吃音が原因で、現実に「生きることに困っている人」のことを考える(再掲載一部改編:2009年7月3日)

 どもることが原因で・・・、
 現実に「学校に通えなくなっている方(不登校・ひきこもり)」、「働けなくなっている方(出社できない)(就職できない)」のことを基準にしてどもりの問題を考えることは、軽い吃音者や、いまはかなり改善された方からすると、ついつい忘れがちなのですが、実はそれが「基本」なのです。

 いまは何とかなってはいるが、かつては、なかなか就職できなかったり学校に通えなくなった経験をお持ちの吃音者は大勢います。
*しかし、この厳しい経済情勢では、いろいろな理由から追い詰められて、いつ、またそうなるかわからないし、学校でいじめられてどもりが悪化するかもしれません。

 また、いま、どもりを原因として職場に居づらくなっている方も多いでしょう。

 それは、「労働問題として障害を理由に解雇するのは・・・」という次元の問題ではなくて、職場でどもりを原因として「通用していない」苦しみと、たとえ「まわりがいろいろと配慮してくれる」という極めて幸運な環境にいたとしても、自分の心の中にある「やりきれなさ」でもあります。

 そういうときに、「どもりを気にしない」「どもっているままで生きていく」という哲学的な考え方の「無力さ」を痛感させられますが、それでも根底に持っていることが必要と思われる「哲学的な考え方の必要性」とともに、
「吃音者、対、社会(学校、職場、地域社会)」、「吃音者自身の心の中に持っている自己矛盾」を抱えながらどう生きていくか、サポートする側はどうすれば良いかという吃音問題に真摯に取組んでいく必要があります。

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