「吃音を受容する(受け入れる)」、「どもりを軽くしたい・治したい」という考えかたは、どちらかが正しいということではない

 どもりである私は既存のどもりのセルフヘルプグループに属したことがないので直接は知らないのですが、セルフヘルプグループや吃音治療や相談にかかわる関係者のなかではここ何十年も・・・、
「どもりを治そう、治したい」という考え方と、
「どもりにこだわるのをやめて受け入れて生きよう」という考え方をする人がいて、それなりの対立構造があるらしいことはなんとなく知っていました。
*かつて80年代末大卒後就職できなかった私は通った民間のどもり矯正所で何人かの気の合う仲間と小さなセルフヘルプグループを作った経験があります。

 でも、少し落ち着いて考えてみると、どもりのセルフヘルプグループに参加している人は吃音者のなかのごく一部で1割にも満たないことがわかります。
 そのような現状でもしも対立構造があるとすれば、いまどもりで悩んでいてセルフヘルプグループに興味を持ったり、参加しようと思っている人のこころが「ひけて」しまうのではないかと思うのです。

 「どもりについてどう思うか」とか「その治療感」についてはいろいろな考え方があって良いですし、そもそも、そのような違いを認め合えないのならば、集まり自体にも魅力がなくなってしまいます。

以前もこのブログに書いたことがありますが、人はそのときの置かれた様々な状況でその心持ちも変わるものです。
 職場や学校で比較的うまくいっているときは「どもりを受け入れよう」と思えるかもしれない同じ人が、どもりのために大きな失敗をしたり恥をかいたときなどは、受け入れるどころか「なんとか軽くしたい。できれば治したい」と思うのは至極当然です。
 そのようなことを否定してしまっては話が現実離れしてしまいます。
*「いまいる職場や学校でなんとか適応して生きていこう」というあたりまえの想い・生き方を否定できません。

 吃音者(重さや症状、生きている家庭環境、学校環境、職場環境も実に様々でしょう)が、いま自分が生きている場所にできるだけ適応できて、人生を少しでもよくしたい・充実した人生を送りたいというあたりまえの心持ちを否定しても意味がありません。

 どもりは、その重さの違いで、その人の人生に与える影響が大きく違ってきます。
 特に、重い吃音者の学生時代、そして社会人になるまで、なってからの苦労は、語られることもほとんどありませんので一般には知られていませんが、きわめて大変なものです。
 一方、傍から見てごく軽く見える吃音者は楽かというと、どもりでない人と同じ環境で学んだり働いたりするなかで、そのプレッシャーは(人により、その学んだり働いているところの環境によっては)その人の人生を追い詰めていくものになります。
*吃音者の学校や職場でのいじめの問題も無視できない深刻な問題です。

 そういったことを考えると・・・、
 いま悩んでいる吃音者、学校や職場に通えなくなって引きこもっている人、就職できずに悩んでいる人などに、その人の立場に沿ったサポートが受けられるような体勢を作ることが必要です。

 どもりを持った子供には小学校高学年にもなったら、きれいごとではなく、これから経験するであろう様々な困難を正直に教えていく、そしてその上で、大きくくじけないようにしっかりとサポートしていくことこそ重要ではないかと思います。

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