吃音:日常の学校の教室やオフィスに放り込まれたときの恐怖感・・・(その1)

 どもりで悩んでいる人、それも、家庭内の日常会話、学校、職場において、どもることで意思疎通に支障が出るような重さのどもりを持っている場合に、学校や職場での生活がどれほど苦しいものかについて書いてみます。
*どもりと言っても、必ずしも症状として出ている重さが重い人ばかりではありません。見た目は軽そうでも、何気ない会話ではほとんど気がつかないくらいでも、職場や学校で自分の名前や会社名を言おうとすると、特定の言葉を言おうとすると、いままでの流ちょうさが嘘のように重いどもりになってしまう、最初の言葉が出ずに詰まったままになってしまう場合も含まれます。(逆もあり得ます。職場や学校よりも自宅のなかの方がどもるし、居づらい、安心してしゃべれない)

 さて、ある程度以上の重さのどもりを持っていて、自力では就職できずに有力者のコネで就職した、または、それほど重くない吃音者が面接時にたまたま言葉の調子が絶好調で面接がうまくいき「就職できてしまった」場合などにあることなのですが、
 そのようなどもりをもった人が、一般的なオフィスに放り込まれてことを想像してみてください。

 あたりまえですが、オフィス内では皆忙しそうに電話をとり顧客と商談をしている、または社内電話で他部署の社員と打ち合わせをしている、部屋で活発に会議をしている。
 営業部では、新規開拓のための顧客訪問に向けてのアポイントを取るための電話をかけている。
 また、起きてしまったクレームについて謝りの電話やそれに対処するための関係各所に調整のための電話をかけている・・・、

 こんな雰囲気のなかに、自分の名前を言うことすら不安がよぎるような人が入っていったらどうでしょうか?(かつての私自身です)
*現実にはまれなことですが、大企業などに障害者として採用される場合は別です。言葉を極力使わない場所で働くことができるでしょう。

 あたりまえのように、活発に、言葉による各種意思疎通をしているオフィス・・・、
そのなかに放り込まれた吃音者は戸惑います。
 直属の上司には「この人はどもりを持っている」という情報が行っているとしても、そんなことにかまっていられるほど職場は甘くありません。
 そして、その上司はその立場で、その人が「仕事で使えるかどうか」を考え、判断しなくてはなりません。

 たとえ、自己紹介で「私はどもります」と紹介できたとしても、周りから迷惑そうな顔をされるだけです。
 職場では、どもることによって他のスタッフの仕事の流れを乱さなければ(人並みに仕事ができれば)、どもりであろうとO.K.でしょう。自分の仕事が乱されたい限りにおいてクレームは来ないかもしれません。(ということは仕事に支障が出れば同僚も顧客も「あいつを替えてくれ」ということになります。私にも経験があります。)

 一方、学校の場合は事情が違います。
 それぞれが独立していて勉強をしているのですから、利益を追求するために集まっている(稼いで食うために集まっている)職場とは本質的に違います。

 それでは楽かというとそうではありません。
 精神的にも不安定な思春期の時期に、先生から指名されてもはじめの言葉が出てこない、しどろもどろになりながら教科書を読む毎日は、子供の心をむしばむには十分な苦しみに満ちています。

 学校内の委員会活動やクラブ活動等においてそれぞれの役割を果たすときには、職場と同じように、どもる人の介在によって流れが妨げられればクレームが出るでしょう。
 授業中でも放課後でも、執拗にからかわれる・深刻ないじめを受けることも考えておかなければいけません。
そして、それらに対する学校側のサポートをほんとうに期待できるか?というところまで考えなければいけいないようないまの学校の状況です。

「その2」に続きます

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