吃音者を「自己不一致」に陥らせない(陥らない)ことの大切さ (再掲載一部改編:初掲載は2007年3月14日)

 どもる人が自分でできること、または、どもりで困っている人の身近にいる人ができることのなかで大切なことは、優先順位が高いものは、どもりを持つ人を「自己不一致」の状態に陥らせないように、いろいろな面から手助けすることです。

 どもることは、精神的に耐え切れないほどの苦痛を与えることがあります。
 それは、重さや症状の違い、吃音者のまわりにいる人(家族・同僚・同級生など)のどもることへの理解の深さの違いなどによっても大きく異なってきますが、

★考えたくなくても(考えたくないと思うほどに)、24時間常にどもりのことばかり考えてしまい、しゃべることが怖くて仕方がなくなる。

★どもることにより次々と起こってくる「生きづらさ」を経験することにより、次第に「生きていくことがつらい、死んでしまった方が楽だ」と思うようになり、うつ病などの深刻なこころの病気になることさえあります。(かつての自分がそうでした。)

 ある程度、年をとってからならば(その年齢までなんとか生きられれば)、「良い意味でのあきらめも」できてきて、肩の力も抜けてきて、多少は「生き易く」なってくるかも知れませんが、
思春期から30代の中ごろくらいまで(私の場合)は、どんなに強がっても心の底では「治したい・そのうちに治る」と思いたいし、また、そのような希望がなければとても生きていられないと思うのは当たり前のことと思います。

 自分の子供の頃を思い出してみても、親やまわりの人が言ってくれる「大人になれば治るよ」という励ましの言葉を疑いを持ちながらもどこかで信じていて、「大人になってもどもっている自分の姿」を想定していませんでした。(したくありませんでした。)

 「今はどもって、つらくて恥ずかしい思いをしているが、大人になれば皆と同じように普通にしゃべれるようになるんだ!」と、いつも自分に言い聞かせていました。
*こう思うことで自分の心の平衡をギリギリの線で保っていたような気がします。

 しかし、これも、度が過ぎると、今の自分を生きられなくなります。(自己不一致)
 つらい現実があり夢の世界に逃げ込んでみても、現実の自分は幸せになるどころかますます追い詰められていきます。
 いつも自分のなかに違う自分があり、そこに逃げ込むことで、しばしの安堵感を得るということは心理的にとても危険なことです。心の病になってしまいます。
「どもりが治ってから就職しよう。」
「どもりさえ治れば就職できる。」
「学校の成績が悪いのはどもりのせいだ」

・・・これらのことは、ある意味そのとおりかもしれません。

 どもりのせいでうつ状態になり苦しくて苦しくて・・・
 しかし、自分ではどうしたらよいかわからない。こんな曇りガラスに爪をたててひっかくような毎日をへとへとになりながら生きている人にとって、「どもりでさえなかったらスムーズに就職もできたかもしれないし、明るく自由闊達な学校生活も送れたかもしれない」と思うこと、そういう思いに逃げ込むことは責められることではありません。

 でも、辛いですが、現実の自分はどもっているのです。
 「どもりがなくなった自分を心のなかに作り上げて」それがあるべき自分・本来の自分と考えて、「今現在、実在するどもる自分」を自分自身で否定してみてもよい方向には進むわけがありません。

 どもりが治るまでは・・・できない、どもりが治ってからなら出来ると考えて、今を生きないで人生を先延ばししてみても無為に時間を過ごすだけです。

 つらいですが今のどもる自分で出来ることから動き始めるしかありません。
*でも、矛盾するようですが、ときには、そんなふうに考えてしまう自分も認めてあげることもとても大切なことす。そういう自分も自分の一部なのだから否定されるものではありません。そういうところがないと余計に自分を追い詰めてしまいます。

 理想の自分とは違うかも知れません(どもりがなければ自分の能力ではもっと違うことが出来るはずだ!と思うかもしれません=実際そうかも知れません。)

 でも、バーチャルな自分に軸足を置くのではなくて、今出来ることから始めることが、結果として時間の浪費をせずして自分らしく生きていける最短距離と考えるべきです。

 いろいろと経験された末にどもりの症状がかなり軽くなっている方に出会うことは、セルフヘルプグループなどに参加しているとそれほどまれなことではありません。
 そのような人たちは、治してから動きはじめたのではなくて、地に足が着いている生き方をはじめてから「結果として」吃音の症状が改善されたのです。
 しかし、ここが重要なのですが、吃音の客観的な症状は、結果として改善される人と、そうでない人がいることも事実です。(軽くなった人のぶり返しも当たり前のように起こります)
 何かを成し遂げると必ず症状が軽くなる=そして社会的成功がある、という構図で考えてしまうと、それが、また、自己不一致の原因になってしまいます。

 どもりには、いままで書いてきたような複雑な事情が背景にあります。
 さらに、古くからあり、いまでも形を大きく変えて残っている民間吃音矯正所(のようなもの)の存在やセルフヘルプグループのなかのいろいろな問題、そして、どもりを専門にする言葉とこころの専門家の質的、量的不足が結果として吃音者に苦しみを与えています。

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