吃音:哲学的な議論はそろそろやめにして・・・(再掲載一部改編:初掲載は2012年6月28日)

 80年代末のことですが、私は大卒後もどもりのために就職できずに(せずに)約2年間引きこもりました。
*せずに、としたのは、ことばを使わないかほとんど使わない仕事ならできたはずですがしませんでした。

 その後、民間の無資格どもり矯正所に通いだして、そこで生まれて初めてどもりについて語り合える友をもつことができ、元気を取り戻しました。
 そして、その後、ハローワークに通い出し小さな会社の営業職を見つけて就職することができました。

 その後30歳前後のちょっと自信がついた頃でしょうか、自慢げにいままでの顛末を話していたことを思い出します。
その内容はひと言で言えば、「自分がどもりであることを覚悟を持って、自分なりに受け入れて生きていく」というようなことでした。

 吃音者の会合などで、いままさに悩んでいる人の前で、どもりを持ちながらもそれなりに生きてきた方が「力強い話」をすると、会場の雰囲気も影響してかその場では感銘を受けるかもしれませんが、
日常の簡単なコミュニケーションにも影響が出ているような、ある程度以上の重さのどもりを持ちながら現実の毎日を生きている人(特に子供)にとってはこんな話はかえって酷かもしれません。
*いつも書いていますが、客観的にみて「軽いどもり」に見えても、本人が気にして悩んで生活に支障が出ていれば、それは「重いどもり」です。また、どもりの重さは、吃音者を囲む家庭や学校、職場の雰囲気や人間関係でも 大きく変わってきます。

 日常生活に支障が出ているようなある程度より重い吃音者が、自分がどもっていることをそれなりに受け入れられるようになるには、子供の頃からどもりによる耐えがたいような経験を数限りなくしてまさに七転八倒の人生を送りながら、その後にそのような境地になるのがほんとうのところと思うからです。
 決して誰かに言われて達する境地ではありません。
*就職できなかった方が就職できたり、引きこもっていた方が学校や会社に通えるようになるなど、「自分でも良い方向に向かってきていると実感できた時」にそんなふうに思える余裕が出てくるのかもしれません。

 学校でも職場でも、(どもりが重い場合は日常生活のすべてのシーンで)、ある程度以上の重さのどもりを持っていると生活に支障が出てきます。
 そのような過酷な毎日を過ごしている人にとっては、「自分がどもりを持っていることを覚悟を持ってこころから受け入れて生きる」ことなどなかなかできることではありません。

 多くの場合は、生きていくためにどもりと共存していくしかないので、結果的にそうなっているだけです。
「自分がどもっていることを受け入れていく」という考え方は、誰かに言われてできるものではなくて、苦労の末にこころのなかで自発的に出てきてはじめて意味をなすものでしょう。

 ですから、「どもりを受け入れる」とか「治そうと努力する」などいろいろな考え方に対して優劣をつけるのはやめにして、
★吃音者それぞれのどもりの重さや症状の違い
★生きている環境(どもり出した子供の頃から就職くらいまでの家庭の経済的・精神的環境、いま生きている学校環境、職場環境、家庭環境)の違い
★本人の性格の違い
★本人のどもり以外の能力(学力、仕事の能力)の違い
などを考えながら・・・、

★できるだけ症状が軽くなるように(セルフヘルプグループの仲間などとことばの練習をしたり
★精神科医などのこころの専門家のバックアップを受けながらメンタル面の管理をする
★いまの比較的良いことばの状態が続くように(仲間と)ことばの練習したり、

また
★今のどもっている状態を受け入れながら無理をしないで生きていく・・・

 などというように、個々のケースごとに現実的な対応をしていけば良いと思います。
*努力したとしても結果的にうまくいかず、就職できずに経済的に困窮する、苦労や心配から結果的に性格が暗くなる、学習意欲が落ちたり授業中の発表が怖くて成績不振に陥る、電話や会話が怖かったりうまくできずに職場での仕事にも大きな支障が出てやめることになる、ということも起こりえます。
これらは極めて深刻な問題です。

 ですから、吃音者をサポートする側(家族、専門家など)がまずすべきことは、
 できる限り吃音者の今の悩みや直面しているつらい状況をしっかりと見て、吃音者の語ることばを傾聴することです。
 夢物語や理屈を語ることではなくて、いま現実にできる援助を確実にすることです。

 その結果として、どもりを持って悩んでいる人に心の余裕が少し出てきて、現実の生活に追われるだけではなくて深い考えを少しずつ持てるようになり、自分のどもりを自分なりに人生のなかで位置づけて生きていくことができるようになると思います。

 

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20年,30年前から、とっくの昔から格差社会にいる吃音者(再掲載一部改編:初掲載は2007年3月21日)

 (ある程度以上の重さの)どもりを持っている人にとっては、話すことが仕事の重要な部分を占める職種への就職は困難を極めます。
*「ある程度以上の重さ」とは第三者から見た重さだけではなくて、傍からは軽く見えるどもりでも、自分ではそれで悩み人生に大きな支障が出ていれば、それは重いどもりです。

 世の中では「格差社会」なんて言われていますが・・・、
 どもりを持つ人にとっては笑っちゃう話で、とっくの昔から「格差社会」なのです。
「どもりでも人間性がよければ大丈夫、就職できます・・・」なんていわれますが、はっきり言ってそれは嘘です。
*もちろん就く職種によってかなり大きな差があります。

 まわりの人たちが勇気付けるためにそのような言葉をかけるのかもしれませんが、それは、時には罪な言葉にもなり得ます。
 現実には、どもりを持ちながら一生懸命に就職活動をしている方もいくらでもいらっしゃいます。(私もそうでしたので)その大変さは筆舌に尽くしがたいものがあります。

 どもりの人がオフィスワークや営業などの(言葉を話すことがメインの仕事)につく場合には、重症度による差が大きいのです。
*もちろん、言葉を使わない仕事につく場合は別です。

 客観的にみて軽いどもりでも本人としては大きく悩んでいる場合はどうでしょうか・・・、

 そのような場合は(自分自身の苦悩は別にして)比較的スムーズに就職できます。
*または、誰かのコネで就職したのかもしれません。

 しかし、いざ仕事を始めてみると、職場のまわりの人たちは、あたりまえのように電話をかけたり、顧客と様々な交渉をしている人です。(あたりまえですが)

そのような環境下で 今までのストレスがたまっていることもあり、緊張を強いられるオフィスワークでの電話や難しい交渉などでの失敗などが重なると次第にうつ状態になっていき、どもりも悪化のスパイラルに陥ります。

 そして、次第に会社に行くのが苦痛になるような場合もあります。
さらには、うつ病となり会社に行けなくなる場合もあります。

 友人や家族の間の何気ない会話でも常に大きくどもるくらいの場合は、事務や営業のように言葉を使うことがメインの仕事につくことは困難を極めます。
たとえ強力なコネで入ったとしても本人が苦労するだけですから、(本人の強い希望がある場合は別として)、親の見栄で就職させることは絶対にやめるべきです。

 いっぽう、第三者からみてほとんどわからないくらいのどもりでも、電話をかけたり交渉することがメインの仕事についたときには・・・、
まわりの人からみればほとんどどもらないように見える彼らは、普通に電話が出来てお客様とも普通に会話が出来るように見えますから、何でもやらせてみようということになります。

 しかし、それが本人にとっては、時として、とんでもない大きな負担となります。

 ことばの調子が良いときはいいのですが、どもりには波があります。
 調子が少し悪いときに仕事を失敗したりすると次第にどもり悪化のスパイラルに陥り、いままでできていたことができなくなっていきます。(電話や交渉です)

 さらに、言葉の面で仕事に支障が出てきて顧客に指摘されたり上司に注意されるようになってくると、毎日がまさに「死ぬか生きるか!」ということになり、ついには耐え切れなくなり突然に会社を辞めたりします。
 同僚からみれば、まじめに仕事しているのになんで急にやめるのだろう、と、不思議に思われますが、本人にとっては追い詰められた結果なのです。

 これくらいの症状の場合には、いろいろな条件がうまくあっていれば、結果的にどもりの症状が軽減されるとともに自信がつき仕事も良い方向に向かうこともあるでしょう。
*よく、克服経験談で語られます。

 このように、どもりの人の数だけのストーリーがあるのです。

 あるところには表面に出ている症状は軽いのに悩んでうつになってしまうほど悩んでいる人がいたり、
 また、あるところには、誰が聞いてもわかるほどの重いどもりでも家族の理解すら得られない場合があります。
家族から、「就職できないのは怠けているからだ。」と責められる場合すらあります。
ひとりでどもりの現実と戦っている人はいくらでもいるのです。

 どもり対策は、ある意味、就職対策(仕事対策)なのではないかと思います。
 学生時代は、どもりで恥ずかしい思いをしたとしても生きて行けないということはありません。(しかし、いじめを受けたりまわりに理解者がいない場合は大変苦しい学生時代となります。)
 
 それは親の庇護下にあるからです。まだ親も比較的若いので家庭的にも余裕があります。

 しかし、就職するくらいの年齢になってくると親も歳をとってきて、親も本人もあせりだします。
本当はこのあたりでじっくりと家族と話し合っておけばよいのです。

 どもりの症状については、ありのままに、また、本人の今後の希望についても家族で冷静に話し合えばよい方向に向かう可能性がるのですが・・・、家族の話し合いは感情的になり口喧嘩にになってしまうことが多いようです。

 せっかく良い学校を卒業したのだからと、親の見栄や世間体からいわゆる有名会社に就職させようなどと考えて、家庭内が修羅場になることもあります。
ほんとうは、本人が働きやすい仕事に就くことが幸せになる近道なのですが。

 いっぽう、世の中にはへそ曲がりがいて、あえて苦しい道を目指そうとする人がいますね。
どもりである自分が許せなくて何とかしてやろうと考える人たちです。
*ある意味では見栄っ張りな人かもしれません。
 
 そんな人には大いに努力してもらって、どもりながらでも、事務職でも営業職でもどんどんトライしてもらいましょう。
*私もそういう生意気だった時期があります。

 しかし、たとえ、就職先で調子よくやれていたとしても、決して、今どもりで悩んでいる人の前では偉そうに説教するのはやめましょう。
人はそれぞれ違う(どもりの重さも、症状も、また、育った環境も、そしていま生きている環境も)のですから。
いつ、自分のどもりがぶり返して、いまの仕事ができないくらいになるかわからないのですから。

吃音(ある程度より重い)で、授業中にふるえている少年少女や、就職を控え不安でいっぱいの人の心をなえさせないために(再掲載一部改編:初掲載は2010年7月13日)

 日本人は、(自分もそうですが)、今でもなお、がんばることが好きです。努力家です。
 今の時期(時代)に書くと否定的に聞こえるかもしれませんが、人生においてがんばることは大切で、昨日の自分よりも今日の自分は少しでも前に進もうという気持ちがないと、多くの場合人生が停滞してしまうでしょう。
*例外が福祉の領域だと思います。心や体に重い障害を持っている人に、障害を持っている部分で必要以上に「がんばることを求める」ことはもってのほかです。その人なりの得意分野で無理のないように徐々に社会参加ができるようにサポートすることが、国や自治体、そして近くにいる人たちの使命ではないでしょうか。

 さて、いつも書いているように、どもりには重いどもりと軽いどもりがあります。
 比較的軽いどもりの場合には、(そして、吃音者と家族やサポートする側とで信頼関係がある場合は)、
場合によってはあえて叱咤激励することにより「最初の一歩」を踏み出せるように手伝うことも考えられますが、重いどもりの場合にはそれが全く逆に作用することが多いでしょう。

 耐え難いようなどもりの悩みをを抱えながらも、こころの面、言語面において満足するサポートが得られないことが多い日本においては、孤立無援の状態で、無理をしてでも学校に通ったり就職活動したり、働いたりせざるを得ないのが現状です。
*本当にしんどい場合には無理をしようとしても足が向かなくなりますが、そこまで我慢したらたいていはうつ病などの心の病気になってしまいます。
心の病気になると多くの時間を病気との闘いのためにとられてしまいますし、回復にはかなりの時間がかかります。

 TVのニュースなどでは、毎日のように家族や会社内の人間関係からの凄惨な殺人などが報道されます。
 以前だったら破壊的な結果になる前にご近所や親戚など近くの人が助けてくれたりなどの最低限の「安全装置」がありましたが、いまは、世の中のいろいろな場面で「いきなりに限度を超えてしまって破滅的な結果に終わる場合」が多いようです。

 どもりについても、以前(1970年代くらいまで)の日本では、学校を出てもどもりでなかなか就職ができなかったら、ご近所や親戚の紹介で就職することもできたでしょうし、都市近郊でも、いわゆる会社員のほかにも農業に従事したり家業を継ぐなどの方法もあり、それで生きていくことができました。

 しかし、今ではそういう選択肢もなくなってきました。
 たとえ、あったとしても「ジリ貧」になってしまいます。食べていけないのです。

 また、家族や友人間のコミュニケーションの量が減り質も落ちているので、どもりで本当に困っている人の苦しみや孤独感がまわりに伝わらないことが多く、精神的に追い詰められている吃音者が多いのではないかと思います。
*スマホなどでの見かけ上のコミュニケーションの量は飛躍的に増えているでしょうが、たわいのないやりとりばかりで、「人にはなかなか言えないようなことをざっくばらんに話せるというレベルのコミュニケーションや人間関係」が減っているのです。

 いまこのときにも「自殺」することばかり考えているような、深刻に悩んでいる吃音者がどれくらいいるでしょうか?
 サポートする側は、「悩んでいる人ほど孤独になる」ということを考えた上で動かなくてはいけません。

 ではどうすればよいでしょうか?
 吃音者がどもりのために自暴自棄になってしまうまえに、まわりの人ができることは・・・、
★身近にいるどもりを持っている人が、「もしかしたら、思い詰めていて自殺を考えるほど悩んでいるかもしれない」と考えてみること。
★進学、就職などの人生の節目においては特に、どもりを持っている人は100%悩んでいるという前提のもとに動くこと。

 まわりにいる人ができることは、「まずは、ひたすら吃音者の言葉を傾聴することにより信頼関係を築くこと」「そして共感すること」
「(信頼関係を築いた上で)、どうすれば良いかを一緒に考えること」です。

*どもりを原因としたうつ病経験者でもある私としては、うつにも同じような考え方ができるのではないかと思います。
 日本のうつ病に対する体制、短い診療時間と安易な薬の投与ではなかなか治らない。バブル崩壊以降、国民病といわれているうつ病に対する日本の取り組みの問題点がTV、新聞、雑誌等でたびたび取り上げられているにもかかわらず、一向に改善される気配すらないのには怒りすら覚えます。

吃音者と孤独(再掲載一部改編:初掲載は2007年7月1日)

 どもりを持つ人がその悩みを抱えたまま孤独に陥るのは危険なことです。
 その「孤独」というのは、表面的なもの(スマホや携帯に入っているアドレスや電話番号の数が少ないということ)でなくて、本音を語れる親友がひとりもいないことです。
*親友はひとりいればよいのです。
*父親や母親を含む家族にすら、どもりの苦しみを理解してもらえないことはむしろあたりまえのことだと思った方が良いでしょう。

 と言っても、どもりの悩み打ち明けて傾聴してくれるような友人を作ることは簡単ではありません。
 友人を作るための第一歩として、どもりを持つ人の集まりである「どもりのセルフヘルプグループ」に参加してみるのはひとつの有力な方法です。

 

吃音者が「普通に生きる」という呪縛から開放されることについて(再掲載一部改編:初掲載は2007年4月6日)

 今回は、軽いどもりの話ではありません。
*ここでいう「軽いどもり」とは、「言い換えで対応すればなんとかなる」、「学校や職場で笑われたり、また、いじめの原因になるようなレベルではない。職場で仕事の進行に影響を及ぼすようなどもり方(結果として職場に居づらくなる)ではない」というレベルのどもりをさしています。しかし、こんな状況でも、こころのなかは常に崖っぷちで「自殺したい」という思いがあったり、うつ病などの心の病気になってしまうまで追い込まれている場合もあります。このような場合はもちろん重いどもりです。

 吃音者は、一生懸命にどもらない人に近づこうとします。
あたりまえです。どもりは実に不便な障害ですから。そして、とてもかっこ悪い!

 たとえば電話をかけるとき。
 こちらがしどろもどろのひとり芝居を続けている間、電話の相手がふきだしているのが(またはそれを我慢しているのが)受話器から聞こえる 。
*それでも、用件が済ませれば良いほうです。

 授業中に指名されても・・・、(ほんとうは読めない漢字もないし、わからない単語もないし、数式の意味もわかっているのに)、最初の言葉が出てこない(のがわかっている)ので、または大きくどもって笑われたり、いじめられるのがいやなので・・・、「わかりません」で済ませてしまう。
*「わかりません」という言葉も出てこない。

 でも、このようなどもりのことばかりとらわれて、「なんとか普通になりたい、どもらない人のように普通のしゃべりたい」ということばかり考えていると、ますます、しゃべる前の不安(予期不安)が増大してきます。

 このような人生を続けていると、うつ病などの心の病気になる可能性が大きくなることは専門家でなくてもわかります。
*現実には、残念ながら、こんな状況に陥っている方が大勢いらっしゃるはずです。

 こんな方ほど、「どもらずに普通に生きる「どもりが治れば、治りさえすれば」)という考えの呪縛から開放されないと本当に大変なことになってしまいます。
*悪いことに、我慢強く努力家の方ほど、結果的にぎりぎりまで追い詰められてしまいがちです。

 まわりにいる人たちも、「もう、そんなにがんばらなくていいんだよ!」と言ってあげてほしいですし、
それよりも。そこまで追い詰められる前に・・・、日常的に相談できるホームドクター的な精神科医を見つけ出してこころの危機管理をしてもらいましょう。

 ドクターはどもりについての深い知識はありませんが(治せませんが)、どもることで自分がどんなふうにこころの危機にあるかを訴えれば(どもって言えない場合は書いて渡せば良い)ドクターの専門領域から様々な援助をしてくれるはずです。

 また、どもりのセルフヘルプグループに参加して、様々な立場(家庭環境・年齢・職業・男女)の吃音者に接して、自分を(自分のどもりを)俯瞰できるようにしていけば良いと思いますし、なによりも同じ悩みを持つ友人を持てることは人生の宝となるでしょう。
*もしも、学校でいじめを受けている場合には、そして信頼できる相談相手がいない場合には、迷わず警察に相談しましょう。電話ができなかったら直接行っても良いと思います。絶対に我慢しないでください。

 

吃音をもつ子供の親ができること(再掲載一部改編:初掲載は2011年4月28日)

 いつも書いていることですが、「どもり」は実に多様です。症状も重さも人それぞれで大きく違います。

 自分のなかで、「どもること」をどのようにとらえて生きていくのか(いけるのか)。
どもることが結果として人生にどれだけ悪影響を与えるのかも、人ごとに(症状や重さごとに)大きく違ってきます。
*「どもり経験が自分にとって結果的に良いことだった」とまで言う人もいますから。

 これもまたいつも書いていますが、どもりの子供の家庭環境(精神的、経済的)が、その後の人生に大きく影響することも忘れてはいけません。

 どもっている子供の家庭が良くなければ「良い方向」に進みません。
・・・でも、こんな家庭が多いのです。

★常に夫婦喧嘩をしているような険悪な雰囲気の家庭
→どもりだけでも相当に参っているのに、こどもに余計なプレッシャーを与える

★おじいちゃんおばあちゃんと同居している場合に、孫がどもることで嫁を責めたり、聞きかじったとんちんかんな治療法(お灸?)を強制するような雰囲気

★権威主義的な雰囲気に満ちた家庭

★親兄弟がどもりを持つ身内に、「どもることくらいで悩んでいるおまえは甘い、世の中にはもっと苦労している人が大勢いる」などと言うような雰囲気、または身内の障害であるどもりに全く無関心。

*これをしなければどもりが治るということではありません。でも、学校などの外の世界でさんざん傷ついて帰った家庭がこんなふうでは、ついには心の病気になってしまいます。

 子供の頃と違って大人になれば人生は自己責任です。誰も守ってくれません。
*どもりの問題がさらに深刻になる思春期以降の吃音者に対する公的なサポートは事実上ありません。

 そのときになってどもりという「余計なこと」で必要以上の苦労しないように、どもりを持つ子供の親がしてあげられれることと言えば、子供の頃(幼少期~思春期)の環境を良くしてあげることくらいしかありません。

*もちろん、必要に応じて言語聴覚士や精神科医などに相談したり、学校のことばの教室に通う、学校でいじめを受けていないかチェックする、どもりのセルフヘルプグループに参加するなどの工夫も必要です。

 

吃音:哲学的な議論はそろそろやめにして・・・(再掲載一部改編:初掲載は2012年6月28日)

 80年代末のことですが、私は大卒後もどもりのために就職できずに(せずに)約2年間引きこもりました。
 その後、民間の無資格どもり矯正所に通い、生まれて初めてどもりについて語り合える友をもつことができ、元気を取り戻しました。
その後、ハローワークで小さな会社の営業職を見つけて就職することができました。

 その後30歳前後のちょっと自信がついた頃でしょうか、自慢げにいままでの顛末を話していたことを思い出します。
 その内容はひと言で言えば、「自分がどもりであることを覚悟を持って、自分なりに受け入れて生きていく」というようなことでした。

 吃音者の会合などで、「どもりを持ちながらもそれなりに生きてきた方の力強い話」をいまどもりで悩んでいる人が聞くと、会場の雰囲気も影響してかその場では影響を受けるかもしれませんが、日常生活の何気ないコミュニケーションにも影響が出ているような、ある程度以上の重さのどもりを持ちながら毎日を生きている人(特に子供)にとっては、こんな話はかえって酷かもしれません。
*いつも書いていますが、客観的にみて「軽いどもり」に見えても、本人が必要以上に気にして悩んで生活に支障が出ていれば、それは「重いどもり」です。また、どもりの重さは、吃音者を囲む家庭や学校、職場の雰囲気や人間関係でも 大きく変わってきます。

 日常生活に支障が出ているようなある程度より重い吃音者が、自分がどもっていることを(それなりに)受け入れられるようになるには、
子供の頃からどもりによる耐えがたいような経験を数限りなくして、まさに七転八倒の人生を送りながら、その後にそのような境地になるのがほんとうのところと思うからです。
 決して誰かに言われて達する境地ではありません。
*就職できなかった方が就職できたり、引きこもっていた方が学校や会社に通えるようになるなど、「自分でも良い方向に向かってきていると実感できた時」に、そんなふうに思える余裕が出てくるのかもしれません。 ということは、そうでないときはそのようなことを思うこころの余裕がないということです。

 学校でも職場でも、さらに、どもりが重い場合は日常生活のすべてのシーンで、どもりによる人生への悪影響(重圧)が延々と繰り返されます。
 そのような過酷な毎日を過ごしている人にとっては、「自分がどもりを持っていることを覚悟を持ってこころから受け入れて生きる」ことなどなかなかできることではないでしょう。
多くの場合は、生きていくためにどもりと共存していくしかないので、結果的にそうなっているだけです。
「自分がどもっていることを受け入れていく」という考え方は、誰かに言われてできるものではなくて、苦労の末にこころのなかで自発的に出てきてはじめて意味をなすものです。

 ですから、「どもりを受け入れる」とか、「治そうと努力する」などのいろいろな考え方のどちらかを批判したり比べたり、吃音者が持つ考え方に優劣をつけるのはやめにして、
★吃音者それぞれのどもりの重さや症状の違い、
★生きている環境(主にどもり出した子供の頃から就職くらいまでの家庭の経済的・精神的環境)の違い、
★性格の違い、
★本人のどもり以外の能力(学力、仕事の能力)の違い
 などを考えながら・・・、
 ある人はできるだけ軽くなるように努力する、またある人は今のどもっている状態を受け入れながら無理をしないで生きていく・・・などというように、個々のケースごとに現実的な対応をしていけば良いと思います。
*努力したとしても結果的に、就職できずに経済的に困窮する、性格が結果的に暗くなる、学習意欲が落ちたり授業中の発表が怖くて成績不振、電話や会話が怖かったりうまくできず職場での仕事にも支障が出るということもいくらでも起こります。これらは極めて深刻な問題です。

 ですから、吃音者をサポートする側(家族、専門家など)がまずすべきことは、
 吃音者がいま直面している悩みやつらい状況をしっかりと見て、語ることばに傾聴することです。
 夢物語や理屈を語ることではなくて、いま現実にできる援助から確実に行なっていくことです。

 その結果として、どもりを持って悩んでいる人に心の余裕が少し出てきて、現実の生活に追われるだけではなく、深い考えを少しずつ持てるようになり、自分のどもりを自分なりに人生のなかで位置づけて自分なりに頑張っていくことができるようになると思います。

吃音の苦労によりかたくなになりすぎたこころをほぐして生きやすくしていくこと(再掲載一部改編:初掲載は2013年11月7日)

 人はどもりによる耐えがたい苦労を経験すれば経験するほど、自分(のこころ)を守るために、そのこころをかたくなに閉ざしていくことがあります。
結果として、意に反したような生き方(職業の選び方、友人関係の結び方)をすることもあります。
*吃音者の集まりで和やかに話していた方が、自分のことになると突然ことばが少なくなることがあります。

 自分では、不自然な(無理な)考え方・生き方と、こころのどこかではわかっていても・・・そのように思い、そのような生き方をしようとすることにより、自分のこころがどもりによる苦労のために崩れてしまうのをギリギリのところで防いでいるのかもしれません。

 その形は人により様々です。

★「私はこういう生き方なんだ」と、どう考えても無理な(無茶な)生き方(考え方)をしようとしている方

★「私はこれでいいんだ」と、いまの不自然な生き方(ライフスタイル)を(端から見ると)無理に肯定してそこに逃げ込んでいる方

 ほんとうは良くない考え方、無理な考え方・生き方とわかっていても、そうせざるを得ないところまでこころが追い込まれているのです。

 どちらの場合も、一時的にはこころの平衡が保たれているかのような錯覚に陥りますが、中・長期的にはさらに追い込まれてしまいます。

 こんなことにならないように・・・、

★どもりのセルフヘルプグループ等に参加して、いろいろな症状や重さのどもりを持ち、いろいろな環境で生きている様々な年齢層や立場の異なる吃音者と接して、自分(のどどもり)を客観視できるようにすることです。
そして、そこで、何でも話せる友人を(ひとりで良いので)作りましょう。

★ホームドクターとしての精神科医・臨床心理士を見つける
ぴたりと自分に合った先生を見つけるのは難しいですが、先生に頼り切るというよりも、「自分を客観視できるように」第三者的な目を提供してもらうのに役立ちます。

★これはいちばん難しかもしれませんが、家族にも最低限の理解をしてもらえるように働きかけていきます。(しかし家族には大きな期待はしないことです。)

吃音:仕事をする人としての現実(その1現状、その2 仕事とどもり)再掲載一部改編:初掲載は2017年2月12日、17日

 親しくなったおとなの「吃音仲間」で飲んだりするときには、どうしても「どもりと仕事」にまつわる話が多くなります。
*そもそも、どもりについて遠慮なく話せるくらいの親しい「どもり仲間」がいるのか?ということが問題です。3歳の頃よりどもっていた私がどもりについて忌憚なく話せるような友人ができたのは、大卒後就職できずに引きこもった(約1年半後くらいでしょうか)後に通い出した民間のどもり矯正所で、同じような境遇の友人ができたときがはじめてです。(家族とも話はできていませんでした)

 このブログでも「どもりと仕事」は主要なテーマになっています。
*数年前に起きてしまった北海道での吃音をもった男性看護師さんの自殺についても何回か扱っています。 

 さて、TBSで放映されていたキムタク主演の医療ドラマ「a life」
*2017年10月時点ではすでに終了しています。医療ドラマといえば、これからは米倉さんの「失敗しないので!(こちらはかなり毛色が違いますが)」が始まりますね?

 医療ドラマが好きな私として、それ以上に、韓流ドラマか?子供向けか?と思うほど誇張された表現が多い最近のテレビドラマに辟易としていた私にとっては、(SMAPの一連の騒動は別として)久しぶりにじっくりと見られるドラマとして楽しみました。(やはり視聴率はふるいませんでしたね。)

 ドラマのなかでは医師と看護師との関係が丁寧に描かれています。
 特に手術室に入るような看護師の的確な動きには、2年前に心臓のカテーテル治療を都内の心臓専門病院で経験した私としては(局部麻酔で意識があり、手術室のなかでのテキパキとしたやり取りを感じていたので)思うところが大です。

 器具の確認をするにも、大きな声で品名と有効期限を読みあげて他のスタッフにも確認してもらいながら進めていく、
 ミスを防ぐためには大切なことなんだなと思いながらドラマをみていました。
*病院では、例えば採血をしたりCTを撮ったりする際、また、診察室に入るときでさえも「フルネームでお名前をおっしゃってください(場合によっては生年月日も)」といわれるのがあたりまえになってきました。吃音者にとってはこれが難関なのです。自分の名前が(なかなか)出てこないのが、ある程度より重い吃音者にとっての「あたりまえの症状」だからです。

 社会人としての仕事は、特に、組織のなかで2人以上で仕事をしている場合には、言葉を使うことが大前提になります。
「誰かに何かを確認する」「誰かと話し合って練り上げていく作り上げていく」「交渉により仕事が進む」というように、(職種により言葉を使う頻度は大きく違いますが)誰かと話す(電話をする)ことなしには仕事が進みません。
*世の中ではスマホによるSNS(日本ではLINEなど)が盛んですが、実際のビジネスの現場ではむしろ、人と人との言葉によるコミュニケーションがますます重要になってきています。

 ある程度以上の重さのどもりを持つことにより話すべきときに話すべき言葉が(なかなか)出ない場合には、個人の仕事はもちろん、チームとしての仕事にも大きな障害が出ます。
 要するに「仕事ができない」という評価となり、人生に直接及ぶの脅威となります。(職場に居づらくなります)

 ある程度以上の重さのどもりを持った人は学生時代でも言葉を使うアルバイトを避ける(応募できない・したとしても断られる)ことが多いので、このような現実に遭遇するのは、就職活動を始めてからか、コネで入った場合は職場に入ってからとなります。
*もちろん、子供の頃から学生時代までにも大いに苦労しますが、とりあえず親の庇護下にあり、生きていくこと(食べていくこと)はなんとかなります。
ただし、どもることで陰湿ないじめを受けている場合は(いまの学校や教育委員会のずさんな対応を考えるときに)命の危険さえ考える必要があります。

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その2 仕事とどもり

 このブログには数こそ少ないのですが、どもりで困っている人から深刻なコメントが寄せられます。
コメントの公開は承認制なので内容がきわめて個人的なものだったり深刻な場合には、公開する前に(公開の可否も含めて)直接やりとりさせていただく場合があります。
 非公開のコメントの内容は「どもりと仕事」「どもりと家族」に関することが多いのです。
例えば・・・
★仕事の日常業務、会議や電話をする場合に言葉が(なかなか)出ずに、「事実上、仕事にならなくなり追い詰められている場合。

自分の名前、会社名、相手の名前など言えてあたりまえのことが、面と向かってはもちろん電話や社内電話でも(なかなか)言えない。
さらに追い詰められてうつ病になりいまの仕事をやめることとなり、その後もなかなか再就職できない。現状を家族からも理解されない。
*追い詰められて自殺を考えた、またはその直前までいって思いとどまったという深刻なコメントもあります。

★子供の頃からのどもりに対する家族の無理解、どもるたびに家族から言い直しをさせられたり注意されることの繰り返しが大きなストレスとなりこころに積み重なり、大人になってからの日常生活や家族関係、近所付き合い、子供の学校のPTA活動などの人間関係や話すことに大きな障害となっている場合。

 どもることにより学校で(同級生や先生から)いじめを受けていた、からかわれていたということも、どもりの症状の固定化や悪化、大人になってからのメンタルな問題を引き起こす大きな原因にもなるでしょう。

 ひとりでする仕事ではなくて組織の中で二人以上で仕事をする場合には(職種により話すことの重要性は大きく違いますが・・・)、同僚や上司との会話、会議での発言、顧客の前でのプレゼンテーション・交渉など、また、電話の対応はハキハキしたものでなければなりません
 それができなければ事実上仕事になりません。
 特に仕事につきもののクレーム対応においては的確な言葉遣いが必要とされます。
*ここで、「どもってもよい」と考えることは、(もちろん仕事に影響が出ないくらいのものは除きます)仕事の現実を無視したものになります。

 このように、このブログには・・・、
 子供の頃からのどもりによるストレスの積み重なりの結果としての心理的な問題、家族との軋轢、就職・転職がなかなかできない、仕事上での言葉に問題が生じ職務の遂行ができなくなりやめてしまった、追い詰められて自殺を考えている、などというという生の声が寄せられています。

吃音にも打たれ強くしなやかに生きる(再掲載一部改編:初掲載は2006年2月6日)

 どもりには調子の波があります。
 例えば・・・子供のころからどもりで苦労し、言葉では尽くせないような努力の末に(結果として)ことばの調子もよくなり(良くなったと自分では感じられ)、徐々に日常生活にも支障がないようになってきた。
*もちろんその前に、「どもりの重さの違い」という絶対的な問題があります。傍から見て軽く見えるどもりでも自分として生きるか死ぬかの問題になっている場合はいくらでもありますが、日常の簡単な会話でさえ大きくどもるほうが人生に大きく影響することはいうまでもありません。

 さて・・・、最近、電話に出ると自分の名前すらまったく言えなくなってしまった過去の自分がうそのようにしゃべれるようになってきた。
 これで、やっと、今までのどもりの苦しみからも解放され新しい人生が始まる。

 学校を卒業後、数年遅れたが、積極的な就職活動も実り、どもりであるがゆえにあえて避けてきた本来つきたかったしゃべることがメインの仕事にもなんとか就けた。
泣きたいくらいうれしい日々・・・
 しかし、そのような人にも突然、悲劇が訪れます。どもりがもとに戻るのです。
昨日まではよかったのに、今朝から言葉が出てこない。
昨日まで治っていたのに、
「何で自分だけがこんなに不幸なんだ!」
「人生を投げてしまいたい、生きていてもしょうがない、世界で一番不幸なのは私だ!」
こんな経験をしている吃音者は私だけではないでしょう

 しかし、それを乗り越えてきた吃音者には「打たれ強さ」が身につきます。
 また、自分の限界も見えてきます。
 自分の今までの仕事上のトライが自分の言語能力を超えたものであることが心からわかり、
「ここまでとことん努力しても自分はこれくらいはどもるんだね、そうだったら、これからはこう生きていこう。こんな仕事に就こう。」と

 「ある程度以上ある程度未満の重さのどもり」の人生はこんなことの繰り返しです。 少しオーバーかもしれませんが禅僧の修行に似ているかもしれません。
*もっと重い吃音者もいることも、また、ごく軽い人もいることも、「どもりは人それぞれで百人百様」ということを心に留めるべきです。また、吃音者を取り巻く環境(家庭環境・学校環境・職場環境)によっても、どもりが人生に与える悪い影響は大きく変わります。

 どもりの問題に限りませんが、年齢や経験を重ねるごとに、また年齢とは関係なくても自分の考え方を変えることにより・・・、
今までマイナスでしかないと思っていたできごとが、実は人生の重要な一部分と思えるようになるかもしれません。(耐えがたい出来事の連続にどうしようもなくなることもあるでしょう。)

 あせらず、くさらず、少しずつ、決して独りぼっちにならずに、友に愚痴をこぼしながら生きていきましょう。
*そういう話ができる友「親友」を作りましょう。