吃音:自分の悩みをごまかさない(再掲載一部改編:初掲載は2009年3月29日)

★弱音をはける場を持つことの重要性(故障したこころはなかなか治らない)
 日常生活レベルの会話でコミュニケーションに支障を生じさせるくらいの「どもり」を持ちながら生きていくことは実に大変です。
「どもることを気にする・気にしない」という考え方もありますが、実際に、「仕事上でどもる(学校で授業中にどもる)ことにより職務(学業)に支障を生じさせる=結果としてその職場(学校)に居づらくなる」ということとは次元の違う問題なのです。
 また、傍から見た症状は軽くても(ほとんどわからないくらいでも)、本人は大きく悩み自殺を意識するほどの状態に置かれている人もまれではありません。

 いちばん良いのは、それぞれの人のおかれた環境や吃音の重さや症状を考えたうえで、必要以上に無理を強いられない仕事に就く(人生を送る)ことですが、
現実には、生きていくために(ある程度以上の収入を得るために)常に大きなストレスがかかるような「ことばの環境」で働かなければならないことはいくらでもあります。(むしろそちらの方が多いかもしれません。)
 そういう意味では、吃音者の会合などで、「自分はどもりを克服した」などという経験談を聞くときにはその話を鵜呑みにせず、それ以上に自分の感性信じて自分のこころを守ることが大切です。

 苦しいときには「たいへんだ、苦しい」とおおいに嘆き、(そういう話を静かに聞いてくれる友がいて)、耐えられくらいの事態に遭遇したときには思わず逃げてしまうことがある・・・
そんな自分に正直な生き方ができる(できるような環境を自分で整備する)ようにしていかないと、場合によっては取り返しのつかないことになります。
 特に、無理を重ねてこころが壊れてしまってからでは、回復させるのは大変な努力と時間が必要です。

 残念なのは、そのように生きていこうとする人たちをバックアップする環境がきわめて貧弱なことです。(うつ病の場合もそうですね。)
 日本の街なかには、吃音者のホームドクターとなるべき言語聴覚士がいる「言語クリニック」など存在しないし、「こころの問題」をしっかりとサポートしてくれるような安心してかかれる精神科医や臨床心理士を見つけることも難しいですね。

★自分の弱点を知り、自分なりの生き方を構築する
 「電話が苦手」、「自分の名前がなかなか出ない」など、吃音者ごとに苦手なものは違います。
あえて苦手な方向で活躍しようとするのではなくて、言語(しゃべること)以外の能力が発揮でき、評価されるような仕事に就くこともひとつの方法です。
 仕事上で「自信」がつくことによって、どもりの症状そのものにも良い影響を与えると思います。

 よく話題にのぼる「行動療法」などの方法で、ひとつずつクリアしていくという考え方はいかにもシステマティックで魅力的ですが、現実には時間がかかり結果もはっきりしません。
相談する先生についても、素性のわからないままかかるのは危険ですね。

 そもそも、日常的に通えるようなところで、信頼できる先生が心理療法を継続的かつリーズナブルな価格で行なってくれるところはあるでしょうか?
学歴だけにこだわるものではありませんが、資格もなく専門の勉強をしていなくても「何々カウンセラー」と名乗ることは可能ですから、世間では「評判の先生」だとしても怪しいものです。

 せめて臨床心理士のように、指定大学院を卒業して・・・などの資格要件をしっかりと定めた専門家の制度を作り、その資格者しか心理療法には携わることができないというようにすべきです。
*臨床心理士が(医師がいる病院で働かなくても)独立開業できて保険が適用される体制を整えてほしいものです。

★高いリスクを承知であえてことばを多用する仕事にチャレンジするもよし、また、極めて現実的な安全な道を選ぶのも良いと思います。(世の中は自己責任の世界で、最後は誰も守ってくれません。)
 自分の頭の中からどうしても「どもりを治したい・できるだけ良くしたい」という考えが離れなかったら、高いリスクを承知のうえで、ことばを多用することに果敢に挑戦するのも良いと思います。
(しかし、「治す」という前提で動くこと自体が高リスクですので、なんでも話せる友人、ホームドクターとしての精神科医や臨床心理士などの相談者の確保や、家庭の経済的な余裕も必要です。)

 古今東西のどもりについて書かれた専門書(HOW TO本ではありません)を読むことからはじめて、国内外の専門家と連絡を取り合ったり実際にを訪ねたり、セルフヘルプグループに積極的に参加したり自分でグループを組織したり・・・と、これくらいの覚悟で果敢にチャレンジしていく方法もあります。
 また、あえて、民間企業の営業職などについて思いきり苦しい想いを味わう・・・などという生き方もあるでしょう。
 努力しても結果的にうまくいかなかったときに、その失敗から得られるものは人生に大きなものをもたらす場合が多いのですが、一方、立ち直れないほどの精神的な打撃を受ける場合もありますので、そのような人生の冒険は熟慮の上に行なう必要があります。

 また、どもったままでもよいので堂々と自分の生き方とつらぬいていく、という考え方もあるでしょう。
どもりを治すことにはこだわらずにしゃべること以外のところで勝負する。こんな生き方ももちろんありです。

★子供の頃から将来の仕事を意識する、親も子供の将来の仕事を意識して育てる
 吃音者が人生で挫折することが多いのが就職をするときです。
 (家庭内や友人間での日常会話でもではっきりと「どもり」とわかり、コミュニケーションに支障が出るくらいの重さの)どもりを残したまま思春期を過ぎると、自然治癒は事実上期待できません。
その場合は、子供の頃から(遅くとも中学生高校生くらいから)、将来就く仕事を意識しながら方向性を決めていくと良いと思います。
(当然ですが、成長とともに希望も変わってくるしどもりの状況も変わると思いますが、その時々で将来の仕事を意識しながら生きていくことは良いことだと思います。)
 その方が、結果として、自分らしさを発揮できる幸せな人生が送れる確率が大きくなると思います。

★両極端な考え方には気をつける(東洋の思想に学ぶ)
 ものごとには「絶対これがいい」ということはありません。
 特に、どもりについては、本人のどもりの重さ(客観的な症状の重さと、自分のなかでどの程度気にしているかという主観的なもの)や、本人が生まれ育った環境(家庭の経済的環境、どもりに対して理解があるかないかという精神的な環境)による違いがかなり大きいことを考えるべきです。

 たとえ第三者からみて同じようなどもりかたに見えても、ある場合には本人に対するカウンセリングが必要だったり、本人の希望や必要に応じて適切な言語訓練がよい場合もあるでしょう。
または、まずは家族に対してカウンセリングや指導を行ないこころの環境を整える方が先、ということもあると思います。

 「とにかく治さなければ始まらない」、とか、「治す努力はしない」、などいう極端な考え方をするのではなくて、ものごとには常に違う要素が混ざり合っているという東洋の考え方に学び、柔軟に考えていく必要があります。

★「がんじがらめの心」をほどく工夫をする
 これは、どちらかというと本人よりも、まわりの人の仕事かもしれませんが、吃音者の心のなかが「どもり一色」にならないようにサポートしてあげることです。

★ひとりで良いので「何でも話せる友人」を持つ
 これがいちばん重要かもしれませんね。

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