吃音:本人の望むことと社会からの要請とを、どう折り合いをつけて生きていくか(再掲載一部改編:初掲載は2009年2月16日)

 どもっている本人が持っているところの・・・、
「ほんとうはこんなふうに生きられればいいな、生きやすいのにな!」
 という考え方や想い、
それらは年齢とともに変化していくと思いますが、本人の希望と社会(子供にとっては小さな社会である家庭や学校、成長してからは職場)から要請されることとの間には大きな開きがある場合が多いのです。

 例えば・・・、
 「電話は苦手で、自分の名前が出るまで十秒もかかるので、できればしたくないな」、
 「自分の名前や会社名はきわめて言いにくいので言いたくないな」
  などはその典型例でしょう。
*職場では電話ができることや挨拶をすることなどはあたりまえのことだからです。

 当たり前にできることができない(できにくい)ということ。
 それも、本人の努力不足ではない理由でできない(つまり障害があるということです)ということは、何よりもどもっている本人の心を焦らせ、ささくれさせ、場合によっては生きること自体を辛くさせます。

 そのような立場に置かれているある程度以上の重さ(症状・心理)の吃音者が世の中で生きていくために「社会からの要請」にどう答えるか・・・、
 ★全く無視するか、または、答えるふりをして生きていくか、
 ★どうもがいても答えられないので諦めて他の道を探すか、
 このほかにもいろいろな生き方や心の形があると思いますが、このあたりが難しいことと思います。
*傍から見てほとんどわからないような軽く見えるどもりでも、本人がそれを気にして生活に大きな支障が出ていればそれは重いどもりです、が、こんなことはどもりでない人には理解されにくいことです。(どもりが社会的に認知されない要因のひとつでしょう)

 どちらにせよ他者との関わりのなかで生きていくのが人間である以上、「自分がどもりをもっている」という現実と「社会からの要請」とをどこかで折り合いをつけていく必要があります。
*でも(私もそうですが)、現実の厳しさにどうして良いかわからなくなり人生を立ち止まってしまい、「ひきこもり」のような形になってしまうこともしばしばです。

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