吃音:別の道(生き方)を模索すること(再掲載一部改編:初掲載は2010年4月28日)

 いまの日本で、(日常生活に支障が出るくらいの重さのどもりを持ちながら)学校に通ったり、社会人として、特に事務系営業系の働き手として生きていくことは大変なことです。
*どもりが人生(仕事・生活)に及ぼす影響は、その重さの違いにより天と地ほどの差があることはいつも書いていることです。ここでいう「どもり」とは、単に症状の重さをいうのではなくて、傍から見て気にならないくらいの軽いどもりでも、本人が悩んで支障が出ているのであれば、それは間違いなく「重いどもり」です。また、思春期の頃までの環境(家族など周りの理解があるかどうか、学校でのいじめ)の違いによっても、どもりが人生に及ぼす影響は大きく変わってくるでしょう。

 学校では(家庭の経済状況の悪化、格差の拡大、また、家族の崩壊を予感させるような家庭内の人間関係の悪化がバックグラウンドにあるのか)相変わらず陰湿ないじめがあるようです。
 いまの学校はどもりを持ったこどもにとっても、私が通った70年代とは比較できないほどの厳しい環境となっています。

 職場、特に一般的な民間企業では、学生時代とは別次元の困難に遭遇します。

 まず、正社員として入れるかどうかという問題があります。
 たとえ入社できたとしても熾烈な競争(会社間・社員間)をなんとか生き抜いていかないと会社も個人も生き残れないという客観状況がありますので、組織の中では、「私はどもりなので○○できない」ということは言えない状況です。
*こんな状況に追い込まれないように、自分の「言葉の実力」にあった仕事に就くことが必要です。90年代はじめころまでの「かつての日本」で生きてきた吃音者経験による仕事や就職に関するアドバイスは、もはや役に立ちません。

 こんな時代に過度に無理をした生き方をしていても自分の心と体のリソースを使い切ってしまうだけです。
 こころを過度にすり減らしてうつ病などのこころの病気になってしまうと、回復するだけでも大変な力が(本人、家族ともに)必要となります。
*生活のために家族のためにかなり無理をしている方が多いので、鬱病が国民病になったり、毎日のように電車の人身事故が起こるのでしょう。

 それでも、かつてのように終身雇用のシステムがしっかりしていれば少しは報われるのかもしれませんが、一部の企業や公務員を除いてはそのようなシステムはすでに崩壊しています。

 電話すらまともにできなかった私が、大卒後2年遅れでも、半ば脅迫神経症的に「スーツを着て電車に乗って毎日通う会社員になること」にこだわって職安に通い就職活動し、小さな会社に営業マンとして就職でき、階段を上るように言葉も仕事も鍛えることができた80年代末~90年代初めとは客観情勢(経済状況)が違いすぎます。
*当時は「これでやっと一人前になれた」と思えたものです。就職できるまでは家族の前でも心の居場所がありませんでした。

 2016年のいま、いままで(90年代まで)のような考え方を捨てて、少しでも自分にあった地道な生き方を選択した方が無理がありませんし、結果的に仕事も長続きすると思います。

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