吃音:自分なりのいろいろな経験や試行錯誤が、吃音でかたくなになった心をエージングしてくれる(再掲載一部改編:初掲載は2010年3月)

 ここで言う「エージング」とは「加齢」の意味ではなくて、余計な角がとれる、という感じに考えていただければと思います。

 これは「がんばらない」という考えたかとは正反対に思えるかもしれませんが、自分なりにとことん努力してみて、結果として肩に入っていた余計な力が抜けて「変ながんばり方をしないようになる」ということであって、決して「努力をしない」ということではありません。

 いま、自分が「どもり」で、どうにかなってしまいそうなくらいに悩んでいるのに、無理をしてまでも「どもったままでよい」などと思う必要はありません。また、何らかの方法で「悩まなくなるための近道を獲得する」ということもできないでしょう。

 このごろは多少下火になってきましたが、80年代からの健康ブームのなかで世の中にはいろいろな心理的な療法があり、いまだに書店に行くと「○○療法」のような本が多く売られています。
 そういう私も学生であった80年代から、どもりを治すという目的だけではなくても「心理療法」に興味があったので、ヨーロッパ発のものやアメリカ発のもの、そして日本的なものも含めていろいろと勉強しチャレンジしてみました。

 私なりの結論は、結局・・・、
「自分の(いまで言う)リアルな人生を精一杯に生きながら、悩み、工夫し・・・、自分でできることをとことんやってみて、その末に自然とたどり着いた境地こそが、その人
なりの「心理療法」なのだなと思っています。」

*日本人なのか、禅の思想に近いかもしれません。
*どうせ心理療法をやるなら、心理療法の本を読んでちょっとまねして、などという中途半端な方法ではなくて、日本を代表するようなその道のエキスパート(精神科医、臨床心理士、学者)について、少なくても週一回くらいのセッションに長期間参加するくらいの努力が必要です。しかし、専門家がボランティアベースで行っていれば良いのですが、かなりのお金がかかる場合もあり注意が必要です。
(医師か病院に所属する臨床心理士には保険でかかれますが、フリーの臨床心理士やカウンセラー、大学の先生の場合は全額自己負担(保険が適用されない))

 どもりについては自分なりに素直に悩めば良い。
器用な人は器用な人なりに、不器用にしか生きられな人はそのように、

 とにかく、自分の力で思いつく限りの「対策」を練ったり、いろいろな人を訪ね歩き語り合い、アドバイスを受けるなどの経験が自分の生きる力の源泉となるのです。自分で得たものこそが自分が生きていく力となるのだと思います。

 ただ、ひとりでは悩まないことです。決して引きこもらずに色々なところを思いつくままに歩き回ることです。
ひとりぼっちになるとこころがどんどん内向きになってしまいます。うつ的な考え方になってしまいます。

 同じ「どもり」を持った人にできるだけ多く接し意見を交換することも必要です。どもりをもっている人でも、人により考え方が違うことにも気がつくでしょう。

 本で読んだ国内外のどもりの専門家を訪ね歩いても良いでしょう。
 また、どもりでない、様々な年齢層の様々な生き方をしている人ともできるだけ多く接することも必要ですね。
「人間の悩みはどもりだけではない」ということを体感すると自分の生き様も変わってきます。

 以上、書いてきたように、「自分なりの生き様から会得すること」にプラスして、やはり必要なのは、
 どもりをもっている自分が自分なりに生きていくときに袋小路にはまり込まないようにするために、心や言葉の専門家である言語聴覚士や臨床心理士、精神科医などを上手に利用することです。

 日本の現状では「吃音に対する高度な知識と臨床経験を持ち、的確な意見をもらえるような専門家」に会うことは至難の業ですが(というか限りなくゼロでしょうが)、
 たとえ、そこまでの専門家ではなくても、「自分を客観視するために」それぞれの分野の専門家である彼らをうまく使いこなすことは無駄ではないと思います。

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