吃音:引きこもりそうなときは(再掲載一部改編:初掲載は2012年5月17日)

 どもりを原因として引きこもりそうな状態になっている、または引きこもってしまったら・・・
 ひきこもるきっかけはこどもから大人までいろいろあります。
 どもりを原因として学校でいじめられた、どもりを原因とした就職の失敗、会社で大きな失敗など、
 引きこもりはじめてそれがあたりまえの毎日になってしまうと、その状態から抜け出てエンジンをかけなおすのはかなり大変なことです。
*経験者ですからわかります。

★まずは、散歩でよいので1日に1回は外に出ましょう。
 15分でも良いと思います。それもいやっだら近所のコンビニに買い物に行くくらいから。
 ちょっと遠くへ歩いて買い物に行くのも良いですね。
 家のなかとは違う景色を見るだけでも、ちょっとずつでも何かが変わってきます。
*最初は自分に過度な負荷をかけないようにしましょう。無理なくできることから。

★朝早く起き規則正しい生活をする(朝日を浴びる)
 朝(毎日一定の時間に)起きて戸を開けて朝日を浴びるだけでも気持ちが違ってきます。何かをはじめようという気持ちになって来るかもしれません。
 朝早く起きて朝日を浴びながら、まだ人影もまばらな近所をウォーキングも良いと思います。
*太陽(特に朝日)の光を浴びることは、うつ病の予防と治療に役立ちます。

★言葉を(メインで)使わないボランティアかアルバイトをはじめる
「ボラバイト」で農作業など体を動かすと良いと思います。
*将来に役立つような、または興味を持った「習い事」をしても良ですね。体を動かすようなこと、歌を歌うような音楽系、
*スポーツクラブで定期的に体を動かすのも良いですね。運動は、うつ状態にならないように予防したり治してくれたりします。

★なかなかできないことですが、家族に「いまの自分の状態」や「いましていること、これからしようとしていること」を話して、できるだけ理解を得ることも大切です。自分が少しでも家のなかにいやすくする工夫です。家族もすこしは安心するでしょう。
 どもりのことを話せる友達がいれば、友達から家族に話してもらう方法もあります。言いにくいことを話せる友達「親友」がいなかったら(大多数かな?)、例えばどもりのセルフヘルプグループに通ってみてはいかがでしょうか? 見つかるかもしれません。

★いつも書いていることですが、心の健康を保つことです。
 日頃から気軽にかかれる何でも話せる、マイ精神科医、臨床心理士などを見つけてください。力強い身方になってくれます。

★親友を持つことです。
 先ほども触れましたが、どもりについて話し合える友を持っている人は少数だと思います。親友はひとりいれば充分です。
 と言っても、どもりをわかってくれる友を探すのは至難の業。
どもりのセルフヘルプグループに行ってみてはいかがでしょうか?

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吃音者が抱える厳しい現実のなかで、どもりについてフランクに話し合える場を持つこと(再掲載一部改編:初掲載は2017年10月17日)

 吃音者が生きるどもりを抱えながらの毎日は(たとえ傍から見てごく軽いどもりに見える場合でも)どもりでない人にはとうてい理解できないような「こころの重圧」を抱えている場合が多いのです。
 さらに、どもりに起因する生活上の問題(家庭内・学校・職場でのコミュニケーションがうまくできないことにより起こるいろいろな不都合)が大きい場合には、生きていく力を失わせるほどの(自殺を考えてしまうような)インパクトを持つ場合があります。(私がそうでした。)

★家庭のなかで、日常的に、言いたいことばが出てこないでことばにするのをやめてしまう。(子供の頃からこの状態が続くとかなりのストレスとなる)

★家庭のなかでかかってきた電話に出ることができない。(家族の前でどもるところを見せたくない)
電話をとっても最初のことば(自分の名字)がなかなか出てこないか、出てきてもどもり特有の繰り返しになる(すすすずきでです)。受けること以上に、自分から電話を(特に家族の前で)かけることができない。

★買い物の際店員さんに自分の名前を言えないので予約を伴うような買い物ができない(レストラン・美容院・マッサージなどの電話予約なども)

★学校や職場での自己紹介の際に、最初に言うべき自分の名前が言えないか、なかなか出てこないで笑われたり、いじめられたり、仕事(職場)の場合は、顧客から上司にクレームが入り担当の変更を要請される。

★学校で先生に指名されても(答えはわかっていても)ことばが出ないので「わかりません」といってしまうか(それすら出ないことも)、テキストの朗読で指名されてもことばが出てこないかしどろもどろになってしまう。(当然、笑われる、クラスメイトや先生からの陰湿ないじめにもつながってくる)

★職場では、かかってきた電話に出ても冒頭に言うべき自社の社名が言えない。当然仕事にも影響が出る。このような状態が続くとさらに追い込まれて職場に居づらくなりやめてしまう。
自分からかける電話が特にどもってしまうので、社内では顧客に対するアポイントなどの電話ができなくなり、外出後に公園のベンチなどでかけるようになる(それでもどもってしどろもどろになってしまう)

★自己紹介はもちろん電話もうまくできないので、就職活動がまともにできない(なかなか踏み切れない)

★能力的には充分あるのだが、どもりのために不本意ながら、しゃべらないで良いか、話すことが最小限で通用する職種に就いた(やっとつけた)。
*小学生は小学生なりの、失業中・求職中の人、社会人(仕事に就いている人)も、その人なり(どもりの重さ・症状の違い、家庭の経済的な環境、家族の理解度の違い)の問題を抱えます。

 一方、吃音者のそばにいる家族、友人、学校の同級生や職場の同僚は、吃音者本人がそれほど苦しい想いを持ちながらギリギリの状態で生きていることが理解できません。(想像すらできません)
 どもることを原因として、しだいに学校や職場を休みがちになる。ついには引きこもりになる。
 学校を卒業しても(なかなか)就職できない、入った会社を辞めてしまってもなかなか転職できない(しない)ことに対して、そばにいる人はついつい厳しいことばをかけてしまうことがあります。
 それが結果として吃音者のこころをさらに追い詰めてしまいます。

 このようななかで、吃音者はどのようにすれば良いのでしょうか?
*どもりはその原因が医学的にわかっていませんので(この先も当分はわからないでしょう)確実な治療法やリハビリテーション方法はありません。(長い間、民間の無資格どもり矯正所「のようなもの」が続いてきたのです。)

 ★「どもりによる様々な生きづらさ」を語り合える環境(友人・グループ・時間)を持つ。
*必要に応じて、それぞれの人生の状況に応じた必要とされることばのスキルを持つため、比較的良い状態をなんとか維持するために、仲間同志で工夫して言語訓練やメンタルトレーニングをする。

 吃音者はどもりのことについてフランクに話し合える友人を持つことが(なかなか)できません。

 なぜならば、自分のどもりについて家族にすら話せないか(ほとんどはそうです)、話したが相手にされなかったり、わかってもらえないという経験を子供の頃から繰り返しているからです。
*学校の同級生に吃音者がいない場合は、どもりを持つ友達を探すことすらできません。
*私も大卒後に、就職できずに引きこもった後に通った民間のどもり矯正所ではじめて、どもりについてまともに話し合える友を得ました。

 なかなかどもりという問題を共有できる友人を得ることができない。
 そこで、考えられるのが・・・、
どもりのセルフヘルプグループに参加して、どもりについて遠慮なく話し合える友人を見つけることです。
*そのセルフヘルプグループになかなか参加できない(決心できない)のが吃音者の気持ちでもあります。

 セルフヘルプグループに参加するようになったら、どもりを持ついろいろな立場の人(年齢の違い、男女の違い、家庭環境の違いなど)の意見をよく聞きましょう。

 その後、セルフヘルプグループの中で、「話しができる人」、「自分の考えに近い人」、「攻撃的でない人(不用意にことばで人を傷つけない)」を探し出し、その人と友人になれば良いと思います。
 仲間同志でいろいろと活動もできると思います。

「吃音にこだわる」と「吃音で困る」の違いは (再掲載一部改編:初掲載は2011年10月22日)

 吃音者(どもり持ち)が生きていく上で・・・、
 どもりに「こだわる」ことをやめて、毎日の生活、つまり「生きていくこと」を優先させていこうという考え方があります。
*どもりの重さの違いや環境(特に子供のときの家庭環境・学校環境・職場環境)の違いによって、こだわり方、こだわる度合いも大きく変わってくるでしょう。

 一方、どもりで悩んでいる人(私もそのひとりですが)と深く話し込んでいくと、どもりに「こだわっている」のではなくて、もっと単純な話しで「どもることで困っている」「生きていくうえでどもることが障害となっている」ということがよく分かります。

 おとなの場合で言えば、
★どもることで仕事に大きな支障が出て困っている。
 顧客とのコミュニケーションに問題が出て自分の仕事やチームとしての仕事に問題が出る。迷惑をかけていて、このままでは職場に居づらいと感じているし、同僚には陰口をたたかれる。
また、上司からも注意される、取引先からも担当の交代を要求される。

★どもるために就職・転職できないで困っている。
どもることにより希望の職種や企業に採用されないこと、どもることで仕事探しがうまくいかずに働こうという意欲がそがれていく。
*他の能力は十分にあるのに、どもりのために希望する職種に就職できないということも含む

★日常生活や親戚付き合いにおけるコミュニケーションに支障が出てこまっている

ということです。

 子供でいえば、
★授業中や休み時間に大きくどもったり分かっていることが言えずに困っている。劣等感にうちひしがれている。

★どもることを笑われたりからかわれたりすることにより恥ずかしい思いをし、劣等感の塊になっている。(クラスメートや先生から陰湿ないじめを受けていることを含む)

★死にたいと思うほど深刻に悩んでいるのに、家族はその想いを受け止めてくれずに困っている。

 つまり、哲学ではなくて生活(生きていくこと)に根ざした問題なのです。
 子供でいえば将来(進路)のことで大きな不安を感じて困っているということ。
大人でいえば、人と関わって、話して、働いてお金を稼いで生きていくのに困る、という問題なのです。

★どもりが軽くなるか治る(そうするために自分でいろいろと努力する)
★ことばで勝負しない仕事に変える
★いじめられている学校から転校する
 などにより、どもることにより困る割合が減るか、減らしていけば、結果的にどもりにこだわる割合も減っていくでしょう。哲学ではなくて身体感覚なのです。
*現実的には、転校先の学校でまたいじめられる、転職先の職場でも同じような苦労をすることもあり得ます。

 それを実現するのにはふた通りあるのではないかと思います。

★ひとつめは、自分の生活環境、仕事環境、生活圏を変えることです。
 都会で追い詰められているのならばUターンやIターンで都会から離れることです。たとえ、収入が大きく減っても、地方でゆったりと過ごすことにより自分が取り戻せるかも知れません。
 また、現在地を離れない場合でも、生活レベルを下げてもよいという覚悟ができれば、ことばの面で必要以上に無理をしない職業に変わるということで困る度合いを減らせます。
 仕事も多様化しています。NPO、NGOなどの利潤追求を第一としないところで働く。農業法人のようなところで働き、ことばで仕事をする度合いを(企業のデスクワークや営業などと比べて)下げてみる。

★もう一つは、自分を、いま生きている環境やこれから生きたい環境に自分を適応させるべく努力することです。
 それには、心理カウンセリング(本人、家族)やリハビリテ-ション(言語訓練)を行なうことにより、どもりを少しでも軽くすることがあります。
 また、仕事に支障が出ないように、どもりの度合いを低いレベルで維持するように努力することも含まれます。
*現実にはどもり(特に思春期以降)に精通した言語聴覚士などは極めて少ないし、その人に出会える方法がないので自分で工夫する必要があります。
例えば「どもりのセルフヘルプグループなどで知り合った気の合う仲間で集まり公民館などの部屋を借りて、どもりそうな場面を再現し、問題点や対策を話しあい考えるサイコドラマと学習会を行なう」のも効果的だと思います。

 自分なりに努力しても、どうしても仕事に支障が出てしまい精神的に耐えられないならば、自分の心と体を守るために、計画的に転職・転業していくことも含まれます。

 しかし、これらがなかなかうまくいかないから、いまに至るまで、ある程度以上の重さの吃音を持つ人は困っているのです。
*背景には、どもりの原因が医学的にわかっていないので確実な治療法がない、効果的なリハビリテーションができない、社会的にどもりの苦しさが認知されていないのでしっかりとした社会的な対策がなされない、ということがあります。

 今回書いてきたことも、「重さや症状の違い」や「生きてきた生きている環境の違い」によって大きく変わってきてしまいます。
 どもりの問題は、ケース毎にすべて違うものだと考える必要があります。
*違うからこそ、吃音者どうしで違いを意識しつつ協同してできることがあるのではないか、と思います。

吃音:自虐的にならないで!よい方向を目指して少しずつ生きていきましょう(再掲載一部改編:2014年3月26日)

 子供の頃からどもりによる様々な苦労を重ねていると、どもること自体を自分の努力不足の結果のように考えがちになり自虐的になってしまいます。
*背景には、親を含む周囲からのそう思わせてしまうようなことば(悪意はないにしても)があると思います。

 親を含むいろいろな人から、「気にしすぎ」とか「もっと苦労している人はいる」のようなことを言われ続けると・・・、
「自分が悪い」「自分の努力不足」のように思うことが日常になりますが、そのような生き方をしていると、どもりの症状そのものにもよい影響があるはずがありません。

 サポートする人の側にも、「自分の考え方を変えれば良い」というような言い方をする人もいますが、まず考えるべきは、どもりは自分のせいではない「言語障害」ということです。
 どもりは一部の生活習慣病のように自分の不注意や不摂生からなったものではありません。
 過剰な被害者意識はよくありませんが、「自分が甘いから乗り越えられない」ような自虐的な考え方はよしましょう。

 それには、「どもりでいま困っているという事実」や、「人生においてどもらない人と比べて明らかに不利なことが多いということ」を自分のこころのなかで素直に思い・感じて、せめて信頼できる人のなかでは思いっきり「こぼせる・愚痴れる」ような環境を努力して作りましょう。
*家族にそれを求めるのは、ほとんどの場合は、無理です。
*ホームドクター的な精神科医や臨床心理士を努力して見つけて定期的に相談するとよいと思います。

 そのうえで、自分(たち)でできることをひとつずつ行っていくことです。
 どもりに熱心に取り組んでいる言語聴覚士に(幸運にも)出会えればその人の力を借りても良いでしょうし、
 また、信頼できるどもり仲間を作り、その仲間と小さなセルフヘルプグループを作り自分たちなりの目標を作って活動するとよいと思います。

 自分なりの努力をしていくなかで、それでも、「どもりがなかなか治らない」、「軽くならない」、「学校や仕事において明らかな問題点が出てくる」という現実に向かい合ったときに、自虐的でない、良い意味でのどもることに対する自分なりの考え方が少しずつ固まってくるかもしれません。
 その際には、ひとりで良いので、どもりのことをすべて話せる親友が必要です。

吃音(ある程度より重い)で、授業中にふるえている少年少女や、就職を控え不安でいっぱいの人の心をなえさせないために(たびたび再掲載一部改編:初掲載は2010年7月13日)

 日本人は、(自分もそうですが)、今でもなお、がんばることが好きです。努力家です。
 今の時期(時代)に書くと否定的に聞こえるかもしれませんが、人生においてがんばることは大切で、昨日の自分よりも今日の自分は少しでも前に進もうという気持ちがないと、多くの場合人生が停滞してしまうでしょう。
*例外が福祉の領域だと思います。心や体に重い障害を持っている人に、障害を持っている部分で必要以上に「がんばることを求める」ことはもってのほかです。その人なりの得意分野で無理のないように徐々に社会参加ができるようにサポートすることが、国や自治体、そして近くにいる人たちの使命ではないでしょうか。

 さて、いつも書いているように、どもりには重いどもりと軽いどもりがあります。そして、その症状も実に様々です。

 比較的軽いどもりの場合には、(そして、吃音者と家族やサポートする側とで信頼関係がある場合は)、場合によってはあえて叱咤激励することにより「最初の一歩」を踏み出せるように手伝うことも考えられますが、重いどもりの場合には、叱咤激励が全く逆に作用することになるかもしれません。

 耐え難いようなどもりの悩みをを抱えながらも、こころの面、言語面において満足するサポートが得られないことが多い(高校生以降は事実上なし)日本においては、孤立無援の状態で、無理をしてでも学校に通ったり就職活動したり、働いたりせざるを得ないのが現状です。
*本当にしんどい場合には無理をしようとしても足が向かなくなりますが、そこまで我慢したらたいていはうつ病などの心の病気になってしまいます。
心の病気になると多くの時間を病気との闘いのためにとられてしまいますし、回復にはかなりの時間がかかります。

 TVのニュースなどでは、毎日のように家族や会社内の人間関係からの凄惨な殺人などが報道されます。
 以前だったら破壊的な結果になる前にご近所や親戚など近くの人が助けてくれたりなどの最低限の「安全装置」がありましたが、いまは、世の中のいろいろな場面で「いきなりに限度を超えてしまって破滅的な結果に終わる場合」が多いようです。

 どもりについても、以前(1970年代くらいまで)の日本では、学校を出てもどもりでなかなか就職ができなかったら、ご近所や親戚の紹介で就職することもできたでしょうし、都市近郊でも、いわゆる会社員のほかにも農業に従事したり家業を継ぐなどの方法もあり、それで生きていくことができました。
 しかし、今ではそういう選択肢もなくなってきました。
 たとえ、あったとしても「ジリ貧」になってしまいます。食べていけないのです。

 また、家族や友人間のコミュニケーションの量が減り質も落ちているので、どもりで本当に困っている人の苦しみや孤独感がまわりに伝わらないことが多く、精神的に追い詰められている吃音者が多いのではないかと思います。
*スマホなどでの見かけ上のコミュニケーションの量は飛躍的に増えているでしょうが、たわいのないやりとりばかりで、「人にはなかなか言えないようなことをざっくばらんに話せるというレベルのコミュニケーションや人間関係」が減っているのです。

 いまこのときにも「自殺」することばかり考えているような、深刻に悩んでいる吃音者がどれくらいいるでしょうか?
 サポートする側は、「悩んでいる人ほど孤独になる」ということを考えた上で動かなくてはいけません。

 ではどうすればよいでしょうか?
 吃音者がどもりのために自暴自棄になってしまうまえに、まわりの人ができることは・・・、
★身近にいるどもりを持っている人が(たとえ軽く聞こえるどもりでも)、「もしかしたら、思い詰めていて自殺を考えるほど悩んでいるかもしれない」と考えてみること。
★進学、就職などの人生の節目においては特に、どもりを持っている人は100%悩んでいるという前提のもとに動くこと。

 まわりにいる人ができることは、「まずは、ひたすら吃音者の言葉を傾聴することにより信頼関係を築くこと」「そして共感すること」
「(信頼関係を築いた上で)、どうすれば良いかを一緒に考えること」です。

*どもりを原因としたうつ病経験者でもある私としては、うつにも同じような考え方ができるのではないかと思います。日本のうつ病に対する体制、短い診療時間と安易な薬の投与ではなかなか治らない。バブル崩壊以降、国民病といわれているうつ病に対する日本の取り組みの問題点がTV、新聞、雑誌等でたびたび取り上げられているにもかかわらず、一向に改善される気配すらないのには怒りすら覚えます。

吃音:幼少時からの親子関係・家庭環境がもたらすもの(たびたび再掲載一部改編:初掲載は2012年9月11日)

 どもりを持っている私が生きてきたなかで、また、幾人かのどもりを持つ友人と接してきて感じていることなのですが・・・、
 仲良くなりお互いの人生について忌憚なく話し合えるようになった「おとなの吃音者」のなかに、自分の幼少期の話題になると急に寡黙になる方が少なからずいらっしゃるのです。

 吃音についての一般論は実に多くを語り積極的に活動されている方が、自分の子供の頃の話しとなると急に寡黙になるのです。
 吃音者に限らず、自分の過去の話しになると、比較的親しい間柄においても急に寡黙になる方はいらっしゃいます。

 そのようなときには、「かなり辛い経験をされてきたのだろうな」とか、
「大変な苦労をされてきて思い出したくもないのだろうな」と考えて、こちらからはそれ以上聞くことはしませんね。(おとなの常識です)
*「親友」とは、そういうところまで話せる人間関係のことだと思いますが、実際には持っている人はかなり少ないようです。同じ悩みを共有している吃音者の間では比較的できやすいような気がしています。

 なんでこんなことを書いたかというと・・・、吃音者は心の解放がうまくなされていないのではないかと思うのです。
 子供のころからどもりにまつわるかなり辛い経験をしてきているにもかかわらず、それを無理矢理にこころの奥底にしまいこんでしまおうとするか、または無理に棚上げにしておこうとすることで、いまの自分をなんとか保とうとするようなギリギリの生き方をしているように見えてしまうのです。
*自分も30代前半くらいまではそういう生き方で無理を重ねていました。そういう「危うい生き方」が、結果としてどもりを維持させたり悪化させる、また、実際の症状以上に自分のどもりを悪く評価してしまい苦しんでいるのではないかと思うのです。

 こどもの頃からの辛い経験は、例えば・・・、
★子供の頃、どもる度に家族から注意されたり、場合によっては笑われたり無視されたりして自分の家のなかも安住の地ではなかった。

★子供の頃、学校や友達の間で(場合によっては家庭内で)、どもることにより精神的なレベルか肉体的なレベルでいじめ・虐待を受けていた

★家族関係(親子、夫婦、兄弟、祖父母)が劣悪でケンカやいざこざが絶えず、その人間関係によるストレスにより自分のどもりが維持され悪化して、結果として人生がうまくいっていないとこころのなかで強く思っている。

★しかし、自分の幼少期の経験や自分の家族については否定的に思いたくないし、そういう事実を人に知られたくないという複雑な思いが自分を締め付けている。

 一方、全く逆の環境の場合は・・・、
★学校でどもりで困ったり恥ずかしい思いをしても、帰った家ではいくらどもっても怒られることも注意されることもなく静かに話を聞いてくれるので、自分がどもりで困っていることをわだかまりなく家族に話せる。

★家族間で全くケンカのない家庭などありませんが、質実剛健で思いやりのある明るい家庭。

 こんな家庭環境に子供の頃からあれば、どもりが治るかどうかは別として、前述よりかは明らかに良い結果(吃音の悪化が食い止められる、心理的に重症のどもりとならない可能性が大になる)になるでしょう。

 それでは、前述のような「悪い家庭」で育ってしまった場合にはどうしようもないのかといえば、おとなになってから自分の努力でかなり回復できるものと考えます。

★アダルトチルドレンであることを認識する
 「こどもの頃、我慢していたこと」、小中学校のころからどもりで困ったり、どもりを原因としていじめられたりと、場合によっては自殺を考えるほどに悩んでいたのに家族には話すら聞いてもらえなかったし、言い出せるような環境ではなかった。
 そのような場合には、年月を経てからでも、年老いた親の前でも、「当時、自分がたいへん困っていて悩んでいたのに家族には何もしてもらえなかったこと」を大きな声ではっきりと言いましょう。(たぶん家族からは理解されないと思いますが)自分のなかで何かが変わりはじめるかもしれません。

★いままでは自分の人生のなかの「負の部分」と思って、こころのすみっこの方に紙に包んでしまっておいた「こどもの頃のどもりについてのいろいろなこと」を、自分の人生のなかの「ほんとうにあった隠せない事実(人生の一部)」とするために、自分で工夫しましょう。
 それには、例えば、東洋的な修養法である「座禅」なども良いかもしれません。
*もちろん、方法は、人それぞれです。

★やはり、自分の負の部分をためらいなく語れる友人(親友)を持つことです。

★セルフヘルプグループなど吃音者の集まりに積極的に参加して、自分以外のいろいろな立場の吃音者(性別、年齢、生きざまの違う)がどのような人生観を持って生きているかを体感することです。(ネットのつながりだけでは弱すぎます。)

★信頼できてなんでも話せるホームドクターとしての、精神科医、臨床心理士、できれば言語聴覚士も、などを努力して見つけ、それらの専門家のサポートのもとで、自分のどもりやいままでの人生をできるだけ俯瞰できるように(自分を客観視できるように)していくことです。

吃音:自分のことは自分がいちばん良く分かってはいるが・・・(再掲載一部改編:初掲載は2014年12月25日)

 どもりを持っている、それもある程度以上の重さのどもりを持っている人にとっては、どもりはじめた子供の頃からいままでの「自分しか知らないどもりにまつわるつらい経験・想い」がたくさんあります。  
そしてそれは、他の人にはなかなか理解してもらえないものでもあります。  
 親や学校の先生、専門家と言われる人たち(STなど)にもなかなか理解してもらえないでしょう。
*とりあえずでもどもりの話を最後まで聞いてくれる人が身近にいるだけでもかなり恵まれていると思うべきです。
*学校や職場では、言うべき時には言うべきことをしっかり・はっきりと言うことを求められます。(学校の授業中の発表や、職場での営業トーク・電話等でコミュニケーションに支障が出るような人でも)家庭では必要最小限のことをしゃべれば良いので、家族からはどもりの深刻さを理解してもらえないことも多いと思います。
*もちろん、家庭での最低限の会話でも大きくどもるような方もいらっしゃることを忘れてはいけません。
*吃音者どうしでも、重さや症状、育った環境(精神的・経済的)が違いますので、なかなか理解しあえないことがあります。  

 ですから、自分の経験や自分がいま感じていることを大切にして、しっかりと自分の意見を持ってこれからの生き方に生かしていく必要があります。  
人(親、先生、専門家)からのアドバイスに必要以上に振り回されないようにしましょう。
*なぜならば、人生は自分のものであり最終的には誰も責任をとってくれないからです。  

 しかし注意すべきこともあります。 自分の考え方を持つうえでの「思い込み」の注意です。  
自分の考え方を持って力強く生きていくことはとても大切なことですが、ひとつの考えにとりつかれてしまい柔軟性を失ってしまうことへの注意です。

「この生き方しかない」と周りが見えなくなることがいちばん危険なことです。  

 そのようなことにならないためには、
★多くの人(吃音者も非吃音者とも)と付き合って、いろいろな生き方考え方があることに普段から触れていることです。
*偏った考え方に陥らないようにするためです。

★しかし、他の人の考えに過度に振り回されないように、自分なりに精神修養や気分転換をして自分の考えをしっかりと持てるようにしていくことです。
*「いわゆる新興宗教など」にはまってしまわないように注意しましょう。

★信頼でき自分のことを隠さず言えるようなこころの専門家(精神科医や臨床心理士)をぜひ見つけてホームドクターにしてください。そしてその先生には自分の思いを率直にぶつけてください。(ぶつけられる先生を選んでください)

★人生には大きなピンチが何度もあります。(いくつからでも人生を生き直す覚悟)
 それができるように、自分の周りの環境(経済的・精神的)を日頃から整備しておくことが大切です。 ときには「大きな生き方の変更」が必要になるかもしれません。それを緻密かつ大胆にできるように覚悟し準備しておくことです。その際に大きな助けになるのは、やはり安心して心の内をさらけ出せる親友の存在です。

吃音によるストレスが心と体に与える悪い影響(再掲載一部改編:初掲載は2008年4月7日)

 (ある程度以上の重さの)どもりを持っている人が生活のなかで受けるストレスは尋常なものではありません。
 今回は、お気に入りのブログに登録させていただいている「シンプルシンキング」の「とらのこさん」が読まれた、
「身体が(ノー)というとき、抑圧された感情の代価(ガポール・マテ著 日本教文社)」を読んでみました。(2008年)

 この本は、カナダの緩和ケア専門医でサイコセラピストでもある医師が書いた本です。
 大きなストレスがかかっている状態なのに、弱音を吐いたり自分の苦しい状況を話したりしない。そして、できないことに対しても、はっきりと「できない」とか「ノー」と言わないと、やがては身体が代わりに「ノー」と言い始めるというような内容です。

 私の半生に当てはめてみるとまさにぴったりの本なので、うなずきながら読んでいました。

 どもることによるストレスは尋常なものではありません。
 ある程度以上の重さのどもる人は、朝起きてから学校や職場で一日過ごして帰宅してという一日のなかで、24時間すべての時間帯で過大なストレスがかかっています。
 ストレスは心理的なものですが、ある限度を超えると身体にも症状が現れてきます。様々な病気の誘因になるのです。

 本の中では、様々なストレスが引き起こす癌や強皮症についてなどの具体例が示されていますが、どもりによるストレスは24時間フルタイムなので、子供の頃より悩んでいた人にとっては、うつ病や神経症などの心の病気はもちろんのこと、様々な身体の病気がどもりによるストレスが誘因となり起こったと考えて、いままでの生き方が妥当だったのか根本的に見直してみる必要があると思います。

吃音:ほんとうにどもりで困っている人はなかなか言い出せない(再掲載一部改編:初掲載は2015年3月20日)

 以前、どもるの人たちの泊まり込みの集まりに参加したときのことです。
 その集まりは、男性も女性も参加していて、年齢層も20歳代から50歳代まで、人数もほどほど(15人くらいだったでしょうか)で、いろいろと話ができそうな雰囲気でした。
 講師の語らいと意見交換の時間が主でしたが、夕食後の遅い時間には打ち解けて話せるフリートーキングの時間もありました。

 こういう機会を持つことは吃音者(児)にとってはとても大切なことだと思います。
 ほんとうは子供にこそ必要で、小学生のころから春休みや冬休み、連休などを利用して、学校の校舎でよいので、同じメンバーで継続的に行うことができれば、
そして、親御さんはもちろん、学校のことばの教室の先生、普通の先生なども参加して打ち解けたなかでじっくりと(本音で)話すことができれば、
「それで治る!」なんてことはあり得ませんが、それぞれの心のなかに大きな変化が生まれてくると思います。
*セルフヘルプグループでも一部行なわれていますが、もっと頻繁にいつものメンバーで継続的に行なうことが必要です。

 しかし、私が参加した集まりでは気になったことがあります。
 ほんとうに困っている人、やっとの思いでこの集まりに参加してきた人の発言の機会がないのです。
 なかなか言い出せない人がいるといちばんわかっているメンバーのはずなのに・・・

 どもりが重くて(重くなくても)、自分からは(どもりの仲間の集まりでも)言い出せない。
 毎日の生活でどもりのために追い込まれていて、どうにかなってしまいそうな自分をなんとかしたくて、そのきっかけがほしくて思い切って参加した。
 そんな人が、やはり、ほんとうに困っていることを言えずに時間が過ぎていってしまう。そんな印象でした。

 会合の講師は、「なにか言い残したことがありますか?」と聞いてはくれますが、やはり言い出すことができません。(雰囲気でわかります。目が語っていました)

 心のなかに溜まった何年・何十年か分の「言いたいこと、思い詰めていること」があるのでしょうが、やはり言えない・・・その人の仕草から強く感じました。
 もう10年ほど前のことですが、ふと思い出しました。

吃音で困っている人の現実を知ること(再掲載一部改編:初掲載は2012年2月22日)

 このブログではいつものように書いていますが、どもりの原因は未だにわかっていません。
 21世紀初頭の人類の科学のレベルでは、「脳科学」などといっても幼稚なものです。
脳の手術や投薬によって、またリハビリテーションによって確実にどもりを治すことは「夢物語」です。
*うつ病も「薬で治る時代になりました」などという宣伝も見かけますが、一部の軽いものを除いては、現実は全く違います。社会的な背景がある心の病気なので、うつ病を経験し仕事を休職した方や退職した方。身近に患者がいる方ならば身にしみておわかりのことと思います。時間をかけた丁寧な心理カウンセリング、家族の協力、職場の理解と会社の経済的余裕(休職者を抱えていける、その後もとの地位に復帰できる)などがあって、また場合によっては転職・転業をするなどの決断と家族のバックアップがあってはじめて良い方向に進んでいくものです。

 いま、学齢期以前に自然治癒せずにそれ以降にどもりを持ち越して、日常生活や学校生活、仕事に支障があるような重さや症状のかたで、その後、少しでも「どもりが良くなった」という方々は、(自分も含めてですが)、まさに自分で工夫したの対症療法の結果です。
 それも、我流や、昔から民間の無資格矯正所で流布されてきたような民間療法を自分なりに、また、どもりの仲間同志でアレンジして、さらには実生活で多くの苦労を積みながら、「結果的に軽くなった」という方々です。
*といっても、いつまた再発するか悪化するか、それがわからないのがどもりの特徴です。進級や進学・転校、社会人の場合は転勤や転職等の変化によって、軽くなっていたどもりが吹き返し、いまの仕事ができないくらいに悪化することもあたりまえのようにあります。

 つまり、医学的にどのような理由で軽くなったかということがわからないので、いつまでたってもそれらは亜流としか存在できず、また、専門家といわれている人の知識や治療の実力が、(どもりを身をもって体験している吃音者のどもりに関しての知識を凌駕できないために)、知識欲旺盛な吃音者から見透かされる場合すらあります。

★専門家といわれる人が(特に思春期以降のどもりは)治せないというか、扱えない(扱わない)現実、
★どもりは個人ごとに症状も、そのバックボーンも大きく違うという現実
★吃音者もそれぞれ求めるものが違う、という現実
 などを考えるときに、専門家を含む第三者ができることは・すべきことは、まずは、吃音者が「いまをできるだけ生きやすくなるお手伝いをする」ことではないでしょうか?

★学校や職場で、どもりを原因として陰湿ないじめを同級生や先生、同僚、上司から受けていないか?
★吃音を持った子供が家庭内で家族からネグレクトや言葉によるいじめを受けていないか?、
★学校を出てもどもりのために就職できず引きこもっていないか?

 このような、どもりであるがための不都合にひとつケース毎に丁寧に対処していくこと。
 また、場合よっては、少しでもなめらかに言葉が出てくるような言語訓練を個人ごとに工夫しながらおこなうこと。
 かなり重いどもりの場合は、いたずらに言葉の流ちょう性を求めるのではなくて、まずは環境を整えて少しでも生きやすくして安心感を持ってもらえるようにすること。

 いま現実に困っている吃音者のまわりにいる人は、中途半端な理屈や精神論を吃音者に語らないで、現実に起きている問題をひとつひとつ解決するためのお手伝いをすることからはじめる必要があります。