吃音の、「言わなければいけないことが言えない、言いにくい」ということ(再掲載:初掲載は2010年3月26日)

どもりには・・・、
「話すたびに最初の言葉が出ない(出にくい)」
「ことばが激しい繰り返しとなってなかなか意味をなさない」
ようなかなり重いものから、
「学校や職場で、仕事上の電話・会議や授業中に発表するときなどにどもることが多くなる」ような、比較的軽いもの、
また、「まわりからはみるとむしろ能弁な人と思われているが、自分の名前など特定の言葉を言うときのみいきなり重症のどもりになる」というようなごく軽い(しかし本人にとっては深刻)症状まであり、実に多様です。

★言わなければいけないことが言えない、
★言うべきときや言うべき場所でなかなか出てこない、
★(「ぼぼぼくは・・・」などと)どもりながらでないと言葉が出てこない、

などがどもりの症状ですが、
現実的に考えると、「かなりの頻度で破壊的にどもるようでは(企業の事務系・営業系の職場)で仕事を遂行する」ことはかなり困難なことです。

 私は、どもりを持っている子供に対しては、
「思いっきりどもっていいんだよ」と、せめて、「家庭のなか」や「どもりの子供の集い」、「学校のことばの教室」では安心してどもらせてあげるべきだと考えますが、
たとえ、そのような環境で育ってきたこどもでも、大人になれば「ある程度以上のことばの流暢性が要求される場所では、その場所に応じたしゃべり方を当たり前のように求められる」現実に遭遇するのです。

 どもることで個人の仕事やチームでの仕事にはっきりとした支障がでると、潜在的な能力はあるにもかかわらず、「仕事ができない」と評価されるのが現実です。
*現実には、子供の頃に「どもってもよい、安心してどもれる、どもりの悩みを安心して打ち明けられる場所や時間がある人」は少数派でしょう。
*どもることで仕事に支障が出てくれば、第三者に評価される以前に、吃音者自身が仕事(や自分に)に自信をなくし、その職場に居づらくなります。

 こどもの頃にかけてもらった「どもってもいいんだよ」ということばと、成長につれて実感する、どもることによる生きづらさやどもることで生じる様々な支障・・・

 その「理想と現実のギャップ」を思春期以降にどのように無理なく埋めていくか、できれば吃音者のこころの中で軟着陸させていくかということが、ある程度以上の重さの吃音を持ちながら(精神的に重い吃音者も含む)思春期以降に持ち越した人が、人生を大きく踏み外すことなく生きていくために必要になると思います。

 このあたりのことは、不完全ながらも存在する小学校(中学校)までの公的サポート(言葉の教室)の問題でもあります。
 なぜならば、吃音の問題は、実はそれ以降(中学、高校から大学)のほうが深刻になることが多いにもかかわらず、現実には、サポートなしの世界に放り出されてしまうのです。

 そのサポートなしの世界では何が起きるかというと、たとえば以下のようなことがあります。
★家族との軋轢
どもることで悩んでいることが、家庭の中で家族からも「甘えである」と言われることが、吃音者の孤独感を倍加させ、悩みを心理的に重くする。
★進路を考えるときに、「どもりを持ったままの自分」で人生設計をしていくべきなのか、「将来は治る」と仮定して考えていくべきなのかわからずに混乱してしまう。
*それに答えてくれる専門家がいないので余計に孤独になる。

 結局、どもりで大きく悩んでいるときに、気軽にそして継続的に相談に行けるような経験豊富な専門家や施設が(事実上)存在しない状況で、ひとりで悩み、苦し紛れに昔からある「民間のどもり矯正所」に駆け込むしかない状況が、21世紀に入り10年以上たった今でも延々と続いているのです。

 駆け込む場としては、もちろん、セルフヘルプグループもありますが、どちらかというと、どもりで悩んで試行錯誤した末に駆け込むところで、どもりの「玄人」が通っているところ、敷居が高いというイメージは未だにあります。
*グループメンバーの高齢化やメンバーの固定化は、新しく参加しようとする方(特に若い方)にとっては大きなマイナス要因です。

 ネット時代になったいま。悩んでいる本人や家族が情報を得るために使うツールは圧倒的にインターネットです。
 悩んでいる人が、WEB上の「治る」という言葉に惹かれて、民間の矯正所(のようなもの)に足が向くのは自然なことです。

*民間の矯正所といっても、2013年のいまは、90年代頃まであった「寺子屋のような小さな教室に集まって言語練習をするような」典型的などもり矯正所よりも、1対1でカウンセリングを受けるような形やセミナー形式のものなどに形が変わってきています。(特徴しては、吃音者どうしの横のつながりができにくいようになっているものが多いようです。)

*今、世の中では、学生の就職難が言われていて社会問題化していますが、ある程度以上の重いどもりを持った方にとっては(そして、心理的に重いどもりであればあるほど)、かつての高度経済成長やバブル期でさえも、就職難、だったのです。
多くの場合は(私もそうでしたが)、「本当に就職先が全くない」のではなくて、「怖くて就職しない、就職活動になかなか踏み出せない」のですが、それを、ただ「甘え」という言葉でくくってしまってはどもりの本質はまったく見えてきません。

*いま、日本中のサラリーマンなどを襲っていて「国民病」とまで言われている「うつ病」の問題も、これに近い構図だと思います。

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