吃音:肩の力が抜けるということ(再掲載一部改編:初掲載は2012年1月4日)

 私は、というよりも、一般的に言って、どもっている子供に対しては、学校の先生から「もっと落ち着いてゆっくりと話しなさい」と注意されるものです。
 私は大卒後約2年遅れで、職安で見つけて入った(なんとか入れてもらった!)小さな出版社で営業マンとなったのですが、上司から「もっと肩の力を抜いて落ち着いてしゃべりなさい」ともいわれました。
*私の就職についての顛末(なぜあえて営業職に就いたかも含めて)はいままでに何度か書いています。

 どもりでない人から見れば、「焦っているから、緊張するから結果としてどもる」と思われるのです。

 子供の頃からどもるたびに恥ずかしい思いをする。それが限りなく繰り返される。
 どもる度に「落ち着いて話しなさい」と注意されることなどを繰り返しているに、「もともとのどもりの症状」以上に過度の緊張をするように「訓練されて、条件付けられて」しまいます。つまり、心理的な意味での重症のどもりになって行くのです。
*子供の頃からのこのような毎日の繰り返しにより、うつ病などの心の病気になり苦しんでいる方もおられるでしょう。(私もそうでした)
*「もともとのどもりの重さの違い」や「どもりだした小さな子供の頃から思春期の頃までの家庭環境」によっても大きく違ってくるでしょう。

 さて、話を戻します。
 「落ち着きなさい」と何度も注意されたりアドバイスされて、それでは、「落ちつけば良い」、または、「心を強くすればよいのか」と思い、様々な心理療法や精神修養にトライする方がいます
私もそのなかのひとりでした。
 中学生の頃にトライした自律訓練から始まり、大学生の頃には禅の修行に本格的に打ち込みました。

 それで、症状としてのどもりが治ったかというと、もちろんノーです。
どもりはそれほど簡単な障害ではありませんでした。

 それでは全く無意味だったかというと、禅に関しては禅的なものの考え方、たとえば「こだわらない心を持つ」などという考え方は人生に大きなプラスになりました。
心理療法についても、どもることによる悩みから鬱状態に陥っていたので助けとなりました。

 人生(仕事やその他、個人的なこと)を重ねるにつけていろいろな経験をし、そのなかで少しずつ肩の力が抜けていき、どもりを抱えながらもなんとか生きていくすべを身につけたり、生きていくうちに結果としてどもりの症状が大幅に改善される方もいますが、それは、90年代まで、20世紀の理屈としたいものです。
 どもりなどの障害を持たない一般の方の就職すらかなり難しい現在、社会はそういう余裕を与えてくれなくなりました。

 いままでのような、「苦労して結果としてどもりを乗り越えて・・・」というような経験値に頼るのではなくて、どもりはじめた子供の頃から、親も本人も継続的に相談できるようなどもりの専門家(言語聴覚士、精神科医、臨床心理士、ソーシャルワーカーなど)を養成し、彼らに、心理的カウンセリング、学校でのいじめ、家庭内での無理解への対処などのサポート、また、必要に応じて適切な言語訓練が受けられるような、しっかりとしたシステムの構築を急ぐべきです。
*文字にするとたいへんそうですが、今いる専門家の方々がどもりについて深く学んでいただければ、すぐにでも実現できることです

 重いどもりを持つ人はその人なりに、軽い人も軽い人なりに、個人ごとに対処方法も、もちろん人生観も違うのですから、ひとりひとりのケースごとに方法論は違います。
 いい加減に精神論からは抜け出さなければいけません。

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