吃音:2017年の現状(再掲載一部改編:初掲載は2014年9月30日、原題は、2014年の現状)

 どもり、それも日常生活で普通に交わすコミュニケーションや、学校生活、仕事などに、明らかな支障が出るようなどもりが続いている場合は、あたりまえですが「治したい」「できるだけ軽くしたい」と思います。
*どもりでない他者からみて「どもり」とわからないくらいの軽いものでも、本人がそれを気にして人生に大きな支障が出ていると思えば、それは「重いどもり」です。その軽く見える吃音者は自殺まで意識しているかもしれないのです。
このあたりが「どもりでない人」はもちろん、「専門家といわれる人」ですらなかなか理解されない、そしてどもりを考えるときにはきわめて重要なことです。

 どもりで悩んでいる本人やどもりの子供を持つ親御さんなどは、インターネットが十分に普及したいま、スマホやPC、その他の携帯端末を使ってどもりについていろいろと調べていることと思います。

★「治してくれる・相談できる」きちんとした専門家がいる病院や公的施設はあるのか?
 吃音者本人はもちろん親御さんも、いちばん知りたいところですね。
 ネット等でいろいろと調べてもなかなかわかりません。
というか「わかりません」
*インチキ情報はいくらでも出てきます。

 調べていてそのうちに感じてくることは・・・、
相談できるしっかりとしたところ(特に思春期以降)が事実上ないということなのです。
*事実上と書いたのは、日本にそういう施設が数カ所あったとしても、たまたま近くに住んでいれば良いのですが、通える範囲にない限り、それは「ない」のと同じことだからです。
*原因がわからず確実な治療法もリハビリ法もない現在、どもりに取り組む専門家といわれる方は、それぞれ、「治していこう、軽くしていこう」という考え方をする方や、また、「無理して治そうとしないで、どもりを持ちながらも強く生きていこう」という考え方をとる方など、様々です。(対立すらしていることもあります。)
確実な治療法やリハビリ法がない現在、仕方がない面もありますが、どもりで悩んでいてどこかに相談に行きたい吃音者やどもりの子供を心配する親御さんにとっては混乱してしまうばかりです。

 考えるられるひとつの方法は、どもりの自助グループ「セルフヘルプグループ」に通うことです。
 どもりという同じ悩みを共有する人の集まりですから、どもりを意識してからいままで、どもりについて誰にも(もちろん家族にも)話すことのできなかったことが嘘のように、「どもりについて、あたりまえのことのように話せる」という開放感にはじめて出会えるかもしれません。
これは大変大きなことで、これだけで大きく救われる方もいらっしゃると思います。

 しかし、いままさにどもりで悩んでいる人でもセルフヘルプグループの存在を知らない人も多く、たとえ知っていたとしてもなかなか参加する勇気が出ないのが、どもりの特徴です。

 セルフヘルプグループにも、いままさに悩んでいる人がいまほしい答え、つまり「治したい」「軽くしたい」に確実に答えるだけのものはありません。
 場合によっては、治った・良くなったというグループ内の先輩のあまりありがたくない自己流の治療法や心構えをしつこく頂戴することになってしまい、通うのもいやになってしまうかもしれません。
 または、いま入ったばかりの自分よりもどもりが重い「古参の(先輩)」が多くいることにショックを受けるかもしれません。(ほんとうはそれらの方々の生き様から得られるものも大くあるのですがそこまではなかなか思いがいたりません。)

 セルフヘルプグループは上手に利用しましょう。
 グループ内で気の合う仲間、年齢、重さ、境遇が自分と近い仲間を見つけて、その仲間でいろいろと動いていけば良いのではないかと思います。
*自分と違う考えかたの人、年齢や境遇の違う人の考え方や生き方に触れることも参考になります。

 自分(達)でいろいろとあたってみること。
 インターネットを使えば、自宅に居ながらにして吃音に関する書籍を見つけたり、国内・海外の吃音の専門家と連絡をとることもできます。
 ネットだけで終わりにせずに、直接気になる専門家に会いに行ってみたり、本を読んでみたり、自分の通っているのとは違うグループの活動に参加してみるもの良いことではないでしょうか。

 小・中学生は、学校のことばの教室をうまく利用すると良いと思います。
 また、セルフヘルプグループが主催する子供向けの行事に参加することもたいへん良いことだと思います。

 心の危機管理をすること。
 どもりのために(いじめやからかいパワハラなどに会う)学校や会社に通えなくなってきて、ついには完全な引きこもりになったり、
就職(活動)ができない、家庭内でも家族に理解されずに孤立しているなどの場合はいや、そこまで追い込まれる前に!信頼できる精神科医を見つけて心の危機管理をしてもらいましょう。
*都道府県ごとに「精神保健福祉センター」が設置されています。どこに相談して良いかわからない場合はそこに相談するのも良いと思います。

 また、仕事の問題、家庭の問題などを抱えている場合には、市役所や保健所に相談してソーシャルワーカーに相談に乗ってもらうなどの方法をとり、自分を守っていきましょう。法律的な問題は「法テラス」に相談すると良いと思います。

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吃音にも打たれ強くしなやかに生きる(再掲載一部改編:初掲載は2006年2月6日)

 どもりには調子の波があります。
 例えば・・・子供のころからどもりで苦労し、言葉では尽くせないような努力の末に(結果として)ことばの調子もよくなり(良くなったと自分では感じられ)、徐々に日常生活にも支障がないようになってきた。
*もちろんその前に、「どもりの重さの違い」という絶対的な問題があります。傍から見て軽く見えるどもりでも自分として生きるか死ぬかの問題になっている場合はいくらでもありますが、日常の簡単な会話でさえ大きくどもるほうが人生に大きく影響することはいうまでもありません。

 さて・・・、最近、電話に出ると自分の名前すらまったく言えなくなってしまった過去の自分がうそのようにしゃべれるようになってきた。
 これで、やっと、今までのどもりの苦しみからも解放され新しい人生が始まる。

 学校を卒業後、数年遅れたが、積極的な就職活動も実り、どもりであるがゆえにあえて避けてきた本来つきたかったしゃべることがメインの仕事にもなんとか就けた。
泣きたいくらいうれしい日々・・・
 しかし、そのような人にも突然、悲劇が訪れます。どもりがもとに戻るのです。
昨日まではよかったのに、今朝から言葉が出てこない。
昨日まで治っていたのに、
「何で自分だけがこんなに不幸なんだ!」
「人生を投げてしまいたい、生きていてもしょうがない、世界で一番不幸なのは私だ!」
こんな経験をしている吃音者は私だけではないでしょう

 しかし、それを乗り越えてきた吃音者には「打たれ強さ」が身につきます。
 また、自分の限界も見えてきます。
 自分の今までの仕事上のトライが自分の言語能力を超えたものであることが心からわかり、
「ここまでとことん努力しても自分はこれくらいはどもるんだね、そうだったら、これからはこう生きていこう。こんな仕事に就こう。」と

 「ある程度以上ある程度未満の重さのどもり」の人生はこんなことの繰り返しです。 少しオーバーかもしれませんが禅僧の修行に似ているかもしれません。
*もっと重い吃音者もいることも、また、ごく軽い人もいることも、「どもりは人それぞれで百人百様」ということを心に留めるべきです。また、吃音者を取り巻く環境(家庭環境・学校環境・職場環境)によっても、どもりが人生に与える悪い影響は大きく変わります。

 どもりの問題に限りませんが、年齢や経験を重ねるごとに、また年齢とは関係なくても自分の考え方を変えることにより・・・、
今までマイナスでしかないと思っていたできごとが、実は人生の重要な一部分と思えるようになるかもしれません。(耐えがたい出来事の連続にどうしようもなくなることもあるでしょう。)

 あせらず、くさらず、少しずつ、決して独りぼっちにならずに、友に愚痴をこぼしながら生きていきましょう。
*そういう話ができる友「親友」を作りましょう。

吃音で悩んでいる人が「悪者」になる現実(再掲載:初掲載は2013年5月23日)

 このブログには簡単な閲覧状況の解析ツールがついています。
 1日の閲覧数やどんなキーワードでここに来たかがわかるくらいの簡単なものですが、「どもり 親 怒る」という検索ワードで見に来てくれた例がありました。

 吃音者の私はすぐピンときます。
「どもりくらいで〇〇ができないなんて甘い」
「世の中にはもっと厳し環境で生きている人がいる」

 もしかしたらこんな言葉を親から投げつけられたのでしょうか。
*さらに程度が悪い親の場合(場合によっては学校の先生も=私が経験しました)は、どもっている我が子をからかってみたり怒る場合もあります。

 どもりは障害です。しかも医学的に原因が分かっていないので、根治療法(投薬、手術)はもちろん確実なリハビリテーション法もありません。

 言えて当たり前の自分の名前がなかなか出てこなかったりします。
例えば「エート、エート、エート、エート・・・すすすずきでですっ」という感じです。
*それでも、ある程度の時間で言えれば良い方ではないでしょうか?

 家族から、我が子が・兄弟が・孫が「どもらない」か「ごく軽いどもり」見られてしまうのは、どもりそうなことばを避けているか(比較的軽い場合)、最低限のことしか話さないからです。
*家族の前では、どもりそうな「名前や会社名」は言う必要はありませんね。

 家庭内での日常会話レベルではわからないないような軽いどもりの(に見える)場合でも、いざ学校や職場に行くと一転、「ある程度以上の重さのどもりを持つ吃音者」となる場合もいくらでもあります。
 仕事の電話や顧客との面と向かっての交渉において、自分の名前や会社名を言い出すまでしばらく時間がかかったり要件を伝えるのに必要以上に時間がかかり、それもどもりどもりということになれば、仕事にもはっきりと支障が出るでしょう。

 学校で先生から指名されるたびに、どもりながらか、最初のことばがなかなか出てこないような状況ならば、本人のこころが追い込まれることはもちろん、陰湿なからかいやいじめに会うこともまれではないでしょう。
 どもっている本人の心はいたたまれません。
*「どもりのために仕事で失敗をする」「どもりを職場で同僚・上司・顧客から指摘される、笑われる」「家庭でもどもりのことで怒られる」、こんなことが重なるとついにはうつ状態からうつ病となり自殺を考えることにもなります。

 もしもいま、こんな状況に置かれているのなら・・・、いや、追い込まれる前に、
★セルフヘルプグループなどに参加してどもりのことを遠慮なく話せる友人を作り、
★心やことばの危機管理をしてもらえるホームドクターとしての精神科医や臨床心理士、言語聴覚士をさがし、
★吃音にまつわる、家庭の問題、学校の問題、職場での問題(過度ないじめ・からかい、パワハラなど)があるならば、その解決を手伝ってくれるソーシャルワーカー、弁護士などを見つけましょう。
*職場でのトラブルなら「労働基準監督署」「弁護士会」「法テラス」、心の問題でどこに相談して良いか迷ったら各県の「精神衛生センター」の利用も考えましょう。

 自分をこれ以上追い込まないように(追い込まれないように)してください。
あなたが悪いのではなくて、ことばの障害で苦しんでいるのですから・・・

*参考:吃音児(者)へのネグレクト(無視)と虐待について(2008年9月10日)

吃音:夏休み明けの子供と自殺

 このごろ、8月末によく報道されるのは夏休み明けの子供の自殺です。
特に9月1日に集中しているとのことで、注意喚起がされています。

 悩みを持っていたりいじめを受けていたりする子供が、9月1日から「また学校に行かなければいけないこと」に耐えられずに自ら命を絶つのです。

 どもりを持った子供にとっても夏休み明けはとてもつらい、死にたくなるようなときです。
 言い換えられない内容や自分の名前など、普段からどもってしまう言葉、なかなか出てこない言葉から逃げることのできた夏休み、どもることでいじめられたり笑われることから一時的にでも逃げることのできた夏休みが終わるのです。
*もっとも、いまではネットがあり、夏休み中でもネット上でいじめられているでしょうね。

 悩んでいるのだったら、無理してまで学校の行くのはやめましょう。
学校は命をかけてまで行くところではありません。そんな必要は全くありません。

 身の回りに悩んでいることを相談できる人がいなかったら、そしてこのまま学校に行ったらおかしくなりそうだったら、とりあえず公共の図書館にでも避難しましょう。
 街のなかをふらふらするのは犯罪に巻き込まれる危険性があるのでやめましょうね。
*公共の図書館には、この時期限定で良いから、悩みを聞いてくれる相談員がいてくれると良いですね。

 電話の相談もあります(どもってもきいてくれますよ)
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写真
*電話番号の画像は東京新聞WEBより(2017年8月21日)より

どもる子供をもつ親が夏休みにできること(再掲載一部改編:初掲載は2014年7月22日)

今回は、どもりを持つ子供や親御さんが夏休みにできることを考えてみます。

★どもりについて親子でゆっくりと話し合う機会を持つ
 どもりを持つお子さんがいる家庭で夏休みにやってほしいことは、親子でどもりについてゆっくりと話し合うことです。

・・・といっても実はこれがいちばんの難関なのですが・・・
 授業中や友達との会話などで、「どもりによる恥ずかしい」・「屈辱的な経験」を繰り返してきた子供にとっては、
「どもりは恥ずかしいもの、あってはいけないもの」という考えがこころの中にこびりついています。

 そのような子供が自分のどもりについて話したがらないのはもちろんですが、親御さんも、どもりについて無関心か、あえて触れないことが多いのです。

 その背景には、「そのうちに治る、大きくなれば治る」などという根拠のない考えが巷にあることも影響しているのでしょうが、
自分の子供のどもりを「障害」と思いたくない親のこころが反映されているようにも思います。
*自分の子供が学校の授業中の発表や友達との会話でどもってしまい笑われたり自虐的に反応しているところを見れば(見ることができれば)考え方も違ってくるのでしょうが、その機会はまずないと思います。特に家庭では、お子さんはどもるところを極力隠しているはずです。(もちろん隠しきれないほどの重いどもりもあります。)

 お子さんの方から自分のどもりについての様々なことを気軽に話せるような家庭を作れれば、子供にとって家庭は唯一のくつろげる場所となるでしょう。

★セルフヘルプグループなどの行事に親子で参加してみる
 どもりのセルフヘルプグループでは、夏休みや冬休みなどにキャンプ形式でどもりについて考え話し合う行事があります。
こういう機会を利用してみるのも良いかと思います。
*同じ悩みを持つ子供や親御さんで友達になれればいろいろな情報も得られるでしょうし、何よりもこころが大きく救われます。

★どもりに精通している言語聴覚士や臨床心理士、精神科医などにかかってみる
 こう書きましたが、これがまた難関なのです。
*公的サポートの「大本山」は、埼玉の国立リハビリテーションセンターになるかと思います。

 どうしてかというと、お住まいの場所で、近隣で、誰が(どの病院が、大学が、研究機関などが)熱心に(こどものどもり、おとなのどもり)に取り組んでいるか?
 たとえわかったとしても、どのようにアクセスすれば良いかを調べることは大変難しいからです。
そもそも日本において、どもりに熱心に取り組んでいる施設や専門家がないに等しいことがその原因です。
*インターネットで検索してすぐ出てくる「どもりは治ります」などとうたった無資格どもり矯正所やそれに類するものは論外として。

 ネットなどを駆使して一生懸命にどもり研究者やどもりに取り組んでいる病院・言語聴覚士、またセルフヘルプグループで活躍されている方を見つけだして会いに行けば、「どもり問題の現状」を知る良い機会にはなるとは思います。
 つまり、医学的に原因が解明されていない、有効な治療方がない(わからない)現状に触れることとなします。
調べる過程で、インチキ情報がいかに多いかも知ることとなるでしょう。

吃音をもつ子供の親ができること(再掲載一部改編:初掲載は2011年4月28日)

 いつも書いていますが「どもり」は実に多様です。症状も重さも人それぞれ大きく違います。
 自分のなかで、どもることをどのようにとらえて生きていくのか(いけるのか)。
 また、どもることが結果として人生にどれだけ悪影響を与えるのかも、人ごとに大きく違います。
*「どもり経験が自分にとって結果的に良いことだった」とまで言う人もいますから。

 これもまたいつものように書いていますが、どもりの子供の家庭環境(精神的、経済的)が、その後の人生に大きく影響することも忘れてはいけません。

 どもっている子供がいる家のなかが、たとえば・・・、
★常に夫婦喧嘩をしているような険悪な雰囲気の家庭
★おじいちゃんおばあちゃんと同居している場合に、孫がどもることで嫁を責めたり、聞きかじったとんちんかんな治療法(お灸?)を強制するような雰囲気
★権威主義的な雰囲気に満ちた家庭
★親兄弟がどもりを持つ身内に「どもることくらいで悩んでいるおまえは甘い、世の中にはもっと苦労している人が大勢いる」などと言うような雰囲気
*これをしなければどもりが治るということではありません。でも、学校などの外の世界でさんざん傷ついて帰った家庭がこんなふうでは、うつ病などの心の病気になってしまいます。

 大人になれば人生は自己責任です。誰も守ってくれません。
*思春期以降の年齢の吃音者に対する公的なサポートは事実上ありません。

 そのときになってどもりという「余計なこと」で必要以上の苦労しないように、どもりを持つ子供の親がしてあげられれることと言えば、子供の頃(幼少期~思春期)の環境を良くしてあげることくらいしかありません。
*もちろん、必要に応じて、言語聴覚士や精神科医などに相談したり、学校のことばの教室に通う、(親む含めて)どもりのセルフヘルプグループに参加するなどの工夫も必要です。

吃音:親を恨むこころは・・・(再掲載一部改編:初掲載は2013年6月20日)

 私は大卒後も就職できずに引きこもってから2年近く過ぎて、20歳代半ばを過ぎてから、なんとか通うことができた民間のどもり矯正所においてはじめて、どもりという同じ悩みを持つ友を持つことができました。
 それまでは、家族にも友達にも話すことのできなかった「どもりの悩み」を、心ゆくまで話し合えるようになったときの開放感は、ことばでは表現できるものではありません。
 自分のこころのなかには、どもりに対する想いがこんなに多く詰まっていたのかと驚いたものです。
 また、こどもの頃からどもりに関する想いを無理やり自分のこころのなかに押し込んできたことが、自分のこころとからだに大きな悪影響を与えてきたことを確信し、これからも影響を与え続けるだろうことを予感しました。

 その中のひとつが、「こどもの頃からこころのなかに押し込んできた想い」
・・・「親に対する根深い恨み」でした。

 どもりの悩みは人それぞれですが、いろいろな吃音者に接するうちに、それなりの割合で「親に対する恨みの感情を持っている人」に会いました。
★こどもの頃、どもることで学校でも笑われたり、からかわれたり、いじめられたりしていたのに、そして、それを親に訴えたのに相手にされなかった
★それどころか、「どもりくらいたいしたことはない、もっと苦労している人はたくさんいる・・・」と説教をされてしまった。

 「家族にすら理解されずに苦しみのなかで生きてきた話し」を仲間から聞きました。
なかには話しながら泣き出してしまう方もいらっしゃいました。
 こどもの頃からいままで、自分のこころのなかだけで持っていて誰にも言えなかった感情が、共感して聞いてくれる人の前で話すことによりあふれ出てしまったのでしょう。

 少し冷静になって背景を考えてみます。
★親はどもりのことが分からない?
 こどもの多くは、自分のどもりを知られたくないので家庭のなかでさえも極力隠そうとします。
特に、言いにくいことばは言わないようにします。会話も最低限のものにします。

 ことばの調子の良いときにだけ話すようにすれば、親からは「だいぶ軽くなったね、良かったね!」などと頭をなでられるかもしれません。

 しかし、これでは親は、自分の子供がどもりで悩んでいることを正確に把握できません。
*学校でいじめられているにもかかわらず、家ではそのそぶりさえ見せないで、ある日突然自殺してしまうことに似ています。

ここで考えなければいけないこと・・・
★世の中にどもりに対する正確な情報がほとんどないし、気軽に相談に行ける公的な専門機関も(ほとんど)ない。

 これが致命的かも知れません。
 せめて、住んでいる市町村のなかに(日常的に気軽に通える範囲に)一カ所でも良いから、吃音に関心を持って取り組んでいる臨床心理士、言語聴覚士などがいる施設があれば、状況はだいぶ変わってくるはずです。
*学校の「言葉の教室」も、その量・質ともに問題が大きいようです。

 親を憎んでいる場合はどうすれば良いか?
★同じどもりを持つ友人(親友)を作り、いままでのことなどを打ち明けることにより、こころの中にある負荷を下げていく。
★どもりのセルフヘルプグループの会合に参加して、いろいろな立場(性別、年齢、育った環境の違いなど)の吃音者に接することにより、自分のどもりや育った環境を客観的に見てみる。
★自分のいまやこれからを充実していくことにより過去にとらわれない(とらわれにくい)ような状況に自分を持っていく。

 なんと言っても、自分のことをこぼせる信頼できる友人を(ひとりで良いので)作ることが第一だと思います。
*なんでも話せるホームドクターとしての精神科医や臨床心理士を持つことも良いことです。

人(他人)に説明できない吃音者の想いについて(再掲載一部改編:2015年3月6日)

 第三者が見た場合に同じようなどもりの重さや症状に見えても、吃音者を囲むいろいろな環境(家庭環境、学校の環境、職場の環境)の違いにより、吃音者の心のなか、その想いは大きく違う場合がしばしばで、吃音者の人生に影を落としていきます。

 何を言いたいかというと・・・、
こどもから大人までの吃音者には、なかなか言葉では表現できないような「孤独感」を持っている方が多いのです。
 それは、自分の想いや気持ちを、家族や友人、同僚、恋人、配偶者、ときには同じ吃音者にさえも分かってもらえないことの「焦り」であったり、「あきらめ」、「怒り」もあるかもしれません。

 例えば、「学校の授業中に指名されるかもしれないという恐怖感の質や量」について考えてみても・・・
それぞれの症状・重さの違い、いままでのどもりでの失敗の経験の積み重ねによる違い、
 また、学校のクラスの雰囲気・職場の雰囲気の違いにより、吃音者本人に襲いかかってくる恐怖心の量や質は大きく違ってくるでしょう。

 仕事で、顧客に電話をする、社内電話をしたり、難しい交渉をする、ときも同じようなことが言えます。(民間企業と公務員の違い、会社の規模の違いも影響してきます)

 いまの自分が置かれているどもることによる緊張感や恐怖心を他人と(家族や友人とでも)なかなか共有できないことが、吃音者の孤独につながってきます。

 そして、ときには、心安まるはずの吃音者の集まりでも・・・、
(悪意はないにしても)、誰かの、自分の経験値や思い込みで「こうすれば良い」「こうできるはずだ」などの意見やアドバイスに、心を傷つけられることが往々にしてあり、孤独感を余計に感じてしまうのです。

吃音:期待と現実

 子供の頃から、ある程度以上の重さのどもりで日常生活や学校生活・仕事において、その人なりの困難さを抱えながら生きている人にとって、「どもり」は仕方なくでも付き合わなければいけない障害です。

 朝起きていちばんの「おはよう」の「お」が出ずに、「今日もうまくいかないな」と感じるときが、今日一日のどもりとの付き合いのはじまりになります。

 また、今日は調子よく言葉が出るな・・・という日もありますが、
 今日は調子が良いがそのうち悪くなるだろうなという予感も感じていました。
*次の日に発表などのどもりそうなイベントがあることがわかっている場合には、前の日からよく眠れずに新しい日を迎えているかもしれません。
*もちろん常に大きくどもる人もいます。どもりは人それぞれです。

 2~3歳からどもりだして小学校2~3年くらいからはどもりを強く意識して、その後悩んできた私は・・・、
あるときは比較的調子の良い自分の言葉を感じ「これならそのうち治るかな?」と期待し、また、数日後には、授業中に指名されて大きくどもってしまったり、言葉がなかなか出ずに立ちんぼしているときには、「これから先、自分はどうなるんだろう!」と大きな不安につぶされそうになり、その繰り返しの少年時代・思春期でした。

 それでも学校は、どもりではクビにはなりません。
*陰湿ないじめに遇えば大変なことになる危険性は常にあります。いじめによる自殺の報道は絶えることがありません。
*子供でもスマホを持ちLINEなどのSNSをあたりまえにしているいま、見えないところでのいじめも多いでしょう。

 しかし、なんといっても、どもり持ちの最大の難関は就職(就業)です。
 他人のなかで、大小様々な組織の中で・・・、自分を主張し、しっかり・はっきりと言葉で伝えて競争のなかで生きていくというサラリーマンではあたりまえなことが、きわめて不得意なのが吃音者なのです。
*高度成長が遠い昔話となったいまの日本では、真面目に・人並みにやっていればなんとかなる、などどという状況ではないことは、皆さんおわかりのことと思います。

 私の生まれる前(高度成長前半の昭和30年代前半くらいまでの)の日本ならば、サラリーマンにならなくても(都市部でも)自分の家の仕事(商店などの自営業)を継いで生きていく方法もありましたが、いまではそういう選択は現実的ではありません。じり貧に追い詰められるだけです。
 また、いまでも、地方で安定した農家に生まれるような幸運なことがあれば、どもりを抱えていても、いままでの人間関係のなかで仕事をして穏やかに生きていくことができると思います。
*しかし、家族のなかで仕事をするという別の意味の息苦しさはあるでしょう。

 いままで書いてきたような吃音者を取り巻く現実をしっかりと見直したうえで、
★どもりだした小さな子供に対する、また、親に対する公的な支援体制(カウンセリング・治療)をどのように構築していくべきか?(市役所・保健所・医師・カウンセラーなど)
★小学校以降のどもりを持ったこどもに対する指導をどのような形で行なっていくべきか(土曜、日曜、休日、放課後を含めた、専門領域を履修した教師、言語聴覚士、精神科医、臨床心理士などによる継続的なサポートの構築と、どもりの子供同士が日常的に触れあえるサロン的な環境の構築)
★事実上公的サポートのなくなる高校生以上の吃音者に対して、進学や就職という難関を前にして、また、今どきのいじめ問題にも対処できるような、公的サポート・カウンセリング体制をどうやって構築していくべきか?

このあたりを考えていくべきと思います。

吃音:(結果として)うまくいくときも、うまくいかないときもある。でも、吃音を持ちながらの人生は耐えがたいことが多い。

 日常生活のコミュニケーションにも影響の出るようなある程度以上の重さのどもりを持った人(子供~大人)、または、傍からみてわからないくらいの軽いどもりでも、自殺を意識するほど(密かに)深刻なまでに悩んでいる場合・・・、
「どもること」を原因として、吃音者は子供の頃から実にいろいろな試練に遇います。

 例えば、学校(場合によっては幼稚園から)や職場で・・・、
 同級生や先生・同僚や上司からの陰湿なからかいやいじめ・パワハラ、
 就職や転職がなかなかできない、
 やっと入った職場での仕事に大きな支障が出る、などです。

 家庭においても、子供の頃から、どもりの悩みを家族に理解してもらえないこともあいまって次第にうつ状態となり・・・、学校や職場を休みがちになりついには引きこもりになることは、決してまれなことではありません。

 また、子供の頃から親にさえどもりの苦しみを理解してもらえなかったことや、それどころか、どもるたびに注意されたり怒られたりしたことから親に対する恨みの感情が芽生えてきて、成人してからもその感情が消えるどころか大きくなり、コントロールすることができずに(自分を責めて)苦しむこともよくあります。
*このブログ宛てに未公開の形で、そのような複雑な想いを送られてくることもあります。

 そのような状況に置かれているときに吃音者である我々が注意しなければいけないことは、
 ひとりでどもりについて考えるときも、セルフヘルプグループなどの集まりで話し合うときなども、「どもりながらも・・・結果的にうまくいった。」というケースのみを話し合ったり参考にしない、考えないことです。

 どもっている人が・・・「何々ができた」、「何かになれた」「何々を達成した」という話ばかりをしない、考えないことです。
*現実は努力してもうまくいかないことも多いのです。

 吃音者ごとに、重さや症状はもちろん、育った環境・いま生きている環境が違います。

 人生に支障が出るようなある程度以上の重さのどもりを持っていてもなんとか生きていけるように、身近に理解してくれる人がひとりでもいてくれる場合もあれば、近くに理解者がいなくて、ひとりで厳しい現実と戦っている場合もあります。
*吃音の実態を調査するのであれば、最低でも数百人、できれば千人規模、それも様々な年齢層、男女、職業も様々の、しっかりとした調査をしてほしいものです。

 どもりは、21世紀初頭の現在でも、原因もわからず、したがって確実な治療法もリハビリ方法もありません。

 どもりながらもうまくいく場合もあれば、うまくいかない場合もあります。「うまくいかないのは努力しないからだ!」などと決めつけないでください。
*現実は(軽い場合を除いて)、「どもったままでも、それを受け入れて生きていける」ほど甘くありませんし、その傾向はますます強まっていくでしょう。そういうアドバイスはかえって現実を生きる吃音者を苦しめることがほとんどでしょう。

 吃音者は100人いればそのどもりは百様です。どもりを持った人のバックグラウンドも百様です。
 悪い方向にも楽観的な方向にも偏った考え方をせずに、現実を踏まえて柔軟に生きていきましょう。