吃音(ある程度より重い)で、授業中にふるえている少年少女や、就職を控え不安でいっぱいの人の心をなえさせないために(再掲載一部改編:初掲載は2010年7月13日)

 日本人は、(自分もそうですが)、今でもなお、がんばることが好きです。努力家です。
 今の時期(時代)に書くと否定的に聞こえるかもしれませんが、人生においてがんばることは大切で、昨日の自分よりも今日の自分は少しでも前に進もうという気持ちがないと、多くの場合人生が停滞してしまうでしょう。
*例外が福祉の領域だと思います。心や体に重い障害を持っている人に、障害を持っている部分で必要以上に「がんばることを求める」ことはもってのほかです。その人なりの得意分野で無理のないように徐々に社会参加ができるようにサポートすることが、国や自治体、そして近くにいる人たちの使命ではないでしょうか。

 さて、いつも書いているように、どもりには重いどもりと軽いどもりがあります。
 比較的軽いどもりの場合には、(そして、吃音者と家族やサポートする側とで信頼関係がある場合は)、
場合によってはあえて叱咤激励することにより「最初の一歩」を踏み出せるように手伝うことも考えられますが、重いどもりの場合にはそれが全く逆に作用することが多いでしょう。

 耐え難いようなどもりの悩みをを抱えながらも、こころの面、言語面において満足するサポートが得られないことが多い日本においては、孤立無援の状態で、無理をしてでも学校に通ったり就職活動したり、働いたりせざるを得ないのが現状です。
*本当にしんどい場合には無理をしようとしても足が向かなくなりますが、そこまで我慢したらたいていはうつ病などの心の病気になってしまいます。
心の病気になると多くの時間を病気との闘いのためにとられてしまいますし、回復にはかなりの時間がかかります。

 TVのニュースなどでは、毎日のように家族や会社内の人間関係からの凄惨な殺人などが報道されます。
 以前だったら破壊的な結果になる前にご近所や親戚など近くの人が助けてくれたりなどの最低限の「安全装置」がありましたが、いまは、世の中のいろいろな場面で「いきなりに限度を超えてしまって破滅的な結果に終わる場合」が多いようです。

 どもりについても、以前(1970年代くらいまで)の日本では、学校を出てもどもりでなかなか就職ができなかったら、ご近所や親戚の紹介で就職することもできたでしょうし、都市近郊でも、いわゆる会社員のほかにも農業に従事したり家業を継ぐなどの方法もあり、それで生きていくことができました。

 しかし、今ではそういう選択肢もなくなってきました。
 たとえ、あったとしても「ジリ貧」になってしまいます。食べていけないのです。

 また、家族や友人間のコミュニケーションの量が減り質も落ちているので、どもりで本当に困っている人の苦しみや孤独感がまわりに伝わらないことが多く、精神的に追い詰められている吃音者が多いのではないかと思います。
*スマホなどでの見かけ上のコミュニケーションの量は飛躍的に増えているでしょうが、たわいのないやりとりばかりで、「人にはなかなか言えないようなことをざっくばらんに話せるというレベルのコミュニケーションや人間関係」が減っているのです。

 いまこのときにも「自殺」することばかり考えているような、深刻に悩んでいる吃音者がどれくらいいるでしょうか?
 サポートする側は、「悩んでいる人ほど孤独になる」ということを考えた上で動かなくてはいけません。

 ではどうすればよいでしょうか?
 吃音者がどもりのために自暴自棄になってしまうまえに、まわりの人ができることは・・・、
★身近にいるどもりを持っている人が、「もしかしたら、思い詰めていて自殺を考えるほど悩んでいるかもしれない」と考えてみること。
★進学、就職などの人生の節目においては特に、どもりを持っている人は100%悩んでいるという前提のもとに動くこと。

 まわりにいる人ができることは、「まずは、ひたすら吃音者の言葉を傾聴することにより信頼関係を築くこと」「そして共感すること」
「(信頼関係を築いた上で)、どうすれば良いかを一緒に考えること」です。

*どもりを原因としたうつ病経験者でもある私としては、うつにも同じような考え方ができるのではないかと思います。
 日本のうつ病に対する体制、短い診療時間と安易な薬の投与ではなかなか治らない。バブル崩壊以降、国民病といわれているうつ病に対する日本の取り組みの問題点がTV、新聞、雑誌等でたびたび取り上げられているにもかかわらず、一向に改善される気配すらないのには怒りすら覚えます。

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吃音者と孤独(再掲載一部改編:初掲載は2007年7月1日)

 どもりを持つ人がその悩みを抱えたまま孤独に陥るのは危険なことです。
 その「孤独」というのは、表面的なもの(スマホや携帯に入っているアドレスや電話番号の数が少ないということ)でなくて、本音を語れる親友がひとりもいないことです。
*親友はひとりいればよいのです。
*父親や母親を含む家族にすら、どもりの苦しみを理解してもらえないことはむしろあたりまえのことだと思った方が良いでしょう。

 と言っても、どもりの悩み打ち明けて傾聴してくれるような友人を作ることは簡単ではありません。
 友人を作るための第一歩として、どもりを持つ人の集まりである「どもりのセルフヘルプグループ」に参加してみるのはひとつの有力な方法です。

 

大きく悩む吃音者の背後に見え隠れする「機能不全家族」 (定期的に再掲載、初掲載は2008年1月27日)

 ネット上で「私がどもりになったのは劣悪な家庭環境で育ったからだ!」というような文章を目にすることがありますが、
近頃は どもりになる原因(どもり始める原因)は、人間の発達途上での中枢神経系の何らかのトラブルらしいということが言われています。
*かつて書いた内容ですが(2013年2月20日)、アメリカが国家プロジェクトとして行なう「脳活動マップ計画」という10年がかりの巨大プロジェクトにより、どもりの原因に一歩迫れるかもしれませんね。

 そうはいっても、何かのきっかけで始まったどもりが、うつ病などのこころの病気を併発したり、また、不登校や引きこもりになるなどの深刻なものに推移していくかどうかは、幼少期から思春期までの家庭環境や学校環境に大きく左右されることは間違いないでしょう。
*「個人の気持ちの持ちよう」も大きな要素ですが、子供のころの環境は、子供自身の努力の枠を超えています。

 さて、最近、「機能不全家族」という言葉が使われるようになってきました。
*心理学にも「家族心理学」という分野ができています。

 よく言われる「アダルトチルドレン」を生み出すような家庭が「機能不全家族」ということになるのでしょう。
 親が酒を飲んで暴れる、毎日のように夫婦喧嘩を繰り返している、必要以上の権威主義、家族間の無関心、過剰なまでの親の子供への介入など・・・、
 我が子のどもりについての「無関心」、「どもる度に怒る」、「どもる度に言い直しをさせる、ゆっくり言いなさいと神経質に注意する」などもその類ですね。

 近所からみると「立派な両親が揃っていて、豪華な家もあり・・・」、
でも、「なんでも揃っているが、何もない空っぽの家庭・・・」というセリフが出てきそうな家族や家族関係のことです。
近所から見ても、明らかに異常な家庭もいくらでもあるでしょう。

 どもりをもった子供に接するときは、その背景、特に「家庭環境はどうか。親は協力的か」、「学校でのいじめはないか。先生は協力的か」などをきちんと調べていかないと、的外れなアドバイスをしてしまう可能性があります。
*親殺し子殺しの事件が起きたとき、学校でのいじめの事件が起きたときに「自治体の児童相談所の職員の会見」「教育委員会の会見」などがテレビで流れます。
その多くはお役人のおきまりのことばで「これじゃ防げないよね」思ってしまいます。冷静に考えるとスタッフの量も質も足りていないことが明白でしょう。
しかし「少ない予算と人数で頑張っている」などというのは言い訳にもなりません。体制を大幅に強化して、強制力も持たせて、問題のある家庭には早期に極力に介入できるようにしなければ悲劇は防げません。

吃音者が「普通に生きる」という呪縛から開放されることについて(再掲載一部改編:初掲載は2007年4月6日)

 今回は、軽いどもりの話ではありません。
*ここでいう「軽いどもり」とは、「言い換えで対応すればなんとかなる」、「学校や職場で笑われたり、また、いじめの原因になるようなレベルではない。職場で仕事の進行に影響を及ぼすようなどもり方(結果として職場に居づらくなる)ではない」というレベルのどもりをさしています。しかし、こんな状況でも、こころのなかは常に崖っぷちで「自殺したい」という思いがあったり、うつ病などの心の病気になってしまうまで追い込まれている場合もあります。このような場合はもちろん重いどもりです。

 吃音者は、一生懸命にどもらない人に近づこうとします。
あたりまえです。どもりは実に不便な障害ですから。そして、とてもかっこ悪い!

 たとえば電話をかけるとき。
 こちらがしどろもどろのひとり芝居を続けている間、電話の相手がふきだしているのが(またはそれを我慢しているのが)受話器から聞こえる 。
*それでも、用件が済ませれば良いほうです。

 授業中に指名されても・・・、(ほんとうは読めない漢字もないし、わからない単語もないし、数式の意味もわかっているのに)、最初の言葉が出てこない(のがわかっている)ので、または大きくどもって笑われたり、いじめられるのがいやなので・・・、「わかりません」で済ませてしまう。
*「わかりません」という言葉も出てこない。

 でも、このようなどもりのことばかりとらわれて、「なんとか普通になりたい、どもらない人のように普通のしゃべりたい」ということばかり考えていると、ますます、しゃべる前の不安(予期不安)が増大してきます。

 このような人生を続けていると、うつ病などの心の病気になる可能性が大きくなることは専門家でなくてもわかります。
*現実には、残念ながら、こんな状況に陥っている方が大勢いらっしゃるはずです。

 こんな方ほど、「どもらずに普通に生きる「どもりが治れば、治りさえすれば」)という考えの呪縛から開放されないと本当に大変なことになってしまいます。
*悪いことに、我慢強く努力家の方ほど、結果的にぎりぎりまで追い詰められてしまいがちです。

 まわりにいる人たちも、「もう、そんなにがんばらなくていいんだよ!」と言ってあげてほしいですし、
それよりも。そこまで追い詰められる前に・・・、日常的に相談できるホームドクター的な精神科医を見つけ出してこころの危機管理をしてもらいましょう。

 ドクターはどもりについての深い知識はありませんが(治せませんが)、どもることで自分がどんなふうにこころの危機にあるかを訴えれば(どもって言えない場合は書いて渡せば良い)ドクターの専門領域から様々な援助をしてくれるはずです。

 また、どもりのセルフヘルプグループに参加して、様々な立場(家庭環境・年齢・職業・男女)の吃音者に接して、自分を(自分のどもりを)俯瞰できるようにしていけば良いと思いますし、なによりも同じ悩みを持つ友人を持てることは人生の宝となるでしょう。
*もしも、学校でいじめを受けている場合には、そして信頼できる相談相手がいない場合には、迷わず警察に相談しましょう。電話ができなかったら直接行っても良いと思います。絶対に我慢しないでください。

 

吃音をもつ子供の親ができること(再掲載一部改編:初掲載は2011年4月28日)

 いつも書いていることですが、「どもり」は実に多様です。症状も重さも人それぞれで大きく違います。

 自分のなかで、「どもること」をどのようにとらえて生きていくのか(いけるのか)。
どもることが結果として人生にどれだけ悪影響を与えるのかも、人ごとに(症状や重さごとに)大きく違ってきます。
*「どもり経験が自分にとって結果的に良いことだった」とまで言う人もいますから。

 これもまたいつも書いていますが、どもりの子供の家庭環境(精神的、経済的)が、その後の人生に大きく影響することも忘れてはいけません。

 どもっている子供の家庭が良くなければ「良い方向」に進みません。
・・・でも、こんな家庭が多いのです。

★常に夫婦喧嘩をしているような険悪な雰囲気の家庭
→どもりだけでも相当に参っているのに、こどもに余計なプレッシャーを与える

★おじいちゃんおばあちゃんと同居している場合に、孫がどもることで嫁を責めたり、聞きかじったとんちんかんな治療法(お灸?)を強制するような雰囲気

★権威主義的な雰囲気に満ちた家庭

★親兄弟がどもりを持つ身内に、「どもることくらいで悩んでいるおまえは甘い、世の中にはもっと苦労している人が大勢いる」などと言うような雰囲気、または身内の障害であるどもりに全く無関心。

*これをしなければどもりが治るということではありません。でも、学校などの外の世界でさんざん傷ついて帰った家庭がこんなふうでは、ついには心の病気になってしまいます。

 子供の頃と違って大人になれば人生は自己責任です。誰も守ってくれません。
*どもりの問題がさらに深刻になる思春期以降の吃音者に対する公的なサポートは事実上ありません。

 そのときになってどもりという「余計なこと」で必要以上の苦労しないように、どもりを持つ子供の親がしてあげられれることと言えば、子供の頃(幼少期~思春期)の環境を良くしてあげることくらいしかありません。

*もちろん、必要に応じて言語聴覚士や精神科医などに相談したり、学校のことばの教室に通う、学校でいじめを受けていないかチェックする、どもりのセルフヘルプグループに参加するなどの工夫も必要です。

 

吃音を押さえ込む(コントロールする)ことの弊害(私の場合) (再掲載一部改編:初掲載は2009年9月18日)

 どもりを持っている人が、日常生活や学校生活・仕事を進めるうえで、最小限の言葉の流ちょう性を確保したいと思うのは当然のことです。
なぜならば、毎日を(なんとか)生きていく必要があるからです。
 特に社会人になってからは組織のなかでそれなりの仕事をしお金を稼ぐことが必要だからです。
*社会人といっても、会社員(民間企業)のほかにも、公務員(これも様々)もあれば、農林漁業、自営など、いろいろな仕事があります。就く仕事の種類によって要求される言葉の流ちょう性は大きく変わってきます。また、同じ組織内でも、営業、経理、現場など、就く場所によっても大きく違ってきます。ですから、ある程度の重さ以上の吃音者は、自分の症状や重さを考えながら職業選択をすることが仕事を長続きさせる「現実的な」コツではないでしょうか。

 私の場合は、日常生活の何気ない会話でも支障があるような時期があるかと思えば、学校での発表や電話でもほとんどどもらない時期もあるといったような大きな波を繰り返す少年時代(小学生~高校生)でしたので、吃音に対する自分なりの考え方や覚悟が定まりにくかったと思います。

 また、私を取り巻く家庭の雰囲気はよいものではありませんでした。
 家族間のいざこざが絶えずあり、どもりの父がいる家庭の割には、というか、そうだからこそどもることには否定的でした。
 どもるたびに注意されているような「吃音児」にとっては最悪の家庭環境でした。

 将来就きたい職業については、もちろん、「どもりは大人になったらすっかりと治っている」という前提で考えていました。
*なんの根拠もありませんでしたが!

 高校に入ると、中学(普通の公立の中学です)までとは違い、最初から大学受験を意識したカリキュラムですし、そのような学校の雰囲気でした。
 学校に行く、勉強する、クラブ活動、たまに模擬試験という単純な繰り返しですから、授業中に教科書を読むのですら恐怖を感じているような少年にとっては、心のバランスを崩すには時間はかかりませんでした。

 その後、浪人、大学入学、就職浪人(引きこもり)、民間のどもり矯正所、ハローワーク通いを経て約2年遅れの社会人でしたが、ハローワークで自分で仕事を見つけて営業職として就職しました。
 その頃、20歳代末~30代前半くらいになると、それなりの生きる覚悟もできてきますが、言葉については試行錯誤が続きました。

 営業職としてはあたりまえの日常業務である、電話、訪問、会議、など、すべてが人前でしゃべることです。

 現実的に言って、それらで大きくどもっていては(それがよいかどうかということではなくて)組織内で通用しません。
 そこで、就職前にどもり矯正所のメンバーと仲間内で行なっていた言語訓練を続けて、なんとか最低限の流ちょう性を確保し続けるための工夫を続けました。

 その成果が出たのか、たまたま調子がよい波の時期だったのか、
その後は比較的順調に推移し、仕事も、どもらない人と同等かそれ以上の成果を上げられて自信をつけることができてきました。

 そこで、ステップアップを図るべく転職(営業職)したのが失敗でした。
 会社名がただ言いにくいという原因で、職務上の電話、会話はもちろん、次第に日常生活の会話までどもり始める始末。
 当然、対処しましたがなかなかうまくいきません。ちょうどバブル崩壊の時期で職場環境も悪くなっったので大変でした。

 これらの経験を経て感じたことは、日常に影響が出るくらいの重さを持ったどもりを子供の頃から持っていて思春期以降に持ち越した場合には、吃音をコントロールしながら生きていくのは至難の業であること、
 できれば、自分でコントロールできる範囲(メンタル的にも、言語そものも)はどこまでかを知り、それ以上にはチャレンジしない方がよいのではないか?

 これは、とことんやってみてわかることかもしれませんが、もしも、その「とことん」が、本人の心の「限界値」を超えてしまうと取り返しのつかないことになってしまうこともあります。(重い心の病気になったり、最悪の場合は自殺)

 そのようなことにならないようにするためにも、第三者による「心の危機管理」が必要です。

 自分の悩みを隠さず何でも話せるようなホームドクター的な精神科医や臨床心理士などを見つけておいて、普段から定期的に心のチェックをしてもらいながら生きていくのが良いと思います。
*しかし、彼らは、どもりについての知識は驚くほど乏しいのが現状です。自分の気持ちや困っていることなどをドクターに詳しく説明してください。どもりの治療法は分からなくても彼らの専門領域からできる限りの援助をしてくれますので、上手に利用しましょう。

 いまの就職・転職状況では、今後は、吃音者にとってはますます生きにくい世の中になりそうなので、それくらいのことは考えておくべきだと思います。

吃音:哲学的な議論はそろそろやめにして・・・(再掲載一部改編:初掲載は2012年6月28日)

 80年代末のことですが、私は大卒後もどもりのために就職できずに(せずに)約2年間引きこもりました。
 その後、民間の無資格どもり矯正所に通い、生まれて初めてどもりについて語り合える友をもつことができ、元気を取り戻しました。
その後、ハローワークで小さな会社の営業職を見つけて就職することができました。

 その後30歳前後のちょっと自信がついた頃でしょうか、自慢げにいままでの顛末を話していたことを思い出します。
 その内容はひと言で言えば、「自分がどもりであることを覚悟を持って、自分なりに受け入れて生きていく」というようなことでした。

 吃音者の会合などで、「どもりを持ちながらもそれなりに生きてきた方の力強い話」をいまどもりで悩んでいる人が聞くと、会場の雰囲気も影響してかその場では影響を受けるかもしれませんが、日常生活の何気ないコミュニケーションにも影響が出ているような、ある程度以上の重さのどもりを持ちながら毎日を生きている人(特に子供)にとっては、こんな話はかえって酷かもしれません。
*いつも書いていますが、客観的にみて「軽いどもり」に見えても、本人が必要以上に気にして悩んで生活に支障が出ていれば、それは「重いどもり」です。また、どもりの重さは、吃音者を囲む家庭や学校、職場の雰囲気や人間関係でも 大きく変わってきます。

 日常生活に支障が出ているようなある程度より重い吃音者が、自分がどもっていることを(それなりに)受け入れられるようになるには、
子供の頃からどもりによる耐えがたいような経験を数限りなくして、まさに七転八倒の人生を送りながら、その後にそのような境地になるのがほんとうのところと思うからです。
 決して誰かに言われて達する境地ではありません。
*就職できなかった方が就職できたり、引きこもっていた方が学校や会社に通えるようになるなど、「自分でも良い方向に向かってきていると実感できた時」に、そんなふうに思える余裕が出てくるのかもしれません。 ということは、そうでないときはそのようなことを思うこころの余裕がないということです。

 学校でも職場でも、さらに、どもりが重い場合は日常生活のすべてのシーンで、どもりによる人生への悪影響(重圧)が延々と繰り返されます。
 そのような過酷な毎日を過ごしている人にとっては、「自分がどもりを持っていることを覚悟を持ってこころから受け入れて生きる」ことなどなかなかできることではないでしょう。
多くの場合は、生きていくためにどもりと共存していくしかないので、結果的にそうなっているだけです。
「自分がどもっていることを受け入れていく」という考え方は、誰かに言われてできるものではなくて、苦労の末にこころのなかで自発的に出てきてはじめて意味をなすものです。

 ですから、「どもりを受け入れる」とか、「治そうと努力する」などのいろいろな考え方のどちらかを批判したり比べたり、吃音者が持つ考え方に優劣をつけるのはやめにして、
★吃音者それぞれのどもりの重さや症状の違い、
★生きている環境(主にどもり出した子供の頃から就職くらいまでの家庭の経済的・精神的環境)の違い、
★性格の違い、
★本人のどもり以外の能力(学力、仕事の能力)の違い
 などを考えながら・・・、
 ある人はできるだけ軽くなるように努力する、またある人は今のどもっている状態を受け入れながら無理をしないで生きていく・・・などというように、個々のケースごとに現実的な対応をしていけば良いと思います。
*努力したとしても結果的に、就職できずに経済的に困窮する、性格が結果的に暗くなる、学習意欲が落ちたり授業中の発表が怖くて成績不振、電話や会話が怖かったりうまくできず職場での仕事にも支障が出るということもいくらでも起こります。これらは極めて深刻な問題です。

 ですから、吃音者をサポートする側(家族、専門家など)がまずすべきことは、
 吃音者がいま直面している悩みやつらい状況をしっかりと見て、語ることばに傾聴することです。
 夢物語や理屈を語ることではなくて、いま現実にできる援助から確実に行なっていくことです。

 その結果として、どもりを持って悩んでいる人に心の余裕が少し出てきて、現実の生活に追われるだけではなく、深い考えを少しずつ持てるようになり、自分のどもりを自分なりに人生のなかで位置づけて自分なりに頑張っていくことができるようになると思います。

吃音の苦労によりかたくなになりすぎたこころをほぐして生きやすくしていくこと(再掲載一部改編:初掲載は2013年11月7日)

 人はどもりによる耐えがたい苦労を経験すれば経験するほど、自分(のこころ)を守るために、そのこころをかたくなに閉ざしていくことがあります。
結果として、意に反したような生き方(職業の選び方、友人関係の結び方)をすることもあります。
*吃音者の集まりで和やかに話していた方が、自分のことになると突然ことばが少なくなることがあります。

 自分では、不自然な(無理な)考え方・生き方と、こころのどこかではわかっていても・・・そのように思い、そのような生き方をしようとすることにより、自分のこころがどもりによる苦労のために崩れてしまうのをギリギリのところで防いでいるのかもしれません。

 その形は人により様々です。

★「私はこういう生き方なんだ」と、どう考えても無理な(無茶な)生き方(考え方)をしようとしている方

★「私はこれでいいんだ」と、いまの不自然な生き方(ライフスタイル)を(端から見ると)無理に肯定してそこに逃げ込んでいる方

 ほんとうは良くない考え方、無理な考え方・生き方とわかっていても、そうせざるを得ないところまでこころが追い込まれているのです。

 どちらの場合も、一時的にはこころの平衡が保たれているかのような錯覚に陥りますが、中・長期的にはさらに追い込まれてしまいます。

 こんなことにならないように・・・、

★どもりのセルフヘルプグループ等に参加して、いろいろな症状や重さのどもりを持ち、いろいろな環境で生きている様々な年齢層や立場の異なる吃音者と接して、自分(のどどもり)を客観視できるようにすることです。
そして、そこで、何でも話せる友人を(ひとりで良いので)作りましょう。

★ホームドクターとしての精神科医・臨床心理士を見つける
ぴたりと自分に合った先生を見つけるのは難しいですが、先生に頼り切るというよりも、「自分を客観視できるように」第三者的な目を提供してもらうのに役立ちます。

★これはいちばん難しかもしれませんが、家族にも最低限の理解をしてもらえるように働きかけていきます。(しかし家族には大きな期待はしないことです。)

吃音者が抱える厳しい現実のなかで、どもりについてフランクに話し合える場を持つこと

 吃音者がどもりを抱えながらの毎日は(たとえ傍から見てごく軽く言える場合でも)どもりでない人にはとうてい理解できないような「こころの重圧」を抱えている場合が多いのです。

 さらに、どもりに起因する生活上の問題(家庭内・学校・職場でのコミュニケーションがうまくできないことにより起こるいろいろな不都合)が大きい場合には、生きていく力を失わせるほどの(自殺を考えてしまうような)インパクトを持つ場合があります。

★家庭のなかで、日常的に、言いたいことばが出てこないでことばにするのをやめてしまう。(子供の頃からこの状態が続くとかなりのストレスとなる)
★家庭のなかでかかってきた電話に出ることができない。(家族の前でどもるところを見せたくない)
電話をとっても最初のことば(自分の名字)がなかなか出てこないか、出てきてもどもり特有の繰り返しになる(すすすずきでです)。受けること以上に、自分から電話を(特に家族の前で)かけることができない。
★買い物の際店員さんに自分の名前を言えないので予約を伴うような買い物ができない(レストラン・美容院・マッサージなどの電話予約なども)
★学校や職場での自己紹介の際に、最初に言うべき自分の名前が言えないか、なかなか出てこないで笑われたり、いじめられたり、仕事(職場)の場合は、顧客から上司にクレームが入り担当の変更を要請される。
★学校で先生に指名されても(答えはわかっていても)ことばが出ないので「わかりません」といってしまうか(それすら出ないことも)、テキストの朗読で指名されてもことばが出てこないかしどろもどろになってしまう。(当然、笑われる、クラスメイトや先生からの陰湿ないじめにもつながってくる)
★職場では、かかってきた電話に出ても冒頭に言うべき自社の社名が言えない。当然仕事にも影響が出る。このような状態が続くとさらに追い込まれて職場に居づらくなりやめてしまう。
自分からかける電話が特にどもってしまうので、社内では顧客に対するアポイントなどの電話ができなくなり、外出後に公園のベンチなどでかけるようになる(それでもどもってしどろもどろになってしまう)
★自己紹介はもちろん電話もうまくできないので、就職活動がまともにできない(なかなか踏み切れない)
★能力的には充分あるのだが、どもりのためにあえてしゃべらないで良いか、話すことが最小限で良い職種に就いた(やっとつけた)。
*小学生は小学生なりの、失業中・求職中の人、社会人(仕事に就いている人)も、その人なり(どもりの重さ・症状の違い、家庭の経済的な環境、家族の理解度の違い)の問題を抱えます。

 一方、吃音者の周りにいる家族や、友人、学校の同級生や職場の同僚は、吃音者本人がそれほどの苦しい想いを持ちながらギリギリの状態で生きていることが理解できません。(想像できません)
 どもることを原因として、しだいに学校や職場を休みがちになる。ついには引きこもりになる。
 学校を卒業しても(なかなか)就職できない、入った会社を辞めてしまってもなかなか転職できない(しない)ことに対して、ついつい厳しいことばをかけてしまうことがあり、結果として吃音者のこころをさらに追い詰めて(自殺すら考えるようなことに)なりがちです。

 このようななかで、吃音者はどのようにすれば良いのでしょうか?
*どもりはその原因が医学的にわかっていませんので(この先も当分はわからないでしょう)確実な治療法やリハビリテーション方法はありません。(したがって長い間、民間の無資格どもり矯正所「のようなもの」が続いてきたのです。)

★「どもりによる様々な生きづらさ」を語り合える環境(友人・グループ・時間)を持つ。
*必要に応じて、生きていくためのそれぞれの状況に応じたことばのスキルを持ったり維持するために、仲間同志で工夫して言語訓練やメンタルトレーニングをする)

 吃音者はどもりのことについてフランクに話し合える友人を持つことが(なかなか)できません。
 なぜならば、自分のどもりについて家族にすら話せないか(ほとんどはそうです)、話したが相手にされなかったりわかってもらえないという経験を子供の頃から繰り返しているからです。
*学校の同級生に吃音者がいない場合は、探すことすらできないこともあるでしょう。
*私も大卒後に、就職できずに引きこもった後に通った民間のどもり矯正所ではじめて、どもりについてまともに話し合える友を得ました。

 なかなかどもりという問題を共有できる友人を得ることができない。
 そこで、考えられるのが・・・、どもりのセルフヘルプグループに参加して、どもりについて遠慮なく話し合える友人を見つけることです。
*そのセルフヘルプグループになかなか参加できない(決心できない)のが吃音者の気持ちでもあります。

 セルフヘルプグループに参加するようになったら、どもりを持ついろいろな立場の人(年齢の違い、男女の違い、家庭環境の違いなど)の意見をよく聞きましょう。
 その後、セルフヘルプグループの中で、「話しができる人」、「自分の考えに近い人」、「攻撃的でない人(不用意にことばで人を傷つけない)」を探し出し、その人と友人になれば良いと思います。
仲間同志でいろいろと活動もできると思います。

吃音:仕事をする人としての現実(その1現状、その2 仕事とどもり)再掲載一部改編:初掲載は2017年2月12日、17日

 親しくなったおとなの「吃音仲間」で飲んだりするときには、どうしても「どもりと仕事」にまつわる話が多くなります。
*そもそも、どもりについて遠慮なく話せるくらいの親しい「どもり仲間」がいるのか?ということが問題です。3歳の頃よりどもっていた私がどもりについて忌憚なく話せるような友人ができたのは、大卒後就職できずに引きこもった(約1年半後くらいでしょうか)後に通い出した民間のどもり矯正所で、同じような境遇の友人ができたときがはじめてです。(家族とも話はできていませんでした)

 このブログでも「どもりと仕事」は主要なテーマになっています。
*数年前に起きてしまった北海道での吃音をもった男性看護師さんの自殺についても何回か扱っています。 

 さて、TBSで放映されていたキムタク主演の医療ドラマ「a life」
*2017年10月時点ではすでに終了しています。医療ドラマといえば、これからは米倉さんの「失敗しないので!(こちらはかなり毛色が違いますが)」が始まりますね?

 医療ドラマが好きな私として、それ以上に、韓流ドラマか?子供向けか?と思うほど誇張された表現が多い最近のテレビドラマに辟易としていた私にとっては、(SMAPの一連の騒動は別として)久しぶりにじっくりと見られるドラマとして楽しみました。(やはり視聴率はふるいませんでしたね。)

 ドラマのなかでは医師と看護師との関係が丁寧に描かれています。
 特に手術室に入るような看護師の的確な動きには、2年前に心臓のカテーテル治療を都内の心臓専門病院で経験した私としては(局部麻酔で意識があり、手術室のなかでのテキパキとしたやり取りを感じていたので)思うところが大です。

 器具の確認をするにも、大きな声で品名と有効期限を読みあげて他のスタッフにも確認してもらいながら進めていく、
 ミスを防ぐためには大切なことなんだなと思いながらドラマをみていました。
*病院では、例えば採血をしたりCTを撮ったりする際、また、診察室に入るときでさえも「フルネームでお名前をおっしゃってください(場合によっては生年月日も)」といわれるのがあたりまえになってきました。吃音者にとってはこれが難関なのです。自分の名前が(なかなか)出てこないのが、ある程度より重い吃音者にとっての「あたりまえの症状」だからです。

 社会人としての仕事は、特に、組織のなかで2人以上で仕事をしている場合には、言葉を使うことが大前提になります。
「誰かに何かを確認する」「誰かと話し合って練り上げていく作り上げていく」「交渉により仕事が進む」というように、(職種により言葉を使う頻度は大きく違いますが)誰かと話す(電話をする)ことなしには仕事が進みません。
*世の中ではスマホによるSNS(日本ではLINEなど)が盛んですが、実際のビジネスの現場ではむしろ、人と人との言葉によるコミュニケーションがますます重要になってきています。

 ある程度以上の重さのどもりを持つことにより話すべきときに話すべき言葉が(なかなか)出ない場合には、個人の仕事はもちろん、チームとしての仕事にも大きな障害が出ます。
 要するに「仕事ができない」という評価となり、人生に直接及ぶの脅威となります。(職場に居づらくなります)

 ある程度以上の重さのどもりを持った人は学生時代でも言葉を使うアルバイトを避ける(応募できない・したとしても断られる)ことが多いので、このような現実に遭遇するのは、就職活動を始めてからか、コネで入った場合は職場に入ってからとなります。
*もちろん、子供の頃から学生時代までにも大いに苦労しますが、とりあえず親の庇護下にあり、生きていくこと(食べていくこと)はなんとかなります。
ただし、どもることで陰湿ないじめを受けている場合は(いまの学校や教育委員会のずさんな対応を考えるときに)命の危険さえ考える必要があります。

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その2 仕事とどもり

 このブログには数こそ少ないのですが、どもりで困っている人から深刻なコメントが寄せられます。
コメントの公開は承認制なので内容がきわめて個人的なものだったり深刻な場合には、公開する前に(公開の可否も含めて)直接やりとりさせていただく場合があります。
 非公開のコメントの内容は「どもりと仕事」「どもりと家族」に関することが多いのです。
例えば・・・
★仕事の日常業務、会議や電話をする場合に言葉が(なかなか)出ずに、「事実上、仕事にならなくなり追い詰められている場合。

自分の名前、会社名、相手の名前など言えてあたりまえのことが、面と向かってはもちろん電話や社内電話でも(なかなか)言えない。
さらに追い詰められてうつ病になりいまの仕事をやめることとなり、その後もなかなか再就職できない。現状を家族からも理解されない。
*追い詰められて自殺を考えた、またはその直前までいって思いとどまったという深刻なコメントもあります。

★子供の頃からのどもりに対する家族の無理解、どもるたびに家族から言い直しをさせられたり注意されることの繰り返しが大きなストレスとなりこころに積み重なり、大人になってからの日常生活や家族関係、近所付き合い、子供の学校のPTA活動などの人間関係や話すことに大きな障害となっている場合。

 どもることにより学校で(同級生や先生から)いじめを受けていた、からかわれていたということも、どもりの症状の固定化や悪化、大人になってからのメンタルな問題を引き起こす大きな原因にもなるでしょう。

 ひとりでする仕事ではなくて組織の中で二人以上で仕事をする場合には(職種により話すことの重要性は大きく違いますが・・・)、同僚や上司との会話、会議での発言、顧客の前でのプレゼンテーション・交渉など、また、電話の対応はハキハキしたものでなければなりません
 それができなければ事実上仕事になりません。
 特に仕事につきもののクレーム対応においては的確な言葉遣いが必要とされます。
*ここで、「どもってもよい」と考えることは、(もちろん仕事に影響が出ないくらいのものは除きます)仕事の現実を無視したものになります。

 このように、このブログには・・・、
 子供の頃からのどもりによるストレスの積み重なりの結果としての心理的な問題、家族との軋轢、就職・転職がなかなかできない、仕事上での言葉に問題が生じ職務の遂行ができなくなりやめてしまった、追い詰められて自殺を考えている、などというという生の声が寄せられています。