吃音:仕事をする人としての現実(その1現状、その2 仕事とどもり)再掲載一部改編:初掲載は2017年2月12日、17日

 親しくなったおとなの「吃音仲間」で飲んだりするときには、どうしても「どもりと仕事」にまつわる話が多くなります。
*そもそも、どもりについて遠慮なく話せるくらいの親しい「どもり仲間」がいるのか?ということが問題です。3歳の頃よりどもっていた私がどもりについて忌憚なく話せるような友人ができたのは、大卒後就職できずに引きこもった(約1年半後くらいでしょうか)後に通い出した民間のどもり矯正所で、同じような境遇の友人ができたときがはじめてです。(家族とも話はできていませんでした)

 このブログでも「どもりと仕事」は主要なテーマになっています。
*数年前に起きてしまった北海道での吃音をもった男性看護師さんの自殺についても何回か扱っています。 

 さて、TBSで放映されていたキムタク主演の医療ドラマ「a life」
*2017年10月時点ではすでに終了しています。医療ドラマといえば、これからは米倉さんの「失敗しないので!(こちらはかなり毛色が違いますが)」が始まりますね?

 医療ドラマが好きな私として、それ以上に、韓流ドラマか?子供向けか?と思うほど誇張された表現が多い最近のテレビドラマに辟易としていた私にとっては、(SMAPの一連の騒動は別として)久しぶりにじっくりと見られるドラマとして楽しみました。(やはり視聴率はふるいませんでしたね。)

 ドラマのなかでは医師と看護師との関係が丁寧に描かれています。
 特に手術室に入るような看護師の的確な動きには、2年前に心臓のカテーテル治療を都内の心臓専門病院で経験した私としては(局部麻酔で意識があり、手術室のなかでのテキパキとしたやり取りを感じていたので)思うところが大です。

 器具の確認をするにも、大きな声で品名と有効期限を読みあげて他のスタッフにも確認してもらいながら進めていく、
 ミスを防ぐためには大切なことなんだなと思いながらドラマをみていました。
*病院では、例えば採血をしたりCTを撮ったりする際、また、診察室に入るときでさえも「フルネームでお名前をおっしゃってください(場合によっては生年月日も)」といわれるのがあたりまえになってきました。吃音者にとってはこれが難関なのです。自分の名前が(なかなか)出てこないのが、ある程度より重い吃音者にとっての「あたりまえの症状」だからです。

 社会人としての仕事は、特に、組織のなかで2人以上で仕事をしている場合には、言葉を使うことが大前提になります。
「誰かに何かを確認する」「誰かと話し合って練り上げていく作り上げていく」「交渉により仕事が進む」というように、(職種により言葉を使う頻度は大きく違いますが)誰かと話す(電話をする)ことなしには仕事が進みません。
*世の中ではスマホによるSNS(日本ではLINEなど)が盛んですが、実際のビジネスの現場ではむしろ、人と人との言葉によるコミュニケーションがますます重要になってきています。

 ある程度以上の重さのどもりを持つことにより話すべきときに話すべき言葉が(なかなか)出ない場合には、個人の仕事はもちろん、チームとしての仕事にも大きな障害が出ます。
 要するに「仕事ができない」という評価となり、人生に直接及ぶの脅威となります。(職場に居づらくなります)

 ある程度以上の重さのどもりを持った人は学生時代でも言葉を使うアルバイトを避ける(応募できない・したとしても断られる)ことが多いので、このような現実に遭遇するのは、就職活動を始めてからか、コネで入った場合は職場に入ってからとなります。
*もちろん、子供の頃から学生時代までにも大いに苦労しますが、とりあえず親の庇護下にあり、生きていくこと(食べていくこと)はなんとかなります。
ただし、どもることで陰湿ないじめを受けている場合は(いまの学校や教育委員会のずさんな対応を考えるときに)命の危険さえ考える必要があります。

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その2 仕事とどもり

 このブログには数こそ少ないのですが、どもりで困っている人から深刻なコメントが寄せられます。
コメントの公開は承認制なので内容がきわめて個人的なものだったり深刻な場合には、公開する前に(公開の可否も含めて)直接やりとりさせていただく場合があります。
 非公開のコメントの内容は「どもりと仕事」「どもりと家族」に関することが多いのです。
例えば・・・
★仕事の日常業務、会議や電話をする場合に言葉が(なかなか)出ずに、「事実上、仕事にならなくなり追い詰められている場合。

自分の名前、会社名、相手の名前など言えてあたりまえのことが、面と向かってはもちろん電話や社内電話でも(なかなか)言えない。
さらに追い詰められてうつ病になりいまの仕事をやめることとなり、その後もなかなか再就職できない。現状を家族からも理解されない。
*追い詰められて自殺を考えた、またはその直前までいって思いとどまったという深刻なコメントもあります。

★子供の頃からのどもりに対する家族の無理解、どもるたびに家族から言い直しをさせられたり注意されることの繰り返しが大きなストレスとなりこころに積み重なり、大人になってからの日常生活や家族関係、近所付き合い、子供の学校のPTA活動などの人間関係や話すことに大きな障害となっている場合。

 どもることにより学校で(同級生や先生から)いじめを受けていた、からかわれていたということも、どもりの症状の固定化や悪化、大人になってからのメンタルな問題を引き起こす大きな原因にもなるでしょう。

 ひとりでする仕事ではなくて組織の中で二人以上で仕事をする場合には(職種により話すことの重要性は大きく違いますが・・・)、同僚や上司との会話、会議での発言、顧客の前でのプレゼンテーション・交渉など、また、電話の対応はハキハキしたものでなければなりません
 それができなければ事実上仕事になりません。
 特に仕事につきもののクレーム対応においては的確な言葉遣いが必要とされます。
*ここで、「どもってもよい」と考えることは、(もちろん仕事に影響が出ないくらいのものは除きます)仕事の現実を無視したものになります。

 このように、このブログには・・・、
 子供の頃からのどもりによるストレスの積み重なりの結果としての心理的な問題、家族との軋轢、就職・転職がなかなかできない、仕事上での言葉に問題が生じ職務の遂行ができなくなりやめてしまった、追い詰められて自殺を考えている、などというという生の声が寄せられています。

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吃音にも打たれ強くしなやかに生きる(再掲載一部改編:初掲載は2006年2月6日)

 どもりには調子の波があります。
 例えば・・・子供のころからどもりで苦労し、言葉では尽くせないような努力の末に(結果として)ことばの調子もよくなり(良くなったと自分では感じられ)、徐々に日常生活にも支障がないようになってきた。
*もちろんその前に、「どもりの重さの違い」という絶対的な問題があります。傍から見て軽く見えるどもりでも自分として生きるか死ぬかの問題になっている場合はいくらでもありますが、日常の簡単な会話でさえ大きくどもるほうが人生に大きく影響することはいうまでもありません。

 さて・・・、最近、電話に出ると自分の名前すらまったく言えなくなってしまった過去の自分がうそのようにしゃべれるようになってきた。
 これで、やっと、今までのどもりの苦しみからも解放され新しい人生が始まる。

 学校を卒業後、数年遅れたが、積極的な就職活動も実り、どもりであるがゆえにあえて避けてきた本来つきたかったしゃべることがメインの仕事にもなんとか就けた。
泣きたいくらいうれしい日々・・・
 しかし、そのような人にも突然、悲劇が訪れます。どもりがもとに戻るのです。
昨日まではよかったのに、今朝から言葉が出てこない。
昨日まで治っていたのに、
「何で自分だけがこんなに不幸なんだ!」
「人生を投げてしまいたい、生きていてもしょうがない、世界で一番不幸なのは私だ!」
こんな経験をしている吃音者は私だけではないでしょう

 しかし、それを乗り越えてきた吃音者には「打たれ強さ」が身につきます。
 また、自分の限界も見えてきます。
 自分の今までの仕事上のトライが自分の言語能力を超えたものであることが心からわかり、
「ここまでとことん努力しても自分はこれくらいはどもるんだね、そうだったら、これからはこう生きていこう。こんな仕事に就こう。」と

 「ある程度以上ある程度未満の重さのどもり」の人生はこんなことの繰り返しです。 少しオーバーかもしれませんが禅僧の修行に似ているかもしれません。
*もっと重い吃音者もいることも、また、ごく軽い人もいることも、「どもりは人それぞれで百人百様」ということを心に留めるべきです。また、吃音者を取り巻く環境(家庭環境・学校環境・職場環境)によっても、どもりが人生に与える悪い影響は大きく変わります。

 どもりの問題に限りませんが、年齢や経験を重ねるごとに、また年齢とは関係なくても自分の考え方を変えることにより・・・、
今までマイナスでしかないと思っていたできごとが、実は人生の重要な一部分と思えるようになるかもしれません。(耐えがたい出来事の連続にどうしようもなくなることもあるでしょう。)

 あせらず、くさらず、少しずつ、決して独りぼっちにならずに、友に愚痴をこぼしながら生きていきましょう。
*そういう話ができる友「親友」を作りましょう。

吃音で悩んでいる人が「悪者」になる現実(再掲載:初掲載は2013年5月23日)

 このブログには簡単な閲覧状況の解析ツールがついています。
 1日の閲覧数やどんなキーワードでここに来たかがわかるくらいの簡単なものですが、「どもり 親 怒る」という検索ワードで見に来てくれた例がありました。

 吃音者の私はすぐピンときます。
「どもりくらいで〇〇ができないなんて甘い」
「世の中にはもっと厳し環境で生きている人がいる」

 もしかしたらこんな言葉を親から投げつけられたのでしょうか。
*さらに程度が悪い親の場合(場合によっては学校の先生も=私が経験しました)は、どもっている我が子をからかってみたり怒る場合もあります。

 どもりは障害です。しかも医学的に原因が分かっていないので、根治療法(投薬、手術)はもちろん確実なリハビリテーション法もありません。

 言えて当たり前の自分の名前がなかなか出てこなかったりします。
例えば「エート、エート、エート、エート・・・すすすずきでですっ」という感じです。
*それでも、ある程度の時間で言えれば良い方ではないでしょうか?

 家族から、我が子が・兄弟が・孫が「どもらない」か「ごく軽いどもり」見られてしまうのは、どもりそうなことばを避けているか(比較的軽い場合)、最低限のことしか話さないからです。
*家族の前では、どもりそうな「名前や会社名」は言う必要はありませんね。

 家庭内での日常会話レベルではわからないないような軽いどもりの(に見える)場合でも、いざ学校や職場に行くと一転、「ある程度以上の重さのどもりを持つ吃音者」となる場合もいくらでもあります。
 仕事の電話や顧客との面と向かっての交渉において、自分の名前や会社名を言い出すまでしばらく時間がかかったり要件を伝えるのに必要以上に時間がかかり、それもどもりどもりということになれば、仕事にもはっきりと支障が出るでしょう。

 学校で先生から指名されるたびに、どもりながらか、最初のことばがなかなか出てこないような状況ならば、本人のこころが追い込まれることはもちろん、陰湿なからかいやいじめに会うこともまれではないでしょう。
 どもっている本人の心はいたたまれません。
*「どもりのために仕事で失敗をする」「どもりを職場で同僚・上司・顧客から指摘される、笑われる」「家庭でもどもりのことで怒られる」、こんなことが重なるとついにはうつ状態からうつ病となり自殺を考えることにもなります。

 もしもいま、こんな状況に置かれているのなら・・・、いや、追い込まれる前に、
★セルフヘルプグループなどに参加してどもりのことを遠慮なく話せる友人を作り、
★心やことばの危機管理をしてもらえるホームドクターとしての精神科医や臨床心理士、言語聴覚士をさがし、
★吃音にまつわる、家庭の問題、学校の問題、職場での問題(過度ないじめ・からかい、パワハラなど)があるならば、その解決を手伝ってくれるソーシャルワーカー、弁護士などを見つけましょう。
*職場でのトラブルなら「労働基準監督署」「弁護士会」「法テラス」、心の問題でどこに相談して良いか迷ったら各県の「精神衛生センター」の利用も考えましょう。

 自分をこれ以上追い込まないように(追い込まれないように)してください。
あなたが悪いのではなくて、ことばの障害で苦しんでいるのですから・・・

*参考:吃音児(者)へのネグレクト(無視)と虐待について(2008年9月10日)

吃音:夏休み明けの子供と自殺

 このごろ、8月末によく報道されるのは夏休み明けの子供の自殺です。
特に9月1日に集中しているとのことで、注意喚起がされています。

 悩みを持っていたりいじめを受けていたりする子供が、9月1日から「また学校に行かなければいけないこと」に耐えられずに自ら命を絶つのです。

 どもりを持った子供にとっても夏休み明けはとてもつらい、死にたくなるようなときです。
 言い換えられない内容や自分の名前など、普段からどもってしまう言葉、なかなか出てこない言葉から逃げることのできた夏休み、どもることでいじめられたり笑われることから一時的にでも逃げることのできた夏休みが終わるのです。
*もっとも、いまではネットがあり、夏休み中でもネット上でいじめられているでしょうね。

 悩んでいるのだったら、無理してまで学校の行くのはやめましょう。
学校は命をかけてまで行くところではありません。そんな必要は全くありません。

 身の回りに悩んでいることを相談できる人がいなかったら、そしてこのまま学校に行ったらおかしくなりそうだったら、とりあえず公共の図書館にでも避難しましょう。
 街のなかをふらふらするのは犯罪に巻き込まれる危険性があるのでやめましょうね。
*公共の図書館には、この時期限定で良いから、悩みを聞いてくれる相談員がいてくれると良いですね。

 電話の相談もあります(どもってもきいてくれますよ)
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写真
*電話番号の画像は東京新聞WEBより(2017年8月21日)より

どもる子供をもつ親が夏休みにできること(再掲載一部改編:初掲載は2014年7月22日)

今回は、どもりを持つ子供や親御さんが夏休みにできることを考えてみます。

★どもりについて親子でゆっくりと話し合う機会を持つ
 どもりを持つお子さんがいる家庭で夏休みにやってほしいことは、親子でどもりについてゆっくりと話し合うことです。

・・・といっても実はこれがいちばんの難関なのですが・・・
 授業中や友達との会話などで、「どもりによる恥ずかしい」・「屈辱的な経験」を繰り返してきた子供にとっては、
「どもりは恥ずかしいもの、あってはいけないもの」という考えがこころの中にこびりついています。

 そのような子供が自分のどもりについて話したがらないのはもちろんですが、親御さんも、どもりについて無関心か、あえて触れないことが多いのです。

 その背景には、「そのうちに治る、大きくなれば治る」などという根拠のない考えが巷にあることも影響しているのでしょうが、
自分の子供のどもりを「障害」と思いたくない親のこころが反映されているようにも思います。
*自分の子供が学校の授業中の発表や友達との会話でどもってしまい笑われたり自虐的に反応しているところを見れば(見ることができれば)考え方も違ってくるのでしょうが、その機会はまずないと思います。特に家庭では、お子さんはどもるところを極力隠しているはずです。(もちろん隠しきれないほどの重いどもりもあります。)

 お子さんの方から自分のどもりについての様々なことを気軽に話せるような家庭を作れれば、子供にとって家庭は唯一のくつろげる場所となるでしょう。

★セルフヘルプグループなどの行事に親子で参加してみる
 どもりのセルフヘルプグループでは、夏休みや冬休みなどにキャンプ形式でどもりについて考え話し合う行事があります。
こういう機会を利用してみるのも良いかと思います。
*同じ悩みを持つ子供や親御さんで友達になれればいろいろな情報も得られるでしょうし、何よりもこころが大きく救われます。

★どもりに精通している言語聴覚士や臨床心理士、精神科医などにかかってみる
 こう書きましたが、これがまた難関なのです。
*公的サポートの「大本山」は、埼玉の国立リハビリテーションセンターになるかと思います。

 どうしてかというと、お住まいの場所で、近隣で、誰が(どの病院が、大学が、研究機関などが)熱心に(こどものどもり、おとなのどもり)に取り組んでいるか?
 たとえわかったとしても、どのようにアクセスすれば良いかを調べることは大変難しいからです。
そもそも日本において、どもりに熱心に取り組んでいる施設や専門家がないに等しいことがその原因です。
*インターネットで検索してすぐ出てくる「どもりは治ります」などとうたった無資格どもり矯正所やそれに類するものは論外として。

 ネットなどを駆使して一生懸命にどもり研究者やどもりに取り組んでいる病院・言語聴覚士、またセルフヘルプグループで活躍されている方を見つけだして会いに行けば、「どもり問題の現状」を知る良い機会にはなるとは思います。
 つまり、医学的に原因が解明されていない、有効な治療方がない(わからない)現状に触れることとなします。
調べる過程で、インチキ情報がいかに多いかも知ることとなるでしょう。

吃音と職場(再掲載:初掲載は2013年4月4日)

 このブログには簡単な解析ツールがついていて、
「どんなキーワードでこのブログに来たか?」「どのページが何回見られたか?」などが分かります。
*もちろん個人の特定はできません。

 そのなかのキーワードで「同僚の吃音にイライラする」というのがありました。

「なるほどな、そうだろうな」というのがどもり持ちの私の正直な感想です。
なぜならば、私にも、口に出して言われた経験があるからです。

 私が大卒後に就職できず引きこもった後に民間どもり矯正所に通い、初めてどもりについてこころから語り合える友人を得て少しずつ生きる自信をつけていき、職安に通い2年遅れで小さな会社の営業マンになったことはいままでに書いていますが、
その後に、自信をつけて大手の会社の営業マンに転職し落ちついてきた頃の話しです。
*社内での研修中に電話番をしていた頃のことを、もう少したってから上司から言われました。

 上司と楽しい酒を飲んでいると、上司が、
「会社に電話をすると君がでて用件を伝えてくれたが、どもりながらの話しには正直のところイライラしたよ・・・」という話しをされました。
*まだ携帯が一般的でなかった頃の話しです。

 私は一般的な企業において、同僚やチームの仕事の流れに障害を起こさせるようなことがなければ、その人のそのどもりはその職場においてはセーフだと思います。

 逆に言えば、どもることによりチームとして動いている職場の仕事に障害を生じさせるようなことがあればアウトでしょう。
*もちろん人間的な価値を言っているのではなくて、その職においてのビジネス上の話しです。
*現実には、いまの職場での仕事に支障が出るくらいのどもりを持っていて、でも家族の生活を支えていくために同僚からの冷たい視線を感じながらも日々働いている方もいらっしゃるでしょう。

 これも何回も書いていますが、仕事と言っても実に様々です。
 職場毎に、必要とされる社会的な意味でのことばの流暢性は大きく違います。

 民間企業の営業職の他にも、同じ企業でも事務職、工場の現場、工場の管理。
また、農林水産業、福祉関係(これも幅広いです)、地方公務員、国家公務員(キャリアから高卒程度までありますね)、自営業。
*同じ職種でも、例えば、田舎の役場と大都市の役所では仕事上のスピード感や緊張感も違ってくるでしょう。

 様々な職業のなかから、どもりを持っている自分に合った仕事(職種)を見つけて、こころの病気になってしまうような強いストレスがかからないように工夫しながら生きていけば良いのだと思います。
*このあたりまで分かっている、吃音者の心の機微が分かる「ことばや心の専門家や小中学校のことばの教室の先生」がサポートしてくれれば、どれほどの子どもたちが救われるでしょうか?

 もしも、いましている仕事において言葉上の自信がついてきて、自分として違う職種にチャレンジしたいという気持ちが出てくれば、そのときにチャレンジすればいいと思います。
*チャレンジした結果が良くなければ、また前の職種に戻れば良いでしょう。

吃音は人を創るのか(再掲載一部改編:2010年7月15日)

 今回は、どもることで苦労をすることはどもりを持った人の人格を陶冶(とうや)することになるのか、ということについて考えてみます。
 *いつものように場合分け、条件付きの書き込みになるとは思います。

「若いうちの苦労はかってでもしろ」という言葉があります。
私としてはこの言葉は、ごく少数の天才を除いたほとんどの人は、失敗によって人生の多くを知らされ失敗を乗り越えることによって何かをつかんでいくので、若い頃のトライ、アンド、エラーは、その後の人生にとっての良き指針となるくらいの解釈をしています。

 また、カルロス・ゴーンは・・・、
「われわれは間違いや挫折からしか学べない」、
「失敗や挫折はキャリアを成功させるために大切なこと」
 などと言っています。

 それでは、子供の頃からどもりで苦労してきたことはどうなのでしょうか?

 極論すれば「終わりよければすべてよし」ではないかと思います。
*ということは、最後まで、どもりによる苦労だけを感じながら、どもりである自分の運命を恨みながら人生を終える人もいるということです。

 また、その人の人生のなかで、人生が進んでいく(単に年齢が上がってくるということではなくて、いろいろと経験すること)につけて、それなりの妥協(良い意味でのあきらめ)がこころの中で出来上がってくるようになれば、それはそれで良いのではないかとも思うのです。

 いちばん苦しいのは、いつまでも、どもっている自分を不完全な自分(本来ある自分ではない)と思いこんでしまい、ひたすら治すことや軽くすることに人生の多くを使ってしまうこと(そうしないと自分で自分が許せないこと)でしょうか。

 さて、どもることによる苦労が「それほど悪いことではなかった」とか「どもりを経験することで自分の人格が陶冶された」という方がいらっしゃいますが、そのように思えるのはごく限られた場合ではないかと思います。

 たとえば、
 どもりが比較的軽く、子供の頃はそれなりにどもっていたとしても入試や就職には大きな支障がでないくらいのどもりで、人生の節目をどもりにより大きく妨げられることなく生きてこられて、その後(社会人になってから)も、どもることはあるが、それにより社会的地位を脅かされることがないくらいの場合。

 また、
 たとえ重いどもりでも、自分のこころの中のどこかで「生きている意味や、人に必要とされているという気持ちを少しでも感じることが出来るような場所や時間が持てた」場合、つまり、仕事や家族にそれなりに恵まれた場合。

 その他、小説や映画にでもなりそうな、とてつもない苦労の果てに、吃音を持ちながら(または、努力の末に治すか軽くして)社会人として、また人間として大成したという場合もありますが、
そういう例を取り上げてしまうと、我々のような凡人の心を追い詰めることになる場合が多いのではないでしょうか。

 私が思うのは、たとえどもりでなくても、人生を生きる上での苦労はいくらでもあり、尽きません。
あえて、どもりであることを哲学的に意味づけることには無理があるように思います。

 自分自身の考えとして、どもることで自分の人格が陶冶されたと思うことは自由ですし、そう思えるということは人生を真摯に生きてきた証でもあるとは思いますが、それは誰かに言われることではありません。

 どもりの問題を個人の問題としてでなく社会問題として考えるときには、吃音は自分が背負っている言語障害であると「リアル」に思っていた方が良い結果が出るような気がします。「冷めた頭と熱き心」こそ必要であると思います。

吃音をもつ子供の親ができること(再掲載一部改編:初掲載は2011年4月28日)

 いつも書いていますが「どもり」は実に多様です。症状も重さも人それぞれ大きく違います。
 自分のなかで、どもることをどのようにとらえて生きていくのか(いけるのか)。
 また、どもることが結果として人生にどれだけ悪影響を与えるのかも、人ごとに大きく違います。
*「どもり経験が自分にとって結果的に良いことだった」とまで言う人もいますから。

 これもまたいつものように書いていますが、どもりの子供の家庭環境(精神的、経済的)が、その後の人生に大きく影響することも忘れてはいけません。

 どもっている子供がいる家のなかが、たとえば・・・、
★常に夫婦喧嘩をしているような険悪な雰囲気の家庭
★おじいちゃんおばあちゃんと同居している場合に、孫がどもることで嫁を責めたり、聞きかじったとんちんかんな治療法(お灸?)を強制するような雰囲気
★権威主義的な雰囲気に満ちた家庭
★親兄弟がどもりを持つ身内に「どもることくらいで悩んでいるおまえは甘い、世の中にはもっと苦労している人が大勢いる」などと言うような雰囲気
*これをしなければどもりが治るということではありません。でも、学校などの外の世界でさんざん傷ついて帰った家庭がこんなふうでは、うつ病などの心の病気になってしまいます。

 大人になれば人生は自己責任です。誰も守ってくれません。
*思春期以降の年齢の吃音者に対する公的なサポートは事実上ありません。

 そのときになってどもりという「余計なこと」で必要以上の苦労しないように、どもりを持つ子供の親がしてあげられれることと言えば、子供の頃(幼少期~思春期)の環境を良くしてあげることくらいしかありません。
*もちろん、必要に応じて、言語聴覚士や精神科医などに相談したり、学校のことばの教室に通う、(親む含めて)どもりのセルフヘルプグループに参加するなどの工夫も必要です。

吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る):初掲載は2012年5月5日、お互いに信頼できる吃音者が集まってできること:初掲載は2012年5月13日、(どちらもたびたび再掲載)

吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る)

 今回は、しばらく書いていなかったどもりに対する直接的な働きかけについて書いてみます。

★「自分がどもること」を、あらためて心と体でしっかりと受け止めること
★「信頼できるどもり仲間」の間で、安心してどもる経験を積んで自己肯定感を高めていくこと
★必要に応じて、ことばの流ちょう性を高める訓練をする、同時にその限界も知る。(どもりの重さや症状によっては、いたずらに流ちょう性を求めないなど、個人差に十分に配慮する)
★いろいろな重さ・症状、環境にある吃音者と語り合い、どもりに対する偏った考え方をなくしていく。
★どもりについての情報を広く社会に発信し、吃音者の本当のこと、本当の苦しみを知ってもらう。同時にネットでの活動の限界も知る。

 これから書くことはサークル的な活動になりますので、運営の仕方が悪いと個人攻撃となってしまうことがあります。十分な注意が必要です。
 どもりを持っていると言っても実に様々です。この「違い」を十分に考えた上での運営が必要です。

●「自分でもほとんど困らないくらいのごく軽いどもりの方」から、「就学・就職などの節目でも大きな影響が出ないくらいの比較的軽い方」、「日常生活や学校生活、仕事に支障が出る方」、そして「どもることにより引きこもりになったり、うつ病などの心の病気になっているなどのきわめて深刻な方」まで実に様々です。
●また、吃音者が生きている環境も様々です。
どもりに対する家族の理解があるかどうか?、職場や学校でも、どもっている自分のことを受け入れてもらっているか?

♥少人数で目的を合わせるとうまくいきやすい。
 最初から本格的な活動を望まないで、やりやすいとことから。
 同じくらいの年齢で、例えば就職、再就職を控えているのになかなか第一歩が踏み出せないというような、同じような境遇にいる人たちで集まるグループ活動がやりやすいでしょう。
 仲間をみつけるには、まずはセルフヘルプグループに参加してみて、そのなかで気の合う仲間をみつけるところからはじめればよいと思います。
 地域の公民館の会議室は低価格で借りられますので活動の拠点にできます。
 いまでは、携帯やスマホで簡単に連絡を取り合えますので、日程や会場の変更にも柔軟に対応できます。

♥皆が苦手な電話の練習は、お互いの携帯にかけるところからはじめて、次第に家族が出ることもあるお互いの家の電話にかけるようにしていきます。相手がいないときは、104の電話番号調べや企業などのお問い合わせ電話にかけるのも良いでしょう。

♥街なかで、買い物で
 仲間で、あらかじめテーマを設定してから街中に出て、歩いている人に道を聞く、デパートやスーパーで店員にいろいろと質問をするなど、日常や仕事のなかで話す環境に近い経験をする。
 その際の注意は、「どもらないようにする」というよりも、上手にどもりながらでも結果的に相手とコミュニケーションをとれることを体験することにより少しずつ自信をつけていく。
 活動が終わってからは、お互いの違いを認めながらざっくばらんに話し合う。

♥サークル感覚で運営し深刻にならないように、
 グループにはバランス感覚に優れた統率力のあるリーダーを置き、個人攻撃的にならないように、ボス的な人が出てこないように注意しながら楽しく行う。

♥サークルのホームページ、ブログなどを作り情報を発信していく。同時に新しい仲間を集めることもできます。

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お互いに信頼できる吃音者が集まってできること

 前回の書き込み「吃音仲間でできること(セルフヘルプグループの原点に戻る)」では、気の合うどもり仲間でできることを書きました。

 いまの日本において、どもりで深く悩んでいる人がその悩みをすべて打ち明けることができ、また共感を持って持って聞いてもらえる人がいるところ。必要に応じて言葉の流ちょう性を確保するために練習したり、または、いたずらに治そうとしないでうまく共存しようとする、などの、試行錯誤ができる環境はセルフグループしかありません。
 しかし、セルフグループも人の集まりですから場合によっては人間関係で苦しむことがあるかもしれません。

 既存のセルフヘルプグループに入ってみて自分には合わないと感じたら、我慢などする必要なありません。余計な苦労をしないように、生きるうえで大切にしたい価値観を共有できる仲間をみつけて自分達なりのセルフヘルプグループを作って活動してください。
*いまではスマホや携帯で互いの連絡が自由に取れるようになったので、既存のどもりセルフヘルプグループにこだわらずに、気の合うどもり仲間を集めて自分達なりの活動ができます。

 さて、私がかつて行っていた方法で書き忘れたものがあります。サイコドラマ(心理劇)です。
サイコドラマというといかにもぎょうぎょうしくて専門的知識が必要に思えるかもしれませんが簡単です。
 例えば、授業中に指名されて本を読まされるとボロボロになってしまうという、ある程度以上の重さの吃音者にはあたりまえのようにある悩み(私もそうでした)
 そのような場合は、安価で借りられる地域の公民館の会議室を借りてサイコドラマをしてみましょう。

 学校ですから教室のように机といすを並べ替えます。
 先生役の人、同級生役の人、そして困っている本人が「教室」に座り先生役の人から指名されて応えたり、本を読まされたりします。
 大きくどもったり、最初の言葉が出てこないで行き詰まった場合には進行を止めて皆で話し合います、「私の場合はこうしたらよかった」、「こう考えていけば楽になるのでは」などと自由に楽しく話し合うのです。

 注意することは、人格円満で公平公正、リーダーシップをとれる人がリーダーとなり、大きな流れをコントロールすることです。
★個人攻撃にならないように
★誰かが一方的なな意見を押しつけることがないように。
★グループ内でボスを作らない。グループ内で先輩も後輩もない、みんな同じ。

 公民館の会議室が教室にもオフィスにも化けるわけです。
終わってからは楽しく打ち上げしながら話し合えば良いと思います。
*やはり、ネット上のバーチャルな集まりばかりではなくて、実際に顔をつきあわせて語り合うことです。互いが十分に分かってきたところで携帯やスマホで連絡を取り合ったり、仲間でグループのWebページなどを作って情報を発信していけば良いのではないでしょうか。

吃音:哲学的な議論はそろそろやめにして・・・(再掲載一部改編:初掲載は2012年6月28日)

 80年代末のことですが、私は大卒後もどもりのために就職できずに(せずに)約2年間引きこもりました。
 その後、民間の無資格どもり矯正所に通い、生まれて初めてどもりについて語り合える友をもつことができ、元気を取り戻しました。
 その後、ハローワークで小さな会社の営業職を見つけて就職することができました。

 その後30歳前後のちょっと自信がついた頃でしょうか、自慢げにいままでの顛末を話していたことを思い出します。
その内容はひと言で言えば、「自分がどもりであることを覚悟を持って、自分なりに受け入れて生きていく」というようなことでした。

 吃音者の会合などで、「どもりを持ちながらもそれなりに生きてきた方の力強い話」を、いまどもりで悩んでいる人が聞くと、会場の雰囲気も影響してかその場では感銘を受けるかもしれませんが、
日常生活のコミュニケーションに影響が出ているような、ある程度以上の重さのどもりを持ちながら現実の毎日を生きている人(特に子供)にとっては、こんな話はかえって酷かもしれません。
*いつも書いていますが、客観的にみて「軽いどもり」に見えても、本人が必要以上に気にして悩んで生活に支障が出ていれば、それは「重いどもり」です。また、どもりの重さは、吃音者を囲む家庭や学校、職場の雰囲気や人間関係でも 大きく変わってきます。

 日常生活に支障が出ているようなある程度より重い吃音者が、自分がどもっていることをそれなりに受け入れられるようになるには、子供の頃からどもりによる耐えがたいような経験を数限りなくして、まさに七転八倒の人生を送りながら、その後にそのような境地になるのがほんとうのところと思うからです。
決して誰かに言われて達する境地ではありません。
*就職できなかった方が就職できたり、引きこもっていた方が学校や会社に通えるようになるなど、「自分でも良い方向に向かってきていると実感できた時」にそんなふうに思える余裕が出てくるのかもしれません。

 学校でも職場でも、どもりが重い場合は日常生活のすべてのシーンで、ある程度以上の重さのどもりを持っていると大きな支障が出てきます。

 そのような過酷な毎日を過ごしている人にとっては、「自分がどもりを持っていることを覚悟を持ってこころから受け入れて生きる」ことなどなかなかできることではありません。
 多くの場合は、生きていくためにどもりと共存していくしかないので、結果的にそうなっているだけです。

「自分がどもっていることを受け入れていく」という考え方は、誰かに言われてできるものではなくて、苦労の末にこころのなかで自発的に出てきてはじめて意味をなすものです。

 ですから、「どもりを受け入れる」とか、「治そうと努力する」など、吃音者が持つ考え方に優劣をつけるのはやめにして、
★吃音者それぞれのどもりの重さや症状の違い、
★生きている環境(主にどもり出した子供の頃から就職くらいまでの家庭の経済的・精神的環境)の違い、
★性格の違い、
★本人のどもり以外の能力(学力、仕事の能力)の違い
などを考えながら・・・、

 ある人はできるだけ軽くなるように努力する、またある人は今のどもっている状態を受け入れながら無理をしないで生きていく・・・などというように、個々のケースごとに現実的な対応をしていけば良いと思います。
*努力したとしても結果的に、就職できずに経済的に困窮する、性格が結果的に暗くなる、学習意欲が落ちたり授業中の発表が怖くて成績不振、電話や会話が怖かったりうまくできず職場での仕事にも支障が出るということも起こりえます。これらは極めて深刻な問題です。

 ですから、吃音者をサポートする側(家族、専門家など)がまずすべきことは、
 できる限り吃音者の今の悩みや直面しているつらい状況をしっかりと見て、語ることばを傾聴することです。夢物語や理屈を語ることではなくて、いま現実にできる援助を確実にすることです。

 その結果として、どもりを持って悩んでいる人に心の余裕が少し出てきて、現実の生活に追われるだけではなくて深い考えを少しずつ持てるようになり、自分のどもりを自分なりに人生のなかで位置づけて頑張っていくことができるようになると思います。