吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る):初掲載は2012年5月5日、お互いに信頼できる吃音者が集まってできること:初掲載は2012年5月13日、(どちらもたびたび再掲載一部改編)

吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る)
 今回は、しばらく書いていなかったどもりに対する直接的な働きかけについて書いてみます。
 テーマとしては・・・、
★「自分がどもること」を、あらためて、心と体でしっかりと受け止めること
★「信頼できるどもり仲間」の間で、安心してどもれる経験を積んで自己肯定感を高めていくこと
★必要に応じてことばの流ちょう性を高める訓練をする、同時にその限界も知る。(どもりの重さや症状によっては、いたずらに流ちょう性を求めないなど、個人差に十分に配慮する)
★いろいろな重さ・症状、環境にある吃音者と語り合い、どもりに対する偏った考え方をなくしていく。
★どもりについての情報を広く社会に発信し、吃音者の本当のこと、本当の苦しみを知ってもらう。同時にネットでの活動の限界も知る。

 これらの動きはサークル的な活動になりますので、運営の仕方が悪いと個人攻撃となってしまうことがあります。十分な注意が必要です。
*「どもりを持っている」と言っても、重さ・症状・バックグラウンドなど実に様々です。この「違い」を十分に考えた上での運営が必要です。

●「ほとんど困らないくらいのごく軽いどもりの方」から、「就学・就職などの節目でも大きな影響が出ないくらいの比較的軽い方」、「日常生活や学校生活、仕事に支障が出る方」、そして「どもることにより引きこもりになったり、うつ病などの心の病気になっているなどのきわめて深刻な方」まで実に様々です。

●また、吃音者が生きている環境も様々です。
どもりに対する家族の理解があるかどうか?、職場や学校でも、どもっている自分のことを受け入れてもらっているか?

活動の具体的な注意点
♥少人数で目的を合わせるとうまくいきやすい。
 最初から本格的な活動を望まないで、やりやすいとことから。
 同じくらいの年齢で、例えば就職、再就職を控えているのになかなか第一歩が踏み出せないというような、同じような境遇にいる人たちで集まるグループ活動がやりやすいでしょう。
 仲間をみつけるには、まずはセルフヘルプグループに参加してみて、そのなかで気の合う仲間をみつけるところからはじめればよいと思います。
 地域の公民館の会議室は低価格で借りられますので活動の拠点にできます。
 携帯やスマホで簡単に連絡を取り合えますので、日程や会場の変更にも柔軟に対応できます。

♥皆が苦手な電話の練習は、お互いの携帯にかけるところからはじめて、次第に家族が出ることもあるお互いの家の電話にかけるようにしていきます。相手がいないときは、104の電話番号調べや企業などのお問い合わせ電話にかけるのも良いでしょう。

♥街なかで、買い物で
 仲間で、あらかじめテーマを設定してから街なかに出て、歩いている人に道を聞く、デパートやスーパーで店員にいろいろと質問をするなど、日常や仕事のなかで話す環境に近い経験をする。
 その際の注意は、「どもらないようにする」というよりも、上手にどもりながらでも結果的に相手(いろいろな反応が出ます)とコミュニケーションをとれることを体験することにより少しずつ自信をつけていく。
 活動が終わってからは、お互いの違いを認めながらざっくばらんに話し合う。

♥サークル感覚で運営し深刻にならないように、
 グループにはバランス感覚に優れた統率力のあるリーダーを置き、個人攻撃的にならないように、「ボス的な人」が出てこないように充分に注意しながら楽しく行う

♥サークルのホームページ、ブログなどを作り情報を発信していく。同時に新しい仲間を集めることもできます。

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お互いに信頼できる吃音者が集まってできること

 前回の書き込み「吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る)」では、気の合うどもり仲間でできることを書きました。

 いまの日本において、どもりで悩んでいる人がその悩みをすべて打ち明けることができ、また共感を持って持って聞いてもらえる人がいるところ。必要に応じて言葉の流ちょう性を確保するために練習したり、または、いたずらに治そうとしないでうまく共存しようとする、などの、試行錯誤ができる環境はセルフグループしかありません。
 しかし、セルフグループも人の集まりですから、場合によっては人間関係で苦しむことがあるかもしれません。

 既存のセルフヘルプグループに入ってみて自分には合わないと感じたら、我慢などする必要なありません。
余計な苦労をしないように、生きるうえで大切にしたい価値観を共有できる仲間をみつけて自分達なりのセルフヘルプグループを作って活動してください。
*いまではスマホや携帯で互いの連絡が自由に取れるようになったので、既存のどもりセルフヘルプグループにこだわらずに、気の合うどもり仲間を集めて自分達なりの活動ができます。

 さて、私がかつて行っていた方法で書き忘れたものがあります。サイコドラマ(心理劇)です。
 サイコドラマというといかにもぎょうぎょうしくて専門的知識が必要に思えるかもしれませんが簡単です。

 例えば、授業中に指名されて本を読まされるとボロボロになってしまうという、ある程度以上の重さの吃音者にはあたりまえのようにある悩み(私もそうでした)
 そのような場合は、安価で借りられる地域の公民館の会議室を借りてサイコドラマをしてみましょう。

 学校ですから教室のように机といすを並べ替えます。
 先生役の人、同級生役の人、そして困っている本人が「教室」に座り先生役の人から指名されて応えたり、本を読まされたりします。

 大きくどもったり、最初の言葉が出てこないで行き詰まった場合には進行を止めて皆で話し合います、「私の場合はこうしたらよかった」、「こう考えていけば楽になるのでは」などと自由に楽しく話し合うのです。

 注意することは、人格円満で公平公正、リーダーシップをとれる人がリーダーとなり、大きな流れをコントロールすることです。
★個人攻撃にならないように、いろいろな重さ・症状があるこに充分に注意する。
★誰かが一方的なな意見を押しつけることがないように。
★グループ内でボスを作らない。グループ内で先輩も後輩もない、みんな同じ。

 公民館の会議室が教室にもオフィスにも化けるわけです。
 終わってからは楽しく打ち上げしながら話し合えば良いと思います。
*やはり、ネット上のバーチャルな集まりばかりではなくて、実際に顔をつきあわせて語り合うことです。互いが十分に分かってきたところで携帯やスマホで連絡を取り合ったり、仲間でグループのWebページなどを作って情報を発信していけば良いのではないでしょうか。

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吃音者が抱える厳しい現実のなかで、どもりについてフランクに話し合える場を持つこと(再掲載一部改編:初掲載は2017年10月17日)

 吃音者が生きるどもりを抱えながらの毎日は(たとえ傍から見てごく軽いどもりに見える場合でも)どもりでない人にはとうてい理解できないような「こころの重圧」を抱えている場合が多いのです。
 さらに、どもりに起因する生活上の問題(家庭内・学校・職場でのコミュニケーションがうまくできないことにより起こるいろいろな不都合)が大きい場合には、生きていく力を失わせるほどの(自殺を考えてしまうような)インパクトを持つ場合があります。(私がそうでした。)

★家庭のなかで、日常的に、言いたいことばが出てこないでことばにするのをやめてしまう。(子供の頃からこの状態が続くとかなりのストレスとなる)

★家庭のなかでかかってきた電話に出ることができない。(家族の前でどもるところを見せたくない)
電話をとっても最初のことば(自分の名字)がなかなか出てこないか、出てきてもどもり特有の繰り返しになる(すすすずきでです)。受けること以上に、自分から電話を(特に家族の前で)かけることができない。

★買い物の際店員さんに自分の名前を言えないので予約を伴うような買い物ができない(レストラン・美容院・マッサージなどの電話予約なども)

★学校や職場での自己紹介の際に、最初に言うべき自分の名前が言えないか、なかなか出てこないで笑われたり、いじめられたり、仕事(職場)の場合は、顧客から上司にクレームが入り担当の変更を要請される。

★学校で先生に指名されても(答えはわかっていても)ことばが出ないので「わかりません」といってしまうか(それすら出ないことも)、テキストの朗読で指名されてもことばが出てこないかしどろもどろになってしまう。(当然、笑われる、クラスメイトや先生からの陰湿ないじめにもつながってくる)

★職場では、かかってきた電話に出ても冒頭に言うべき自社の社名が言えない。当然仕事にも影響が出る。このような状態が続くとさらに追い込まれて職場に居づらくなりやめてしまう。
自分からかける電話が特にどもってしまうので、社内では顧客に対するアポイントなどの電話ができなくなり、外出後に公園のベンチなどでかけるようになる(それでもどもってしどろもどろになってしまう)

★自己紹介はもちろん電話もうまくできないので、就職活動がまともにできない(なかなか踏み切れない)

★能力的には充分あるのだが、どもりのために不本意ながら、しゃべらないで良いか、話すことが最小限で通用する職種に就いた(やっとつけた)。
*小学生は小学生なりの、失業中・求職中の人、社会人(仕事に就いている人)も、その人なり(どもりの重さ・症状の違い、家庭の経済的な環境、家族の理解度の違い)の問題を抱えます。

 一方、吃音者のそばにいる家族、友人、学校の同級生や職場の同僚は、吃音者本人がそれほど苦しい想いを持ちながらギリギリの状態で生きていることが理解できません。(想像すらできません)
 どもることを原因として、しだいに学校や職場を休みがちになる。ついには引きこもりになる。
 学校を卒業しても(なかなか)就職できない、入った会社を辞めてしまってもなかなか転職できない(しない)ことに対して、そばにいる人はついつい厳しいことばをかけてしまうことがあります。
 それが結果として吃音者のこころをさらに追い詰めてしまいます。

 このようななかで、吃音者はどのようにすれば良いのでしょうか?
*どもりはその原因が医学的にわかっていませんので(この先も当分はわからないでしょう)確実な治療法やリハビリテーション方法はありません。(長い間、民間の無資格どもり矯正所「のようなもの」が続いてきたのです。)

 ★「どもりによる様々な生きづらさ」を語り合える環境(友人・グループ・時間)を持つ。
*必要に応じて、それぞれの人生の状況に応じた必要とされることばのスキルを持つため、比較的良い状態をなんとか維持するために、仲間同志で工夫して言語訓練やメンタルトレーニングをする。

 吃音者はどもりのことについてフランクに話し合える友人を持つことが(なかなか)できません。

 なぜならば、自分のどもりについて家族にすら話せないか(ほとんどはそうです)、話したが相手にされなかったり、わかってもらえないという経験を子供の頃から繰り返しているからです。
*学校の同級生に吃音者がいない場合は、どもりを持つ友達を探すことすらできません。
*私も大卒後に、就職できずに引きこもった後に通った民間のどもり矯正所ではじめて、どもりについてまともに話し合える友を得ました。

 なかなかどもりという問題を共有できる友人を得ることができない。
 そこで、考えられるのが・・・、
どもりのセルフヘルプグループに参加して、どもりについて遠慮なく話し合える友人を見つけることです。
*そのセルフヘルプグループになかなか参加できない(決心できない)のが吃音者の気持ちでもあります。

 セルフヘルプグループに参加するようになったら、どもりを持ついろいろな立場の人(年齢の違い、男女の違い、家庭環境の違いなど)の意見をよく聞きましょう。

 その後、セルフヘルプグループの中で、「話しができる人」、「自分の考えに近い人」、「攻撃的でない人(不用意にことばで人を傷つけない)」を探し出し、その人と友人になれば良いと思います。
 仲間同志でいろいろと活動もできると思います。

「吃音にこだわる」と「吃音で困る」の違いは (再掲載一部改編:初掲載は2011年10月22日)

 吃音者(どもり持ち)が生きていく上で・・・、
 どもりに「こだわる」ことをやめて、毎日の生活、つまり「生きていくこと」を優先させていこうという考え方があります。
*どもりの重さの違いや環境(特に子供のときの家庭環境・学校環境・職場環境)の違いによって、こだわり方、こだわる度合いも大きく変わってくるでしょう。

 一方、どもりで悩んでいる人(私もそのひとりですが)と深く話し込んでいくと、どもりに「こだわっている」のではなくて、もっと単純な話しで「どもることで困っている」「生きていくうえでどもることが障害となっている」ということがよく分かります。

 おとなの場合で言えば、
★どもることで仕事に大きな支障が出て困っている。
 顧客とのコミュニケーションに問題が出て自分の仕事やチームとしての仕事に問題が出る。迷惑をかけていて、このままでは職場に居づらいと感じているし、同僚には陰口をたたかれる。
また、上司からも注意される、取引先からも担当の交代を要求される。

★どもるために就職・転職できないで困っている。
どもることにより希望の職種や企業に採用されないこと、どもることで仕事探しがうまくいかずに働こうという意欲がそがれていく。
*他の能力は十分にあるのに、どもりのために希望する職種に就職できないということも含む

★日常生活や親戚付き合いにおけるコミュニケーションに支障が出てこまっている

ということです。

 子供でいえば、
★授業中や休み時間に大きくどもったり分かっていることが言えずに困っている。劣等感にうちひしがれている。

★どもることを笑われたりからかわれたりすることにより恥ずかしい思いをし、劣等感の塊になっている。(クラスメートや先生から陰湿ないじめを受けていることを含む)

★死にたいと思うほど深刻に悩んでいるのに、家族はその想いを受け止めてくれずに困っている。

 つまり、哲学ではなくて生活(生きていくこと)に根ざした問題なのです。
 子供でいえば将来(進路)のことで大きな不安を感じて困っているということ。
大人でいえば、人と関わって、話して、働いてお金を稼いで生きていくのに困る、という問題なのです。

★どもりが軽くなるか治る(そうするために自分でいろいろと努力する)
★ことばで勝負しない仕事に変える
★いじめられている学校から転校する
 などにより、どもることにより困る割合が減るか、減らしていけば、結果的にどもりにこだわる割合も減っていくでしょう。哲学ではなくて身体感覚なのです。
*現実的には、転校先の学校でまたいじめられる、転職先の職場でも同じような苦労をすることもあり得ます。

 それを実現するのにはふた通りあるのではないかと思います。

★ひとつめは、自分の生活環境、仕事環境、生活圏を変えることです。
 都会で追い詰められているのならばUターンやIターンで都会から離れることです。たとえ、収入が大きく減っても、地方でゆったりと過ごすことにより自分が取り戻せるかも知れません。
 また、現在地を離れない場合でも、生活レベルを下げてもよいという覚悟ができれば、ことばの面で必要以上に無理をしない職業に変わるということで困る度合いを減らせます。
 仕事も多様化しています。NPO、NGOなどの利潤追求を第一としないところで働く。農業法人のようなところで働き、ことばで仕事をする度合いを(企業のデスクワークや営業などと比べて)下げてみる。

★もう一つは、自分を、いま生きている環境やこれから生きたい環境に自分を適応させるべく努力することです。
 それには、心理カウンセリング(本人、家族)やリハビリテ-ション(言語訓練)を行なうことにより、どもりを少しでも軽くすることがあります。
 また、仕事に支障が出ないように、どもりの度合いを低いレベルで維持するように努力することも含まれます。
*現実にはどもり(特に思春期以降)に精通した言語聴覚士などは極めて少ないし、その人に出会える方法がないので自分で工夫する必要があります。
例えば「どもりのセルフヘルプグループなどで知り合った気の合う仲間で集まり公民館などの部屋を借りて、どもりそうな場面を再現し、問題点や対策を話しあい考えるサイコドラマと学習会を行なう」のも効果的だと思います。

 自分なりに努力しても、どうしても仕事に支障が出てしまい精神的に耐えられないならば、自分の心と体を守るために、計画的に転職・転業していくことも含まれます。

 しかし、これらがなかなかうまくいかないから、いまに至るまで、ある程度以上の重さの吃音を持つ人は困っているのです。
*背景には、どもりの原因が医学的にわかっていないので確実な治療法がない、効果的なリハビリテーションができない、社会的にどもりの苦しさが認知されていないのでしっかりとした社会的な対策がなされない、ということがあります。

 今回書いてきたことも、「重さや症状の違い」や「生きてきた生きている環境の違い」によって大きく変わってきてしまいます。
 どもりの問題は、ケース毎にすべて違うものだと考える必要があります。
*違うからこそ、吃音者どうしで違いを意識しつつ協同してできることがあるのではないか、と思います。

吃音:自虐的にならないで!よい方向を目指して少しずつ生きていきましょう(再掲載一部改編:2014年3月26日)

 子供の頃からどもりによる様々な苦労を重ねていると、どもること自体を自分の努力不足の結果のように考えがちになり自虐的になってしまいます。
*背景には、親を含む周囲からのそう思わせてしまうようなことば(悪意はないにしても)があると思います。

 親を含むいろいろな人から、「気にしすぎ」とか「もっと苦労している人はいる」のようなことを言われ続けると・・・、
「自分が悪い」「自分の努力不足」のように思うことが日常になりますが、そのような生き方をしていると、どもりの症状そのものにもよい影響があるはずがありません。

 サポートする人の側にも、「自分の考え方を変えれば良い」というような言い方をする人もいますが、まず考えるべきは、どもりは自分のせいではない「言語障害」ということです。
 どもりは一部の生活習慣病のように自分の不注意や不摂生からなったものではありません。
 過剰な被害者意識はよくありませんが、「自分が甘いから乗り越えられない」ような自虐的な考え方はよしましょう。

 それには、「どもりでいま困っているという事実」や、「人生においてどもらない人と比べて明らかに不利なことが多いということ」を自分のこころのなかで素直に思い・感じて、せめて信頼できる人のなかでは思いっきり「こぼせる・愚痴れる」ような環境を努力して作りましょう。
*家族にそれを求めるのは、ほとんどの場合は、無理です。
*ホームドクター的な精神科医や臨床心理士を努力して見つけて定期的に相談するとよいと思います。

 そのうえで、自分(たち)でできることをひとつずつ行っていくことです。
 どもりに熱心に取り組んでいる言語聴覚士に(幸運にも)出会えればその人の力を借りても良いでしょうし、
 また、信頼できるどもり仲間を作り、その仲間と小さなセルフヘルプグループを作り自分たちなりの目標を作って活動するとよいと思います。

 自分なりの努力をしていくなかで、それでも、「どもりがなかなか治らない」、「軽くならない」、「学校や仕事において明らかな問題点が出てくる」という現実に向かい合ったときに、自虐的でない、良い意味でのどもることに対する自分なりの考え方が少しずつ固まってくるかもしれません。
 その際には、ひとりで良いので、どもりのことをすべて話せる親友が必要です。

吃音(ある程度より重い)で、授業中にふるえている少年少女や、就職を控え不安でいっぱいの人の心をなえさせないために(たびたび再掲載一部改編:初掲載は2010年7月13日)

 日本人は、(自分もそうですが)、今でもなお、がんばることが好きです。努力家です。
 今の時期(時代)に書くと否定的に聞こえるかもしれませんが、人生においてがんばることは大切で、昨日の自分よりも今日の自分は少しでも前に進もうという気持ちがないと、多くの場合人生が停滞してしまうでしょう。
*例外が福祉の領域だと思います。心や体に重い障害を持っている人に、障害を持っている部分で必要以上に「がんばることを求める」ことはもってのほかです。その人なりの得意分野で無理のないように徐々に社会参加ができるようにサポートすることが、国や自治体、そして近くにいる人たちの使命ではないでしょうか。

 さて、いつも書いているように、どもりには重いどもりと軽いどもりがあります。そして、その症状も実に様々です。

 比較的軽いどもりの場合には、(そして、吃音者と家族やサポートする側とで信頼関係がある場合は)、場合によってはあえて叱咤激励することにより「最初の一歩」を踏み出せるように手伝うことも考えられますが、重いどもりの場合には、叱咤激励が全く逆に作用することになるかもしれません。

 耐え難いようなどもりの悩みをを抱えながらも、こころの面、言語面において満足するサポートが得られないことが多い(高校生以降は事実上なし)日本においては、孤立無援の状態で、無理をしてでも学校に通ったり就職活動したり、働いたりせざるを得ないのが現状です。
*本当にしんどい場合には無理をしようとしても足が向かなくなりますが、そこまで我慢したらたいていはうつ病などの心の病気になってしまいます。
心の病気になると多くの時間を病気との闘いのためにとられてしまいますし、回復にはかなりの時間がかかります。

 TVのニュースなどでは、毎日のように家族や会社内の人間関係からの凄惨な殺人などが報道されます。
 以前だったら破壊的な結果になる前にご近所や親戚など近くの人が助けてくれたりなどの最低限の「安全装置」がありましたが、いまは、世の中のいろいろな場面で「いきなりに限度を超えてしまって破滅的な結果に終わる場合」が多いようです。

 どもりについても、以前(1970年代くらいまで)の日本では、学校を出てもどもりでなかなか就職ができなかったら、ご近所や親戚の紹介で就職することもできたでしょうし、都市近郊でも、いわゆる会社員のほかにも農業に従事したり家業を継ぐなどの方法もあり、それで生きていくことができました。
 しかし、今ではそういう選択肢もなくなってきました。
 たとえ、あったとしても「ジリ貧」になってしまいます。食べていけないのです。

 また、家族や友人間のコミュニケーションの量が減り質も落ちているので、どもりで本当に困っている人の苦しみや孤独感がまわりに伝わらないことが多く、精神的に追い詰められている吃音者が多いのではないかと思います。
*スマホなどでの見かけ上のコミュニケーションの量は飛躍的に増えているでしょうが、たわいのないやりとりばかりで、「人にはなかなか言えないようなことをざっくばらんに話せるというレベルのコミュニケーションや人間関係」が減っているのです。

 いまこのときにも「自殺」することばかり考えているような、深刻に悩んでいる吃音者がどれくらいいるでしょうか?
 サポートする側は、「悩んでいる人ほど孤独になる」ということを考えた上で動かなくてはいけません。

 ではどうすればよいでしょうか?
 吃音者がどもりのために自暴自棄になってしまうまえに、まわりの人ができることは・・・、
★身近にいるどもりを持っている人が(たとえ軽く聞こえるどもりでも)、「もしかしたら、思い詰めていて自殺を考えるほど悩んでいるかもしれない」と考えてみること。
★進学、就職などの人生の節目においては特に、どもりを持っている人は100%悩んでいるという前提のもとに動くこと。

 まわりにいる人ができることは、「まずは、ひたすら吃音者の言葉を傾聴することにより信頼関係を築くこと」「そして共感すること」
「(信頼関係を築いた上で)、どうすれば良いかを一緒に考えること」です。

*どもりを原因としたうつ病経験者でもある私としては、うつにも同じような考え方ができるのではないかと思います。日本のうつ病に対する体制、短い診療時間と安易な薬の投与ではなかなか治らない。バブル崩壊以降、国民病といわれているうつ病に対する日本の取り組みの問題点がTV、新聞、雑誌等でたびたび取り上げられているにもかかわらず、一向に改善される気配すらないのには怒りすら覚えます。

吃音で困っている人の現実を知ること(再掲載一部改編:初掲載は2012年2月22日)

 このブログではいつものように書いていますが、どもりの原因は未だにわかっていません。
 21世紀初頭の人類の科学のレベルでは、「脳科学」などといっても幼稚なものです。
脳の手術や投薬によって、またリハビリテーションによって確実にどもりを治すことは「夢物語」です。
*うつ病も「薬で治る時代になりました」などという宣伝も見かけますが、一部の軽いものを除いては、現実は全く違います。社会的な背景がある心の病気なので、うつ病を経験し仕事を休職した方や退職した方。身近に患者がいる方ならば身にしみておわかりのことと思います。時間をかけた丁寧な心理カウンセリング、家族の協力、職場の理解と会社の経済的余裕(休職者を抱えていける、その後もとの地位に復帰できる)などがあって、また場合によっては転職・転業をするなどの決断と家族のバックアップがあってはじめて良い方向に進んでいくものです。

 いま、学齢期以前に自然治癒せずにそれ以降にどもりを持ち越して、日常生活や学校生活、仕事に支障があるような重さや症状のかたで、その後、少しでも「どもりが良くなった」という方々は、(自分も含めてですが)、まさに自分で工夫したの対症療法の結果です。
 それも、我流や、昔から民間の無資格矯正所で流布されてきたような民間療法を自分なりに、また、どもりの仲間同志でアレンジして、さらには実生活で多くの苦労を積みながら、「結果的に軽くなった」という方々です。
*といっても、いつまた再発するか悪化するか、それがわからないのがどもりの特徴です。進級や進学・転校、社会人の場合は転勤や転職等の変化によって、軽くなっていたどもりが吹き返し、いまの仕事ができないくらいに悪化することもあたりまえのようにあります。

 つまり、医学的にどのような理由で軽くなったかということがわからないので、いつまでたってもそれらは亜流としか存在できず、また、専門家といわれている人の知識や治療の実力が、(どもりを身をもって体験している吃音者のどもりに関しての知識を凌駕できないために)、知識欲旺盛な吃音者から見透かされる場合すらあります。

★専門家といわれる人が(特に思春期以降のどもりは)治せないというか、扱えない(扱わない)現実、
★どもりは個人ごとに症状も、そのバックボーンも大きく違うという現実
★吃音者もそれぞれ求めるものが違う、という現実
 などを考えるときに、専門家を含む第三者ができることは・すべきことは、まずは、吃音者が「いまをできるだけ生きやすくなるお手伝いをする」ことではないでしょうか?

★学校や職場で、どもりを原因として陰湿ないじめを同級生や先生、同僚、上司から受けていないか?
★吃音を持った子供が家庭内で家族からネグレクトや言葉によるいじめを受けていないか?、
★学校を出てもどもりのために就職できず引きこもっていないか?

 このような、どもりであるがための不都合にひとつケース毎に丁寧に対処していくこと。
 また、場合よっては、少しでもなめらかに言葉が出てくるような言語訓練を個人ごとに工夫しながらおこなうこと。
 かなり重いどもりの場合は、いたずらに言葉の流ちょう性を求めるのではなくて、まずは環境を整えて少しでも生きやすくして安心感を持ってもらえるようにすること。

 いま現実に困っている吃音者のまわりにいる人は、中途半端な理屈や精神論を吃音者に語らないで、現実に起きている問題をひとつひとつ解決するためのお手伝いをすることからはじめる必要があります。

普通に生きるのがつらい吃音者の苦悩(再掲載:初掲載は2007年9月28日)

 どもる人には、日々の普通の生活のなかで、ことばを使う上でのさまざまな耐えがたい不都合があります。
 だからこそ辛い「障害」だし、人によっては毎日の人生そのものがつらい(生きるのがつらい)のです。
*いつも書いているようにどもりには軽いどもりと重いどもりがあり、この違いには天と地の開きがあります。また、第三者から見て軽く見えるどもりが本人にとっても「軽いどもり」であるとは限らず、生きている環境によっては自殺をも意識するほど追い込まれている場合すらあります。

 努力した末に就職し活躍している比較的軽いどもりの人が、どもりの人が集まる会合などで自分の経験を話すときには、たいていは自分のどもりは実際よりは重く語られます。
「いかに『重いどもり』を乗り越えていまに至ったか」を語りたくなるのは人間らしいと言えばそれまでですが、いま悩んでいる人にとってはそれは自慢話としか感じられないこともあり、苦痛にすらなることもあるでしょう。

 さて、どもらない人は、私的・仕事上の電話をすることなど、言葉によるコミュニケーションを当たり前のように繰り返しながら毎日を過ごしています。

 営業マンであれば、他社を訪問するときには入口で受付嬢に、または、入り口に置いてある受け付け用の電話で、
ドアを開ければ即事務所のような中小企業の場合は、入るなり元気よく大声で、
自分の社名と名前を告げて取り次いでもらいます。

 また、売り上げをなんとか増やそうとして、競合他社の製品を使っている現在取引のない会社に入り込んでいくために、歓迎してくれない相手に対しても無理をしてでも電話等でアポイントを取って新規開拓をしていく必要があります。
*あたりまえですが、お得意先のみをまわるルートセールスで食べていける時代ではありません。また「飛び込み営業」などというのは、ある程度以上の企業に対してはもはや昔話です。たいていは入り口でカットされます。

 吃音者は、どもらない人が日常的に行っているこのような行為が、できないか、できにくいのです。(日常がたいへんな苦痛になり得ます)
 「言葉」というコミュニケーションの手段をうまく使えずに、人生につまずいてしまうのです。
どもらない人にとっては何気なくやっている(話すという)行為が、(ある程度以上の重いどもり)にとっては地獄のような苦しみなのです。

 どもりを理解しようとする関わろうとする家族や治療者にとっては、どもりの人のこんな想いをどこまで理解できるかが、適切な対処ができるかの分水嶺になるかもしれません。

黙る(黙ってしまう)吃音者

 (ある程度以上の重さの)どもりをもっている人は、小学校に入る頃から(場合によっては幼稚園の頃から)、どもることにより、ことばでは表現できないような生きづらさを毎日のように経験し、いろいろな想いを積み重ねます。

 子供の頃からこのような生活が続きますが、その苦しみや悩みは親を含めても誰かに理解されることは、残念ながら、ほとんどありません。

 しだいに、誰かに苦しみを訴える(ようとする)ことはあきらめて、自分の心の中だけにしまって生きていくようになってしまいがちです。

 学校生活では、
 授業中の発表、指名されての教科書の音読、友達との会話、いろいろな委員会活動などでの発言と、人の前で話すことに事欠きません。

 吃音者は、自分の名前が言えない(なかなか出てこない)、最初のことばが出てこない、どもり特有の話し方(わわわたししは・・・)になるので、結果として学校での生活のすべてに問題が出てきてしまいます。

 当然、からかい、さらには陰湿ないじめの対象になることも多く、先生からでさえもどもりの真似をされてからかわれたりすることもあります。(私がそうでした)

 そのような毎日を過ごしていると精神的に追い込まれてしまいます。
話すことがこわくなり、場合によっては毎日が地獄のように感じられます。
 しだいに学校に行くのがいやになって引きこもりの原因となります。
 どもりでない方には想像もできないでしょうが、自殺を考えることもまれではありません。
 *「ある程度以上の重さのどもり」とは、第三者が聴いてもどもりとわかる人だけではなくて、傍から見てよくわからなくても、本人として悩んで生活に支障が出ていたり、家族などの理解得られないことにより精神的に追い込まれている場合も含みます。

 一方、社会人は、
 そもそも、社会人になる前には就職活動が必要ですが、その際にも大きなマイナス要因になります。
 自分の名前が言えない(なかなか出てこない)、どもり特有の繰り返しになったり、ことばがなかなか出てこずに顔を歪ませて発音するようでは、現実には面接での大きななマイナス要因になります。
*職業といっても、ほんとうは、デスクワークをする会社員・公務員だけではありません。農・林・水産業、医療・福祉、いまではNPO、NGOなど多様な選択肢があるはずです。しかし、就職というといわゆる会社員をイメージしてしまいがちです。
*どもりを持っていてなかなか就職が決まらず、誰かのコネで事務系や営業系の会社に就職したような場合は、入ってから大いに苦しむ場合が多いのです。

当事者にしかわからないどもりを持ちながら生きることの苦しさ(再掲載一部改編:初掲載は2015年4月5日)

 日常生活・学校生活・仕事(職場)でのコミュニケーションに支障が出るようなどもりを持っているか、
 または、第三者から見た程度は軽くても自分として人生に大きな影響が出ている場合は、
どちらも大きな苦悩を背負っての人生となります。

 多くの場合は、どもりという問題に直面している当事者でしかわからない苦悩であり、周りの人に説明することがきわめて難しい(理解や共感を得られるのが困難な)ことでもあります。
*いちばんの理解者になるはずの吃音者でさえ、他の吃音者の気持ちを理解できないか、との吃音者からかけられる言葉や仕草で、かえってこころを傷つけられてしまうこともあるものです。

★家庭で直面する問題
 これは親兄弟や祖父母の、「どもりに対する無理解・無視」、「どもることを非難すること」などの問題です。
 多くの場合は「悪意から」というよりも、
「どもりの苦しみがわからない」、「深刻な障害とは思っていない」、「それほど悩んでいるとは思っていない」ことで、結果として無関心となることが多いと思います。
 たとえ本人がどもりの苦しさを訴えたとしても、それを「甘え」としかとらえることができずに、非難してしまうかもしれません。
*けがでリハビリを受けていて足を引きずっている家族に対しては、普通はそういう態度はとりませんね。

 しかし、もしも・・・、
 他人がいる前で、大きく顔を歪ませながら絞り出すようにどもりながらことばを発する場面を見せられれば、考え方も違ってくるとは思います。

 ・・・が、吃音者は、自分のどもりを極力隠そうとするのでなかなか理解を得られないのです。  
*多くの吃音者のどもりは「重症」ではなくて、何気ない日常会話では大きな問題もなく話していても、電話をかけるときや受けるとき、また、面と向かっての自己紹介などで自分の名前や社名を言おうとするときに、突然おおどもりになったり言葉がしばらく出てこなかったりするのです。(第三者からは軽く見えて、理解されない例です)

★学校で直面する問題
 新入学や進級の季節に、新しいクラスでは自己紹介をしますね。
新しい先生にも何回も名前を聞かれるかもしれません。
健康診断では名前を声に出して申告しなければならないかもしれません。

 当たり前にいえるはずの自分の名前が言えないことや言いにくいことは、どもりを持つ子供のこころを萎えさせるのには十分な出来事です。
*このことを理解できないどもりでない方は、仕事や日常生活において名前や所属する組織の名前を聞かれたときに、数秒の沈黙の後に、「えーと、えーと、えーと、えーと、すすすスズキです」と言ってみてください。

★職場で直面する問題
 社会人のどもりは自分の生活(生きていくこと)に直接影響します。
人はお金を稼いで生きているからです。

 職場で電話をとったりかけるときに、数秒の沈黙の後に・・・、
「な、な、な、なのはな、さ、さ、産業です」とやったらどうなるでしょうか?
 続いて話すはずの話の内容もしどろもどろで何が何だかわからなくなってきます。

 また、会話で比較的スムースに話せていたときに、相手が不意に名前を聞いてきて同じような状況になることもあります。
*顧客から「あの人はうまく話せないので担当を代えてほしい」と言われることもあります。これが現実です。

 このような状況で次第に仕事に支障が出てきて精神的に追い込まれていき、うつ病などのこころの病になり、結果的に会社を辞めることになることも多いのです。
*現実にはこのような症状でも、生きていくために頑張らざるを得ない人も少なからずいらっしゃるでしょう。(余計、深刻な事態になります。)

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 どもりの症状・重さ、それに伴う苦悩は、吃音者の成長とともに、また時間の経過とともに、置かれている社会的状況の変化などによっても大きく代わり得ます。
*季節や体調によっても大きく変わってくるという人もあります。

 小学生の頃は比較的おおらかな環境で過ごせて、どもりながらもそれなりに楽しく過ごせた(結果的に症状も安定してきたり軽くなってきた)としても、
中学に入り、いじめに遭った、ひどいからかいにあったことで深くこころが傷つき、症状はもちろんメンタル的に重いどもりになって不登校になってしまうということも十分にあり得ます。

 なんといっても、「学生から就職活動、そして就職」の頃がいちばん大きな節目になります。
(職種にもよりますが)仕事では話すべき時に話さなければいけないことを話すことをあたりまえに求められます。
自分がどもるという事実から逃げることができなくなります。
*私自身の経験としてこのブログに何度も書いています。

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 それでは、どのように自分のこころと体を守っていけば良いのでしょうか?
 これは、吃音者それぞれのどもりの重さや症状、また、生きている環境(精神的・経済的)によっても大きくその心構えや方法が違ってくるとは思います。

★世の中の公的・私的サポートを最大限利用することです。

 こころを守るため、こころの健康管理のためには、自分のことを何でも話せるホームドクター的な精神科医や臨床心理士が必要です。
(都道府県単位である、「精神保健センター」も役に立つと思います)

 家庭内で理解を得られないどころか、家族からどもるたびに怒られている、
 学校でいじめにあっていても先生が動いてくれない、
 職場で嫌がらせを受けたりする

 そのようなときには、市役所、ハローワーク、労働基準監督署、弁護士会、法テラス、保健所、児童相談所、警察署、いのちの電話などの公的・私的なサービスを最大限利用して自分を守りましょう。
 子供の場合には、学校の通級課程である、「ことばの教室」を利用することもできますね。

★自分で工夫・努力をして、こころの逃げ場、安心して自分の心のなかを出せる場所や時間を、いま生きているリアルな空間やサイバー空間(ネット)に作り出すことです。
 どもりのセルフヘルプグループに参加して安心して語り合える友達を作る。これだけでもこころは大きく救われます。また、いろいろな情報も入りやすくなるでしょう。

 自分でブログ等を作り(トラブルに巻き込まれないように匿名が良いですね)ネット上の友達を作る。
 このように、いろいろと工夫しながら、そして同じ悩みを共有する友を作り、孤独になることを防ぎつつ、少しずつでよいので頑張っていきましょう。

新入生や新社会人が、どもり(吃音者)を実感するとき

 新年度も4月が終わり5月に入りました。
 うまく新しい環境に適応できそうな人にとっては、明るい思いで迎えたゴールデンウィークでしょうが、うまくいかない人にとっては、逃げ込むように迎えたゴールデンウィークだと思います。
 そのゴールデンウィークもそろそろ終わりに近づき不安が増している頃だと思います。

(ある程度以上の重さの)どもりを持つ人にとっては、どもらない人には想像もできないくらい緊張してきたここ1ヶ月だったので、遊ぶどころかガックリときている方も多いと思います。
*私の場合、いちばんほっとしたのが、夏休み・冬休み・ゴールデンウィークなどの長期の休みが始まる「前の晩」でした。休みが始まると休み明けを(またどもりで苦しむのを想像して)のカウントダウンが始まっていました。

 新年度は、学生の場合、新しい先生(担任、教科の先生)、新しい友達との出会いがあります。
 自分のどもりが学年中に知れ渡っている場合はともかく、自分のことを知らない人に自分のどもりを知ってもらう(知られてしまう)機会になるのです。

 新年度は、自己紹介や健康診断など、自分の名前をはっきりと言わなければならないことが多い時期でもあります。
*学校や職場において「自分の名前をはっきりと言うこと」はごくあたりまえのことですが、そのあたりまえができないか、できにくいのがどもりです。このごろ、病院の検診などでは間違い防止のために、しつこいほどにフルネームで名前を言わされます。

★他の人のあたりまえが、自分には(充分に)できないということ
 朝起きて「おはよう」のことばから、行ってきます、学校や職場についてからの「おはようございます」が言えない、うまく言えない。

 学校で言えば、教科書をひとりで声を出して読んだり、意見を発表したりという、毎日のごくあたりまえのことでつまずきます。

 この繰り返しの毎日で、「また次も同じようになるのではないか」という恐怖心が増していき、実際に次もうまく言えずに(言えることもありますが、言えたり言えなかったりもこころを混乱させます)少しずつ、でも確実に心が追い込まれていきます。

 さらに、追い打ちをかけるように、友達や先生からのからかい(先生も結構あります)や陰湿ないじめもあるでしょう。
*面と向かってではなくて、SNSを通じてのいじめもあるでしょう。

社会人の場合は、
 あたりまえに行なう顧客への電話、営業マンの場合は新規顧客獲得のためのアポイントの電話、社内電話もかけることが多いでしょう。
 大勢の前での「プレゼン」をしなければならないこともあると思います。

 社内で、同僚や上司の前でかける電話がしどろもどろになってうまくできないか、全くできない。
 そのうちに営業の電話を社内でかけられなくなってきて、公園などでかけてみたりしますが、そこでも、なかなかうまくできない・・・、もうノイローゼです。

★自分を守る(まずは自分のこころを解放する)
 いま、あなたのそばに、「どもりのために大きな悩みを抱えていて追い詰められている」ということを話せる人がいますか?
 家族でも学校の先生でもよいので、話すことができれば(話せるような人ならば)良いのですが、
残念ながら、たいていの場合、思い切って話してもまともに聞いてくれないでしょう。

 そこで考えられるのが、どもりのセルフヘルプグループへ参加して友人をみつける方法と、臨床心理士、精神科医などこころの病気の専門家を利用する方法です。

 どもりを持つ人の集まりに参加しても、お互いを尊重し合えるような何でも話せる友人は、すぐには見つかるものではありませんので、こころが追い詰められている場合は、とりあえずこころの専門家にかかり必要に応じて安定剤なども処方してもらいながら、少し落ち着いたところでセルフヘルプグループに参加する方が良いと思います。
*吃音者のセルフヘルプグループといっても様々な人の集まりですから、参加することによりかえってこころが傷つくような体験をすることもあります。

参考
★吃音者が抱える厳しい現実のなかで、どもりについてフランクに話し合える場を持つこと
★吃音仲間でできること、お互いに信頼できる吃音者が集まってできること