吃音者のあきらめ(再掲載一部改編、初掲載は2006年12月31日)

 今回は「吃音者のあきらめ」というテーマで書きます。
 最初は2006年の大晦日に書きその後も再掲載していますが、2006年当時にTV朝日系で放送されていた「五木寛之の百寺巡礼」という番組のなかで、五木寛之氏が「あきらめる」とは仏教的には「あきらかにきわめる」という意味があると説明しているのを見て書き込んだものです。

「あきらめる」というと一般的には、何かを成し遂げられずあきらめるというマイナスのイメージがありますね。
どもりで言えば、どもるので就職をあきらめる、などという使い方になるのでしょうか?

 しかし、今回いうところの「あきらめ」は、ニュアンスが違います。
 子供のころからどもりに悩み、大卒後も就職できず、うつ病や引きこもりにまでなってとことん追い詰められてその末に開けてきた境地とでも言いましょうか。

 それは、私にとっては(あくまでも「私にとっては」です)良い意味でのあきらめだったようなきがします。
とことん追い詰められたところで自然と肩の力が抜けたこと、といっても良いかも知れません。

 人生において「自分が本当にこだわるべきものや大切にすべきもの」のほかに、見栄や世間体などから固執している考え方やライフスタイル(それらは実は自分には不要なもので捨ててしまってよいもの)がありますが、それらを自ら捨てていくのは大変に難しいことです。

 自分で自分自身をナイマス評価すること、
 たとえば、「僕はどもりだから○○できない」とか、「もしもどもりでなかったら○○できただろう。でも現実の僕はどもりなのでできない」というような考え方もそれに近いものでしょう。
 今の自分自身を否定してみても良い方向に向かうはずもないのに・・・、でもそこまで究極的に追い詰められているのです。
自分を低めることによって自分の心が崩壊するのを防いでいるのかもしれません。

 どもらない自分ばかりを夢見ていたころの自分のありかたも同じものです。
 実はそれがどもりの症状そのものも重くしたり、重い状態で維持していることのひとつの大きな要因だったことを苦しみぬいた末に気づかされたのです。
*というか、力ずくで思い知らされました。
*その後通信制の大学で心理学を学び、カウンセリングの目的のひとつが、クライアントに自ら生きる方向性を見つけさせる、つまり「気づかさせる」ことにあることを知り、私の経験はそれを自ら行なったことがわかりました。

 その後(あくまでも私の場合の「結果として」ですが)、私のどもりは症状的にも、いや祖それ以上に内面的に大きく改善されていきました。

 しかし現実には、「吃音者のあきらめ」のなかで、文字通りの「絶望的なあきらめの状態」に陥っている人も多いのです。

 一時期の私もそうでしたが、あたらしい行動に全く出られないとか、仕方なく惰性で毎日を送っているというような状態に陥ってしまうと、自分の意思だけではそのような状態からはなかなか這い上がれません。
 それどころか、人生自体をあきらめてしまって自らの命を絶とうかというところまで追い込まれている人も少なくないはずです。(私もそうでした)

 また「良い意味でのあきらめ」ができれば、皆のどもりの症状が軽くなるということではないのも本当のところです。
このあたりを間違えると今回のテーマでも「古くさい精神論」が闊歩しますので注意が必要です。

 どもりが軽くなった人=努力した人、では「まったく」ありません。
 どんなに一生懸命に生きても、STや精神科医のカウンセリングを受けても、民間の無資格どもり矯正所に通っても、どもりの表面的な症状は全く変わらない方はいくらでもいらっしゃいます。
 そのような方たちが、「努力不足の人」「どもりが治らないかわいそうな人たち」などと考えてしまうと、今回の「あきらめ」というテーマからも決定的に外れてしまいますね。

 いままで書いてきたようなことを踏まえた上で、多様な症状や家庭的・社会的バックグラウンドを持つ吃音者のために、セルフヘルプグループやST、精神科医、などの専門家が存在するべきです。

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吃音者のあきらめ(再掲載一部改編、初掲載は2006年12月31日)」への4件のフィードバック

  1. sadakitiさま

    いえいえ、sadakiti様のことではなくて、我々が常に注意しなければいけないこととして書きました。
    悩んでいる人ほど誰かのちょっとした一言がきになりますから。

  2. ありがとうございます。
    肝に命じます。
    >アドバイスしたつもりが相手のこころを傷つけてしまったり、

  3. sadakichiさま
    管理人です。ご無沙汰でした。
    10月中旬から風邪をこじらせていましたが、やっと治ったところです。

    あきらめようがどうしようが、どもりの重さや症状はもちろん、現実の世の中での生きづらさが変わらず、相変わらず苦しい人生を送っている人はいくらでもいますね。

    また、どもりの重さや症状の変化(悪化)や、自分の周りの状況の変化(仕事上の変化、家族のいろいろな出来事)により、吃音と良いつきあいができつつあるな、と思い始めていたところが、いきなりどん底にたたき落とされることもまれではありません。

    このあたりを考えておかないと、アドバイスしたつもりが相手のこころを傷つけてしまったり、アドバイスする身分と思っていた自分が、どもりの症状の変化等のためにアドバイスどころではない状況に陥ることもいくらでもあります。

    お元気で!

  4. 久しぶりにコメント書きます。お元気ですか?
    この「あきらめる」すっごく判ります。自分も「諦めて」から吃音に囚われない人生が動き出しました。
    でも「諦める」って使わないほうがいいって言われてて(でも使ってしまいますが。

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