吃音による失敗経験を(安心して?)積めることの大切さ(再掲載一部改編:2014年1月18日)

 今回はちょっと変わったテーマです。
*このテーマは「どもりの重さや症状の違い」がかなり影響しますので、注意しながら書こうと思います。

 日常生活や学校生活、また、就職活動や仕事に悪影響の出るような、ある程度以上の重さのどもり、
または、傍から見ると重いどもりには見えないが(ほとんどわからないくらいだが)自分ではそれが気になって生活に影響が出るような・・・、
 こんなどもりを子供の頃から持っていると(特に、小さな子供の頃から思春期の頃の家庭環境「精神的・経済的」が悪かったり、学校での必要以上のからかいや陰湿ないじめを受けた場合などは)生きる気力さえなくしてしまうことも希ではありません。
*大人になってから、就職してから、どもりが顕在化し大きく悩む方もいらっしゃいますが、この場合は子供の頃からどもっている場合よりも、ある意味ではメンタル的にきついかもしれません。

 我々どもりを持った者はどもり始めた子供の頃から・・・、
 家庭内では家族、そして一歩外に出れば、買い物をするときのショップの店員さん、医者にかかれば先生や受付の方など様々な方々、言葉によるコミュニケーションをとる方すべてのチェックを受けている(と自分で思ってしまうのです)

★どもったときに笑われた
★吹き出すのを我慢しながら聞いてくれているのがわかってしまう
★直接的に注意される、言い直させられる
★「ゆっくりとおちついて」とアドバイスされる
★どもるたびに殴られたりたたかれたりする
*最後の例は明らかに虐待になるので論外ですが、しかし、これも「きわめて希な例」ではありません。

 このような経験の連続は、本来のどもりの症状(コアな症状といっても良いでしょうか)以上にどもりを悪化・固定化させて、生きていくことがいやになるような気持ちを起こさせるでしょう。

 そこで大切と思うのが、
「どもりながらでも相手となんとかでもコミュニケーションができる」
「どもって失敗した(と思ってしまった)ときでも、こころの落ち込みを最小限にして回復を早くする」
 こんなことではないかと思うのです。

 しかし、日常生活のなか、リアルな生活のなかでは、なかなかどもりながら話す勇気が出ませんし、大きくどもってしまったときには「その場からすぐにでも逃げ出してしまいたいような衝動」にかられます。現実は厳しいです。

 そこで、毎日の生活のなかのどこかで・・・、
「安心して、どもりながら話せる環境や時間」
「大きく破壊的などもりをしても、笑われることもとがめられることない環境や時間」
 を作ってほしいと思います。

 まず考えられるのが、どもりのセルフヘルプグループですね。
同じ悩みを持ったグループ内では安心してどもれるだろう、と。

 しかしここでも、治った・良くなったと言っている方から、頼んでもいないのに、
「このようにしたら良いんじゃないか?」とか、「こうすべきだ!」との、
(それが善意から出たものとしても)しつこいことばを浴びせられることがあり、そうなると活動に参加するのもいやになってしまいます。

 グループのなかで気の合う仲間、価値観やどもりについての考え方が近い方や、境遇がにている方と小グループを作って、楽しく語り合ったり一緒に工夫しながら練習をしたりして、どもりながらでもコミュニケーションがとれる経験を積んでいくようなことは良いことだと思います。
*いろいろな重さや症状のどもりを持っている方、年齢や職業が違う方々との語らいも、自分のどもりを俯瞰して見られるようになるという点から必要なので、ときにはそういう方との語らいも必要です。

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