ある程度以上の重さの吃音を持ちながら現実と対峙し生きていくこと(再掲載一部改編:2012年9月16~17日)

 こどもの頃(2~3歳)から始まることの多いどもり、
 それも何気ない日常会話にも支障が出るくらいの重さのどもりを持っていると、その人は24時間常にどもることを意識しながら成長していくことになります。
*希な例だとは思いますが、親や兄弟などの家族がどもりに理解がある場合、つまり、どもりで悩んでいることを積極的に知ろうと努めてくれて、家のなかだけでも安心してどもれるように工夫してくれたり、また、学校でどもることにより恥ずかしい思いをしたことなどをフランクに話し合えるような家庭環境があれば、それで「どもりが治る」ということではありませんが、どもりの悪化の防止、どもることに対するこころの耐性を高めることができるでしょう。

 こどもの世界はある意味容赦のない世界です。どもれば笑われからかわれるし真似されます。
いじめられることもあるでしょう。
 無邪気な笑い・からかいは昭和の時代からありました。むしろ、そういう小さな逆境をこどもの頃から経験することにより、いろいろなことを学び自我を形成していくこととなりました。
 しかし、いまの「いじめ」は、最悪の場合、死に至るような、執拗で人の道をはずれた犯罪となる場合があります。そのようないじめもまれなことではなくなりました。
 どもりを持っているこどもを持つ親や、担任の先生、また、相談を受けている専門家は、そんなことが起こりうる日本に住んでいるということを考えながらサポートしていく必要があります。

 現実の世の中は競争により成り立っているところが大です。
 学校の勉強も、スポーツも、社会に出てからの仕事も他者に評価されることにより成り立っています。これが現実です。
 またそれがある故に達成感を味わったり、敗北感を味わいます。
 物事がうまくいかず結果が出なかった場合には、その失敗がやがて前向きな努力へとつながるのがあるべき姿ですが、現実はどうでしょう。

 いまの日本では同じスタートラインにも立てなくなっている人が多くなっています。というよりも、スタートラインにすら立てない人もいるでしょう。
 スタートラインに立てたとしても、たった時点ですでに大きく後れをとっていて、挽回するには差がつき過ぎている場合も多いのです。

 以前にも書いたことがありますが、日常会話に支障が出るくらいのある程度より重いどもりを持っている場合には、かつての好景気時の日本においてもたいへんな就職難でした。
 電話がまともにかけられない挨拶をはきはきとできないという状況では、事務系や営業系の仕事にはかなり大きな支障が出ますので、採用する側も困るし、応募する方からしても敷居が高くなります。

 しかし、かつての日本、私がこどもの頃の昭和40年代末くらいまでは、東京近郊の都市でも、いわゆる会社に入らなくても、家業を継いだり、商店街の小さなお店で働いたり、農業に従事することにより人並みの人生が送れるという、地域社会にビルトインされた吃音者を守る仕組みがありました。

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(その2)吃音を持ったままの小学生は

 どもりを持った状態で小学校へ入学した場合、それも授業中に指名されて発表するときや教科書をひとりで読むときに、休み時間に友達と話すときも・・・
「最初のことばがなかなか出てこない(ブロッキング)」
「同じことばを繰り返す(ぼぼぼくは)」
「意味のないことばを発してからでないと本来発したいことばが出てこない」
 …などの症状がある場合は、次第に自分がどもりという言語障害を持っているとこを意識せざるを得ない状態になってきます。

 それは、どもる度に、「友達から笑われる」、「真似をされる」、「先生からも『ゆっくりと落ち着いてしゃべりなさい』などと注意される」
 …こんな毎日の繰り返しから、自分がどもりであることを否応なく意識させられるのです。

 どもらない人から見れば、「ことばがつっかえる」くらいの意識しかないでしょうが、しゃべることが怖くなるのです。「次のことばが出るだろうか」「またどもって笑われるだろうか」と。

 私の経験をいえば、小学校高学年の頃のことでいまでもはっきりと思えているのですが、担任の先生が発表の順番と教科書を読む順番を決めるために小さな棒を2本用意してその棒を持っている人が次の順番という約束事がありました。
 例えば土曜日にその棒が私のところにまわってくる。
土曜日中はなんとか発表しなくて済んだ、助かった。
(土曜も午前中だけ学校がありました。今もあった方が良いのでは?)
 しかし、日曜日の夜は超ブルーです。
「明日、発表しなければならない、教科書を読まなければならない」
「またドモルだろう、いっそ死んでしまいたい」

 いまの小学生がどもることで、私の頃とは比較にならないような陰湿ないじめを受けていたら、どれほど苦しいだろうかと心配しています。

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(その3)吃音を持ったままの思春期以降の現実は・・・

 青春まっただなかの中学・高校生活。
 しかし、楽しいはずの友達との会話も、どもりどもりではなかなか要領を得ない。
授業中の発表も、最初のことばすらなかなか出てこずに、思わず「わかりません」と言って楽な方に逃げてしまう。
 一生懸命に答えてみても、どもりながらようやくしゃべる姿をクラスメイトは大笑い。家に帰る頃にはこころも体もヘトヘトで、どうにかなってしまいそう。(勉強どころじゃありません)
 こんな毎日を過ごしている人も少なくないはずです。
*クラスで陰湿ないじめにあっている人もいることでしょう。決してひとりで悩まないでください。良い方向には向かいません。学校の先生が信用できないのならば直接警察に、それも県警以上に相談しましょう。

 私の場合は中学に入ったとき、なぜか学級委員長に推薦されてしまいました。
それでなくても新入生で緊張しています。どうしようか、逃げ出してしまおうかと・・・
 しかし、中学校生活が始まってみると、小学生時代のどもりがうそのように治っていきました。
 授業中の発表も、「すらすら」とまではいかなくてもほぼ問題なし、各種委員会での学級委員長としての発言もクリアー。電話もほぼすらすら。将来が一気に明るく見えてきてうれしくてたまりませんでした。
 当然、成績もうなぎ登りでした。もともと目立ちたい方だったので、うれしくてたまりませんでした。

 しかし、2年の夏を過ぎると突然のぶり返し
授業中に指名されても立ちんぼで、最初の言葉がなかなか出てこないことが増えて来ました。
 小学生の頃の自殺すら考えるような苦労がふつふつと思い出され、次第に精神的に追い詰められていきました。うつ状態に陥っていったのです。
*いま思うと(いまだから言えることですが)、この頃に自分の思いの丈を話せる心理カウンセラーやどもりに精通しているSTが身近にがいてくれたらその後の人生は大きく変わったはずです。もっとも、昭和の時代にはスクールカウンセラーなどはいませんでしたし、精神科にかかろうなどとは夢にも思いませんでした。(その頃は、精神科イコール金網のついた病室くらいの認識しかありませんでした。)

 結局、高校受験時は面接がイヤ(怖くて)で公立高校一本で受けました。
 当時は学校群制度でしたので、私の成績ならば、しくじっても学校群自体には落ちないだろうということで担任も認めてくれましたが、担任にも、「どもりのために私立を受けない」などとは言えませんでした(親にも)

 高校時代は地獄でした。進学校だったこともあり競争のなかに完全に取り残されていく自分を感じながら、どもりはますます悪化。授業中はいつ指されるかビクビクで精神的に最悪な状態に陥っていきました。いま思えば完全に「うつ病」です。
 こんな状態に陥っていても自殺しなかったのは、若い柔軟性のある心と体だったからでしょう。
*いま悩んでいる皆さんは、かつての私のように我慢してはいけません。
いまでは精神神経科の病院も敷居が低く行きやすくなりましたし、どもりの人のセルフヘルプグループもある、不完全ながら言語聴覚士という専門家もできてきました。

 是非、できることからできるだけの対策をしてください。
*時間を作って、「その後」も書いてみたいと思います。

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