吃音といじめについて(再掲載一部改編:初掲載は2012年7月12日)

 世の中では相変わらず学校でのいじめの問題があとを絶ちません。
 いじめられた子供や親は、学校を信頼せずに直接警察に訴えるようになっています。
悲しいことですが現実的にはそれがいちばん良い方法でしょう。

 さて、今回は「吃音といじめ」について考えます。
 私が子供から少年であった昭和40年代後半から50年代は、湾岸の東京近郊の都市である現在地でも、まだ空き地がところどころにあり野球もできたしザリガニがとれる池くらいありました。

 また、近所には地域の少年少女の社交場である駄菓子屋がありました。
 近所にはうるさいおじいちゃんおばあちゃんがいて悪いことをすると怒られました。
*その頃のおじちゃんおばあちゃんは関東大震災や空襲をくぐり抜けてきた方たちでした。

 そんな環境のなかで育ったのですが、神経質な性格で、かつ、どもるこどもであった私は、学校ではいつ指名されるかと順番を数えてはドキドキし、実際に指名されると大きくどもることもあれば比較的にうまくしゃべれることもある少年でした。

 家に帰ると家族のケンカがが絶えない家庭環境で、どもりをもつ父親からどもるごとに怒られていました。
*いま、文章にすると比較的あっさりしたものに感じられてしまうかもしれませんが、少年の小さなこころにとっては実に生きづらい、辛い毎日でした。

 私がいまを生きる少年だったら・・・
 学校でいじめられてどうにかなっているか、引きこもりになるか・・・
いずれにせよたいへんなことになっていたという確信があります。

 そうならなかったのは、先程書いた時代的な背景(地域のコミュニティーが健在であったり、放課後は外でおおらかに遊ぶことができたり)からだと思います。
*地方では、まだ、こんな生き方ができるところが残っているのではないでしょうか?

 いまの話にしましょう。
 いまの日常生活に支障が出るくらいの重さのどもりを持っている少年少女はどのような環境におかれているのでしょうか?
★少子化で近所には遊び相手になるような子供はいません。
★兄弟も少なく、親の共働きが多いので、学校が終わってから友達と外で元気よく遊ぶということも(都市部では)難しいでしょう。
★地域のコミュニティーも壊れていて近所にどんな人が住んでいるかも分かりません。

 こんな環境のなかで、唯一の頼りになる存在は両親です。
 日常生活に支障が出るくらいの重さのどもりを持っている子供は、家のなかでの会話も学校でもそれなりにどもっているはずです。
 しかし、家のなかでは話すことばを選べますので、自分のどもりを軽く見せることができるのです。
*いじめに遭っている子供が家のなかではそんなことを感じさせないように振る舞っていることに近い感覚かもしれません。

 学校では、1年中、一日中、どもりのことで悩んで疲れて・・・、
(もしもどもることでいじめを受けていればたいへんです)
 それで帰るところが家庭なのです。

 帰った家庭でも、親は無理解、無関心、またはどもる自分に対して注意したり怒るばかりでは・・・結果は、たいへんなことになるのは明白です。

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