吃音:自己不一致に陥る危険を回避する 1と2、(再掲載一部改編:2012年1月10日、17日)

 ある程度以上の重さのどもりを持っている人が悩むのは、「どもることで○○ができない」ということです。
*「どもりでさえなかったら○○はできるのに」と思うことで、いわゆる「自己不一致」の状態になる危険性をはらんでいます。

 小さな頃からどもっていて、それもかなり重いどもりの場合はどもっている自分しかイメージできないかもしれませんが、比較的軽いどもりの場合、つまり、どもるときはかなり激しくどもり何気ないような日常会話にも支障がでるが、調子の良いときには、家でも職場でも普通の言語生活に近い状態で生活ができる(それでも電話だけは苦手な人が多い)ような場合は、

★どもっているときがほんとうの自分、日常なのか?
★ほぼ普通に話せるときがほんとうの自分、日常なのか?

 というところで頭が混乱してしまいます。

 それくらいの重さの吃音者が、就職の面接時にたまたま絶好調でうまく話せてしまった場合などは、入社したその日から苦労が始まります。
実際に仕事をはじめたら、面と向かってでも電話を取った場合でも、自分の名前や会社名が出てこない・・・、
 そのような日が続くと、いちばん苦しいのはもちろん本人で、その職場に居づらくなって来ます。
厳しい言い方をすると、その職場においては使い物になりません。
*誤解のないように説明すると、人間としての価値をいっているのではありません。たまたま、その職場において使いもにならないとうことです。

 しかし、働いてお金を稼いで生きていくのが人間ですから、これは深刻な問題です。こんな経験を何回もすると、生きているのが本当にいやになってきます。

 (2)に続きます。

****************

 前回は「どもりでさえなかったら○○はできるのに」と思うことで、いわゆる「自己不一致」の状態になる危険性から書き始めました。

 どんなに哲学的な思考をめぐらせようと、また、前日にどもる仲間で集まって気勢を上げようが、現実は残酷です。

 次の日になり買い物をする際に、「お客様のお名前を・・・」と聞かれても、しばらくの間言葉が出てこないという場合などがその典型的な例です。
最初はきょとんとしている店員は、しばらくするとその異常さに気がつき始めます。
そして、こちらが体ををこわばらせながら口を曲げながら絞り出すように名前を言おうとするのを吹き出すのをこらえるようにしてじっと待っています。

 それでも、「こちらがお客なのだから待っているのが当たり前だ!」と開き直れるようになってくればそれで良いのですが。
*実際には難しいです。多くの方がそのような経験をするたびに劣等感を持つことでしょう。特に子どもの場合は友達から容赦なく笑われます。

 しかし、仕事の場合は違います。あちらがお客様の場合が多いのです。オフィスで電話を取ったときに、相手から自分の名前を聞かれても答えられない場合などです。
 電話で話しているときにどもりまくりならば、相手から「ちゃんと話せる人に変わってください」と言われるでしょうし、「またかけなおします」と切られてしまうかもしれません。
*そのような状況で毎日働いているとすれば、その職場に居づらくなります。

 そのようなことにならないようにするには、自分の言葉のなめらかさの限界を超えてしゃべることを日常的に要求される仕事に無理をして就くのではなくて、今の自分の力(言葉のなめらかさ、仕事をする能力)で、大きな無理をすることなく安心して働けるように、自分の力で自分に合った職場に就職することではないでしょうか?
*いわゆる「コネ」で実力以上の職場に入ることは、どもりの問題だけではなくて仕事の実力という面からしても、周りに迷惑をかけることはよくあることです。

 どもりで苦労しながら、無理をしてその職場に留まってみても、自分自身を疲れさせてしまいます。最終的にはうつ病などの心の病気になってしまいます。
 
 私もかつて得意げに自分の経験を語っていた時期がありますが、良く語られる、「比較的軽い吃音者が努力して、また、大変な苦労をして、仕事や職場に慣れて、結果としてどもりも大幅に改善されて・・・」というストーリーは、その人固有の話(ひとつのケース)としてのみ扱うべきです。
*「そのような話し」では自分のどもりは現実より重くドラマチックにデフォルメされていることが多く、そのどもりを克服して〇〇したと語られることがあります。

 あえて厳しい環境にチャレンジする人は、周りがどんなに反対してもチャレンジするものです。
 そういう人の生き方を例として、「こうしなければいけない」ような雰囲気に持って行くことは、どもりでいま本当に苦しんでいる人をさらに苦しめ追い込んでしまうだけです。

 自分や家族が生きていくために十分なお金を安定的に稼いでいくという観点から考えれば、「大きな会社に入る」ということは、20世紀のときよりも必要なことかもしれません。
 卒業して最初の就職でどこに入るかが収入に大きく影響する雇用システムの日本では、企業側が学生の能力(学力、当然のようにコミュニケーション能力)を厳しく見て選別していますので、ある程度以上の重さのどもりを持った学生には(特に文化系は)厳しい環境となっている現実を考えなければなりません。
*高度成長期やバブル期までの吃音体験は(就職や仕事に関しては)いまや、ほとんど役に立たないでしょう。それほど社会は変わっています。

 ある程度以上の重さのどもりを持った吃音者でも、必要以上に精神的な無理をしないで生きることができる社会の構築を少しずつでも進めていきましょう。
*いま悩んでいる人は、まずは自分(達)のどもりについて本音で話し合える仲間を見つけてください。「弱音を安心して吐ける環境(時間や場所)」を作ってからいろいろと始めてください。それ以上に追い詰められているのであれば、まずは精神科医や臨床心理士にかかりパニック状態にならないようにしてください。

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