吃音:満たされないこころ(私の場合)(再掲載一部改編:2012年6月27日)

 吃音者である私のこころのなかには、子供の頃から「独特の空虚感のようなもの」が常にこころに大きな隙間がありましたし、いまでもあります。

 親が言うには私は2~3歳からどもりはじめたようですが、その頃の記憶はありません。
*どもりの友人から、「幼稚園の頃にどもりで悩んで死にたいと思ったことがある」と聞いたことがあります。これには驚きました。

 小学校3年生くらいになると、どもるのがイヤで授業で発表するのを躊躇したり、自分の発表の順番が近づいてくると心臓がドキドキ(もちろん悪い意味で!)して、いたたまれなくなったことをはっきりとおぼえています。

 文章にするとそれほどでもないように読めてしまうかもしれませんが、子供のこころにとっては耐えがたい苦痛の連続でした。
 小学校高学年くらいになると、こころのどこかで常に「自殺」ということを考えているような子供でしたが、大人になってどもりの友人ができてから、そういう子供は私だけではなかったことを知りました。
 よく、いままで生きてこられたと思います。
*大卒後就職できずに(せずに)いちばん深く悩んだ頃には、「なんであのときに死ななかった(死ねなかった)だろう」と思ったものです。

 その後約2年の引きこもりを経て、ハローワークで仕事を見つけて小さな会社の営業マンへ。そして、ちょっと自信をつけて大手メーカーの営業マンへ転身。
 さらに調子に乗って転職して、どもりが悪化して大失敗といろいろと経験することになるわけですが(過去の書き込みに詳しく書きました)、私はことばの調子が良く完治する方向に進んでいると思えたときでさえ、空虚感がぬぐえませんでした。

 私のようなどちらかと言えば比較的軽い吃音者(何気ない日常会話でも常に意思疎通に支障を来すくらいのどもりではないということ)は、
調子が良いときはどもらない人とほぼ同じようなことばの流暢性を得られますが、調子が悪いときには日常会話レベルでも意思疎通に問題が出ることがあったので(小学生~高校くらいまでは特に重いことが多かったです)、
どもりがすっかりと治り、どもらない自分を想定して将来設計をしたら良いのか?
どもりが治らないままで将来のことを考えれば良いのか?
こころのなかに大きな不安を抱えたままで青春時代をを過ごしたことが、いまに至るまでのこころのなかにある空虚感を作り上げたのだと思います。

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