吃音:自分(達)で工夫して(ことばの流暢性の向上を目指して)言語訓練などをすること その1、その2 (再掲載一部改編:初掲載は2012年11月10日、11日)

 今回は、「どもりを少しでも軽くするために言語訓練をする」という、こどもの頃からどもりで悩んでいる人には念願の、でも、否定的な考えを持つ人も多いことについて書いてみます。

*高校生以上をターゲットとして書きます。
*書き始めるにあたって、いつも書いていることですが、どもりの重さや症状の違いについて書いておきます。ひとことで「どもり」といっても重さや症状は実に様々です。その人の家庭環境などのバックグラウンドも実に様々でしょう。日常生活にはほとんど影響のないごく軽いどもりから、人生に大きな影響(破壊的な影響)を与えるものまであります。第三者から見て気がつかないくらいのどもりを持っている場合でも吃音者本人は自殺を考えるほど悩んでいる場合すらあります。また、それぞれのどもりを自分としてどのようにとらえるかは本人次第であり、ある考え方を押しつけられるべきものではありません。これが大前提です。

 なぜ「否定的な考えを持つ人も多い」のか?
★日本では極めて限定的ながら明治期から組織的な吃音矯正が始まっていたようですが、一部を除いては吃音矯正のメインストリームは吃音矯正所という名前の民間無資格施設でした。その施設の多くは、自身がどもりで苦労した人により運営されてきました。

 そこでは主に経験則による取り組みがなされてきました。悪く言えば「思いつき」の方法によると言えるでしょう。しかし、吃音者が通える公的施設が全くないなかでできたところですから一方的に非難することはできません。

 そこでの問題点としては・・・、
 実際には「治らない人」「良くならない人」が圧倒的に多かったのに、ほんとうのことを発表しなかったので、どもりを治すことを目的とする言語訓練に対する否定的な考えの根源になっています。
*矯正所に通う人はもともとしゃべりの苦手な吃音者で、また、悩みに悩んで矯正所に通っていて弱気になっていることもあり、不満や疑問はあっても矯正所側にクレームをつけることをしない(できない)ということが、民間の矯正所が長い間続いてきた根底にあるのではないでしょうか?
 また、そこで治った・良くなったという人がシンパとなって、「治らない・良くならないと矯正所に意見を言おうとする人」を結果として押さえるような動きをしたので、良くならない・治らないなどの疑問を持つ人は次第に通わなくなってしまい、次にまた実情を知らない新しい人が入ってくるというパターンをくり返してきました。(この頃よく言われる「ブラック企業」に似ていますね)
*戦後も連綿と続いてきた、吃音者が教室に集まって集団で呼吸練習をするような伝統的な吃音矯正所は、少なくとも東京圏では姿を消したのではないでしょうか? 代わって出てきたのは、インターネット上で宣伝されている違う形での吃音矯正(個人指導が多いようで仲間ができにくい)やセミナー形式のものと形を変えています。

★同じ吃音者間でも「重さの違い」による微妙な問題がある。
 かつての民間矯正所で行われていた「方法」で軽くなり、いままでできなかった就職ができたという人が少なからずいます。
 その多くは、第三者が客観的に見た場合には、症状や重さも大きくは変わっていないことが多いのですが、「そこで知り合った同じ悩みを持つ仲間とふれあって大きくこころが癒やされて元気を取り戻し、場合によっては仲間同志で工夫して練習をするなど試行錯誤をくり返し、自分で生きる自信をつけて就職ができた」というのが本当のところでしょう。(結果として、どもりの症状が軽くなる場合もあるでしょう。)

 しかし、重いどもりを持つ人は、これが吃音者の集まりかと思うほどにしゃべる人がいる矯正所の仲間に溶け込むことができずに孤立してしまう場合があります。

 そこでは「軽くなった」と感じることができないばかりか、かえって孤立感を深めてしまう場合すらあるので、このあたりことからも、「言語訓練をする」ということに否定的な考えが出てくるのかも知れません。
*いまのネット上で宣伝されている個人毎の指導による吃音矯正やセミナー形式のものの場合は、かつての民間矯正所のいちばんのメリットであった「同じ悩みを持つ吃音者同志が知り合い自由に話し合い試行錯誤する」ということできなくなっているのではないでしょうか?

★専門家といわれる言語聴覚士やことばの教室の先生などが接する吃音者(特に思春期以降)のどもりを、治せない、なかなか軽くできない・・・、
そもそもどう扱って良いか分からない(特に思春期以降の吃音)という臨床にあたる人の実情が、吃音への積極的な取り組みから遠ざかるように働いているのではないでしょうか?
*「脳科学の発達」などとテレビなどではもてはやされてはいますが、21世紀初頭の科学技術では、ことばを発するメカニズムすら詳細には分かりません。脳の領域に踏み込んでどもりを治す手術、または確実に治すためのリハビリテーションは、まだ「夢のまた夢」であることは、専門家ではなくても分かっていることです。

 話を戻します。
 こういう現状でも、あえて「どもりを軽くしよう・治そう」と考えてトライする人がいるのはなぜでしょうか?
 簡単ですね、それは生きていくためであり、もっというと、「働いてお金をもらい自分の力で生きていくため」です。

 小・中学生や高校生でいえば、授業中に質問されても答えられない(なかなか答えられない)、指名されても声を出して本を読めない(うまく読めない)、電話も(うまく)できない、名前が言えない、
・・・こんな状態で困っていて、というか、みじめになってきてどうしようもないからでしょう。(いまの学校では、格好のいじめの標的になり得てしまいます。いじめから自殺に至る事件の続発は由々しきことです。)

 自分の努力の外側にあるように思える、「どもりであるがために○○ができないという現実」を、でも、なんとか変えたいという吃音者の切なる願い、素直な考えが無くならない限り、「なんとかしたい、治したい、軽くしたい」と思いトライする人はなくならないと思います。(このあたりも、どもりの重さの違いによる心持ちの違いは大きいと思います。)

 また、このような試行錯誤をすることが、よく言われる「吃音の受容(自分がどもっていることを受け入れること)」につながっていく場合もあると思います。

 さて、本題です。
 今回のテーマの「ことばの流暢性をあげる」ためには、自分を「良い意味で追い込んでいく」必要があります。
 しかし、それは、自分の心を狭い迷路のようなところに追い込んでしまい人生をさらに苦しいものとしたり、心の病気になり苦しい思いをする危険性すらありますので十分な注意が必要です。
自分ひとりで思いつきのように行うのではなくて、「危機管理」をしっかりとしながら行う必要があります。

★他の病気や障害による吃音に似た症状(吃様症状)ではないかチェックする?
 これは明らかに医師の分野です。交通事故による脳の損傷や脳の病気、既知の障害による吃音に似た症状が出ている場合もあるでしょう。

★家族の理解を求める
 自分がどもりで悩んでいて学校に通えなくなりそうだったり、クラスでいじめを受けている。どもりのために就職活動に支障が出ていることなど、どもりで悩んでいる・困っていることを正直に家族に伝え理解と支援を求めることです。
・・・と言っても、現実には、理解してくれなかったり無関心な場合が多いのが現実です。
*しかし、理解してくれなくても、話しておく、と言うことは重要なことです。
*なかには、「どもりくらいで甘えたことを言っている、世の中にはもっと苦労している人がいる」などと説教されてしまうようなとんでもない家庭もあります。

★こころの専門家と(さらに、できればことばの専門家)を見つけておいて、いつでも相談できる体制を作っておく
 これから、「無理をしていく」わけですから、苦しいこともあるでしょうし結果的にうまくいかないことも多々あると思います。必要以上に落ち込んだりしないように、こころの専門家を確保しておきましょう。

★なんでも話せる少数のどもり仲間でグループを作りトライする
 どうしても見つからない場合を除いて、同じどもりの悩みを持つできれば同じくらいの年齢の同じような境遇のメンバーでグループを作りトライします。
仲間をみつけるのはネット上でもできるでしょうが、やはり会ってみてかなり話し込んだ上で進めていかないと危険ですね。どもりのセルフヘルプグループに参加してみて見つけるというのも良い方法だと思います。

★ネットをフルに使う
 グループのホームページを作って活動状況を世界中に流せば、共感した人が新たに加わりたいと申し込んで来るかも知れませんし、世界中の著名な吃音を研究学者に直接連絡を取ることも可能です。

★できるだけプラクティカルに考える(現実的でないものは省いていく)
 活動を進めていくなかで、観念論は極力廃して、論理的、現実的に進めていくと良いでしょう。もちろん活動の背景には温かなlこころが必要ですね。

 次回は、活動の詳細について書く予定です。(??)
*これも、いままで書いてきたことと同じようなことにはなると思います。例えば、グループ間での電話練習、部屋を借りてのサイコドラマなど・・・

****************その2***************

*高校生以上をターゲットとして書きます。
*書き始めるにあたって、いつも書いていることですが、どもりの重さや症状の違いについて書いておきます。ひとことで「どもり」といっても重さや症状は実に様々です。日常生活にはほとんど影響のないごく軽いものから、人生に大きな悪影響を与える重いものまであります。第三者から見てそれほど重くないと思われるどもりを持っている場合でも吃音者本人は自殺を考えるほど悩んでいる場合すらあります。 また、それぞれのどもりを自分としてどのようにとらえるかは本人次第であり、ある考え方を押しつけられるべきものではありません。これが大前提です。

 さて今回は・・・このようなことについて考えていきます。
★話すべきことば(特に最初のことば)がなかなか出てこない、また、どもり特有の同じ音を繰り返すような(ぼぼぼくは、すすすずきです など)症状を言語訓練や心理カウンセリング、また、仲間同志のふれあいにより、緩和を目指します。

★どもることでまわりの人に笑われたりしているうちに、次に発することばも、またどもって笑われるのではないかと思うようになり、ことばを発することが怖くなって、さらに日常生活全般にまで悪影響が出ることはまれなことではありません。 悩みが高じてうつ状態からうつ病になってしまうとたいへんです。
 こころの病気は治るまでに時間がかかります。(実際には、なかなかすっきりとは治りません) そうならないために、早めに精神科医や臨床心理士による適切な治療を受ける必要があります。
*どもっている本人だけではなく家族もカウンセリングを受けるべきです。特に高校生くらいまでは、(どもることに無関心、または、理解のない、さらにはどもりくらいで悩んでいるなんて甘いなどと批判されるような)家庭環境で育つこどもは、どもりが治るどころか、その環境が維持・悪化させる要因となってしまいます。

 どもりを軽くしようと努力しても、その結果はそれぞれの人ごとに違ってくるでしょう。 ことばの流暢性を向上させようとすることは他の人との競争ではありませんので、自分のペースで自分の人生に合わせてトライしていけば良いと思います。
*いまの吃音の重さや症状、おかれている精神的・経済的環境によっても方法やペースが大きく変わってくるはずです。

 まずは自分のほんとうの気持ちの確認から・・・
★いままでの人生で、どもりのためにどれほど、生きたい(生きられたはずの)人生を無理やりに変えられてしまったのかという「人生のやり残し感」や「どもりに人生をふみにじられてしまったことへの恨み」のようなものを隠さずに気持ちの表面に出してみましょう。 思わず大声を出して泣き出しても良いと思います。 なんとも言えない怒りが吹き出してきたら、(自宅の!)ふすまくらいは破っても良いのではないでしょうか? 自分のほんとうのこころを表に出してみます。

★自分は、これからどんな人生を送りたいのか? 「どもりだから○○はできない」という自己規制は外して考えてみてください。
*どんなに自分なりに努力しても「できないことはできない」という結果がちゃんと出てきますので安心してください。
*世間体をどれくらい気にするかにもよりますが、年齢に関係なく、覚悟さえあれば、人生はかなりのレベルでリセットが効くと思います。(日本人は世間体を超越するのが不得意なようです。)
*いまの日本は政治も経済も世の中はめちゃくちゃなとんでもないことになっていますので、これからやり直そう、リセットしてやり直そうという方にはむしろ良い時代かも知れません。
*ご近所、親戚、友人関係・・・人生でトラブったり、行き詰まっている方は案外多いです。苦しいのはあなただけではありません。(人は都合の悪いことは隠しますので目立たないだけです。)

 話しが脱線しはじめたので本題に入ります
★お互いに信頼できる少人数のグループはできましたか? 前回も書きましたが、グループはできれば同じくらいの年齢で同じような境遇の人の集まりが良いです。
★グループ内でルールを決める 例えば、「しつこく自分の意見を押しつけないことなど、言われたらこころが傷ついてしまうようなことは言わないようにする」など、事前に決めておくと良いです。
★スーパーバイザーがいればなお良い 精神科医、臨床心理士、言語聴覚士など、協力してもらえる方がいれば、たまに、集まりに参加してもらい彼らなりの意見を言ってもらえるとグループ活動にに深みが出ると思います。(最初から吃音に精通している必要はありません。むしろよく知らない方のほうが、違う視点からのアドバイスが期待できます。)
*「吃音者OB」に頼むのはやめた方が良いでしょう。彼らの意見を聞きたかったら、たまに既存のセルフヘルプグループに参加すれば良いと思います。

★グループで公民館などに部屋を借りる 地域の公民館は低料金で部屋を借りられます。同じ場所を定期的に借りられればなお良いです。
「吃音を治す練習」という「福祉目的」で借りるという大義名分がありますので優先順位も高まるかも知れません。公民館の他に福祉系の施設も借りられるかも・・・ 公民館のある自治体のWebぺージに宣伝を載せてもらえるかも知れませんね。
★グループで公民館などの部屋を借りてサイコドラマを行い、どもることに慣れることからはじめる 公民館の部屋は、学校の教室にも、会社のオフィスにも会議室にも、就職の面接会場にも化けることができます。
 机やいすをそれらしく並べて、簡単なシナリオをいくつか作って全員参加で行ってください。 映画監督のようなドラマの進行を管理する人を決めて、いろいろな場面でドラマを中断して、「この状況下では私はこうして切り抜けた、このように思うことで自分のこころを守った」などをざっくばらんに話し合ったり、または、具体的なしゃべり方のテクニックなどを話し合うことも良いでしょう。
 ことばで失敗してこころが傷ついたときのこころの修復の仕方などをお互いに話し合うことはとても良い癒やしになると思います。

★お互いの家に電話をかけ合う電話練習
 公民館の部屋だけが練習の場所ではありません。吃音の重さにもよりますが、まずはお互いの携帯に電話をかけることからはじめて、次にそれぞれの家に電話をかけ合います。本人以外の家族が出る場合もありますので良い練習となるでしょう。 うまくしゃべると言うよりも、最初はどもりながらでも言いたいことを伝えるというスタンスではじめれば良いでしょう。様々な「技法」も思いきって使ってみてください。
*要は、自己肯定感をどうやって育てていくかです。
*家族にはこういう練習をするので、どもっている人から電話がかかってきても驚かずに最後まで聞いてほしいと頼んでおきましょう。

★企業に電話をかけて商品やサービスなどについて質問する
  借りた部屋でグループの皆で行う場合は、スマホなどを固定電話のように使うことができるグッズが発売されていますので、これを使うと緊張感が増して良いでしょう。
新聞や雑誌などに載っている大手企業の宣伝広告や宣伝記事(例えば、家電やパソコン、自動車、生命保険や医療保険)には問い合わせの電話番号が載っています。そこに電話して商品について質問するのも良い練習となります。 まずは会社の大代表にかけて、担当部課を教えてもらい次々とかけていくという方法ならば、さらに練習効果UPです。

★街なかに出て道を聞いたり、デパートやスーパーで商品について質問する グループが2~3人ならば全員で、多い場合は2~3人毎にグループに分けて外に出ます。
 歩いている人に道を聞く練習をします。そのときにはことばの流暢性を高めるような各種の技法を試してみてください。自分に合ったものが見つかるかも知れません。 同じように、デパートや大手のスーパーで商品の場所を聞いたりすることも良いでしょう。

 以上のようなことを行ったらやりっ放しにしないで、話し合う時間を持つと良いですね。 録音や録画ができれば、それを元に検討し合います。
 これらのことは、昔から行われているはずです。 お互いに信頼できる比較的少人数のグループで進めていくと良いと思います。

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