吃音者が自己肯定感を取り戻すことの重要性(たびたび再投稿、初投稿は2008年6月13日)

 日常生活に明らかな支障があるようなどもりを持ったまま子供の頃から人生を送ってきた人は「自己肯定感が足りない」と言われます。

 当たり前ですね、子供の頃から繰り返される、どもることでの様々な苦労を経験するごとに自信をなくし、場合によっては人生そのものについても自信をなくしてしまうかもしれません。
*かつての私がそうでした。
*傍から見た症状は軽くても(ほとんどわからないくらいでも)、自殺を意識するほど大きく悩んでいることがあるのがどもりという障害の特徴です。家族の前ではどもりにくい最小限のことばしか発しないでごまかしている子どもでも、学校では言うべきことは言わなければいけません。指名されれば本も読まなければいけませんし、どもりながらでないと言えない「自分の名前」も言わないわけにはいけません。陰湿ないじめに遭うことも多いでしょう。 (大人も同じです)

 いかに、「自信」を取り戻し(自信を持ち)、今までの自分の生き方が間違っていなかったか(そのときの自分でできることを自分なりにしてきた)と思えるか、

 いままでに、どもることにより立ち止まって悩んだり生活や仕事がうまくいかなかったことを「ただの無意味な時間の浪費」と思って後悔していることが、実は自分の人生において「必要な時間」であったかを確認すること(こころから思えること)が重要ではないでしょうか。

 さて、小さな頃からどもりはじめた「生活に支障があるくらいの重い」吃音者のなかには、小学校の頃からすでに強烈な劣等感を持っている人がいます。(というよりも多数派かもしれません。)
 笑い話にもなりませんが、幼稚園の頃より、どもることの強烈な劣等感からすでに「自殺」を強く意識していたという若い女性に会った時にはちょっと驚きました。

 私の場合は小学校3年くらいにはどもりをはっきりと自覚して、「恥ずかしいもの」「なるべくどもらないように話さなければいけない」「大人になれば自然に治る」というような感情や考えを持っていました。
*持っていました、というよりは、持たされていました、と言った方が正確です。

 どもりの人がどれくらい劣等感を持っているか、自己肯定感が足りないか、というのは・・・、
「どもりの絶対的な重さ」、「育った家庭環境(親を含む家族が理解があったか)」、「学校の先生が理解がありサポートしてくれたか」、などというように、
「どもりの症状そのもの」に、「取り囲む環境」がプラスされてできているものと思われます。

 小さな頃より(悪い意味で)自分の心の中に育ててきた劣等感がプラスされた「どもり」というこの複雑な障害に対応しなければならない言語聴覚士などの「専門家」といわれる人たちも大変です。学際的な豊富な知識や臨床経験が要求されます。

 現状では、特に思春期以降の吃音者に対しては、事実上、相談機関や治療施設がないことは、吃音で悩んでいる本人やご家族ならばおわかりのことと思います。
*たとえ全国に数カ所あったとしても「通えない」のならば、それはないのと同じことです。

 バブル崩壊以来の失われた20年を経た日本では、「うつ病」がたいへん大きな問題となっています。国民病とさえいわれています。
首都圏では(大阪圏でも)、毎日のように電車の人身事故がありますが何かの原因で精神的に追い込まれてうつ状態の人が多いことが実感されます。
 うつ病は、新聞やテレビで言われているように「精神科医にかかれば治る」などという簡単なものではなくて、現実には何年たっても同じような症状に悩んでいる方が多くいらっしゃいます。
 背景のひとつには、精神科の診療において、先生とゆっくり話すことができないような診療で、結果として薬のみに頼ることが多いことがあると思います。
*NHKなどでも、何度も、うつ病の特集番組が組まれていますが、そこで指摘された問題点(投薬に頼らずに充実した心理療法を受けられるようにしなければいけない)が改善される様子はありません。
 患者本人やそれ以上に家族の希望もあり、(主に経済的な問題から)以前の職場に復帰することを目指しますが、結局は会社を辞めるというケースが多いのが現状です。
 なぜならば、うつの背景が職場内でリストラされるではないかという恐怖心によるものだったり、リストラが一段落し社員が減った職場でのハードな仕事に耐えかねてなどの「仕事由来」が多いので、本当は、うつの急な症状が落ち着いてから「仕事を変えるくらいの根本的な生き方の変更」が必要とされているのに、そこまでなかなか踏み切れないうちにかえって症状は悪化し、結局、会社も辞めざるを得ないという最悪のパターンが多いのです。

 どもりの場合も、この「うつ」と似ていることが多いようです。
 たとえば、ある程度以上の重い吃音を持つ子供にとって学校は地獄です。
 なにしろ、一日中教室にいて同じメンバーのなかでどもっている自分を披露し続けることの繰り返しなのですから・・・。
 「自己肯定感を」と言っても無理な話ですね。自信を失うために登校しているようなものです。
*特にいまの人心の荒廃というか、お互いに傷つけあうようなことが多い世の中ですからなおさらです。

 いまになって冷静に考えているから言えることかもしれませんが、無理をしてまで普通の学校(私の場合は高校時代がいちばん辛かった)には通わずに、どもりで本当に辛かったらフリースクールか受験予備校などの自習体制で勉強した方が、心の問題においても、また、受験にも遙かに良かったと思っています。
 若い頃の数年のドロップアウトなんて、後から思えばなんてことないのですが、その頃はわからないものですね。

 学校卒業後の就職について考えてみても、「自己肯定感を高めていけるような職業」につかないと、
 つまり、「どこかに少しでも良いので自分が認められている、役に立っている」と感じられるような仕事につかないと、自己肯定感がさらに低くなり生きるのがいやになってきます。
 なぜかというと、どもらない人にとってはごく当たり前にかける「電話」について考えてみても、ある程度以上の重さのどもりの人にとっては「地獄の苦しみ」となるからです。
 本当は、話すことが苦手ならば電話を頻繁に使うような仕事にはつかず、ものを作ったりするような「話すことをメインの道具として使わない」仕事につくのが賢明な選択ではないかとも思います。
 就いた仕事や入った会社が一般的に言われる「有名会社かどうか?」ということではないのです。

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