吃音者が自己肯定感を取り戻すことの重要性(たびたび再投稿一部改編、初投稿は2008年6月)

子供の頃から日常生活に明らかな支障があるようなどもりを持ったまま人生を送ってきた人は「自己肯定感が足りない」と思います。

当たり前ですね、
子供の頃から繰り返されるどもることでの様々な苦労を経験するごとに自信をなくし、場合によっては人生そのものについても自信をなくしてしまうかもしれません
*かつての私もそうでした。

いかに「生きるための自信」を取り戻し、今までの自分の生き方が間違っていなかったか(しかたがなかった)と思えるか。
いままでに、どもることにより立ち止まって悩んだり生活や仕事がうまくいかなかったことを「無意味な時間の浪費」と思って後悔していることが、実は自分の人生において「必要不可欠な時間」であったかを確認すること(こころからできること)が重要です。

さて、
小さな頃からどもりはじめた「生活に支障があるくらいの重い」吃音者のなかには、小学校の頃からすでに強烈な劣等感を持っている人がいます。(むしろ多数派かもしれません。)

笑い話にもなりませんが、幼稚園の頃より、どもることへの強烈な劣等感からすでに「自殺」を強く意識していたという若い女性に会った時にはちょっと驚きました。

私の場合は小学校3年くらいにはどもりをはっきりと自覚して、
「恥ずかしいもの」
「なるべくどもらないように話さなければいけない」
「大人になれば自然に治る」
というような感情や考えを持っていました。
*「持っていました」というよりは、「持たされていました」と言った方が正確です。

どもりの人がどれくらい劣等感を持っているか、自己肯定感が足りないか、というのは、
「どもりの絶対的な重さ」
「育った家庭環境(親を含む家族が理解があったか)」
「学校の先生が理解がありサポートしてくれたか」
などというように、
「どもりの症状そのもの」に、「取り囲む環境」がプラスされてできているものと思われます。

小さな頃より(悪い意味で)自分の心の中に育ててきた劣等感がプラスされた「どもり」というこの複雑な障害に対応しなければならない言語聴覚士などの「専門家」といわれる人たちも大変だと思います。
*学際的な豊富な知識や臨床経験が要求されると思います。

現状では、特に思春期以降の吃音者に対しては、事実上、相談・治療施設がないことは、吃音で悩んでいる本人やご家族ならばおわかりのことと思います。

いま、日本では、「うつ病」がたいへん大きな問題となっています。国民病とさえいわれています。
首都圏に住んでいて電車に乗っていると、毎日のように人身事故のアナウンスを聞きますが、うつ状態の人が多いことが実感されます。
うつ病は、新聞やテレビで言われているように「精神科医にかかれば治る」などという簡単なものではなくて、現実には何年たっても同じような症状に悩んでいる方が多くいらっしゃいます。

背景のひとつには、精神科の診療において、先生とゆっくり話すことができないようなスピード診療で、薬のみに頼るパターンが圧倒的に多いということがあるからでしょう。
*10年ほど前からNHKなどでも何度もうつ病の特集番組が組まれていますが、診療の問題点が改善される様子はありませんね。

患者本人や、それ以上に家族の希望もあり(主に経済的な問題から)以前の職場に復帰することを目指しますが、結局は会社を辞めるというケースが多いのが現状です。

なぜならば、うつの背景が職場内でリストラされるではないかという恐怖心によるものだったり、リストラが一段落し社員が減った職場でのハードな仕事に耐えかねてなどの「仕事由来」が多いので、本当は、うつの急な症状が落ち着いてから「仕事を変えるくらいの根本的な生き方の変更」が必要とされているのに、そこまでなかなか踏み切れないうちにかえって症状は悪化し、結局、会社も辞めざるを得ないという最悪のパターンが多いのです。

どもりの場合も、この「うつ」と似ていることが多いようです。
たとえば、ある程度以上の重い吃音を持つ子供にとって学校は地獄です。

なにしろ、一日中教室にいて同じメンバーのなかでどもっている自分を披露し続けることの繰り返しなのですから。
「自己肯定感を・・・」と言っても無理な話ですね。
自信を失うために登校しているようなものです。
*特にいまは、人心の荒廃というか、陰湿ないじめが氾濫しているような世の中ですからなおさらです。

私の場合は、いまになって、冷静に考えているから言えることかもしれませんが、
無理をしてまで普通の学校(私の場合は高校時代がいちばん辛かった)には通わずに、どもりで本当に辛かったらフリースクールか受験予備校などで自習体制で勉強した方が、心の問題においても、また、受験にも遙かに良かったと思っています。

若い頃の数年のドロップアウトなんて、後から思えばなんてことないのですが、その頃はわからないものですね。

学校卒業後の就職について考えてみても、いくらかでも良いので「自己肯定感を高めていけるような職業」につかないと、
つまり、「どこかに少しでも良いので自分が認められている、役に立っている」と感じられるような仕事につかないと、自己肯定感がさらに低くなり生きるのがいやになってきます。

なぜかというと、例えば、どもらない人にとってはごく当たり前にかける「電話」について考えてみても、ある程度以上の重さのどもりの人にとっては電話をかけること自体が「地獄の苦しみ」となるからです。

本当は、そんなに苦手ならば、電話を使うような仕事にはつかずにものを作ったりするような「話すことをメインの道具として使わない」仕事につくのが賢明な選択だと思います。
就いた仕事や入った会社が一般的に言う有名会社かどうか?ということではないのです。

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