの場合は、どもりという問題に直面している当事者でしかわからない苦悩であり、周りの人に説明することがきわめて難しい(理解や共感を得られるのが困難な)ことでもあります。
*いちばんの理解者になるはずの吃音者でさえ、他の吃音者の気持ちを理解できないか、との吃音者からかけられる言葉や仕草で、かえってこころを傷つけられてしまうこともあるものです。

★家庭で直面する問題
 これは親兄弟や祖父母の、「どもりに対する無理解・無視」、「どもることを非難すること」などの問題です。
 多くの場合は「悪意から」というよりも、
「どもりの苦しみがわからない」、「深刻な障害とは思っていない」、「それほど悩んでいるとは思っていない」ことで、結果として無関心となることが多いと思います。
 たとえ本人がどもりの苦しさを訴えたとしても、それを「甘え」としかとらえることができずに、非難してしまうかもしれません。
*けがでリハビリを受けていて足を引きずっている家族に対しては、普通はそういう態度はとりませんね。

 しかし、もしも・・・、
 他人がいる前で、大きく顔を歪ませながら絞り出すようにどもりながらことばを発する場面を見せられれば、考え方も違ってくるとは思います。

 ・・・が、吃音者は、自分のどもりを極力隠そうとするのでなかなか理解を得られないのです。  
*多くの吃音者のどもりは「重症」ではなくて、何気ない日常会話では大きな問題もなく話していても、電話をかけるときや受けるとき、また、面と向かっての自己紹介などで自分の名前や社名を言おうとするときに、突然おおどもりになったり言葉がしばらく出てこなかったりするのです。(第三者からは軽く見えて、理解されない例です)

★学校で直面する問題
 新入学や進級の季節に、新しいクラスでは自己紹介をしますね。
新しい先生にも何回も名前を聞かれるかもしれません。
健康診断では名前を声に出して申告しなければならないかもしれません。

 当たり前にいえるはずの自分の名前が言えないことや言いにくいことは、どもりを持つ子供のこころを萎えさせるのには十分な出来事です。
*このことを理解できないどもりでない方は、仕事や日常生活において名前や所属する組織の名前を聞かれたときに、数秒の沈黙の後に、「えーと、えーと、えーと、えーと、すすすスズキです」と言ってみてください。

★職場で直面する問題
 社会人のどもりは自分の生活(生きていくこと)に直接影響します。
人はお金を稼いで生きているからです。

 職場で電話をとったりかけるときに、数秒の沈黙の後に・・・、
「な、な、な、なのはな、さ、さ、産業です」とやったらどうなるでしょうか?
 続いて話すはずの話の内容もしどろもどろで何が何だかわからなくなってきます。

 また、会話で比較的スムースに話せていたときに、相手が不意に名前を聞いてきて同じような状況になることもあります。
*顧客から「あの人はうまく話せないので担当を代えてほしい」と言われることもあります。これが現実です。

 このような状況で次第に仕事に支障が出てきて精神的に追い込まれていき、うつ病などのこころの病になり、結果的に会社を辞めることになることも多いのです。
*現実にはこのような症状でも、生きていくために頑張らざるを得ない人も少なからずいらっしゃるでしょう。(余計、深刻な事態になります。)

***************

 どもりの症状・重さ、それに伴う苦悩は、吃音者の成長とともに、また時間の経過とともに、置かれている社会的状況の変化などによっても大きく代わり得ます。
*季節や体調によっても大きく変わってくるという人もあります。

 小学生の頃は比較的おおらかな環境で過ごせて、どもりながらもそれなりに楽しく過ごせた(結果的に症状も安定してきたり軽くなってきた)としても、
中学に入り、いじめに遭った、ひどいからかいにあったことで深くこころが傷つき、症状はもちろんメンタル的に重いどもりになって不登校になってしまうということも十分にあり得ます。

 なんといっても、「学生から就職活動、そして就職」の頃がいちばん大きな節目になります。
(職種にもよりますが)仕事では話すべき時に話さなければいけないことを話すことをあたりまえに求められます。
自分がどもるという事実から逃げることができなくなります。
*私自身の経験としてこのブログに何度も書いています。

****************

 それでは、どのように自分のこころと体を守っていけば良いのでしょうか?
 これは、吃音者それぞれのどもりの重さや症状、また、生きている環境(精神的・経済的)によっても大きくその心構えや方法が違ってくるとは思います。

★世の中の公的・私的サポートを最大限利用することです。

 こころを守るため、こころの健康管理のためには、自分のことを何でも話せるホームドクター的な精神科医や臨床心理士が必要です。
(都道府県単位である、「精神保健センター」も役に立つと思います)

 家庭内で理解を得られないどころか、家族からどもるたびに怒られている、
 学校でいじめにあっていても先生が動いてくれない、
 職場で嫌がらせを受けたりする

 そのようなときには、市役所、ハローワーク、労働基準監督署、弁護士会、法テラス、保健所、児童相談所、警察署、いのちの電話などの公的・私的なサービスを最大限利用して自分を守りましょう。
 子供の場合には、学校の通級課程である、「ことばの教室」を利用することもできますね。

★自分で工夫・努力をして、こころの逃げ場、安心して自分の心のなかを出せる場所や時間を、いま生きているリアルな空間やサイバー空間(ネット)に作り出すことです。
 どもりのセルフヘルプグループに参加して安心して語り合える友達を作る。これだけでもこころは大きく救われます。また、いろいろな情報も入りやすくなるでしょう。

 自分でブログ等を作り(トラブルに巻き込まれないように匿名が良いですね)ネット上の友達を作る。
 このように、いろいろと工夫しながら、そして同じ悩みを共有する友を作り、孤独になることを防ぎつつ、少しずつでよいので頑張っていきましょう。

吃音研究は20世紀前半でストップか?(再掲載一部改編:2011年3月8日)

 アカデミー賞効果か? 一時的に「吃音」「言語治療士」というキーワードがネット上でも踊っていた時期があります。(2011年現在)
*2010年に英国王ジョージ6世のどもりをテーマにした映画「英国王のスピーチ」が公開されアカデミー賞をとりました。

 もしかしたら、「言語聴覚士」の志願者が若干増えるかもしれませんね。良いことです。
*そういえば2000年、キムタク主演の「Beautiful Life」 のあとに美容師の志願者がかなり増えたことを思い出しました。知り合いに美容学校の関係者がいたのでその方から聞いた話です。

 しかし、考えてみてください。映画の舞台は20世紀前半の1920年代~1930年代です。たとえば、その頃の医療関係の映画を見て参考になることがあるでしょうか?
 2003年に、唐沢寿明主演のテレビドラマ「白い巨塔」が放映されました。同じ頃に田宮次郎主演のテレビドラマ「白い巨塔」(1978年)が再放送されたことがありましたが、CTすら出てこないレントゲンだけの世界に「こんなだったんだ」と思ったものです。

 さて、どもりの場合ですが、状況は残念ながらほとんど変わっていません。

 映画のなかで、吃音者である国王(当時は王子)がクラシック音楽を大音量で鳴らしたヘッドフォンをかけた状態で本を読まされます。(シェークスピアでしたか)
「なんでこんなことをするんだ」と怒って帰ってから自宅で録音したディスクを聴いてみると、どもらず、すらすら読んでいる自分の声が聞こえてくる。そして、もう一度言治療士のところにもどるというシーンがありましたが、これは、注意転換法、マスキングノイズ、です。
*1930年代に出てきた技法らしいです。

 ネットでも簡単に検索できますが、20世紀の前半からアメリカの大学を中心としてどもりの専門的な研究がなされていました。
「大脳半球優位説」など、いろいろな学説がたてられました。
 自分の声を少し遅らせて自分の耳に戻してあげDAF(Delayed Auditory Feedback)(遅延聴覚フィードバック)、言葉を引きながら出す引き延ばし法、わざとどもるバウンズ法など、様々な治療法・技法が試みられましたが、いまに至るまで吃音の原因が特定できないので、治療法も確立していません。
*原因が特定できなくても帰納法的な薬やリハビリは可能でしょうが、これさえ飲めばという薬もないし、この訓練で治る・絶対良くなるというリハビリ方法もありません。

 21世紀に入ってから20年近くが過ぎたいまでさえ、残念ながら、医学部を擁する大学や研究所などによる大規模で本格的な研究は(ほとんど)行なわれていません。
*参考1、アメリカの「Brain Activity Map Project」
*参考2、吃音学者ヤイリ教授(イリノイ大学)の講演会を聞いて(2005年11月)
 
 いまの時点で「できること」と「できないこと」、「してよいこと」と「してはいけないこと」をきちんと分けて考えていくことが必要です。
そうしないと、この先もいままでと同じように混沌としたどもり対策になってしまいます。

★「どもりによる悩み」により、心の病気になったり、不登校や引きこもりにならないように、精神科医・臨床心理士、ソーシャルワーカーなど、専門家によるサポートを受けられるようにすること。
★(希望者には)言葉の流ちょう性を維持・向上させるための(十分に訓練された専門家による)言語的な訓練を受けられるようにすること。
★吃音者のセルフヘルプグループの充実
 などが必要です。

新入生や新社会人が、どもり(吃音者)を実感するとき

 新年度も4月が終わり5月に入りました。
 うまく新しい環境に適応できそうな人にとっては、明るい思いで迎えたゴールデンウィークでしょうが、うまくいかない人にとっては、逃げ込むように迎えたゴールデンウィークだと思います。
 そのゴールデンウィークもそろそろ終わりに近づき不安が増している頃だと思います。

(ある程度以上の重さの)どもりを持つ人にとっては、どもらない人には想像もできないくらい緊張してきたここ1ヶ月だったので、遊ぶどころかガックリときている方も多いと思います。
*私の場合、いちばんほっとしたのが、夏休み・冬休み・ゴールデンウィークなどの長期の休みが始まる「前の晩」でした。休みが始まると休み明けを(またどもりで苦しむのを想像して)のカウントダウンが始まっていました。

 新年度は、学生の場合、新しい先生(担任、教科の先生)、新しい友達との出会いがあります。
 自分のどもりが学年中に知れ渡っている場合はともかく、自分のことを知らない人に自分のどもりを知ってもらう(知られてしまう)機会になるのです。

 新年度は、自己紹介や健康診断など、自分の名前をはっきりと言わなければならないことが多い時期でもあります。
*学校や職場において「自分の名前をはっきりと言うこと」はごくあたりまえのことですが、そのあたりまえができないか、できにくいのがどもりです。このごろ、病院の検診などでは間違い防止のために、しつこいほどにフルネームで名前を言わされます。

★他の人のあたりまえが、自分には(充分に)できないということ
 朝起きて「おはよう」のことばから、行ってきます、学校や職場についてからの「おはようございます」が言えない、うまく言えない。

 学校で言えば、教科書をひとりで声を出して読んだり、意見を発表したりという、毎日のごくあたりまえのことでつまずきます。

 この繰り返しの毎日で、「また次も同じようになるのではないか」という恐怖心が増していき、実際に次もうまく言えずに(言えることもありますが、言えたり言えなかったりもこころを混乱させます)少しずつ、でも確実に心が追い込まれていきます。

 さらに、追い打ちをかけるように、友達や先生からのからかい(先生も結構あります)や陰湿ないじめもあるでしょう。
*面と向かってではなくて、SNSを通じてのいじめもあるでしょう。

社会人の場合は、
 あたりまえに行なう顧客への電話、営業マンの場合は新規顧客獲得のためのアポイントの電話、社内電話もかけることが多いでしょう。
 大勢の前での「プレゼン」をしなければならないこともあると思います。

 社内で、同僚や上司の前でかける電話がしどろもどろになってうまくできないか、全くできない。
 そのうちに営業の電話を社内でかけられなくなってきて、公園などでかけてみたりしますが、そこでも、なかなかうまくできない・・・、もうノイローゼです。

★自分を守る(まずは自分のこころを解放する)
 いま、あなたのそばに、「どもりのために大きな悩みを抱えていて追い詰められている」ということを話せる人がいますか?
 家族でも学校の先生でもよいので、話すことができれば(話せるような人ならば)良いのですが、
残念ながら、たいていの場合、思い切って話してもまともに聞いてくれないでしょう。

 そこで考えられるのが、どもりのセルフヘルプグループへ参加して友人をみつける方法と、臨床心理士、精神科医などこころの病気の専門家を利用する方法です。

 どもりを持つ人の集まりに参加しても、お互いを尊重し合えるような何でも話せる友人は、すぐには見つかるものではありませんので、こころが追い詰められている場合は、とりあえずこころの専門家にかかり必要に応じて安定剤なども処方してもらいながら、少し落ち着いたところでセルフヘルプグループに参加する方が良いと思います。
*吃音者のセルフヘルプグループといっても様々な人の集まりですから、参加することによりかえってこころが傷つくような体験をすることもあります。

参考
★吃音者が抱える厳しい現実のなかで、どもりについてフランクに話し合える場を持つこと
★吃音仲間でできること、お互いに信頼できる吃音者が集まってできること

 

吃音:新学期を迎えた子供は(たびたび再掲載一部改編:初掲載は2012年4月9日)

 私は、いまごろの時期(3月から4月、特に桜の咲く時期)には良い思い出がありません。
★先生も替わるしクラスメイトも変わるので、また自己紹介をしなければいけない。
★新年度の学校での健康診断では自分の名前を言わなければいけない。
(出席番号1番でクラスで最初に名前を聞かれる!)
★授業中にどもってしまい、新しい先生に「君どもりだね」という顔をされる。私のことを知らない新しいクラスメイトからは笑われる。
★高校受験では自分の名前がなかなか言えないような面接がイヤなので、面接のない公立高校一本で受験した。
★そして、大卒後の就職失敗とひきこもり

 いまの、小学生から高校生くらい、大学や専門学校で就職前後のどもりを持った皆さんはどうなのでしょうか?

★どもりで悩んで学業などに影響が出たり、悩んだ末に不登校や引きこもり、うつ病などのこころの病気にならないように、気軽に相談できるカウンセラーや臨床心理士、精神科医などが身近にいますか?
 学校でことばの教室に通っているいる場合、きちんとしたサポートを受けられていますか?
*先進国の日本ですが、どもりに対する公的サポートが驚くほど貧弱で、高校以降は事実上ありません。

★自分のどもりの悩みを包み隠さず話せる親友も(ひとりでよいので)必要です。
*(言友会「げんゆうかい」に代表される)どもりのセルフヘルプグループなどにも参加して、どもりという同じ障害を持つ同じ世代の友をぜひ見つけてください。