吃音者は、どもることが「恥ずかしいから」「隠したいから」ということだけで困っているのではない、

 どもりについてよく言われること・・・、
 「どもりにこだわりすぎて、治すこと軽くすることばかりにこだわらないで、いまを自分らしく懸命に生きた方がよい」ということ

 2015年のいまでも医学的に原因のわかっていないどもりは、手術や薬による治療法はなく、また、確実なリハビリ法もありません。
 そのような現状からすると、「どもりばかりにこだわって本来やるべきことをしないのはよくない。いまの自分をもっと認めてあげて生きていこう」ということを言いたいのだと思います。
*どもりの重さや症状の違い、生きている環境(家庭、学校。職場)の違いによっても考え方が大きく違って当然です。

 これはこれで大切な考え方だと思うのですが、これに欠けていることは・・・、
 吃音者は、どもることが「恥ずかしいから」、「隠したいから」ということだけで困っているのではない、ということなのです。
(どもることでの「恥ずかしさ」や「情けなさ」など、こころで感じていることをそのまま受け入れることはとても大切です。無理をしても意味がないどころかこころの病気になってしまいます。さらに、自分が感じている想いをそのままを話せたり共有できる友人を(ひとりで良いので)ぜひ作ってください。)

 むしろ、恥ずかしさの先にある、それぞれの人の生活(人生)に直接の悪影響が出ることで困っているのです。
 現実を生きていくには、「どもってはいけない(結果として現実的には通用しない)場所と時間がある」ので困っているのです。
*子供も大人も、どもることによる学校や職場での陰湿なからかいやいじめもあるでしょう。これは「どもることによって何かができない」ということと同じくらいか、または、それ以上に深刻で、吃音者のこころを萎えさせて、生きていこうという力を失わせます。

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