「いま困っている吃音者」を取り囲むいまの社会状況は

 よくコメントをいただく方から、「このごろ書き込みがないので心配しています。ご家族の看病が大変なんでしょうか?」という書き込みをいただきました。
ありがとうございました。
 入院当初の7月と転院した8月はかなり大変だったのですが、いまではだいぶ落ち着きました。

 それよりも、先日接した吃音者の自殺報道にに対する考えをまとめて書こうとして何度も書いてみたのですが、うまくまとまらずに時間ばかり過ぎてしまいました。(問題点が多すぎるのです。)後日にまわそうと思います。

 さて、吃音者にとっては、結局、「就職」が決定的なネックになるのです。

 いつも書いているように、どもりには重さの違いがあります。
 吃音者には、日常生活、学校生活、そして仕事にも支障がほとんどない軽い方から、かなり重くて、家庭内や親しい友達との日常的なコミュニケーションにも大きな支障が出るような重い方までいて、それらすべてのケースが「吃音者」「どもり」でくくられているのでわかりにくくなっているのだと思います。

★子供の頃から(客観的にみた場合は)軽いどもりを持っていた方が、(でも、本人はどもりで大いに苦労したという気持ちがあって)、しかし、就職も普通にできた・・・というような方が語る吃音談と、
★本当に重い方(就職がなかなかできないことはもちろん、日々の生活におけるコミュニケーションに大きな支障がある)が語る経験談には実に大きな開きがあり、問題を複雑化させているのです。

 それでは前者は楽かというと、そうではありません。
 軽い吃音者は、どもらない人と同じ学校内や職場内で、ごく普通に話せると同じような扱いを受けるわけですから、そのフラストレーションは半端なものではありません。(どもりでの困り方の質が違うのです。)

 いまの世の中は、比較的単純な仕事は高度にマニュアル化されていてしゃべりの細かいところまで管理されているし、一方、高度な仕事にはなめらかな説得力のあるしゃべりが必須です。
*いま大騒ぎの「東京オリンピックの最終プレゼン」をみた方は実感されていると思います。

 そのあたりの「現実」を、サポートする側が踏まえていかないと、サポートする側の自己満足で終わってしまいます。
どもりの問題が深刻化するのは思春期後期以降(高校や大学を出てから)で、実はそれ以降の有効なサポートがないに等しい日本なのです。

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