吃音者である私の「心の闇」(再掲載一部改編:2010年10月11日)

 90年代末からしばらくの間深刻な少年犯罪が続きました。それらが起きるたびに報道では「少年の心の闇」という言葉が使われました。
ブラックボックスのような感じでこの言葉は好きではありませんでしたが、今回はあえてこの言葉を使って表現します。

 私の心のなかにある海底にたまるヘドロのような、「子供の頃より思春期を経て就職、そしてその後と、どもることによる忘れがたい苦しい記憶」

 昔から明るいといわれている私。現在ではどもるどころか大きな教室で人に教える仕事をしています。
そもそも、大卒後のどもりによる就職失敗、引きこもりから2年遅れで就職しましたが、その際にもあえて「営業職」を選びました。

 しかし、ここで注意しなければならないことは、子供の頃(2~3歳)にどもりだしました私は、家庭内の日常会話でもことごとくどもるような「重症のどもり」ではありませんでした。
小学校での授業中の発表や先生に指名されて立ち上がっての教科書の音読も調子のよいときはうまく読めることもあったくらいのどもりでした。
 秋から冬にかけてはかなり重症化し、発表するときにはおおどもりかことばが出てこないかでした。

 まわりの友達からは「どうしたの」といわれ、遊び友達には「冬になるとどもりが重くなるんだね」と言われていました。
*どもりが「重い」場合と「軽い」場合とでは人生に及ぼす影響が天と地ほど違います。これは私が、このブログでどもりを語るときの大前提です。

 そんな私でさえ、40歳代後半になった今でも、いや、今だからこそ、心のなかに耐え難い「闇」を持っていることを感じることがしばしばあります。
 たとえば、「こんなはずではない本当はもっとやれる、やれたはずだ」という気持ちがいまだに心の奥底に巣くっているということ。
これは、いわゆる「向上心」とは明らかに違います。

 「どもりを持っている本当の自分」をこの年になっても心から受け入れることができないような、コントロールできない心の動きが未だに心の奥底に確実にある。そして、地中深くマグマが流れるように感じることがあります。
 また、常に、「どこかで醒めている自分」を感じています。

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