吃音(ある程度より重い)で、授業中にふるえている少年少女や、就職を控え不安でいっぱいの人の心をなえさせないために(再掲載一部改編:初掲載は2010年7月13日)

 日本人は、(自分もそうですが)、今でもなお、がんばることが好きです。努力家です。
 今の時期(時代)に書くと否定的に聞こえるかもしれませんが、人生においてがんばることは大切で、昨日の自分よりも今日の自分は少しでも前に進もうという気持ちがないと、多くの場合人生が停滞してしまうでしょう。
*例外が福祉の領域だと思います。心や体に重い障害を持っている人に、障害を持っている部分で必要以上に「がんばることを求める」ことはもってのほかです。その人なりの得意分野で無理のないように徐々に社会参加ができるようにサポートすることが、国や自治体、そして近くにいる人たちの使命ではないでしょうか。

 さて、いつも書いているように、どもりには重いどもりと軽いどもりがあります。
 比較的軽いどもりの場合には、(そして、吃音者と家族やサポートする側とで信頼関係がある場合は)、
場合によってはあえて叱咤激励することにより「最初の一歩」を踏み出せるように手伝うことも考えられますが、重いどもりの場合にはそれが全く逆に作用することが多いでしょう。

 耐え難いようなどもりの悩みをを抱えながらも、こころの面、言語面において満足するサポートが得られないことが多い日本においては、孤立無援の状態で、無理をしてでも学校に通ったり就職活動したり、働いたりせざるを得ないのが現状です。
*本当にしんどい場合には無理をしようとしても足が向かなくなりますが、そこまで我慢したらたいていはうつ病などの心の病気になってしまいます。
心の病気になると多くの時間を病気との闘いのためにとられてしまいますし、回復にはかなりの時間がかかります。

 TVのニュースなどでは、毎日のように家族や会社内の人間関係からの凄惨な殺人などが報道されます。
 以前だったら破壊的な結果になる前にご近所や親戚など近くの人が助けてくれたりなどの最低限の「安全装置」がありましたが、いまは、世の中のいろいろな場面で「いきなりに限度を超えてしまって破滅的な結果に終わる場合」が多いようです。

 どもりについても、以前(1970年代くらいまで)の日本では、学校を出てもどもりでなかなか就職ができなかったら、ご近所や親戚の紹介で就職することもできたでしょうし、都市近郊でも、いわゆる会社員のほかにも農業に従事したり家業を継ぐなどの方法もあり、それで生きていくことができました。

 しかし、今ではそういう選択肢もなくなってきました。
 たとえ、あったとしても「ジリ貧」になってしまいます。食べていけないのです。

 また、家族や友人間のコミュニケーションの量が減り質も落ちているので、どもりで本当に困っている人の苦しみや孤独感がまわりに伝わらないことが多く、精神的に追い詰められている吃音者が多いのではないかと思います。
*スマホなどでの見かけ上のコミュニケーションの量は飛躍的に増えているでしょうが、たわいのないやりとりばかりで、「人にはなかなか言えないようなことをざっくばらんに話せるというレベルのコミュニケーションや人間関係」が減っているのです。

 いまこのときにも「自殺」することばかり考えているような、深刻に悩んでいる吃音者がどれくらいいるでしょうか?
 サポートする側は、「悩んでいる人ほど孤独になる」ということを考えた上で動かなくてはいけません。

 ではどうすればよいでしょうか?
 吃音者がどもりのために自暴自棄になってしまうまえに、まわりの人ができることは・・・、
★身近にいるどもりを持っている人が、「もしかしたら、思い詰めていて自殺を考えるほど悩んでいるかもしれない」と考えてみること。
★進学、就職などの人生の節目においては特に、どもりを持っている人は100%悩んでいるという前提のもとに動くこと。

 まわりにいる人ができることは、「まずは、ひたすら吃音者の言葉を傾聴することにより信頼関係を築くこと」「そして共感すること」
「(信頼関係を築いた上で)、どうすれば良いかを一緒に考えること」です。

*どもりを原因としたうつ病経験者でもある私としては、うつにも同じような考え方ができるのではないかと思います。
 日本のうつ病に対する体制、短い診療時間と安易な薬の投与ではなかなか治らない。バブル崩壊以降、国民病といわれているうつ病に対する日本の取り組みの問題点がTV、新聞、雑誌等でたびたび取り上げられているにもかかわらず、一向に改善される気配すらないのには怒りすら覚えます。

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吃音者と孤独(再掲載一部改編:初掲載は2007年7月1日)

 どもりを持つ人がその悩みを抱えたまま孤独に陥るのは危険なことです。
 その「孤独」というのは、表面的なもの(スマホや携帯に入っているアドレスや電話番号の数が少ないということ)でなくて、本音を語れる親友がひとりもいないことです。
*親友はひとりいればよいのです。
*父親や母親を含む家族にすら、どもりの苦しみを理解してもらえないことはむしろあたりまえのことだと思った方が良いでしょう。

 と言っても、どもりの悩み打ち明けて傾聴してくれるような友人を作ることは簡単ではありません。
 友人を作るための第一歩として、どもりを持つ人の集まりである「どもりのセルフヘルプグループ」に参加してみるのはひとつの有力な方法です。

 

吃音者が「普通に生きる」という呪縛から開放されることについて(再掲載一部改編:初掲載は2007年4月6日)

 今回は、軽いどもりの話ではありません。
*ここでいう「軽いどもり」とは、「言い換えで対応すればなんとかなる」、「学校や職場で笑われたり、また、いじめの原因になるようなレベルではない。職場で仕事の進行に影響を及ぼすようなどもり方(結果として職場に居づらくなる)ではない」というレベルのどもりをさしています。しかし、こんな状況でも、こころのなかは常に崖っぷちで「自殺したい」という思いがあったり、うつ病などの心の病気になってしまうまで追い込まれている場合もあります。このような場合はもちろん重いどもりです。

 吃音者は、一生懸命にどもらない人に近づこうとします。
あたりまえです。どもりは実に不便な障害ですから。そして、とてもかっこ悪い!

 たとえば電話をかけるとき。
 こちらがしどろもどろのひとり芝居を続けている間、電話の相手がふきだしているのが(またはそれを我慢しているのが)受話器から聞こえる 。
*それでも、用件が済ませれば良いほうです。

 授業中に指名されても・・・、(ほんとうは読めない漢字もないし、わからない単語もないし、数式の意味もわかっているのに)、最初の言葉が出てこない(のがわかっている)ので、または大きくどもって笑われたり、いじめられるのがいやなので・・・、「わかりません」で済ませてしまう。
*「わかりません」という言葉も出てこない。

 でも、このようなどもりのことばかりとらわれて、「なんとか普通になりたい、どもらない人のように普通のしゃべりたい」ということばかり考えていると、ますます、しゃべる前の不安(予期不安)が増大してきます。

 このような人生を続けていると、うつ病などの心の病気になる可能性が大きくなることは専門家でなくてもわかります。
*現実には、残念ながら、こんな状況に陥っている方が大勢いらっしゃるはずです。

 こんな方ほど、「どもらずに普通に生きる「どもりが治れば、治りさえすれば」)という考えの呪縛から開放されないと本当に大変なことになってしまいます。
*悪いことに、我慢強く努力家の方ほど、結果的にぎりぎりまで追い詰められてしまいがちです。

 まわりにいる人たちも、「もう、そんなにがんばらなくていいんだよ!」と言ってあげてほしいですし、
それよりも。そこまで追い詰められる前に・・・、日常的に相談できるホームドクター的な精神科医を見つけ出してこころの危機管理をしてもらいましょう。

 ドクターはどもりについての深い知識はありませんが(治せませんが)、どもることで自分がどんなふうにこころの危機にあるかを訴えれば(どもって言えない場合は書いて渡せば良い)ドクターの専門領域から様々な援助をしてくれるはずです。

 また、どもりのセルフヘルプグループに参加して、様々な立場(家庭環境・年齢・職業・男女)の吃音者に接して、自分を(自分のどもりを)俯瞰できるようにしていけば良いと思いますし、なによりも同じ悩みを持つ友人を持てることは人生の宝となるでしょう。
*もしも、学校でいじめを受けている場合には、そして信頼できる相談相手がいない場合には、迷わず警察に相談しましょう。電話ができなかったら直接行っても良いと思います。絶対に我慢しないでください。

 

吃音を押さえ込む(コントロールする)ことの弊害(私の場合) (再掲載一部改編:初掲載は2009年9月18日)

 どもりを持っている人が、日常生活や学校生活・仕事を進めるうえで、最小限の言葉の流ちょう性を確保したいと思うのは当然のことです。
なぜならば、毎日を(なんとか)生きていく必要があるからです。
 特に社会人になってからは組織のなかでそれなりの仕事をしお金を稼ぐことが必要だからです。
*社会人といっても、会社員(民間企業)のほかにも、公務員(これも様々)もあれば、農林漁業、自営など、いろいろな仕事があります。就く仕事の種類によって要求される言葉の流ちょう性は大きく変わってきます。また、同じ組織内でも、営業、経理、現場など、就く場所によっても大きく違ってきます。ですから、ある程度の重さ以上の吃音者は、自分の症状や重さを考えながら職業選択をすることが仕事を長続きさせる「現実的な」コツではないでしょうか。

 私の場合は、日常生活の何気ない会話でも支障があるような時期があるかと思えば、学校での発表や電話でもほとんどどもらない時期もあるといったような大きな波を繰り返す少年時代(小学生~高校生)でしたので、吃音に対する自分なりの考え方や覚悟が定まりにくかったと思います。

 また、私を取り巻く家庭の雰囲気はよいものではありませんでした。
 家族間のいざこざが絶えずあり、どもりの父がいる家庭の割には、というか、そうだからこそどもることには否定的でした。
 どもるたびに注意されているような「吃音児」にとっては最悪の家庭環境でした。

 将来就きたい職業については、もちろん、「どもりは大人になったらすっかりと治っている」という前提で考えていました。
*なんの根拠もありませんでしたが!

 高校に入ると、中学(普通の公立の中学です)までとは違い、最初から大学受験を意識したカリキュラムですし、そのような学校の雰囲気でした。
 学校に行く、勉強する、クラブ活動、たまに模擬試験という単純な繰り返しですから、授業中に教科書を読むのですら恐怖を感じているような少年にとっては、心のバランスを崩すには時間はかかりませんでした。

 その後、浪人、大学入学、就職浪人(引きこもり)、民間のどもり矯正所、ハローワーク通いを経て約2年遅れの社会人でしたが、ハローワークで自分で仕事を見つけて営業職として就職しました。
 その頃、20歳代末~30代前半くらいになると、それなりの生きる覚悟もできてきますが、言葉については試行錯誤が続きました。

 営業職としてはあたりまえの日常業務である、電話、訪問、会議、など、すべてが人前でしゃべることです。

 現実的に言って、それらで大きくどもっていては(それがよいかどうかということではなくて)組織内で通用しません。
 そこで、就職前にどもり矯正所のメンバーと仲間内で行なっていた言語訓練を続けて、なんとか最低限の流ちょう性を確保し続けるための工夫を続けました。

 その成果が出たのか、たまたま調子がよい波の時期だったのか、
その後は比較的順調に推移し、仕事も、どもらない人と同等かそれ以上の成果を上げられて自信をつけることができてきました。

 そこで、ステップアップを図るべく転職(営業職)したのが失敗でした。
 会社名がただ言いにくいという原因で、職務上の電話、会話はもちろん、次第に日常生活の会話までどもり始める始末。
 当然、対処しましたがなかなかうまくいきません。ちょうどバブル崩壊の時期で職場環境も悪くなっったので大変でした。

 これらの経験を経て感じたことは、日常に影響が出るくらいの重さを持ったどもりを子供の頃から持っていて思春期以降に持ち越した場合には、吃音をコントロールしながら生きていくのは至難の業であること、
 できれば、自分でコントロールできる範囲(メンタル的にも、言語そものも)はどこまでかを知り、それ以上にはチャレンジしない方がよいのではないか?

 これは、とことんやってみてわかることかもしれませんが、もしも、その「とことん」が、本人の心の「限界値」を超えてしまうと取り返しのつかないことになってしまうこともあります。(重い心の病気になったり、最悪の場合は自殺)

 そのようなことにならないようにするためにも、第三者による「心の危機管理」が必要です。

 自分の悩みを隠さず何でも話せるようなホームドクター的な精神科医や臨床心理士などを見つけておいて、普段から定期的に心のチェックをしてもらいながら生きていくのが良いと思います。
*しかし、彼らは、どもりについての知識は驚くほど乏しいのが現状です。自分の気持ちや困っていることなどをドクターに詳しく説明してください。どもりの治療法は分からなくても彼らの専門領域からできる限りの援助をしてくれますので、上手に利用しましょう。

 いまの就職・転職状況では、今後は、吃音者にとってはますます生きにくい世の中になりそうなので、それくらいのことは考えておくべきだと思います。

吃音:仕事をする人としての現実(その1現状、その2 仕事とどもり)再掲載一部改編:初掲載は2017年2月12日、17日

 親しくなったおとなの「吃音仲間」で飲んだりするときには、どうしても「どもりと仕事」にまつわる話が多くなります。
*そもそも、どもりについて遠慮なく話せるくらいの親しい「どもり仲間」がいるのか?ということが問題です。3歳の頃よりどもっていた私がどもりについて忌憚なく話せるような友人ができたのは、大卒後就職できずに引きこもった(約1年半後くらいでしょうか)後に通い出した民間のどもり矯正所で、同じような境遇の友人ができたときがはじめてです。(家族とも話はできていませんでした)

 このブログでも「どもりと仕事」は主要なテーマになっています。
*数年前に起きてしまった北海道での吃音をもった男性看護師さんの自殺についても何回か扱っています。 

 さて、TBSで放映されていたキムタク主演の医療ドラマ「a life」
*2017年10月時点ではすでに終了しています。医療ドラマといえば、これからは米倉さんの「失敗しないので!(こちらはかなり毛色が違いますが)」が始まりますね?

 医療ドラマが好きな私として、それ以上に、韓流ドラマか?子供向けか?と思うほど誇張された表現が多い最近のテレビドラマに辟易としていた私にとっては、(SMAPの一連の騒動は別として)久しぶりにじっくりと見られるドラマとして楽しみました。(やはり視聴率はふるいませんでしたね。)

 ドラマのなかでは医師と看護師との関係が丁寧に描かれています。
 特に手術室に入るような看護師の的確な動きには、2年前に心臓のカテーテル治療を都内の心臓専門病院で経験した私としては(局部麻酔で意識があり、手術室のなかでのテキパキとしたやり取りを感じていたので)思うところが大です。

 器具の確認をするにも、大きな声で品名と有効期限を読みあげて他のスタッフにも確認してもらいながら進めていく、
 ミスを防ぐためには大切なことなんだなと思いながらドラマをみていました。
*病院では、例えば採血をしたりCTを撮ったりする際、また、診察室に入るときでさえも「フルネームでお名前をおっしゃってください(場合によっては生年月日も)」といわれるのがあたりまえになってきました。吃音者にとってはこれが難関なのです。自分の名前が(なかなか)出てこないのが、ある程度より重い吃音者にとっての「あたりまえの症状」だからです。

 社会人としての仕事は、特に、組織のなかで2人以上で仕事をしている場合には、言葉を使うことが大前提になります。
「誰かに何かを確認する」「誰かと話し合って練り上げていく作り上げていく」「交渉により仕事が進む」というように、(職種により言葉を使う頻度は大きく違いますが)誰かと話す(電話をする)ことなしには仕事が進みません。
*世の中ではスマホによるSNS(日本ではLINEなど)が盛んですが、実際のビジネスの現場ではむしろ、人と人との言葉によるコミュニケーションがますます重要になってきています。

 ある程度以上の重さのどもりを持つことにより話すべきときに話すべき言葉が(なかなか)出ない場合には、個人の仕事はもちろん、チームとしての仕事にも大きな障害が出ます。
 要するに「仕事ができない」という評価となり、人生に直接及ぶの脅威となります。(職場に居づらくなります)

 ある程度以上の重さのどもりを持った人は学生時代でも言葉を使うアルバイトを避ける(応募できない・したとしても断られる)ことが多いので、このような現実に遭遇するのは、就職活動を始めてからか、コネで入った場合は職場に入ってからとなります。
*もちろん、子供の頃から学生時代までにも大いに苦労しますが、とりあえず親の庇護下にあり、生きていくこと(食べていくこと)はなんとかなります。
ただし、どもることで陰湿ないじめを受けている場合は(いまの学校や教育委員会のずさんな対応を考えるときに)命の危険さえ考える必要があります。

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その2 仕事とどもり

 このブログには数こそ少ないのですが、どもりで困っている人から深刻なコメントが寄せられます。
コメントの公開は承認制なので内容がきわめて個人的なものだったり深刻な場合には、公開する前に(公開の可否も含めて)直接やりとりさせていただく場合があります。
 非公開のコメントの内容は「どもりと仕事」「どもりと家族」に関することが多いのです。
例えば・・・
★仕事の日常業務、会議や電話をする場合に言葉が(なかなか)出ずに、「事実上、仕事にならなくなり追い詰められている場合。

自分の名前、会社名、相手の名前など言えてあたりまえのことが、面と向かってはもちろん電話や社内電話でも(なかなか)言えない。
さらに追い詰められてうつ病になりいまの仕事をやめることとなり、その後もなかなか再就職できない。現状を家族からも理解されない。
*追い詰められて自殺を考えた、またはその直前までいって思いとどまったという深刻なコメントもあります。

★子供の頃からのどもりに対する家族の無理解、どもるたびに家族から言い直しをさせられたり注意されることの繰り返しが大きなストレスとなりこころに積み重なり、大人になってからの日常生活や家族関係、近所付き合い、子供の学校のPTA活動などの人間関係や話すことに大きな障害となっている場合。

 どもることにより学校で(同級生や先生から)いじめを受けていた、からかわれていたということも、どもりの症状の固定化や悪化、大人になってからのメンタルな問題を引き起こす大きな原因にもなるでしょう。

 ひとりでする仕事ではなくて組織の中で二人以上で仕事をする場合には(職種により話すことの重要性は大きく違いますが・・・)、同僚や上司との会話、会議での発言、顧客の前でのプレゼンテーション・交渉など、また、電話の対応はハキハキしたものでなければなりません
 それができなければ事実上仕事になりません。
 特に仕事につきもののクレーム対応においては的確な言葉遣いが必要とされます。
*ここで、「どもってもよい」と考えることは、(もちろん仕事に影響が出ないくらいのものは除きます)仕事の現実を無視したものになります。

 このように、このブログには・・・、
 子供の頃からのどもりによるストレスの積み重なりの結果としての心理的な問題、家族との軋轢、就職・転職がなかなかできない、仕事上での言葉に問題が生じ職務の遂行ができなくなりやめてしまった、追い詰められて自殺を考えている、などというという生の声が寄せられています。

吃音:2017年の現状(再掲載一部改編:初掲載は2014年9月30日、原題は、2014年の現状)

 どもり、それも日常生活で普通に交わすコミュニケーションや、学校生活、仕事などに、明らかな支障が出るようなどもりが続いている場合は、あたりまえですが「治したい」「できるだけ軽くしたい」と思います。
*どもりでない他者からみて「どもり」とわからないくらいの軽いものでも、本人がそれを気にして人生に大きな支障が出ていると思えば、それは「重いどもり」です。その軽く見える吃音者は自殺まで意識しているかもしれないのです。
このあたりが「どもりでない人」はもちろん、「専門家といわれる人」ですらなかなか理解されない、そしてどもりを考えるときにはきわめて重要なことです。

 どもりで悩んでいる本人やどもりの子供を持つ親御さんなどは、インターネットが十分に普及したいま、スマホやPC、その他の携帯端末を使ってどもりについていろいろと調べていることと思います。

★「治してくれる・相談できる」きちんとした専門家がいる病院や公的施設はあるのか?
 吃音者本人はもちろん親御さんも、いちばん知りたいところですね。
 ネット等でいろいろと調べてもなかなかわかりません。
というか「わかりません」
*インチキ情報はいくらでも出てきます。

 調べていてそのうちに感じてくることは・・・、
相談できるしっかりとしたところ(特に思春期以降)が事実上ないということなのです。
*事実上と書いたのは、日本にそういう施設が数カ所あったとしても、たまたま近くに住んでいれば良いのですが、通える範囲にない限り、それは「ない」のと同じことだからです。
*原因がわからず確実な治療法もリハビリ法もない現在、どもりに取り組む専門家といわれる方は、それぞれ、「治していこう、軽くしていこう」という考え方をする方や、また、「無理して治そうとしないで、どもりを持ちながらも強く生きていこう」という考え方をとる方など、様々です。(対立すらしていることもあります。)
確実な治療法やリハビリ法がない現在、仕方がない面もありますが、どもりで悩んでいてどこかに相談に行きたい吃音者やどもりの子供を心配する親御さんにとっては混乱してしまうばかりです。

 考えるられるひとつの方法は、どもりの自助グループ「セルフヘルプグループ」に通うことです。
 どもりという同じ悩みを共有する人の集まりですから、どもりを意識してからいままで、どもりについて誰にも(もちろん家族にも)話すことのできなかったことが嘘のように、「どもりについて、あたりまえのことのように話せる」という開放感にはじめて出会えるかもしれません。
これは大変大きなことで、これだけで大きく救われる方もいらっしゃると思います。

 しかし、いままさにどもりで悩んでいる人でもセルフヘルプグループの存在を知らない人も多く、たとえ知っていたとしてもなかなか参加する勇気が出ないのが、どもりの特徴です。

 セルフヘルプグループにも、いままさに悩んでいる人がいまほしい答え、つまり「治したい」「軽くしたい」に確実に答えるだけのものはありません。
 場合によっては、治った・良くなったというグループ内の先輩のあまりありがたくない自己流の治療法や心構えをしつこく頂戴することになってしまい、通うのもいやになってしまうかもしれません。
 または、いま入ったばかりの自分よりもどもりが重い「古参の(先輩)」が多くいることにショックを受けるかもしれません。(ほんとうはそれらの方々の生き様から得られるものも大くあるのですがそこまではなかなか思いがいたりません。)

 セルフヘルプグループは上手に利用しましょう。
 グループ内で気の合う仲間、年齢、重さ、境遇が自分と近い仲間を見つけて、その仲間でいろいろと動いていけば良いのではないかと思います。
*自分と違う考えかたの人、年齢や境遇の違う人の考え方や生き方に触れることも参考になります。

 自分(達)でいろいろとあたってみること。
 インターネットを使えば、自宅に居ながらにして吃音に関する書籍を見つけたり、国内・海外の吃音の専門家と連絡をとることもできます。
 ネットだけで終わりにせずに、直接気になる専門家に会いに行ってみたり、本を読んでみたり、自分の通っているのとは違うグループの活動に参加してみるもの良いことではないでしょうか。

 小・中学生は、学校のことばの教室をうまく利用すると良いと思います。
 また、セルフヘルプグループが主催する子供向けの行事に参加することもたいへん良いことだと思います。

 心の危機管理をすること。
 どもりのために(いじめやからかいパワハラなどに会う)学校や会社に通えなくなってきて、ついには完全な引きこもりになったり、
就職(活動)ができない、家庭内でも家族に理解されずに孤立しているなどの場合はいや、そこまで追い込まれる前に!信頼できる精神科医を見つけて心の危機管理をしてもらいましょう。
*都道府県ごとに「精神保健福祉センター」が設置されています。どこに相談して良いかわからない場合はそこに相談するのも良いと思います。

 また、仕事の問題、家庭の問題などを抱えている場合には、市役所や保健所に相談してソーシャルワーカーに相談に乗ってもらうなどの方法をとり、自分を守っていきましょう。法律的な問題は「法テラス」に相談すると良いと思います。

吃音で悩んでいる人が「悪者」になる現実(再掲載:初掲載は2013年5月23日)

 このブログには簡単な閲覧状況の解析ツールがついています。
 1日の閲覧数やどんなキーワードでここに来たかがわかるくらいの簡単なものですが、「どもり 親 怒る」という検索ワードで見に来てくれた例がありました。

 吃音者の私はすぐピンときます。
「どもりくらいで〇〇ができないなんて甘い」
「世の中にはもっと厳し環境で生きている人がいる」

 もしかしたらこんな言葉を親から投げつけられたのでしょうか。
*さらに程度が悪い親の場合(場合によっては学校の先生も=私が経験しました)は、どもっている我が子をからかってみたり怒る場合もあります。

 どもりは障害です。しかも医学的に原因が分かっていないので、根治療法(投薬、手術)はもちろん確実なリハビリテーション法もありません。

 言えて当たり前の自分の名前がなかなか出てこなかったりします。
例えば「エート、エート、エート、エート・・・すすすずきでですっ」という感じです。
*それでも、ある程度の時間で言えれば良い方ではないでしょうか?

 家族から、我が子が・兄弟が・孫が「どもらない」か「ごく軽いどもり」見られてしまうのは、どもりそうなことばを避けているか(比較的軽い場合)、最低限のことしか話さないからです。
*家族の前では、どもりそうな「名前や会社名」は言う必要はありませんね。

 家庭内での日常会話レベルではわからないないような軽いどもりの(に見える)場合でも、いざ学校や職場に行くと一転、「ある程度以上の重さのどもりを持つ吃音者」となる場合もいくらでもあります。
 仕事の電話や顧客との面と向かっての交渉において、自分の名前や会社名を言い出すまでしばらく時間がかかったり要件を伝えるのに必要以上に時間がかかり、それもどもりどもりということになれば、仕事にもはっきりと支障が出るでしょう。

 学校で先生から指名されるたびに、どもりながらか、最初のことばがなかなか出てこないような状況ならば、本人のこころが追い込まれることはもちろん、陰湿なからかいやいじめに会うこともまれではないでしょう。
 どもっている本人の心はいたたまれません。
*「どもりのために仕事で失敗をする」「どもりを職場で同僚・上司・顧客から指摘される、笑われる」「家庭でもどもりのことで怒られる」、こんなことが重なるとついにはうつ状態からうつ病となり自殺を考えることにもなります。

 もしもいま、こんな状況に置かれているのなら・・・、いや、追い込まれる前に、
★セルフヘルプグループなどに参加してどもりのことを遠慮なく話せる友人を作り、
★心やことばの危機管理をしてもらえるホームドクターとしての精神科医や臨床心理士、言語聴覚士をさがし、
★吃音にまつわる、家庭の問題、学校の問題、職場での問題(過度ないじめ・からかい、パワハラなど)があるならば、その解決を手伝ってくれるソーシャルワーカー、弁護士などを見つけましょう。
*職場でのトラブルなら「労働基準監督署」「弁護士会」「法テラス」、心の問題でどこに相談して良いか迷ったら各県の「精神衛生センター」の利用も考えましょう。

 自分をこれ以上追い込まないように(追い込まれないように)してください。
あなたが悪いのではなくて、ことばの障害で苦しんでいるのですから・・・

*参考:吃音児(者)へのネグレクト(無視)と虐待について(2008年9月10日)

吃音と職場(再掲載:初掲載は2013年4月4日)

 このブログには簡単な解析ツールがついていて、
「どんなキーワードでこのブログに来たか?」「どのページが何回見られたか?」などが分かります。
*もちろん個人の特定はできません。

 そのなかのキーワードで「同僚の吃音にイライラする」というのがありました。

「なるほどな、そうだろうな」というのがどもり持ちの私の正直な感想です。
なぜならば、私にも、口に出して言われた経験があるからです。

 私が大卒後に就職できず引きこもった後に民間どもり矯正所に通い、初めてどもりについてこころから語り合える友人を得て少しずつ生きる自信をつけていき、職安に通い2年遅れで小さな会社の営業マンになったことはいままでに書いていますが、
その後に、自信をつけて大手の会社の営業マンに転職し落ちついてきた頃の話しです。
*社内での研修中に電話番をしていた頃のことを、もう少したってから上司から言われました。

 上司と楽しい酒を飲んでいると、上司が、
「会社に電話をすると君がでて用件を伝えてくれたが、どもりながらの話しには正直のところイライラしたよ・・・」という話しをされました。
*まだ携帯が一般的でなかった頃の話しです。

 私は一般的な企業において、同僚やチームの仕事の流れに障害を起こさせるようなことがなければ、その人のそのどもりはその職場においてはセーフだと思います。

 逆に言えば、どもることによりチームとして動いている職場の仕事に障害を生じさせるようなことがあればアウトでしょう。
*もちろん人間的な価値を言っているのではなくて、その職においてのビジネス上の話しです。
*現実には、いまの職場での仕事に支障が出るくらいのどもりを持っていて、でも家族の生活を支えていくために同僚からの冷たい視線を感じながらも日々働いている方もいらっしゃるでしょう。

 これも何回も書いていますが、仕事と言っても実に様々です。
 職場毎に、必要とされる社会的な意味でのことばの流暢性は大きく違います。

 民間企業の営業職の他にも、同じ企業でも事務職、工場の現場、工場の管理。
また、農林水産業、福祉関係(これも幅広いです)、地方公務員、国家公務員(キャリアから高卒程度までありますね)、自営業。
*同じ職種でも、例えば、田舎の役場と大都市の役所では仕事上のスピード感や緊張感も違ってくるでしょう。

 様々な職業のなかから、どもりを持っている自分に合った仕事(職種)を見つけて、こころの病気になってしまうような強いストレスがかからないように工夫しながら生きていけば良いのだと思います。
*このあたりまで分かっている、吃音者の心の機微が分かる「ことばや心の専門家や小中学校のことばの教室の先生」がサポートしてくれれば、どれほどの子どもたちが救われるでしょうか?

 もしも、いましている仕事において言葉上の自信がついてきて、自分として違う職種にチャレンジしたいという気持ちが出てくれば、そのときにチャレンジすればいいと思います。
*チャレンジした結果が良くなければ、また前の職種に戻れば良いでしょう。

吃音は人を創るのか(再掲載一部改編:2010年7月15日)

 今回は、どもることで苦労をすることはどもりを持った人の人格を陶冶(とうや)することになるのか、ということについて考えてみます。
 *いつものように場合分け、条件付きの書き込みになるとは思います。

「若いうちの苦労はかってでもしろ」という言葉があります。
私としてはこの言葉は、ごく少数の天才を除いたほとんどの人は、失敗によって人生の多くを知らされ失敗を乗り越えることによって何かをつかんでいくので、若い頃のトライ、アンド、エラーは、その後の人生にとっての良き指針となるくらいの解釈をしています。

 また、カルロス・ゴーンは・・・、
「われわれは間違いや挫折からしか学べない」、
「失敗や挫折はキャリアを成功させるために大切なこと」
 などと言っています。

 それでは、子供の頃からどもりで苦労してきたことはどうなのでしょうか?

 極論すれば「終わりよければすべてよし」ではないかと思います。
*ということは、最後まで、どもりによる苦労だけを感じながら、どもりである自分の運命を恨みながら人生を終える人もいるということです。

 また、その人の人生のなかで、人生が進んでいく(単に年齢が上がってくるということではなくて、いろいろと経験すること)につけて、それなりの妥協(良い意味でのあきらめ)がこころの中で出来上がってくるようになれば、それはそれで良いのではないかとも思うのです。

 いちばん苦しいのは、いつまでも、どもっている自分を不完全な自分(本来ある自分ではない)と思いこんでしまい、ひたすら治すことや軽くすることに人生の多くを使ってしまうこと(そうしないと自分で自分が許せないこと)でしょうか。

 さて、どもることによる苦労が「それほど悪いことではなかった」とか「どもりを経験することで自分の人格が陶冶された」という方がいらっしゃいますが、そのように思えるのはごく限られた場合ではないかと思います。

 たとえば、
 どもりが比較的軽く、子供の頃はそれなりにどもっていたとしても入試や就職には大きな支障がでないくらいのどもりで、人生の節目をどもりにより大きく妨げられることなく生きてこられて、その後(社会人になってから)も、どもることはあるが、それにより社会的地位を脅かされることがないくらいの場合。

 また、
 たとえ重いどもりでも、自分のこころの中のどこかで「生きている意味や、人に必要とされているという気持ちを少しでも感じることが出来るような場所や時間が持てた」場合、つまり、仕事や家族にそれなりに恵まれた場合。

 その他、小説や映画にでもなりそうな、とてつもない苦労の果てに、吃音を持ちながら(または、努力の末に治すか軽くして)社会人として、また人間として大成したという場合もありますが、
そういう例を取り上げてしまうと、我々のような凡人の心を追い詰めることになる場合が多いのではないでしょうか。

 私が思うのは、たとえどもりでなくても、人生を生きる上での苦労はいくらでもあり、尽きません。
あえて、どもりであることを哲学的に意味づけることには無理があるように思います。

 自分自身の考えとして、どもることで自分の人格が陶冶されたと思うことは自由ですし、そう思えるということは人生を真摯に生きてきた証でもあるとは思いますが、それは誰かに言われることではありません。

 どもりの問題を個人の問題としてでなく社会問題として考えるときには、吃音は自分が背負っている言語障害であると「リアル」に思っていた方が良い結果が出るような気がします。「冷めた頭と熱き心」こそ必要であると思います。

吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る):初掲載は2012年5月5日、お互いに信頼できる吃音者が集まってできること:初掲載は2012年5月13日、(どちらもたびたび再掲載)

吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る)

 今回は、しばらく書いていなかったどもりに対する直接的な働きかけについて書いてみます。

★「自分がどもること」を、あらためて心と体でしっかりと受け止めること
★「信頼できるどもり仲間」の間で、安心してどもる経験を積んで自己肯定感を高めていくこと
★必要に応じて、ことばの流ちょう性を高める訓練をする、同時にその限界も知る。(どもりの重さや症状によっては、いたずらに流ちょう性を求めないなど、個人差に十分に配慮する)
★いろいろな重さ・症状、環境にある吃音者と語り合い、どもりに対する偏った考え方をなくしていく。
★どもりについての情報を広く社会に発信し、吃音者の本当のこと、本当の苦しみを知ってもらう。同時にネットでの活動の限界も知る。

 これから書くことはサークル的な活動になりますので、運営の仕方が悪いと個人攻撃となってしまうことがあります。十分な注意が必要です。
 どもりを持っていると言っても実に様々です。この「違い」を十分に考えた上での運営が必要です。

●「自分でもほとんど困らないくらいのごく軽いどもりの方」から、「就学・就職などの節目でも大きな影響が出ないくらいの比較的軽い方」、「日常生活や学校生活、仕事に支障が出る方」、そして「どもることにより引きこもりになったり、うつ病などの心の病気になっているなどのきわめて深刻な方」まで実に様々です。
●また、吃音者が生きている環境も様々です。
どもりに対する家族の理解があるかどうか?、職場や学校でも、どもっている自分のことを受け入れてもらっているか?

♥少人数で目的を合わせるとうまくいきやすい。
 最初から本格的な活動を望まないで、やりやすいとことから。
 同じくらいの年齢で、例えば就職、再就職を控えているのになかなか第一歩が踏み出せないというような、同じような境遇にいる人たちで集まるグループ活動がやりやすいでしょう。
 仲間をみつけるには、まずはセルフヘルプグループに参加してみて、そのなかで気の合う仲間をみつけるところからはじめればよいと思います。
 地域の公民館の会議室は低価格で借りられますので活動の拠点にできます。
 いまでは、携帯やスマホで簡単に連絡を取り合えますので、日程や会場の変更にも柔軟に対応できます。

♥皆が苦手な電話の練習は、お互いの携帯にかけるところからはじめて、次第に家族が出ることもあるお互いの家の電話にかけるようにしていきます。相手がいないときは、104の電話番号調べや企業などのお問い合わせ電話にかけるのも良いでしょう。

♥街なかで、買い物で
 仲間で、あらかじめテーマを設定してから街中に出て、歩いている人に道を聞く、デパートやスーパーで店員にいろいろと質問をするなど、日常や仕事のなかで話す環境に近い経験をする。
 その際の注意は、「どもらないようにする」というよりも、上手にどもりながらでも結果的に相手とコミュニケーションをとれることを体験することにより少しずつ自信をつけていく。
 活動が終わってからは、お互いの違いを認めながらざっくばらんに話し合う。

♥サークル感覚で運営し深刻にならないように、
 グループにはバランス感覚に優れた統率力のあるリーダーを置き、個人攻撃的にならないように、ボス的な人が出てこないように注意しながら楽しく行う。

♥サークルのホームページ、ブログなどを作り情報を発信していく。同時に新しい仲間を集めることもできます。

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お互いに信頼できる吃音者が集まってできること

 前回の書き込み「吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る)」では、気の合うどもり仲間でできることを書きました。

 いまの日本において、どもりで深く悩んでいる人がその悩みをすべて打ち明けることができ、また共感を持って持って聞いてもらえる人がいるところ。必要に応じて言葉の流ちょう性を確保するために練習したり、または、いたずらに治そうとしないでうまく共存しようとする、などの、試行錯誤ができる環境はセルフグループしかありません。
 しかし、セルフグループも人の集まりですから場合によっては人間関係で苦しむことがあるかもしれません。

 既存のセルフヘルプグループに入ってみて自分には合わないと感じたら、我慢などする必要なありません。余計な苦労をしないように、生きるうえで大切にしたい価値観を共有できる仲間をみつけて自分達なりのセルフヘルプグループを作って活動してください。
*いまではスマホや携帯で互いの連絡が自由に取れるようになったので、既存のどもりセルフヘルプグループにこだわらずに、気の合うどもり仲間を集めて自分達なりの活動ができます。

 さて、私がかつて行っていた方法で書き忘れたものがあります。サイコドラマ(心理劇)です。
サイコドラマというといかにもぎょうぎょうしくて専門的知識が必要に思えるかもしれませんが簡単です。
 例えば、授業中に指名されて本を読まされるとボロボロになってしまうという、ある程度以上の重さの吃音者にはあたりまえのようにある悩み(私もそうでした)
 そのような場合は、安価で借りられる地域の公民館の会議室を借りてサイコドラマをしてみましょう。

 学校ですから教室のように机といすを並べ替えます。
 先生役の人、同級生役の人、そして困っている本人が「教室」に座り先生役の人から指名されて応えたり、本を読まされたりします。
 大きくどもったり、最初の言葉が出てこないで行き詰まった場合には進行を止めて皆で話し合います、「私の場合はこうしたらよかった」、「こう考えていけば楽になるのでは」などと自由に楽しく話し合うのです。

 注意することは、人格円満で公平公正、リーダーシップをとれる人がリーダーとなり、大きな流れをコントロールすることです。
★個人攻撃にならないように
★誰かが一方的なな意見を押しつけることがないように。
★グループ内でボスを作らない。グループ内で先輩も後輩もない、みんな同じ。

 公民館の会議室が教室にもオフィスにも化けるわけです。
終わってからは楽しく打ち上げしながら話し合えば良いと思います。
*やはり、ネット上のバーチャルな集まりばかりではなくて、実際に顔をつきあわせて語り合うことです。互いが十分に分かってきたところで携帯やスマホで連絡を取り合ったり、仲間でグループのWebページなどを作って情報を発信していけば良いのではないでしょうか。