吃音:どもったままでよいと言う考え方は

 吃音者とそのセルフヘルプグループ、どもりに携わる各種専門家のなかには、「どもったままでよい」という考え方をする人が少なからずいます。
 そして、どもりを治したい・軽くしたいという考え方をする人たちとの間で齟齬が生じてきたことも聞いています。
*書籍での知識ですが、日本におけるどもりのセルフヘルプグループの始まりは、60年代に民間のどもりの矯正所に集った人たちが訓練をしたにもかかわらず治らない、一時的には良くなったように見えてもすぐ元に戻ってしまうということを経験し、問題意識を持ったところからだそうです。
*一部は戦前から、その他は高度成長期前後から90年代初め頃まで脈々と続いてきた民間のどもり矯正所は40歳代より上の吃音者にとっては、電信柱に貼ってあった広告や漫画雑誌などに載っていた広告記事により記憶にあると思います。
*民間のどもり矯正所でも、自分はここで良くなったという人と、治らなかった・良くならなかったという人が存在し対立さえ生まれてきたのです。

 さて今回の「どもったままでよい」という考え方ですが、それができるとすれば、私は、誰かに言われてそうする・そのように考えるというものではなくて、大変な苦労・試行錯誤した末に自分で達する(わかる)かもしれない心境(境地)だと思うのです。

 当然、そう思う人もいれば思わない(思えない)人もいる。どもりの重さや症状の違いによることもその違いの要因のひとつでしょう。
 日常生活の何気ない会話でも大きくどもる人にとっては、どもってもよいという以前にどもらない生活など想像もできないかもしれませんし、「そうだからこそ治したい!」と思う人もいれば、今のままのどもりの自分を生きていることで精一杯かもしれません。

 また、その人の置かれた環境、特に経済的環境にもよると思います。
 家族の生活を支えるために、言葉の面で苦しい立場に立たされている今の職場で働き続けなければいけな場合などは、「どもったままで良い」という言葉がどうののこうのなどと考える余裕すらないかもしれません
 子供の頃から家族の理解があったかどうか?によっても、考え方が違ってくると思います。

 どもったままでよいという考え方が、いま現実に困っている人、どもりながらも、苦しみながらも黙々と生きている人をさらに追い詰める可能性すらあるのです。

 やはり、「誰かに言われて・・・」ということではないように思います。

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