吃音と仕事(いまのリアル!な社会情勢をふまえて)(再掲載一部改編:2010年11月7日)

新緑の奈良-長谷寺

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このブログを始めたときから一貫して多い検索ワードは、「吃音と就職」、「吃音と自殺」そして、「こどものどもり」です。

 今回は、いまのリアルな社会情勢を踏まえた上での、「吃音と仕事、就職」について考えてみます。

 吃音者かどうかにかかわらず、学生時代に要求される言葉の流暢性と社会人になってから要求される流暢性は大きく違います。
 ある程度より重い吃音者の場合は、たいていの場合、就職の時期になって、いままで味わったことのないような大きな壁にぶつかります。
大きく悩み、場合によっては死を思うほど深刻な事態に至るので、 先ほど挙げたようなキーワードが多いのだと思います。
*「学生時代までは楽だ」ということではありません。就職の時期になるとさらに生きるのがつらくなり、場合によっては自殺を意識するほど精神的に追い込まれることもまれではないということです。

 さて、日本でも相変わらず厳しい雇用情勢が続いています。
*その背景も、90年代はじめまでの「景気の循環」ではなくて、もっと大きな「構造の変化」のためです。

 そのような客観情勢の中で、今まで以上に社会人に必要とされるスキルは「仕事ができること」です。
 勤め先が、民間企業なのか、公務員なのか、自営か、農林漁業か、によっても、必要とされるスキルが大きく違うことも言うまでもありません。
たとえば、農業に従事するのには、いくら言葉が巧みでも体がこまめに動かないとどうしようもありませんし、といっても、農業法人などに就職すればサラリーマン的な動きもある程度要求されるかもしれません。

 ある程度以上の重さのどもりを持っている人が圧倒的に不利な点、 それは、どもることにより、自分の名前や会社名をはじめ、簡単な言葉を発するのにも時間がかかる。
また、つっかえながら途切れ途切れに話すので話し相手が話しの内容を理解しづらくなるなど、組織としての仕事の流れに支障が出ることです。
 たとえ、その人に潜在的な能力があってたとしても、結果として仕事の流れに支障が出るようならば「仕事のできない人」と評価されてしまうことです。
*障害があったとしても、「その人の良い点をうまく拾い上げて伸ばしていこう、そして活躍してもらおう」という余裕が社会からなくなっています。残念ながらそれが現実です。

 我々(どもりを持った人)はいま、こんな現実のなかに生きているのですから、これからは、人生にはいろいろな生き方(仕事や働き方)があることをを改めて考えて理解し、仕事や人生を柔軟に考えていけるようにする必要があります。
 つまり、サラリーマン(勤め人)になれば、そして、そこで我慢して働けばとりあえず安定・・・などという形はもはや望むべくもないことを知り、自分にとって生きやすい働き方を考えてそれに向けて猛烈に努力する、という生き方を選択することです。

 また、どもりに関する正確な情報がきわめて少ない(インチキ情報が氾濫している)いまの日本では、どもりで悩んでいる人が孤独になり悩み抜いて自分で自分を追い込まないように注意しなければなりません。
そうならないように自らも工夫すべきですし、まわりにいる人も気を配りサポートすべきです。

 学齢期を過ぎ、思春期になってもある程度以上の重さのどもりを持ち越した子供に対しては、どもることにより、将来に予想される不利な点(就職などのこと)や、吃音者に対する公的な支援体制がどのようになっているか、またどもりのセルフヘルプグループはどのような活動をしているかなどの正確な情報をタイムリーに伝える必要があります。

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