吃音:最初の一歩を踏み出すことの難しさ(私の場合)( 再掲載一部改編:初掲載は2013年2月11日)

 今回はどもりを持っている私が「最初の一歩を踏み出す」までの経験を書きます。
 私は、ものごころついた頃よりどもっていて、小学校3年くらいには自分のどもりをはっきりと自覚しました。
*クラスメイトに真似をされたり笑われたり、先生にしゃべり方を注意されることにより自覚させられました。自宅でも自身がどもり持ちの父親からどもる度に言い直しをさせられたり怒られたりしていました。

 その後は毎日の授業が怖くて怖くてたまらなくなりました。
 それは、勉強の内容が分からないからということではなくて、
「次に指名されたときに、またどもってしまい笑われるだろう」という恐怖でした。

 先生から指名されて答えること、教科書を読まされること、その他、例えば学校での健康診断のときに自分の名前を名乗らなければいけないことへの恐怖です。

 教室内で座っている順番や出席番号順に指名される場合は、あと何人で自分の番になるか分かります。
 週末の最後の授業に自分のすぐ前の人で終わった場合などは最悪です。
とても暗い日曜日となりました。自殺さえ意識していたのです。

 新年度が近づいてくると、クラス替え後にまた自己紹介をしなければいけない。
 新しいクラスメイトに私がどもりであることがばれてしまうことの恥ずかしさや劣等感も大変なものでした。
 健康診断で自分の名前を申告しなければいけないことはわかっていますので、数ヶ月前から自分のこころの中で恐怖のカウントダウンが始まります。
*私の場合は、自宅内での何気ない会話や学校での友達とのたわいない話まで大きくどもるような重さではありませんでしたが、重さや症状が体調・季節などの要因でかなり大きく変わる不安定などもりでした。調子の良いときは日常生活や学校での発表もあまり困らないくらいになりましたが、調子が悪くなると家庭内での簡単な会話にも困るくらいのどもりになりました。
*私にとってのどもりとの闘い(苦しみ)は中学生以降が本番となってくるのですが、このあたりは何度も書いていますので今回は書きません。

 こんな私が、ためらいなくどもりについて話せるような友人を得たのは20歳代の後半のときです。大卒後も就職が出来ず精神的に追い詰められて引きこもりとなり、ちょっと元気が出たところで通い始めた民間のどもり矯正所ででした。
*高校の頃にはその矯正所の存在は知っていましたが、親に相談することも出来ず、もちろん行くことなど出来ませんでした。

「ああ、こんなふうに自分の悩みをそのまま話せる友人にもっと早く出会っていれば」と思ったものです。
*小学校の頃にもすでにことばの教室はあったはずですが(取り組みが早くから行なわれた地域に住んでいます)、先生より紹介されたことはなく、その存在は知りませんでした。

 いま学校に通っているどもりを持つ子供はどんな環境に置かれているのでしょうか?
もしも学校の「言葉の教室」に通っているならば、十分なサポートを受けているでしょうか? 
 頻発するいじめ事件の報道を見る限り、私の頃よりも良い環境になったとは思えません。陰湿ないじめをされていて、それでも先生のサポートは受けられないという子供もそれなりの数いるはずです。

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