吃音はその人ごとケースごとの対応を!(再掲載一部改編:初掲載は2012年2月3日)

 いつものように書いていますが、「どもる」といっても実にさまざまです。

 一部の言葉しかどもらないようなごく軽いどもりの場合では、第三者から見ると、どもりで悩んでいることに気づきません。
 それでは本人は悩んでいないかというと、自殺を意識するくらいまで悩んでいることが当たり前のようにあるので、どもりという障害をわかりにくいものにしています。

 また、家族から・・・、
「どもりといってもたいしたことないじゃないか、悩むなんて甘い!」などと言われて、やるせない気持ちをどこにぶつけたら良いのかわからないような思いを持つ方も少なくはないでしょう。

 一方、何気ない日常会話でも顔を歪ませて大きくどもるようなどもりを持っている人に対しては、家族や友人など吃音者の周りにいる人がどこかで聞きかじった話しで・・・、
「どもりを持っていた人でよくなった人がいるらしい。言語訓練などをして軽くなった、または、社会経験を積んで軽くなったらしい」という不確実情報をもとに(善意から)、自分の知っている範囲でアドバイスをしてしまいます。

 しかしこれは結果として、どもりを持っている人の心を傷つけてしまいがちです。当然、よい結果は出ません。

 病気では同じ病名でも死に至る場合もあれば、早期発見ならば心配ない場合もあります。当然治療法や周り人がするサポートも大きく変わってきます。
 どもりの症状がもともと比較的軽い場合では、一定の言語訓練をして、また、専門家による適切なカウンセリングやどもり仲間や家族・友人のバックアップ(理解)を得て(かなり恵まれた希有な例です)、どもらない人と比べても遜色ないような仕事上のトーク(電話・交渉)ができるようになる場合もあります。(しかし、突然の再発により、いままでの生活ができなくなるようなことも十分にありえます。)
*「言語訓練」「カウンセリング」と書きましたが・・・日本には、吃音の症状(特に思春期以降)や吃音者の心理について豊富な臨床経験を有する言語聴覚士や臨床心理士・精神科医などの専門家が日常的に言語訓練をしてくれたり相談に乗ってくれるような(公的)施設は日本には事実上ありません。事実上と書いたのは、たとえ日本に数カ所あったとしても、日常的に通えないのではないのと同じことだからです。
ですから、この場合の言語訓練とは、事実上、セルフヘルプグループの仲間うちで工夫して行う自主的なことばの練習のことです。

 上記のような様々な工夫をしていきつつ、周りにいる人のどもりへの理解にも助けられながら(例えば家庭内などではむしろ自由にどもらせてあげることにより)、次第に客観症状も軽くなってくる場合もあるでしょう。

 それでは、そのまま治癒に向かうかといえば、ちょっとした出来事からどもりがぶり返したリ、いままでよりも重くなり、いましている仕事の遂行に支障が出てくることすらよくあることです。(私がその経験者です)

 どもりの状態は、時間とともによい方向にも悪い方にも変化しうるし、また、吃音者の周りにいる人の対応(無関心、関心、協力的、非協力的、批判的、からかい、いじめ)によっても大きく変わり得ます。また、原因不明の急激な悪化、改善もあるのです。
 吃音者の周りにいる人は、このようなことをよく考えながらサポートをする必要があります。

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