吃音者は、どもることが「恥ずかしいから」「隠したいから」ということだけで困っているのではない(再掲載一部改編:2015年4月12日)

 どもりについてよく言われること・・・、
 「どもりにこだわりすぎて、治すこと軽くすることばかりにこだわらないで、いまを自分らしく懸命に生きた方がよい」ということ

 2016年のいまでも医学的に原因のわかっていないどもりは、手術や薬による治療法はなく、また、確実なリハビリ法もありません。

 そのような現状からすると、
「どもりばかりにこだわって本来やるべきことをしないのはよくない。いまの自分をもっと認めてあげて生きていこう」ということを言いたいのだと思います。
*どもりはその重さや症状の違い、生きている環境(家庭、学校。職場)の違いによって、人生に与える影響がかなり大きく違います。

 これはこれで大切な考え方だと思うのですが、これに欠けていることは・・・、
 吃音者は、どもることにこだわっていて・・・、
「恥ずかしいから」「隠したいから」ということだけで困っているのではない、ということなのです。
*「恥ずかしさ」や「情けなさ」など、こころで感じていることをそのまま受け入れることはとても大切だと思います。やせ我慢をして「気にしない」「どもったままでよい」と言っても仕方ないどころか、行き着くところはこころの病気になってしまいます。そういう意味でも、自分の悩みを遠慮なくこぼせる友人(親友)をひとりで良いのでぜひ作ってください。

 むしろ、恥ずかしさの先にある、それぞれの人の生活(人生)に直接の悪影響が出ることで困っているのです。

 現実の社会を生きていくには、仕事上などで、
どもってはいけない(結果として現実的には通用しない)場所と時間があるので困っているのです。
*その他、子供も大人も、どもることによる学校や職場での陰湿なからかいやいじめもあるでしょう。これは「どもることによって何かができない」ということと同じくらいかそれ以上に深刻で、吃音者のこころを萎えさせ生きていこうという力を失わせます。

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