吃音:3月4月、この時期のこと(再掲載一部改編:2014年3月17日)

 日常生活、学校生活、仕事などに支障が出るような、ある程度より重いどもりを持った人にとって「この時期」は特別な意味を持ちます。
*第三者から見て分からないような軽いどもりでも、本人がそれを気にして悩んでいればそれは「重いどもり」です。このケースでは周りの理解がより得られにくく、吃音者がひとりで深く悩むことで問題が複雑化し深刻になることが多いようです。

 この時期は、卒業、進級、入学、入社など次のステップに進む重要な節目と同時に、受験に失敗して浪人が決まったり、就職できずに失意の日々の始まりの時期となる場合もあります。
 どもりがない普通の人でさえ大変な時期ですから、自分の名前や会社名、決まり文句などを人前や電話で言うのが困難な(ある程度より重い)吃音者にとっては大変な時期なのです。

 私の場合で言えば、子供の頃のクラス替えがある年度の場合は、
★新学期の自己紹介でどもってしまい笑われることを心配したり、
★新学期になり、新しい先生に名前を聞かれることや
★新学期の健康診断で名前を申告しないといけないことを
 春休み中から先回りして心配し悩んでいた時期でもあります。

*そういう問題についてプラクティカルなサポートを受けることができない(システムがない)のがいまの日本です。勇気を出して学校の先生に相談したとしても、「たいしたことないので気にするな」「様子を見ましょう」くらいで終わってしまいます。学校の「ことばの教室」に通っていたとしても、どこまで担任の先生と綿密に連絡を取り合ってよい方向に向かうように動いてくれるケースがあるのでしょうか?

 さて、90年代のはじめ頃までの年末年始や春休み、また、夏休みには、地方から東京都内にある「民間のどもり矯正所」に在学中の小・中学生から大学生、また、就職ができなかったような若者が集まってきました。(私は首都圏在住ですが同じような経験者です。)
 地方から来た彼らは何日か都内に滞在しながらどもりを治すべく「練習」をするのです。

 当然ですが数日でどもりなど「治る」わけもなく現実を思い知らされることとなるのですが、90年代半ば頃まではあった「かつてのどもり矯正所」では、江戸時代の寺子屋のように教室の中で一緒に練習をしたので、同じ悩みを持つ仲間と知り合えるという大きな利点がありました。

 私もかつて、大卒後に就職に失敗し失意から引きこもりとなりました。その後、どもり矯正所に通い同じ悩みを持つ仲間に出会って(生まれて初めて)どもりについてわだかまりなく話し合える環境を得ることができ、結果的になんとか立ち直りました。その人たちのなかの数人とは生涯の友となっています。

*(80年代末~90年代初め)の民間療法の無資格どもり矯正所に何十万円もの大金をつぎ込むことは、いまとなっては悲しい思い出でもありますが、こどもの頃からどもりで苦労して心が追い込まれた吃音者にとっては仕方ない選択でもありました。
いまの矯正所(のようなもの)では仲間同士が知り合えないようなシステムになっているようですが、いまでも悲しいかな、同じような(他に頼るもののない)状況は続いています。
*矯正所に通うことで一時的によくなったように感じることはよくあることです。でも、数日もすれば現実を思い知らされます。
*どもりという悩みを持った仲間と知り合うには、現在では民間の矯正所は必要ありません。「どもりのセルフヘルプグループ」に参加するのがベストでしょう。

参考

吃音:自分(達)で工夫して(ことばの流暢性の向上を目指して)言語訓練などをすること その1、その2 (2013年11月8日)

吃音者が黙ってしまう背景(2013年11月22日)

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中