吃音:ひきこもりから就職へ(その1)、(再掲載:初掲載は2009年7月)

 (2011年2月3日の)NHKTVの「クローズアップ現代」で引きこもりの番組をしていました。(どもりに関係する話ではありません。)
 私は、約2年という短めの?期間ではありますが引きこもり経験をしました。その私が見て「いまだけを見すぎて、引きこもりを語っていないか?」と感じました。

 引きこもりを扱った番組では、たいてい、親が引きこもりの子供のことで困って苦労して右往左往している様子が映し出されます。
 映像的には、「親がいろいろと骨を折っているのに引きこもっている子供が甘えている。親に迷惑をかけているこどもが悪い!」というようになってしまうのです。
 それでは、視聴者は親に同情しますし、そういう作りになっていることが多いのです。

 引きこもり始めたときの家庭状況はどうだったのか?
 何かのことで精神的に追い込まれていて親に対して何らかのサインを発していたのに、そこにいたのは仕事に忙しく家庭を顧みない父親と、母親も、引きこもり始めた子供にただオドオドするだけで、また世間体もあり他の人にも相談することもできず、時間だけが過ぎていく・・・という構図が浮かんでしまいます。
 親といえども人間で、どこかで自分を正当化しようとしますので(当たり前のことです。人は皆不完全ですから)そのあたりかなと番組を見ながら考えました。

 それにしても今は時期が悪過ぎます。
 何年と引きこもっていた人が、いきなり、いまの厳しい企業社会に出て行ったらなんて、考えるだけでぞっとします。
 もう少しゆるい社会に少しずつ出て行き、慣れてきたら適性にあわせて次のステップへ進む。
そうするためには、例えばNPOなどが運営する中間就労の施設で社会に慣れるための訓練と経験が必要でしょうし、また、相談に乗ってくれる熱心なコーディネーターが必要です。

 でも、マイナスばかりではないはずです。
 そんな苦しい経験をしてきた「引きこもりを経験した彼ら」が、なんとか立ち直って世に中に出てしばらくたったあとの活躍も見てみたいなあと思います。
一度地獄を見た人が社会の構成員として社会のなかで活躍を始めるとどんな日本ができていくのだろうか、作るのだろうかと・・・

***********************************

 さて、
 大卒後もどもりを原因として就職できずに(せずに)結果的に引きこもりになってしまった私が、約2年の引きこもり生活の後に民間のどもり矯正所に通って同じ悩みを持つ仲間ができ、次第に元気になりハローワークに通って小さな会社の営業職につくまでの顛末は、すでに何回か書いています。
 今回はこの間の心の動きや家族との関係などを書いてみたいと思います。

 なぜ、大卒後に引きこもりになるところまで追い込まれてしまったのか?

 私がどもり出したのが2~3歳、自覚しはじめたのが小学校の低学年ころでした。(親が言うには、2~3歳頃からどもり始め、小児科医に相談に行ったところ「あまり神経質にならずに様子を見ましょう」といわれたので、それ以上の対応はしなかった)

 私が小学生だったそのころ、70年代半ばまでのころは、東京近郊の都市である私の居住地でも家の近くには古き良き昭和30年代を彷彿とさせる駄菓子屋がまだあり、ところどころに草野球ができるくらいの空き地がありました。

 小学校から帰ってくると鞄を投げ出して自転車ですぐ野球に行ってしまうような、(どもるところを除いては)昭和の高度経済成長期中期の典型的な少年でした。時代背景は「ちびまる子ちゃん」そのものです。 (「3丁目の夕日」は、私よりひと世代前の話です。)

 小学校の2~3年くらいからでしょうか、授業中に指名されてひとりで教科書を音読するときや自分の名前を言うときに明らかな言いづらさ自覚し始めました。
 どもることで同級生に笑われたり先生に指摘されるようになると、しゃべる前にこわさを感じるようになりました。(先生の中にも私のどもりをからかうようなのがいました。はっきりとおぼえています。)

 私の場合は、父もどもり持ちであるにもかかわらず、私がどもるたびに「ゆっくりしゃべれ!」と顔を歪めて怒るのです。(そのトラウマが大きいように思います。)

 4~5年生の頃になると、例えば、次の日の国語の時間に教科書を読まされることがわかっている場合には、子供心にも「死んでしまいたい、地球がなくなってしまえ」とまで思うようになっていました。

 それでは、さぞ、家庭や学校では暗い引っ込み思案の子供だったかというと、そうではなくて、学校でも家庭でも「ちょっとどもるけれども、明るい少年」といわれていました。(小学5年のときの通知票に書かれています。)
 思いっきり「演技」していたんですね。

 TV等で、「いじめで自殺した子供が親にも打ち明けられずに・・・」という話を聞くたびに心が締め付けられます。
*このあたりのことでも考えるところがあります。私が、何気ない日常会話でもどもりまくるような重さの子供だったら、自分の心に及ぼした悪影響は相当のものだったでしょうし、今を生きる子供でしたら、学校では陰湿ないじめにあってその時点で「引きこもり」になっていたかも知れません。

 中学1年生になると、なぜか急速に症状が軽くなりました。授業中もすらすら電話もOKという感じで、
「治った。これでもう、私の将来はバラ色」とうれしくてうれしくてたまりませんでした。クラス役員なども歴任していました。

 しかし、2年の秋頃です。急にどもりが復活しました。
 授業中に教科書が読めない、名前が言えない・・・小学校高学年以来の事態で、そのまま3年生になります。
 学年でもトップクラスの成績が徐々に低下し始めましたが、それまでの貯金で公立の進学校に入りました。

 高校に入ってからは地獄です。
 最初のオリエンテーションの時に受け付けで名前が申告できないところから始まって、3年間緊張の連続、
心の奥では「死ねれば楽だろうな」とか「核戦争になり世の中が終わってしまえば良いな」、こんなことばかり考えていました。要するに、ギリギリ、だったのです。

 「よく自殺しなかったな」と思いますし、「あのときに死んでいれば楽だったな・・・」と、今でも思うことがあります。

 こんな状況で勉強に集中できるはずがありません。
 授業中は当てられる順番を数えて緊張し、週末になるとしばしの解放も日曜の夜になるとまた超ブルーになることの繰り返しです。

 そこまで追い詰められても自殺しなかったのは、10代の若い心が、まだ、柔軟性とそれなりのキャパシティーをもっていたからだと思います。(本当はひとりっきりで我慢してはいけなかったのですが)
 そのうちに「続き」を書きます。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中