吃音:「本人の生きる覚悟」と、まわりの環境は傷ついた吃音者が立ち直れる限度内なのか?(再掲載一部改編:初掲載は2008年7月16日)

 「覚悟」という言葉には、「何かができないであろうと思ってあきらめる」というニュアンスを感じる方が多いかもしれませんが、「心構え」というような意味もあります。

 どもりを持った子供が大変な苦労をしながら、人間として・社会人として自立していく過程において、その「覚悟」が身についてくる場合があります。

 その苦労の結果、禅の修行を積んだ高僧のように(ものにこだわらず、高ぶらない、軽妙洒脱な生き様)なることもあるでしょうが、言葉そのものは流ちょうになっても、今までの苦労を自慢げに話したり自分のしてきた方法を半ば強引に後輩に伝授したりするような方もいらっしゃり(こちらの方多数派でしょう。人間らしいといえば人間らしい・・・)様々です。

 しかし現実には、どもりが重く、いろいろとトライしてはみたものの、結果として安定した職業に就けない場合もいくらでもあります。(残念ながら、こちらが多数派かもしれません)

 そのような場合にはやみくもに自立を求めるのではなくて、福祉によるバックアップが必要です。
 心理的なカウンセリングであったり、必要に応じて適切な言語訓練、仕事の斡旋など・・・
それができるのが本当の先進国といえるのではないでしょうか。

 また、客観的な症状はそれほど重くなくても(どもりとわからないくらいでも)、本人が必要以上に気にしてうつ病や引きこもりになり、学校に通えなくなったり会社に行けない、就職活動ができない・・・などの場合もいくらでもあるでしょう。
 これらのケースでは、家族で秘密裏に処理しようとして表に出てこない場合が多いようです。
 私が大学卒業後も就職できずに引きこもった80年代末~90年代初めの頃には、まだ、どもりなどで人生を一時的に脱線して空白の数年間があるような人も受け入れてくれて、それなりの会社に入れるような、社会の第一線に出て試行錯誤させてくれる「ゆるさ」を持った社会であったような気がします。
*それなりの会社?=別に第一線じゃなくても良いですね。
自分が結果として幸せになれればそれがベストではありますが、現実的に言うと「それなりの会社」に入らないと収入も少ないですし、すぐつぶれるようなところや、いつまでもアルバイトでも困りますね。

 しかしいまはそれが難しい。本人の「覚悟」を認めてくれて再チャレンジできる最低限の環境がなくなっているような気がしています。

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