軽い吃音について

(客観的に見て)軽い吃音についての過去の書き込みを2つ掲載します。

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軽い吃音者の憂鬱(2006年11月14日掲載)

 今回は客観的症状で見た「軽いどもりを持った人の憂鬱」について考えてみます。
 どもりには「重いどもり」と「軽いどもり」があります。今回は、この「重さ」は客観的なものとして考えていきます。
つまり、第3者からみてのどもり方によるものです。

 第3者からみてあまりどもっていない(ほとんどどもらない)人、
 しかし、普段は大丈夫な電話でも、ある条件下では自分の名前や社名が全く言えなくなり、周りの人がこれが同じ人かと思って目を丸くしてしまうほど「どもってパニックに陥ってしまう人」のことです。(どもらない人でも、あがってしまい言葉がつっかえてしまうことがありますね、しかし、それとは違う次元の状態であることが第3者から見てもはっきりとわかるということが条件です。)

 彼らは(客観的な症状が軽いので)、学校に入るときも、就職のときも、仕事の内容も、どもらない人と同じものを要求されますし、自分でも(悩んでいながらも)どもらない人と同じものを求めます。
仕事の能力が高い人は高度な仕事を要求され・こなしますので、しゃべるということでも、高度な責任や判断を要求される仕事に従事することとなります。(日常的にストレスにさらされます。)
 そこに無理がくるのです。

 どもらない人にとっては当たり前の「電話」「折衝」などが、彼らには(実は)常にぎりぎりなのです。
 そして、客観的に軽いどもりの人それぞれの「どもるボーダーライン」を超えたときに、突然、一時的に、「客観的にも重い吃音者」になります。たぶん、体調なども密接に関係しているでしょう。

 もしも、そのようにならざるを得ない状況が何日も続くようであれば、彼らは継続的な、客観的に「重い吃音者」に比較的簡単になりえるのです。

 そのような状況「大きな波」をどのように乗り越えるか、そのままを押し通す(せるか)か、仕事の方向性を大きく変えるかで、その後の人生が大きく変わってきます。

 90年代初めころまでは職場が比較的安定していましたが、現在では能力のある人ほど世界中を転々とさせられて、同じ会社のなかでも次々と異種の職種を体験するでしょうから、その分大変です。
そして、その後も次々と、どもりであるが故の関門が軽いどもりの人の前に立ちはだかるもです。

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軽い吃音者のこと(2007年5月3日掲載一部改編)

 軽いどもりの人のことを書きましょう。
 軽い吃音者を二つに分けてみます。
1、普段は第三者から見て、ほとんどどもりとわからないくらいの(または、まわりの人はわかってはいるが毎日の生活や仕事にほとんど影響がないので気にならない)どもりで、就いている仕事上の不便もほとんど感じていないのだが、
 たとえば、電話でのみ自分の名前を言うときだけには、必ず大きくどもって言えなくなり、毎回恥ずかしい思いをする。こんな状況になることを知っているので、電話で自分の名前を言う状況を避けまくって今まで生きてきた。
結果として、どもりであることはほとんどの人に知られていず、であるから、余計、自分の名前を電話で言う状況に自分を置くことはしたくない。

2、普段は第三者から見てほとんどどもりとわからないくらいのどもりで、というよりもむしろ多弁で職場でも人気者の場合。
 しかし、仕事や生活の中の特定の状況、(たとえば、電話し、交渉し、大きな会議で発表し、客先でプレゼンテーションをし)、では、急にどもり出して同僚も「どうしたの??」と思わず言ってしまうようなことがそれなりの頻度である。
仕事上や家庭生活上のトラブルが出てくると、普段は一部でとどまっているどもりが、日常生活や毎日のルーチーンワークのレベルでも大きくどもりだし、上司に呼ばれて「ちょっと困ったね!」とやんわりと注意された。

 どもりの状況は確実に悪くなっているようで、仕事がこのまま続けられるか、周りに迷惑をかけるのでやめなければならないかもしれないと思うと、いてもたってもいられず、最近はうつ状態になって精神科に通いだした。
言葉を使わない仕事に転職したいのだが、住宅のローンもあり給与の関係からやめられない。

 こんな2つの例を挙げてみました。どうでしょうか?
このような状況に置かれている方は多いと思います。

 こんな状況に置かれている方は、「どもったまま生きていこう」という考え方を簡単に受け入れられるでしょうか?

 または、カウンセラーにかかって行動療法等の心理的療法を受けるとしても、日本の医療の状況では毎回15分くらいの短いカウンセリングしか受けられないような場合が多く効果が期待できません。
 医療保険適用外では長時間のカウンセリングも可能ですが、45分くらいのカウンセリングで、万単位の請求に耐えられるでしょうか?

 そんな彼らがはどうしているか。
 まさに毎日、常在戦場、で、生きていくためには、いくらどもろうが働かざるを得ず、ある場合はそのまま結果として乗り切ることができるかもしれませんが、心を病んでしまう場合もいくらでもあるでしょう。
 そんな彼らが頼ってしまうのは、怪しげな民間の矯正所(のようなもの)ということになってしまうことが多いのです。

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